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街頭小景


 上海の夜、わたしはバンドを歩いてみた。そこには、無數の「夜の鳥」が、それゞゝに固有な嬌態をみせつゝ歩いてゐた。白系ロシヤ人が一番多いといふことであるが、大概の國の女たちも交つてゐるとのことであつた。が、わたしは彼女等に美を見出さずに、その翌朝ショートスカアトを午後の風に翻し、ハンド・バッグを小脇に抱へて極めてスマートに、彼女のオフイスに通ふイギリス女に、何ともいへぬC新美を認めたことがある。それ以來わたしの瞳は、特に好意を持つて職業婦人達に注がれ出したのである。
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 新宿で省線を降りるわたしは、急いだときはタクシーを、急がないときはバスを利用するのが常である。であるから、バスの女車掌たちにはよくお厄介になる方である。バスでは本が讀み難い。そこで、自然と女車掌の動作を見戍ることが多い。中には非常な美しい上品な、人がゐる。脚線美のすぐれた人もゐる。
 女車掌は眼のパツチリした方が活動的でいゝ。眼のパツチリした鼻筋の通つた、そして、身體の均整が取れて、言葉が明晰で、親切な、いはゞ理想的な女車掌を見たことがある。もしも彼女がその脚を絹の靴下で包み、その唇をルーヂユで染め、サローンの午後の安樂椅子に凭らせたらば−−とも空想したことがあつた。
 でも、そんな晝閑婦人の色彩をもつて、彼女を彩つてみることはいけないことだ。やつぱり黒のガスの靴下がいゝのだ。ハイ・ヒールでない粗末な靴がいゝのだ。無雜作な帽子、兵卒のやうなバンド、彼女の折襟の白さこそ好ましくあるのだ。
 彼女たちは、よく働く街頭職業婦人である。であるから、乘客が多いときに、彼女等の溌剌な美が踊るのだ。時々、客の少い、といふより乘客がわたし一人であるやうな場合がある。すると、女車掌はのんきさうに運転手に話しかけてゐる。その圖は好ましいものではない。わたしのやうに想像ずきの男が、その圖から開展させる想像畫は、妙に下司張つて來るからである。少しく大都會の交通機關の一つであるバスにふさはしくない想像に落ちるのである。紺色の服、同じいろの帽子、黒の靴下、お白粉の身だしなみも結構だ。そつと忍ばせた香水だつて誰に咎め立てをする権利があるか。
 都大路を自動車が流れる。電車が通る。それに交じつてバスが・・・・・そしてバスには女車掌。
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 ガソリン・ガールには、わたし達は直接に何の交渉もない。汽船の給水におけると同様、ガソリン・ガールは自動車に活力を與へる重要な任務をもつ。
 わたしは内幸町を歩いてゐた。そこへ一臺のオートバイがガソリンを詰替るべくかけつけた。生憎、ガソリン・ガールは休んでゐた。
 「何だ、居ないのか」さういつて疲れ切つたオートバイを引張つて行つた青年のがつかりした姿が、ありゝゝと目に残つてゐる。
 わたしは目じるしの、シエルと英字で書いた街頭のガソリン供給の小舎に近づいた。管理人×××子その人は休日でゐなかつた。
 街頭のまん中に黄色のポンプ、その前に小舎。小舎は小さい交番にもたぐへられる。
 ガソリン・ガールの居所らしい小舎だ。窓の小いのも女らしい小舎の表現である。屋根の色、小舎の色。思ひ做しか何となく物優しい色に思へる。それに春の夕日が照り添つてゐる。ほの白い薄明のなかに「火氣嚴禁」がハツキリと浮かんで見える。
 管理人のガソリン・ガールの休みの日だ。どんな人だか知る由もなかつたけれど、どうも、その人が知的美の持主で聰明さうに思へてならなかつた。
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 都大路の夕ぐれどきは一しきり忙しい。自動車が流れる。電車が通る。バスが走るのである。

(尖端社 街の抛物線 p241-244)


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