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古まった日記達・1997−12(後半)


故宮で睡眠不足篇或いは年末物欲大作戦篇。


この店は贋物(いかもの)を扱いますから、用心なさい。


DEC.31.1997(WED)坂本真綾。

 昼まで爆睡。昼過ぎに木戸氏が来られるwith坂本真綾ビデオ。 以後数時間、無言で坂本真綾の姿を見続ける。矢張り初期のショートカット頭が 恐ろしく良い。喋りも初期の屈託のないそれが望ましい・・・「渋谷でチュッ」に 出ている彼女は既に「現役女子高生坂本真綾」では無い・・・ 「修学旅行まで連れていった愛用の」ペッツをプレゼントしてしまうあたりに、 そういう過去の振り切りを感じてしまう・・・のは考えすぎというものであろうが。 兎も角堪能しました。感謝です>木戸氏、asamiya氏、坂本真綾MLの皆様。

 気がつくと日暮れ。木戸氏は映画館のバイトへ。私は・・・・年内には読んでおきたかった 「一角獣を探せ!」読みに本格的に没入して行くのだった。11時半頃からWC/Jに顔を出し、 カウントダウンをやってから(今年は寂しかった・・・昨年が凄かったのか)更に「一角獣」。 矢張り実際のN.Y.を観てきた事が、読感に大きな影響を与えているのを感じる。 初詣に繰り出そうかと一瞬思うがタルくなり、ペインターで落書きをしてはICQで送りつけるという 事を繰り返しつつ、年越しをした感じなり。

 97年を振り返るに・・・という様な事が出来るほどに97年を体験していない私。 一体私にとっての1997年ってのは3月まで及び夏のエヴァ騒動位しか無かったのよ。 私はまだ今年を使い切っていない!!とはルーシーヴァンペルトの言だったか。

 夜明け前に某青いコンビニへ行って、その賑わいを感じながら普段読まない様な オジサン雑誌の類を読んでいると、「仮面族」の話が出ていた。ああ、僕は正しくそうだ、 僕は「カイシャ員」の仮面を被ってはいるが、本当の姿は別の何かなのだ・・と自分では 思っているが、だからといってこの仮面を取り去って「本当の姿」を追求できる程に 自信も力も根性も無い。結局思い込みだけ。虚しく、不気味だ。 自己内部と環境の辻褄合わせが出来ていない。何故全てを捨てて、本気で「本当の姿」を 追求しないのか・・・それはソレが「本当の姿」じゃないからで・・・


DEC.30.1997(TUE)曇。

 結局日付が変わるまで仕事。気が狂う。
 帰宅後、ICQで木戸氏と明日の約束をして、倒れる様に眠り込む。


DEC.29.1997(MON)曇。

 朝は流石に道が空いていた。いつもなら1.5時間の道が、今朝は30分である。 みんなお休みに突入しているのね・・・・ふう。

 深夜、暗く冷え切った部屋に帰ってきて、ドアを開けると崩れる本。足の踏み場もない。 掃除しなきゃなぁ・・・ああこんな時マルチが居れば・・・
 って実は昨日タブレットとか買ったときに、勢い余って「ToHeart」(今頃・・・)を 買ってきてしまいました。相変わらず財布のヒモ緩むと際限がないですね>拙者。
 えーと。この手のゲームやるの数年ぶりなんですが・・結構ハマってます。 ていうかドハマリしてて絵なんか描いてる暇無いちうねん。 いや然し、成る程マルチ(拙者の心の中劇場では声:鈴木真仁)のシナリオは泣けたす。なでなで。 造形も良いし・・・あの耳カバーは、その始祖をどこまで遡るのだろうか。 或いはエルフか。嘗て水玉螢之丞が猫耳の系譜みたいな話をしていたけれど・・・ 「耳」が異種族との判別手段だったりするのは何故なのだろう(このゲームの中でも、マルチは 人間との識別のために敢えてその耳カバーをつけている。この耳カバーの形態についても メカマニアの人なら系譜が語れそうだが・・ブレアリオスとかイングラムとか)? やっぱ「顔」が一番人間にとって識別しやすいからなのだろうが、 その中でも「耳」は特殊項目に分類されているに違いない。
 中学時代、仲間で紙という紙に落描きをしていた頃、誰もが耳を尖らせた(「猫耳」じゃない奴。 東風みたいな・・後にエルフ耳と呼称)絵を描いていたのを思い出しますが、アレは一体何だったのか。 聞くところによると割と全国的な現象だったみたいですが、誰かきっちり語ってる人いませんかね。 多分もう終わった現象だと思うし(今の中学生とかがエルフ耳ばっかり描いているって話は聞かない) 「時代がそうさせた」として・・・やっぱ「ロードス島」か・・・
 話が脱線しました。マルチでしたね。えーと。あーでもアンドロイドに魂は有るのか、 それはどうやって判断するのか・・・てぇ部分をもっと突っ込んで呉れたらねぇ。 人間の「思い入れ能力」は相手が物言わぬ人形でさえ魂のある者にしてしまうから、とか。 ってお前それは違うやろ的。いやでも実際そういう所を考えさせてしまう程に 良い(ていうかツボ押し)シナリオなのですが。 主人公が「マルチには心がある」て断定するに至るまでの展開に不足は無いけれど、 でも、それはやっぱり「人間の心」とは違う・・というのが欲しかったなぁ。等と。 あと充電はお尻の巻き取りコードでコンセントから((C)コニー・ウィリス)−に限るぜ。

