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ura2004


・どうせ何やったって後から思い出せば「楽しかった」「あの頃は良かった」って 情報しか残らないんだから(どうも自分の脳はそういう風にできてる。過去の情報 捏造甚大)、精々情動を揺さぶろう。恐れずに前を向いて。

(2004/12)
・メリットがないから、という理由で人付き合いを避けていないか。友達は選べ、 というが、選べる程の人間関係も無かろうよ。逆に自分が他人と友達でいる場合、 自分が友達であることで、そいつにとってどういうメリットがあるのか、は すこし意識した方がいいかもしれない。

・なんかあんまり話さない人から「君の好きな俳優、最近よくテレビ出てるよね」 とか言われて、あ、佐々木蔵之助か、と思い至る。ずっと前、佐々木クラノスケって 俳優がさー、と熱く語った記憶が。相手も良く覚えてたものだ。

(2004/12)
・なんか自分で作った状況に自分で乗っかってるのに、気持ち悪い。毎日を自分の 意志で渡っていくという事を、如何に今までしてこなかったかという。

・何だかつらい。どうしてこうなるのか。うまくやれる、と思いこんだ数分後には もうだめだ、と思う。感情のアップダウンに耐えようと、歯を噛み締めている。

・買った本が読めないのが辛い。グインの98巻とかー。なんかここんとこグイン しか読んでない気もする……小川作品も読むの止まってるしな。本も読まず絵も描 かず。週末に買ってきた漫画はまだ袋から出してさえいない。僕は何をしてるんだ。 こんなはずじゃなかった。もっと楽に生きてる筈だった。好きなことをやるために、 最低限の義務として勤労してればそれでいいや、と思ってた。今でも思ってる。 でも現実は(うるせえ)

・泣き言や(反映される予定のない)反省を書き連ねる暇があったら、自分で 何とかする方法を考えよう。やってみて駄目だったら、もう一度やるだけだ。 言い訳はするな。必要以上の反省もするな。許しを請うな。惨めを自演するな。 自分が自分で嫌になる夜だ。何だかもう、年々打たれ弱くなっている。開き直れ。 人生を楽しめ。恥を捨てろ。何度でもやり直せる。目を閉じて選べ。

・人は目的のために生きるのではない。”よりよく生きる”ためにこそ日々の目的 があるのだ。目的を立て、それに向かって邁進する生き方は通常、賛美されるもの だが、そこに揺るぎない「意志の力」があるかどうか。ToDoが「したいこと」から 「(面倒だけど)やらなくちゃならないこと」になってしまう、という事を毎日の 様に経験しながら、それを超えていく手段を見出せないでいる。僕が今やりたいのは ただ一つ。「僕はこう思うけど君はどう思う?」「僕もそう思う」「僕ら気が合う よな〜」という、そういう「確認作業」だ。だから、人の問いかけに「ていうか」 で切り返してしまう癖はちょっと控えたい>自分。「そうだよね〜」って取りあえず 頷くことから始めろや。

(2004/12)
日の出、日の入り見たことない 小中学生の過半数 乏しい自然体験。まあ僕は 見たことあるけどね。等と自慢してもニャー。日の出日の入りを見たからって何。 どうも安っぽい恣意が見えて苛立つ。はっ釣られてる?クマー。いや寧ろ今の30代、 40代の連中にこそこういう調査はすべき。誰しもそういう「”しておくべき”体験の 欠落(の自覚)」は一つや二つ必ず有ろう。「親父にもぶたれたことないのに!」 とかそういうのを知りたい。勿論興味本位で。「ねばならぬ」なんてのは幻想に 過ぎない訳でさ。どこかに「○○が許されるのは○○までだよねー」「キャハハハ」 のまとめサイトはないものか(見たら打ち拉がれるのでやめたほうが)。

(2004/12)
・夜、何となく最近岡崎京子ってどうしてるんだろう、と思って検索してみる。 吉本ばななの日記に、最近見舞いに行ったときの様子が語られている、という。 行って読んでみて、切ない。まるで幼女の事を語っている様な文字列。いや、違う、 この見舞いの下りだけでなく、この人の日記そのもののトーンが(たまたま僕が 読んだ所だけそうだったのかもしれないけど)薄暗い印象。死や別離が日常に のしかかっているとき、自分ならどういう態度をとるだろう。静かに、淡々と、 死を身近に感じている。そんな印象。

(2004/12)
・年明けに高校の同窓会があるそうだ。僕は参加しないけど。

・大学1年の今頃、徳島駅前の書店の参考書コーナーで、高校3年の時のクラスメート とバッタリ出会った。当時彼は浪人しており、僕のことをやたら羨ましがっていた。 だがその頃の僕は、今までの人生でも最悪中の最悪、な状態にあり(大学にも行かず、 バイトもせず、Webも無い時代でネット依存にもなれず、ただ居場所無く街をふら つき、外界の情報をシャットアウトして「起きていなければいけない時間」が過ぎる のを待っていた。ニート、ヒキコモリ、という言葉は当時無かった)、”現実感”が 殆ど無い様な状態だった。そこに、あの”目的に向かって邁進”していた高校3年生の 時の顔が突然現れて、一瞬だけ目が覚めた様な気がしたのだ。あっ、僕は何を してるんだ、何をしてたんだ、おかしいな、あれれ?という、妙な”覚醒”感。 それが今も忘れられない。あの一瞬、”僕”は目覚め、そしてまた眠りについた。 そんな気がしてならない。その彼とは、その時以来一度も会っていない。

(2004/12)
・なんかほり えもん放談を冷めた気持ちで見聞きできない感じで、ああ、今自分余裕無いな、 と思う。器量ってのが、まあ、あるのよさ。残業代もまともに貰えないで、でも仕事 しちゃう「奴隷」にもそれなりの幸せが。いやそれは奴隷の幸せで。最近朝のラジオ で流れてくる全労のCM(サービス残業撲滅系)が辛くて。哀れんでくれとは言わ ない。いや言おう。哀れんでくれ!仕事して帰って寝るだけの俺に何がある!? タイムカード有るんだからタイムカード通り金払えよ……などと他人を説得する位 なら自分が迂るよ。そういう教育を受けてきた!教育のせいか!何でも他人の所為 だな貴様!

