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古まった日記達・1998−12(後半)


98年末発動篇。


黒猫の髭は黒い。


DEC.31.1998(THU)月に群雲

 早朝帰宅してから部屋の掃除とかしつつビデオのチェック。午後になって何故かバスケ。 の前にやった卓球が結構熱くて良し。次回までにマイラケットを買うことを密かに決意する。 で、風呂行って、その正面向かいにあるゴキブリのはい回るラーメン屋へ。 ナベ隊員とニキータ隊員もやってきて、防衛隊勢揃い。ラーメンを食いつつだらだらと馬鹿話。 喰い終わってからまたその向かいにある神社へ初詣。年越し30分くらい前だったので まだ誰も居ない。でもって「明治神宮の投げ銭をゲットするにはテンガロンハットよりも メキシカンハット、でも怪しまれると行けないから服装もポンチョにして、手にマラカスで完璧」とか どうでもいい話をしているうちに人が溢れてきて、お祓いを受ける頃には大行列の先頭部という、 何だか凄くいきった(という方言がある。気合いの入った馬鹿、みたいな)若者みたいな有様に。 で、私はもうそこで帰るのだった。だって昨日から殆ど寝てなくて。もう轟沈寸前だったんですよ。 つきあい悪くてごめんなさい・・・・>防衛隊の皆さん。

・CCさくら。クリスマス仕様の衣装が良い。 鳴琳ちゃんとさくらの「女の子同士」のノリが最高。 顔を見合わせて笑い合ったりする、 今までにない「二人の間に流れる空気」が良かったよ・・。 ファイアリーカード還元の作画もレイアースっぽくて・・・等と云っていたら 暫くお休みなのね。この機会にいっそ地上波に進出してはどうか。


DEC.30.1998(WED)有明(2)

 10時過ぎにバスで有明に到着。空気遠近法で霞んで見えなくなる遙か果てまで 整然と人の頭が並んでいる光景を見ることが出来るのは、北朝鮮以外ではもう 此処だけかも知れない。しかもその全てが「同じ目」をしているというあたり、実に痛い風景といえる。 そしてそれらが見る見るうちにあの建物の中へと吸い込まれていく様は、何とも言語に尽くし様の無いものだ。 スタッフの有能さにも驚くが、一般参加者の慣れも流石。
 今回の目当てはUMIN'SCLUB「スプリングフィールド島の午後」冬号。UMINさんこと酒井さん・・・ じゃない船山さんともお話が出来たのでもうそれで十分。その他諸々の後悔(予算の倍使ったとか) は有明の地に埋めて忘れよう。あと予想以上の収穫だったのは、 よもぎや「AVONLEA CLOTHING FILE VOL.2」。VOL.2ってことは1があるらしいんですけど。 装丁、各ページのデザイン、文書、そして何より服装コレクションの絵柄の誠実な愛らしさ。 兎に角素晴らしい仕事。感動してしまったですよ。・・・実はアボンリーも見てました。 あの恥ずかしい内容に耐えられなくて何度も逃げましたけども。アッチのドラマなら何でもいいのか>俺。

 東の目当てを回り終わった頃にはもう撤収が始まっていて、拙者もさっさと脱出。 秋葉でウロウロ(他に行くとこ無いのか)してから、 やはり今夜のバスで帰るという木戸氏と合流しててんや で北海天丼を食い、さらにゲーセンで時間をつぶしてから浜松町へ。 斯くして21:50発の徳島行き長距離バスで帰ってきたのだった。どうでも良いが朝目が覚めたら 隣の人が読みかけの本だけ残して居なくなっていた。乗務員も何も云わないのでそのまま帰ってきたけど。

●考えられるパターンとしては

1.私の寝相が最低なので別の席に逃げた(席に余裕は有った。本は忘れた)。
2.どこかのサービスエリアで乗り損ねた。
3.もともと居なかった。私の呆けた頭が生み出した妄想だった。本は考慮外。


DEC.29.1998(TUE)有明(1)

 10時過ぎにゆりかもめで有明に到着。

(中略)

