裏日記

2000年、オモテ日記から漏れたあれこれ。


(00/12/06)
 なんか爺まって弱まって凹まってる感じなので是非強化していきたい。つーか 風邪気味なんすよ勘弁してくださいよ分かってくださいよ二つで十分ですよ。 ・・・鈍化してる感じ。エッジが立たないというか。もうおしまいなのか。 醜態をさらけ出す前にWebサイトごと消えた方が良いのでは、と今年256回目の 自問。惜しまれてる内に帰れってお袋が良く言ってたぜってまさか今まで醜態を さらけ出して来なかったとでも?まだ誰かに惜しまれてるとでも?何勘違い してんだよ死ね>俺。


(00/12/04)
 昔の「仲間」の一人が結婚する事になったと風の噂で聞く。「そういう話」が 有りそうな奴はこれで全部落ち着いた事になるのか。旦那が大阪の人間なので、 年明けを待たずに大阪に行っちゃうんだ、会わないか、と。会える訳無いじゃん、 今更、みたいな事を言って電話を切って、でも何で会えないのか、何で「今更」 なのか>自分、みたいな気分に。毎日毎日意味も無く集まっては陽が暮れるまで 落描きしながら駄喋ってた時間は、もう本当に遠くなった。いや、今日みたいな 事がある度に「今更、止そうぜ」と断り続けて来た気がする。自分から壁を つくって遠ざけてしまった。今更。止そうぜ。そのくせ・・・いや、だから、 止そうぜ。もう関係無いんだよ。もう面倒なのはゴメンだ。鬱臭い人生の中で 唯一、裏付けの無い自信を持って自分らしさで押し通せた時代を、今更思い出して 浸ってもしょうがない。これは自戒だが、努力せずただ現在を憂う様な人間に とって「甘い思い出」に浸る事程醜い行為も無い。何よりあまりにも危険だ。 思い出は簡単に美化される。過去は無かったことと同じだ。今を見ろ。今だけを。 最近また後ろ向きがちなのでね・・・・

・・・ガッデム!糞ッ!!ああ!!!胸の中に何かが溜まっている感じが強烈に。 吐きそうだ。ムカムカする。叫びたい。誰彼かまわず電話をかけてゲロゲロと 愚痴をこぼしたい。でもそんな相手もいない。何処にも逃げ道が無い。大体 何がどう気持ち悪いのかわからない。この憂鬱と苛立ちの原因は何だ!?こんな 深夜になって何だか急に内圧が上がって来た。でももうあと寝るだけなのに。 どうすんだよ。全く。嗚呼!


(00/12/02)
 グーで殴られる様な嫌味を言われて落ち込む。痛い、ってのは自分に思い当たる 所が有るからで。図星を指されると人は怒るって言うけど、本当に図星だと 怒りより落ち込みが先に来る気がする。うわその通りだ、すまん、ゴメン、 生きていてスイマセン。俺は所詮その程度の人間だよ。最近反省しないで 生き過ぎた。前向きな生き方ってのは無反省の裏返し、じゃないんだぜ>俺。 兎に角ひたすら落ち込む。


(00/12/01)
 アニメ演出家をやっている年下の知人からビデオと今やっている仕事の原画、 演出指定、修正原画なんかのコピーがどかっと送られてくる。氏の才能は以前から 感じていたものの、こうして修正前の原画と演出の指定が入った後のものを 見比べると、「ああ、これが演出か!!」とハッキリわかる。演出が手を入れる 前と後じゃ本当に雲泥の差が生じるのだ。まるで手品の様に画面が生きて来る (まあそれだけショボイ原画マンしか雇えないと言う台所事情もひしひしと 感じられるんだけど・・・)。画面の何処に問題点が有って、それをどう修正指示 したら良いか、を的確に(ホントに)指示するその仕事っぷりに、思わず身が 引き締まる。凄い。氏はまだこの業界に入って1年目なのだぞ。それに比べて俺は (ってまたかよ)!嗚呼俺は今まで何をしてきたのだ。俺がこんな仕事出来た 試しがあるか?いわばこの原画マンにも劣るような仕事っぷりでしか無いのでは ないか。いや実際そうだろう・・・やっぱりこういうワクワクするような 「いい仕事」を見せつけられると・・・反射光が、辛い。


(00/11/28)
先日来の鬱空気が部屋に澱んでいて、部屋に帰ってくると潜伏していた鬱 ウィルスが勢いを取り戻す感じ。どうせ人は一人で死んでいくんだ、とか ぶつぶつ呟きながら壁のスミに向かって三角座りしてる様な。大体、今、 そういう感じ。

・時々、「今日は昨日と違う道を通ってみよう」とか「たまにはコンビニじゃ なくてラーメン屋にでも寄ってみよう」とか思うんだけど、矢っ張りいつもの 道を走りいつものガソリンスタンドでガソリン入れていつものコンビニで むしりイカと牛缶なんかを買って帰って、香の飛びかけている安バーボンを 胃に流し込む、というパターンを繰り返してしまう。何か最近そういう感じ。 先日もバスケ後にいつもと違う風呂屋に行ってみないか、と誘われたのに、 結局いつもの風呂屋に行くことを主張してしまったり。自分で自分の行動範囲を 狭めてどうする。動け。とかいいつつ年末予定していた(されていた)中国 行きのツアーもキャンセルした奴。逃げの人生だぜ・・・こないだも診断 サイトで「あなたは”つき合いの悪い奴”と思われ始めています」とか出て さもありなんとか納得したりさ。

・「目標を立ててそれに向かって努力」が出来ない人間に「昨日と同じ今日、 今日と同じ明日」を愚痴る資格無し。流されて生きる事を自ら選んだのだからな。 流されてしまえ。空虚さと孤独感に苛まれつつ。

クラム関係


(00/11/26)
・6VのACアダプタを探して押入を掘り返す。気がつくとファミコン版WizIIの 音楽を堪能していたり。29インチの平面ブラウン管にあの独特の字体。 10年の歳月を経て尚バッテリーは生きていて、ギルガメッシュの酒場に集う 若者達(皆10代半ば)の名前には「*」の勲章が。HIDETOとかMEIRINとか YONEKOとかKYOUMIV2とかMAYAとかPLUMとか・・・って「ミルキーピア物語」 (ハヤカワJAで出ていた電脳もぐりSFシリーズ。著者は東野司)全盛の頃に やってたからな。そういえば東野氏の新作にはミルキーピアの面々がチラリと 出るとか出ないとか。ああ買わねば。そのまま思わずファイアーエムブレム とかグラディウスとかワープ&ワープとかアタックアニマル学園とか 暗黒神話とかワルキューレとかを抜き差ししちゃうのはお約束。しかし こーゆー「振り返り」が気持ち良くなってきたらヤバイんだよなー・・・

