白炭屋カウンターへ

古まった日記達・1998−01(前半)


まわるまわるよじだいはまわる篇。


Life is going by too fast for me.
I'm not accomplishing anything...I'm not getting anywhere...
I'm not even learning anything...
Stop the clock!


JAN.15.1998(THU)雨の成人式。

 今日も雨である。
 大学で八木先生の生物学を受けている夢を見る。 鶏の胚に、鶉の胚の脊髄(或いは脳)に当たる部分を移植するもの。 これを孵化させると、鶏の身体に鶉の羽、或いは鶏の身体に鶉の頭を持った キメラが生まれる。だが、胸腺が発達して自他の認識をする様になると、 拒絶反応が出てキメラは死んでしまう。自己の中心とも言える脳でさえ、 「身体」から観て体外物質だと認められたときは切り落とされてしまうのだ− という様な講義。それを眠気と戦いながら、階段教室の後ろの方で聞いている自分。 階段教室は暗く、外は雨だ。考えてみると、この先生の講義は同じ単位の講義を 3度受講して、3度不可を食らったという輝かしい成績を誇った拙者。 殆ど毎回出席してたけど、レポートを出さなかった(そりゃ落ちるわ)んだ。 呼出食らって研究室まで行ったことは一度ならず・・・ 虚しさで目覚める。もっといろいろ勉強すれば良かった、と、これは 年寄りの繰り言なり。勉強は何時でも出来たさ。だがそうしなかったのは 自分じゃないか。立花隆の言う様な馬鹿大学生のままで4年を過ごしたのみ。 得る物は大きかったが、だからどうだというのだ。何も成し得なかった。

 昼頃起床。休日出勤の話もあったが、もう行く気は完全に無し。 マシンに向かい、何とか先月来描いているものを仕上げてしまおうと試みるが、 出来ず。環境整備とか以前に心理的問題が大きい。 コンセントレーションを完全に失っている。斯う言うときのクリア方法は もうただただ何もしないで寝ることだったのだけれど、 そんな余裕は今は微塵もない。
 気分転換には読書の力も大きい。という訳で雨の中本屋へ。 わかつきめぐみの新刊「きんぎんすなご」を核とした気分転換用本を買い込む。 期待通り、わかつき作品の気分転換効果は覿面で−効果が有りすぎて もう何もする気が起きない・・・
 「恋をしなさい」とは、ね。全くだ。目標達成への長い道のりを面倒臭く感じない、 その過程全てが、過程そのものが喜び−と、嗚呼、そういう事もあったげな。
 あー。そう言うわけで、今夜も何も描いていません。御免なさい。

みのうら氏のウテナ観を読んで、開眼する事有り。 どう開眼したかは秘密。ぼんやり「そういう」結論にはたどり着いていたのだけど ああ、やっぱそうなのか、と。いや真実は一つじゃないにしても。


JAN.14.1998(WED)豪雨。

 雨。
 昨夜のDS9を観る。オドー、あれは意地悪過ぎというものだろう。 彼らしいと言えば彼らしいが・・・艦隊勤務とステーション勤務では、 生き方が全く違うのだ、と言うことを一番良く知っているのはシスコだ。 今回のウォーフを観てて、最初の頃の司令官を思い出したよ・・・。 今では一見丸くなった(頭も)シスコだが、その内部には今でもウォーフなど 比べ物にならない程の力と闘争心が・・・目が怖いんだよなぁ・・・司令官・・
 今回はそれよりもオブライエン&ドクターのコンビである。 彼等のコンビの噛み合わなさは以前から見え隠れしていたが・・・ オブライエンは経験豊かな(何せ”あの”エンタープライズに乗っていたのだ) 実質的軍人・技術者であり、ドクターは経験値の少ない若き医療士官なのだ。 その理想と現実のギャップ・・・どちらが正しい道だったのか・・・ ジェムハダーの言葉を借りれば「どう訓練されているか」の違いと言ったところか。 連邦の医師は苦しんでいる者を哀れむ様訓練されている・・・言い方こそアレだが その通りであろう。その「訓練」、社会的洗脳を超えて宇宙的倫理を決定できる 者だけが、艦隊司令官と成れるのだろうな・・・ピカードとか。あの人はちょっと超えすぎかも。
 それにしてもジェムハダーってまんまゲルショッカー。 ゲルショッカーは3時間毎に薬を打たないと、肉体が崩壊してしまうのだった。 あー今週も仮面ライダーが楽しみ。って話がずれてますねどうも。えー。

