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古まった日記達・1997−10(後半)


完璧にして混じり気無しの愚者篇。


自由には独自の味わいがあった。
それは、空だと思っていたグラスの底に
一センチだけ残っていたベラドンナ・ブランデーの味に似ていた。


OCT.31.1997(FRI)群青

 仕事中トイレに立って、ふと窓の外を見たら、凄まじい空模様だった。日が沈んで蒼暗い空に、 残照を浴びて赤く光りながら流れて行く雲、激しいつむじ風に揺れる木、居ても立っても居られなくなり、 定時後暫く行方をくらます。
 考えてみれば新社屋に移ってからというもの、周りを見渡す余裕もなかったのだ。冬の到来を思わせる、冷たく激しい風が 疲れて脂気の有る顔に心地良かった。
 その瞬間の大気の、空の清冽な美しさは表現しようが無い。ただただ見上げるのみ。とって返して駐車場から車を出し、 知らない道を近くの川(が有るのはカイシャの窓から見えて、知っていた)まで走った。 大きな船が入って来る様な深く広い川の船着き場の草むらに車を停めて、川沿いに続くサイクリングロードを、 空を見上げて歩いた。
 激しい風に白い蒸気を吹き流す工場の煙突、対岸の街の灯り、橋を行く車のライト、輝き始める星、耳を痛くする強く冷たい風。 −ほぼ完璧だった。どうにか晩秋の空気を吸う事が出来た訳で、ああ、これでまた、暫く生きていける。

 帰宅したのは1時過ぎだった。


OCT.30.1997(THU)

 久しぶりに健康診断を受けた。腕にぶすぶすと4回も採血針をさされて(医者が下手なのではなく、私の血管が見えなさ過ぎるのだ、多分。) 結構笑える状況。然し、自分の体内の血を意識するのも久しぶりな気がするなぁ。最近怪我とかしないし、ひげ剃りミスって血が出ることは 有っても、それはあくまで顔の皮の表面だし・・・。血管、の中に血が流れてて、注射針を刺すと勝手に吹き出てくる−のを見てると、 何か不思議な感じ。
 然し毎日睡眠時間が5時間を切っている様な中(ていうか深夜番組見過ぎ)で、何故か健康一杯の私の身体。 尿から糖・蛋白が出まくっててもおかしくないのだがな。流石に目は悪いけど・・・裸眼だと一番上のが見えないという。 中学の頃までは両目とも1.5だったのになぁ。やっぱ成長期にずっと暗い所で本読んだりしてると、斯うなっちゃうみたい。 そう言えば18過ぎてから新しく眼鏡を作る機会は減ったですよ。 昔は半年に一度はレンズを変えてたのだけど。このまま失明するのではと恐れたものだ。
 帰宅後、昨日のウテナを見る。全く解らん。ついてけん・・・という様な感想は此処に。 ・・・毎晩毎朝寒くなっていきます。風邪などひかれませぬよう・・・


OCT.29.1997(WED)

 あー。ネタが出ません。愚痴なら出るけど、例によって某氏に怒られてしまったので今夜は止します。ていうか何にも浮かんでこない。 今朝は結局朝まであしたのジョー見てしまって(力石が倒れるところまで見ないでは寝られるものではない)眠くてボロボロなんです実は。 社会をなめてるよな>俺。甘えん坊ですねと言われる所以である。あああ、そうなのだ・・・ってまた泥モードに。いかんいかん。
 ネタ無い夜の恒例、落描きでも見ていって下さい。それでは。


OCT.28.1997(TUE)