 19時頃矢川に到着。WAXDOLL氏に迎えていただいて、10ヶ月ぶりに秘密結社本部に向かう。 (中略)気がつくと一升瓶が空になり、肴の皿は空になり、時計は26時を回っていた。 Web全盛下でのBBSの存在意義についての総統の熱い語りはまだまだ(後略)。 えーと、お世話になりました>総統、WAXDOLL様。このお礼はまたいずれ。


DEC.28.1998(MON)

 朝、テアトル西友で「クジラの跳躍」を観る。絵本の方を先に読んでいたので、 物語自体には感動薄し。もう少し物語にふくらましが有れば。いやまあそういう話でも無いんでしょうが。 CGならではのカメラワークの心地よさが少ないのは残念。結構ぐるぐる回ってたのだけど。 「銀河の魚」のラストで船のアングルが変わるシーンみたいなのが欲しかったです。 やっぱり「銀河の魚」を初めて見た時程のショックは無かったですね。次回作が長編とかいう話で、 それはそれで期待。
 午後は秋葉原でウロウロ。 どらんく氏と会う。予想ではゴツイガタイの熱くて死ぬ兄貴だったのだけど、 その実体はさわやか青年風。何故あんなに濃い内面を持ちながらあんなに爽やかなんだ。 でもデコゲーマー。そう言うわけで実体とは初対面だったのだけど、 既にして為されるべき会話はNETの上で数年間にわたり為されてしまっていたので、 今更特に話すことも無し。先週のカレカノの話(芝姫萌え〜とか)とかだらだらしつつ ゲーセンで魔法使いWIZとかマーベルランド(激ラブリー)とか トリオTHEパンチ(初めて実物見た)とかして解散。 渋谷に流れてパルコでホンマタカシ展見てから下の本屋でウロウロして時間をつぶし、ヨコハマへ。
 仕事帰りの木戸氏と飲み屋で適当にメートルを上げ(すげえアナクロな表現な気がするが気にしない) てから高層構造体の木戸屋敷に転がり込む。BSDの話とかいろいろ聴かせて貰ったけど殆ど理解せず。 途中ANTさんからの電話で人生に直面せよと諭されたりしつつ ドラゴンクエストとかハーメルンとか見ながら就寝。お世話になりました。


DEC.27.1998(SUN)脳味噌

・「ちいさなのんちゃん」を号泣しながら繰り返し繰り返し読む。この可愛さは尋常ではない。 倒れそうになる。いいのか親!変な人に尾行されるぞ!と言うか。 あああもう切ないほどに可愛い。親の欲目(虚構の存在つーか)というのを含みで、 そのラブリーさにクラクラするのだ。愛有ればこそ。 15歳まで全てのモードでまんべんなくラブリーなあたり・・・個人的に一番反応(・・・) してしまったのはp136だが。詳しく描写するとまた疑われかねない(?)ので 止しますけど、単行本持ってる方なら頷いても呉れましょうか。 こういう感情の爆発の瞬間を共有できるか否かで、人生の価値は全く変わってくる。 同じ目を持つ者同士が「合う」所以。
 これもまた、しかし「とりかえしのつかない切なさ」に満ちた作品だ。 後悔はしてないけど、でも子供の成長程「帰らぬ姿」は無い。 p115の「冬の小さな子」の「かたち」を追いかけてしまう下りは、 もう泣けて泣けて仕方がない。ああ・・・・多くは語るまいよ。 万人が共通に持つ「切なさ」の体現。

・先日のカレカノ感想追記:「私たちは同じ」だったのは、芝姫だけじゃなくて、 宮沢とありまもそうでしたね。


DEC.26.1998(SAT)

 午後までだらだら。午後から徳島駅前に出かけて買い物とか。
 パラソルショップはこの寒さ対策としてテントのごとくビニールによる 壁を装備。イカ焼き屋とかワインカウンターとか、飲み食い系が元気有り。 物売り系はやっぱり弱いですかね・・・寒さには。 日暮れには野外劇場ではバンドが演奏を始め、その辺は結構な賑わいを呈していた。
 その様を、人気のないそごうの屋上の双眼鏡(100円/2分)で 眺めている帽子男を見かけた人、別に怪しい者じゃないので通報とかしないでね。 って十分怪しいですか?