 その他は特に何もせず。睡魔に飲み込まれて、眠るのみ。


JAN.13.1998(TUE)雨後晴。

 部屋は相変わらず汚い。思う存分時間をかけて掃除がしたい気分だ。 部屋の中のモノを減らしたい・・・何とかして・・・。

こんな記事を読むと、アメリカにも歴史有り、だなあとか思う。 1920〜30年代は菓子産業的にも大きな転換点だったのだろう。 アメリカの大手菓子メーカーの創業期の話とかってのを、まとめて読んでみたいな・・ 拙者も子供の頃「チョコレート工場のひみつ」を死ぬ程読んだクチで、 だから未だに大きな工場とか観ると、中に入ってみたくなるのだけど(刷り込み現象) ・・・「工場」には秘密がいっぱいだ・・・
 そう言えばETVだかで昔、街ごとチョコレート工場だった (全ての行程を行うためにいくつもの工場が造られ、労働者が住む街・劇場・ 商店等も工場と融合していて・・・)っていう街が出てきてて、 それはかなり「そう」だったな・・・・
 ハーゲンダッツの創業者も随分前に亡くなったが、彼は確か移民で、 街頭のアイスクリーム屋台から初めて・・・とかいう話だったと記憶する。 他にも、色んなドラマがあるに違いない。 「映像の世紀」みたいなノリで菓子産業の話とかやってくれないかな>NHK (若しくはBBC)。

アミーゴス新春放談は、話の飛び具合が見事。 まぁその辺逐次軌道修正は狙ってやってるんでしょうけど。必要最低限の紙数で 今の「ヲタクシーン」の一端を見事に語りきっていて、一読の価値有り。 まぁ皆多かれ少なかれ似た様な事を考えてるんだなぁ、という確認の為にも・・ でもこれをまた鵜呑みにすると痛い目に遭う訳で・・・鵜呑みにしちゃうな・・・ 多分(でも自明の事として語られている「ゲット」の喜び=狩猟本能の満足、 ってのはホントの所どうなんだろ?また、実際の「モノ」と、ゲームボーイの中の ポケモンといった(基本的には唯一無二の)「データ」とでは、 ゲットの喜びは違ってくるのだろうか?)。
 結局今の「我々」の生きる指標は「物欲」なのだ、ソフトからモノへの不可逆な ストリームの中に我々は居るのだ、と。ソースよりもグッズ。 プライズマシンにどかどかと100円玉を投入しては、用途不明のキャラグッズを コレクションし続けた日々。所謂「エヴァ破産」する我々・・・と言った無自覚な 行動は、しかし気がつけばそう言ったストリームの中にあったのだ。 少なくとも昨年後半の動きは全くそうだった。だが今年は・・・

 ・・・でも最終的にはやっぱり「あの日あの時あの場所で」だと思うんですけどね。 イベントは自分で起こすか或いは参加するかにせよ、イベント参加型が 最後にして最強のスタイルだと思う。モノも情報も「ライブ」(の記憶)の前では かすむ。−イベント、てのは突き詰めると「個人的イベント」、 「ヨコハマ買い出し」の価値観なんだけれど・・・日常と違う、 脳に新しいディレクトリを作る様なイベント。「思い出」にはメリハリが必要なのさ。


JAN.12.1998(MON)虹。

 5時前、曇天のグレーの空をバックに、沈む直前の夕陽を浴びて、 隣のビルが真っ黄色に染まっていた。強烈なコントラスト。 そのビルの向こうに、虹が2本出ていた。凄い光景。ものの10分で 太陽は沈んでしまったけれど、今日最大のイベントは、だから虹を観たことだったり。


