白炭屋カウンターへ

ura2002

・あともう数日で今年も終わり。今年はホントにとっちらかった一年だった。焦って 色んな事をやりかけてはみたけど、モノになったのが一つもないという。今年の木の芽 時の焦りというか鬱は強烈で(まあ実際ヤバかったんだけど)、未だに後遺症の様な モノが残っている。何かを始めようとすると、あの時の思考停止のトンネルにハマり 込んでしまう感じ。他のことを意識できなくなる。前はそうでも無かったんだけど、 最近はめっきり駄目だ。どうしちまったのか……とまれ、今の内に「やりかけ」事項 のイキシニを切り分けないと。ずるずる年越ししたくない。ToDoの削ぎ落としを しよう。何か忘れてることはないか?

(2002/12)
・弱気な後輩に偉そうにアドバイス垂れてる時、奴の左手に光る指輪を見て、あっ、 俺、男として、いや人としてコイツに全然負けてるんだよなこないだ帰りに迎えに 着てた奥さん美人だったし、とか思う今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。 これからどんどん寒くなる。毛布二枚で冬が越せるかっつーの。酒、酒。

・疲れ果てて帰ってくれば、 ノビアノビオのクリスマスイルミネーションの渦からはお洒落なワカモノ達が 幸せ面して吐き出されて来る。無精髭に草臥れたコートの拙者と、その彼我の間に 横たわる断絶に”何か”を呪詛しつつ、今年350回目の溜息を吐く。何で僕はこう なんだ……カップ麺を啜りながら、呻く。足りないのは金でもない。機会でもない。 話しかける勇気だ。ああああ。そんなこたーわかってんだよ>○○○術。

・語ることが何もない。語りたいことが何もない、というべきか。あれだけ 溢れて止まらなかった言葉が何も出てこない。それはそれでいいのだろうとは 思う。元々Web日記なんてモノは「僕はここにいる」という証明でしかない。 誰かに「僕がここで生きていると言うこと」を認めて貰うだけなら、鬱陶しい 言葉の山など無駄だ。ただ、今日も生きていた、と、それだけを記録すれば いい。仕事して帰ってきて寝た。本当はそれしか無い。それ以外は全て自分とは 何の関係もないことだ。

・幻想的なフィルタが無ければ生きていけない人間なので、虚構が信じられない 時期(年に数週間ある)は本当に辛い。現実という奴にそのままぶつかると あっという間に灰になる。逆に言えば、幻想フィルタを装着できる時は、「現実」 がどんなに悲惨でも、案外どうと言うことは無い。想像力だけが現実と戦う武器に なる。そういうタイプの人間もいるということ。

(2002/12)
・「それ」を仕事と出来ないと諦めた上は、「趣味」を真面目に捉え直す必要が ある。何をしたら楽しいのか、をちゃんと捉えないと駄目だ。「何のために生きて いるのか」をもっと解りやすく、「何をしたら楽しいのか」。その結果ToDoが 積み重なってたって構わない。面倒くさそうでも、楽しそうな事には無理矢理首を 突っ込もう。逆に、止めてしまったり、途中になってたり、やろうと思ったまま 放ったらかしだったり、そういうのを「再開」する様に「努力」もしよう。そう やって「始め」てしまえば、また暫くは惰性で走るものだ。人間、始めなければ 考えない。始めてしまえば「ソレ」に向かって脳がセットを変えていくのは誰しも 体験していることだろう。案ずるより産むが、というのは違う、見る前に跳べ、でも なく、うーん、兎に角、始めて、後は飽きるまでやればいい。逆に無理して続けても 駄目。惰性に任せ、且つ惰性の間は楽しむ。厭きたらまた新しい事に目を向けよう。 軽佻浮薄結構、小さな変化でも、その目新しさを単純に楽しもう。自らも変化し 続けよう。そして「自分」を押さえ込む有形無形の「期待」を裏切り続けよう。 ジェット・ブラックの格言に曰く「まったく期待を裏切ってくれるってな。だが、 それでいい。誰も思い付かない事をやりてぇじゃないか。見た事もない事、聞いた 事もない話。仲間達はそれをけっこう楽しんでいるのさ」。書き手が読者に 対して出来る唯一の事は、読者の期待を裏切る事だそうだ。それは人生も同じ。 楽しませ、楽しもう。

・などと考えるのは、勿論「それができないから」なのだけど。

(2002/12)
・めっちゃ気にしてるけど、気にしてないフリをしてたら、そのことを「あんた バレバレやで」と冷ややかに指摘された。恥パラメータMAX。恥ずかしいとか ミットモナイとかいう感情って暴走し出すと止まらないな。

・帰り道、発作的に夜中の道を部屋とは逆方向に飛ばしてみる。真っ暗な道を、 真っ暗に向かって。時々見えるパチンコ屋の明かりとラブホのサーチライト。なんか もー、駄目だ。耐えられねえ。仕事してる間はいいけど、我に帰った瞬間にドッと 来る。スティーリー・ダンを!THE CAVES OF ALTAMIRAが流れてきた辺りで昔の職場 の跡(今は更地)までたどり着いて、あー、ここから随分来た気がしてたけど、何にも 変わって無えよなあ、と、ホントに何にも変わってない事にゲッソリとする。このまま 過去を辿って靴箱の中の黴びた給食にまでたどり着けばそれはそれで。或いは海まで 出てそのまま泳いだりとかな(死ぬ)。でもそんな事も無く結局まっすぐ帰って ビデオ見て寝た。ヌルクナッタ。

(2002/12)
・自分で自分を追いつめる日々。やらなきゃ出来ないんだってば。やろうかどう しようか迷ってる時は、絶対に出来ない。始めてしまえば(結果は兎も角)脳味噌 は目標達成に向けて動き出す。夏休みの宿題からこっち、経験で解っていても、 ずるずると「始める」のを先延ばしにする人生。見る前に飛べ、なんて唱えてる 奴は、結局飛べない奴だ。

・引き出しの中から96年のスケジュール帳が出てきた。この頃はスケジュール帳 が必要な生活を送っていたのだ。結構馬鹿な事が書いてあって笑う。飲み会の後 ドライブってお前……そのまま朝まで友達の家でゲームして、その後自分の家に 連れて行ってまたゲームして、そこへ友人が遊びに来て、そのまま日が暮れて、 そこへ某☆師匠がやってきてCDとかダビらせて貰って、師匠が帰ったかと思ったら 今度は某鉄な先輩が遊びに来て、一緒に本屋に出かけて、とか、もう無茶苦茶。 これが4回生の生活記録かと思うと涙が出る。ただただガストとカラオケとゲーセン な日々だった様だ。就職活動も全然して無くて、明日の事なんかどーでも良かった。 ま、その負債(ツケ)はその後延々と払い続けている訳だけど。後悔は、まあ、 できればしないにこしたことはないけどね。あの頃はホントにオタクな友達 しか居なかったけど、オタクだからこそ気兼ねなく行き来が出来たのだなあと も思う。最近はそういう友達も本当に減った。

(2002/12)
・昼休み、机に突っ伏して寝ていて、夢を見た。南海のジャングルで樹上生活を 営む村落に、探検隊みたいにして何人かで出かける。一見純朴そうにみえる樹上の 人達にも、然しそれぞれの都会的な事情なんかがあって、生活スタイルとは関係の ない、ドライな感じの「生き方」を見て驚く。二組の中学生くらいのカップルが 登場する。一組はその村落の近くの学校で野球をやっていて(女子はマネージャ っぽい)、いつか日本本土で高校野球をやるのが夢らしい。マネージャの女の子は、 普通にカワイイんだけど、彼に尽くしすぎ。亭主関白というか……もう一組の カップルは、言っちゃ何だけどブスにブ男で、それなり。いつも肝心なシーンに なると、そのお互いの不細工さに興を削がれてしまう、という造形。