 いやまぁ、然し今更なんで「ToHeart」なんだと云われましても。 世間様の間で話題になってると、どうしても「乗り遅れたくない」的な動機で 動いたりする主体性のない私です。「世間(何処の「世間」かは問わぬが花でそ)が こぞって褒める位だから面白いに違いない」て安心感で買う部分も有るんですが・・ってあああ ホントに主観の欠片も無い・・・偶にそれに気付いて慄然とするんですが・・・忘れてしまう。 実際、僕はパクリだけで出来ているですよ。パクリを除くと何もない。昔から、そうだった・・・

桃色天使さん(人じゃないけど)から リンクをしていただきました。実は最近TINAMIに登録(身の程知らずにも程が有ろう・・・)させていただきまして。 そこから見に来ていただいたそうですが、いや、だからその、登録もしてみるもんだなぁと。ええ。
・今週のツボ:電車で郷。 二段落ちは卑怯すぎ。チクショウ巧いなあ。


DEC.28.1997(SUN)斜陽

 休日。気配で目が覚めたら某☆師匠が居た。気がつくとデスクトップに妖しいデスクトップキャラが。 先日お借りしたCDを返す。カラオケのお誘いだった様な気がするが、良く解らない。 あとこの日記のことで何か仰られてた様な気がするですが、それも思い出せない。 脳が寝てました。
 食事をしてから出かける。某ジョイメイトで某描画ソフト&タブレットを買うか買うまいか・・ と悩む。買った所で値段分使いこなすことなど出来はすまい・・・ 何せ相手はちょっとやそっとの値段では無い。月給の1/3である (まぁ妥当かも知れないですが。でも他のアプリが軒並みゴミのよーな値段なのに対してみると、 高いですよね・・・)。だが現物を前にしてしまうと、どうしても物欲が・・・ 頭を冷やす為に外に出た。

 久々に一人で徳島の街の裏通りをぶらぶらと歩く。何年ぶりかにミマ画材によったりして、 その辺をずっとひやかして回る。年末の慌ただしさとは無縁の裏通り。 こんな所で商売が成り立つとは思えない様な、でも由緒は有りそうな塗り物屋や瀬戸物屋、 呉服屋等が広くはない路地に並ぶ。花屋の前で、いい年の髭のオヤジさん二人が 生まれたばかりの様な子犬をじゃれさせてやりながら、その名前をどうするかについて 話したりしているのを聞くとも無しに聞いていると、こういう生活も「有り」なんだなぁと思ったり。
 南ブツで未読・未購入の山を買い込み、吉田書店(古本屋)では今後の経営方針の転換について 聞かされたり(最近頓に稀覯本志向が強くなって来ている。こうもしなければ生き残れないか)、 高橋葉介の業績について語ったりしてから再びジョイへ。

