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ura2003


・日記の12月分を整理して、ああ、とうとう7年も続けてしまったか、と自嘲。斯う 云うのは本来「若気の至り」であるべきだ。いつまで「僕の事わかってよ!」とか やってんの。気恥ずかしさのあまり全てをリセットしてしまいたい気分に駆られる。 リセットしたいのはWeb上だけのことではない。「曖昧な毎日」に自分がどんどん 麻痺していくのを止められない感じに苛つく。脳細胞がどんどん壊れていく、その 事に気付く暇も無い。一体自分は何をしてこの2003年を生きてきたのか。何を得て 何を失ったのか。総括をしないまま年を越す、それさえももう、繰り返しだ。

(2003/12)
 全体MTGでバブル社員(ITバブル期に採りすぎた社員)扱いされた!マジか! つまりお荷物ってこと?公衆の面前で。ああ、流石に暗くなる。ちょっと真面目に 人生を考えよう。新入社員が入ってこないからって、7年も新入社員の気持ちのままで いいわけじゃ無いんだよ、とか。なんじゃそりゃ。つまりアンタからはそう見えてる って事ですか。ふーん。まあそう言われればそうなのかもしれないけど。ふー。 凹むなあ。まあ元々ライン工(ソフトウェアの箱詰め)で入った上、ずっと派遣業務 で下っ端仕事ばっかりやってる訳で、今更何を言われてもね。奴隷根性、負け犬根性が 染みついている。でも傷つかない訳じゃないんだよ。繊細居士。

(2003/12)
・ウィザードリィみたいなダンジョンタイプのWebサイトってどうだろう、多分もう 誰かがやってると思うんだけど、残念ながらまだ自分はそれに出会えていない、とか いう様な事を書いている途中で、要するにウィザードリィみたいな没入感をもう一度 味わいたいってだけだろ>拙者、と気付く。ウィザードリィでの「体験」は、僕の 薄いゲーム経験の中では突出して濃密なモノなので(というか他にそこまでやった ゲームがない)ついつい。今ネットゲームやってる連中から言わせれば「薄いぜ」 ってな事になるんだろうけど、でもあの没入感は「本物」だった。岩肌の感触も、 攻撃の手応えも、パーティの面々の顔、性格、クセ、口調、全部「思い出せる」。 ゲーム自体には最低限の情報しかない。だからプレーヤーはキャラクターを「想像」 しなくてはならない。いや、気がつくと勝手に「想像」してしまう。強敵に出会う度、 イベントに出会う度、キャンプをはる度に、自分が創造したパーティの面々が、 自分の手を離れてそれぞれ勝手に会話してるのに気付く。その曰く言い難い興奮。 グレーターデーモンさえ屠り、日に一回はワードナを倒すまでに成長した連中、もう そのデータは消えてしまったろうが、あの地下潜りに明け暮れた日々の「感覚」は、 まだ僕の中に消えずにある。

(2003/12)
・戦争なんてもう何千年もやってんだから、そろそろ飽きたろう。どんな武器を つかっても、結局は「人を殺す」ことしか出来ないんだからさ。閉塞してんのよ。 人が増えすぎた、ってのがそのイライラの原因なのなら、殺し合うんじゃなくて、 外に出て行くことを考えるべきだ。どこかの神も言ったろう、生めよ殖えよ。 もっとこう、冒険しようぜ。同じ死ぬなら、いつか星の海で。もっと見たいものが いっぱいある。山の上、海の底、砂漠にも行ってみたい。月面に立って、地平線に 昇る青い地球を見たい。巨大ガス惑星を「ナマ」で見たい。この銀河を外から 見たい。その光景は今も「ある」のだ。本当にあるのだ。そこに行けば見られるのだ。 全ては、見ようと思うところから始まる。見ようと思わなければ永遠に見えない。 毎日をただ懸命に生きる、その事を否定はしないが、それだけでは寂しい。

・何故人類は宇宙へ飛び立たなくてはならないか。嘗ては「汚れきった地球に 休息を与え、緑が戻ってくるまで外で暮らす」みたいなのがお約束として有った ような気がするんだけど、最近見ないねえ。

(2003/11)
・パソコンを買ったときの事をどこまで覚えているか。MSXが家に来たときの 風景は、親がその箱をクルマのトランクから引き出す所まで克明に覚えている。 PC-88MHが家に来たときは、ディスプレイを箱から引き出したときの、あの 梱包剤の匂いさえ思い出せる。だが98は?FMVは?今使っているこのPCを家に 持ち込んだときって、どんなだった?

・大阪で買ってきたモデムを88MHに繋ぎ、電話ケーブルを廊下に引きずり回し、 初めてBBSに接続したときの興奮。暫く県内の某BBSでうろうろした後、初めて 東京の草の根ネットに繋いだ日の事も忘れられない。「東京」が電話回線を伝って 自分の部屋までやってきた様だった。タガが外れた様に、東京や北海道のネットに 行っては、見知らぬ相手とのチャット、チャット!月何万円もの電話代と親の 激怒と視力低下を代償に、今ではどんなに金を積んでも得られない、身震いする様な 「ワクワク」を感じていた。

・最近よくゲーセンにアウトランが初めて入った頃の事を思い出す。夢工場の アウトラン筐体を使ったラジコンとか。バブルに踊ってたのは都会の大人だけ じゃない。田舎のガキも(ありもしない軟派な)未来に向かうベクトルを眼前に 見せられて(それは今見ればただの安っぽい”コニーアイランドの一夜座”だった のかも知れないが)、完全に骨抜きにされてしまったのだ。ゲーセンでは、それ まで見たことも無かった美しい画面、動き、音楽が毎月の様に現れていて、僕らは その進化の速度に慣れきっていた。それは1990年半ば、ポリゴンの衝撃まで続いて、 でも、今は、どうなんだろう。もうゲームしないからな……。本棚の整理してて、 1994年頃のファミ通が出てきたんだけど、まだサターン発売前で、MOTHER2の 速報とか載ってる。どのゲームの画面も、恐ろしく地味だ。

(2003/11)
・兎に角始める。思いついたらすぐやる。先延ばしにしない。そうやって得た体験 から学べ。法の範囲内なら何をやったって許される。もうスパイク・スピーゲルの 歳さえ疾に越えた。奴には過去が在り、俺には無い。その差。やれ。やるしかねえ。 気付き即実行、と陳腐な言い回しに逃げつつ、然し「それ」が自分には最も必要 なのだと思う。

(2003/11)
・自分の人生を自分で生きるのが辛いなら、せめて仮託する様な生き方の「例」 を見つけて真似しよう。偉人伝でも読むさ。この世に残された「生き方」の例に 触れて、目を啓こう。自分の価値観だけでは自分を超えることは出来ない。 カッコイイ生き方をしている人の生き様に触れて、「上」を目指そう。他人の 影響を受けよう。カオナシの様に。空虚な自我だけでは、生きられない。自分 らしい人生?自分なんてどこにも居ないのに?

(2003/11)
・夢を見た。中学時代の友人と、昔の本屋で会う夢だ。頭の中では「こいつはもう 何年も前に結婚して、今は母親なんだよな」というのがあって、でも目の前にいる のは中学時代の彼女なのだった。何か話さなくてはいけない、今話さなくては、もう 二度と話せないだろう、という焦りがあるのに、口から出るのは最近のアニメの 話題とかばっかりなのだった。現実生活でもそう言うことは良くある。本当に言い たい事、或いは、言わなくてはならないこと、を語るのが恐くて、映画や小説やアニメ やマンガや音楽やゲームや機械みたいな「モノ」を語る事で逃げてきた。だけど、 「そういうの」だけで生きてくると、「言いたいこと」は何一つ言えなくなる。 夢の中でさえ。

(2003/10)
・時間泥棒に時間を預けているつもりでその実吸い取られ、その対価と して僅かな金で交換できるのは、精々読む時間のない小説やマンガの山。

・かなり煮詰まっている。全てをリセットしてしまいたい。ぐちゃぐちゃに こんがらがった凧糸の如き現在。丹念に、集中して、時間をかけてほぐしていく しかないのだろう。或いは、全て断ち切って一気に終わりにするか。身体が動く うちにもう一度リスタートしたい気持ちは大きい。だが、人生は一度きりだし、 人生にリセットボタンは無い。せめて今遅延してるジョブを全部止めて再起動 したい。shutdown -rf now。

(2003/10)
・何か色々重い。うっかり口を開けると泥を吐いてしまいそうで、口を噤む。つらい、 しんどい、なんて事をこの年になってまで言うべきでない。今の人生は自分で決めた 結果だろう。泥は飲み込め。自分が「何のために」この「生活」を続けているのかを 忘れるな。マンガを読む、小説を読む、アニメを見る時間を作れ。虚構に殉じろ。 安易な「赦し」「癒し」に逃げるな。机の前に張り紙を。「現実に逃避するな」

・2chのサービス残業板に実情を書いて慰め合ってしまいたい気持ち。しないけど。 流されたとはいえ自分で選んだ仕事だろ。嫌なら辞めれ、それだけだ。そんな煮詰まり 気味の中、春で終わった筈の宴会部長職がまた回ってきた。このクソ忙しい時にアホ か!とか思ったけど、暇な部署は暇っぽい。すること無いなら仕事探して来……て いうか何でまた僕なんですか。永遠の下っ端だから?新人は入らない、入れば辞める。