二組とも高校に入るために日本の普通生活に入るのだけど、両カップルの共依存 ぶりは変わらず。田舎から出ていくときに「これで俺たち自由につきあえる」とか 結構もりあがっていたのに、学校生活にはいるとすっかり野球一筋になってしまう 野球少年。必死で「ワタシはあなただけだから」と喋り続ける女の子に対して 「それより今日も練習有るから」とか「地区大会の予選がさー」とかそんな話しか しない男。だんだんギスギスしていく。一方ブス&ブ男の法は、女の子の方は結構 戦略的に立ち回るんだけど、男の方はどうもネジが抜けて居るみたいではっきり しない…… ジャングルにおけるヒエラルキーとか狭い人間関係の中の政略結婚とか、そういう ドロドロドラマだったはず(はず?)なのに、途中から学園モノになってしまって 笑った。

(2002/12)
・誰に宣言した訳でも無い。ただ一人で挑戦して、否定されて、また殻に引き 籠もっただけのこと。成功していた所で、祝杯は一人であげる訳で。祝杯で 飲もうが、凹んで飲もうが、同じ事。寂しすぎるぜ。いや違う。人は誰も一人だ。 一人で生きて一人で死ぬしか無いんだよ。

(2002/12)
・今ちょっと新しいことをしようとしてもそもそ動いてる。ホンットに大したこと じゃ無いんだけど、それでも自分の中の保守な部分が、もうアレコレと理由を つけて「今までの毎日」に引き戻そうと「説得」にかかってくるのを感じる。昔、 無理な減量を試みたとき、もう、ちょっとした事(怠い、とか、眠い、とか)が 引き金になって、食欲に「説得」されては後で後悔する、という(その瞬間は 「食べる」事が最も論理的に正しい答えだと思える)事を繰り返してきた経験から、 あの保守の奴の言うことを聞いててもロクな事はない、と思って振り切る事に決め 込んで、耳を塞いでいる様な状態がずっと続いている。で、それが結果として殆ど 思考停止の様な状態をもたらしていて、何をするにも効率が悪い。今まで何も考えず に出来ていたことが出来なくなったり、何もしないでテレビの前で時間を過ごして しまったり。

・実際、アグレッシブに色んな事に挑戦出来る奴って言うのは、慣れなのか、 生来のものなのか。僕はこの決断をするのに5年かかって、更に外的要因が 無ければ、あと10年位は先送りを繰り返していただろうと思われる。

(2002/12)
・「誰か」の役に立てること以上に生きる喜びは無い。「誰か」の失望の顔を見る のが何より辛い。それは詰まるところ自分の人生(取るべき責任)を他者に仮託 しているからだ。そういう生き方は屹度楽だろう。誰かの為に生きられるなら。 僕にはその「明確な誰か」は居ない訳だが。募金箱にコインいっこ入れるのが 関の山か。僕は、もういい加減、楽になりたいんだ……

・俺にテトラセルホワイトを打ってくれ!

(2002/11)
・査定時期。「君、自分の将来のこととか考えてないのか」とか言われて口ごもる。 「将来こうありたいから、今こんな努力をしている」というのを他人に知られるのは、 酷く恥ずかしい事だと感じる。ていうかマジ何のビジョンも無いわー。「別に、何も 考えてないッスよー。毎日毎日をやり過ごすだけで精一杯で」云々。実際それに 「逃げ」ている。毎日”仕事”という名の逃げ場に逃げ込んでいるだけ。

・認めるのは辛いが、結局はそう言うことだ。毎日しんどい思いをして深夜まで 働いて疲れてるんだ、だから将来の事なんて。休日だって毎日疲れてるから、その 休息に充ててるだけなんだ、云々。別に誰かに今の生き方を責められたこともないし (というか、誰も僕の生き方に興味なんて持ってない)、嗤われた事さえない (と思っているけど、実は裏で嗤われてはいるのだろう)。何に対して言い訳が 必要なんだ、と考えれば、それは「やるべき事から逃げている」事に対してのもの。 自分の中に巣喰う「世間体」という奴に対しての言い訳。昔は「いや俺オタクだから もう一般人には戻れないよ」的な逃げをしていたけど、毎日ネクタイを締めて会社 勤めを行っている身には、今やそれも弱い。28歳の男として「やるべきこと」が 山積していて、それが今、次々とタイムリミットを迎えつつある。

・夢はあるさ、そりゃ。あまりに夢過ぎて、真顔で話せないだけで。そんな奴に 取っての”自己実現”は、実際、遙か地平線の彼方に在って、遠い。

(2002/11)
・帰り、1年ぶり位に121(徳島県庁近くにある本屋とレンタル屋と中古ゲーム屋の 集合体)に寄ったら、中古ゲーム屋が「わんぱくこぞう」になってて、「ぱっくん ぽっけ」が山積みでちょっと感動したりした。わんぱく、小松島の仮住まいみたいな 店を残して徳島から撤退してしまったのかと思ってたけど、復活してたのネ…… 兄弟神技 の為に一時期結構揃えてたけど、また読んでみてえなあ(50円位出せよ)。

(2002/11)
・会社を辞める奴に送った、まあ定型通りの挨拶メールに、思った以上の反応が あって、読んでいていろいろ思い出した。入社前の研修を除けば、同じ職場で働いた のはホントに1月程だけなんだけど、やっぱ同期っていうのは特別だよな、とか 思った。最近じゃ後輩にまで敬語を使いがちな拙者が、タメで話せる数少ない相手 だった。寂しくなるなあ、と思いつつ。

・一人パーティションの中でキーを打ち続け、昼飯も一人で食って、深夜に至って コンビニで不味い調理パン買って、酒と一緒に胃袋に押し込んで寝る、的な生活を もう何年も続けている。辞めるなら俺が一番最初だろーな、と思いながら、気が付い たら自分だけが生き残ってた、と言うか、取り残されてしまった、というか。いつも 「ここは自分の居場所じゃない」とか思いながら、でも他に居場所もないし…… こーやって一日一日を積み重ねて、もう5年半。この先もそうなのか。ああ、やるせ ねぇなぁー(ドルバッキー声で)

・独りで酒を飲むのも、独りで晩飯を食うのも、それが当たり前だと思えば何でも ない。ふと過ぎる孤独感にさえ堪えられれば、暗い気持ちのまま、「安定」して日々 を送れる。あーおれは不幸だ、と思いながら、その状態に安住している。出会いが 無い、と嘆きながら部屋から出ない。下らない、本当に下らない男。

(2002/11)
・まだインターネットなんて言葉さえ知らなかった頃、「流行のデータ」を鑑賞 したり、交換したりするには、誰かデータ持ちの家に遊びに行くのが一番手っ取り 早かった。毎日の様にバージョンを上げていく、無慮大数のフォーマットに対応 するビューア、データが要求する過度な高スペック、それらを常にアップデート し、面白いデータを集めては見せ合うのがその頃の「流儀」だった。最初はFDを、 後にHDDを提げて、夜中”彼等”の部屋の扉をノックする。手土産にはコンビニ 食とコーラ。相手は、NEOGEOを用意して待っている。夜はまだ始まったばかり だった。

・そうやって、オタク達はオタク達の間で、結構親密に交流していたのだ。オタク 部屋からオタク部屋へと。貧相なスペックだったからこそ、当時のデータの「凄さ」 はインパクトがあった。毎週、週末ごとに凄いデータが生み出されては、日本中の 草の根ネットに「転載」されまくり、「ダウンロード乞食」と化した僕らは、制限 カウントギリギリ(当時は回線占有率の面から「ダウンロード」はポイント制に されている事が良くあった。ポイントはBBSへの書き込みや、ファイルのアップで 増加した)までダウンロードしまくったデータを持ち合い、共有した。