(2004/11)
・スカイプがスイカップに見える今日この頃。と思って検索してみたらあんまり ヒットしなかったので、オヤジ達にはまださほど認識されてないモノと思われ。 ていうかすいませんオヤジで。ああどうせオヤジですよ。「名前の付いている胸」 とか大好きだよ!いや、そうでもないか。どうも一部で乳好きと思われている感じ だけど、そんなことないよ!いや嫌いじゃないけど!(好きなんかい)

(2004/11)
・いい風だった。遅くなってしまったが、比類無きO女史の結婚式の招待状に 出席のマルをつけて投函する。先月本人から話を聞いたとき、「ああ我々の マドンナ、比類無きO女史もついに人妻に!」とか言ったら「いや私は結婚しても マドンナだから」と返されたり。N川先生としみじみ溜息をついたことだ。いや、 彼もそう遠くない未来には結婚するのだろう。そしてそれは「当たり前のこと」 だ。

・17歳の頃、地学部室の机の周りで過ごした毎日から既に13年が過ぎた。本当に、 昨日の事の様に思い出せる。今もう校舎そのものが建て変わってしまっているが 故に。

(2004/10)
・何だかんだで実家暮らしも早一年になろうとしている。不便ではない、寧ろ 楽ちんだ、でも、生きてる実感が薄い。自分で洗濯したり、自分で今夜のメシを 決定したり、というのは、人の意識の根本を形作るものかと思う。今日何食べよう。 冷蔵庫の中には何が残っていたか。洗濯はいつするか。週末の天気はどうか…… 何て言うか、自分の命を自分で預かる感じ(大げさだけど)。実家に戻った当初は それが無いのが気持ち悪くて、正直かなり鬱になってた。でもそれも慣れて しまえば。気がつけば自分で自分を誤魔化している。「こんなに頑張ってるん だからいいでしょう」。何が”いい”のか。誰も”自分の人生”を生きる事から 赦されはせんよ。気合い入れろ。

(2004/10)
・「まっくら森」に対する憧れというか。その中に在っては脱出を試みるが、出て しまうとその世界が慕わしい。まっくら森は心の迷路。その迷路は「自分の事だけを 考えられる」瞬間にしか入ることが出来ない。何も聞こえない、が故に耳を澄ます。 雑音の中ではそれも適わず。言葉もネタも、自分との対話からしか生まれない。 醜くても、兎に角鏡に映った自分を観察し続けるしか、無い、のだ。

・だがもうそれができない。テープレコーダーに自分の声を入れて土の中に 埋めることも。何も。

(2004/10)
この「自分が自分でないような」感じは何だろう。全身の倦怠感。自分が信じられ ない、ぶよぶよしたリアリティ。自分という存在は、実のところ全くしっかりした ものではないのだ、という不気味さ。日頃自分のことを「正義」側であり「誠実」 で「真面目」で「正直」「善良」だと思い込んでいるが、それが実は全然そうで ない、というのを、他人からではなく自分自身で思い知った、という事があって。 鏡を見た時、自分の顔に苛立つ感じ。いや、これ、忘れていただけだ。人生最悪の 自己嫌悪に陥っていた時期はそんなに昔ではない。あれから、特に何の成長もない まま、なまじ下手な自己肯定「僕は正しい、僕は間違ってない、今の自分がある のは、あのときの選択が間違ってなかったからだ」云々、を平気で思い込める様に なってしまったのがマズイ。自分は駄目なのだ、相変わらず。何も変わってない のだ。冷めろ。醒めろ。目覚めてくれ。

・夢はあったが達成しなかった。やりたいことはあったが、失敗するのが嫌さに 挑戦しなかった。部屋と職場の往復に拘泥して、狭い世界で保身ばかり考えて 生きている。気付けば30歳。何の技術もない。潰しの利かない狭い世界での狭い 知識だけを持って便利に「生かされている」だけだ。

(2004/10)
・親の看病に来た妹に説教される。親もいずれ死ぬ。家族は居なくなる。こうやって 病気になったら、一人で入院の手続きして一人で手術の説明受けて、一人で退院まで の時間を過ごさなければならないんだよ、だから生活力のある嫁を早く見つけろ、と。 妹は妹でいろいろ胃を痛めている様だ。だがどんなにバタバタしていても、親が入院 と聞けば全てを置いて駆けつける。血は水よりも濃い、というその言葉が今実感として ある。それを失った時の孤独も。いや、この説教はやや効いた。成程我等は一人で 死んでいくにせよ、一人では生きていけない。

(2004/09)
・「何してるんだろう俺」とふと立ち止まって思うことが少なくなってきた、残り 時間が見えてきて、選択肢が減るに従って、将来に対して(不安はあっても)悩む ことが少なくなってきたからか。諦めという名の安定。引いた視点で見てみれば、 部屋と学校の往復が部屋と職場の往復に代わっただけで、自分の生き方というのは 小学生の頃から頑として変わっていない。何も変わってないのだ。そのことに恐れを 抱くことも、もう無い。頭では「悲しむべき事だ」と思いながら、心は揺れない。 あの、焦がされる様な焦りがない。昔ANT師に言われた、自分を自分通りのサイズで 捉えられる事、が漸く出来るようになった、のかも、しれない。それは、だが。