 で、結局どうなったかと云いますと。買いました。ええ買いましたとも。 パソ関連の前で人は金銭感覚を失う。・・・で、これ買ったからって絵が巧くなるかというと 全然そんなことは無い訳で・・・単に物欲を満足させただけで終わりそう。 「モトをとらねば!」的使い込みが出来る状況に無いですし・・・・。 スタパさんなら解ってくれるわよね?的。こんな事を書いているとまた師匠が「そんな細かい事より まずニューマシンを組め〜」とか念波を送られそうですが。いや組みたいんですけれど。
 然し接続に困ってます。RS232Cポート2個に対して今4個(MIDI・288モデム・TA・タブレット) が在る状況。何かねぇ。蛸足配線(セレクターじゃなく)出来ないものかしら・・・ 或いはもう描画専用マシンを組むとか。ってなんか洗脳されてるかも。


DEC.27.1997(SAT)夜景。

 仕事帰りにM隊員宅へ電話。聞くと、東京及び京都方面の隊員が帰って来ており、 今夜は皆集まるのだという。早速お邪魔することにした。暫しスーパーファミリーテニスで 白熱した後、眉山上まで車を飛ばす。面子は隊長、ドラムスキー隊員、M隊員、ニキータ隊員、 ナベ隊員、そして拙者。駐車場で徐に取り出されたのはRCカー。
 隊員三名がRCカーを所有している現在、もうこれはレースしか有るまいと言う事になったらしい (昼間に何が有ったか、私は知らないが)。流石に夜風は冷たく、だが(田舎とは云え) 眉山上からの夜景は美しかった。田舎だから、か。人が住んでいるところには灯火がある。 レースの方は・・・嘗てレースをやっていたM隊員は兎も角として、 他の二名のマシンは、まともな走行が出来る様になった頃には何処かしらクラッシュしているのだった。 明日、また模型屋に行ってパーツを!とか熱く語ってる彼等を観てると、こうむくむくと物欲が・・ ラジコンは、いいね。欲しい。2万円ちょい、という事だけれど・・うーん・・・
 電池が切れたので下山。隊員宅前の公園で解散の後、最近の恒例、仮面ライダー鑑賞会なのだった。 今夜M隊員が借りてきてくれたビデオは、仮面ライダーV3「ライダーマン篇」。 ・・・ライダーマンがあんなに格好良いダークヒーローだとは全く知らなかった。不勉強でした。 ゴメンナサイ。ライダーマン誕生あたりから、V3と手を握るまでの間の超ドシリアスな展開と、 おそらく冬場の撮影であろう、低く黄色い太陽のライティングがマッチして、 (カメラワークや舞台選定も、これ以上無い位に研ぎ澄まされている)全く突っ込めない (基本的に仮面ライダーはツッコミ入れながら観るというスタンス)まま引き込まれてしまった。 これは子供番組以上の何か、だ。日常に潜む別世界。都市の周縁で、 善とも悪ともつかない得体の知れない集団が、人知れず戦っている・・・ こういった「知らない世界」をリアルに存在させる力が、等身大ヒーローには有る。
 ああ、然し、既にバイク乗りへの道を歩み始めたM隊員、初手からバイク乗りの ドラムスキー&ニキータ隊員。この場で僕だけが「ライダー隊員」じゃ無い・・・ 出来れば取りたいものだが、果たして9ヶ月で取れるものかどうか・・・ 更にM隊員は最近キーボードを購入し、音楽の方へも走り出している。 至高のピアニスト木戸氏のヨコハマ行きの後、抜ける穴は彼が埋めると云うことか。 ・・・防衛隊バンドさえ走り始めている。それに引き替え僕は・・・

 常に情熱を持っていないと駄目だ。と思う。僕には何が有るか・・・何もないのか・・・

・某風虎日記を”正式に” リンクさせていただきました。でもここリンクさせちゃうとネタバレが・・・ 結構ネタ底にしてたりしてアレですが。いや、激オススメです(って今更)。


