4月6日付テキスト群。

妹尾ゆふ子「現実の地平 夢の空」/講談社X文庫ホワイトハート/1994/4/20
イラスト:わかつきめぐみ

妹尾(せのお)ゆふ子「夢の岸辺」シリーズの完結編。
先日発見して、今更ながらですが読んだですよ。1,2巻読んでからもう
随分経つ・・・


考えてみれば妙、というか不思議なシリーズでした。
何とも曰く言いがたい、作品。得難い傑作、とも。

何にせよ、久々に読む少女小説として相応しく、心底浸りました。

先の2冊の時も言ったことですが、作品のイメージと
わかつきのイラストが見事にマッチして、完璧な和音を奏でています。
表紙から始まって、作品世界の雰囲気を支配するほどの強烈な効果・・
いや、本当はわかつきのイラストを元に作品のイメージが固まったのでは、
と思えるほどです。

読了した後、しみじみと表紙を眺め返して「ああ!これか!」と気付く仕掛けも。
仕掛けじゃないか・・・

ちょっと曇り気味の空気、夢と現実の狭間の雰囲気、
夢が解決の鍵になる等々、ちゃんとシリーズとしての体を保ちながら、
新しい世界へ足を踏み出す二人を見せてくれます。


一緒の夢を見、その中で出会い恋をした徹と<委員長>小泉。
夢の中ではお互いを好きだと解っていても、現実の中では上手く行かない。
春休みの遊園地、おしゃべりな母を持つ友人に、言いふらされるのが恐くて
徹は小泉の事を彼女だ、と紹介できない。それがきっかけで、歯車は狂い始める。

小泉は徹を避けるようになり、オマケにクラス替えでは文理で別れてしまう。
それでも偶然から徹は委員長になり、これで小泉と会える口実が、と喜んでいると
小泉は転校生に委員長の座を奪われてしまったという。
転校生の名は「佐藤千鶴」。あの夢の中に出てきた小泉のイマジナリー・コンパニオン
(空想の中の友達)「ちづ」と同じ名を持つ少女だった・・・

そう言った事が積もって小泉は鬱に陥ってしまう。
徹はその「女心」が解らないなりに、一所懸命走り回る(良い奴なんだ)。
小泉が通う予備校の前のマクドで出てくる小泉を待ち続けたり、風邪ひきの小泉を
学校抜け出して(居ても立っても居られなくて!)見舞ったり、もう徹の行動が
凄く良い。その中で、自分が如何に小泉を好きか、を思い知る下り(P116)などは
もー・・・。

いちいちのシチュエーションが上手いです。
「ありがち」、類型のシーンではあるのだけれど、それを選ぶ其のセンスがいい。
平日の午後、学校を抜け出して住所録を頼りに住宅地を探しまわり、
風邪ひきの女の子の家に見舞いに(手ぶらだけど)行っちゃう、
もうそれだけで、その気分が伝わって、泣けました。覿面です。



・・・斯うしてみると明らかにこの作品の主人公、視点、は徹で、
読者は徹に自分を重ねる訳で、其の意味ではオンナノコ以外でも
十分楽しめる作品だとおもうです。
いやむしろ・・・


小泉の「おいてかれる・・・」という悩み、これは誰しも感じる事。
このままでは置いて行かれてしまう。自分はこのままでも良いのに周りが
走り出すから・・・今居る世界の快楽と、これから先の世界の眩しさと、
どちらを選ぶか。いや答えは最初から決まっている。決まっているのに、苦しい。
小泉は頭がいいから其れを知っている。知っているが、身体がついてこない。
そう言うときに手を差し伸べてくれる人が居ると、いいな。
大抵は、自分で踏み出さざるを得なかったりするんだぜ・・・

脇役の堀内と峰村もちゃんとキャラが立ってて良いし、
転校生千鶴も可愛くて存在感有って・・・
上手い、としか言いようがない。ああ、こういうのが書けたらなあ、と思うです。
キャラクターの個性化って大切だ・・・



小説や漫画は、それを読んでいるときだけ楽しめるものと、読み終わっても
その作品世界が自分の中の思い出に追加されて強烈に残るものがあって、
僕にとってこの作品は後者。
一度読んだだけでも一生忘れ得ぬシーンとか、そういうのって有るですよね。

何でもない日常が、実はこんなにも魅力的なもので有り得るのだ。と
それを作者(作品世界)の視点を通して見せてくれる。
これもわかつきめぐみの世界の持つ魅力と同根でしょう。
わかつき作品のファンは是非ご一読あれ。


読むのは半日だったのに感想(駄文)書くのに5日かかった
@@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@