 昨夜は素晴らしい星空だった。深夜に帰宅して、車を降りると、空一面の星。思わず見とれてしまうのだった。 で、案の定というか今朝は恐ろしく空気が澄んでいて、滅多に見えない遠くの山まで見えたという。別の町に居るみたい。 やっぱ秋はいいねぇ。繊細さの際だつ季節よ。
 ・・・・然しそれを味わおうにも、仕事(場)が煮詰まっていて、心理的余裕がどうにも。昨日今日と割と本気で「逃げ道」を探している自分。 うーん。でもなぁ・・・結局金がないと生きていけないもんなぁ・・・という。金・・・・宝くじでも当たればねぇ。 自分が何処へ向かおうとしているのか、それを見極めないと・・・
 等と言いつつ久々にバーチャ2(サターンの)やってたら夜が明けてしまったという。何処まで駄目になるのか>俺様。

・さっきすけさんとこの日誌覗いて、「戻る」したら、 えらいデザインがリニューアルされてて吃驚した。うねうね動いてて凄すぎ。なんつーか、もう別次元。うーん。 何か、もう完全に負けてるよな・・・勝ち負けじゃないけど・・・ううう・・・何か対抗策を考えねば。 ってその前にせめて描くべきものが有ろう。我に時間と集中力を。あとセンスと画力。

・告知し忘れてましたが、試験的に相互リンクのページを作ってみました。 何かチェック漏れが有るような気がするのですが、もし心当たりの有る方はお知らせ下さい。今後とも宜敷。

ガラックの過去(嘘かも)が暴かれていくDS9を観つつ・・・オブシディアン・オーダーの過去・・・面白い・・・。


OCT.27.1997(MON)狐之嫁入

 すけさんとこでも遂にエヴァが終わったらしい。 然し成る程斯う来るか。僕はあのラストを見て三ヶ月、布団の中から出られなかったですが。ええ。 あのラストは「悪意」以外の何者でもなかった・・・僕にとっては。 「批評」は孤独を埋め会う行為(岡田斗司夫)の筈だったのに、結果孤独がいや増してしまったところがこの作品の凄い所で。 いくつかパターンは有るとは言え、それでも互いの意見(解法)は決して相容れないのだった。
 人は本来孤独だ。心底欲しいのは暖かい毛布と温かい食事。それと「外敵」から守ってくれるほの明るいシェルター。 斯うしてみると、ゲーム帝国皇帝(皇帝箱の中に入っていて、日がな一日パソ通とインターネットをしている)の生き方は 悪くないのかも知れない。
・・・斯う言うの、胎内回帰願望だよな。えーと、何だっけ、ああ、忘れてしまった。香山リカは何と言っていたっけ。