・買った本

伊東岳彦「OUTLAW STAR 2」/集英社/1998/05/24
桜玉吉「防衛漫玉日記 1」/アスペクト/1999/01/04
竹本泉「てきぱきワーキン・ラブ 3」/アスペクト/1999/01/04
永野のりこ「ちいさなのんちゃん」/アスペクト/1999/01/04
永野のりこ「電波オデッセイ 3」/アスペクト/1999/01/04
安彦良和「我が名はネロ 1」/文藝春秋/1998/11/25
・・・なんかビーム買うの止めた方がいいかもなぁ・・・ 単行本買うときの感動がもー薄い薄い。駄目だあー。

 夜は例によってバスケと風呂とガスト。そして爆睡。おわり。


DEC.25.1998(FRI)帰馬放牛

■カレカノ13話。ついに来た、という感のあるオリジナル味の強い演出回。 物語進行こそ原作と同じだが、画面割が全く違う。 枚数も結構かかってるみたいだし、とにかく「芝姫」の魅力を最大限に引き出す 見事なまでの芝姫萌え萌え話。例によってコピーで展開される街頭風景は、 「これは芝姫の(見上げる)視点ですよ」というお知らせ付きで面白い。 どうでも良いがドリキャスの旗のある街灯は渋谷ですか。
 芝姫の「胸をつく郷愁」感覚の見事さ。「うん、きょうだいみたいなものだ」 のあの表情。あの開放感。原作通りで、原作以上。新谷真弓の「あの声」 (今となってはもうラブリーでラブリーで)でしか表せない切ない感じ。

「さあ
 幸せになってみようか」

あ、クレンヨン画ひぐちきみこ。

 見返していて気がついたが、宮沢が「さーて、勉強でもするか」と 立ち上がるシーンにショックを受けた。 やっぱこいつ常日頃から勉強してんだよな。俺様の夏休みとは随分違うのう。

・「私たちは同じだから」・・・人と人が出会って、分かり合えるというのは結局 「同じ日々を過ごしてきたかどうか」なんですね。 おかわりするときに茶碗の底に飯を残すかどうか、みたいな (→丘ミキ)。同じ目をしているかどうか。だが価値観が細分化する一方の この世の中で、それは益々難しいものに・・・


DEC.24.1998(THU)のえるの丘

 24時前帰宅。鶏肉と酒を食らいWC/jで駄喋りつつBM3rdAPPENDをしこたまプレイして 夜を過ごす。・・・そう言えばクリスマスイブをWC/jで過ごすのってこれで3回目じゃよ? それはそれとして。既にBMそのものに飽きつつある私。ちょっとやりすぎですね。 何にしても不健康な日々。目覚めることのない真夏の夜の悪夢の様な。 よく悪夢を見ていて、ああ、これは夢なんだよな!良かった・・・ という風な感じで目覚める事が有りますが、今朝なんかそういう気分で目覚めたら ゲンジツは悪夢よりも更に酷かったという。げふう。

 ああ。ねえ。こんな事で一生終えちゃうのかねえ。流石にちょっとヤバイ感じだよう(アカネ調)。

・寝不足になりつつもコミケ関連サイトをうろうろ。何か・・・ リカちゃんで1ジャンル取れるんじゃ。ここまでとは知らなかった。 婆アニメじゃなかったのか。見切るの早すぎたか・・・・

IEにセキュリティホール

ニャンコ先生・旅のアルバム


DEC.23.1998(WED)睡魔

 昨夜から朝までだらだらとチャットしてたりまんレポ読んでたりしたので昼まで爆睡。 午後は県立図書館−県立近代美術館。常設展が入れ変わっていたので ちょっとだけ覗いてみる。 堀内正和 「箱は空にかえってゆく」(1966)が良かった。 騙し絵的な作品だけど、観ていて飽きない。1960年代の空気を併せ持つ、 その懐かしい匂いの故か。以前にも書いたけど、 「近代美術館」程「近しい昔」をあからさまに展示しているところはそうは無い。 1960年代の文物を堂々と今の空間に置いてみせるその空気が、 振り返り野郎のワタシには好ましいのだった。
 帰りに酒屋に寄って酒精を補給。ウヰスキイばっかり3本(うち バーボン1本)。 あとジャーキーとか。いや身体に良くないんだろうなぁとか思うけどさ。思うけど。 ・・・あ、カレカノのサントラ買うの忘れてた。

