黒猫の髭は黒い。
・CCさくら。クリスマス仕様の衣装が良い。 鳴琳ちゃんとさくらの「女の子同士」のノリが最高。 顔を見合わせて笑い合ったりする、 今までにない「二人の間に流れる空気」が良かったよ・・。 ファイアリーカード還元の作画もレイアースっぽくて・・・等と云っていたら 暫くお休みなのね。この機会にいっそ地上波に進出してはどうか。
東の目当てを回り終わった頃にはもう撤収が始まっていて、拙者もさっさと脱出。 秋葉でウロウロ(他に行くとこ無いのか)してから、 やはり今夜のバスで帰るという木戸氏と合流しててんや で北海天丼を食い、さらにゲーセンで時間をつぶしてから浜松町へ。 斯くして21:50発の徳島行き長距離バスで帰ってきたのだった。どうでも良いが朝目が覚めたら 隣の人が読みかけの本だけ残して居なくなっていた。乗務員も何も云わないのでそのまま帰ってきたけど。
●考えられるパターンとしては
1.私の寝相が最低なので別の席に逃げた(席に余裕は有った。本は忘れた)。
2.どこかのサービスエリアで乗り損ねた。
3.もともと居なかった。私の呆けた頭が生み出した妄想だった。本は考慮外。
(中略)
19時頃矢川に到着。WAXDOLL氏に迎えていただいて、10ヶ月ぶりに秘密結社本部に向かう。 (中略)気がつくと一升瓶が空になり、肴の皿は空になり、時計は26時を回っていた。 Web全盛下でのBBSの存在意義についての総統の熱い語りはまだまだ(後略)。 えーと、お世話になりました>総統、WAXDOLL様。このお礼はまたいずれ。
・先日のカレカノ感想追記:「私たちは同じ」だったのは、芝姫だけじゃなくて、 宮沢とありまもそうでしたね。
・買った本
伊東岳彦「OUTLAW STAR 2」/集英社/1998/05/24 桜玉吉「防衛漫玉日記 1」/アスペクト/1999/01/04 竹本泉「てきぱきワーキン・ラブ 3」/アスペクト/1999/01/04 永野のりこ「ちいさなのんちゃん」/アスペクト/1999/01/04 永野のりこ「電波オデッセイ 3」/アスペクト/1999/01/04 安彦良和「我が名はネロ 1」/文藝春秋/1998/11/25・・・なんかビーム買うの止めた方がいいかもなぁ・・・ 単行本買うときの感動がもー薄い薄い。駄目だあー。
夜は例によってバスケと風呂とガスト。そして爆睡。おわり。
「さあ
幸せになってみようか」
あ、クレンヨン画ひぐちきみこ。
見返していて気がついたが、宮沢が「さーて、勉強でもするか」と 立ち上がるシーンにショックを受けた。 やっぱこいつ常日頃から勉強してんだよな。俺様の夏休みとは随分違うのう。
・「私たちは同じだから」・・・人と人が出会って、分かり合えるというのは結局 「同じ日々を過ごしてきたかどうか」なんですね。 おかわりするときに茶碗の底に飯を残すかどうか、みたいな (→丘ミキ)。同じ目をしているかどうか。だが価値観が細分化する一方の この世の中で、それは益々難しいものに・・・
ああ。ねえ。こんな事で一生終えちゃうのかねえ。流石にちょっとヤバイ感じだよう(アカネ調)。
・寝不足になりつつもコミケ関連サイトをうろうろ。何か・・・ リカちゃんで1ジャンル取れるんじゃ。ここまでとは知らなかった。 婆アニメじゃなかったのか。見切るの早すぎたか・・・・
・ IEにセキュリティホール。
しかしアレですな、まんレポ読んじゃいますな。だらだらと何時間も。
そんで読んでるとこう、じわじわと、ああ俺もこのままじゃイカン、何かしなくちゃ、何か・・・!
