日記最新号へ
白炭屋カウンターへ

古日記 2016年4月


ズートピア篇。

APR.30.2016(SAT)曇

 息子とバドミントン。ストリングが切れて手持ちのシャトルが全部屋根の上に 消え失せるまで。右手が破滅の音を。夜久々に銭湯。

APR.24.2016(SUN)曇

 「ズートピア」観た。かろうじて子供向けを装ってはいるが、「生きづらい現代」 「女子の生きづらさ」を前面に押し立てたメッセージ性ギッシリの映画だった。内心 ケモい気分で観に行って、結果、俺は一体何をやっているのか、と打ちのめされる、 というアレ。「世間」はこんなにも生きづらい。俺はその「世間」から目をそらして ダラダラとその日暮らしを続けている。嗚呼。描かれる”悪”は、「人々を区別し、 対立させ、恐怖で操ろうとする」ものであり、今この瞬間の”悪”としては相応しいと いえる。オーソドックスな新米刑事・バディ物としても練られていて、各ゾーンの バラエティ豊かな映像にウットリするだけでも十分見応えはある。「よくできてる」 という感想に落ち着かざるを得ない、が、正直な気分、後味としては、なんとも 苦かった。世界は今、こんなことになっているのだ。世界は今”これ”を正義として いるのだ。主人公たちは「物語を通して成長」しない。ただ、”世間”に居場所を 切り開いていく。自分はこれを見て、置いてきぼりを感じた。昨今のポリティカル コレクトネスな話題に感じる、あの置いてきぼり感。自分はもはやオッサンであり、 彼我の間には何かしら谷間がある、と感じる切なさ。これは多分(これからの) 「女子」のために作られた映画だ(オッサンはこれまでであり醜いので死ねば良い)。 アニメ見て現実を知るなんて狂ってる、とは思わない。これくらいそぎ落として、 初めて伝わるメッセージもある。それはとても、苦い。ちなみに息子の感想は 「どうぶつの世かいなのに人間の世かいと同じぐらいぎじゅつがはったつしていた」 (日記より)。そこか。

APR.23.2016(SAT)雨

 wii sportsで息子と戦った後、小雨の降る中図書館で本を借りて帰る。息子の 歯医者の予約をすっかり忘れていた。

APR.22.2016(FRI)晴

 すっかり回復しつつあり。仕事をして、ご飯を食べて、寝て、起きて、仕事をして、 その繰り返しの中で、娘の重みも、感触も、匂いも、だんだん忘れていく。何もかも 「なかったこと」のように思える。去る者は日日に疎し。あの日誓った「きちんと 生きよう」という気持ちさえ薄れ、雑な生活に戻りつつある。思えばため息ばかり ついていた。穴の開いた袋のよう、なるほどこれが、と他人事のように感心したり。 あまりにもひどいので、ずっとマスクをしていた。でもそのマスクも、もう 必要なさそうだ。自分の薄情さには以前から薄々感づいてはいたが、ここまでとは。

・ここ数日「幸せの場所」(月面賛歌)を脳内で歌っている。思ってたより、 風が強いよ。


・メール下さい。:tamajun■gmail.com(■をアットマークに読み替えてください) inserted by FC2 system