(2004/09)
・最近「だれかこの不幸な俺を助けてくれ!」と叫ばないのは、歳を取ったから、大人 になったから、成長したから等の「獲得」の結果ではなく、ただ最近の毎日が「安定」 しているからに過ぎない、と他人から指摘される。ああ、確かに。何事もない毎日。 人生に保証は無い、のは既に経験済みだ。古人曰く「安全な人はいない」。ある日突然 訳もわからない不安が襲うこともある。ネクタイを結ぶ手が震え、会社に体調不良を 伝え、本屋で精神世界系の本を読みあさっていると、口内には妙な唾が溢れる。吐き気 とも違う何か。自分が汗だくになっている事に気付く。あの「不安」に「襲われる」 感覚だ。自分は全くの駄目野郎だ、自分は誰にも必要とされていない、自分が死ん でも誰も何も思わない……そう絶え間なく囁く、あの黒い奴の存在は今遠いけど、 心臓を凍らせるあの「崩壊」の感覚はリアルに思い出せる。忘れるな。

(2004/09)
・ジョージ・ベンソンばかり聴いていたい。今週はホント疲れたよ。

・妹からフェレットが如何に高さ移動に弱いかを教わる。椅子から落ちたら骨折 するとか。スペランカー並の弱さと言えよう。

・筒井の「五郎八航空」を読んでいたら「こりゃまるで椎名誠の作品だななあ」とか 思えた事だ。逆だ。

・自分はアニメファンではある、と思う。オタクではない。オタクには成り得 なかった。これからも「オタク」には成れないだろう。

・この世には2タイプの人間しかいない。即ち「としあき」であるか否か。

(2004/09)
・サラバヌルい日々。一転泥沼。いやこうなることは解っていたのよ。泥沼でもがく のもまた仕事なり。25時頃帰宅。昨晩ヘル・カーと交わした仕事話が脳裏に蘇る。氏の それに比べれば、拙者のもがきは児戯に等しい。差がついちゃった、のは当たり前。 せめて僕は僕にできることをしよう。M隊員も土日仕事だっていうし、T氏は毎日午前様 だし、ああ、みんな「仕事」してる。自分の身にしっかり歯車の溝を刻んで、社会の中 で噛み合ってる。だって30だぜ。なのにこの身体には、歯車の溝さえ明かではない。

(2004/09)
・このプロジェクトももう余命幾ばくもないよな、みたいな話を上司たちがして いる、のを横で聞きつつ山積みのソレ関連の仕事を黙々とこなす。徒労感は強い。 何を作ったら売れるのか。どんなサービスならお金を出してもらえるのか。正直 もうこれ以上何が必要だろう?プレインストールのソフトを組み合わせるだけで、 殆どの事は出来てしまう。ちょっとした便利機能なら、フリーでいくらでも 転がってる。プルダウンメニューの奥には、一昔前ならそれだけで販売出来た ような機能が眠っているけど、誰も気づきもしない。「インターネットとメール」 が全てを書き換えた。今パソコンと言えば何よりまず「インターネットとメール」 なのであり、また実際それが全てだとも言える。

(2004/08)
・この時期、83になる祖父から戦争中の話をいろいろ聞く。南方で砲兵として5年を 過ごしたそうだ。南の島の”土人”達は、ヤシの葉で編んだハンドバッグをいつも 携帯していて、その中には髪切り用の貝殻を入れていた。彼等の髪は細くて切れ やすいので、それで整えていた様だ。だが、自分は散髪した記憶がない。バリカン なんて有っただろうか?そもそも軍服が無かった様な気がする。服があるだけマシ、 自分たちは褌しか無かった、云々。当時20代そこそこ。人間以外は何でも食べた。 ワニも食べた。一斉に明滅する螢を見た。戦友会には毎年出かけているが、それも 残存兵が少なくなってしまってる様だ。祖父とは子供の頃一緒に風呂に入ってたが、 その身体には銃創の様な凹んだ傷跡が2つあった。膿んだ所を削いだ痕だと言って いた。今も相変わらず頑健で、一緒に歩くと疲れ果てる程だ。耳は遠くなったが、 目も脳も身体も健康そのもので、病んで倦んだこの僕とは鍛え方が違う、と言った ところだ。地元組織の会合やイベントで毎日動き回っている。思うに、人間、年 取ったら体力だ。長期目標で80歳の時の筋力体力で負けないようでありたい。 慎むべし、鍛えるべし。

・今の調子じゃこっちは80まで生きられるとはとても思えないけどね……

(2004/08)
・反省のフリして自己弁護シリーズ

・なんか自分の薄さ加減に嫌気がさす。新規投入されてきた人に、慣れないと簡単 には出来ない、負荷のある仕事を頼んでみて、案の定崩壊したところをわざとらしく 助けてみたり、という解りやすい事(ホラ俺ってすごいでしょ?ってな)をやって しまう。どうせ半年後には自分の上に立つ人なんだから、自分からヤな印象植え 付けなくてもいいのに。この自分の先の見えなさ、薄っぺらさ。出来なかった事を 彼の上司の前でわざと庇ってみたり。しかもそれをまた下手にやるから、話してる 最中にも自分の薄っぺらさが露呈していく。ああ、最悪だ俺。死ねばいいのに。 まあいいよ。どうせ明日をも知れぬ身の上だ。精々意地汚くやるさ。

・最近ホントに自分の融通のきかなさに恐怖さえ感じてる。自分はこんなにも……。 提案を受け入れるフリをしつつ「いや、わかるよ、でもね……」と「でも」で返して 意見を押し込んでしまう自分が嫌だ。単に”他人の意見に流される”のが嫌、と いうだけで「俺はこう思う」と根拠のない「賛成の反対」を口にして相手を黙り 込ませてしまう事が多い。気が付くと相手が冷めきっていて、あああ、ちゃうねん、 と慌てて下手なフォローを打つも、その場はお終い。全て御破算。後の祭り。 あとのまつり、って、不思議な言葉だねえ。