・置き去りにしてきたモノがどれだけあるか。答えを出さないまま放り出した 「問い」の何と多いことか。クリアしないまま保留したゲームの多さよ。 この世には既に死ぬまで遊んでも終わらない程のゲーム、死ぬまで読んでも 終わらない程の小説、死ぬまで聴いても終わらないだけのレコード、死ぬまで 見続けても終わらないだけの映画が有って、でも僕は死ぬまで遊んで暮らせる 様な身分じゃ無いという。いや、解っちゃいるのさ。依存してるだけなん。 自分の人生を生きるのが怖い。認めたくないんだよ。愚かな自分を。


(00/11/07)
 他人を羨むと同時に自分の惨めさを嘆く。そんな毎日。分岐点毎に好機を 逃しては虚構の世界に逃げ込む人生。つくづく虚構なんて読むもんぢゃ無い。 だって幾らでも時間がつぶせるもんな他人の人生の上で。心の動きでさえも 虚構の登場人物のソレをトレースしていれば良いのだ。終わりの無い代償行為。 それはそうやって得た虚構の知識を元に自ら虚構を縮小再生産しようとする事で 更に加速される。殴られたことのない奴に殴られる描写は描けない。答えはもう 8年前に出した。「いつかきっと」と思いながら朽ちていく。それだけだ。

 過去に対して「あの時こうしていれば」と悔やむ事は無くなった。何よりもう その頃の記憶が薄れている。今はただ現状維持に拘泥する己の弱さに毎日嫌気が さしている。それでも逃げ出さないのは結局そこまで追いつめられてないから。 ホントに逃げるときは、行き先なんか考えないものだ。ただ、まあ、拙者みたいな 生き様は、26歳男として醜いだろうな、とは思うけれど。40になっても こういう生活してたら、いや、多分してると思うけど、本当に人生の敗残者だと 思う。絵はキスしてくれないわよハリー。


(00/11/05)
 先輩夫婦のラブラブぶり(キスイヤにでも出とけ、って感じの)を見せつけ られる羽目に。そこそこの人生も持ってたりする二人なので、傍目に見ていても イカス夫婦なのだが、翻って己を見たときに(以下略)という気分に。 常々下らない日常よりも甘美な虚構を、と唱え続けてきたけど、「甘美な現実」 ってのも有り得るんだよな、と今更気付いても見たり。まあ拙者には遠く手の 届かない世界では有るのだけれど。クスリでもやらない限りはさ。人体改造 マニュアルでも熟読するか(今更)。ああ畜生、金と女は敵なり、だ。敵に巡り 会いたいものだが。拙者だって別にシアワセになりたくない訳じゃ無いんだぜ。 何とてもそうは見えない。さよか。努力するしか無いのかねえ。嗚呼。


(00/10/24)
 仕事上でのプレッシャーから果てしなく鬱。大した仕事じゃないのにそれさえ こなせないのか俺は、と自滅路線をまっしぐら。自信がどんどん失せていく。 成長してねえなあ。3年前と同じだよ。夜中に海まで行って泳いだりしてた頃と。 或いは出来ないものは出来ない、と言い切って逃げを打てば良かったのか。 21時頃まで残業してますます余裕がないことが判明。逃げ出すように帰ってくる。 心臓の音が頭の中で響いて止まらない。無理矢理ラジオとか聴きながら脳を外へ 外へと飛ばす。そこへ友人からTEL。何だか良くわからないが身内に不幸があった らしい。氏の動揺が伝染してその後どっと落ち込む。叫びたい。逃げ出したい。


(00/10/17)
 今朝、ネクタイを締めようとしてどうしても締め方が思い出せなくて焦った。 毎日のことなので、そういうのはネクタイ締めルーチンに任せきりだったんだけど、 それがどうしても呼び出せないという様な感じ。車に乗って暫く走ってから 締めたら締められた。本気でヤベエなあと思ったことである。いや最近こういうこと がちょくちょくあって。そのうち歩き方さえ忘れてしまいそうだ。最近 ちゃんと寝てないしな。居眠り運転で事故って死にたくなければ、自己管理を 徹底しろ・・・


(00/10/04)
 掲示板でつい昔の癖が出てしまう。自分でも狭量だなとは思うが、オタク分野で 薄っぺらい知識を振りかざしてる奴を見ると(26にもなって)いまだに足下を すくってやりたくなる。以前なら「へぇそうなんですか」と相手の無知無教養 ぶりを引き出すだけ引き出して放置プレイ(本人は気付かないけど周りはみんな 気付いてるという)てなパターンで決まりだな、と思いながら、それを許される のはせいぜいが17歳位までだしなと思い直す。BBS時代(特に怖いもの知らず だった中高生の頃)はそうやって自分以外そのボードに書き込む奴が居なくなる まで噛み付き続けたものだ。勿論こっちも足下をすくわれないように必死で 勉強した。少しでもモレがあれば相手はすかさずそこを狙ってくる。揚げ足の 取り合いが日常だった。知識量で負ける事は死を意味した。そういう時代を俺達は 生きた(柳沢調)。
 でももう最近の自分の文章は穴だらけなんだろうなあという自覚はある。資料に あたらないで、記憶に頼って書くことの方が多い。昔の知識だけでほのぼのと今を 語る(○○って結局昔あった××じゃん、とか)気持ち悪さ、気色悪さというのは 最近のO氏の語りを見るまでもなく以前から感じていた事で、本人的にはそれで イイかもしれないが、周りで見ててあれ程苛立たしいものはない。「感想」なんか 誰も聞きたくはないのだ。正しい知識と情報に基づいたドキュメントを書け。 せめてもの良心にかけて。