(2003/10)
 24時まで働いたって、今日の残業は30分、って申請。それでも嫌味言われるん だからなー。いろいろ自分の奴隷労働っぷりには自己批判をかましたい所だけど、 でも今みんなそうじゃろ。給料が安くても良い仕事はしたい。そこが全ての問題の 根元だ。会社が求めるのは「仕事の完成度」ではなく「安く作れて売れまくる製品」 なんだからな。もう、昔みたいに、品質を求める時代は終わったよ。

・最近聞いたいい言葉「いやー負荷かけられないと仕事しないんで」「5日で5日分 の仕事できるのはダメ、5日で7日分の仕事をするのが当たり前」。「土日の方が人が 居なくて仕事はかどるよね、いや、勿論タダ働きだよ?」……それを喜んで実行 してる(或いは、「実行して喜んでいる」)人の口から、改めてこういう言葉を 聞くと、胃が、痛い。とてもぼくにはできない。

(2003/09)
・T先生が亡くなったという。癌だったとそうだ。昨年の退官パーティでお会いした 時は、随分元気そうに見えたものだったけど……僕の散漫極まる人生の中で、あの 研究室に通った一年は、「大学的な知性」に触れた貴重な時間だった。美味い茶と 和菓子を頂きながら、何十年も「学者」をやっている人の、講義というよりは茶飲み 話を堪能させてもらったものだ。感性を研ぐ事を忘れるな、良いモノを知れ、と、 その生き様で語って居るような人だった。あの深淵な知識のインデックスは、先生が 亡くなることで永遠に失われた。物は壊れる人は死ぬ。昨夜も縁浅からぬ住職が亡く なった話を聞いたばかり。平和堂ミラノも死んだ。誰も明日を保証されない。周りの 心の中に残った残像も、時とともに薄れ行く。

(2003/09)
・千羽鶴を焼かなければ街角折り鶴ムーブメントは無かった。良きにつけ悪しきにつけ 「社会」は「影響」を欲している。ノックされたがっている。戦争もテロもウィルス も、我が身に降りかかる火の粉で無ければ何でも良い。みんな繋がりたいのだ。体験 を共有したいのだ。僕らは孤独で、孤独で、孤独で、もうどうしようもない。2chの 「オフ」が「正しい」のは、そういうことだ……という仮説を立てる。

・でも「そういうの」じゃない。そういうんでもないだろと。「Yes,we were!」で 得られる「安心」が生きる力に繋がるとも思えない。なんか大事なことが置き去りに なってる感じ。何だろう。何かしら。深夜にアリーMYラブまとめ放送とか見て微妙な 表情を浮かべている場合でもない。何が足りないのか、なにが不安なのか。いや、 恐ろしいのは「ヴィジョン」を失っているということだ、ってのは有るだろう。所謂 「目標感の喪失」。見通しが悪すぎて、「未来」を明確にイメージ出来ない。曰く、 曇りガラスを手で拭いて、あなた明日が見えますか、と。ただノックに反応する だけじゃ「それっきり」だ。目標に向かっていってこその「人間」だろ。

・その意味、最近この国は、とゆーかこの世界は行き詰まっている、と、思う。 それは僕が歳を取って行き詰まりにたどり着いたからだ、と言われてしまえばそう なのかもしれない。子供達はまだ「明るい未来」を夢見ているかもしれない。 でも僕にはもう「明るい未来」「よりよい明日」が見えないのだ。これ以上どう やったって、モノカネで豊かになることは出来ないのではないか、という諦観。 マシンスペックは上がり続けるけど、それは精々リッピングしたデータの再圧縮が 早くなる程度の効果しか見せないんじゃないか。昔、ファミコンが登場したとき、 パソコンが登場したとき、パソコン通信が登場したとき、Webが登場したときの 感動、ああいう感動って、最近無いよね(「ね」は禁止)。

・この世は面白いのだ、世界は楽しいのだ、と、(僕自身が信じていなくても)語る 事をしなくてはならないと思う。夢が必要だ。僕自身を騙す為に。

(2003/09)
池田小校内児童殺傷事件犯人物語。 興味本位で読みふけってしまう。最近のこの手の事件の中では非常に「わかり やすいまとめ」になっていると思うが、どうか。

・解る、と言ってしまっていいのかどうか、でも、解る。この、自己と世界の折合い をつけられないで、「こんな筈じゃない、もう一度やりなおそう」と、ホントに最初 からやりなおしてみたりして、でもヤッパリ駄目で、でもそこが自分の限界だとは 思えないから、口先だけは「頑張ろう頑張ろう」と言ってみるけど、結局頑張れない。 自己のサイズが全然読めないまま大人になってしまって、不安に駆られて、空回り し続ける。挙げ句自分を八方塞がりに追い込んでいく――という様は、もう本当に 良くわかる。僕がそうだからだ。ただ、そこで「自滅」するのではなく、児童殺傷に 抜けた感性は(当然)解らない。そこに彼我の断絶はある。

・結局僕はある時点から内罰に逃げる術を身につけた。僕が暗いからいけないのだ、 僕がデブだからいけないのだ、僕がオタクだから駄目なのだ、僕が……何か自分の 人生が上手く回っていない時、それを自分の所為として納得するか、他人の(社会 の)所為として納得するか。どっちも改善の努力を放棄する、思考停止の手段に 代わりは無いんだけど、まあ僕は前者なんだよな、という。どんなに醜くても、 どんなに駄目でも、それだけをしっかり握って生きていれば、少なくとも他人を 傷つける方向には向かないだろう、と、思う。ま、それだけの事。愛想笑いと 卑屈な態度で邁進中。そりゃまあ、辛いけどさ。だからって誰かに「仕返し」 をしたいとは思ったことは、ない……筈だ。多分。

・今の希望は、ただまっとうに生きること、それだけだ。ただ、誰にも迷惑を かけずに、自分の食い扶持をどうにか稼ぎ、税金も払って、残りの金でアニメ見て、 小説読んで、ちょっと良い酒が飲める様な……それ以上何を望むか。それがまず できてない。「誰にも迷惑をかけずに」生きられる人など居ないのだ、とは思う。 誰かに殺してやりたいと思われる程恨まれているかもしれない。結局、厚かましく なったのだと思う。生きていてすいません、という気持ちは今もあるけど、以前 ほどでは無くなった。自信ではない。ただ、鈍感になり、厚かましくなった だけだ。恥を恥と思わなくなった。

・「生きていることに対する申し訳なさ」が薄れてしまうと、今度は「僕は一体 何のために「耐えて」働いているのか」って奴が頭を擡げる。「ああ、金が欲しい、 自由が欲しい、何もしたくない」というあのフレーズ。自分で言うのも格好悪い話 だけど、ホントに「流される」事に恐怖しなくなった。無為に時間が過ぎ行く事に 戦慄しなくなった。何もしてない。何も成し遂げてない。何の成長もしていない のに、精神的肉体的加齢は確実に進んでいる。或いはそれが神の恩寵という奴か。 毎日毎日、「今日を使い切って無い」ことに怯えていた。今日も絵を描いてない! と焦っていた。でもそれは(今思えば本当に)一体何のために?今はもう焦りも 恐れも無い。ただ、昨日と同じ今日を、生きているだけだ。

・生きるのが下手なんだとは思う。一番大事なものは最後まで取っておきたくて、 でもその「最後」には、その「大事なもの」は他人に取られてたり、腐ってしまって いたり、自分の興味が失せていたりする。要するにまわりくどいのだ。そうやって、 すき焼きが食べたいから牧場で牛を育てるところから始める(そして途中で諦める) が如き人生をもう30年近く送っている訳で。

・言っても為ん無い事だとは思う。でも、自分の愚かさを見つめ直すのは大事な事 だとも思う。前向きは大切だが、反省も大切だ。要はそのバランスだろう。反省の ないところに本当の希望はない。みっともなくても、死ぬまでは生きなければなら ないのだ。苦しみのない人生なんてない。それをどう感じるか、どう乗り越えどう 喜びに転化するか。もっと恐れなければならない。もっと自分を批判しなければ ならない。「お前が悪い!」のだ。全てはそこから始まり、そこへ還る。そうして いれば、少なくとも他人を傷つけることにはならないだろう。

(2003/09)
・まことに遅ればせながら ブ日記の始まりとなった 読冊日記を読んで、ああ、そうだ、そうだなあ、と深く頷く。Web日記者の「心」 をここまで的確に見つめた言葉を読んだのは、初めてかも知れない。蓋し名言という。 確かにそうだった、Web日記ってそういうものだった。過去形だけど。

・引き籠もった部屋の中で、わかつきめぐみに心を震わせた頃の自分に還りたい。 宇宙の片隅でなんとなく生きながら、どこか遠くで生きている(生きていた)人の 事を、なんとなく思う、その心。CQCQ。誰かいますか。

