参横タハル

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【タイトル】 参横タハル
【登 録 名】  JUN_74.LZH (ORION97.MAG/NEKMM.MAG/JUN74.DOC)
【制作者名】 [JUN]
【掲載月日】  97/9/2
【制作環境】 マシン:PC-9821V10  スキャナ:GT-5000WINP  ツール:MPS
【動作環境】 MAG観賞可能環境なら。
【再 転 載】  御自由にどうぞ。連絡無用。連絡してくれたらウレシイですが。
【苦情宛先】 ドキュメント末のID或いはEm:junichi@nmt.co.jp へ。
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コンニチハ。
お久しぶりの方は、お久しぶりです。
はじめましての方は、初めまして。
随分しばらくぶりとなってしまいましたが、
ダウンして見て頂けたようで、幸いです。
アリガトウゴザイマス。

夜明けに上ってくるオリオン座を見ると、まだ9月初めというのに
妙に肌寒くなるのは私だけでもないでしょう。

やっぱり冬のイメージが強い星座。
何よりわかりやすいし。(他にあんまり知らない・・・)

大学受験期、眠け覚ましに夜の田圃を突っ切って走ったりしてたんですが
あの頃が一瞬にして甦ってきます。永遠に続くかと思われた冬。
だが冬だからこそ暖かかったのだと今更知る。

今でも夢に見る。あのお祭り的受験シーズン。
胃の痛くなるような緊張感を抱えながら、
東京方面へ受験に行くのをまるで修学旅行の様に
準備している自分。

あれからもう5年以上も経ったというのに・・・。





さて近頃のテーマソングは
「明日の命を繋ぐ為 今日と云う日が消えて行く」。

井荻の詞は心を揺さぶる。偉大なる先達だ。蹉跌の。
ああ。それでも時は流れる。
・・それでも明日はやって来る〜。忍空も又見たいですねぇ。
車のCDチェンジャーにサントラ入ったまま・・


いや、矢っ張り人並みに生きてくのは大変だなぁと。
お金を稼ぐのは大変。バイトとは違うさ、そりゃ。
でもホントに。自分の無能力さを改めて思い知るわけですが。





何か面白いこと無いですか?






・・・もう駄目。インプットする時間が激減した。
一日1時間程度の「趣味時間」は、テレビを見ただけで終わってしまう。
或いはHP用のの日記を書いたり、ちょっと本を眺めたらもう朝が来るのだ。
パソ通にマトモに書き込みしなくなってから
もうどれくらい経つだろう?

こういう状態になって初めて
自分がどれほどパソ通に依存していたかを知るですよ。
パソ通での会話は生活の糧。それは、現実に食事をしなければ飢えるのと
同程度に重要だと。然しそれに気付いたところで・・・

アクセスしても、未読処理が出来ない。
アニメを見ても、漫画を読んでも、感想を書く気合いが無い。
書くという行為だけは続けているものの、実際は
HPでの日記だけが、誰にも読まれることなく溜まって行く現状。

ホームページ日記というのは明らかに、(私にとっては)精神的に
良くないもので、いい加減止めねばと思ってるんですが・・・
虚言癖を必死で押さえて、それでも自分の心とは違う
偽りの「感想」を書いてしまう。

人は、他人に見せない日記の中でさえ見栄を張る生き物だと
新居格も言っていましたが、それが他人に見せるものであれば尚更。

推敲もせずにだらだらと書いて、後で読んで、ああ、
俺は下らない見栄を張っている・・と自己嫌悪に陥る。
それを毎日繰り返していると、文章感覚が無茶苦茶になっていくのが
自分でも分かる・・・。日記の中でさえ、自分の価値観で語らなくなって久しい。
他人の言葉の、その改悪を連ねた様な文面。薄い「自分」。

それでも、結局自分で自分を騙すことは出来ないと思ってたんですが、
騙されやすい私。斯くして駄文は日々、貴重な時間と引き替えに
積み上げられていく。


下手な見栄で張った鍍金など、語れば語るほど自己矛盾で
剥がれてしまうもの。一番良いのは、黙して語らず、なのだぜ。
・・・いや違う。語らなければ何も伝わらない。問題は何を話すか、何を伝えるかだ。
「主観」が無くては。独自の美意識が無くては文章は(或いは全ての表現は)
意味を為さない。「私」のキャラクターを見失ってしまった。

虚飾を剥ぎ取った後に残る何か。虚飾を拭う努力無くしては。

だが、贅肉を削ぎ落とした後に、何も残らないのではと言う恐怖も有る。
このテキスト自身がそうだ。無意味な言葉の羅列を剥ぎとった後には、
何も残らない。何も無いのだ。主観がないからな。
ただ頭に浮かぶ文字を連ねているだけに過ぎない。