(2004/07)
・自分の文章の位置が解らなくなったとき、見に行くサイトが二つある。一つは、 都心でセレブな生活を送っている同年代のオクサンの、何気ない、然し適度に浮世 離れした、パーティと音楽とアートとクラフトと今日のご飯、な日記で、もう一つ は、世間を呪い、自分達だけが正義なのだ、そして正義だからこそ弾圧されている! と叫びながら、地方都市でダメダメな生活を送っているワナビー男(同居中の恋人 あり)の記録。どっちも極端で、つまり、彼等に比べれば俺なんかはホントに中庸 だ、大丈夫、安心、と、まあそういう。で、まあ、何が言いたいかっていうと、 このサイトもそうやって見られているんだろうなあ、「コイツに比べれば俺なんか まだマシさ」ってさ。いや、それでいいのだ。

・誠実でありたいと思うし、正直でありたいと思う。が、口を開けば自己弁護という 嘘をつかずにはいられない。自分を庇わずにはいられない。それを避けるには、口を 閉じる他無い。自己弁護で塗り固めたつもりの嘘日常でも、遅かれ早かれ真実は口を 開ける。もう、バレてんだよ。ぜんぶ。

(2004/07)
アニオタニュース跡地 を今頃読んでみて、ああ、そうだったんだなあ、と。「自分の中での面白い物の一つ としてのアニメの比重はずいぶん下がってしまったということ」。それは、今まで直接 /間接的に、何十人もの口から聞いてきた言葉。「パソ通より楽しいことができた」 「絵を描くより面白いことが」「虚構より仕事の責任」云々。アニオタニュースの中の ひとですら。誰もがデータ原口や池田憲章や小黒裕一郎になれる、わけではない。自分 の中でアニメの占める割合がみるみる落ちていくのが恐くて、慌ててHDDレコーダー 買ってみたりしたけど、結局録るだけ録って見てないのはビデオと同じ。

・いや、ホント、だから、やりたいことがあるなら、やりたいうちにやれよ。後で、 そのうち、と思ってると、それは「やりたくないけどやらなきゃいけないこと」に なってしまって、その結果から得られる喜びは限りなく少ない。や、欲しいモノは 欲しい時に手に入れろ、とか、食べたい時に食べろ、とかそういう事ではないよ。 ToDoの話。

・最近なんだか無欲になっている。無欲になっている、というか、要するに「ヤル気 が無い」感じ。こういう状態が長く続くと、人間的にこう、どんどん矮小化していく 感じ。もっとガツガツと情報を貪らなくては。貪って貪って、体内から溢れたものが、 口や手を通して出力される様でなくてはいけない。所詮自分が話す言葉は既存の言葉の 劣化コピーな訳で、今更恐れてもしょうがない。他人の思想にガンガン影響を受ける べきなのだ、本来は。面白がろう。何でも。

・「お兄ちゃんはね、好きな人を好きでいるために、その人から自由でいたいのさ」

(2004/06)
・Web日記とは、絶えざる日常の捏造である。何も嘘を書く必要はない。「書かない」 事で、語らないことで現実を捏造することは可能だ。言葉は口を離れた瞬間に嘘に 変わる。ここで斯うして吐かれている「裏日記」さえも嘘であり捏造であり糊塗で あり自己弁護の言葉に他ならない。表現即ち自己弁護だと古人も言っている。 カメレオンが膚の色を変えるように。

・なんつーか、「ぼくはここにいる!」と叫ばせる”何か”を探して生きてる感じ。 叫ばなくても良いんだろうけどな。「で、あんたは何がしたいんだ?」の問いに、 いまだ何も答えられないでいる。「僕が僕であることを説明する事の無意味さ」という フレーズ(サイトーカズヨシ)は、然し「僕が僕である事」を説明することが出来る 奴の吐く台詞であり、他者と自分を切り分ける努力をさえ出来なくなったグダグダな オヤジにはもう何が何やら(ホントに何が何やら)。

・自分と世界の間の境界を意識して生きていたい。世界に溶けてしまいたくない。 世界を自分の目で見て、自分の脳で理解して、自分の言葉で語りたい。誰かに利用 されたくない。誰かを利用したくない。いたわりと友愛を。他人を圧倒するためでは なくて、他人に圧倒されない様な「自己」の強さを。気がつけば、自分の身体にも 年相応に歯車は彫り込まれている。取り替えの効く「歯車」として、なんとなく回って いるが、いつか惑星メーテルを破壊する日には進んで手を離す様に心がけて生きよう。 違う。これだからカビの生えた古オタは。いや、古オタであればこそ、あの「かけがえ のない自分」観を思い出せ。ネットは広大だが、そこを泳ぐ”自己”はもっと深い はずだ。逃げや言い訳ではなく、もっと高い視点を。いやお客さんここは笑う所じゃ なくて。

・こうして”ぼく”を語り続けることでしか「ぼく」は存在できないのだ、と、そんな 感じで考えるのをやめる。他者と会話しているとき、会社で仕事をしているとき、車を 運転しながら鼻歌を歌っているとき、風呂桶をバスピカで洗っているとき、そこにも 自身は存在するが、ま、そういうのと、こうして改まってキーボードに向かって 「自己弁護」を語るときとは、またちょっと違った気持ちになるでしょう?(誰へ ともなく阿りつつ弱気に終わる)