(2003/09)
 お盆モードで人が少なくて気楽、とか思ってたら必要な情報が引き出せなくて一転 地獄。ついつい甘く見積もっていて、それが吹き出した感じ。一気に嫌な汗。こんな 仕事で給料貰っていいのかお前、みたいな天の声が聞こえる。つーかなんでこんな 基本的な事確認し忘れますか>拙者。死にますか。死ねますか。みんな気楽な顔して 早々と退社していくなか、嫌な汗をかき続ける。安請け合い後地獄再び。

・もうすぐ30歳なのに。

・「俺は駄目だ」と口にする奴が”ホントに駄目”な奴の場合、客観的に見て凄く 辛い。努力したって駄目なんだから、しょうがないじゃん、あんたが駄目なのは皆 わかってるよ、敢えて口に出さなくても。こーやって世間に向かって「俺は駄目だ」 って言いたくなる、っていうのがもう駄目なんだよ、とかさ。みんな引くばっかり じゃろ、と思う。思うけど手が勝手に。いましろたかし作品チックな30代が目前に 迫っている。ジャースティーーーース。

・世の中には2タイプの人間が居る。できる奴とできない奴だ。僕は後者。齢29にして このざまか。世の中の29歳でこの僕ほど情けない奴が居るだろうか。下っ端なのに、 その下っ端仕事すら満足に出来ない。何年この仕事やってんだ。久々に自分の駄目さを 痛感する。ごまかしてるだけなんだよ。上っ面をごまかして、普通に生きてるフリを してるだけ。ホントは全く駄目なのに。誰かもう僕に引導をわたしてくれないか (この期に及んでまだ「誰か」に頼もうってあたりが駄目すぎるな)。

・世の中には2タイプの人間が居る。失敗を失敗とも思わずに「仕事」として 解決していく奴と、失敗の前で立ちつくし、「あああのときこうしていれば!」と 頭を抱える奴。僕は後者。そして何も解決せず帰宅、酒に逃げる。全く、 まともじゃない。

(2003/08)
・21時に帰ってこれた。こんな時間に帰って来たら、この後寝るまで何しよう、とか 思ってしまう。ため込んでいたToDoを投げる分は投げて、編集する分は編集して、 積ん読から一掴み、読み始めてみたりもする。それでもまだ今日が終わらないなんて! 定時に上がれる仕事を選んでたら、人生は全然違ったモノになっただろうな、と思う。 まあ今の日々も、結局は自分の(消極的ではあるが)選択の結果な訳で、別に何を恨む 訳でもない。平日は仕事して帰って寝るだけ、休日は平日の疲れを癒すだけ。そういう 生活は、実は、酷く怠惰で楽なモノだ。自分の人生について、何も考えなくて良いん だから。僕は頑張っている、頑張っている。

(2003/08)
 気がついたら何もなくなっていた、という感じ。日常的な夢とか希望とか、 ささやかなものはあるけど、以前まだ頑張って絵や文章を書いていた頃に漠然と 描いていた夢とかそういうものは、いや、止そう。絶望感を他人に伝えた所で 何にもならない。

・毎日気楽に生きて居る。末端で。底辺で。部下は居ない、扶養家族も居ない。 誰かに責任を負うことも無い。仕事して帰って寝るだけの日々。上司の小言に 耐えられる鈍感さをもっていれば、そして寝不足に耐えられる体力があれば 何とかなる。サービス残業が月にn0時間を越えてたって、それがどうしたって いうのだ。昨日と同じ今日を送れるなら、それが一番だろう。

・とにかくこのはっきりしない状態を何とかしたい。犯人は誰だ。責任者出てこい、 って奴。世の中の複雑さを前に思考停止するのにあまりにも慣れきってしまった。 「犯人」を捕まえろ。たとえば炭疽菌事件の犯人とか。たとえばビンラディンとか。 たとえば。でーてこーいせきにーんしゃ、ぼくの青春返せ!

・何が大切なのか、よく考えろ。本当に大切なのは何か。自堕落を省みて背筋を 伸ばせ。この一年で、何か一つでも頑張った事があるか?昨日より今日の方が成長 した事ってあるか?どうせ放っておいても時は過ぎていく。ただ失うのが嫌なら、 今日という一日を使い切れ。時間は使うか失うかのどっちかだ。毎日少しだけ ムリをしろ。流されるな。格好悪いことを格好悪いと感じろ。生きろ。

・思うところは色々ある。冷静でいる積もりでテンパっている感じ。答えは出ている のに、それを「裏付ける」「理由」が欲しい今日この頃。解法無しで答えだけ書いても 花丸は貰えない道理。過程が大切なのよ。

(2003/08)
・若い人からオヤジ扱いを受ける。成程夢を忘れたオヤジとしては、所謂「世間」の 中で自分の立ち位置を護るために生きるというのは、そんなに甘いモノじゃない、と 云わざるを得ない。「ああ、君は若いんだね」と。あまりに彼は若い。痛みを、惨めさ を、自尊心の脆弱さを知らなすぎる。自尊心が崩壊した後、そこから生まれる新たな 人格、嘗てのMagicfeelingに依存して、食玩を「大人買い」してみたりする、ただの 消費単位になってしまった「オヤジ」を、今の彼は認めない。自己を失い、ビジョンを 失い、腕は衰え、感性は摩滅し、それでも死ねないから生きる。「俺の脳はこんな 泥の固まりじゃなかった、こんな筈じゃない、いつかまたあの冴え渡った気分に戻れる 筈だ、だから今は耐えろ」と自分に言い聞かせながら生きてる。必死で頑張っている。 だがもう誰かに褒めて貰える事はない。もう二度とあの「醒めた頭」には戻れない。 惰性で走り、歩き、這いずり、呻いて、終わりなのだ。

(2003/07)
・この夏休み、東京での僅かな時間の中で、世の中にはまだちゃんと「楽しいこと」 が有るんだ、それを素直に感じて良いんだ、って感覚を思い出した。「それ」を思い 出せただけでも、この夏休みは良かった、のかもしれない。のかも、っていうのは、 今結構辛いから。その後の「日常」が。お祭りの後の寂しさ、なんだろうけど。 なんかいろいろもどかしくて、いろいろ辛い。また東京行きて……いや、駄目だ。 ちっと冷静になって自分の居場所を確認したが良い。ただ街をふらついたって、 何にもならないだろう。アイアムトゥエニナインゴーイノーサーティ。20代最後の夏、 ってフレーズに押しつぶされない様に。ドントラストエニワンオーバー30。最後の夏 だろうと何だろうと、それでも終わり無き日常を生きざるを得ない。なればこそ、 自分の人生をドライブしなくては。成り行き任せじゃなく。成り行き任せの人生 で、何でもないことで落ち込みがちな人生だけど、やっぱどうせなら少しでも 楽しい日々の方が良いんじゃないか?深刻ぶって”耐えるフリ”してたからって、 そんな鬱陶しい奴には誰も近づきたがらないさ。僕だってイヤだ。

(2003/07)
・イベントの夏を前にしてスイッチが切れっぱなし。どうなってんだろう。ワクワク しないことこの上なし。持ち帰りの仕事の事で気が重いってのもあるか…… 結局アレだ、自分の無能さに改めて気付いてしまったというか。なら力をつける しか無いじゃろう。「特訓」とかさ。酒じゃなく、読まなきゃ。描かなきゃ。って 29にもなって結局それか。でも他に何がある?他に何がしたい?何もないじゃんよ。 虚構に生き虚構に死のう、と29年の人生のどこかで決めた、様な気がする。変節を 恥じる様な気概はないけど、まあ、ズルズルとね……。

(2003/07)
・無職になっている夢を見た。することがなくて、何となく昼は昔の大学に通ったり してるんだけど、何一つやる気が出ない。虚学の類に何ら魅力を感じない。こんなはず じゃなかった、学問がしたかったはずだ、とか思いつつ、もう何にも興味を失って しまって、ただ時間だけが過ぎていく……貯金はもうなくなって、ああ、これから 先の人生、どうしよう……みたいな、静かな焦燥感に包まれて目覚める。

・することがない、なんて事はない。やりたいことはまだまだある。筈だ。でも夢の 中ではそうだった。

(2003/06)
・雨上がり、晴れ上がった午の夏空。その透明度に、中学生時代の「夏休み直前」 の日々の気分を思い出す。この世にはまだまだ知らない楽しい世界が隠れている、 そこに、もうすぐ手が届きそう!もうこの先全部自分の思い通りに行きそうな、 「あの」妙な全能感が、ほんのちょっとだけ、自分の中に蘇る。これから始まる 夏休み。さあこれから何をしよう?とか、そんな感じ。僕にはもう「あの」夏休み はやってこないけど。

・思い出すのは中学一年の夏休み。パソ通を始めた頃。初めて同年代の「同じ目」の 友達が出来た頃。アニメに本格的に傾倒しだした頃。ラジオの深夜放送に目覚めた頃。 オーディオに目覚め、小説に目覚めた頃。ゆうきまさみ作品に出会って数ヶ月、火浦・ 岬・とりみき等下北沢連中の文化に染まり始めた頃。毎日毎日自分のアクセスできる 世界が広がっていく感覚、あのワクワク感。そうだ、確かに毎日ワクワクしてた。 メージュを、メックを、OUTを、ベーマガを、プロポシェを、レコパルを読みながら ワクワクしてた。欲しいモノが山ほどあった。触りたいモノが、見たいモノが、 やりたいことが山ほどあった。

・今はどうだ。世界は色彩を失い、膨大な過去のブツに埋もれて、昔話を繰り返す だけ。「あの頃は良かった」。死んでるのと同じだ。いつそうなったのか。段々 そうなっていったのだ。少しずつ、少しずつ彩度が落ちていって、気がつけば モノクロな世界。でも誰だってそうじゃないのか?