 まじめに生きろ。


十字巷路に秋のふんすゐ。
はやひとり探偵はうれひをかんず。


OCT.26.1997(SUN)晴れ。

 この数日で一気に自滅寸前まで走ってしまった。いや、既に自滅してしまった。金曜の午後、 職場の上司に今までの愚痴をぶちまけ、まあがんばれとなだめられるのが嫌で、仕事を放り出してそのまま逃げてきてしまった。 最悪だ。あまりにも子供過ぎる。が、それが事実僕の取った行動だ。それだけの男だ。
 会社・仕事の事を此処に書くのは躊躇われるが、結局ボクは仕事をしている社会人な訳で、けしてそれから自由ではいられない。 結局「責任」という奴が急に重くなってきたのだ。形のないモノがこんなにも重いなんて思いもよらなかった。 それは裏を返せば今まで如何に甘えて生きてきたかという事でもある。だが、本当に辛い。ツラいのだ。 責任が辛い。新しい自分の行く先が辛い。自分の無能さが、世渡りの下手さが、何も彼もが辛い。本当にもう「逃げ」しか打てない。 努力して乗り越え、成長する?そんなのは無理だ。無理だよ。オーケンの歌う様に、「タチムカウ」事など出来ようものか。 僕は恐ろしい。
 社会不適応社だった事を忘れさせてくれていたモラトリアムな時代は、今遂にその終わりを告げようとしているのかも知れない。 何にでも成れると思っていた。何でも出来ると思っていた。会社なんて嫌になればいつでも辞められると思っていた。 何より、自分は誰とも違う、輝く何か、を持っていると信じていた。「思い上がって」いたのだ。若さ故の過ち? だがこうなった今もそれを捨てられない。捨てなければ新しいものは手に入らない。でも僕は捨てられない。捨てられないのだ。 今までの全てを。友人を、仲間を、アニメを、マンガを、ゲームを、SFを、そしてそれらと対面する時間だった「夜」を。
 一体僕は何処へ行こうというのだ。今まで日本一もかくやという無責任男で通してきた自分が これから先本当に逃げてしまった場合、永遠にそれを繰り返すであろう事は間違いない。今の僕がなりたいのは、 共産圏の工場で、朝の10時から夜の6時までコンベアの前に座って一つの部品を溶接し続けるような仕事だ。 最低限の仕事だけをこなして、定時には家に帰りたい。
 ・・・「甘え」であるのは解る。が、今本当に何も彼もが怖い。恐ろしい。高校来の古い友人と話す事さえ怖くてならない。 相手の言葉の全てが(いたわりの言葉でさえ)針の様に聞こえる。有りもしない底意を伺ってしまう。 かなりやばいのだ。本当に。
 ああ、本当に、出来ることなら斯うして椅子に座り、膝に毛布を掛け、パソの前に座って誰も読む事の無い、意味のない言葉を 発信しながら一生過ごしていたい。或いは布団にくるまって、一生ボリスヴィアンでも読んでいたい。収入なんて最低限で良い。 自分だけ、せめて自分が食え、光熱費及び通信費が払える程度の金さえ有ればいい。ああ、僕は僕の世界に閉じこもりたい。 嘗てのように。それが何故いけない?いけなくは、無いさ。
 僕は、あまりにも、虚栄心が強すぎるのか。何も彼もを捨ててありのままに自分をさらけ出すことが出来れば。 僕は何も出来ない社会不適応社です、と。気の合う人達としか一緒にいられません、と。 お互いに尊敬しあえ、「察しと思いやり」の関係が成り立つ様な人達とでなくては、僕は上手くやっていけないのです。 でも、それじゃ、「カイシャ」じゃクソの役にも立たないわな・・・「俺」を殺せ。滅私奉公だ。深夜まで残業しろ。 理不尽な怒りに耐えろ。自分が無能であることを認めろ。カイシャの前には趣味など捨てろ。

 嫌だ。

 だが、僕は明日カイシャへ行くだろう。上司に怒鳴られながら仕事をするだろう。あるいは土日も無く残業手当も満足に貰えないまま 深夜1時2時まで働き、家では本も読めず、また足りない睡眠時間で居眠り運転をしながらカイシャに向かい、 そうやってだんだん「帰れなく」なっていくだろう。・・・・あまりに流され過ぎているのではないか。 立ち止まり、「本当に自由な空気」を吸ってみるべきではないのか。あの味を。「本当の自由」の独特の味をもう一度。
 夢見ることしか、出来なかった。夢見ることしかなかった。今もそうさ。

 結局「夢」に向かって努力することの無かった人間の戯れ言は此処でオシマイ。次の日記は明日か来週か来月か・・・

:先日取り込んで、HTML化してUPするつもりだったけど、何かもう駄目なんで取り敢えず。


OCT.21.1997(TUE)

 朝、”221B戦記”を聞きながら車を走らせていて、宮村のアスカ声が流れてきた瞬間、何だか解らない懐かしさの様なものが 心を駆け抜ける。ノスタルジックな気持であの声を聞くことになるとはね・・・何というか、中高時代の友人達の声が入ったテープを 思いがけず見つけて聞いている様な気持だった。「心を濡らす秋」である。自分にとって、現象としてのエヴァは終わらないが、 作品としてのソレが遠くなったのをしみじみと思うことである。もうあれから随分経った・・・