(2004/05)
・自分が正しい、自分は素晴らしい、「俺ってスゴイだろ?」と(冗談めかしつつ、 だが賞賛の言葉を期待してる目で)口に出す人を見ては、むずがゆい未熟さを感じた ものだった。それがたとえどんなに現実で成功をおさめた者の口から出た言葉で あっても。「自画自賛」という言葉は戒めの意味を持つ。そう言うのは精々 ツジジンセイレベルで しかないよ、と。でも、周囲の人間に「ウンウンそうね、凄いね、偉いね」って 言われてないと、不安で不安でしょうがない人ってのも居るのだ、と最近気付いた。 がんばってるんだからほめて、と言われれば、そりゃ褒めるのにヤブサカじゃない。 いや、ホントに凄いと思ってるのよ。頑張ってるなあ、と。

・人生は成績じゃない。少なくとも、僕が評価するのはそいつの「仕事」「稼ぎ」 ではなく、そのまなざし、姿勢、生き方、生き様だ。世間が全部日経やワールド ビジネスサテライトやガイアの夜明けやプロジェクトXな眼で見通せるとは思うまい。 あんたを”利用”しないで、ただ友達で居ようと思ってくれる奴は、今何人いる? ……いや、すまん、要するに嫉妬してんのさ。

(2004/05)
・ああ、金が欲しい、自由が欲しい、何もしたくない。時間が欲しい。何時でも 遊びに行ける様な時間が。その時間を買うために金を稼いでいる筈が、結局その金で 買える時間はその金を稼ぐために費った時間の数十分の一でしかない、という事実。 いや、そうじゃない、仕事ってのはそうじゃないんだ、それそのものが目的である べきなんだ、とは思う。思うけど、まあ、素直にばれないお年頃なのよ。

・知り合いからビデオが送られてくる。最近じゃマッドハウス系の作品でも演出に クレジットされてる演出家。倒れる程仕事して、それでも仕事が楽しくてならない人。 なまじユルい時代に交友があっただけに、その後の輝きが眩しい。いや俺だって仕事 してる。仕事してるんだよ。ただ、その名前がどこにもクレジットされないだけで。 送られてきた作品はちょっとした教養アニメで、しかし強烈に作家性を感じさせた。 たかが教養アニメ(失礼)でこの叙情は何だ。凄い。限られた枠と予算の中で、ここ まで志のあるものを作ってしまう情熱。「いい仕事」ってやつだ。他人のいい仕事を 見て奮起するも、何をしたらいいのかわからない。ついつい酒に手を出してしまい 轟沈。ああ駄目だ駄目だ俺は駄目だ。奴は矢継ぎ早に演出、監督作品を生み出して いる(玉石混淆ではあるが、どれにも作家性が匂う)というのに!

・この世に「楽しい仕事」なんてものが存在するなんて正直信じられなかった。が、 現実に仕事で自己実現を果たしている人達を見ていると、一体自分は何をしている のか、とそればかり不安になる。彼等が頑張っている間、僕は恨み言ばかり言って 何もしない人間に成り下がってしまった様だ。何かしたい。何かを作りたい。努力 して、その努力を評価されたい。そう言う事さえ忘れてしまったのかね。

・時間は使うか失うかのどっちかだ。最近思うのは、「好きなことを仕事にする」のが、 好きなことを”続ける”唯一の方法なのではないか、という事。”続ける”ことに意味が あるのかどうか、は別として。好きなことを好きで居続ける、というのは、個人的には 凄く大変なことだと思う。同じ箇所から得られる滋味は、どんどん減っていく。輝いて いた場所も、繰り返し訪れれば日常の延長だ。つまり、何にでも慣れるし、飽きる。 現実の「生活」の前に趣味は勝てない。趣味を生活とすることでしか……いや、だが、 それはもう「趣味」ではない……

・関東方面より電話。今日はいつもより3時間も早く帰れたさ!ってもう24時。 30になって、ふと周りを見渡したとき、ホントに、掛け値なく仕事が生き甲斐に なってる連中、ってのが(割合は少数派だけど)確かに居るのに気付く。君ら、ホント 仕事好きねえ、と、でもそれは「好きな事を仕事にしてる」から、なのだろうか。 仕事で自己実現、っていうのがどういうものか、僕は一生わからなそうだけど、ただ、 うらやましい限り。好きなことだから何時間やっても楽しくてならない。仕事のスキル が上がるのと、「自分の世界」でのスキルが上がるのとが同じベクトルにある。仕事 だから、と顔をしかめて見せても、その眼が輝いてる。何日も家に帰ってなかったり、 過労で倒れてみたり、気がついたら内臓ボロボロになってたわーアハハ、とか、ああ、 僕も、そこまで何かに熱中してみたかった、と思わせるのだ。ただ食うために、稼ぐ ために「時間を金に変換してる」様なのとは、何か根本的に違う”仕事”の有り様、と いうのを、見せつけられる事が多くなってきた。うる星2ビューティフルドリーマー の、あの夜明け歯磨きシーン。「なあ俺たちいつから泊まり込んでるんだっけ?」 「忘れちまったよそんな大昔の事ぁ」アレに憧れる、というのは、つまり、ああいう 事をやり残して生きてしまったからで。えーと、とまれ、身体だけは大事にして 下さい。倒れたとき、僕に「そら見たことか」とか言われない様に。

(2004/05)
・最近時々行く店で、下向いて雑誌とか読んでると、強烈に中学時代の美術室に いる気分になる。何でだろう、とずっと思ってたけど、窓のレイアウトとかが美術室に 似てるのかも……よく解らない。兎に角、目を上げたら目の前に黒板があるんじゃない か、右手の窓の外は自転車置き場で、その向こうには田圃と、その更に向こうには海が 見えるんじゃないか、と、確信に近い感覚があって、正直、頭がグラグラする。顔を 上げさえしなければ、自分はあの頃のままなんじゃないか……15年も前だぜ。今までの 人生の丁度中間点。あの頃道を誤ってなければ……誤ってたろうなあ。どう転んでも。