・でも最近、一つの光が見えかけている。そこだけに色が付いて見える様な。そこに すがるべきなのか、でも僕にはその資格は無い気もする……

(2003/06)
・何をやっても利益が出ないという噂の巨大泥沼プロダクトにとうとう足を突っ 込んでしまう。気が重い。良い感じに煮詰まってて、いわば後始末部隊の増員。 知識もノウハウも結局はドキュメント化しきれるものではない。この後に待つのは、 前任者のメモ書き理解の泥沼だ。いや、仕事の引き継ぎ、ってやつを久々にやったん だけど、前任者の仕事っぷりを見て感嘆しきり。ひいては自分の仕事の情けなさに 恥ずかしさを通り越して不安を感じる。一体僕は今までどんな仕事をしてきたのか ……にしても資料多いよー。

・深夜帰宅。即席麺を啜り焼酎を煽るのみ。この数日間で2lパックを一気に処理した 我が肝臓に幸あれかし。酒が無いと眠れない日々が続く。いつもの様に、普通に計算 すればその”人日”じゃ無理な仕事の線表を無理矢理引いて、サービス残業、あとは もう寝るしかない。もう何かやり場のない情けなさと「自分への」怒りに火がついて 困った。もう死ね自分。

・いろいろ腹に据えかねるのだ。自分の不甲斐なさ。だがそうやって自分の不甲斐 なさを嘆じて、悔し紛れに自分の力以上の仕事をやろうとしても(当たり前だが) 失敗するものだ。去年あれだけ周りを巻き込んで痛い目を見たのを、もう忘れかけて いる。思い切った事言ったりやったりした挙げ句の恥さらしを忘れたか。あと数年は 黙って馬鹿にされていろ。出来る範囲の仕事を、確実にやれ。それだけだ。

・今日も23時まで残業なんかしてません。奴隷労働、違法労働、何とでも。やらなきゃ 終わらないんだよ。てゆーかこんなんホント下っ端の愚痴だよな。取り替えが効く タイプの。「君位のレベルなら、もっと気の利いた若い連中がいくらでも居るんだよ」 ってな具合。腹が立つなら自分で稼いで見せろと。ただ他人の手先となって働く労働者 で「いたい」のなら、文句は言うな。大理不尽に対する怒りはそのままその状況に 対して何も出来ないでいる高木ブー的(御本人ではなく。筋少言う所の)な自分に 向かう。自分の無能さと厚顔無恥さを思い知れと。毎日がどん底の気分だ。3〜6年前、 今の倍はキツかったのに、ちゃんとアニメ見て映画見て小説読んでマンガ読んで感想 書いてたじゃないか(ちゃんと?)。あの頃はまだ「見果てぬ夢」が僕を支えていた。 日付が変わらないうちに部屋に帰れたらラッキーだった日々を思い出せ。……ゲー。 思い出して吐きそうになる。今はただ、一年くらい何もしないで停滞していたい気分。 自分リソースを吸われきっていて、何をする気力もない。もう一度ひきこもりから やりなおしたい……が、世間がそれを許さねえぜ。つーかお前もう29やろ。29で 下っ端てどんなんよ……

・もう29なんだよ、29なのに「こんな」だよ。頸の後ろの辺りが物凄く重い。即ち 不安。背負った強烈な不安感が去らない。「このままで終わるのか?」名も成さず、 何も残さず、誰にも顧みられることなく、30代へと突入していく。30歳ってこんなん でいいのかよ。いいわけないよ。でも時間は万人に平等に過ぎて行って、僕は何も していないのに30歳になってしまう。技術も無ければ貯金も無い。そんな状態で 死なずに生き続けるのは不安な事だ。いつもは見ないようにしているけど、不安の 影はいつも身近にそっと立っている。一度見てしまうと、暫く目が離せない。 「このままで終わるのか?」の問いに、「終わってるじゃん現に」と、ここをまで わざわざ見に来ている貴方は嗤うだろう。僕も、そう嗤い飛ばしたい。今は無理 だけど。

・だが、負けるかよ。歳をとった分、しぶとくはなった。どうせ死にゃしねえのよ。 「ぼんやりとした不安」程度で死ねる勢いも無い。才能も無い、技術も無い、知識 も無い、資格も無い、日本語以外喋れない。頭は禿げかけてるし、腹は思い切り 出てる。それでも「死ねない」んだから、醜く生きるぜ。酒とSFをアニメを友に、 地球に厳しく、グズグズとな。覚悟しろ。

(2003/05)
・仕事に「自己実現」の答えを求められるなら、つまり、こうしてWeb日記や ラクガキやなんかの出力で「それ」をやることを止められるなら。或いは、結婚 して、子供ができて、家族の為に耐えて生きる「お父さん」になれば、今の (自分の為の)苦しみは無くなるのだろうか?耐える「理由」を手に入れ られれば?人生は重き荷を背負い坂道を上り行く様なものとやら。

・実家に帰れば見合いしろ見合いしろ、断ってたら二度と声がかからなくなるぞ、 とか延々言われ続けて居場所もない。あんたいつからそんなに俺の人生に興味 持ったんだ?と思って聞いてみれば結局周りからの圧力らしい。実際世間体に 弱い一族だ。見合いを否定する訳じゃないけど、結婚したい訳じゃ無くて恋が してえのよ!手を繋いで腕を組んでバカっぽく街を歩きたいのよ!とかいうとまた 岡田はんにバカにされそう、でもそれが我等世代の真実の声でも有ろう。そこを 「経験(値)不足」で斬って捨てられても寂しい。知り合いでオタ婚とかしてる 人達みてると、それはそれで幸せそうでさ。いやそりゃ不幸な話も聞かないでは ないけど。

(2003/05)
・それでもWeb日記を読んで回るのは止められない。コイツバカなんじゃねえ? とか思ってた奴の日記が、ふと琴線にふれて読み返したら、今まで読み落として いた部分が見えてきて、うわこいつすげえ、とかそういうこともある。一年以上 読み続けている(毎日じゃないにしても)日記はいくつかあって、それらを 見ていて思うのは、誰だって昨日と同じじゃない、少しずつ変化していくのだ、 って事で。

(2003/05)
・フバ経由で 思いやりのある人たちへ。成る程なぁ。最近自分が「シミン」化しているのは 感じている。表層は取り繕っても、咄嗟の反応や不意の感情までは制御出来ない。 そう言うときの自分に、これがもう実に良く当てはまる。エヴァショック前後の、 「自分は決して他人の事を理解できない、他人は決して自分の事を理解しない、 あるのは思いこみと勘違いだけ、それでも毎日を生きて行かざるを得ない絶望」と いうのが「当たり前」だった頃の自分の方が、まだ好ましい。自分しか居なかった から、自分だけを頼っていた(筈だ。昔の事は美化されやすいので良く解らない)。 今は「一生懸命働いている誰か」にもたれかかって、卑屈な薄ら笑いを浮かべ ながら、相手の「思いやり」に甘えて、手抜きしてその日を過ごしている。その 醜い自覚は、残念ながら、ある。

・結局、この国で生きている限り「シミン」化するのが一番の幸せなのだ。中流で、 みんなと同じで、もたれあって、甘えあって。「相手の立場」に立って考える事 が出来る、という共同幻想の中で生きられれば、それに越したことは無い。そして、 時々その「立場」に立てない様な行動をする人を見つけては、その吊し上げに 参加する。白装束集団追跡も、先日の JOY祭りも。同じ価値観を持つ多数派グループに属して、「変な奴」を糾弾し、 吊し上げ「私が間違っていました」と相手を改心(屈服)させる、そのことに よって自分「達」の「善」を確認する。シミンだよな。つまり、ボーグ。黄色い 液体。ミッシェル・マ・ベル……如何にこの呪いが恐ろしいかを知る。

(2003/05)
感想UPによる作品との関わりの終了云々。昔、パソ通にのめり込んでいた頃、 同じ事を(もっと曖昧に)考えた事を思い出した。アニメ見ながら感想を書いて、 小説読んだら即感想を書いて、それでその作品との関わりが終わる感じ。 UPしたら、もうその作品の事は考えなくなる。感想UPしてしまったのだから、 もうこれ以上その事について考えてもしょうがない、何かまだ感じ取れてない 部分、理解し切れてない部分もあったけど、もう感想公開しちゃったしさ。で、 ビデオは上書き漫画は押入行き。感想書きのスキルは上がるかも知れないけど、 だからどうだっていうのか。それで飯を食ってるとかなら兎も角(それを言い 出したらキリがない)。