(00/09/13)
 「アニメスタイル2」を読んでいると、何だか変な気分になってくる。虚しさ、 というのか・・・一体こうまでして「アニメという仕事」を知りたいもの なのか、知ってどうするというのか>自分、という様な感覚。どのインタビューも 最近アニメ演出というモノに対してボンヤリ考えてた様な考えていなかった様な 事を明確に言葉にしていて、ああそういうことだったのか、成る程成る程と 頷く事多し。ただ辛いのは、それに頷いたところで僕にはその先が無いと言う ことだ。僕は一介のアニメファンでしかない。彼等の言葉から得た教訓なりを 生かす事が出来ない。それが辛く、苛立たしく、虚しい。以前なら「きっとこの 知識がこの先モノ作りの役に立つ」という裏付けのない確信が在った。いつか 自分が”クリエイター”として仕事をする時の為の勉強。そういう読み方を していた様に思う。でも、自分の「未来」はもう以前考えていた様なものでは あり得ないってことが、漸く身に染みて解ってきたらしい。だから、というか、 ここ3,4年はどうも業界視点でアニメを楽しむのを(徐々に)止めて来ていた 様な気がする。特に作家論って奴から目を逸らす様になってきた。言い換えれば、 出来るだけダイレクトに「作品」に向かい合う様になったと思う。「ここの演出は 巧いねェ!」じゃなく、「このシーンのこのキャラのキモチ、解るなァ!」って いうレベルまで降りてきた。・・・まだうまく言葉で表現出来ないんだけど、 どんなに作家自身が自分の画面作りの方法論なりを、言葉を駆使して語って いても、それはやっぱり「作品」とは別の存在なんじゃないかと。作品の 成立過程にどんな人が関わっていようと、またどんなに作り手の魂や画期的な 技術が注ぎ込まれていようと、それを追いかけることと、作品から受ける感動 とは全然別の所に在る気がするんだ。・・・勿論黙って作品を作っているだけ では「技術」が後の世代に伝わっていかない、それでは「仕事」として成り 立たない、というのは成る程もっともだ、とも思う(そういう話があったんです 「アニメスタイル2」に)んだけど。うーん・・・スイマセンまだ良くまとまって ません。この辺についてはまだまだ自分の中で変化していくんだと思う。 「業界目指して歩んでいく」道を外れた後、一体どういう”アニメファン”と しての生き方が残されているのか。或いは、これが「卒業」の時なのか。


(00/08/21)
 バスケを休んでお出かけ。夏の宵。某氏と話していたら最近の地震の話に。 氏は阪神大震災の時に神戸の大学に通っていたので直撃だったという。大学は 4月まで講義も無かったそう。「丁度試験期間だったんだよな。」「結局 レポートだけだったからあの時だけで30単位以上取った。」「俺なんて地震 騒ぎで単位落としたよ」「どうせニュース速報にハマって試験出忘れたんだろ」。 いやホントは忘れてたわけじゃなくて遅れていったら閉め出されただけなん ですけどね。同じか。丁度寝たばっかりでさー、ってあの頃は毎日3,4時に なって漸く眠くなってたんだよなー、とか「夜が自分だけの味方のフリをして いた」頃の話でだらだら盛り上がる。こんなだらだらした無意味な「・・・ だったよねー」会話も久しぶり。どうしたんだ俺。何かまったりしてるぞ。 やるべき事は山程有るのに。しっかりしろ。でも夏の夕方の風があんまり 気持ちよくてな。
・最近パソ通しなくなってきたんでめっきり感想を書く気力が無くなりました。 やっぱりレスがつかないと、わざわざ切り出したテキスト書く気がしません。 日記の中に埋め込んで適当に流してしまいたくなる。・・・ってああいや別に ここで読んで下さっている皆さんの事をどうこう言っているのではなく。 これはもうパソ通とWebの生まれながらの違いとでもいうか。 仕方ないんです。ホントに。良い時代だった、と懐かしむ事しか出来ないのは 残念ですが。取りあえずまだこの体裁で感想は書き続けていく積もりですが、 それもいつまで続くのやら。拙者自身のパシオンにも、もうおしまいの日が 近づきつつあります。


(00/08/15)
いいんだよもう。いいんだ。もう自分自身には何も望まない。何も期待しない。 こんなにクズな人間がこの世に二人と居ようか(スイマセン最近思う様に 時間が使えなくてすげーイライラしてるワタシです。ああ何もかもどうでも)。 勉強もしたいし本も読みたい。絵も描きたい。新しいCDも聞きたい。話題の 映画も見たい。やりかけのゲームも終わらせたい。旅行もしたい。新しく 出来たラーメン屋にも寄りたい。飲み会もしたい。色気の有る生活に移行 したい。でもそやってあれもこれもって手を出そうとするから、何も出来ない。 そんな感じ。
 少なくともこんな屑日記モドキを書いてる暇があったら、もう無計画にでも 本読んだりゲームしたり電話したりアニメ見たりらくがきしたりした方がまだ 有意義だって事っすよ。いや久々に「自分何やってん?こんなゴミテキストに 何十分もかけて、一体何の意味が?」とか思ってしまってアレです。ああまた 新井素子の亡霊が「意味なんて何もないんだ」って耳元でささやいてますよ。 あああああああああ。
 とか自己矛盾を体現しつつこうやって暗く狭い部屋の片隅でパソに向かう 26歳の夏。こーやって今年の夏も終わって行くのだよ。ああそうとも。

・高校生の時に士郎正宗(コーカクとかORIONとか)を読んで、世界の秘密に 触れた気がした。与えられた明晰な視点は、世界をまるで違ったものに 見せてくれた。思考方法を一つ学ぶだけで、世界はこんなにも輝きを変えるのか、 と本気で感動した。ああいう感動をもう一度味わいたい。勉強したい。せめて あの頃のレベルにまで自分を押し戻したい。高潔でありたいと思う。


(00/08/13)
 買い物行。以前なら必ず最後に酒屋に寄ってたのになあと思う。あの頃は ウヰスキーを月に3は本消費してた。この夏はまだ一本も。ビールは今も そこそこ飲んでるけど、その量も減った。酒に対する「渇き」を感じなくなった。 昨夜もキャプテン(とキャプテンの彼女)と話してたんだけど、25歳位が酒量の ピークで、その後はめっきり飲まなくなった気がするよ、と。彼女もそうだった らしい。実際飲まなくなった、と思う。最近じゃどんなに暑い夜でも、ビール より麦茶の方が美味いんだよなー、とニャッキ氏とも意気投合。じじくさい。 でもこういう話をするのも同世代ならではの楽しみでもある。そのうち 「腰が」「眼が」「頭が」とか言い出すんだぜ。そこそこ自慢げに。

 漫画も本の感想も書きたいなあとは思う。でもねえ。机に向かえないん。 夏っつーとこー部屋に居られないつーか、クーラーの効いた暗い部屋に居ると それだけで誰かに責められてる気がして。最近は「引き籠もり」なんてナイスな 言葉が出来てしまってますますやりにくくなった。まー強迫観念に駆られて 街に出た所で、本屋か古本屋かゲーセンかしか行くとこ無いんだけどさ (学生時代に遊んでなかった結果)。ああ大学生の頃は他人の眼なんか全然 気にせず堂々と引き籠もってたもんだがなあ。夜から朝まで(昼間は寝てる) 小説読んでアニメ見て、パソ通にがんがん感想書いてあかほり信者と永遠の 平行線をたどる揚げ足取り論争やって。四回生の夏以外アレな人間関係も殆ど 無かったし・・・基本的に陰湿で充実した夏(の夜)だったよ。って何の話だ。 いや昨日久々に「ナウなヤング」('89)読み返してしまって。そーか26歳はもう オジサンか。じゃあワタシの周りの同世代もみんなオジサンとオバサンだな わはは(顔は笑ってない)。いやだから何の話だ。ああそう、昨日帰りにK永 (2ch信者らしい。逝って良し。)に「しろすみやって何なんスか?」とか言われて、 いやーアレはそういう名前の舗が漫画に出てくるんだ、その漫画を載せるための 頁だったんだよ、とか過去形で説明する自分が哀しいっつーか。でも実際 最近全然描いてませんもんねえ。はああ。看板に偽り有り。ああ死ぬときは せめて前のめりにと思っていたのに。畜生。