・某氏がびんび屋行ってきた、というのを聞いて、無性に行きたくなる。なんか、もの 凄く幸せそうに食ってる姉ちゃんがいて、思わず見とれてしまったとか。解るー。 あの味は、人を笑顔にせずにはおかないよな。笑ってしまう。

・先日TVで見たジュラシックパーク3で「この世には2タイプの人間が居る、 天文学者になりたいやつと、宇宙飛行士になりたいやつ」ってのがあって、ここ数日 その言葉が妙にグルグルと反芻されている。天文学者タイプなんだよな。

(2004/05)
 久々にバトった。仕事で喧嘩するのも久々。結局は折れる訳だけど。斯う言うとき 下っ端はどうしようもないな。なんか苛立ちが醒めたら「俺ホントにこのまま過ごし てていいんかな、あかんよな」という気がひしひしと。責任がないのは、楽は楽なん だけど、明らかに間違ってる事に対して何も出来ない、何も言えないてのは、精神 衛生上、ちょっとね。あと同じ釜の飯を食ってる「つもり」だったのに、本体から 見たらいつでも切り捨ての出来る「単位」でしかないんだよなー、とか。製品を 送り出すときはみんなで拍手したり、打ち上げだ、ボーリング大会だ、花火だ、 バーベキューだ、なんて時代もあったけど、もうね。扱い違うもんね。

・何というか、今のこの「身分」にいろいろ感じる所のある毎日。春だからな。 最下層、末端の作業者で居るのを良しとしてきたけど、このままじゃ行き先は真っ暗 だよなー、等と管理職達の会議に参加してつくづく思った。末端の人間は、コストの 単位でしかない。いや、当たり前なんだけど、思い知ったわ。「搾取」って言葉は、 搾取される側に回って初めて見えてくる。宇宙船サジタリウスのサントラCDに 「いい服着てるな、贅沢なもんだ、そのぶんだれかが震えてる」というフレーズが あったけど、子供の頃はそれがどういう意味だかわからなかった。自分がいい服を 着るのと、誰かが震えるのと、その間に何の関係があるんだ?「忘れちゃいけない、 肝心なことは、俺たちが、同じこの世で暮らしてるってこと」。だがあなたは言う だろう「なぜもっと努力をしない?なぜもっと上を目指そうとしない?だからあなたは 搾取されるのだ」。

・下流工程には下流工程の意地があるよ。それは目先の利かない下っ端の意地でしか ないんだろうけど。コストを無視して品質を追い求める企業は確実に滅びる、ってのは 判るけど……ま、確かにな。究極は営利なんだし。末端は所詮寄生虫さ。パラサイト・ 社員。でも最近何かね、末端のレベルがもの凄い勢いで低下してる実感。低下、じゃ ないな、ユルくなってる感じ。「プロはどこだ!?」って奴。郵便配達が面倒だ、って 棄てちゃうポストマンとかさ。居眠りする運転手とかさ。個人データのダダ洩れetc。 「職業に貴賤はない」というか、どこにいても「良い仕事」ってのは有り得る筈でさ、 あー俺が若い頃は云々、他人の仕事ぶりなんかクサせる立場か。自分の仕事をしろ。 自分だけ棚に上がろうったって、そうはいかんぞ>拙者。

・仕事中にメールを打って停職とか減俸とか。みうらじゅんの言うゆるい世界が、 全てを無と化していく。「ムリョウ」「イリヤ」みたいに、また携帯電話のない 世界が戻ってこない限り、これに関してはまだまだ「ゆるゆる」になっていく様な 気がする。いや、多分、それはそれで「そう言う時代」に合致した礼儀作法とかも 生まれて来るのであろうが。取りあえず運転中にメール打つのはやめてー。ホント こわい。せめてその辺だけでも早急に音声入力化してもらいたい。こう、音声入力 して、読み上げてもらって、送信、とかさ。カーナビあたりで。

(2004/04)
・谷譲次曰く「正邪当否は姑らく措き、人間にはこれ位の面魂はあつてもいゝだらう。 ことにこの頃、日本の国土内に蹲まつてゐる日本の青年は、手つ取り早く職業教育でも 受けて、そこらの銀行会社の椅子の一つでも掴んで――掴んだが最後、あらゆる屈辱を 犠牲にしても離しつこない――小綺麗な細君でも貰つて小さく安穏に暮らして行かうつ てなことしか考へてゐないやうに見える程、それ程小利口で無事で、悪く言へば意気地 がなくて弱虫だから、これくらゐの無茶(タフ)さとその気取りはちよつぴりなら 却つて薬になるだらうと思ふ。全く、現代の日本青年ほど気力のない日本青年は、未だ 曾て日本の何の時代にも見られなかつた。」(テキサス無宿)詰まるところ我々は常に 繰り返す。こんな下りもある「ハンボルグ焼き――この独逸名が怪しからぬとあつて 大戦当時自由焼き(リバテイ・ステイキ)と改称してゐた――」アメリカだって繰り 返す。フレンチフライを何と言い換えたっけか。WTCの跡地に「フリーダムタワー」 を建てようとか言ってるよ、等々、僕が1920年代の小説やエッセイを好んで読んだ (過去形だが)のは、その「繰り返し」感覚故だ。今僕らが熱心に取り組んでいる ”何か”は、かつて誰かがやっていた。オー全ての事はもう一度行われてる。だから もういいじゃないか。そういう「赦し」があるからだ。

・ずっと風邪気味。うがい手洗いで風邪予防なんてのは日本固有の迷信だ、とかいう 文章を読んだ記憶があるけど、Webで探し回った結果、「うがい・手洗いには疑うまで もなく風邪予防の効果がある」という事になっているらしい。成る程なー。暫く 続けてみるか。