・先日クラークの「海底牧場」の読書メモめいたものを書いて、ろくに読み返しも せずにUP(所謂「全世界に公開」)したあと、ネットで検索したら、この作品を 何年もかけて読み返して、やっと「理解」できた、という人の感想があって、 これがもう深い「読み」で、何というか、恥じ入るのだった。イマイチだな、よく 解らないな、と思ってた部分を、そこで諦めずに「解りにくいのは何故か?」と 考察していて、深く納得させられた。全てこうあるべきだ、とは言わないけど、 でも、確かに、もっと感想を「寝かせる」余裕を持たなくては。ただ見て、脊髄 反射的に反応(萌え〜、とかね)してるだけじゃ、まるで動物だ。夜に書いた 手紙は朝読み直せって言うじゃん、ってそれは違うか。

・まー、最近はその反射的感想さえ書いてないから。そもそもアニメ見てない。 漫画も読んでないしな……だめだ、何にもまとまってない。ボツ。

(2003/05)
・やるべき事がいっぱいある。リストアップして、片付けていくしかない。ひとつ ひとつ。つまらなくても、しんどくても、それをやらなければ次へは進めない。 練習なしに上手くはならない。勉強しないで知識は増えない。目標に向けて努力 する、その過程にしか人生の意義は存在しない。最近、そういう当たり前のことを 蔑ろにし過ぎている。楽な方へ、楽な方へ、と思って生きて来たが、結局全く楽に なってない。位置エネルギーを失って、井戸の底で身動きが取れなくなるだけだ。 ここは「吹き溜まり」ってやつだ。この世の「ドブ」だ。そうさこの世のドブさらい。 ワイルド7に止めをさされる事もなく、ドブの中で自己嫌悪と怨嗟の声をただ上げ 続けるだけ。全ては自分で選択してきた道なのに。

(2003/05)
・ここ半年、静かに落ち込んでいる。落ち込み曲線が余りにも緩やかだったので 自分では気付かなかったが、半年降りに会った知人に「あんた表情死んでんで」 とか言われて、あー、そういえば最近死んでるかなーとか思う。死にそうだ、と いう、それが常態なら、別にそれで死んじゃう事はない。楽しい事が毎日続いたら それは退屈に変わるけど、苦しみも同じ事だ。上を見なければいいのだ。昔を思い 出さなければいい。夢なんか見なければいい。僕は毎日ちゃんと起きて仕事して 帰って風呂入ってWeb日記なんか更新さえして眠ってる。それ以上何が必要だ? 僕は人生をちゃんと消費してる筈だ。この拭いがたい孤独感は、薬かなんかで 塞げる筈だ。独りで生きろ。誰にも迷惑をかけるな。「死ねないから生きている」 のなら、退屈な毎日を、死の瞬間まで「やり過ごせ」。

・でも誰だってそうなんじゃないのか。毎日が楽しくて生きてる奴なんて、この 世界にいるのか。どんなに前向きに見える奴にも、心の闇は有ろう。MR曰く 「分母がブルーで分子がハッピー」なのだ結局は。ブルーは常にある。ハッピー の量を増やしていく事で、1を越えるしかない。

・見たり聞いたり読んだり、そんなことで得られるハッピーの総量なんて多寡が 知れている。虚構によるハッピーの総量は、決して孤独が生み出すブルーを越える 事はできない(当たり前だ)。必要なのは、画面の向こうのアイドルじゃなくて、 自分の側に座って、自分だけを見てくれる、自分だけに見せてくれる、一人の顔だ。 その関係が打算に満ちたものでも、鏡の向うの自分との対話よりは、マシさ。 それがわかっていれば。

(2003/05)
・昔の仲間と電話で慰め合う。離れて生きていても、お互い相変わらずな生き様を 晒している。1年ぶりに電話しても、普通に会話が成立する、つまり30を前にして 相変わらず話題はアニメマンガ声優SF特撮プラモだという。「いやお前は凄いよ」 「いやいやお前こそ」みたいな、まあ、他愛のない会話が、しかし良く効くのだ。 凹んでいる時は。

・でも、ホントに立ち直らせて呉れるのは、凹んでいる状況を「同情」ではなく、 罵倒と嘲笑で蹴飛ばして呉れる奴の方だ。あんたの凹んでる理由なんて、ホントは 全然ユニークなもんじゃない、誰だってやってることだ、ていうかアンタ馬鹿か? キモイよ!そうやって笑い飛ばしてくれる奴こそが必要だ。ホントに凹んでる時は 矢っ張り暖かさと同情が欲しいけど、男として、いや、人として、それではな。

(2003/05)
・会社の健康診断で、なんかジョーイさんが凄い美人(ぽちょむきんの解説ガール 似)で心拍数が異常値を出すんじゃないかと心配に(バカか)。震えるな俺の心! とか言ってたら心電図じゃなくて血圧で高い値が。塩分は控えろとかしょっぱい注意を される。しょっぱいモノ大好きだからなー。うう。そして相変わらずなBMI値。痩せよう ……今年こそ……20代最後の夏こそ……うわなんか20代最後の夏っていうフレーズ、 自分で言っててグサグサ突き刺さる。だってこの5,6年、「夏」なんて無かったよ 拙者。空想科学小説集会か同人誌即売会(にかこつけた上京〜オタショップ巡り)が 「夏」の全てな10年でした。来年はスペインにでも行きてえなあ。ウノドストレス。

(2003/05)
・いろいろまいってる筈なんだけど、まいってるのが常態と化してるので特に何も 感じなくなっている。絵も描いてない。本も読んでない。何も考えてない。ただ 生きてるだけだ。何もしていない。仕事して帰ってきて寝てるだけ。脳味噌が 「自分」について考える瞬間が殆ど無い。お陰で「このままで良いのか俺」的 無意味な煩悶からは解放されているが、ゴールデンウィーク辺りにその辺のツケが どんとのしかかってくる予感はある。誰か誘って遊びに行くか。誰か?誰もいない。 誰もいないよ。ここには誰もいないよ!

・アニメ業界に身を置く知人から、その監督作が送られて来た。念願叶ってタイトル 文字も手書きで入れたとやら。相変わらず志の高い出来に感心する。京都のロケハン が生かされた、雅な作品になっていた。マイナーな作品とは言え、「アニメ監督」 とはねえ。まだ20代半ばの筈だが。スタッフには老練な日アニ系「作家」の名も 見える。主人公の声は久川綾。彼等を統率する気持ちや如何ばかりか。TVシリーズ でも既に名作を何本も出しているし、検索でも演出家として結構ヒットする様に なった。

・で、まあ、俺はどうなんだ。俺は何をやってるんだ、といつものアレを。いや、 ホント、もう最近は消費者以下に成り下がっている。書かず、描かず、は言うに 及ばず、見ず、読まず、聞かず。日記でガス抜きして、「俺の友達には凄い奴が いるんだぜ」とか云って自分を誤魔化してる醜いオヤジに過ぎない。その実、 何もない。何にもないのだ。

(2003/04)

■戦争

・いい加減戦争ショーにダレてきた。戦場生中継で銃後も戦場に!とか、レートの低い 中継画像がキャパのブレた写真を思わせるリアリティ!とか思ったけど、実はそうでも なかった感じ。もう興味を失っている。結局、戦争に対する「部外者」の怒りや哀しみ の表現は全部「その場限り」のものだ。喩えるなら映画館から出てきた人インタビュー のような。「めっちゃ感動しました!」ってやつ。それでも人間の盾とか、行動に移す 人は居るけど、それは「一部の人」に過ぎない。自分が、或いは自分の身内がそこに 居ない限り、TVの向こうの出来事は、所詮TVの向こうの出来事で、虚構との温度差は 殆ど無い。戦場からの殺人ワイドショー生中継の気違いっぷり(いっそ電波少年形式で やればいいのに、それが日本人が出来る最大の皮肉だ、とは思う)や、毎日更新される 兵士達のブログさえも、あっという間にその新鮮さのみを消費されてしまった。報道 される事で、戦争さえも「現実」で「日常」の高さにまで引き落とされてしまう。そこ で行われているのは、所詮「人間の仕事」に過ぎないのだ。其処には夢も浪漫も無い。 つまらない「日常」だ。戦争に慣れるということ、「本当の」殺し合いの映像に慣れる という事の危険性は何も今更言われる事でも無いが、既に慣れてしまった。

・然し何より座りが悪いことには、ここまで来て尚今回の戦争を「だめだ、やっぱ、 理解できない、同調できない、ブッシュは”ホントは”何考えてるの」と感じている 事だ。これが僕だけなら良いんだけど、日本全体がそうだった場合。相手を不審に 思っている時、その違和感は相手にも伝わるものだ。米国の傘の下でしか生きて いけぬ、戦争と桜前線が同列に語られる平和主義の暢気な島国、という実情を踏まえ た上で、やっぱり、あの半ばイっちゃった目をした指導者達の思惑を理解しなきゃ、 ならないんだろうな。どうやったって殴り合いじゃ勝てないんだから(それは 例えば、マイクロソフトを敵に回してソフトを作る様なモノだ)。50年後の世界史の 教科書で、この辺はどうまとめられているのか。いや、でも戦争を始める理由って、 結局良く分からない感じ。飢えや悪政に対する革命、なら解るけど。実際、感情 以外の「理由」で人殺しを始められるものなのか。