映画クレヨンしんちゃん ヘンダーランドの大冒険 (映画、がつくのが正式タイトルであるらしい) をやっとTVで見ました。何かレンタル屋のクレしんビデオっていつまで経っても 二泊三日500円、然も借りられっぱなし、なんだもの。 ・・・相変わらず傑作。拍手で見てしまう。 奪われた両親、夕暮れの公園、救いを求める(年上の)少女・・・・ 少年まんが映画の定石が詰まっている。ラストの追っかけ−崩壊など もー「長猫」か「カリ城」かという・・・(「長猫」との共通点は多いが そんな事を言ってもこの際大した意味はない) 作画もレイアウトも兎に角奇才本郷みつるの才能大爆発といった出来。 空中戦、格闘、追っかけ等「見せ」のタイミングは リミテッドアニメという世界で今地球最高のソレであることは 万人の認めるところであろう。ああ!!背景動画の快感!!!! 変に各パートが走りすぎているのは少々どうかとも思う(と言うか、全体的に 演出タイミングが少しずれてる様な感覚が有った)が、然し劇場という場を 考えれば豪華さを演出しているとも言える。子供はこーゆーの好きだから・・・ ・・・しかし・・・ トッペマのお姉さんぶり、その健気さ、可憐さは、少年の時に出会っていたらもー 一生台無しモノだったに違いない。少なくともワタシの中の「少年」な部分は ああ言うのに無茶苦茶弱い。渕崎<アンジー>ゆり子のあの声!! 申し訳なさそうな演技とか傷つき消えゆくシーンとか・・ああ、もー駄目・・・ ラスト、夜明けの空と言い開放感と言い、実に「まんが映画」。 こうも凄い作品が今も制作され劇場にかかり、子供達が見て居るってのを 見るにつけ、日本アニメの未来は決してエヴァやもののけ姫で「終わる」様な モノじゃない事を感じるのだ。 くそう。次の映画こそ劇場に見に行くぞ。と前も誓ったっけな。 でもやっぱり「雲黒斎」だよね。 あれに比べると見劣りしてしまうのは仕方ない・・・ 重い部分が今回薄くて。雲黒斎、否ハイグレ魔王、の時から 劇中かなり暗い(重い)展開が有って、其れ故のラストの闘い−解放、の快感が 有ったのに、今回は敵との戦いも中盤が一番の見せ場で終わってしまい、後は 折角の背景動画があまり生きない展開だったように思う。 しんのすけ自体にパワーが無く、物足りなくは有った。切り返しが甘い。 嵐を呼ぶ、とは言いがたい。・・・でもそれはそれ。 もっと「子供が泣ける」アニメを!ゲームも良いけど。 電子遊技は儲かるし子供も夢を見やすいだろう。その麻薬的な快楽と強烈な 没入性は知っている。僕だって「MOTHER」を自分の少年時代の 記憶として同一化して思い出す程だ。プレーしたのは数年前だと言うのに。 ・・・だけどやっぱり違うんだ。多分。 親と一緒に映画館から出てきたとき妙に無口で、家に帰ってきても何かしら 考えている・・・布団に入って思い出すのは映画の物語・・・そういうのって 今でもあるんだろうな・・・あってほしいな・・と・・・ 何を言いたいのかわかんなくなってしまいました。 でもまあ、「まんが映画」ってのは今でも ちゃんと作られてるんだなぁ、と言うことで。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
ケロチャ第五話。「超夢見るフリジッタ」 ノリがいきなりチャチャ。マルチタスクな展開。 隠れんぼするリープが、も〜。 しかしリープも変だ。いちいち爆発するか>茶。 注射器まで持ってるとは。 今回は店長のキャラ勝ち。 しかし30分が短い・・・内容が無いからなあ。 その意味でもキャラで押すのが正解だ。 あおちゃんが人形にされた瞬間、 人の重さ人形になるのでは、と期待してしまった・・・ ファッションデザインに応募しようかと計画中の @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
桜沢エリカ「ユウベノナツ、桜沢エリカ。」/白泉社/1988/3/2 ああ。80年代。主に86年中心。 桜沢エリカには特別の思い入れが有って、例えばそれは 「ウーくんのソフト屋さん」(知らないだろうなあ最近の若い子(・・・・)は) だったりするのですが兎も角。 こういうのを読むと、桜沢エリカと岡崎京子の作風が 決してそれほど似てはいない事が分かるです。 物語の作りが違うのだ。それはつまり作者の相違(当たり前だ。別人なのだから) をそのまま現している。確かに絵柄、対象とするシーン、コマ運び等は 類似しているが、それ故に違いも際だつのだ。 この単行本そのものは可愛い感じの「ハッピーエンド漫画(女の子対象)」という。 「分の悪い恋愛は(面倒だから)嫌」、という作者の言葉が成程、と思わせる ライトさというか打算性が良い。都会的、っていうのかしら。 何度か読み返してしまいそうな単行本では有ります。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