という気分になるというお約束。
もう決して若くはないのだしな。夢を見られるのも今の内かも知れない。
夢を追うことが日に日に面倒くさくなっていく。そもそも夢なんて有ったのだろうか?
世の中って厳しいわ・・・とまあこんな感じで展開する酔っぱらい思考。
ああ・・・ついこの間まで世界は自分を中心に回っていたというのにねえ。
まんレポ読んでてつくづく思うのは「若いってのは、自己中ってことだよな」という。
意識するとしないとに関わらず。他者と自分との間に常に浸透圧の差が存在していて、
それに対する抵抗を不満や怒りや嘆きとして感じ「許せないこと」が溢れる。
拙者もついこの間まで馬鹿エヴァガキとかあかほり盲信者とかを相手にフレイム文書
良く書いたよ。でもそのうちそう言うのに対して虚しさを感じるようになって。
だって相手も自分も大した事言ってる訳じゃないのよ。所詮は非クリエイターの戯言な訳で。
で、そうやって「自分と他人と両方に対するあきらめ」という形で
膜構造の動作を止めてしまって、あとは壊死するだけ、という。
つまりジジイになっちゃうって斯う言うことなのかもなとか。
まぁどうでもいいことなんですが。
・「ブギーポップ・イン・ザ・ミラー」読了。個人的には矢張り一作目にかなわず。
「とりかえしのつかないという切なさ」が決定的に欠けている。
というか最初からそれ目的では描いていない。ここにある視点は、ただ「いま」だけ。
ラストでちょっと振り返ってみたりするけど、それが主題じゃないのは確か。
一作目の持つ「思い出による構成」の魅力はここにはない。平板な印象。
でも相変わらず文章のキレの良さというか、引き込むパワーは尋常ならざるものがあるのだった。
或いは拙者の読みが甘いだけなのかも知れないけど・・・兎に角読んでて「痛くない」のがちょっと。
しかしラストの持って行き方なんか見てると、こりゃまだ続ける気だねどうも。
或いは「統和機構」の謎が明かされるまで続くんじゃないだろうか?最初からその積もりだったのか?
この小説の正体は、もしかしたら全く別のモノなのだろうか?
あ、あとがきは結構痛くておすすめ。でもあとがきの様な内容を小説として
提示しようとしたのが今作品だとしたら、それはちょっと外れだったと思うけどさ。
曰く、「ごくごく小さな同意とか、笑ってうなずきあうことができたあんときとか、
そーゆーものこそが”理由”かも知れないとか、そう思いませんか?生まれてきた意味ってヤツは?」
自分はこの一瞬の為に生まれて来たんだ、という瞬間は誰しもあった筈なのだ。
ただそれを忘れているだけで−。この辺の語り口が如何にも、で結構染みるのだった。
そう、確かにアレは楽しかった。でもその楽しさはあの「場」もひっくるめてのソレだから、
今更その場を構成したヒトビトに連絡を取ってどうなるものでもないんだよね、
と最近気付いてもみたり。想い出は美しいままに、という事も有る。
人は変わってゆくものよ・・・だからこそ、「今思えば、あの頃は楽しかったな・・・」
という視点が切なくて(ワタシにとっては)良い訳で。
リアルタイムではなかなか「今が一番良いとき」(メガゾーン)ってのは感じられない。
失って初めて気付くんだよ。基本的に。そういう人間なのさ拙者は。ああ後ろ向き人生まっしぐら。
・今年も何となく描いてしまいましたがちょっと駄目絵ですね。 目が駄目。こんな落書きに数時間だぜ?もうMAGは難しくてよう描きません。
・買い物メモ:パーフェクトグレードRX78-2 1:60。マストバイ(某nzm風)。
・
まんだらけの米国進出が上手く行ってしまった場合、岡田斗司夫の
「海外ではマンガが大人気!という嘘」は嘘ではなくなってしまう。
・・・でも、この記事読む限りじゃ、SF大会にゲストで呼ばれてみたら
熱心なファンが一杯居た。今SFを出版したら当たるかも知れない!