 お絵かき掲示板、というのがある。全然更新されないところも有れば、一晩で 20枚近くの超高レベル(どう考えても半日仕事だろこれ、とかいう作品はザラ) 作品が更新される所もあって、見ていて飽きない。で、その高レベルの所 (ちょっとえろえろしいのでURLは伏せますがご想像下さい)に、最近アジア圏の 人の作品らしいモノが増えてきていて、これが興味深い。無茶苦茶今風のまんが絵 (かなり洗練されている)なのに背景にはハングルが書いてあったり。一つの絵に 日本語/英語/ハングル/何か解らない言語のローマ字表記/日本語勉強中と 思われるカタコト等のレスがずらっと付いているのはなかなか壮観。Webを 始めた頃海外のサイトを覗いては「嗚呼!今俺は世界とつながっている!」とか 感じたものだったけど、気が付くと行きつけの国内サイトをウロウロしている だけになってしまって「海の向こう」の事なんてすっかり忘れてた。最近ガイジン (・・・)からのオタクメールも来なくなったし。そんな訳で久々に「世界」を 感じているワタシなのであった。


(00/07/06)
 きょかーいどーりにきれーいなつきひばなをちーらすによーいとまぼろし もすこーしぼくがやさーしことをいやきずーつくこともなーかったををを そんなふにこころはしゃふるはりつめてくるめろでのはーびーばっただいちよの かたちをじゅんじゅんにうつすあざやかないろのぷりずーむーまなつのかじつを もぎとるよーにぼくらはなんどもきすをしたやがてたーねをはきだすよーな かたいーかたいーこころのかたまーりー。止そう。

 息苦しい。生き苦しい。今のこの心のイライラモヤモヤを解決するには、もう 今の仕事を辞めるしかないのかなあと漠然と思う。「明日のために今夜も寝る」を 繰り返していたらあっという間に3年が過ぎてしまった。一年目はホントに 地獄だったけど、ここ2年位はそれなりに手を抜きつつ過ごす術を覚えて、 何となく馴染んでしまって。次の仕事が決まってるわけでもないし、26歳で 何の仕事が有ろうかとも思うけど。立ち止まって考える時間が欲しいんだ。 本当に未来に何の予定も無い状態で世の中を見回してみたい。誰にも要求されず、 誰にも縛られないで。無理か。無理だよな。


(00/07/05)
 ”やらなくてはいけない事”が達成できたら、”やりたい事”をやろう、 とかそういう考え方(例えば今度のテストで90点以上取ったらあのゲームを 買おう、とか、あと1キロ痩せたらあの人に告白しよう、とかそういうやつ) する奴は結局死ぬまでやりたいことが出来ないで終わっていくんだろうなとか 思う今日この頃。何故ならそういう煩雑な「やらなくてはいけない事」って のは生活の名の下に無限に発生するものだから。
 結局そういうのを越えた「本当にやりたいこと」を見つけられていないのだぜ、 と言われてしまえばそれまでなんだけど、うーん、どうもね。でも昔は色々 「やりたい事」が有った気がするんだがなあ。少なくとも会社と部屋の往復を 毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日 続ける様な事では無かった筈。夢を先延ばしにしているうちに忘れてしまって、 残ったのは煩雑なTODOのみ、という様な・・・よくあるフツーの人生を生きてる だけか。叶う夢など有るじゃなし、と。
 「夢」を失った上は、なるたけこのままヒトサマの迷惑にならない程度に こっそり生きて、微量の労働力を社会に提供しつつ、孤独に老いてさらばえて 死んでいくという道があるのみ・・・・とか。ムカツクぜ。こんなくだらない 人間になってしまって一体これからどうするんだ。手前みたいな奴は息してるだけ でも社会の迷惑なんだよ。いっそ氏ね。逝って良し。
 人生に保険なんて最初から無いんだ、自分の人生は自分でしか責任を 取れないんだ、って頭では解ってても、それでも自分で自分の行動に責任を 持つのが怖い。この覇気の無い性格とは26年つきあってきたけど、未だに 反吐が出るよ。サイテーだ。それを良しとはしないが、でもそれが自分なんだ、 と最近はあきらめの境地にも。
 ああ、クソ、もう26だぞ。26なんだよ。何やってんだお前は!こんな 誰が読んでるかも分からないネットの隅っこでゴミデータあげ続けて一体どうなる って言うんだ。何にもならない。何にもならないんだよ。ただ待ってたって どうしようもねえだろう。血流の速いところに乗らないといつまで経ったって 心臓には到達できないんだよ。このままじゃホントに「このまま」で終わって しまう。自分の足で地面を歩いた、という実感が欲しい。潰れても良い。 失敗しても良いんだ。自分の人生を、自分の地図を、自分の手で作りたい。他の 誰にも作れない。自分の鬱を他人や環境のせいにして生きる下らない生き物から さっさと脱皮したい。

 そんなことを思いながら、僕は今日も会社と部屋の往復を続けている。 そして明日も。


(00/07/04)
 このままで終わるのか。このまま老いていくのか。一度も光を見ないまま。 一度も輝かないまま。終わりたくない、終わりたくないんだ。せめて一度で 良いから血を沸き立たせたい。死ぬときに思い出せる思い出が欲しい。 老いて後、俺も若かったのだ、と笑えるだけの何かが欲しい。今のままでは 本当に駄目だ。仕事して帰ってきてWeb回って眠るだけの毎日じゃ。何もない。 何にもならない。この脳に刻みつけるだけの衝撃を与えないと駄目だ。