・CDRがタダ同然のメディアとなり、回線速度が劇的な上昇を遂げた今、もう あんな事をする必要も無くなった。”彼等”の殆どは居なくなった。また、 ああやって友達の部屋でだらだら駄喋る時間を持ちたい、とも思うけど、でも あんな贅沢な時間の使い方は、もう出来ないだろうと言う気もする。

(2002/11)
・うる星2のDVDが発売された。大学生の一時期、朝晩朝晩ずーっとこのビデオ (LDはひっくり返すのが面倒なんで、ビデオにダビングしてた)見るともなく 見てた。軽く3桁は見てる。そのくせ、何回見ても発見があるという……昔SF大会 「はまなこん」の合宿所に、壁一面に模造紙が貼ってある「ラクガキ部屋」が あって、僕が「ああ誰知るか百尺下の水の心」って書いたら、後で誰かによって 前後全部が延々書かれてて、妙に感動した覚えがある(僕は孤独じゃなかった!)。 友引前史第1巻終末を越えて序説第3章抜粋、を暗唱できる奴は今でも各都道府県に 3人ずつ位は居るんじゃないか。終わらない前夜祭、その魅力。そういえばその 「はまなこん」の時、俺は就職活動は止めた、終わらない前夜祭に身を投じるのだ、 と僕の前で宣言したイベント傭兵のM氏には、その後もいろいろ融通してもらった けど、結局お礼らしいお礼も出来ないまま音信不通になってしまった。

・何者かになれる、と信じていた。イベントに出かけては作家や漫画家の卵(或いは 堂々たるプロ)と酒を酌み交わし、背伸びして知ったかぶりの批評をし、「ああ俺も いつかは”業界”に」とか思い込んでいた。自分には何も出来ないのだ、何一つ描け ないのだ、ただのワナビーなのだ、という現実を突きつけられるのは、まだ先の話。 ……あの頃の、徒な熱気のBGVとして、常にこの映画が流れていたものだ。思い出す のが辛くて、もう長いこと見てないよ、ビューティフル・ドリーマー。

(2002/11)
・「暗いところ」の感想を自分で読み返していて、あー、結局「鬱であるべき」 主人公に、「実はそうじゃなかったんです」と「裏切られた」のが辛いんだよネ、 ボクーとか思った。お前等そんなとこで手ぇ繋いで微笑みあって無いで、俺を、 この俺を救ってみせろ!(醜すぎる)とか言いたいのか。哀れだな。自分で選んだ (たとえそれが消去法の結果だったとしても)道を歩くのが嫌になったからって、 誰に文句を言う話では無い。取り敢えず死ね>自分、と唱えながら醜く生きよう。 生きてさえいれば、やり直す事も出来るかも知れない。もう無理か。

(2002/11)
・月曜の朝が来るたびに、この土日で「やろうと思って出来なかったこと」 を思い返し、叫びたくなる。毎週毎週、日曜の夜になってからあわてて取り かかって、26時を回って、眠れなくて、酒を飲んで無理矢理寝る、みたいな事を もうこの5年(!!)位ずっと繰り返している。金曜の夜にはあれ程「あれも したいこれもしたい」と思っているのに、何故だ。坊やだからか。

・どこまでこうして行くんだろう。先週も、先々週も、去年も、一昨年も、同じ 様にして週末を過ごしてきた。飢えが無い、と思う。乾きが無い。今僕の目は、 死んだ魚よりも濁っているだろう。何とかしなくては、という思いも、酒の 向こうに消える。いや、ホントは飢えてるのに気付かないだけかもな…… 酸っぱい葡萄はもう食べ飽きた、と言い続けて早何年。

・何か面白いこと無いですか。今何かハマってることあります?何か勉強してる 事とか。またヒマな時に、コッソリ教えて下さい。

(02/10/?)
・俺はこんなにも頑張っているのに誰も俺を認めようとしねえ!って独り頑張って ても意味無えんだよ>拙者。結果を出して、その結果を煩くアピール出来なきゃ、 何もやってないのと同じ。かみさまはみてくれています。どの神様だよ。ビッグ ブラザーかよ。我ながらガキだとは思うが、久々にガクリと来た。いや、ちょっと 独りでやりすぎた。もう少し上手くやらないと……後悔先に立たず。

(02/09/?)
・何をしたらいいのか解らない。目標を見失って漂っている。時間だけが過ぎて 行く様だ。転職情報サイトとかぼんやり眺めつつ。求められるスキルはどこも 厳しい。何か、でも、自分の力で飯の種を稼ぎたいよな。ただ会社に時間を切り 売りして、その代償にわずかな給料を貰ってる様な生活は、実際虚しい。とても じゃないがプロジェクトXの登場人物にはなれねえ。なりたくもねえ。

(02/09/?)
・藤井青銅の小説に感動し、ああ俺もオタとして生きて死のう、と誓った筈だ。 それがどうだ、このテイタラク。ビデオデッキにも名前付けてないし、セル画を コレクションしてる訳でも無いし。好きな原画マンの名前を10人以上挙げられない し、大体最後にアニメの作画をコマ送りで模写しつつ鑑賞したのはいつの事だ。 ダメのダメダメだ。これからなんだよ。これからが勝負。5、60代になって、何処 まで熱く萌えを語れてるか、という、さ。禿げ上がった頭、ゆるんだ顎、垂れ 下がった腹をアニ柄Tシャツとストーンウォッシュ、汚れたバッシュに詰め込んで、 行くぜコミケにSF大会に。あと30年「このまま」で居られたら、それはそれで 一本筋の通った生き様だとも思う。何事も中途半端はイカンよな。

(02/09/?)
・26時過ぎ。会社帰りに寄ったコンビニで、レジに並びながら、デジャヴに 襲われる。こんな夜が前にもあった。

・何やってんだろう、こんな所で。みんな行ってしまった。僕だけずっと、この 夜のコンビニのカウンター前で止まったままだ。何でこんな事になってしまったん だろう。こうあろうと望んだ訳ではない。ただ、何も望まなかったからこうなった、 のか。夜中のコンビニで、今からドーナツやポテチを買い込んで、一体どうしようと いうのだ。夜明けまでビデオでも見て過ごそうというのか。もう僕は夜を生きる者 ではない。あの頃には戻れないし、戻りたいとも思わない。今あの頃みたいな生活を したら、半年持たないだろう。あの頃は「俺はそのうち”何者か”になる、今はその ためにひたすら”勉強”だ」という(思えば余りに痛々しい)言い訳が前提に あって、だからアニメも映画もSFもマンガも全部「勉強」だと自分を騙して いられた。今はそれが単なるありがちな「現実逃避」に過ぎないことを自覚して いて、ああ、クソ、何でこんなにも僕は。魔法が解けたとき、それまで宝と 見えていたアニメグッズや雑誌の山は、タダの屑の山と化す。僕は、そんな屑に 囲まれて、過去の輝きを懐かしんでいる。「あの頃は良かった」。

・凹んで凹んで凹みまくっている。近年無い凹みっぷりと言えよう。

(02/09/?)
・まともに寝てない日が続くと、脳が勝手に処理速度を落として安定する感じ。 安定はしてるんだけど、ベースクロックが低いっつーか。あーずっと残業してない 事になってるんですが。ふしぎー。

・そういう自分に対して怒りとか悔しさとか無い訳じゃ無いのよ。弾幕薄いよ 何やってんの、とブライト面(白目無し)して言いたくもなる。でもいくら努力 したって、結果が出なきゃ何の意味も無いんだよ。結果を出せ。現時点でいいから。 と、これは人生において何度も自分に言ってきた事で。結局やってくしかない。 1ミリでも線を引こう。1行でも本を読もう。