DEC.26.1997(FRI)悪夢。

 朝令暮改。実は昨日、28日から休めそうだという話が伝えられたですよ。 こりゃもしかしたら有明行けるかも・・・今日中に夜行バスのチケットを予約出来れば・・・・ とか思っていたら、出社早々「冬休み中これだけは」な仕事が山の様に提示されて悶絶。 絶対一日や二日で終わらない。俺に死ねと言うのか。天国と地獄。運命の分かれ道。・・・・ そういう訳で結局最後まで仕事で終わる予定>97年。悲惨ねぇ。
 なーんか今の雰囲気だと除夜の鐘会社で聞くことになりそう度80%。 愚考するに、原因は部署間での情報開示不足に尽きるのだろう・・いろいろ・・・ 等と一奴隷が云っても詮無いことだが。「取り敢えず出てきて。仕事はその時説明するから」 って拙者本当に馬鹿みたい。奴隷たる所以。そもそも「冬休み」って何なんだ。 無給地獄か?一度本気で給与体系を提示して貰いたい感じ。 まぁ給料時給で払ってたらアッという間に倒産かも。このカイシャで良く囁かれる 「時給を計算した者から辞めていく」ってのは至言だと思う。
 そう言えば昨日の日記タイトルの「怒声」ってのは、職場で怒声(大声出せば言う事 聞くと思ってるエラい人が居らっしゃる)が飛んだって事で、結構それについても書いたんですが、 馬鹿馬鹿しくなってやめた名残です。このカイシャ、何処へ行くのかねぇ・・・ 心中だけは避けないと、格好わりいしなぁ・・・

 帰宅後、ICQで数人とメールの送りあい(ほぼ対面チャット)をしつつ テレビをだらだらと観る。もう朝3時。いやICQは面白い。面白いけどハマりすぎかも>ヲレ。 日記を斯うして書いている最中も、メールが来るのだ。寝てる場合じゃない。 明日も仕事の筈なんだが。もうどうでもいいや。知るかもう。あー。


DEC.25.1997(THU)怒声。

 サーチエンジン二題。

 久々にgooで自分とこ(「白炭屋」)の検索をかけたら、一気に件数が減っていて何とも。 その中に青空文庫とか言うのがあった。 どうもそこは、死後50年を経て著作権が消えた作家等の作品を、電子化している団体らしい。 うちの新居格ページがリンクされていたのだけれど・・・実は、新居格が死んでから、今年でまだ 46年。50年経っていない・・・やばいのかしら?。 しかし、とすると今からちまちま電子化を進めれば、4年後には一気に発表できる訳か・・・ ってそんな暇微塵も無いんですが。うーん。

 TINAMIからの巡礼中、 蒸気駆動舎電網公司を知り、何となく打ちのめされる。 なんて言うか・・・僕の求めるベクトルの、その遙か先を行っている感じなん。 絵も文も。特に文章の作り込み具合とさり気無さ(清涼感さえ感じさせる)は、 なまなかなセンスで出来る事ではない。翻って自分の無才さ、或いは努力の足り無さに呆然とするのみ。 工学系で中国語でイラスト描きで本読みで・・・・
 「ものづくし」8月の、結局「目の前の物」(ヨコハマ買い出し)しか (創作のための)養分にはならないんだ・・・て下りで、泣けてくる。 ああ、そうだ、そうなんだよな・・・現実の触感あればこそ・・・とか一人むせぶ。 実際に「感じる」ことの少なさよ。もう一度歩かねば。
 然し嗚呼、何で大学の時中国語履らなかったのか>俺。同じ単位落とすにしたって・・ とか。あ、でも、独語とってたからこそ出逢った人もいた訳で。ミワ氏とか。 ・・・人生は本当に不可逆な分岐の連続なのだなと思う。 何にせよ、出会いは多い方が良い。ネットの上でも。たとえそれが否定的なものであっても・・・

 ・・・最近、「疎まれてるなぁ」と感じる瞬間が多いのでした。ネットの上でも、 実社会でも、多分に「浮いて」いる・・・斯う言うときは口を噤むに限るのだが、 俺は今も斯うして喋り続けている訳で・・・・