 しかしアレですな、まんレポ読んじゃいますな。だらだらと何時間も。 そんで読んでるとこう、じわじわと、ああ俺もこのままじゃイカン、何かしなくちゃ、何か・・・! という気分になるというお約束。 もう決して若くはないのだしな。夢を見られるのも今の内かも知れない。 夢を追うことが日に日に面倒くさくなっていく。そもそも夢なんて有ったのだろうか? 世の中って厳しいわ・・・とまあこんな感じで展開する酔っぱらい思考。 ああ・・・ついこの間まで世界は自分を中心に回っていたというのにねえ。
 まんレポ読んでてつくづく思うのは「若いってのは、自己中ってことだよな」という。 意識するとしないとに関わらず。他者と自分との間に常に浸透圧の差が存在していて、 それに対する抵抗を不満や怒りや嘆きとして感じ「許せないこと」が溢れる。 拙者もついこの間まで馬鹿エヴァガキとかあかほり盲信者とかを相手にフレイム文書 良く書いたよ。でもそのうちそう言うのに対して虚しさを感じるようになって。 だって相手も自分も大した事言ってる訳じゃないのよ。所詮は非クリエイターの戯言な訳で。 で、そうやって「自分と他人と両方に対するあきらめ」という形で 膜構造の動作を止めてしまって、あとは壊死するだけ、という。 つまりジジイになっちゃうって斯う言うことなのかもなとか。 まぁどうでもいいことなんですが。

・「ブギーポップ・イン・ザ・ミラー」読了。個人的には矢張り一作目にかなわず。 「とりかえしのつかないという切なさ」が決定的に欠けている。 というか最初からそれ目的では描いていない。ここにある視点は、ただ「いま」だけ。 ラストでちょっと振り返ってみたりするけど、それが主題じゃないのは確か。 一作目の持つ「思い出による構成」の魅力はここにはない。平板な印象。 でも相変わらず文章のキレの良さというか、引き込むパワーは尋常ならざるものがあるのだった。 或いは拙者の読みが甘いだけなのかも知れないけど・・・兎に角読んでて「痛くない」のがちょっと。 しかしラストの持って行き方なんか見てると、こりゃまだ続ける気だねどうも。 或いは「統和機構」の謎が明かされるまで続くんじゃないだろうか?最初からその積もりだったのか? この小説の正体は、もしかしたら全く別のモノなのだろうか?
 あ、あとがきは結構痛くておすすめ。でもあとがきの様な内容を小説として 提示しようとしたのが今作品だとしたら、それはちょっと外れだったと思うけどさ。 曰く、「ごくごく小さな同意とか、笑ってうなずきあうことができたあんときとか、 そーゆーものこそが”理由”かも知れないとか、そう思いませんか?生まれてきた意味ってヤツは?」
 自分はこの一瞬の為に生まれて来たんだ、という瞬間は誰しもあった筈なのだ。 ただそれを忘れているだけで−。この辺の語り口が如何にも、で結構染みるのだった。 そう、確かにアレは楽しかった。でもその楽しさはあの「場」もひっくるめてのソレだから、 今更その場を構成したヒトビトに連絡を取ってどうなるものでもないんだよね、 と最近気付いてもみたり。想い出は美しいままに、という事も有る。 人は変わってゆくものよ・・・だからこそ、「今思えば、あの頃は楽しかったな・・・」 という視点が切なくて(ワタシにとっては)良い訳で。 リアルタイムではなかなか「今が一番良いとき」(メガゾーン)ってのは感じられない。 失って初めて気付くんだよ。基本的に。そういう人間なのさ拙者は。ああ後ろ向き人生まっしぐら。

今年も何となく描いてしまいましたがちょっと駄目絵ですね。 目が駄目。こんな落書きに数時間だぜ?もうMAGは難しくてよう描きません。

・買い物メモ:パーフェクトグレードRX78-2 1:60。マストバイ(某nzm風)。


DEC.22.1998(TUE)宇宙に輝くエメラルド

 青春アドベンチャーで藤井青銅のドラマが始まると 「ああ、また一年経ったのか・・・」としみじみ感じ入ってしまう今日この頃。 昨年の今頃は・・・とか、一昨年は・・・・とか、この時期に聴いたり見たりした事って 結構印象深く残っている気がする。
 ポスペを導入するためにジオシティ市民になる。サイトは ここ。 何にも置いてないけど。プレイタウンの市民になったといったら某氏に爆笑された。そうなのか。