(02/09/?)
・指先血まみれなバイトと複数の演習と飲み会と喧嘩と失恋と旅行とゲーセン通いと パソ通とオフ会とSF読みとアニメ視聴を同時に進行させていた頃もあった。あの頃の 自分の焦り具合を思うとき、今の自分の何とやる気の無いことよ、と思えてしまう。 今のお前は海鼠にも劣る。悔しかったらコノワタでも吐いて見やがれ。

・人間としてやるべきことをやってない、という負い目引け目は「毎日」を無価値 なものにしてしまう。何をやっても「逃げ」になるからだ。やってない、のなら、 やればいいのだ、と友人は言った。全くその通りだと思う。自分が変わるのを 恐れる、その理由は実はどこにもない。今より悪い状態なんて有り得ない。でも、 やれないんだよ。何で。坊やだからか。

・それは勿論、「明日がある」からだ。明日のために今日も寝るのだ。

(02/08/?)
・夜中、いつもの様に日付が変わった頃に会社を出て、ぼーっと車を走らせて いたら、帰り道を通り過ぎて、どんどん行ってしまう。山道や堤防の上や町中を うねうねと100km近く走って、夜の港にたどり着いた。ねっとりとした空気。 海の臭気。椎名誠の小説なら、ここで「何か」が現れるけど、何に出会うことも 無く。今年の夏も、何も無かったなあ、と思いながら、そのまま帰った。帰りの 道で、何かを見たような気がする。

・無茶をやらなきゃダメだ。ヤケを起こす位じゃないと何も始められない。

(02/08/?)
・日々の生活に痛みのない人間など居ない。日々の生活に喜びの無い人間も 居ない。それを感じる触角がどれだけ尖っているか、という、ただそれだけの 事だ。よく寝て、酒を控え、「よかった探し」をすすんで行え。目と耳を よく使え。生きてる内が命の使い時、だ。

(02/08/?)
 昔の同僚に派手にやりこめられる。負けると解っている会議で負けた訳で、その 意味では予定通りなんだけど、一矢も報いる事の無い惨敗。週明けからこれか。 空を見上げると、空には「アホが見る豚のケツ」と書いてあった。

・人が状況を作り、状況が人を変えていく。部下を何人も抱えた彼は、すっかり 管理者だ。彼に左手には光る指輪。そんなものをボンヤリと見つめる、人生の敗者 がここに。断じてジョージアなど飲むものか、と思いながらコンビニでUCC珈琲を 買うのであった。

・同僚や後輩達までもが部下を抱えていく中で、今も下っ端の拙者。年齢を気に しない訳じゃない。というか気にしがち。気にしすぎ。年下相手に「負けた」から って、いや、そもそも仕事ってのは……いや負けは負けだ。それで発憤出来るか、 っていうと、内罰に向かうという。誰にも迷惑かけたくない、のが結局一番迷惑と いうか。

(02/08/?)
 リアリティが全然ない毎日。ソトニデテミテクダサイ。リアルデスカ?明日 死んでも気付かないだろう。今を生きている、という感触が欲しい。嘘でも虚構 でも、兎に角頑張って「今の流行」にキャッチアップしていくのが凡夫に唯一 残された生き方か。虚構の上ですらもう「今」を生きてない。等と愚痴っていても しょうがない。寝よう。

・いましろマンガの悪影響が身体の芯まで達して、落ち込むことしきり。世の中が 「ああいう風」にしか見えなくなってしまう。夢も希望も何もない世界。言葉に すると今までと大して変わらないけど、幻想というか、虚飾を全てはぎ取った後に 残る、虚無的な「現実」の厳しさに震えてしまう。見たくないモノを見てしまった。 ああ。何とかせねば。

(02/08/?)
まだ残照の残る夜空を見上げながら
風呂に入り、
少しだけ酒を飲んで、
高校時代から見よう見ようと思いながら見てなかった
アニメのビデオを見終わり、
良い気分で、タップリと寝た。

それだけで、次の日、世界が全然違って見えてしまう。
あー、ちゃんと睡眠を取ったクリアーな頭だと、
世界はまだこんな風に、明瞭でしっかりした存在
だったんだなあ、と。

身体と心が元気だと、やりたいことがモロモロとわいてくる。
もう何もやりたいことなんて無い、とか思っていたのが
嘘の様だ。

人間、寝なきゃあダメだ、と心底思う。

それだけ。
(02/07/?)
・無常観というか無力感というか。立ち上がる気力がない。
・誰かこの文章を読むだろうか?或いは誰も読んでいないのか。

(02/07/?)
夜露死苦、機械犬

 先日友人の部屋で、ふと見かけた五島勉の本を手にとってパラパラとめくる。 奥付を見ると、平成の頭。中学生の頃か。あの頃僕は芯からの「ムー民」で、 かなり不安定な毎日を生きていた記憶がある。放課後、美術室の片隅で(教室の 作りが古くて、施錠されてても、振動で簡単に開けることが出来た)暗くなるまで なんとなく電波な連中と「ムー」「ワンダーライフ」を、アニメ誌(主に アニメディア)や特撮雑誌(宇宙船)や心霊写真集や同人誌と混ぜて回し読み していた。

中学時代、僕の学年は前後に例を見ない程の荒れっぷりで、絵に描いた様な「不良」 が環境を支配していた。今ではもうマンガでしか見られないよーな変形学生服、 裏地に刺繍、ソリソリの眉、氣士團も真っ青なキメキメの頭が横行していた(やや 誇張)。「標準学生服」を何の手も入れずに着ると言うことは、犯罪に近かった (後に教育実習で行ったとき、みんな普通の格好してて逆にビビッた位だ)。 教室の後ろの方では、タバコの煙が(授業中にも)上がっていて、場所を問わず リアルなシモネタで盛り上がっていた。実に大らかというか、男らしい世界が 展開していたのだ。そして、僕は、その中で、標準学生服を着て、美術室に隠れ住 んでいた訳で。あの「美術室」というシェルターの中での人間関係は、以来僕の ある種柱になっている、というのは大嘘で、もうあの頃の連中とのつき合いは (数人を除いて)全くない。

・1999年末で一度人生がリセットされることを前提にして生きていた。

逃げ道があると、安心するよ。逃げ道が無い方が燃える人も居るんだろうけど、 (バーンナブリッジビハインヂュー)逃げ道を確保してないと息も出来ない小心者 も居るのだ。ヲタ趣味は結局(僕にとっては)逃避場所なん。学生時代は、退屈 極まる日常に耐える為の鎧だった。今は、苛烈だけどやっぱり退屈極まる日常から の逃げ道。「それ」が唯一の光だ。「それ」が人生の全てでない事は承知の上で、 然し、もうそれ無くしては生きていけない。現実に正面から向き合うにはあまり にも脆弱な自我を多う生温い鎧。

でも、最近「それ」さえが退屈(恐怖)の対象になってきてしまった。アニメを 見ても、小説を読んでも、「いつか何処かで見たなコレ」という。 以前は「まだまだこの世には「読まなきゃならない本」が沢山有る。それを読み切る までは死ねない、と思うから生きている。それだけ。消費するために生きて いるのさ。」とうそぶいたものだが、今はもうそれも薄っぺらい嘘でしかない。 生きる理由?そんなものは、ない。