DEC.24.1997(WED)嫌。

 胃にキてしまった。一日食欲無し。昨夜の酒の影響が一日抜けないと云うていたらく。 アイアンレバーを・・・ああ・・・
 帰宅後、「ウテナ」の最終回を観る。正直「はぁ?」という所もアリ。 感情的にはまぁ良しとするけれど・・・SFじゃないので俺的には駄目でした。 実際SFか否かで価値基準が可成り上下するなぁ>拙者。 演出のパワーは認めるけれど・・・というか見入ってしまったけれど。 ラストの雰囲気は幾原の出自(天上桟敷よりも8mm映像系?)を感じさせる。 雄弁すぎる演出、だが物語自体の力はそう強くはない・・・「教訓」が無いからかな・・・
 結局アンシーって・・・という所でまだ意見がまとまらない。どうなのかなぁ・・・ 演出で観てる分には、幾原の中の「女性性」の象徴かしら、とか思ってたんですが。 全く思考の読めない、自分の世界に閉じこもった存在。その殻を破るのが王子様・・・ という。それが自分から歩き出した(校門をこえるの意は解りやすく、 且つ効果的で感動したが)時点で、物語が終了したわけだから・・・ 既に数話前から提示されていた「お姫様を救う存在としての王子様」の物語は、 「王子様によって救われたお姫様」の姿で終わった。そうあるべきだったのだ。 ラストのウテナの不在は、アンシーの目覚め(アンシー覚醒モードって・・・) をより浮き彫りにしているわけで・・・とかまぁそんな所しか今は思いつかないす。
 結局最後までウテナのウテナとしてのキャラクターは(それを云ってしまえば 他のデュエリスト達も同様だが(七実は別))非常に薄いままで終わってしまった。 キャラ依存の「物語」じゃなくて、物語「構造」を主体に描いた結果か・・・ 実は私、ラストにアンシーV.S.ウテナの大決闘があって、お互いをボコボコに 殴り合った後、仲直りする−とかいう凄いラストを想像していたので、 なんだかよくわかりませんでした。だってオープニング観たらそんな感じ・・・ やっぱ最後は拳と拳で語り合わなくちゃ駄目でしょう。 ってGガンからいい加減脱却しろ>拙者。
 エヴァに比べると(比べるな)謎が謎として提示されていない分、 「謎解き」不満は残らなかったけど・・・でもわかんないところは沢山有ります。 アンシーの過去は?ウテナとは何者(アンシーにとって何者か、じゃなく)だったのか? 結局ディオスの力って「ひたむきさ」ちゅーか気高さ、「王子様性」でしかないのか? そんなん使って世界を革命出来るのか?或いは世界を革命する、とは何なのだ。 アンシー(と彼女を救おうとする気高き若者)の犠牲の上で、理事長は世界を革命する 「予定」だったのか・・・だがそれでは理事長は王子たり得ないから・・・ううむ。 学園の門を出ることで殻を破る行為を体現した アンシー、とすると、学園の中は今も殻の中なのか (しかし最早薔薇の花嫁は居ないのだから、殻は既に破られているのか)? 抑も彼等が、「世界の果て」が求め、我らの前に描き続けた「永遠のもの」とは? エヴァ風の解釈なら、それは何らかの人間関係のあり方(友情とか)なのだろうか? 大体チュチュって、あいつ何。


DEC.23.1997(TUE)天皇誕生日。

 昼から出かける。その途上で意識を失い(やばい)、気がつくと県立図書館に 車を向けている自分。久々に新居格の収蔵場所へ行くと、新しく「近代明色」 (中央公論社 1929年刊)が入っていた。これが実に面白い。 「抛物線」よりまだイケルかも・・・「あれはね、君、言わばステッキだよ」

 帰宅後、久々にDS9をオンタイムで見てしまう。いつの間にこんなに激しい展開に・・ 無茶苦茶面白い・・・筈だが、酔ってて感情が動かない。何も感じない・・・ ICQで木戸氏とチャットしつつ、これをラストまで見て、然しまだ眠れない。 明日のことはもう頭から消えている。気がつくと明日開けるつもりだったポメリーが まる一瓶空になっているではないか。ああ・・・・
 ・・・それはそれとして、年末の事とてアニメの放送時間がまた無茶苦茶に。 タイマーセットの数が足りないぜ。情報も無いし。ああテレビ雑誌買ってこなくては。 デッキ一台は既にビバリー録画専用機と化しているし・・・もう一台デッキが要るな・・・
 そう言えばこのところ、夜は全部イデオンに吸われていたのだけど、 先日漸く全てを見終わったす。ので、そろそろその間の録画テープの山と 格闘を開始しなければならぬ。うう。 然しイデオンは凄かったす。TVシリーズ通して観た後「発動篇」を (「接触篇」は、アレはあんまりだ。当時の評価はどうだったのか)観たら、 もう何も云えぬ。無茶苦茶だ。無茶苦茶だが、凄い。 圧倒される、というか・・・よくもここまで強烈な作品を作り得た物だ、と 今更ながらに感動したり。客観視を許さないほどに観客を作品世界へ引きずり込む その画面と台詞のパワー・・・。古い物を有り難がるのはアレだけど、 でも矢張り一見の価値有り、でした。
 なんか、今年のBSアニメスペシャルではイデオンやるらしいし・・・ もしかしてイデオンブームなのか?(ってソレうちの周りだけやっちゅうねん)