まんだらけの米国進出が上手く行ってしまった場合、岡田斗司夫の 「海外ではマンガが大人気!という嘘」は嘘ではなくなってしまう。 ・・・でも、この記事読む限りじゃ、SF大会にゲストで呼ばれてみたら 熱心なファンが一杯居た。今SFを出版したら当たるかも知れない! とか言ってるのと同じなのでは。併しそれはそれで或る一定数の需要があるんだから、 供給するのは当然か。寧ろ儲けよりも使命感みたいなモノがあると楽しい。 日本の漫画文化を輸出する橋頭堡、みたいな。古川氏の事だし、 まるきり無いわけでも無いと思うんだけど・・・ 問題は店員で、矢っ張り「本場モン」と称される人々がラムちゃんとかやるのか。 2Fのステージでスターブレイザーとかマジンガーズィーとか歌ってたりするのか。
 イヤでもホント、古川氏やるなァ、と言う感じ。やっぱりアメリカ進出、は夢でしょう。 万人が出来ることじゃない。失敗してもそれはそれで英雄譚だよ。ってまだ出店もしてないのに 失敗の話するなって。でもホント、凄いわ。いい人生だ・・・


DEC.21.1998(MON)ネスケと格闘

 何つーか、ヤバイんすよ。モチベーションが無い日々が積み重なって。 もーどーでもいーや>俺の人生、みたいな。
 22時過ぎに帰宅。蛍光灯の白い明かりの下芥溜めの様な部屋に分け入って スーツを脱ぎ捨ててネクタイを解きつつPCの電源を入れオーディオに灯を入れ ビデオのタイマーセットが動いているかどうかを確認。あまりの汚さに一瞬掃除しようかな、 という気になるが、気が持たない。そのままDOSマシンでBBSを巡回しつつ WEBでメールをチェックしながらゴムが溶け込んだようなゲロ味の 安ラム酒を呑んで吐き気をもよおしつつ眠る。

・安井誠太郎氏からメールの返事を頂いた。しかもドリキャス。 1999年には復活されるとのこと。 あの世界がもう一度読めるという、それだけで暫く生きていける感じ。

・真夜中の王国でカヒミ・カリィのライブをやっていた。あのウィスパリングボイスを バックのドカドカ音にのせるもんで、何も聞き取れない。これでいいのか>聴衆。うーん。 ・・・それより「5つの銅貨」録り損ねたのが痛すぎる。明日のグレン・ミラー物語は録画せねば。

ポスペV2.0お試し版DL。 まだ入れてないんですけどね。


DEC.20.1998(SUN)

 昼まで爆睡。昨夜の反省に立って、少しく本を読んでみたりする。 つーか昨日買った漫画の山の処理。ポケモンSP4のイエロー少年は例の女の子だと思うよ。 ラッタが鍵だな。ってバレバレ?おいおいまたショタかよ、とがっかりした諸兄には 「イエロー女の子説」が有効かと。しかしイエローつうとモスピータが思い出されますな。

 「DIVE」を聴きつつ自転車で本屋。自転車なんて久々に乗るから気持ち良い。 BGMの雰囲気と相まって、何だかひどく懐かしい気分。 毎日毎日、何処へ行くにもこうやって自転車こいでたんだよなぁ・・ とか。暮れた空に光る星、とか。頬を刺す冷たい風、とか。 昔見た夢をまた見ている様な。失って仕舞った何かを一瞬だけ取り戻せた様な。 妙な高揚感。いい感じだった。いい感じだったのに。