言葉で語ることの難しさよ。語った端からそれは偽りになる。
いや「真実を語ることは出来ない」というべきか。
言多ければ唇寒しというか、文字を重ねれば重ねるほどに「大切さ」が失われていく。
毎日毎日、可成りの時間を費やして書いているあの「日記」とは一体何なのだ。

全くの無意味どころか、自らを崖っぷちへと追いやっているだけだ。

どうせ書くなら甘美な虚構を。希望はその一点にある。
「書く行為」を止められない以上、それしか逃げ道はない。

或いは日記の最初に宣言するべきか。
「この日記はフィクションです・・・」
事実、客観性の無い個人的感想など、全てフィクションなのだからな。
然しそれで楽になれるかと言えば・・・




偶にこうやってDOSを立ち上げて、WTERMで「パソ通」をする。
文字だけの、プリミティブな画面上で
賑やかに交わされている会話を覗き見ていると、
自分が何だか随分遠くへ来てしまった様な気がしてならない。
ここには望む全ての物があるというのに。DOSの画面の暗さ、飾り気の無さが
テキストと人間の間の壁を薄くしている。向こう側への想像力をかき立ててくれる。
「膜」の薄さに置いて、パソ通は矢張り強い。
以前私が言っていた「インターネットによって活字主体のBBSは滅びてしまう」
様な事は有るまい。少なくとも現状の活字主体のシステムが、何らかの形で
生き残る事は間違いないと思う。

どうにかして「パソ通」へ帰らなくてはと思う。
「会話」をしなくては。と。
少なくとも「会話」のなかに嘘は混じらない。会話というのはそういうものだ。
「語り」とは違う。




二つ、あるいはそれ以上ある、どっちの道を選んでも、後悔する可能性は高い。
後悔しないように生きる事は不可能だとも思える。
自分の居場所が常に「ここじゃない何処か」だとしか感じられないのは
単に若さ故の「青さ」かとも思ったが、どうもその呪いは死ぬまでつきまとうもの
らしいと最近気がついた。
「今」を生きなくては、いずれにしろ後悔しよう。それが苦手な私ではあるが。

・・いや違う。違うんだ。単に今の状況から逃げ出したいだけだ。
モラトリアム期のあの膨大な時間の殆どを布団の中で過ごした人間に
「ここじゃない何処か」を求めて旅立つ気合いなど有ろう筈もない。
「たびにん」は語るより以前に旅を始めていた。

・・・ああ見よ。書けば書くほど下らなくなっていく。
限りなくゼロに近づき、その自重だけが存在を表すものの、
寧ろ何もない方がより好ましい。

それでも書かずにいられない。何故だ。糞。
何故この期に及んでまだ書こうとするのか。
そもそも誰に向けてこの言葉を連ねているのか。

問題は、「このままでいいのかどうか」と言うことだ。
俺ってこんなで本当に明日を生きていくのかなぁ?という事。
日々しがらみに巻き付かれ、ますますフットワークを欠いて、
いずれ老いて死んでいくのか。そう思うと、ただ、重い。
明確な将来のヴィジョンが無かっただけに、今という状況に対して
それが失敗なのか成功なのか、その判断さえ出来ないのだ。
夢は有っても漠然としすぎていた。
仕事に対する熱意も薄いまま、はっと気がつくともう7月も半ば。
この伝で行くと、はっと気がつくと10年経ってたりするんだぜ。
嘗て年寄り達に「いずれ解るさ」と言われた事共。

私の周りには「いい人」が多い。此ばかりは神に感謝するが。
職もある。家もある。車も犬も。

だが、駄目なのだ。
駄目なのだ。それだけは、解る。

表面上は兎も角、心底では決して妥協する事は出来ない。
恐らく世界が自分を中心にして回ってないと気が済まないのだ私は。
中学生の頃の自分とは決別したつもりで居たが、何のことはない
今もこうして居るではないか。

自己中心的な言動が、どれだけ周りの人間に不快感を与えてきたかを知る時、
胃の腑が縮まる思いがするが、だからといって態度が改まるものでもない。
結局はコドモなのだ。悪い意味での。

もう23だぜ?


いい加減周りの所為にして自分の責任逃れをするのは止めるべきだぜ。

或いは今直ぐ逃げ出すか。
どちらも出来ない様なら生きている価値など無い・・
いやもともとそんなものは無いのか。





永夜花村無犬吠
閑看月落与参横
       (済北集)


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