(00/06/26)
 いつになったら「夢に向かって己の人生を歩き始める」つもりなのだ>自分。 26だぞもう。こないだの父の日久しぶりに父親と話してて、親父26の時 何してた?とか聞たらもう結婚してたという。そういう歳なんだよな拙者も。
 学生運動の最中に京都の貧乏下宿かなんかで痛々しい青春を謳歌する(或いは 地下鉄ホームで肩を組んで左右に揺れながら歌歌ったりする)団塊世代の 様な「青春」が自分にも来るのかと思っていたら、まあ来なかったというか 来させなかったというか。毎日毎晩引き籠もってゲームとパソ通と酒で孤独と 戦っていた。飲みに出れば人前では必要以上に騒いで、かといって女の子と トイメンだとアがってしまって有ること無いこと喋っては引かれまくる。まー今と あんまし変わんないんだけど。俺のセイシュンはそんな感じでしたヨ。 ああ、なんか狂ってるよな。もの凄く欠損部分が多い。強烈に夜にシフトして。 昼寝て夜起きて、本読んでアニメ見て映画見て酒飲んで夜明けに眠る毎日。 極端に人付き合いが怖くなって、アレはもう今で言う引きこもりという奴だなあ。 以前何人かにも指摘された事だけど、僕が漫画を描くのは「こうありたかった 学生時代」を描いて自分を騙す為なんだ。僕の大学4年間は、基本的にあの 独りの部屋の中で終始した。これからは「俺が昔引き籠もりを続けていた頃」 という出だしで語りだそう。


(00/06/01)
 どこかで「丘オタク」という言葉を見つけて、あー、それそれ、そう言う感じ! とか思う。ここ数年全くそう言う感じ。結局アレよ、高校時代の情熱の残滓。 もう惰性だけで7年走ってます。そりゃちょっとずつ燃料足したりはしてるけど、 混ぜものな上量も少なくて、どう考えたって惰性は惰性。でも今更他の生き方も 分からないし、昨日と同じ今日を生きていたら26になっちゃったよう、という。 「卒業」するのって大事だよな。人として生きる上で。嘗ては「卒業」していく 奴を「所詮お前の情熱なんてのは、それだけのものだったんだよ・・・でも 俺は違うね!俺はまだ走る、俺はまだ止めない!帰ってきたって入れて やんねーからな!」とか思ってたもんだけど、気が付くともう惰性だけ。 一通り見終わったら、「卒業」して別の世界を目指すのが人というものだろう。 極めるのも道なら広げるのも道。
 何となくどんづまりに蹲っている感じの今日この頃。昨日見た夢なんて バガボンドみたいな世界観の中で戦ってて、両腕が切り落とされて、でも 自分の中では「ああ、これでもう前みたいに絵も描けないしキーボードも 叩けない、もう一生本読むだけでいいんだ」とか思って凄く楽になるという有様。 分かり易すぎる。単にパソ通の世界で目立ちたいから始めた書評や落書きが 今の自分には多分重荷なんだろう。元々「そういう」人間ではけして無かった。


(00/05/30)
 感想書きたい、というか書かなきゃいけない既読単行本が山積みに。 でも全然書く気がしない。元々「感想」ってのは草の根BBSでの会話の、 ネタフリの材料だったん。これに誰かがレスをつけて、それにまた ワタシがレスをつけて、という「読んだか?」「読んだ!」会話の為の口火。 でもWEBに移ってからは、どうしてもそういうレスが付きにくくて、 モチベーションが低下しきっている訳です。会話がしたいから感想を書いて 見せているわけで、会話が生まれないなら(たとえ誰かがこっそり読んでいるに したって)壁に向かって一人話し続けているのと大して変わらない。でも WEBってのは草の根BBS(+オフ書きツール)時代に比べて本当にレスを つけ難い状態だし、こんなこと言ってるワタシ自身、感想系サイトに行って 感想を読んでも、それに対してレスをつけることは殆どないという有様。 最近とうとうまともにレスのつくネットが一局だけになってしまって、ここが 無くなったらもうオシマイだなあと思いながら日々テキストを打っている訳で。 打開策を模索中です。御意見宜敷。

 成田美名子「NATURAL」で、主人公の少年が「本当の自分」に 長いこと会ってない気がする、本当の自分を出すのは難しい、という様な 事を言うんだけど、そう言う感じ。


 皆さんお元気ですか私は残業まみれですが生きてます。最近自分の血中ヲタク 濃度が薄くて薄くてどうしようもないなーこんなことじゃなーと思っていた所に、 てっきり一般人だと思っていた知人が実は某アニメ制作会社の演出助手(後演出) だった(というかそうなった)事がわかって妙にショックを受けている夜。それまで アニメ演出とかカメラワークとかについて好き勝手な事言い合ってきたのに、相手が プロとなると、ああ、もう下手なことは言えない、とか身構えてしまう情けない ヘタレ根性。結局私の演出論なんてのは「ヲタクっぽい話し方を身につけるための 小手先の技術」でしか無いわけで、「本物」の前に出てしまうとあっという間に メッキが剥がれるから、それが怖いんだ。所詮自分は「ヲタクのまがい物」ですら ないんだよな、と何だか痛烈に思ってしまう。このままアニメ・小説評「めいたもの」 を書いたり、マンガ「みたいなもの」を描いたりしてても、絶対「本物」には なれない。かといって作品をただ楽しむだけの真性「ヲタク」(その生き様よりは、 その知識を言う尊称)にもなれないし。アニメを作った事もなければ、小説を出版 したことも、マンガを雑誌に作品を載せたことも無い。ただの、田舎の、ヲタク (この場合は蔑称)なのだ。夢を追う勇気も、夢を現実にする力も無い自分の 人生と、夢に向けて着実に歩んでいる他人とを比べて溜息を付く。こういうのは 実際駄目な癖だと思うが、悩むことさえ忘れてしまいがちな昨今でもある。ただ 消費するだけでは終わりたくない。自分の腕を試すことなく終わりたくない。 自分に何が出来るのか、まだ何か多少なりとも残っているのか、と考えて、絶望的な 気分の中で、それでも描くのか、と自分に問いかける。


(00/05/23)
 意〜味無〜いじゃ〜ん。意味無いんだよ。人生には。「チグユー」以降、 合い言葉というか、トンネル思考的にこの言葉を吐いている気がする。 何のために生きているのか?/人生に意味なんて無いよ。アニメ作る奴も、 それを偉そうに批評する奴も、小説書きも小説読みも。凡そ虚構の類はまず 意味がない。だがそれに人生を懸ける奴の何と多いことか。今この瞬間も、この 国では何万という人間が漫画家を目指して模写やネタ出しや下描きやペン入れを やってるに違いない。意味なんて無い。何やったって意味無い。そこから 始めないと必ず「意味無いじゃん」という言葉に克つことは出来ない。 勿論目標を立てて努力する、なんてのも「意味無い人生から目をそらす為の行為」 でしかないんだし、虚構の存在や有名人に自らを投影してみたりするのもそう。