 帰宅した直後に電話。「ジュンイチさんいらっしゃいますカァ?」・・・ああ、 セールスの電話だ。一気に冷めていく脳。「今居ません」とか言えば良かったのだけど、 もうどうでも良くなってしまって、思わず受け答えしてしまった。 最後まで話を聞くのに30分。だらだらと内容のない話をされて、断るスキ全くなし。流石だ。 2,3年前に一度終わりまで聞いたことが有ったが、 (そして喫茶店での待ち合わせ・・・というところで「ホントに行くと思ってんの?」 とか聞いたら無言で電話を叩ききられた)その時と全く同じ内容。 「わたしどこから来たかわかりますか?」「徳島って車がないと不便ですよね」 「今どこからかけてるかわかる?すぐ近くなんですよ、手をふってるの見える?」 とか、そういう細かいオヤジギャグまで全く同じ。デジャヴュって奴か?
 「私宗教の人みたいに人一杯集めて演説とか出来ないし」そんなこと誰も聞いてない。 「無駄な時間は絶対に取らせたくありませんから」「絶対に嫌な気持ちにはさせませんから」 聞いてもないのに安全性を強調するようになったらオシマイでしょう。 脈略のない話と一方的な問いかけ「大学は何処?」「お仕事はなに?」「彼女は?」 「年末の予定は?」等々に「あー」とか「うー」とか唸りながら漫画を読んでいたら 30分辺りでようやく「また今度」とか言って一方的に切った。 マニュアルの終わりまで行ったのだろう。内容全く無し。 どんなモノを売りたいのか、その説明も殆ど無し。 「私の会社、いろいろやってるんですよォ。電話で説明してたらあさってまでかかっちゃう」。 何か、クラクラした。彼等はそうやって夜昼無く土日もなく 延々と人に悪感情を植え付けて回っているのか。これは何かの呪いか。 ホントに売れるのかそれで。誰か買う奴はいるのか「雑学ビデオ」。 「学校の勉強だけじゃ出世は出来ないでしょう?雑学って大事」・・ああ・・ 雑学で対抗するには、この世はあまりに厳しい・・・

 久々に虚無感につつまれて夜を迎える。無意味。諸行無常。所詮世の中に夢なんてないのだ。


DEC.19.1998(SAT)DIVE

 昼頃起き出して徳島市街へ。バスのチケットを受け取り、本屋を巡って新刊をばかすかと買い込む。 CD屋に寄って坂本真綾の「DIVE」を買って、水際公園辺りをぶらついて帰宅。 晩飯を食ってからバスケ。バスケの後は風呂屋−末広のゲーセンで隊長達のD.D.R.ぶりを堪能 −M隊員宅で夜明けまで「ゴールデンアイ」。ゴールデンアイはイカン。麻薬的な面白さがある。 武器の種類による戦法の違いとか、壁に潜んで通りかかる敵を狙い撃つ快感とか。 そうやって潜んでる敵を背後から撃つとか。ああ黄金銃の強力さときたら! 良くあるネットワークガンシューと違うのは、 プレイヤーがネットの向こうじゃなくて隣に居るという。 しかし、疲れた・・・暫くやりたくない・・・

・「DIVE」は正直「あれ?」という印象。「グレープフルーツ」の、 あの一曲目が流れ出してきた瞬間の何とも言えない−切ない様な憧れる様な− 爆発的な感動(当時の日記 を観ればその感動も伝わろうか)はこのアルバムには無い。 「そういう」作品では無い、らしいというのは聞いていたけど、 一曲くらい「作った」作品が有ってもいいのになぁ・・・という感じ (「走る」は結構作り込みを感じるけど)。 単純に言うと、「坂本真綾色が出過ぎていて、まるで普通のシンガーのアルバムみたい」 というか。菅野の楽曲の、楽器としての坂本真綾のエンジェルボイス、 みたいな部分もあった前作とは全く違うアプローチ。或いは真綾ファンには 嬉しい作りなのかも知れないけれど・・・
 でも、多分聞き込んでいく事でスキになっていくタイプのアルバムだと思う。 暫く聴き続けることになりそう。今はまだ「悪くない」。そんな感じ。

The Vision of Maaya

・D.D.R.は私には出来ません。永遠に出来ないでしょう。大人しく23日の BMのAPPEND3rdでも待つことにします。あああ。 でも観てる分にはBMよか遙かにD.D.R.がイカスね。 特にダブルプレイでユニゾンっぽい動きが決まっていると拍手を送りたくなる。 単に踏めてるだけじゃ駄目・・・上半身も重要ですな。