・逃げ道が、欲しい。自分の人生って奴から、逃げたい。

(02/07/?)
・半日サーバー室(冷蔵庫並みの涼しさ)に籠もっていた所為もあって、ホントに 怠い。風邪かも。何より其処此処に散在する滅び去ったストレージデバイスの死骸が 寒くて。栄枯盛衰は世の習いというが。然しホント、だらだらとこの仕事続けてる よなー。97年からだから、もう5年目かー。あー、あのお好み焼き屋での誘いにYESと 答えていたらどうなっていたろうか、あの失敗をリカバリ出来ていなかったらどう なっていたろうか、等と一人冷蔵庫の中で人生を思ったりもした。何かもう、どう でもいい。金も貯まらないし、彼女も居ないし、本は読まなくなったし、ああ、何の ための毎日か。やりたいことやって生きていかなきゃ、自分の人生にもっと真面目に なれ、とか声もするけど、やりたいこともありませんな。自分の人生真面目に考え てるか?とか問われると、何も考えてません、と答えてしまうのよ。その意味では、 その日暮らし、という感じ。ベッドを出て、ベッドに帰ってくるまでの時間をただ 耐え続ける日々。モテる筈も無え。いや、慣れない事はするものではないという話。 あー、せめて、こんな虚しい人生を送っている男がこの島国の片隅に生きている、と いうことを、誰かが、ほんの少しだけでも知っていて呉れれば。挑戦もせず、ただ 流されるままに生きるバカが居て、それでも生きているのだ。すいません。

(02/07/?)
・あずまんが最終巻の感想(のフリをした自分語り)を読み返して思うのは、 俺って大学に入って何しよう、とかそういうビジョンが何もないまま、ただ モラトリアムが欲しくて大学に入ったんだなあ、と。心底呆れる。大学で何かを 学ぼう、とか、何かの技術を身に付けよう、とかそういうのがカケラも無かった のがよく分かる。或いはバイトして旅行しよう、とか、彼女作ろう、とか そういうのさえ無かった。引き絞った弓から放たれた矢の先に、的が無かった という。そりゃ大学入って目標喪失して引き籠もるわな。それでも偶然面白い 講義に出会って、近代都市文学にハマって、挙げ句黴臭い1910-20年代の雑誌に (寝る間も惜しんで)埋没する日々を得る事になったのだから、大学というのも 行ってみるものではある。もう一度大学生活が送れるなら、もうちっとマシな 毎日を送るんだけどなー、とか思うけど。卒論間際の、極度の疲労と睡眠不足と 情報遮断と孤独から来る独特の恍惚感についてもいずれ語ろう。誰も読みたくない だろうけど。

(02/06/?)
会議の時間は長くなり、ものごとひとつ決めるにも書類の枚数ばかりが増え。 どこもそんな感じなのか。報告書の枚数ばかり増えていく昨今。問答無用で「売れる」 製品を市場に押し込む事は出来ないものか。……その「売れる」線が見える様なら 今頃はさ。あー。面白い仕事がしたいヨ。給料少なくてもさ。そーゆー「面白い仕事」 は結局自分で作り出すしかないのだろうな。「やらされてる」感が抜けない内は永遠に 駄目だろう。兎に角アレだ、中途半端な仕事干され状態ってのが一番キツイ。

(02/06/?)
・痛そうな人に通りすがりに舌打ちされた夜。びっくりして振り返ったら、向こうは こっちをじーっと見てて、怖かった。然し、久々にああいう聞こえよがしの「チッ!」 を聞いたよ。通りすがりに色々言われるのは(デブオタだから)慣れてるつもりだった けど、でも、やっぱ、凹む。何かしたかなー、とぐるぐる。

(02/05/?)
・残業残業で、連日23時過ぎ。昔は平気だった(というか23時より早く帰れたら ラッキー!だった)けど、割と辛い。あの頃は残業代出たからな……。 俺何やってんだろ、と久々に。どうせ終わるならひと思いに終わってくれよ、とも 思うけど、何となくこのまま、ずるずるとしぼんでいくだけのよーな気もする。 マネジメント能力も無いし、年も徒に取ってるし、転職つってもなー。でも今の ままだと、今のまま。あー、何て言うのか、結局仕事を自分のモノに出来てないって いうか……「働かされてる」感じから抜け出せない。最低限の責任しか負わない 代わり、達成感も無い。「やったぜ俺」「やるじゃん俺」みたいな感覚が一度も 無い。だから打ち上げとかやっても、全然楽しくない。苦労はしても、感動は無い。 その事に今更愕然としてみる。ああ、今のままじゃ、今のままだ。せめて 「俺はこれをやった」という結果が「自分の中」に欲しい。それがあれば、辞め られるんだが。

・休みたいんじゃない。少なくても良いから、「自分の力」で金が稼ぎたい。 手応えが欲しい。反応が欲しい。

(02/05/?)
・他人の幸せバナシに「へー」「ふーん」とか相づちを打ったら「心がこもってない」 とか言われた。当たり前だ。そんなもんこもるかバカ。幸福量保存法則だ。シーソーの 原理だ。どうしても「アタシ今最高に幸せ」とか言いたい奴は、一緒に喜んでくれる 奴の前だけで言え。弱い奴には、それさえも針なのだ。

・突然鬱回路に接続。己の駄目さ加減が剥き身で迫る。実際僕は、中学の頃から 「夢が叶うこと」を前提にして生きてきたんだなあ、根拠の無い夢だけ追いかけて。 でもその夢ってやつは、どうも今生では叶えられそうにないなあ、どうしよう、 とか、言葉にするとそんな事なんだけど。夢が叶えられないなんて、心の底では 想像もしてなかった、様な気がする。ああーこれじゃまるで、いやもーそのまま 「青春ゾンビ」じゃないか(フレーズだけ)。ピーターパン症候群ってのとも違う、 そんな言葉じゃ片づけられない、痛々しさと居たたまれ無さ。 ここで語られる「ロマンチックな理想の出遭い」を信じた俺がバカだったのか。 いやバカでしょう(素で)。すんまそん。いや、だからさ!俺が嘗て信じた(今も 信じたがっている)「海がきこえる」的青春なんざ嘘っぱちなのさ!ウソッパチ なんだよ!わかるか!あんなの全部キョコーなんだよ!あんな「恋愛」なんて、 この世には存在しねえんだよ!幻想だ!キョコーだ!キシャー!

・誰か俺と出会え!朝の曲がり角でぶつかれ!この際トーストじゃなく、イカ くわえててもいいから!ていうか登校途中に曲がり角でぶつかって、そこから 恋が芽生えたカップルって、この世に何組位居るんだろうか。

・谷川史子でも読もう(それが駄目だ)。

(02/05/?)
・「繰り返しの毎日などクソ食らえ」とか言ってる癖に、新しい人生への誘い、に 尻込みしてしまった。断った。でもそれが自分の正直な所なんだろう。繰り返しの 毎日に拘泥しているのだ。生活し慣れた環境、やり慣れた仕事。「しんどいが、 楽ちん」な繰り返しの毎日、それを捨てて新しい環境に、ってのは普通「よっぽど の事がないと」やろうとは思わないだろう。今回は割とその「よっぽど」だったん だけど、それでも。チャンスの神様は前髪だけしかないヨ。いつまでもやれる仕事 でも無し(この仕事体力勝負だ)色々やっとく方が絶対人生に対してはプラス、 なんだろうとは思う。もっと新しい世界に触れるべきなのだ。それによって自分が 破壊される位のな!!と、薄暗い自分の部屋に帰ってきて思ったりした。ホント、 駄目人間だな。こーやってテキストの上で暴れるのが関の山だ。もーあんた死ぬ までそうしてろ。

・いや、もう、ホント、変化を望まない自分の体質にはつくづく呆れた。こりゃ 駄目だわ。でもまー、夢も希望も無いのだ、と乾いた気持ちで。「やりたいこと」 なんて何も無い。僕には何が出来るだろう、と考えて、何も出来ない、と答える。 やれば出来るかもしれない、でもやったことがないから解らない。そうやって 日々しぼんでいく「可能性」にしがみついて老いて死ね。