 自分にも高校時代が有ったなんて(自分でも)信じられない今日この頃。 後悔しようにも後悔するだけのネタが無い。高校時代ってどんなだったか 全然憶えてないんだ。人間関係は(一部を除いて)ホントに希薄だったし。 あの頃心底イタイ奴だった(今もか)ワタシと会話しようとしてくれた勇気有る 人達には、その分凄く感謝してる。特に地学部の面子(隊長、ドラムスキー氏、 M隊員、木戸氏、ニャッキ氏、キャプテン、比類無きO女史、タイキチ氏、あと イガラシ、K永、さくらちゃん、板東、他後輩の諸々)には一生分の感謝を。 彼処は間違いなく生まれてからこっち、26年間で最良の空間だった。 あの空間に居られたことを誇りに思う。・・・っつーか数年のブランクこそあれ 今でも付き合いが続いている辺り、高校時代の人間関係って奴ぁ、とも思うが。
 最近はネットでの出会いも大きくなってきたけど、何て言うか、まず趣味ありき、 という感じでしょ。人間として出会う前に「〜が好きな仲間」として出会う感じ。 それが辛いと言えば辛い。話はしやすいけど、そこから先、その趣味を越えた所で 人と人のつき合いに進展し難い。話すネタは幾らでもあるから、そんなときに 互いの人生を語り合ったりはしないでしょ。やっぱり、同じ時に同じ空間を 生きたという経験は、ネットでは得難い気がする。だからOFF会を求めるのか。


 某飯所でオバサマ三人連れが例のバスジャックで先に逃げた男達を悪し様に 罵っていて、ああ、やっぱり斯う言う事言うよな、日本人だもんな、という 気分になる。あの報道を見た瞬間から、これからあの実名報道されたオジサン達は 人非人呼ばわりされて可哀想な目に遭うだろうと思ってたんだ。因果的には そうかも知れないけど、だからってじゃあ何か、アンタが代わりに死ぬのかよ、 と言う気分になって怒りのあまりカレーが美味かったという。いや美味かったのは 単にそこのカレーが美味かったからで怒りは関係ない。例え命が助かったとしても、 卑怯者を演じて生き長らえる位なら死んだ方がマシ。そういう国なんだよな。 恥知らずになりたい。


 ある人に「あなたの星はまだ見つからないのか」と問われて、その星を 探す努力をさえ最近怠っていたことに気付かされる。スターシーカー失格だ。 日々の生活に流される。その流れの抗いがたいことと言ったら。 このまま行ったら本当に「帰ってこれなくなる」感じがする。一度は立った あの高みに、もう一度這いずり上らなくては。「人生の意味」?そんなの 関係ないのさ。だってこれは「呪い」なんだから。ああ、クソ、気合い入れないと。 全てを犠牲にしてもやりたいことがあったろう。人生設計なんざクソ食らえだ。


 某所でNS1000Mの音を久々に聞く機会を得た。パワーアンプで鳴らす紙 コーンウーファーの低音からベリリウムツィーター/スコーカーの高音への 滑らかな繋がりの爽快さにしびれる。近年フルレンジ(一個のスピーカーで 低音から高音まで鳴らす奴。昔のラジカセみたいに、ヘッドホンで聴いてる様な 定位の良さが有る。最近良いユニットが出ているらしくて、自作派が熱い) に傾いていたけど、やっぱりこのサイズこの構成でないと出ない音というのは有る。 特に低音はブックシェルフ型+スーパーウーファーの組み合わせじゃ出せない 「本当の」低音という感じ。中学生の頃結構欲しくて、でも12万(実売10万 位?)ってのはいくら何でも高すぎた。でも今見ると割とお手頃価格。97年に 生産停止(ベリリウムの毒性が云々、とか言ってた気がするがどうなのか)してる んだけど、中古とかでいい出物が有るかも知れないなあ・・・と思ってWebで 検索かけたら有るわ有るわ。中古だと5万位か・・・うーん・・・あ、でも 置くとこ無いか。NS-10Mでさえが収まりきらない状態になっちゃって、仕方なく ミニコンポ買ったんだった。テヘ。
 まずリスニングルームを作らないと駄目だな。あの音の良さの原因はスピーカー だけじゃなく、リスニングルームそのものにも有った筈。・・・・それに、 そもそも音楽を聴く時間を作るところから始めないと。最近ホントに音楽らしい 音楽(例えばウィンダム・ヒルとか。いやここは笑う所じゃなく)聴いてないよ。 スピーカーを少し動かしては聴き入り、また動かしては聴き入り、と言う様な 楽しみは今はもう遠い・・・今あるのは「いい音」への欲求と言うより、単なる 物欲かも知れない。
 これ前にも書いた気がするけど、以前某ゴミ焼却場に行ったとき、ゴミの中に NS1000が有ったんだ。今でも鮮烈に思い出す。あの時勇気を出して持って 帰っていれば!!!・・・いやユニット腐ってたけど。でもゴミ焼却場って ああいう「掘り出し物」がわんさか有る気がして、今でも時々行ってみたくなる。 でも「いいゴミが無いかどうか探しに来ました」とかって行くのは やっぱちょっとアレだしな。定期的に使えそうなゴミを解放してくれれば いいのに。潜在的なスカベンジャーは結構居ると思うんだけど。


 ちょっと気が重い。週末例の面子でまたバーベキューなのだ。今度は何組かが 子供連れ。知人の赤ん坊を見せられるのが死ぬ程苦手な私としては、それだけで もう割と辛い。自分が子供を持ったら考え方が逆転するんだっていうけど、 永遠に子供なんて持てそうに無いので、そういうのは永遠に辛いだろう。子供は 好きだけど、親馬鹿になってる親を見るのがちょっと辛いというか痒いというか。 「他の役割」を演じている知人を見るのは痒い。自分の父親が女子高生と援交を している現場を見てしまったような気まずさ(ひでえ)。まー、そういうのを 乗り越えてこそ仮面の向こうの人柄を知ることが出来るんだから、この手の かゆみは必要なんだろうけど。でもね、うーん。敢えて知りたいとは思わない っつーか・・・何ていうかね、俺何やってんだろう、こんなとこで子持ちの 人達に混じって大人のフリしてるけど、俺はホントは違うんだ、ここに居ちゃ イケナイんだ、みたいな気分になるんだよな。あーガキだよ。ガキさ。あと 19日で26歳だけど。


(00/04/10)
 本でも読むか。チグユーは半分がた読んだとこ。良くも悪くも新井素子。 周りの「自家中毒的」「狭すぎる」といった感想を先に聞いていたので、 「それほどでもないじゃん」的な感触で読み進んでいる。世界が「あたし」の 内側しか向いて無くて、しかもキャラが全部同じなのは昔からだから、それは、 そういうものなのだ、多分。