DEC.18.1998(FRI)戦争はなかった

・今日のカレカノ。期待の鶴巻演出の第12話は総作画枚数1000枚有ったかどうか。 歴史上稀に見る電線アニメ。殆どやりすぎとも言える「動かなさ」なのに、全く違和感無く見える。 全く、だ。それどころか恐ろしいことにその辺のアニメより余程「濃い」印象を与える。 原作に頼りすぎ?いやいやそうではありません。これがつまり「カレカノ」なんですよ。という。 これエヴァでやってたら「枚数稼ぎ!」とかスコボコに云われてたろうなぁ。 つまり、視聴者側にも「それ」を受け入れる素地が出来た訳で。 それなりの文法/演出思想がカッチリ有れば、これだけの枚数でここまで出来るのだ、という感じ。 枚数かけなくてもここまでの質とテンションが維持できる。原作の笑いのツボを生かした作りは好感度大。 冒頭の2分半に及ぶ「これまでのあらすじ」も実にいい味を出しているし。 後の世でこの作品がどう評価されるかは知らないが、とにかく今眼前で起こっているコレは、 35年の日本TVアニメ史上において、一つの転換点になるかも知れない。 何というか・・・見事だった(「動かないアニメ」を否定しようと思えばいくらか 否定理由は思いつくけど、でも「面白かった」「気持ちよかった」んだから今日はその感触に従う。 「動き」と「演出」はまた別の話で)。

・気がついたら浜松町28日朝着のバスのチケット予約してるという。 が、帰りのチケットはもう取れませんでした。どうやって帰って来るつもりなのか。 31日丸一日かけて帰るとするか。年内には帰ってこれないかも。 ホントにこの年末フイにする気らしい。今に後悔するぞ貴様。東京方面の皆様には またご迷惑をおかけすることになりますが宜敷。野良犬に噛まれたと思って忘れて下さい (行く前から言うか)。


DEC.17.1998(THU)砂漠のキツネと緑のタヌキ。そして黄色い博多ラーメン。

 夢を見た。
 保健室の前で並んでいる。注射をされるらしい。列がなかなか進まないので ダレていると、いきなり保健室から女医だか看護婦だかがもの凄いスピードで 走り出してきて、注射器を左腕にドカッと突き刺して何かを注入し、にやりと笑って 何事か説教のようなことを喋って去っていくのだった。左腕には痣のようなものが残る。
 その後何故か耳鼻科の検診に移り、医者が私の左耳からなにかを取り出す。それは かなり大きなガラス片だった。耳の中は傷だらけだそうで、治療しなければいけないという。 が、私はいきなり耳の聞こえが良くなったので感激するのだった。

・先週の「彼氏彼女の事情」を漸く観る。ありまのインターハイ行き、 宮沢の女の子デビュー・・・から芝姫の家出話まで。川崎市街(らしい)で繰り広げられる 暴挙の数々。成程トトロの作画はあまりに本物だ。イカス。あと妖怪人間の 「ベム」「ベラ」「ベロ」「カーッ!」は、一人歌い分けと並んでお約束だよな。濃いぞ。
 芝姫の声が既にハマっている。もう大丈夫。あの声は、この「オモチャにされる芝姫」 を想定して作られたモノなのであろう。芝姫登場シーンの足から入る「かわいい」描写は流石。 宮沢がハマるのも無理はない。芝姫いじめは楽しそうだ。芝姫はイイよな。

 それぞれがそれぞれに何かを−「勉強」以外の星を目指している。 勉強一筋だった宮沢がそれに気付いたとき、でもだからといって自分の「勉強ができる」 という星を彼女は捨てたりしない。その辺がエライ。それはそれ、なのだ。 友達付合いの中で価値観は多様になるけど、でも自分の星 (「優等生」たること)はやっぱり頭上に輝いている。 自分のやってること(勉強)は、決して「くだらない」事なんかではないのだ。 彼女の場合、それ(成績)はホントに努力の上に立ってるものだから。 だから、宮沢は本当は、言うところの「優等生」(勉強は出来るしオトナにも受けがイイが、 その反面傷つくことに極端に弱く、無自覚で、「自分」が薄い、といった印象の言葉)では ないのかも知れない・・・・