然し確かにこりゃ凄いわ。 久々に何というか・・・衝撃を受けました。「ホビージャパンを、世間と思うな」て 格言を思い出します。みんながみんな、ヲの素養を持って ネットに上がってくる訳じゃないのよ、という事・・・居るんだなぁ、こういう人も・・

道路に文字が書いてあって・・・


DEC.22.1997(MON)ナイトメアビフォクリスマス

 何だか哀しくなってしまった。惨めである。 自分が惨めだと感じてしまう程に惨めな事は無い。 ムカツキや怒りを通り越して、今はただ哀しい。何で俺は・・・ 一体何の因果でこんなにも相容れない人の下で、 深夜の2時過ぎまで仕事をしていなくてはならないのか。 全ては人間関係にその原因を求めるものだが・・・

 何もしたくない。それが今の本当の気持ち。 そうやって、ますますゲンジツからの乖離は進んでいくのだ。 一体これからどうしようというのだ>拙者。 どこへか行こうと云うのか?或いは死ぬか? 何故僕はこうも他人とのつき合いが下手なのか・・・ 殆ど対人恐怖症である。
 自信という自信の全てが破壊され、失われてしまった今。 たった一年にも満たない「社会人」生活で、これだ。 弱すぎる。これでこれから先何年も、生きていけるのか。・・解らない。
 自分の行動に、何の自信も持てなくなった。 全てを否定的に、批判的に判断する人間の下で半年もいればこうもなるか。
毎日毎日報告の度に「本当にそう?」「ちゃんとやったの?」「本当に?」 「完璧に?」「絶対?」「もし違ってたら、責任取れるの?」と 問われ続けている。勿論出来ていなければ痛烈な非難が待っている。 聞こえよがしの「彼はもう少し仕事が出来ると思っていたんだけど」。 指示を受けてない仕事を「当然もう出来てるんだろう?」と聞いて来て、 出来ていない、と答えると「今まで何をやってたの?」だ。
 僕はもう何も出来ない。何をやっても非難の対象でしか無い。何をやっても 仕事として認めて貰えない。僕は無能だ。彼に認めて貰えるほどの仕事は 一生かかったって出来無いだろう。僕には、もう、何もできない。

 彼処は、あのカイシャは、仕事エリート達の住む場だ。仕事に夢と情熱をかけられる 「向上心」の塊みたいなヒトタチが生き生きと深夜まで働いている。 僕の如き暗い禁治産者の居る所ではない。だが辞めてどうするという展望があるわけでもない。 ただ苦痛から逃れたい一心での退職は、情けないけれど・・・・


DEC.21.1997(SUN)

 目が覚めたら昼だった。
 先日買ってきたCDをぼー・・・と聴いたり、パソのHDの中身を MOに書き出したりしていると、日が暮れた。

 それだけの、一日。読まず、描かず。


DEC.20.1997(SAT)

 「後ろ向き」に転化していく。

 休日出勤。終日仕事。だが、現実的向上心の無い人間には 仕事などまともに出来よう筈もない。 カイシャの中での(いやさゲンジツ社会での)僕はもう終わりだ。 寧ろ、僕の中では「既に終わっている」。いつかクビになる日まで。 23にもなって何を幼稚な事をとお笑いかも知れないが、 「不快感」は常に有る。折り合いをつけて生きていける程に成長できていない。 ・・・何を言っても辛いだけだ。全ては自分に返ってくる。 諸悪の根元が、結局自分の意識・態度にあるのは明らかだからだ。 向上心(或いは闘争心)のない人間は、死ぬばかり、だ。今の様にうしろむきな 生き方を続けていては・・・
 全ての事象について「自信」を喪失していくのが解る。価値観が薄れていく。 限りなく灰色に近付いていく。「摩滅」と言うより、「散乱」という感じ。 それなりに苦労して作り上げた「個人的見解」は、それを維持管理しなければ あっという間に散逸してしまう。
 如何にして生くべきか。今は少し考えると直ぐに無常観に行き当たってしまう。 何も彼も虚しい。暖かくもなく寒くもなく、言わば虚無い。 内からわき上がる様な力も気力も全く無い。有るのは精々本能的欲求位だ。 空虚な日々。虚ろな心。怒りも悲しみも無い・・・・ 明日への希望が、夢が、目標が無くては、ヒトはヒトたり得ないだろう。 その意味で僕は既にヒトですら無い。ヒトで無し。何だ?