(02/04/?)
・給与明細を見て肩を落とす。予想していたとは言え、バイト君並みの給料。 サービス残業時間xxx時間おーばーにも慣れてきた。今月xxx時間のうちxx時間は 深夜残業だから、そのまま申請したらあとxx万位は行くんだろーけど、毎日17:30 から後はタダ働きタイム。そういうことになってる。ま、バイト程度の仕事しか してないんだから仕方ないけど。もう本社上司との気まずいやりとりにはツカレタ ヨ。然し、ああ、取り敢えず寝たい。連休は寝倒そう。

・実際、この仕事に就いて以来、「自分の力」が金になる、という経験をした事 が無い、というこの恐怖。執着の無い仕事に手応えの有ろう筈も無く。このまま じゃ絶対駄目だ、と思う。そう思い続けて5年。オカシイんじゃないのか>自分。 多分、オカシイんだろう。こんなにも「作りたい」のに。

・とりあえずこーやって書いてくしかねーよなー。他に表現手段を知らない。喋り で自分の言いたいことを表現するのは、苦手を通り越して不可能なんじゃないかと 思える今日この頃。

(02/04/25)
・世界は不条理、っつーか、複雑なんだから、一個人の脳味噌で「納得」する事 なんかハナっから出来やしねー。複雑な世界に対してノックを繰り返しエコーを 受けつつ、手探りで進むのが「当たり前」なのだ。と、アタマでは思っているけど、 いちいち納得しないと前へ進めない拙者。そういう性格から直していかないと。 働きかけるしかねー。無駄かどうかは分かんないんだから、努力するしかねー。 等と開き直り気味。逆ギレとどう違うのかね。

・争いのない未来はこの扉の向こう側。文明というのはアドレナリンを分泌させる もので、その興奮がまた文明の発展を促してきた、とかいってたのは小松左京 だったか。文明社会で生きると言うことが「思いやり」ではなく「競争」を基本と するのは、結局そういうことだからだ、とか。近代以降の我々は、常に戦闘状態に ある。にしたって、何でこんな苦しんでばっかりなんだ。もう少し「いい目」を みたって良いんじゃないのか>自分。僕が何か悪いことしたか!?ってまーホント に苦しんでる人はWeb日記なんかつけませんわな。その時点でアウトと言えよう。 いやもー、たまにはオモシロオカシイ話でも書きたいねえ。黒い話は裏日記に 押し込めよう……

(02/04/?)
・安心したと思った瞬間に訪れる肩叩きの噂。生き残りたいなら技術力上げる しか無い。後輩の娘っコはさくさくと数百行にも及ぶスクリプトを組んでいく ってーのに、拙者は……適正無いよなー。元々。然し同年代で拙者よりよっぽど 仕事の出来る人間がこれまたサクっと切られている昨今。いよいよかなー。思った より遅かった……いや、まだ、わかんないけど。周りの状況を窺いつつ、平静を 保って今年いっぱいの線表立て直したり深夜までサービス残業したりするのって、 結構ヘたる。不安定な情報に踊らされてる感もあり。

(02/04/19)
結果を出さない限り何時間仕事したって同じ事。オーバーフローしてしまう前に 手を打たないと。うう。酒、酒。ここ数週間のドタバタの結果、「取り敢えず」 生殺し状態を生き延びたが……今度のはもう未来があんまし見えない系列でねえ。 とうとう「本筋」から切られたかー、という落胆が少しだけ。ま、どっちに しても明日は見えない業界だし。

(02/04/17)
・今となってはあの工場労働さえが恋しい。与えられた仕事をただこなして一日を 終えたい。ただ機械の様に、黙々と。今日はこれだけやった、という満足感と、 明日はこれだけやろう、という明確な目標。変化はないけど、それなりの充実した 毎日。今はそれに憧れる。パンをかじりながら微笑み合う、のだ。


・連日25時頃まで頑張って、結局進捗のないまま。然しギブアップは許されない。 進むも地獄止まるも地獄。「自分を実体より良いように見せよう」としてしまう、 その結果、自分で自分を追い込んでいる。首を絞める手は己の手だ。馬鹿だという のは、実際、罪だ。いや、そうじゃない。馬鹿は馬鹿なりに、それを認めて等身大で 生きれば何も恥ずかしいことは無い。今僕を苦しめているのは結局の所理想と現実の 間で生じる「恥」そのものだ。脳から恥を感じる部分を取り去る手術は無いのか。 或いはクスリは。恥ずかしいと思うから、恥ずかしい所を隠そうとして結局後悔する。 出来もしないのに「できるよね?」と言われれば「できます!」と言ってしまう。 そんで失敗して恥をかき、周りを巻き込んでしまう。最悪だ。結局自己中なのか。 自分が恥ずかしいから、自分が、自分が。何にせよ、恥と後悔の繰り返し。いつか 成長できるだろうか……久々に「叱られる」という経験をしたので(然も年上とは 言え同期に)何というか、ずしんと。そーいや誰かと「喧嘩」なんて何年もしてない なーとか思う。そうなる前に、逃げてきたからな……逃げるか、今度も。ケツ まくって。でももう多分、次はないぞ。

・結局の所、美しさは「タチムカウ」事にしか無い。「逃げ」は常に醜い。姿勢の 問題だ。「自分」が無ければ何処まで行っても同じ事か。だがこうも自信を失った 今となっては、自分を覆う鎧をもう一度作り上げるところから始めないと。 月200時間位残業してた頃、深夜2時頃に帰ってきて、それからアニメ見て、仮眠 して、また仕事に行っても平気だった。遅刻して怒られても、「俺には仕事 以外の世界がある、それを追求するのだ」という妙な自信があった。気が付くと もう何もない。この不安たるや。結局他人の目をもって自分を評価するしか無い、 という状態に。そりゃ壊れるわ。

・いや、でも、「苦手分野を克服する」の方が正答なんだろうなとは思う、けど。 でももう時間があんまり無い気がするよ。好きなことを好きでいられる時間が。 下からどんどん才能のある若手が出てきてて、僕が「やろうと思っていたこと」 (実際に出来るかどうかは別)を、もっと斬新で、もっと今風に仕上げて次々に 「商品」にしてしまっている現実。時間は無い。もう遅すぎる。

(02/04)
朝起きて、シャワーして、ネクタイ締めて、出かけようとして、動けなくなった。 身体がだるい訳でも、アタマがイタイ訳でも無い。ただ、行けなくなった。こんな ことは久々。兎に角会社に電話を入れて、「今日調子悪いので一日休む」旨伝える。 今まで有給休暇は使いもせずにドブに捨ててきたのだから、文句は言われまい。 等と自分に言い訳しているウチに、どんどん変な汗が出てきて、ウワーなんかこれ やばくないか、と思って、そう思うとどんどん変な感じに。何かしなければ、と いう焦りから、そうだ歯医者に行こう、とか訳の分からない答えにたどり着く。 虫歯が気にはなっていたのだ。勢いで残っていた親不知をまた一本抜いて しまったり。残1本。血だらけの口の中をもごもごさせつつ、本屋で精神関係の 本を手当たり次第に立ち読み。読めば読むほど思い当たる節にぶつかり、 「こりゃヤバイ、もう戻れないかも知れない、というか布団の中に逃げ込みてえ!」 的な気分に。でも布団の中で震えているのはもっと耐え難い(その意味で僕には 「引き籠もり」は出来そうにない。大学生の頃はまだ「学生である」という身分 証明が有ったから、正式にはあれは「引き籠もり」でも何でもない、サボり、に 過ぎなかった。多分「何もない、タダのわたし」になることには耐えられまい)。 結局会社に顔を出して、来週の予定調整とか予約とか機材の受け渡しとかして21時 頃まで過ごしてみた。会社に居ることで、一見何事も無かった様に一日を終えて みたが、心中穏やかならざり。帰る早々「那由多の刻」(名前がイイ。なゆー)を ぐいぐい飲んで、思考を停止させる。答えのでない問題を考える、哲学に淫する 程の力は、僕の脳には無い。目を瞑り、耳をふさぎ、何も考えず、ただ繰り返して いくしかない。考えたって「しょうがない」のだ。