 今日は早く帰って寝るぞ、と心に決めて9時前には帰宅。所が帰ってきて掲示板を見たら「カラオケやってるよ」という。 結局そのままとって返して(馬鹿かも)11時半まで歌い倒す。仕事のために趣味を削るようなことだけはしたくない、という心が こういう無謀な行動に駆り立てているのだ。昨今カラオケ行為自体に興味嗜好は薄い。ただ有るのは、その空気。 だがしばらく行ってなかったからか、ノリについていけない自分。高揚感は薄く、疲労が残る。
 所で、此のカラオケは例によって旅立つ人の送別会なのだ。みんな出て行っちゃうなぁ。 花に嵐の喩えも有るが。永遠に同じモノなんて無い訳で。でもホントに別れるばっかりの最近。「新たな出会い」が少ないんだよな・・・ もっといろいろ顔を出して回らなきゃ。ていうかそれ以前にせめてもう少し人当たり良くなれよ>俺。
 こないだの未来潮流だかで出てた「他我認識」能力って言葉が便利だから(本来の意味からは逸脱して)使っちゃうけど、そのそれ、 他人にも我があるって事をなかなか明確には想像できない。生まれたての赤ん坊だって出来る事なのに。 相手の心を思いやれない、自己中、お子様なんだよな・・・基本的に。俺が俺がの世界で。で、気がつくと一人で喋ってる。 ・・・・悪気は無いんだよう・・・でもヤな奴であることは認め猿を得まい((c)伊藤ガビン)。 「決して他人と解り合うことは出来ない」ていうのと、「他人を思いやれない」ってのは違うわけで。 そう言う根本的こみにけいしょん能力の欠如が、この歳になっても一向に改善されない辺り、つくづく・・・・

 本当の意味で他我認識が難しいのは、それが無い「物」にさえ我を感じてしまう人間だから、という事だったと思う。つまり メカに心は有るか?人工知能に「ゴースト」は宿るか?というアレ。等と考えていると、今更ながら士郎正宗は深い。 読み手の志向に応じていくらでも読み方が変化して行く・・・


OCT.20.1997(MON)

 もー無茶苦茶。どろどろ。どろどろろ。口を開けば下らない愚痴が出てくる。せめて、諦めない事だけ・・・・ 無茶な夢でも見ることくらいは許されよう。お休み。


OCT.19.1997(SUN)晴れ。

 ものすごく壮大な夢を観た−記憶だけを残して目覚めると、外は夕方。この限りなき脱力感。 スパゲッティで空腹を満たし、近くのCD屋まで車を飛ばす。 筋肉少女帯「最後の聖戦」、原田知世「I could be free」、「ポケットモンスター」テーマ曲、コニーちゃん「バブルバスガール」 を勢いで購入する。あとカメラ屋でUVフィルターとカセットテープを。更に図書館に寄って本を返し、 帰宅してからCDを一通り聞く。この間3時間。更に読むつもりだった本に目を通そうとしたが、敢え無くタイムオーバー。 ああ、貴重な時間は斯うして過ぎて行くのだ。ていうかきっちり朝起きろ。
 然し「最後の聖戦」は詩の方向が違いすぎて、いまいち。格闘系の素養が無いからなぁ>自分。221Bも聞けば聞くほど 「違う」なぁ、と。まぁ俺とは違ってオーケンは転がり続けるのだろう・・・・原田知世もイマイチ。詩がナメてる。 結局一番泣けた(結局泣きたいのだよ・・・)のがコニーちゃんだってのは、どうなんだ。

・「世界遺産」がサンティアゴネタで燃える。サンティアゴと言えばレズニックだよな・・・・ ああ、巻頭の言葉一時暗唱できたのに、忘れちまった・・・

・昨夜(というか今朝)からフォーチュンクエストとバイファム(再)が始まっていた事を今知った。 ぐあああ。チェック甘過ぎ>俺。ああ、こんな事では・・・負けんぞ・・・・

・すけくぼ氏から10000祝いを頂きました。アリガトウゴザイマス・・・。

本日付けテキスト


OCT.18.1997(SAT)飛田まゆ。

 ・・・既にこどちゃを通して5回観てる。最後の歌のシーンだけなら30回を軽く越えている。 コマ送りして模写までしてしまう。いやー、何か凄すぎて。 ううう。ううううううう。うおおおおおおおおお。

