971030付けテキスト
少女革命ウテナ30話(10/22)

・・・「解らない」。
一体何が起こっているのか解らない。
いや、解るんだけど、解らないと言うか・・・・
見てる間は「ふむふむ成る程」という感じで見てるのだけど
いざ斯うして言葉で書こうとすると何も確たる情報は
提示されていないわけで。

取り敢えずアンシーのメガネを光らせる技はどうにも。

話がいよいよ収束してきたという感想を抱く人も居る様だが
僕にはどーしても「見えない」というか・・・

実は形而上学的真理、即ち此の作品世界に於ける
「永遠」にまつわる「答え」が用意されるのだろうか?
或いは投げっぱなしバックドロップになっているのか・・

勿論理事長(と小安)が毎回胸はだけてるのは笑いに値するが、
その「妙なおかしみ」だけでも無い様な気がするわけで・・・

「永遠を手に入れる」とはどういうことなのか。
激走する「車」に乗った者達は、必ず「!そうか、あなたは・・・!」と
言って居る。何か重大事に気付いていながら、だがその後の展開で
彼等の性格がそう変わって居るとも思えない。

「世界の果て」を見ていながら「何も知らない」ウテナに敗れていく彼等。
斯うして、最も疑問なものが「ウテナ」の出自であり存在自体であることが
浮き彫りになっていく。一体彼女は何者なのだ。
あの棺の中の少女はウテナなのか?
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・・・と書いたまま一週間。

ウテナ31話(10/29)。

・・・思わずコマ送りしてしまう。
コマ送りしろと言わんばかりだし。
いや何処でってあんた。長谷川原画でしょう。多分。

「Q:アンシーって、もう処女じゃないんですか?
幾原:そんなの、処女じゃないに決まってるじゃないですか。」


読めんなぁ・・・相変わらず・・・

いつもの「七実の話」だと思ってみてたら
これが結構本編で。

ほんとに変なアニメ。変だよねぇ・・・


その後のビーストウォーズに最近むっちゃハマってる(ビデオ片手に布教中)
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(971030)