DEC.19.1997(FRI)

 いつ終わるとも知れぬ死の行軍を続ける会社を9時前に抜け出し、 某メーリングリストで教わった トラットリアのプレーゴ!97を(割と今更だが)買う為 久々に某CD屋へ行ってみた。が、目当てのCDは無し。 気がつくと高橋幸宏の新作とかエスカフローネのベストとかロケット団のシングルとか 買ってる私。うああ。気を取り直して別のCD屋へ行ったがそこにも無し。 ふと目を上げるとモダンチョキチョキズの「ボンゲンガンバンガラビンゲンの伝説」が・・・ 今更買うか>俺。でも結構探してた時期もあったし、買わざるを得なかったのさ。
 車の中で聴いていると、脳が幸せ。やっぱ昔欲しかったCD、てのはその事自体に 付加価値がついてしまってアレですが、でもいいわ〜これ。舞台のかをり。 昔、深夜、毎日放送かどっかでこの「ボンゲンガンバンガラビンゲンの伝説」を実際に 舞台上でやってる体のライブが放送されてまして、何か変な集団・・・とか思ったのが 「モダチョキ」全体を画面で見た最初で最後だったと思う・・・CMは兎も角。
 で。その帰り道。 人生というのはなべてこの様なものだなと感じ入るのであった。もー。ねぇ。

 然しその中古CD屋ってのが、以前は横並びの古本屋とわんぱくこぞうだったのだけど、 今日行ってみたら中仕切りをとっぱらってしまってて、一つに合成されていた。 どっちかというと古本屋側が優勢。店員もニギヤカげな兄ちゃんと姉ちゃん達で 客も多いし、店内の雰囲気も明るくなってて結構お気に入りだ。また行こう・・・


DEC.18.1997(THU)牛チョップ

 25時過ぎに帰宅。「故宮」を見つつ晩飯(ビールとラーメンのみ)を摂取。 流石に五代十国辺りになると歴史が浅くなってきてイマイチ。 やっぱ大唐の貴族文化でしょう。憧れは。それでもまぁ寝不足を押して見てしまうわな。 お陰でまだ例のポケモンも、ネット巷で大騒ぎのウテナも見てないんですが。
 ポケモンと言えば、倒れた人数に比しては予想していた程のバッシングが無いのが 逆に不安だったり。まぁ原因が突き止められないうちは報道も何も有ったもんじゃないし。 ああ、「集団ヒステリー」はアリだと思う。あり得る。様々な要因が積み重なった結果・・・ まぁ、然しPTA方面からのバッシングとかも(今のところ)無いし、 みんな冷静な感じで良いぞ。オトナじゃん。
 でも何となく・・・エヴァ以降報道関係者内にオタク密度が高くなっている現在、 オタクバッシングは出来るだけ回避する様な「気の使い方」が感じられてきていたの だけど、これなんかもその傾向なんじゃ無いかなぁ・・・とか。 まぁ然しクリスマスネタに年末年始スペシャルにとカットされ、 挙げ句打ち切りとかなった日にゃ・・・ 倒れた奴恨まれるだろうなぁ。多分。「おまえの所為で」とか。 その辺テレ東は考えてるのだろうか?

 今夜も相変わらずNMTが繋がらない。何が起こっているのか・・・ 斯う言うとき、電話とかFAXとかを送ったら対応してくれるんだろうか? 今度落ちたときに試してみよう。あ、この日記が読めていると云うことは、 もうNMTが復帰した証です。今はまだですが。全く。ちょっと・・ねぇ。 メールとか夜中しか読む暇無い拙者としては、ちょっと夜中に落ちるのはご勘弁。

正式名称を知るまで、 絶対「〜姫」だと思っていたんですが。


DEC.17.1997(WED)