とか言ってるのと同じなのでは。併しそれはそれで或る一定数の需要があるんだから、
供給するのは当然か。寧ろ儲けよりも使命感みたいなモノがあると楽しい。
日本の漫画文化を輸出する橋頭堡、みたいな。古川氏の事だし、
まるきり無いわけでも無いと思うんだけど・・・
問題は店員で、矢っ張り「本場モン」と称される人々がラムちゃんとかやるのか。
2Fのステージでスターブレイザーとかマジンガーズィーとか歌ってたりするのか。
イヤでもホント、古川氏やるなァ、と言う感じ。やっぱりアメリカ進出、は夢でしょう。
万人が出来ることじゃない。失敗してもそれはそれで英雄譚だよ。ってまだ出店もしてないのに
失敗の話するなって。でもホント、凄いわ。いい人生だ・・・
・安井誠太郎氏からメールの返事を頂いた。しかもドリキャス。 1999年には復活されるとのこと。 あの世界がもう一度読めるという、それだけで暫く生きていける感じ。
・真夜中の王国でカヒミ・カリィのライブをやっていた。あのウィスパリングボイスを バックのドカドカ音にのせるもんで、何も聞き取れない。これでいいのか>聴衆。うーん。 ・・・それより「5つの銅貨」録り損ねたのが痛すぎる。明日のグレン・ミラー物語は録画せねば。
・ポスペV2.0お試し版DL。 まだ入れてないんですけどね。
「DIVE」を聴きつつ自転車で本屋。自転車なんて久々に乗るから気持ち良い。 BGMの雰囲気と相まって、何だかひどく懐かしい気分。 毎日毎日、何処へ行くにもこうやって自転車こいでたんだよなぁ・・ とか。暮れた空に光る星、とか。頬を刺す冷たい風、とか。 昔見た夢をまた見ている様な。失って仕舞った何かを一瞬だけ取り戻せた様な。 妙な高揚感。いい感じだった。いい感じだったのに。
帰宅した直後に電話。「ジュンイチさんいらっしゃいますカァ?」・・・ああ、
セールスの電話だ。一気に冷めていく脳。「今居ません」とか言えば良かったのだけど、
もうどうでも良くなってしまって、思わず受け答えしてしまった。
最後まで話を聞くのに30分。だらだらと内容のない話をされて、断るスキ全くなし。流石だ。
2,3年前に一度終わりまで聞いたことが有ったが、
(そして喫茶店での待ち合わせ・・・というところで「ホントに行くと思ってんの?」
とか聞いたら無言で電話を叩ききられた)その時と全く同じ内容。
「わたしどこから来たかわかりますか?」「徳島って車がないと不便ですよね」
「今どこからかけてるかわかる?すぐ近くなんですよ、手をふってるの見える?」
とか、そういう細かいオヤジギャグまで全く同じ。デジャヴュって奴か?