(2004/04)
・メッセで、これからクラブに行くのだ、という人と「蝶の様に舞え」「じゃあ ハチの様に刺すのか」とか話した夜、速攻で刺し殺される夢を見た。アバラと アバラのスキマに差し込まれ、血袋を切り裂くるナイフの感触が、まだ残っている。

・一つの悩みが消えれば次の悩みがやってくるのは世の常だ。優先順位の付け方 間違えてたな、と(いつものように)後悔しながら解決を模索する。

・寂しくて寂しくておかしくなりそうだ。とてーもやーりーきれーないー。この 虚しい、寒いような寂しさは何だ。春だからか。自分が孤独だと気付いた瞬間に 人は孤独になる。一人でも平気だった。一人でも満ち足りていた。

(2004/03)
 遊んでますか学生の諸君。遊んで遊んで遊び倒して消費の感覚を身に染み込ま せておこう!それがひいては社会の活性化に繋がる!消費は美徳!実際長期休暇 中のヒキコモリはダメよ。死にたくなるから。ホントに死にそうだったし>当時。 独りが辛くても、外に出て外気を呼吸しよー。夕暮れに漫画喫茶までの道のりを 楽しもう。たまには風呂屋にでも行こう。バスに乗って山奥に出かけるのも良い。 独りで遊園地に行くのも結構自虐的で良いぞ(これは冬に限るが)。兎に角拙者の よーに図書館とゲーセンと部屋の往復、で虚無を埋めてしまわないことですよ。 書を捨てよ(或いはTVを、ネットを)、とは言わないけど、街に出よう。自分の 許容量を広げる努力は、学生の頃にこそ。

・大学の生協で売ってた中華パンが今はこよなく恋しい。さばの味噌煮のあの 滋味よ。過ぎてみなくてはわからないこと。何でもない毎日の、その貴重さ。

・……とか言って「今できない」ことの言い訳を続ける醜いオヤジになりたく なければ!遊べ!うしろめたくない!遊んで遊んで、知見を広げろ!

(2004/03)
・ここんとこWBS(ワールド ビジネスサテライト)断ちが続いてた。日経も斜め読みな日々。で、ふと目が 醒めた様な心地。いやまあ、多様化、細分化の結果、今や世界の共通言語はカネだけ、 としても、究極、物事の価値は己の心が決めるものだぜ、という。モノサシを社会に 預けるにはまだ早い。物事の価値を”他人”に対して(無理に)認めさせるには、 「これは○円する」(俺はこれだけ稼いでる)ってのを示すのが一番だけどさ。 でも何も自分からその価値観を押し戴くこともないだろう。自分には自分の モノサシを。

・ま、しかしアレだ、古人曰く「金が無いのは首が無いのと同じ」。この国で貧乏人 は犯罪者と同じだという話。狩られない為に、貯金しよう。

(2004/03)
・空気は肌寒いけど、湿気った風の匂いが春なのだった。春が学生時代の記憶と 強烈に結びつく様になったのはいつ頃からだろう。ホント、全てを忘れて、酒と 読書とお絵かきの日々に戻りたい。今でも真剣にそう思う。でもそれに耐えられ ないだろう事も解っている。目が顔の前についている以上、どっちをむいても 宇宙でありどっちを向いても未来なので前へ進むしかないのだった。

(2004/03)
・人は必ず死ぬ。人間の死亡率は100%だ。結局、どれだけ 「その瞬間」を味わったかに尽きる。そのうちに、いつかは、その時のために、とか そういう生き方だと、後悔する事さえ出来ない。

・享楽的に、刹那的に生きろ、というのではない。目標を立て、それに向けて努力 する事にしか人間の喜びは無いという話だし。喉の渇きを癒すのは畢竟水だけだ。 何が大切なのか、何が必要で何が必要でないのか。無益か有益かの判断は目標の如何 に拠る。目標から目を逸らすこと無く生きろ。今日を使い切れ。このままで行くと、 ホントに「なにもしないまま終わる」という恐怖が現実のものになってしまう。 いや既にそれは恐怖ですらなく、リアルな「あきらめの未来」として眼前に続いて いる。愚痴愚痴と己と世間を呪う暇があるなら、手を動かせ。無くした訳じゃない、 まだ始まってない。評価は結果を出した後行われるべきものだ。

・こんな不安定な、荒れた時代に個人の夢や希望なんてものは風の前の塵に同じ、 かもしれない。安定を忌避するフリをしつつ、僕はもう7年も昨日と同じ今日、を 生きてきた。でも、何となく「それ」が永遠に続くという保証は無いんだよな、と 膚で感じる様な今日この頃。ある日突然、「もっと悪くなる」可能性は有り得る。 或いは、テロがこの国の空気を全て書き換えてしまうかもしれない。でも、 昨日と同じ今日が来ることを、今日と同じ明日があることを盲目的に信じて、 その上で「より良く」生きようと思う。思って努力するしか、ない。

(2004/03)
・高校時代、僕はあの場所で余りにも「やり残した」事が多くて、30を目前に した今になってもまだ「あのときこうしていれば」というのが(以前ほどの激烈な 痛みは無いにせよ)不意に襲ってくる。その「やり残し」を処理しようとして行き 詰まった大学時代。気がつけば大学の4年間など瞬時に過ぎ去り、今度はやり残そう にも「大学」そのものに縁のない生活を送ってしまい(新歓コンパで、教授に 「どうやったら大学に来ないで単位を取れるか、コイツによく聞いておけ」と紹介 されたこともある)、実際僕には「大学生活」は無かった様なものだ。以来後ろ ばかり向いて生きて来た。所が、気がつくとその「後ろ」の風景が明らかに退色 しているのだ。未来は模糊として見えず、過去も曖昧として混沌に帰っていく。 過去も未来もない。「今」しかないのだ、本当は。判っている。頭では。

・何のために毎日生きてるのか、それを考えろ。何のために稼いでる?生まれて しまったから仕方なく生きるのか?それだけか?昔、まだ世界が自分を中心に 動いていた頃、お前は何になりたかった?