・遅かれ早かれ終わる事態ではある。醒めたとき、何が「見えて」いたかを忘れ ないために。

(2003/04)

■不景気な話

・本屋でSE残酷話みたいな本を立ち読みしていて、「こんなん日常じゃん」とか 思う今日この頃いかがお過ごしでしょうか。徳島は公共交通機関がアレだから、 みんな自家用車通勤=残業し放題(ただしお金は出ません)、という。

・先月の累積を計算に入れたら、今月は毎日定時退社しても勤務時間上限を超える 有様だけど、何故か今日も23時まで仕事だった。でも定時退社してることに なってる。ことになってるのよったら。そして日曜も仕事。お金は出ません。 代休?有給?そんなの病気で倒れた時以外で消費出来たことないよ。等と残業時間 を自慢するってのは「僕は無能ですよ!」って大声で叫んでる様なモノなので、 普通はあんまししない方が良いよ。僕はマゾなので叫びますが。

・「仕事」したくて仕事してる訳じゃないけど、やっぱそこはそれ、責任だよな。 最低限の。受けたからには終わりまで。でも、それが売れるかどうかはまた別の 問題で。

・不況とかリストラとか、ああいうのは結局、売り上げが伸びさえすれば全て解決 する問題だ。細かい経費をちまちま削って、残業代を削って、人間を削って、業務を スリム化して、でも売り上げが伸びなきゃ全く意味無え。全く、だ。儲かってた頃は、 ボーナスン百万、社員旅行は南の島、果てはでっかい自社ビル、海外拠点に経営 拡大、やりたい放題やってたらしい。僕にはどれ一つ縁が無いけど。イケイケの頃は コスト意識なんかどーでもイイんだよな。あー、そういや入社した直後はまだ 社内の自販機とか全部タダだったなー。

・儲かる、売れるモノを作らなきゃ駄目よ。小さくても、安くても、確実に コストをこえた利益を出せるもの。世界の共通言語が「カネ」である以上、それに よってしか「仕事」は評価されない。消費者の財布に訴求する、「感動」を与え なくてはならない。……でも最近は感動だってタダだからなー。

・正直、何もかもが面倒でならない。当たり前の決定をするのに何十枚という ドキュメントが必要な時代。コスト意識コスト意識!その書類を作る暇に作業しろ。 或いは僕をクビにしろ。そして代わりに癒し要員の犬でも雇うがいい。その方が よっぽどマシだろうよ。

(2003/04)

・久々に心臓が止まるよーなミスを。不正データのDELETEでwhere以下指定ミス。 たまたまその直前の状況を書き出していて、再度入れ直して事なきを得たけど、 いや、書き戻しの最中は汗が止まらなかった。この仕事、何より大切なのは 「バックアップ」だ。いや、もう、マジで首吊りモノだったよ。もう今日はそれだけ でいっぱいいっぱい。久々に「やってもうたー!」って感じだった……なんか復旧 させた後、暫くボーっとなって仕事にならなかった。まだボーっとしてる。あの 書き出し作業をやってなかったら、今頃……ああああ。

・日付が変わってた。同僚は嫁が今にも子供を産みそうなのに、僕が帰る頃もまだ 残業してたよ。男には何もすることがないからね、とか。嗚呼、働けど働けど。 家賃と光熱費と通信費と食費払ったらもう何にも残らない有様。そのうち「元」に 「戻る」だろうとか思ってきたけど、こりゃ生き方を変えないと駄目だなー、等と 眠気でドロドロの脳内をかき回すも、矛からしたたる混沌の滴からは何も産まれず。 明日も早起きして仕事だ。

・頭がオカシクなりそうだ。言っちゃイケナイ事をポロっと言いそうになる。 でもなー。傷つけ合ってもしょうがないじゃん。イライラしてんのはこっちの方が よっぽどなんだよ。残業ゼロっすよー。毎日。じゃあなにか、僕が深夜まで職場で いじってるアレは、遊びか。趣味か。毎月こんだけ働いて、いや、違う。残業代が どうとかいう話じゃない、もっとこう、根本的な所で。俺たちが日夜取り組んで いるコレは、本当にカネになるのか?世間様の生活を少しでも向上させるのか? 本当にこのままのベクトルで走り込んで前のめりに倒れて本望か?僕は口内炎を ボコボコあけつつ頑張ってる。評価してくれ、とは言わないが、人の所為にする のは、やめてくれ。考えよう。もっと良い方法がないのか。

・流石に煮詰まってる。もう何したらいいのかサッパリ解らなくなってる。 ブレストなネタ出し会話でさえ片っ端から否定するオーナーが居る限り、これ以上 何も出ることはあるまい。

・こっちの目を見ようともしない相手を説得するのは難しい。挨拶しても知らん ぷり。全身で「俺はお前になんか全然興味ないもんね絶対無視してやるもんね全 否定だもんねもんね」波動を出している相手に対して、提案をしたり反応を引き 出したりするのはホントに辛い。いや、それも仕事だ。結局お前自身に魅力が無い からだ。人は知よりも情で動く。ああ俺が27歳未婚ロン毛美女なら!

・「あいつの手柄になる」のがムカつくから仕事をしない、なんてのは、よくある 話なんだよ。ただ、まあ、愛想だけ良くてもしょうがない人もいるけどね。いや、 他人を批判する余力があるなら、自分を叩くべきだ。お前は一体何をしてきた? お前は自分の力でカネを稼いだことがあるのか?

・久々にブチギレる。勿論心の中でネ。「ならオマエやって見ろやあーん?」的な。 まあ何とか自分の中で押さえ込めたので良しとする。コツはブチギレ金剛発動前に 数を65535数える事だ。この技が有れば相手の股もくぐれるという必殺技。然し時間 泥棒との戦いには敗れっぱなし。つまり日付が変わるまで仕事してて、残業代は 以下略、って事。

・今日が最終出社日の先輩(大人しげな美女)と暫し喋る。「結構長いつき合い だったけど、とうとうアンタの目出度い話を聞かないまま終わってしまったわ ねえ」みたいな事を言われて凹む。このエンドレスなデスマーチ業界にあっても、 ちゃんと恋して結婚して子供を育てている人はいくらでも居る。僕は単に仕事 (作業)に逃げ込んでいるだけだ。しかし、何から逃げているのか?考える暇も 気力もない。いや、答えは解ってるんだけど、でも自分を変える気は全然無い。 そこが哀しいオタ男の性よ。

(2003/04)

・虚構にすがって生きていく、と宣言しても、吾妻ひでお曰く現実は必ず栓抜きで 額を割りに来る。二十歳を超えて、それでも虚構を友に生きるのだ、と言うのなら、 友よ、心に殻を作ってはならないよ。社会に紛れ込み、素性を隠して生きよ。非 ヲタとの会話を厭うな、恐れるな。彼等の喋る下らない冗談に笑え。笑いながら、 そこの温度差にこそ自分の立ち位置を見出すのだ。そしてその裏でヲタ仲間を集め、 真の孤独を避けよ。馴れ合え。今ならまだ間に合う、まだ、と自分に言い聞かせろ。 殻ができあがってしまったら、他者との隔絶は一気に加速する。気が付けばもう 後戻りは効かない。そして虚構すら楽しめなくなる日がやってくる。

(2003/03)

・気が付くとメージュにも水玉螢之丞が載ってない。一時期「どの雑誌を見ても 水玉螢之丞が!」みたいな時期があったからか、そーやって湯水の如く水玉センス を享受していた時期が遠くなってみると、飢餓感というか、乾きの様なモノが感じ られる。90年代を通して今世紀まで(「ナウなヤング」以降)氏の感性に影響された (人生踏み外した)人達がどれだけ居たか。もう少し飢餓感を煽ったあとでファミ通 の連載とか単行本で出すと売れると思った。一冊1500円位までなら出るよ。 「埼玉の恋」が収録されたら2000円は付けるね。ヤングユーのカット付きなら3000円 でも。ヤンチャンのと投稿写真系のヤツと「すごいぞ!おかあさん」が付いたら さらに倍!