「私宗教の人みたいに人一杯集めて演説とか出来ないし」そんなこと誰も聞いてない。
「無駄な時間は絶対に取らせたくありませんから」「絶対に嫌な気持ちにはさせませんから」
聞いてもないのに安全性を強調するようになったらオシマイでしょう。
脈略のない話と一方的な問いかけ「大学は何処?」「お仕事はなに?」「彼女は?」
「年末の予定は?」等々に「あー」とか「うー」とか唸りながら漫画を読んでいたら
30分辺りでようやく「また今度」とか言って一方的に切った。
マニュアルの終わりまで行ったのだろう。内容全く無し。
どんなモノを売りたいのか、その説明も殆ど無し。
「私の会社、いろいろやってるんですよォ。電話で説明してたらあさってまでかかっちゃう」。
何か、クラクラした。彼等はそうやって夜昼無く土日もなく
延々と人に悪感情を植え付けて回っているのか。これは何かの呪いか。
ホントに売れるのかそれで。誰か買う奴はいるのか「雑学ビデオ」。
「学校の勉強だけじゃ出世は出来ないでしょう?雑学って大事」・・ああ・・
雑学で対抗するには、この世はあまりに厳しい・・・
久々に虚無感につつまれて夜を迎える。無意味。諸行無常。所詮世の中に夢なんてないのだ。
・「DIVE」は正直「あれ?」という印象。「グレープフルーツ」の、
あの一曲目が流れ出してきた瞬間の何とも言えない−切ない様な憧れる様な−
爆発的な感動(当時の日記
を観ればその感動も伝わろうか)はこのアルバムには無い。
「そういう」作品では無い、らしいというのは聞いていたけど、
一曲くらい「作った」作品が有ってもいいのになぁ・・・という感じ
(「走る」は結構作り込みを感じるけど)。
単純に言うと、「坂本真綾色が出過ぎていて、まるで普通のシンガーのアルバムみたい」
というか。菅野の楽曲の、楽器としての坂本真綾のエンジェルボイス、
みたいな部分もあった前作とは全く違うアプローチ。或いは真綾ファンには
嬉しい作りなのかも知れないけれど・・・
でも、多分聞き込んでいく事でスキになっていくタイプのアルバムだと思う。
暫く聴き続けることになりそう。今はまだ「悪くない」。そんな感じ。
・D.D.R.は私には出来ません。永遠に出来ないでしょう。大人しく23日の BMのAPPEND3rdでも待つことにします。あああ。 でも観てる分にはBMよか遙かにD.D.R.がイカスね。 特にダブルプレイでユニゾンっぽい動きが決まっていると拍手を送りたくなる。 単に踏めてるだけじゃ駄目・・・上半身も重要ですな。
・気がついたら浜松町28日朝着のバスのチケット予約してるという。 が、帰りのチケットはもう取れませんでした。どうやって帰って来るつもりなのか。 31日丸一日かけて帰るとするか。年内には帰ってこれないかも。 ホントにこの年末フイにする気らしい。今に後悔するぞ貴様。東京方面の皆様には またご迷惑をおかけすることになりますが宜敷。野良犬に噛まれたと思って忘れて下さい (行く前から言うか)。
・先週の「彼氏彼女の事情」を漸く観る。ありまのインターハイ行き、
宮沢の女の子デビュー・・・から芝姫の家出話まで。川崎市街(らしい)で繰り広げられる
暴挙の数々。成程トトロの作画はあまりに本物だ。イカス。あと妖怪人間の
「ベム」「ベラ」「ベロ」「カーッ!」は、一人歌い分けと並んでお約束だよな。濃いぞ。
芝姫の声が既にハマっている。もう大丈夫。あの声は、この「オモチャにされる芝姫」
を想定して作られたモノなのであろう。芝姫登場シーンの足から入る「かわいい」描写は流石。
宮沢がハマるのも無理はない。芝姫いじめは楽しそうだ。芝姫はイイよな。
それぞれがそれぞれに何かを−「勉強」以外の星を目指している。 勉強一筋だった宮沢がそれに気付いたとき、でもだからといって自分の「勉強ができる」 という星を彼女は捨てたりしない。その辺がエライ。それはそれ、なのだ。 友達付合いの中で価値観は多様になるけど、でも自分の星 (「優等生」たること)はやっぱり頭上に輝いている。 自分のやってること(勉強)は、決して「くだらない」事なんかではないのだ。 彼女の場合、それ(成績)はホントに努力の上に立ってるものだから。 だから、宮沢は本当は、言うところの「優等生」(勉強は出来るしオトナにも受けがイイが、 その反面傷つくことに極端に弱く、無自覚で、「自分」が薄い、といった印象の言葉)では ないのかも知れない・・・・
先に読んだ
このページに、今度は「水色」との比較という論点が出ていてこれも面白かった。
しかし「水色が痛くない」というのには驚いた。私にとっては痛点の固まりみたいな作品で、
読み返すことは殆ど苦行に近い。でもそうじゃない人も居たのだね。
斯う言うのは、人生経験を超えてきて初めて判る味わいなのかも知れないな。
お子様な私にはもうただただイタイだけの作品なんだけど。
それはそれとして、この対比でより「カレカノ」が「優等生志向」の
物語であることが浮き彫りにされる。学業の面からのみ言えば、優等生と「中の下」。
宮沢と優子は見事に相反するキャラと言える。家族のノリなんかもそうよね。
宮沢ん家の「若い両親に可愛い妹たち」というのと、優子の両親なんかは好対照だろう。
特に、その根本を「ポジティブ」に置くカレカノがギャグにして飛ばしてしまう
「失敗」も、「水色」ではただの「ドジ」では片づけられない、生々しいまでの
人の持つ弱さ、愚鈍さ、モロさとして描かれていて、背筋が凍ったものだった。
目を反らしたい様な「駄目人間」モードの自分がそこに居る。これは俺だ!あああああ!みたいな。
とてもじゃないが「懐かしく」なんて感じられない。宮沢がこの漫画を読んだらどう思うだろう?