大槻ケンヂ「ステーシー」/角川書店/1997/7/25 新作CD「最後の聖戦」で、より格闘世界への傾倒をうかがわせるオーケンだが この「ステーシー」はそれ以前、破滅直前の欝期から立ち直り、 それまでのドロドロと対峙し出した頃の雰囲気が強く残っている。 ・・・しかし、その後幸福になったと聞く      いいな それは なんだか涙が出るな・・・ タイトルのステーシーとは少女達のゾンビのことである。 「十五歳から十七歳までの少女たちが世界中で集団的な変死をとげ、さらに  数時間後に、歩き回る屍・・・ハイチの言葉でいう「ゾンビ」と化」してしまった 少女達の事を言う。彼女らは人肉を食らう。殺さなくては、ならない。 彼女達の周りの人々は、一旦失った者を、再び殺さなくてはならない。 然もステーシーは一六五分割しないと死なないのだ。斯くて少女を切り刻む 血みどろの殺戮風景が、至る所で見られる様になった。 これを「再殺」という。 この世界を舞台に、三本の物語がある種(特殊ではあるが)オムニバス的に 描かれ、この悲しくも異常な世界を立体的に描き出す。 導入と結末に登場する作家見習い渋川の性格的なものは、その風鈴の音と合わせ 筋肉少女帯のCD「キラキラと輝くもの」を強く連想させる。 この本のタイトルこそ「ステーシー」(「キラキラ」の前のCDが 「ステーシーの美術」で、この作品の言わばサントラ。もう一つの姿)だが、 これは「キラキラ」とも併せて読まれるべきであろう。 「風鈴は、どんなに寒い冬の日でも、風が吹けば鳴るんだ。  どんなことが起こっても、私はね、いいように考えたい。」(p191) 当時のオーケンの一面、全てを受け入れ、苦しくとも 良い日が有るから生きていこう、とする姿が此処にはある。 決して克服できない自分自身の「弱み」と対峙する姿。 その渋川の、下駄履きの視点に挟まれ、本編たる「ステーシーの美術」・・・ 女子校(当然今はステーシーの巣)に乗り込んだロメロ再殺部隊の 悪夢と奇跡が展開される訳だが・・・・これがもうキレまくった 「残酷シーン」のオンパレード。 平井和正の暴力描写をこよなく愛する作者の面目約如と言った所。 ページ配分としては「序章」が40P、この「ステーシーの美術」が90P、 そして終章がやはり40P、という些か奇妙な感じのする構成である。 まして終章には二つの物語が詰まっているのだ。 だが、この一見巧まないアンバランスな構成、不規則さが、 ある種のリアルさを生み、またブンガク臭を醸し出している様に思う。 終章の「違法再殺少女ドリュー」の少女一人称の強烈な文体も流石だ。 ファイティングバイパーズのハニーのコスプレで(と、まんま書いてある。 お爺ちゃんが物持ち良くて・・・)自分と同年代の少女の再殺を請け負う・・ という気合いの入ったキャラを、見事に創出している。 ・・・ラストのあっけなさも、何だか懐かしい。 或いは畸形少女達が「またいつか!」と別れていくシーンの 「何処かで観たような」格好良さ・・・ この辺、作者の七〇年代SF嗜好が良く伺える。 然し当時でもこんな内容を書いた作家はそうは居まい ・・・ああ、平井和正か。然しそれでも 「十五歳から十七歳の少女のゾンビを殺戮する部隊」の話なんて そうそう出てくるものではあるまい。 「グミチョコ」は兎も角、「くるぐる」やこの本を読んでいる限りに置いて、 オーケンの「SF作家」としての技量は非常に高い。 私にとっては、CD共々買って損無しの「作家」という訳・・・・ 装丁がちょっとねぇ・・・買いにくいかも・・・ でもおススメです。無理にとは言いませんが。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (971030)
栗本薫「フェラーラの魔女」グイン・サーガ外伝11/早川書房/1997/10/15 グイン!ああ! やっぱりこの”王さま”がメインだと雰囲気が全然違う。 矢張り彼こそは、この壮大なサーガの主人公に相応しい。 然し・・・P228で冗談を言うグインのハードボイルドな格好良さがもう。 矢張りシブい男は阿呆な冗談を一人で言っててこそ。 黄昏の国の赤い街道をぬけ、ものごとすべての境界なる ノーマンズランドをよぎり、キタイの一都市 フェラーラへとたどり着いた一行。 ここで描かれるのは、クム等の「キタイふう」ではなく、 「キタイそのもの」なのだ。かの伝説の、噂でしか聞いたことのない国に グインと我々読者はこの世が始まって以来、初めて立つことになる。 このフェラーラはキタイとは言っても特殊な位置にある。 古くから魔都と言われ、妖魔と人間(或いはその混血)が 長らく共存している都市である。 ここではグインの姿もそう珍しいものでは無い。 グインのような亜人がそこらじゅうに居るのだ。 もういきなり世界が(中原とは)違う。 キタイという国そのものは、今竜王の手によって大きな変貌を遂げつつある 様だが(という話も出てくる)−。 これから以後、中原とはまた別の世界が展開されていくのかと思うと 楽しみでならない・・・・でもあんまり「魔」に寄りすぎると ヒロイックファンタジーじゃなくて伝奇物になっちゃうかも・・ 妖魔のリアーヌと人間の乙女ナディーンの頼みを聞くべくこの街へやってきた グインだが、そこで待っていたのはグインの唯一の記憶、アウラ/ランドック という言葉に良く似た、ランドシアのアウラ・シャーという神の名だった・・・ 本編で全滅だけが伝えられていた、あのパロの魔道師団の亡霊や キタイの竜王、そしてグラチウスも登場し、挙げ句には グインの出自さえ明らかに・・・ 展開密度の濃さは矢張り外伝ならでは。その中で、ちゃんと異形の化け物と 大だんびら一つで渡り合うシーンなどもあり、全くサービス満点。 とにかく無茶苦茶面白かった・・やっぱグインはいいねぇ・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (971030)

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