流石宮崎駿!と云う他無い。長年宮崎アニメを見続けてきたが、これ程 の作品は無かった様に思う。個人的にはラピュタを超えた、「代表作」と云って 良い。トトロや紅の豚みたいな(その出自が)おまけアニメでは無く、肩の力を 入れて制作した映画でここまで成功した、というのは珍しいのではないか。兎に角 素晴らしかった。予告編やインタビューを事前に見ていて、「こういう話 なんだろう」と思っていた部分は完全に外れた。オジサンの(わかりやすい) 説教アニメになると思ってたんよ。正直。そしたら・・・
宣伝文句の「生きる力」とか、意味深な主題歌とか、何の関係もなく、 あからさまに「まんが映画」。生きる力が目を覚ます?これは「夢物語」だ。 まんが映画、なのだ。それも諸手を挙げて「まんが映画バンザイ!」という映画。 「コナン」なんよ。要するに!千尋は、大人が先入観で描く「普通少女」ではない。 もっと本質的な「キャラ」だ。自分を信じ、周りの状況に反応し、他人を敬い、 正しさと誤りを見抜く。ごくまっとうに「そうありたい」キャラクターなのだ。 「そんなのウソだよ」という僕の様なオッサンでさえ、いつの間にか憧れ、 自分を重ねていた。これが本来の対象たる10代の少女なら(いや少女はそんなに 甘くないかも)・・・
キャラ以前に、「夢で見たような」世界論理がこの作品の魅力。「何故そう なるのか」は語られない。語られないけど、「この世界ではそういうものなのだ」 と納得して見てしまう。見終わった後、現実の事象に照応して「成長物語」 「説話物語」「環境問題」とかで読もうとすると、作品そのものの魅力から どんどん遠ざかる。まあ「挨拶はちゃんとしろ」位の説教はあるにしても、視聴者に 対する説教はその位。河川汚染の描写をしておきながら、「川を汚すな」とさえ 云わない。僕は見ながら、「働く、とはどういうことか・・・」とか考えて しまったけど、それでこの作品を語ろうとしても語れない。千尋が働いてる 描写を見て、それが本当の「労働」とイコールだと思う大人は居ないだろうし。 あとカオナシは「語り用」として配置されているのかと思ったけど、最後何か 違うキャラになっちゃってるし・・・。謎は謎のまま放り出され、心情の流れとか そういう描写は大きく割愛されている。それでいて、途切れない「臨場感」。 ここにはありきたりな「お話」的な感動は無い。言葉にならない昂揚/感動だけが ある。何かスゴイ夢をみて、涙を流しながら目が覚めて、その夢世界に対する 愛惜の気持ちだけはまだ残ってるんだけど、もうどんな夢だったか思い出せない。 そんな事ってあるでしょう。そういう「切ない気持ち」が見終わった後に残る。 夢の世界に帰りたいんだけど、もう帰れない。あの切なさ。それが一番「近い」。
水面を走る鉄道の描写から思い出されたのは「銀河鉄道の夜」。原作も良いがアニメも 素晴らしい。あの作品、年に一回位見返したくなるんだけど、その「銀鉄」と並び、折に 触れ見返したくなる、そういう作品になった。いやー、今まで宮崎駿の代表作はラピュタ だと思っていたけど、この作品で上書きできそう。いや、ラピュタで何が好きって、 スラッグ渓谷の、岩壁に張り付くような家だったり、あの巻き上げ機だったりするん だけど、今回油屋に全部ついてるでしょ。もうそれだけで。いや、実際「油屋」の 造形には心底参った。自分の中にある「闇/怪への憧れ」をそのまま形にして見せ られた感じ。「神隠し」という言葉から連想する、暗く、不気味で、然し何かしら 異界への憧れを秘めた様な感情、それがこの映画の世界観そのものだ。そしてその 世界を描く宮崎駿の引き出しの多さ、広さ、深さ。嗚呼、ずっとこういうのが 見たかったんだ。
幼年時代、僕は本当に温泉が好きだった。親も温泉旅館が好きだった様だ。ある 時期まで、「旅行」というのは、温泉に行くもんだと思いこんでいた位。温泉地の、 暗く、迷路の様な大ホテルは夢の城だった。一人でエレベーターに乗るだけで ワクワクしたものだ(田舎者だから)。深夜まで人の気配の堪えないあの空気。 ゲーム場や卓球場や売店や映画館やショーの舞台が散在していて、その複合体 っぷりに目眩にも似た憧れを感じたのも思い出す(多分今見たら「こんなもん?」 ってガッカリすると思う)。もっと「近い」体験だと、道後温泉(の筈)の木造 建築で迷子になったこともある。木の階段を上ると、中二階の様な所、真っ暗な 空間に出て、うわ、ここは「入ってはいけない世界だ」と肌で感じたのを、 今でも思い出す。或いは、保育園児の頃、木造の小学校の2階にある講堂で予防 接種を受けた時、講堂の手前に狭くて真っ暗な下り階段があって、一体ここを 下って行ったら、どんな世界に出るんだろう、と、実際に小学校に上がる まで「その下の世界」を想像し続けていた、そんな事も思い出した。
・「嘘はつかなかたっと僕は思っています」という監督の言葉に、頷くものだ。 これは、ホンモノだ。全き、ホンモノだった。
(2001/08/11)