・昨夜が遅かったので、昼まで爆睡。目覚めても今ひとつ動く気がしない。ぼんやりしてたら日が暮れた。 上記の行動及び昨日の「ご近所(再)」と「ガガガ」を観た以外、何もしてない日。酷く眠い。寝たきりになれたら・・・

・久々に某本田技研の二足歩行ロボを観るonETV、番組自体は人工知能ネタで色々・・・ 人工知能はそれを人工知能だ、と認知する人間側にこそ最後の問題が託されている訳で。人形にだって魂は入るらしいし。
 何か「魂」の基本システム自体は単純な機構なのかもしれないなぁ、という気はするですよ。根拠はないけど。 ていうか、器は単純なんじゃないか、と。冒頭で、手足の機械=身体と、制御してるコンピュータ=脳と、もし魂があるとしたら どちらにより魂は宿っているか、という話が出ていたけれど、実際「魂」ってのは別の次元に有って、有る程度器が整っていれば 自動的にアクセス出来る様になるんじゃないか、とか思う。神秘的で大仰なものってのは、単純な機構で(一見)あっさり 真似できたりするじゃない。で、そう言う場合、我々の関知し得ない裏では複雑な系が処理をしている、と・・・いう感じがする ・・・うーん・・・。良くわかりませんねどうも。
 コミュニケーションは真似をする行為から発生する、というのは可成り的を射ている感じで面白かった。 然し「それだけじゃない」のも解る・・我々は何を持って他の存在を魂有る存在と見なすか。 我々自身は確かに魂を持っている(筈だ)。コギトエルゴスムスという奴で、じゃあ猿は?犬は?猫は?ネズミは?蛙は?ミミズは? 細菌は?タバコモザイクウィルスは?どこで魂の有無の線を引くのか・・・無機物にさえ心を「感じてしまう」人間が、 その線を引かねばならないのだから、問題は簡単ではない。


OCT.17.1997(FRI)キムチ

 某氏宅で、彼の友人達と一緒にキムチ鍋を頂く。 多くが初対面であったが、それでも「同じ目をしている」人が多かったお陰で、久々のヲタ話に燃えた。 リナックスとローグの素晴らしさをとくとくと語られ、何かマインドセット変わりそう。深夜3時頃帰宅。


OCT.16.1997(THU)

 昨日のウテナを見る。うう・・・濃い・・・・。然し、そろそろ作品の「厚み」が増してきた心地ぞする。 ちっと「その意味するところ」て奴を考えながらでないと適当な事は言えなくなって来た感じ。 いや、この作品に関しては「萌え」な部分が無茶苦茶少ないので(でも面白い)「それ以外」で語ることが要求されてるなぁと。
 あと久々にタイマー録画に成功してた「お江戸でござる」を見たら、えりなかずき君が声変わりしてて吃驚した。背も伸びてるし。 然しそうなったらそうなったで演技のスタイルを変えて行っている辺り、流石と言えよう。 如何にも、という感じの中途半端な生意気さ(良い意味で)が良くハマってる。彼の演技にはこれからも注目したいもの。 ・・・それにしても相変わらず杉浦日向子先生はお美しい。 今夜の江戸講座は「おきゃん」と「おちゃっぴい」の違いについて。然し「おちゃっぴい」って江戸語だったんだねぇ。 お茶引き(お茶をひく:芸者などが、客が無くて、ひまでいる。(新明解))が語源か、という話であった。 あんまりじゃじゃ馬で男の手が着かないから「お茶をひく」。転じて手がつけられない、10代前半のじゃじゃ馬娘をそういった、という。 フム。

すけさんとこに3000カウント祝いを送ったす。慶祝えみぃ。って一時は 65535カウントくらい行ってた様な記憶もあるですが。・・・でもかなり駄目な絵。割とスランプ絶頂。 っていうか全然描いてないからな最近。描かねば。


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