 先に読んだ このページに、今度は「水色」との比較という論点が出ていてこれも面白かった。 しかし「水色が痛くない」というのには驚いた。私にとっては痛点の固まりみたいな作品で、 読み返すことは殆ど苦行に近い。でもそうじゃない人も居たのだね。 斯う言うのは、人生経験を超えてきて初めて判る味わいなのかも知れないな。 お子様な私にはもうただただイタイだけの作品なんだけど。 それはそれとして、この対比でより「カレカノ」が「優等生志向」の 物語であることが浮き彫りにされる。学業の面からのみ言えば、優等生と「中の下」。 宮沢と優子は見事に相反するキャラと言える。家族のノリなんかもそうよね。 宮沢ん家の「若い両親に可愛い妹たち」というのと、優子の両親なんかは好対照だろう。 特に、その根本を「ポジティブ」に置くカレカノがギャグにして飛ばしてしまう 「失敗」も、「水色」ではただの「ドジ」では片づけられない、生々しいまでの 人の持つ弱さ、愚鈍さ、モロさとして描かれていて、背筋が凍ったものだった。 目を反らしたい様な「駄目人間」モードの自分がそこに居る。これは俺だ!あああああ!みたいな。 とてもじゃないが「懐かしく」なんて感じられない。宮沢がこの漫画を読んだらどう思うだろう?
 あ、でも「水色時代」という物語そのものは「ああ、これはワタシとは違う人生を 歩んでいたヒトタチの描いた話だなぁ」という感じがしたものだ。 物事に対する考え方が全く違う。確かに周りには「ああいう」思考パターンで「ああいう」 つき合い方をしてるヒトタチも居た。居たのだけど、彼等と私の間には遙かな溝が横たわっていた。 いや今も横たわっている。画面には映らないが、その彼等が居る同じ教室の中で、 世の中の全てをシャットダウンして小説に没頭(逃避)してるた奴も居る筈で。それがつまり、私。 穏やかで揺らぎのない、何もない日々をのうのうと生きてきた。永遠に終わることのないその繰り返しを、 私はまだ生きている。この歳までそういう生き方をしてしまうと、 腰を上げるのさえおっくうになってしまう。宮沢は居ない。桜の木の下には死体しか、無い ・・・イカン。「カレカノ」もそうだけど、「水色」もまた「過去の栄光」を くだくだしく語りだしてしまう引き金になりかねない。危険物だ。扱いは慎重に。 斯う言うときはおとなしく「タカちゃん萌へ〜!」とか言ってればイイので。 そういう生き方を選択したのだからな。もう帰れない。太陽の牙ダグラム。

・エヴァが、「人と人は、決して解り合えない。それでも僕等は生きて行かざるを得ない」 という(私にとっては心底)心地良くも救いの無い解を提示して見せた後、 この作品が再びほぼ同じ視聴者に対して語りかけている事は−


DEC.16.1998(WED)

 口内炎が出来ると人に話したくなるのは何故なのか。

 という訳でこの不景気、忘年会も全然無いやハハハハハハハ! みたいな今日この頃、何故か口内炎が出来やがります。何故ですか。 毎晩酒をかっくらって風呂にも入らないで床で寝て 朝3時位に寒さで目が覚めたら室内温度が5度、 とかそういう毎日だからですか。神よ。 恐ろしくて先週のカレカノがまだ見られない私に勇気を。
 何にしてもアレですよ、描かなきゃ駄目っすよ。と日記で語っているこの矛盾。 駄文打つ暇があったら描けよヲラ、という気もしないでもないのですが。 或いは溜めまくってる感想を書けよ、とか。年末どうすんの、とか。 今からチケット取ろうったって甘いぜ、とか。人生なるようにしかならないよ、とか。 オマケに留守電には某氏の地獄の底から這い出しかけたけどまた戻っちゃったよとかいう (或いは地獄の底まで追いつめたけど帰り道に迷った、みたいな) 暗い話が3ブロック分入ってたりしてもう何がなにやら。
 ・・・そんな中(サイキック的転換)私は今年も「一角獣をさがせ!」を 読み始めようかという。年に一度のお楽しみ。ホントに面白いんだ。 キリンヤガなんか止めて今直ぐこのシリーズを再開して欲しいと切に願うものである。 膨大な知識に裏打ちされたライトノベル程面白いものは無いよ。


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