今回時間がないので、古本等扱いの軽い奴だけ(酷い・・・) 一まとめにしてみました。 手塚治虫「フライング・ベン 1」/講談社/1979/11/20 手塚治虫「フライング・ベン 2」/講談社/1980/1/20 手塚治虫「フライング・ベン 3」/講談社/1980/2/20 作者本人は非常な気に入りの作品であるらしいが、正直読むに耐えない部分がある。 独善的な物語展開に、「そうじゃないだろ?」と突っ込みを入れてしまう。 ラストの月へ行く犬、あれは恐らく片道切符なのである。 ライカ犬の過去からみても、そういう積もりで描かれたに違いない。 最後まで犬を人間の忠実なる下僕としてのみ描き、読む方は何かこう疲れを 感じるのだった。犬の飼い主としても。 もしかしたら犬好きにはたまらないのかもしれないな・・・この漫画・・・・ 犬のベタベタな愛情表現は実に良く描かれている。でもあの犬のじゃれ方が 苦手な私は猫好きなのでした。 水木しげる「妖怪軍団 ゲゲゲの鬼太郎 二」/ちくま文庫/1994/7/21 水木しげる「ねずみ男の冒険 妖怪ワンダーランド 1」/ちくま文庫/1995/7/24 たがみよしひさ「METAL HUNTERS D 1」/潮出版社/1994/11/10 出てる事さえ知らなかった。「グレイ」系の漫画。 相変わらず巧い事は巧い。 ただこの後どう展開するのか不明。 2巻はあるのかしら? こやま基夫「アブラ・マンダラ 1」/少年画報社/1995/4/15 こやま基夫「アブラ・マンダラ 2」/少年画報社/1995/11/15 こやま基夫「アブラ・マンダラ 3」/少年画報社/1996/7/15 こやま基夫「アブラ・マンダラ 4」/少年画報社/1997/3/15 結構駄作。初期設定が緩い。作者の個性が死んでいる。 キャラクターに愛が持てないまま終わったようなものだ。 もう少しベクトルを強くするべきだ。 少女の成長の物語なのか、占いと電子世界なのか・・・ はっきりしない。キャラも弱い。もっとギャグを入れた方が・・ こやま基夫の作風自体は凄く好き。 [原作]和田慎二[コミック]伊藤伸平「ネメシスの剣」/白泉社/1996/7/31 これも酷い。苦労して探し出して(何処にもないんだもん)買ってみれば、 その実、原作とコミックが合わなかったというその典型例みたいな作品。 こういうの(例えば品川KIDの一連の原作ものとか。とり・みき&ゆうきまさみ 原作、でも生まれた者は「アレ」だった・・・)見てると、矢張り 漫画ってのは原作からデザイン版下制作までを一人でやってこそ、と思うのでした。 でも伊藤伸平の描くカラミは結構いやらしくてエッチくて良いけど。 漫画家の魅力が全く出ていない悲しい作品である。只これで次の作品に 新たな影響を与えてくれれば。和田慎二先生にも。 人生女と怪獣と戦車。 上條淳士「TO−Y 1」/小学館/1985/10/15 上條淳士「TO−Y 2」/小学館/1985/12/15 上條淳士「TO−Y 3」/小学館/1986/2/15 上條淳士「TO−Y 4」/小学館/1986/4/15 上條淳士「TO−Y 5」/小学館/1986/7/15 上條淳士「TO−Y 6」/小学館/1986/10/15 上條淳士「TO−Y 7」/小学館/1986/12/15 上條淳士「TO−Y 8」/小学館/1987/3/15 上條淳士「TO−Y 9」/小学館/1987/5/15 上條淳士「TO−Y 10」/小学館/1987/7/15 成程。 成程なあ。 結構欠落してた記憶が補完されました。 でも久々にビデオ(OVAがあったのだ)のほう見たら 記憶と全然違っててびっくり。 バイクで転けるラスト、てっきりビデオに入ってると思ってた。 全然内容無いんだな>ビデオ。でも出来は凄く良い。 もっと再評価(好きだな俺も)されるべき。NOKKOの声が見事。 しかしこんな「新しい」感じの漫画がもう10年前とはねぇ。 10年か・・・ 結局この漫画はニヤの造形が全てだ。 そう、思う。 それほどに素晴らしい、ニヤ。 輝いてるものな。 でも残らない漫画、では、ある・・・ 時代の子は時代と共に去る。 80年代も遠くなった。 島本和彦「無謀キャプテン2」/徳間書店/1994/10/15 それでも それならば だが しかし! 男はこうでなくては。墓穴を掘ってこそ。 暴走系島本漫画では最強の部類であろう。 実は随分前に借りて読んではいたのだった。 やっと、買った・・・ あ、そゆことで。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@

戻る
inserted by FC2 system