 25時過ぎに帰宅。そのまま「故宮」を見始める。無茶苦茶面白い。 で、気が付くともうすぐ夜明けな時間。いやあー、何かもう駄目だなぁ、と。 もう今の生活に現実感が欠片もない。 先程読了したグイン(外伝12)の方がまだしも現実的だという。ゲンジツを一度言葉に 変換しないと脳の中で捉えきれない人間なんだぜ、とか思う。というのはこれまた 「見仏記」のいとうせいこうの受け売りだけど。ゲンジツのモノを前にしても、 生まれてくるのは観念的な切れ切れの思考ばかり。モノそのものを見ているのではなく、 其処から派生する何か、を追求してしまう。空論、という奴だ。そのタイプ。
「”心”があふれ過ぎているから、今こそブツを見直しませんか。」
いとうせいこうはこういう事を「言葉」に変換させると本当に巧い・・・

 TINAMI巡礼は今夜も続く。ブックマーク(いやIE使ってるんですが。 云っちゃいますねぇ、ブックマークて)が画面から溢れて来たので一旦整理。 もうどれが誰のページだったか薩張り解らない。飽きることは無いが、虚しさはつのる。 ていうか見るばっかりじゃ駄目でしょう>俺、的。でも見てるだけでもハマるものだ。 これだけのヒトタチがインターネット上で「まんが絵」を公開しているというのは、 多分世界的に見ても日本くらいのものでは。いやネットに国境は無いけれど。 誰だって絵を、漫画を描き得る。それだけの素養が、既にある年齢以下の日本人には 多かれ少なかれ備わっている・・・「特殊」な民族・・・(と、こういうのが今云う「空論」。 論拠無く、現象をみて直ぐに独りよがりな「読解」をしてしまう−浅薄且つ愚かな性癖・・・)。
 自分も多少は漫画絵を描く人間だと(周りの認識は兎も角)思っているのだけれど、 そう言えばいつ自分が漫画絵を描き始めたか、記憶がはっきりしない。思い出せる限りで 最古のそれは(絵描き歌ではない)ドラえもんの模写だろうか。 だからドラ絵を描くと、未だに昭和50年代のスタイル(口とか顔のバランスとか) なのだった。岡田斗司夫の云う「手の記憶」て奴ね。 その次が確かDr.スランプで、次に模写対象を探したとき、既に僕の手には アニメ誌が有ったという訳で。
 僕にとって「絵の快楽」というのは、だからまず「そっくりに描けた」快楽ありき、 な訳で。今でも模写は快楽だ。最近はそれをする時間も気合いも無いけれど・・・ あおいちゃんの頬の線をペンで何度も真似しては快楽を得ていた等と云うと かなりアレですが、某キャラの名前をノートに何千も書き連ねて快楽を得るという 人に比べればまだまだ。あああ、でも、こんな駄文書いてる暇が有れば描けよ、と・・・全く・・・

最近のテキストなど。


DEC.16.1997(TUE)尊○は讃えるもんじゃない♪

 24.5時帰還。たこ焼きとビール(晩飯)を摂取しつつTVで某NHKを点けたら 「ポケモン」の文字が。どうも今日のポケモンをみて、全国で多くの子供達が ひきつけなどの症状を起こしたらしい。

 今回の事で、アニメ「ポケットモンスター」及び「ポケモンブーム」そのものに対する バッシングが有ることは予想されますが、でもそれはお門違いというものでしょう。 云ってしまえば「人気の故」。今回の現象はテレビという媒体を使っている以上、 何にでも起きうるもの。ただ、それを見ていたのが、もの凄い集中力でドハマり中の、 無慮大数の子供だった、というのが今回の事を「事件」にしてしまったのではないかしら、 等と有り体な「感想」を口にしてしまう辺りすっかり駄目な私・・・ 後世からこのポケモンブームを語るとき、この事件はどういう扱いを受けるだろうか・・ ブームの頂点の象徴?或いは大弾圧の端緒?また当の小学生達にはこの「事件」は どんな風に受け止められているのだろうか?彼等のウワサのネットワークは音速を 超えて情報を伝達する。明日の休み時間、「真実」は彼等の間で どう語られているのだろう?

 で、ここまで書いといて何ですが、実はまだ今日のソレ見てません。 あんな事云われたら怖くて・・・・
 嘘。実はDS9(ウォーフ!)とあしたのジョーを裏録しながらNHK深夜再放映の 「故宮」を見ていたという。本放映当時結構見逃してて悔しい思いをしていたので、 どうしてもね・・・然しやっぱ中国は凄ぇや・・・。


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