あ、でも「水色時代」という物語そのものは「ああ、これはワタシとは違う人生を
歩んでいたヒトタチの描いた話だなぁ」という感じがしたものだ。
物事に対する考え方が全く違う。確かに周りには「ああいう」思考パターンで「ああいう」
つき合い方をしてるヒトタチも居た。居たのだけど、彼等と私の間には遙かな溝が横たわっていた。
いや今も横たわっている。画面には映らないが、その彼等が居る同じ教室の中で、
世の中の全てをシャットダウンして小説に没頭(逃避)してるた奴も居る筈で。それがつまり、私。
穏やかで揺らぎのない、何もない日々をのうのうと生きてきた。永遠に終わることのないその繰り返しを、
私はまだ生きている。この歳までそういう生き方をしてしまうと、
腰を上げるのさえおっくうになってしまう。宮沢は居ない。桜の木の下には死体しか、無い
・・・イカン。「カレカノ」もそうだけど、「水色」もまた「過去の栄光」を
くだくだしく語りだしてしまう引き金になりかねない。危険物だ。扱いは慎重に。
斯う言うときはおとなしく「タカちゃん萌へ〜!」とか言ってればイイので。
そういう生き方を選択したのだからな。もう帰れない。太陽の牙ダグラム。
・エヴァが、「人と人は、決して解り合えない。それでも僕等は生きて行かざるを得ない」 という(私にとっては心底)心地良くも救いの無い解を提示して見せた後、 この作品が再びほぼ同じ視聴者に対して語りかけている事は−
という訳でこの不景気、忘年会も全然無いやハハハハハハハ!
みたいな今日この頃、何故か口内炎が出来やがります。何故ですか。
毎晩酒をかっくらって風呂にも入らないで床で寝て
朝3時位に寒さで目が覚めたら室内温度が5度、
とかそういう毎日だからですか。神よ。
恐ろしくて先週のカレカノがまだ見られない私に勇気を。
何にしてもアレですよ、描かなきゃ駄目っすよ。と日記で語っているこの矛盾。
駄文打つ暇があったら描けよヲラ、という気もしないでもないのですが。
或いは溜めまくってる感想を書けよ、とか。年末どうすんの、とか。
今からチケット取ろうったって甘いぜ、とか。人生なるようにしかならないよ、とか。
オマケに留守電には某氏の地獄の底から這い出しかけたけどまた戻っちゃったよとかいう
(或いは地獄の底まで追いつめたけど帰り道に迷った、みたいな)
暗い話が3ブロック分入ってたりしてもう何がなにやら。
・・・そんな中(サイキック的転換)私は今年も「一角獣をさがせ!」を
読み始めようかという。年に一度のお楽しみ。ホントに面白いんだ。
キリンヤガなんか止めて今直ぐこのシリーズを再開して欲しいと切に願うものである。
膨大な知識に裏打ちされたライトノベル程面白いものは無いよ。