・まー某☆師匠なら「だからお前はアホなのだ!」と一括されるであろー。昔から 自己愛だけは過剰に強くて、放課後友達とだらだら遊ぶよりは、一人で本を読む 方が「大切」だと思ってきた。かけがえのない自分を「護り育む」事が何より 大切だと思ってきた。それを今さら「誰とも理解し合えない、孤独で死にそう!」 などと!当たり前だ!大体護る程のウツクシイ「自己」でも無いだろう。薄汚れ、 ありふれた自己を、それでも必至で護って生きている自己愛の病人。でもホントは その「自己」が無いから体面とか世間体が気になるんだよな。死ぬほどに。つまり 僕が人生かけて必至で護っている「自己」は、実はカラッポの箱、という訳だ。 他者の視線からしか「自己」を確認できないのに、他者と交わるのを忌避する。 カラッポだから思考しようにも何も出てこない。実際、救われない。

(02/04/04)
・無価値だと自覚するなら、その無価値さに合わせた自己評定をしなくてはな。 「俺はよくやったよ」と思うハードルを思い切り下げるしかない。「今日も一日 死なずに生きた。俺はよくやってるよ」「生きているからラッキーだ!」……違う。 そうじゃない。僕はそれを「誰か」に言って欲しいだけなのだ。こうして弱音を 人前にさらす、ってのは、結局同情を買いたいだけだ。同情は毒だ、と自分に 言い聞かせながら、毒を求めている。中毒だ。全く、ゴミだな。


・不安がループしながらメモリを食いつぶしてクラッシュへと向かう。今、その 過程。上着を着ていても、肩がむき出しになっている様な寒気。誰だってそう やって生きているのだ、誰だって耐えているのだ、人生は生きる事それ自体が 「不安」だ、と、そう言われてしまえばそうなんだろうけど。恐ろしく「進捗」 のない毎日。眠る前、今日、確かに生きた、という実感が無い。確かに、戯れ言、 だよな。とはいえ。「ぼんやりとした不安」は確実に心を蝕む。何故こんなにも 醜くて傲慢で弱いのか。全てを投げ出したいけど、その結果更に襲いかかるで あろう不安を前に、何も出来ないで居る。

(02/03後半)
・押し潰されそうだ。何にしても自分の処理能力の低さには閉口する。ひとつの 事を集中してコツコツやりたい、のに、平行に処理を走らせなくてはならない 現状。自分でここまで来たんだから、誰にも文句は言えないけど、強いて言うなら 「アホか!?>俺」という所。何が楽しくてこんな目に。この試練は乗り越えた とき何かしらのミになるやもしれんけど、乗り越えられんやろ。最早。後はズルズル と地獄が続くだけ……こんなしんどい毎日やったらもー降りる!降ろさして! ……今さら遅いわ。常に遅すぎた。同じ腐るにしたって、早すぎて溶ける巨神兵の 方がまだマシだ。常に遅きに失して恨み言を言いつつ腐れて死ぬか。嫌なら嫌だと 言えば良かったんだ。みんながそうするから俺も、その繰り返しの人生でしかない。 走って灰になることに憧れつつも、部屋で「踏み止まって戦おう」などと呟く豚。

(02/03後半)
・失ってみて初めてわかることもある。自分がどれだけ恵まれていたか。自分が どれだけ素晴らしい環境に支えられていたか。人は実際、一人では生きていけない。 ただ、孤独にジッと耐えていると、そのうちそれには慣れてしまうモノだ。人間は 基本的に「習慣」を維持したがる生き物だという。孤独であることを習慣づけて しまうと、孤独でいることが当たり前になるから、怖い。時々賑やかな場所に 行って、自分が如何にひとりぼっちで生きているかを知るとき、「いかん!ヤバイ! 変わらなければ!」と強く思うけど、「習慣」を破壊するのが怖くて、結局何も 出来ない。しばらくすれば、その「変わらなければ!」という気持ちも、習慣の 中に忘れさ去られていく。

(02/03前半)
 いろいろ凹みがち。壁に貼り付けたToDoリストをを読み返してカツを入れる。もー すぐ28だってーのに俺はよー。色々悶々とする。もっと動かないとなー。とか思う のと同時に、もっと描きたい、もっと読みたい、もっと観たい、ってのもあって。 結局楽な方(インドアライフ)に終始してみたり。あー駄目だ。全然追いつめられて 無い。この狭い部屋の中でさえ、逃げ道が多すぎる。もっと物理的に動かないと。 どうせバカの考え休むに似たりっていうかさ。

(2002/03)
 自分に自信がなくなると、他人の視線が怖くて怖くて仕方なくなる。そんで、 知らない間に「話しかけないで」オーラを身に纏ってしまう。話しかけられないし、 話しかけないから、当然「取り残されて」いく。気が付くと飲み会に誘って貰えなく なってたりして。そしてそれがまた自信喪失に繋がり、その悪循環。結局は気の 持ちよう、という事なんだろうけど、「自信がない」状態から回復するのって、 技術的に習得可能なんだろーか。或いはクスリで?

・後になって幻滅される位なら最初から露悪して駄目野郎っぷりを発揮したい。

・誰からも必要とされていない、と感じるのは辛いものだ。これを向上心につなげられ ればなとは思う。酒に逃げるのでは無く。

・自分を蹴っ飛ばしたい。愚鈍で醜悪な自分の背中を蹴っ飛ばして、唾を吐いて やりたい。何故こうなんだ。自分はナニか、引き籠もりか。鬱か。対人恐怖症か。 違うんだよ。怖いってのでもない。兎に角面倒なんだ。新しいことをするのが。 最近じゃ新しいラーメン屋に入るのさえ躊躇う有様。

(2002/03)
・幸福量保存の法則ヨ。思えば、ビリがいるからトップも居るのだ、と子供の頃 親や教師によく言われたものだった。そうだよなー。みんな幸せになれ。

・久々に近場の友達にメールしたら「最近忙しそうなので誘ってなかったけど、 先週もみんなで遊んでたんだヨー映画とかカラオケとか!」みたいな返事が。 ちょっと寂しくなる。つーかこっちが必要としたときだけ都合良く遊んで貰おう って辺り、成長してないよな>自分。正月からこっち、どうも空虚だと思ったら。 でも待てよ、忙しいって言ってたのそっちじゃん、とか。違うだろ。反省しる。

(2002/02)
・夢を見た。昔飼っていた犬が死ぬんだけど、死ぬ前に犬から遺言を受け取る。 何で犬が遺言を(いきなり)言い出したのか、わからない。遺言の内容というのが、 なんか実にみみっちくて(小さく狭いの意)、哀れだった。あーそういえばこの 犬はあまり散歩にも連れて行って貰えずに、繋がれたまま、狭い小屋の中で一生を 終えたのだなあ、世界を殆ど見ないままで。何だか酷い事をした、もっと接して やれば良かった、と思ったりした。あの犬が血を吐いて死んだのは、僕が小学生の 時だから、もう遙か昔のことだ。何故そんな夢を見たのか、全然思い当たるフシが ない。どこかで犬が鳴いていたのかも。

・つーか世界を殆ど見ないまま死んでいくのは拙者ですか!?そういう事なの? 逃げてみせるーさー。犬にインタビュー。つーか豚だろ。駆けても。

・然し夢って思いもかけない時に見るよ。一頃は毎日の様に見ていたけど、 最近本当に見なくなった。毎日変化がないから脳内のデフラグ作業が必要無いの だろう。だからたまに見ると、スゴイ「お得感」がある。タダで見られる参加型 エンタティメント。夢見るぞ、と。