 等と中学時代に馬鹿みたいに書き散らした、この手の体言止めや☆を多用した 原稿用紙を思い出す。なんかねえ。結局の所たがみよしひさと新井素子に 「現代日本語」教育された様なものだから。元々どこかひっかかる言葉遣いに弱い。 富野台詞とかそうでしょ。・・・そんな時代を俺達は生きた。

・そういや赤瀬川源平「老人力」読了。今更。いやこういうのはタイミングの 外し方が肝要ですよ。でも面白かった。逆転の発想というと糸川先生ですが、 逆転というよりは路上観察眼の勝利とでも言うのか。路上観察学会なんてホントに 極々一部の「解る人だけの楽しみ」だった筈なのに、気が付くと世間一般に (発想のパクリじゃなく)コミットしているというのは、成程時は流れたのだ なあと。なんだかんだ言っても理屈なんだ。それが受け入れられるだけ「世間」 が赤瀬川的になってきたという。冗談なんだけど冗談の中にこそ真実はある、 というか。冗談のと真実の境目がないというか。粋だ。


(00/03/28)
 スキって気持ちはどこから出てくるんだろう。まあ今ではもう遠い日の花火 なんだけど、ああいう気持ちってのは一体何なんだろうなあ。自分の言葉に 笑って頷いてくれるだけで、嬉しくて天にも昇る気持ちになったり、ちょっと 冷たくされると家に帰って頭抱えて落ち込んだり。世の中でそれが一番大事に 思えてしまう。たった一人の人間にすべてをひっかきまわされてしまう。 思いこみだけで暴走してはうちのめされて。

 疲れて帰ってきてもー風呂入って酒飲んで寝るだけだー、みたいな状態で 思わず某キヨシロウライブのビデオを見てしまって頭冴えちゃってどうしよう。 無駄に血がたぎる。せっかく記憶の底に封印して忘れかけていた「為し得 なかった諸々」がぶわっと吹き出してきて20代半ばのボクを苛む。・・・ こんな夜にお前に乗れないなんて!・・・こう、自分の人生が単純だった頃を 思い出させて、ダイレクトでクリア、な感じ。自分の処理能力の限界を超えた 膨大な情報に翻弄されつつ生きている自分にとっては、この明快さこそ救い。 深読みはもう疲れたよ。
 実際自分の能力を超えた情報に囲まれているなあというのは有る。Webひとつ 取ったってそうでしょう。今まで見てきたWebページが何万とあるとして、その ページが毎日じゃないにしても更新を続けていて(勿論このページもその大海の 一滴なんだけど)。そういう無限の情報の海とはまあダイアルアップという 手間もあって常時接続してるわけじゃないからオーバーフローしないで 済んでは居るんだけど、これに加えてビデオが4台(こないだ一台増えました)が 自分なりに厳選したつもりの番組をタイマー録画し続けており、ラジオも 週に10番組以上聞かなくちゃ、本棚には未読の山と感想が書けてない既読の山が。 でも部屋に帰ってきてから寝るまで平均3時間程度(それでも最近マシになった方) の毎日でそれが処理できるかというと勿論不可能で、録ったビデオは早送り、 買った漫画は斜め読み、Webはちょっと覗きに行ってお愛想程度の感想を 書いてお茶を濁す程度。どう考えたってまともじゃない。
 あ、別に気にしないでください。いつものことです。年がら年中こんな なんで。これがデフォルト。いくら悩んで見せた所で問題解決に乗り出す 予定は有りません。いやちょっと知人の「我が世の春」ぶりに照らし出された 己の影に惑っただけさ。嗤わば嗤え。いやいっそ嗤ってくれ。


(00/03/27)
 日記で感想を書いてしまうと、改めて感想を書く気が失せる。あのフォーマット は元々パソ通でUPする用のものなんだけど、もうそれやってるNETなんて3局 だけになってしまった。毎回毎回DOS起動してVZで内容の確認(改行とか機種依存 文字とかのチェック)して云々、ってのがだんだん面倒くさく。うーん・・・いや、 でも、まだまだWebはパソ通の頃のあの居心地の良さには到達してないね。パソ通は いわば会員制クラブみたいなもんだったから、居心地良くて当たり前なんだけど。 Webという公道の片隅で、吹きすさぶ寒風にさらされながらも「居場所」を 無理矢理広げてる、ここは多分だんボールハウスみたいなもんなのだろう。


(00/03/24)
 某氏に開口一発「最近の日記暗いよ、読者を楽しませてナンボでしょ」とか 言われてみる。うーん。最近は意図して馬鹿っぽい方向に持って行ってたつもり だったんだけどやっぱ駄目でしたか。でも前に比べればマシになったでしょ。前は 毎日鬱日記だった。「俺はこのままでいいのか」って毎日つぶやいてた。今はホラ、 春頃だけだから。あとは忘れるもんな。いーんだよもーこのままでも。そういう 感じ。人ってのは今の自分を簡単に肯定出来る存在な訳で。諦め、じゃなく。 でも「今の自分に満足」って思ってる奴も「今の自分には満足できない」って のも、どっちも己を客観的に捉えられてない馬鹿の台詞だよなーと。あと暇人の 思考だなーとも。馬鹿の考え・・いやこの場合小人閑居して、って奴か。 もずく氏の言葉を借りればすべては「ただあるだけ」だってのが結局答えだと 思うん。そういう心境にたどり着ければね。ってそれはそれで怖い気もするけど。 やっぱ人生にはロマンがないと。この世に夢はあるか。人生を彩る愛はあるか。
 そしてそれに続くのは相変わらず眼と眼の間をトンカチで殴られる様な言葉の 数々(本人は屹度「そこまで」のつもりは無いんだろうけど)。でもまあそれは いつもの事として、それに対してさえ「もーどーでもいー」としか答えられない 辺りに「おしまいの風景」が見えてくると言う。以前は氏との会話からは得るものが 多かった。確固とした自我/価値観を持つ氏の前に立つと、自分の浅はかさは 片っ端から白日の下にさらされ、思い込みと勘違いは語る端から撃破される。 要するにこっちの甘さが浮き彫りになって死にたくなるんだけど、そこから 立ち上がる(立ち上がろうとする)過程で何かしらの衝動が有ったわけで。否定 される事で跳ね上がるバネの様な。それを自分でも感じていた。でも今はもうそれ さえどーでもいー、という感じに。もーどーでもいー。何だ安定してんじゃん。 素晴らしい。あきらめれば楽になる、ってのはこういうことか。
 その場その場の感情でしか生きてない。今を生きられない、とか良く言って たけど、ホントはそうじゃなくて、「今しか生きられない」んだ。後先考えて 生きてない。あるのはただ「ぼんやりとした不安」のみ。脊髄反射だけの人生さ。 夢も希望も中学の美術室に置いてきたよ。