・90年代後半、どんどんカミングアウトとゆーか、黒水玉みたいのが表に出てきて、 何か痛いっつーか、でももっとやれ!っつーか、微妙な気持ちではあった。この人 の本来の魅力はもっとこう「一見明朗でカワイイイラストを描くお姉さん、Hネタも あり、批判や、キビシイ事もちゃんという、でもぽろっと出たセリフから、実は かなりのオタクであることが伺える」みたいな所にあったんだよなー、とか。その 黒いヤツを10年近く喜んで享受してたヤツの言う台詞でもないけど、いや、昔の 自画像(まだ「お姉さん」の姿をしている、猫抱いたメガネっ子っぽいやつ)とか 見て勝手に憧れてた部分はあってさ。憧れてた、と、過去形っぽいのは、まあ、 アレだ。

・ていうかいい加減「火星物語」を終わらせれ>拙者。

(2003/03)

・今日は何だか春みたいだった。春が来るのが怖い。木の芽時の鬱が年々酷く なってる。もうなんか、真剣に「生きていてすいません」みたいな気になるのよ。 何やってても不安で不安で。回りの人間に「拙者は生きてて良いですか?」みたいな 鬱陶しい質問を投げまくり(そのくせ答は聞いちゃいねえ)、梅雨に入るまでの 一月位を鬱々と過ごす、というのがここ数年のパターン。去年はとうとう出社 拒否に(半日だけ)。

・結局その日の夕方には会社に出てたんだから、大したことは無かったのだけど、 でもああいう瞬間に人は電車に飛び込んだりするんだろうなあとは思った。理由が 無いのにあそこまで「どうしようもない」気持ちになるんだからなー。別にフラれた 訳でも(フラれようが無い事そのものに絶望して死ぬなら兎も角)、クビになった 訳でもなくて、ただ、自分で自分に「変わらなきゃ駄目だ!」っていうプレッシャー をかけすぎてたんだろか、と、今思えばそんな感じ。

・今年もそうなる予感はある。去年と比べて何ら成長/変化してないから。年だけ 取って。でも、まあ、去年みたいな「変わらなきゃ!このまま28になっちまって いいのか!?」とかそういうのは無いかなー。つーかもう29ですよ。29!なんて 事だ!ボギー&ジギーのボギーの年だよ!(むしろ喜んでいる)

(2003/03)

・25:30のタイムスタンプで「本日の残業時間:1時間」とかメールする。工数 計算が最初から無茶なのは解ってて、それでもこーやって「収め」ちゃうから、 また次がきつくなる。毎朝7時起きなんだよこれでも。

・帰る前にざっとチェックを走らせてたら、バックアップを取ってないノードに 限ってクラッシュしてる罠。マーフィーの野郎!泣きながら夜中に再構築。週明け にはドカドカ負荷が来るのかと思うと、もうホント嫌になる。積んでは崩し積んで は崩し。組み上げた環境も、半年もすれば仕切り直し。ASPってのは、全く 恵まれないねえ。

・Webサービスで金取るのは実際難しい。クリック&モルタルのモルタルがプロ じゃないと。正直、ネトゲとカタログ販売以外の部分で成功してるWebサービスの 例ってどれくらいあるのか。ネットじゃ情報(映像や音楽ソフト・PCソフト)は タダ、という認識から入った世代は、もう情報に金は出さないだろうし(TVから 流れる映画や音楽がタダなの同じ感覚)、広告バナーさえ我慢すれば、膨大な サーバ容量さえタダで借りられる。

・だが、矢っ張り「カネ」が無ければ生きられない。家賃を払い、光熱費を払い、 飯を食わなくてはならない。服も欲しい。映画も見たい。カネが無ければ何も できない、カネが、要るのだ。僕は。

(2003/02)

・窓一つ無いサーバ室から出てきて、ふと窓から外を見たときの夕空の深さ。あー、 今日は良い天気だったんだなあ、とか、妙にキュンとしてしまう。キュンて。いや、 なんかもう、ねえ。俺こんな良い天気の日に何やってんの、と。

・掃除してたら、98年頃の描きかけのネタがごそっと出てきて、何か虚しくなって しまって。こんなにも中途半端に投げ出してたのか、と。すっかり忘れてた。酒 飲んで、益体も無い、クソ面白くもないガキオヤジじみた愚痴をこーやって他人様 の目に晒して、その露悪でもってガス抜きしてんじゃねーよ、と。

・言葉で語る事に逃げ続けている。喋っていれば安心するのか、というと、そう でもない。寧ろ唇寒し、であって、喋れば喋るほど自分が空疎な伽藍堂になって いくのを感じるのみ。内圧を高めるためには、ガスの抜けていく穴を塞がなくては。 取りあえず日記を止めるところから始めよう。くだらないからな。嘘だけど。 つーか誰も読まないよーな裏テキストさえこうして書き続けずには居られないん だから、唇寒しもへったくれもないじゃろーむ。

(2003/02)

・なんか田舎町の道路沿いにある古いゲーセン(テーブル台でファイナルファイトが 動いている様な)に行って午前中半日位ぼーっとしていたい。そんな風にして 過ごしていた中学卒業〜高校入学までの間の春休みを妙に思い出す。ヤバイ、こりゃ 落ちたかも、とか思っていた高校に合格して、それまでの恐怖から一転、恐ろしく 開放された日々。畜生これからはアニメ見て漫画読んで小説も読みまくってやる からな!とか思って取り敢えず古本屋でまとめて買ってきたグインサーガ辺境編 を一日で読破したりとかしてた。まだSFマガジンの存在も知らない頃の話。

・それにしてもスネハー妄想のサイトを巡る楽しさよ。スネハーいいよね……

(2003/02)

・週末、飲みの予定を入れていたが、昔のツレに「頼むから一緒に来てくれ」と 言われてオジャン。別れ話のダシに使われる(たまに誘われてみればそんな役回 り……)より飲み屋で旧交を温める方が楽しいに決まってる。決まってるのだが。 義理と人情量りにかけりゃ。死の淵から救って貰った義理があるからな。

・HGIFシリーズのエイリアン9が近場のKIDDYLANDに入っているので今度揃えよう。 イヤマテその金を等身大ブロッサム購入に回してはどうか。KIDDYLANDの奥の カゴの中から、くたっとなったヤツが俺を見つめるのさ……

(2003/02)

・夢を見た。バレーの試合をしていて、相手が僕のプレーにイチャモンをつけ まくる。イライラしてプレーを乱される。前衛にローテーションして、 イチャモンをつけてきた相手に思いっきり打ち込んでやって、物凄くスッキリ したんだけど、でも、よく見るとそいつはまだ小学生くらいだった。なんか 「大人げない」ってこれだよ、と急に恥ずかしくなって、いたたまれないの だった。

・夢を見た。指先に爆弾が埋め込まれている。指を切り落として捨ててしまえば 命は助かるけど、その勇気が出ない。結局爆死したんだけど、爆発する瞬間まで、 どうやったら「痛くない死に方」が出来るだろうか、とか考えていた。実際、自分 の身を切り刻むというのはホントに怖い。それが証拠に、いまだに免許証に ドナーシールを貼れないでいる。死んでしまえば、灰になろうと、解体され ようと、同じ事だろう、とは思うんだけど、いざ提供する臓器に丸をつけようと すると、出来ない。なんつーか、僕は浅羽にはなれないなー、とか。

・夢の話しか書くことが無いんです。そんな毎日。

(2003/02)

・「自覚的に生きられていない」と言うことに対してどれだけ自覚的でいられるだろう か。自分は「日常」に流されている、という事を、どこまで本気で恐怖できている だろうか。仕事に疲れて帰ってきて、飯を作って風呂に入ればもう時計は日付を越えて いる。描きかけの紙を、読みかけの本を、チェック途中のビデオを、送りつけようと 思って梱包途中のいやげ物を前に、また明日にしよう、と布団に入る。その繰り返し。 その「現実」に恐怖できるか。できているのか。

・鏡に映る自分の姿を正視できるか?あまりにも「何もしない」まま20代を終えよう としているこの自分。何もしてない、何も出来てない、「やるべきことをやって ない」「やりたいこともやってない」その事実を前に湧き上がる後悔と不安を 越えていけるか。「命まで取られる訳じゃなし」と唱え、甘い夢にしがみつき、 「やればできるハズだ」とつまみ食いを繰り返し、幻を食いながら20代を終えつつ ある今、虚無感と不安で潰れてしまいそうだ。僕は一体いつまでこうして日陰で 生きていくのか。何故こうなのだ。せめて迷惑にならない様に隅っこで生きて いよう、と「心から」そう思えれば。自分は駄目なんだ、と「諦め」がつけば。 ここまで駄目まっていながら、然し鬱だ死のう、とも言えない。それだけの真摯さが 無い。「もし俺がアンタみたいな状況だったら、今すぐ首を吊るね」と、18の頃の僕 なら言うだろう。だが、吊らない。死ねないから、他の命を食らって、生きている。 夢も忘れた。

(2003/02)

・やべえッスよアニキ!!デンジャラスなんだよブラザー!!みたいな今日この頃。 朝目覚ましの音で起きて飯作って食ってTV見ながら歯磨いて顔洗って 仕事に出かけて仕事して帰ってきて飯作って食って風呂入って歯磨いて WEB巡回して目覚ましセットして眠る。「仕事して」以外の部分は、殆ど何も 考えていない。

・ホント、何にもしてないよ。何にも考えてない。仕事して、帰ってきて、寝てる だけ。何なんだ、僕は。この先もこんな毎日を繰り返していくのか。独りで。 あまりに空虚だ。キャストは貧困だしヒロインは行方知れず、だ。解けないQ&Aが たくさんあるのが幸せな時代はもう10年前に終わった筈だろ。

(2003/02)

・相変わらず起伏のない人生を送っているよ。流されまくり。楔を打ちたいけど、 その「理由」がない。帰る前に集計した今月のサービス残業時間に自嘲。結局 「それ」を言い訳に人生と対峙するのを避けているだけ。己の境遇に文句言い ながら、それを改善しようとはしない。俺はタダ働きまでして頑張ってる、だから もう「いい」だろう、俺を責めるな、俺はちゃんと義務を果たしてる、会社から すれば税金ドロボーかも知れないけど、社会的には所得税も住民税も厚生年金も 払ってるんだ。だから、生きてたって良いはずだ。そうやって自分の中の何かに 対して言い訳を続けているのだ。僕は、生きていて良いのか?その答えは、決して 自分の中からは得られない。