(2002/02)
・自分が気が付いてないだけで、最近結構壊れた言動をしているんじゃないか。 周りはそんな自分を哀れみ半分嘲笑半分で放っているのではないか、自分が席から 消えた後、「あいつ最近オカシイよな」「何か気持ち悪いよな」とか言われてるん じゃないだろうか。そんな思いに囚われている。というか、多分そうなんだろう。 言われたからどうなるって訳でもないけど。なんか毎日脳がイッパイイッパイで、 時々機能不全に陥ってる。どーにかしなきゃ、どーにかしなきゃ、と考え出すと、 いよいよ何も手につかなくなる。落ち着け、落ち着け、と繰り返して自分に言い 聞かせる。周りを見渡せ、深呼吸をしろ、状況を冷静に把握しろ。何がどうなって こうなったのか……。はっと気が付くともう今日が終わる。自分が自分で無い様な 毎日。今この瞬間も「自分」を見失っている感じは強い。今このテキストを書いて いるのは、Web上に僅かに残った「白炭屋管理者としての自我」だけ。

(2002/02)
・最近遊んでないなーと思う。遊びたい。いやもう何かときめかんわ。ワクワク せんよ。最近ずっとそう。何やってても、あの眩しさのよーなときめきが無いん。 歳をとるっちゅうのはそういう事かのう。

(2002/02)
・己が矮小さに歯がみする毎日。何で自分はこうなのか!と。全ては自分の身から 出た錆、というヤツで、でも身から錆が出るって言うのは結構特技かも知れんな。 金粉でないか金粉。そんなおばさん居たね昔。

・前へ進みたい。昨日より少しでも前に。失うモノに気を取られていても、どうせ 指の間から零れる砂を押さえることは不可能だ。毎日の繰り返しの中で「今生きて いること」をどうにかして実感したい。毎日がもどかしくてならない。ただ過ぎて いく時間が惜しい。時間は使うか失うかのどっちかだというが。目標がないから 時間を「使え」ないんだろうとは思う。何がしたい。「ほしのこえ」じゃないが、 こんなWebの片隅で、誰もいない虚空に向かって「ぼくはここにいる!」と叫び 続けている、それだけじゃあまりに辛い。「きみがそこにいて良かった」と 伝えたい。アイムグラッジューアーゼア……「それ」を言って(きしょっ)とか 言われるのは承知の上でさ。すいませんまだちょっと。

(2002/02)
・なんか久々に妹と話す。「メナード化粧品のメナードってバッカスの巫女 だったんダヨー」「スジャータって苦行後の釈迦にミルクがゆを持ってきた 牛飼い女なんじゃよ」豆知識兄妹。

・時間がなかったので昼飯を大急ぎで完食したら、なんか妙に懐かしい気分に。 なんだろーなんだろーと思っていたけど、解った、思い出した。小学校低学年 の頃、僕は給食早食いチャンプだったのだ。目立つところのないガキが、唯一 他者を圧倒できたのが給食の時間だった。数分で全てを飲み込み、皆の視線を 集めつつ返却カゴに皿を返す感触。最初は真っ先にボールを奪って昼休みの 運動場に駆け込む為の競争だったものが、いつの間にか「早食い」自体が目標に なっていった。小学校2年生の頃だと思う。僕とトップを争っていた(早食いの) ヤツが転校してしまったのがその頃なので(後にも先にも、友人との別れに 抱き合って男泣きに泣いた、なんてのはあの時だけだ)。っていうかつまり そういう食い方を続けていたらこんな姿になってしまったんですが。小学校 3年生の時からみるみる肥満児になっていって、運動も出来なくなって、 ベーマガとアニメージュに出会って、自我を肥大させて、今に至る。 「オタク化」以前の記憶ってもー黒歴史の彼方で思い出せないんだけど、時々 ぽっと思い出すな。野球とフットベースと自転車だけの毎日、が僕にも あったのだ。

(2002/01)
・夜、寝る前に、新居格「新しい倫理」を読んでいる。本当になんと言うことの ない日々の随想が綴られている。こんな本が果たしてどれくらい売れたのか。 刊行年は昭和17年末。初刷りは5000部とある。戦争一色の時代、こんな呑気 極まる本に需要があったものか。ホントに、読んでると呑気にも程がある!と その呑気な有様に転がり回ってしまう。少女が映画のスターを出待ちしては、 群がってキャーキャー言ってるのはイカガナモノカ、映画ってのはもっと作品 そのものを楽しむべきであって、俳優などというのは所詮、とか戦時中に熱く 語られてもなあ。或いは、こないだ女学校に講演に行ったとき、外で草むしりを していた女学生達のモンペ姿が素敵だった、その後ピシッとセーラー服に着替えて 現れたのも対照的でまた良かった、ああモンペと言えばモンペがあるのにわざわざ 国民服を仕立てるのは経済的じゃないな、所で最近の女性は化粧が薄くなったり 服装の色が地味になったりして、その本来のウツクシサが出てきて結構、思えば モダニズム文化華やかなりし頃は、都会の女性達はフランス製の化粧品でこんな お洒落をしていたものさ、もう今は昔だけど、とか。もー筆の向くまま気の 向くまま。大丈夫なのか。新聞で「食料戦線」なんて言葉を見たけど、確かに人間 ちゃんと食わないとまともな事は考えない、ちゃんと食おう、とか。そんなこと 改めて書くことか!或いは昔自分がされた噂話(主に女性関係)の事を意味もなく 思い出してみたりとか。これがまた時局と何の関係も無い思い出話だったり。 或いは、就職先を紹介してやったのに勝手に辞める女も居れば、煩い位礼状を 書いてくる女もいる、作家としては色んな女性のタイプを観察するのは楽しい けどね、とか。もーホントに筆の向くままに書いてるだけ。サイコー。こんなんが 単行本になってしまうんだからなー。

・最早モダン都市を闊歩する繊細な思想青年でもないが、まだまだ老人でもない。 高円寺に引っ込んで、世界の古典文学や思想書を読み、昼風呂に風呂屋へ出かける のだけが唯一の楽しみ、という日々を送っていた時期。昔日のモダニズム運動を 静かな心持ちで思い出してみたり。当時の銀ブラをまるで昨日あった事の様に語り ながら、でもそれはもう随分前の事になっちゃったなー、とかしみじみとして みたり。本当に静かな、淡々とした生活を送っているらしいことが推測される。 ただもう、味わい深い。冬の日の、縁側に当たる日の光の様な。或いは、秋の 澄んだ空気に映える電線の様な。作家の体内に「熱」は無くとも言葉は綴れるし、 それはそれで感動(?)を与えるのだなー、とかなんとなく思う。「情熱」から 最も遠い所での感動。

(2002/01)
   元ヲタの友人と「新井素子は昔は輝いて見えたもんだ」みたいな話をしていて (嫌な話題)、あ、これって大学の時も何度か同じ様に(別の奴と)語ったな、とか 思い出す。新井素子作品を「実際に」体験した時間なんてほんの僅かな時間に過ぎ ない筈。ただ、その「体験」を(若かったから)克明に覚えていて、その「輝きの ときめき」を後十何年反芻し続けてきたという事なのか、と。多分この先も折に触れ 思い出すのだろうなー。愛の交換日記とか。

・今Web上には無慮大数の「ふつうのおんなのこ日記」が溢れていて、多分死ぬまで 読んでも読み切れない。大体読もうとも思わない。今後、女子大生の他愛ない日記を 克明に記憶するまで読み込んで、十数年後に「そうそう、そんな事言ってたなー」 とか飲み屋で「共通体験」として語られたりする、そんなのって存在するだろうか。

(2002/01)
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