・毎日毎日いい天気が続いている。でも仕事を終えて外に出るのは22時過ぎ。 そんな毎日。なんかもう目の前に26歳の「壁」が見えてきてクラクラしてる。 18越えたあたりから、こりゃ27までは生きるだろうと思って生きてきたけど、 さてこの先どうしたものやら。この先の予定は、白紙なのだ。何をしたいのか どんな人間になりたいのか、将来のビジョンって奴が何もない。アンゴルモアの 大王の降臨で死を得る筈だった1999年夏から早8ヶ月。

・こないだNHKのアーカイブ映像の番組見てて、ああ、そういえば「過去」 ってものが有ったんだよなとか思ってみたり。なんか最近あんまりにも「今」 しか見て無くて、過去という時間の結果に今自分は立っているのだ、という感触を すっかり忘れてしまっていた。大学時代は逆に昔ばっかり見てて、今を生きてない 恐怖に駆られたものだけれど。大学時代ももう遠くなった気がする。昨日のことの 様でもあり、だがもう3年が過ぎた。

・この3年間、一体自分は何をして来たろう。ただ空気吸ってるだけだったの かもな。古新聞の数だけ退屈を背負って年老いていく・・・大学を卒業してから、 もう4回目の春が来る。大学時代って何だったろう。18歳から22歳までの 輝けるべき4年間。だが僕の上に「青春」なんてものは影も形もなかった。 毎日毎晩活字に浸って、と言えば聞こえは良いけど、要するに対人恐怖症状態で、 部屋と図書館の往復だけが「生活」だった。現実との接点は活字しか無かった。 しかも現実を映すような活字は怖かったから、1920年代文学に逃避して。 かつて日本に確かに存在した、「檸檬の季節」。たった10年程の、幻想の時代に 頭のてっぺんまで浸かっていた。浸っている間は異常に幸せな気分になり、 こんなに美しい時代がこの世にあったのか、この素晴らしさを世間に知らせよう、 と躍起になった。だがそれも過ぎ去ってみれば遠い残響の様なもので、今はもう 手を触れる事も無い。夢の中で夢を見ていた様なものだ。何も残らなかった。

・毎日毎日自分の無能さに愛想が尽きていく。何かを始めなくては、何かを やらなくてはと思いながら、今夜も時間だけが過ぎていく。やっぱり 「出来ないことを出来るようになっていく」のが基本かなあ、壁を乗り越えていく 、その辺にしか答えは無いんじゃないか・・・とか。痛みを伴って「乗り越えた」 時にのみ得られる「手応え」ってやつが欲しいんだ、とか。痛みは必要?だって 痛みがないと、生きている感触が無いでしょう。幸せと悲しみと、その波が 有ってこその人生で。ただぼんやりと幸せな日々、っていうのは、結局 「ぼんやりとした不安」に他ならないのさ。等と頭の中だけで何度も何度も ぐるぐると考えては強烈な不安に襲われて酒に手を伸ばす。結局「目標の喪失」 が最大の問題なのだ。目標設定の力がないから目標達成に向かって努力する事が 出来ないのだ。人生の喜びは「目標に向かって努力する過程」にしか存在しないと 言うのに。


・久しぶりに友人と長電話、を強要される。焦って、浮き足だって、聞いていて (こっちが)辛い。まるで冷静さを欠いている、という事は本人にも解っては いるのだろうけれど。にしたって明日〆の仕事が全然進んでなくて、己の プロジェクト管理能力を根底から信じられなくなった挙げ句、鉛の様な心で ようよう帰ってきた拙者に対して、25時頃までカレとカノジョの舞い上がった 微熱瞳が潤んでる状態を延々と聞かせるなんて仕打ちが有ろうか。どうしたら いいかなんて聴かないでくれ。どこまで行ったって君らの問題じゃろ。まあ春も サカリで男もつらいよであり女もつらいよな訳ナノカネ。畜生しげりやがれ。 心当たりのある人間は、ちょっと反省してください。拙者は、ホントに打ちのめ されました。ていうかホント勘弁してください。ことそっち方面に関しては 全然駄目なんすから。何も言えないっすよ。哀れと思さば誰かいい人紹介してヨ。


・夜、サイキックで大川総裁のマイナス話を聞いて不安の種が音を立てて弾ける。 別に職が無い訳じゃないし、友達が居ない訳じゃない(と思う)。社会との 接点も多少有るさ。でも、基本的にワタシの精神は今も「引き籠もり」(何て 痛々しい言葉が定着してしまった事か)な人のそれなん。斯う云うの、わかんない 人にはわかんないだろうけど、一度ならず「そういう」闇の入り口に立った事の ある人間としては、「再発」が怖くてねえ。思考に”トンネル”が出来てるから、 ちょっと油断するとすぐに思考が「そっち」に流れ込んでしまう。あ、今俺「再発」 しかけてるんじゃないか!?とか。思考がループしながらどんどん内に内に と入っていくあの感触は未だに忘れられない。出口がどこにも見つからない あの恐怖。一度踏み外したら、数日を待たずして「あの状態」に戻ってしまう だろう予感は強い。或いは何十年か後、孤独な老後を迎える頃、あの闇が再び僕を 捉えるだろう事は想像に難くない。ま、それまで生きていられればの話だけど・・・ ってな感じでどんどん暗い方へと思考が流れて止まらない。向き合うのを 避けているだけでは、多分根本的な解決にはならないのだろう。闇はいつも 足の下に在る。状況はあの頃と何も変わってはいないのだ。


(00/01)
 忘れたはずの顔が夢に出てくる様な一日。昔の写真を眺めてみたり。雨は 駄目だ。鬱々と過去に引きこもる。あの時あと少し、あと半歩踏み出していたら。 だが今あの状況にいれば、やっぱり踏み出せないに決まっているのだ。例え 成仙道に過去を消して貰っても、ワタシがワタシで居る限り、同じ事の繰り返しだ ・・・いや、消すべき過去さえワタシには無いのか。ワタシの中にある過去は、 全て虚構に関するものばかり。現実の社会生活の中で得られた「体験」など 皆無なのだよ。即ち駄目人間。ムラサメ研究所で模造記憶でも植え付けて貰った 方がマシかもしれない。・・・・・ここんとこずっと鬱みたいな状態。アニメの 感想書いてる分には安定してるんだけど、闇を見つめるとドロドロが吹き出てきて ヤバイのよ。虚構で己が不安を紛らしているのさ。直面することを恐れる故。


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