(2004/02)
・なんとなくドライブな一日だった。ラジオもつけず、ただアテもなく走る。 昔、車に乗り出したばかりの頃、海辺近くの駐車場で夜を明かした事があったなあ、 とか思い出す。後に交通事故を起こして「二度と車には乗らない!」と思う時期が 結構長く続く、まだその前。あの頃も、アテもなくいろいろ走り回っていた。他に することが無かったのだ。彼女も居ないし、お金もないし。今みたいに絵を描き出す よりまだ前。Webどころか、パソ通にもまだのめり込む前。夜が明ける頃に部屋を 出て、日暮れまで、ただ当て所もなく。何ら裏付けのない「未来への希望」がまだ 身体に残っていた頃。

・高知の名も知らぬ川のそばで、ぼーっとしていたら、遠くにアドバルーンが 見えた。あのアドバルーンの下に行ってみよう、と思ったけど、結局いけなかった。

・実家から見える山があって、その山の崖崩れした所に行ってみたい。一度挑戦 したけど、途中で道が解らなくなって、諦めた。いつかカーナビを買った暁には。

(2004/02)
・ちょっとメッセンジャーで語り過ぎた。無意識にせよ言葉を武器として使って しまった事への反省で気が重い。表情の見えない文字は、寝かせない駄目だ。暫く メッセは用件だけに止めるよう。

・ただ楽しく語らった所で、そこからは何にも生まれない。机に向かい、頭を 捻らないと、自分の言葉は語れない。曰く、真夜中独りで黙っていないと、遠くから の言葉は聞こえてこない。判っては、いるのだ。

(2004/02)
・会社の給湯室に2chっぽいマグが置いてあって、驚く。久々にオタっぽい アイテムを見たよ。会社入った頃は、まだネットワーク一覧のマシン名/コメント がオタク名で溢れていたものだ。回されてきた古マシンの起動画面はシロマサ絵 だったり、見渡せば壁紙がエヴァだったりさくらだったり。仕事中もヘッドホン してムーンライダーズとか聞いてたなー。昼休みには隣の机でマガジン読んでたり、 夜飲みに行けば流行り始めたネットゲーや懐ゲー話、mp3の話や、そうだ、永野 のり子話で夜明かししたこともあった。

・今、そんなのは欠片も無い。

(2004/02)
・胡瓜を切っている時いつも思い出す絵があって、それはみつはしちかこの 「小さな恋の物語」のキャンプのシーンなんだけど、ダーっと胡瓜を切っていく あの手際を何度も真似しようとしては失敗(厚みがバラバラ)している。今夜も 失敗した。胡瓜は持ちが良いので助かるな。

・米を研ぎながら思う。炊飯ジャーのジャーって何だろう。jar:水差し・広口の 瓶。日本では広口の魔法瓶の事を「ジャー」と呼んできた歴史があるそうだ。 保温釜って事かな。

・今まで見た宮崎アニメで最も美味そうな食い物は、名探偵ホームズに出てくる ポリィのサンドイッチだ(青い紅玉)。絶対美味い。次点はカリ城で警官隊が 食ってるカップ麺。フォークで食ってるのが(当時)憧れだった。ラピュタ以降 どーも食い物が不味そうで。「千と千尋」に至っては、粘土食ってる見たいなん だよね……これはアニメーターの飢餓感と無縁ではあるまい。

・ハクション大魔王の食ってるハンバーグ。バカボンのパパの咀嚼音。味の素の素。 ”大魔境”で出てきた植物改造アンプルによるカレー。

(2004/01)
・強烈な鬱に襲われる。何も手につかない。正面から名指しで拒否されるのは 辛いモノだ。

・今、一日のうち15時間位を仕事に充てている。残り9時間で通勤時間を引いたら 7時間、睡眠時間を5時間として2時間、その2時間で何が出来る?そんな生活もう 7年も続けてる。本なんて全然読めない。絵も全然描けない。巻頭言のストックも 尽きた。結局の所、「仕事の合間に趣味」なんて、あり得ない。好きなことが 仕事になると辛いっていうけど、それを「仕事」にしないと、好きなことなんて 一生できないよ。いや、ホントに。だから、「それ」に踏み切った人は偉いと思う し、妬まれて当然だとも思う。旅に出る奴の背中に、嫉妬と羨望を投影しつつ、 僕はまた繰り返しの奴隷労働に埋没していく。

・美人な知り合いが地元の公務員試験に合格した上、地元で結婚するんで今度寿 退社だとぬかしやがる。いや、凄い、と思うよ。努力の人の努力が実るのは、いい な、と素直に思う。勿論これが男だったらケッ、とか思うんだけどさ。

(2004/01)
・残業の上限は月頭の数日で使い切った。今日も今日とて、サービスサービス。

・なんか色々またヤバイ状態。戦力外通告の予感。いい加減「僕この仕事向いて ないんだよなー」っていうのは解ってて、でも他に何が出来るわけでも無いから ずっとやってる訳だけど。人生楽しんでますか、とかついつい見も知らぬ マレーシア人に(ICQで)話しかけたりする夜だ。そりゃ入社した頃はまだ周りに PC触ってる奴も少なかったし、Webだってまだまだこれからの時代だった。 引き籠もってPC相手に毎日を過ごしていたから、一日の長、は有ったわけ。でも それが一日、にしか過ぎないのは半年もすれば痛感するハメに。なんかもう、逃げ 出したい、逃げ出したい、と思いながら、でももう7年も続けている。蝉の 一生。

(2004/01)
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