・いつか誰かと僕も愛し合うだろう、なんて事を言った奴は誰だ。出てこい。 いつかっていつだ。明日か。明後日か。どうだどうだ。

(2003/02)

・週末、なまじ暖かい日差しを浴びたが故に、寒さに震える。己が孤独に気付かされ てしまった。知らなければ平気で居られるものを。描け、語れ、と相変わらず内側 からの声はするものの、その声も随分遠く小さくなった。虚構に託して生きている 故の弱さばかりが気になる。やっぱリハビリの努力は続けなくてはならないのでは ないか。ていうかもう人生の半分以上リハビリ中なんじゃがのう。

・やってくしかないね。言い訳を考えて一日を過ごして、またその事に対する言い訳を 考えてる様な毎日。言い訳の借金は雪達磨式に膨れあがる。帳消しにしてやるから何処 へなりと立ち去れい、と言われても、行くところが無い。やってくしかないのだ。 ノックして、ドアを開けて、会話できる相手を探す、のを繰り返すしかない。或いは、 我慢して、耐えて、何かを作り出して見せるとか。中途半端に人恋しがっていても、 鬱陶しいだけだ。

(2003/02)

・中学時代の仲間と、久しぶりに中学時代の話で盛り上がった。封印していた 記憶の蓋が開く。蘇る美術室の風景。あの頃僕等はホントに皆兄弟姉妹の様に 生きていた。教師が施錠をしにやってきて、美術室から叩き出されるまで、毎日 毎日じゃれ合っていた。漫画を読み、アニメ雑誌と心霊雑誌を読み、絵を描き、 備品を拝借して作ったザラ紙にホッチキスの「同人誌」を「即売」し、アフレコ ごっこをし、「上映会」と称してはアニメを見、撮影会をし、三つ編みを引っぱり、 ”プロレスごっこ”に興じ、夢(業界目指して歩いていくわ!ああ満ち足りた 人生!)を語り合った。年相応の悩みさえ、何でも話し合った。男女を超えて、 お互い不可分の存在だった。中三になって、このべったりな関係は流石にヤバイ だろう、と意識し出してからも、毎日ドキドキしながら美術室に通った。 あそこはまさに、楽園だった。

・それが嫌で、というか、怖くて(僕はもうあまりに喋りすぎていた)、鉄道で片道 一時間かかる、県庁所在地近辺の高校へ逃げ込んだ。学校の行き帰りに本屋とアニメ ショップとCD屋と古本屋とゲーセンに立ち寄る事の出来る生活が魅力的に見えたのも 確かだけど、多分一人になりたかった、のだ。進路を決めた時、僕はツレに「誰も僕の ことを知らない所へ行って、やりなおしたいのだ」という事を言ってしまい、絶交を 言い渡された。毒男の孤独に震える今では信じられないが、そんな傲慢な台詞を 吐かせる程に、その頃の僕等は互いを知り過ぎていた。その後一年近く「彼等と毎日 会えない」事の喪失感に苛まれ、何故地元の高校に行かなかったのかと自分を責めた。 漫研や写真部に居場所を求めても、その喪失感は埋められぬまま、僕は「逃避文学」 たるSFを読み始めたのだ。地学部室で、彼等に出会うまで。

・そして今、大学卒業からこっち5年程、僕は孤独に震え続けている。./ (どっとはらい)。

(2003/02)

・人間楽な方へ楽な方へと流れていく。頑張ってない奴の醜さはよく解っている つもり。それでも楽になりたい。ああ金が欲しい自由が欲しいなにもしたくない。 そう、なにもしたくない。

・なんかわかんないけど喪失感みたいなものでしくしくと胸が痛む。何て言うか、 極度に腹が減ってる時のよーな、ああいう感じ。原因がわからないので解決の 方法がない。なんか代わりに詰め込むモノはないか……酒か。

(2003/01)

 24時帰宅。このままでいいのかなー、いいワケないよなー、今年で29だもんなー、 などと思いながら毎日が過ぎていく。2002年はあっという間だった。何もしないで 一年過ごしてしまった。最近思うんだけど、○○○会社って何となく趣味に生きたい 奴には不向きな感じ。今頃気付いたんかい。いや、でも、ホント、もう今週なんか 仕事して帰って寝ただけよ。何やってんだろ、と思う。オタクライフを生きる為に、 バイトの延長のつもりで入った○○○会社で、ズルズルと6年目。気が付いたら オタクっぽい事に対する情熱は欠片も残ってない、という。自分でこういう道を 選んだのだ、とは言え、「面白くもない仕事に一日の9割を割いている」状態で もう6年。いつも両手に余る仕事を抱えて、泣きながらサービス残業して、それに 「麻痺」して、でも「仕事で自己実現」ってやつにはほど遠い。かといって虚構に 嘗て程の意味も見出せず、新しい趣味にも出会わず、彼女は出来ず、出会いを 求めて旅にも出ず、ただ昨日と同じ今日を生きることを恐れつつ、然しそれに 拘泥し。何やってんだ?何やってたんだ?

・正月みたいに、ちょっと「今の自分」を省みる時間があると、ヤバイよな、と 思う。ゴールデンウィークとか、毎年危険すぎる。雑事にまみれて、冷静に自分を 客観視するヒマが無いままに年老いて、気が付いたらもう何をする時間も残って ない、とか、そういうのが案外「長生きの秘訣」かもしれない。

・誤りを正すに危ぶむ事無かれ、遅すぎると言うことはない、云々、でも「誤り」 かどうかってのは、そこから離れてみないと解らないものだ。そして僕は因果な 事に、何をやっても後悔する様に出来ている。

(2003/01)

・本棚の奥の方を整理した。教採試験を受けていた頃の参考書を捨てた時点で腹が 据わったというか、もう捨てまくる。どんな未練も、時間と共に風化するのだと 知る。法学系の(殆ど開く事もなかったバカ高い)参考書とか、ドイツ語の入門本 とか、印度哲学の本とか、児童心理とか、卒論資料のコピー束とか、あとレジュメ の下原稿の山とか、当時のツレの手紙とか、当時見に行った舞台のチラシとか、 大学時代の「未練」の紙束を、この年末までに一気に捨てた。卒業からこっち、 一度も見返す事が無かった。もう二度と見返す事も無いだろう。今の僕には何の 意味も無い。悲しいことだが。次は古雑誌かなー。

(2003/01)

・こないだの殺伐イベントでもそうだけど、なんかこう、イベントに乗るのが面倒に なってきている。当たり前か。もうわりといい年だ。とはいえ団塊ジュニアの末席を 汚すものとして、やっぱこんな事じゃいかんのじゃないかと。特に昨年からが酷い。 ホント何もしなかったなあ、という印象。舞台も数える位しか見に行ってないし、 地元のイベントにも何一つ行ってない。いや、先日友人から昨年春の山本正之の 徳島ツアーの模様を聞いたんだけど、客が10人居なかったとか。案内ハガキ来て たのよ。でもなんか面倒でさ……でもそれ聞いてなんか……いかんなあと。 自分が何者で何をすべきなのか、面倒がらずに乗っていけよと。うーん。 でも、ホント、面倒だ。なにもしたくない。なんかこの無気力って奴が一時的な ものなのか、年齢によるものなのか……いや生まれつきか。

(2003/01)

・夢を見た。巨大な旅客機が低空飛行している。様子がおかしい。見るともう一機 がニアミスしている。見る間にもつれ合って墜落。更に後続が。飛行機(いずれも 旅客機サイズ)の編隊が北へ向かおうとして、目に見えないバリアの様なものに 遮られて次々と落ちていく。為す術もない。壮大な光景だった。この夢、多分昔 よく見た夢の「続き」だと思う。いつも同じシーンで夢から醒めていたんだけど、 20年ぶり位に「続き」が見えた。飛行機の編隊がやってくるのを見上げている自分 の隣に誰かが立っているのも同じ。

(2003/01)

・久しぶりに母校たる小学校の前を通ったら、凄く立派な道が出来ていて、オマケ に陸橋やら信号やらが出来ていて、なんかもう違う町みたいだった。この道は何処 まで続いているんだろー、と思ってずっと走ってみたら、昔の町並みを突っ切って、 そのまま海へと出ていた。港と幹線道路を繋ぐ運搬路という感じ。港の片側は一面 巨大な壁で。それは多分製紙工場なんだけど、裏側から見たことは、多分今まで 一度も無かった。見たことの無い風景に、ここが自分の生まれ育った町なのかと 妙な興奮を覚える。道路ってのはスゲエ、と、バカみたいな感想。テグジュペリが、 飛行機の高さから見ると人間は道の回りの風景しか意識できてないって事に気付く、 みたいな事を言っていた気がするけど、いや、ホントそうだ。だから、道が出来て 初めて新しい風景が生まれる。ホント、道路ってのは面白い。

(2003/01)
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