JAN.11.1998(SUN)雨。

 今夜は飲んでてかなりへべれけです。 文章が変なのはそのせいだと思し召し下さい。

 午後起床。もうクレヨン王国/カブタックを観なくなってどれくらい経つのか。 いやメガレンジャーは再放映で観てますが。ああ、いかんいかんぞこんな事ではッ。
 朝飯だか昼飯だかを食した後、塵溜の如き部屋の掃除。せめて机の周りだけでも・・・ の筈が、一向に片づかない。掃除のBGVと称して手持ちの未見ビデオを流していたら、 思わず手が停まってしまうのだ(当たり前)。然しその中で思わぬ当たりを発見。 「万能文化猫娘」だ。観ながら書いたテキスト

 ・・・あと昨日ETVでやってた「知への旅」が良かったです。 今回はアーサー.C.クラークだったですよ。 「3001年:終局への旅」執筆の話とか・・・ 今や「最も尊敬されている予言者」となったクラーク。 ポリオの後遺症で足腰が弱り、杖無くしては歩けない程に如何にも老いた外見。 ただ、その脳だけが、1950年代の活性から寸毫たりとも衰えていない様だ。 それは、その喋りと目を見れば自ずと伝わる。 老人的頑固さも見え隠れするが、それは老人性というよりも寧ろ、 科学的真理を絶対のものとして「信仰」している、知性有るものが持つ威厳を感じる。 真理は一つであり、だから他の意見には耳をかさない、と云ったハードさ。 ハードSF作家に相応しい。
 「政治体制や経済が近い将来どうなるか等全く予想が出来ない中で、 唯一科学技術の未来だけが、予想出来得る」とする彼の未来世界の中には、 動物が人間の世話をする様になる・・・と言うのがあって、これはもうかなり 補完機構。でも、クラークが云うと「成る程、人類(特に西洋文化圏)の理想的生活は 奴隷制無くしては無い訳で・・・家政婦ロボットよりも寧ろ「動物」がより 自然に「奴隷」であり得るから・・・」とか「あり得る未来」(変態的では無い、 という意味で)として見えてくる。・・・と言うことはメイドな猫娘とか有りなのか? 名前の頭にC'とかつけるのかッ?・・・ああライフサイエンスが「緩く」なる時代に 生きていたかった等と今心底思っている私。・・・何か違うかも。
 然し1000年先の(科学技術的)未来を(本気で)予測しようとしている 人間なんて今この世にどれくらいいるのか・・・「科学は人を幸せにはしない」 という様なせせこましいパラダイムからは、完全に切り離されたところでクラーク老は 生きている様だ。人類がまだ外宇宙に最大の興味を持っていた頃のまま。 「地球に優しい」とかそういうわびさび的レベルじゃなくて・・・ 宇宙は広いのだぜ・・・・そこには未来が有る・・・・・中高生には もっと(古典)SFを読んで貰いたいものだ。 未来は地球の上にしか無い訳じゃない!(否定の連続)
 実際「汚れ、古び、今は人々の記憶の中にしかない地球」なんてな基本だぜ基本。 なのに、僕等はまだ月にさえ基地を持っていないのだ!C60で縒ったワイアによる 軌道エレベーターくらい、今直ぐにだって造れそうなモノだが・・・ ああ!宇宙へ!宇宙の海は俺の海ッ!俺は宇宙を彷徨った挙げ句、 ヘビーメルダーの砂漠の中で、宇宙放射線病で死ぬのだ。 ああもうそれしかない(現在のBGM:銀河鉄道999(ABC))。
 ・・・えーと、BBC制作なのでかどうか知らないけど、 MGMロンドンでの「2001年」撮影当時の映像ががしがし出てきて面白かったです。 多分当時の特番のフィルムだと思うけど、ほのぼのしてて。

 で、まぁそういうのを観ながら時を過ごしていたらあっという間に夜になってしまって。 せめて今月発売のアニメ誌だけでもチェック入れなきゃ、と某121まで車を飛ばす。 一時組合運動の関係(と聞いた)で、ゲーセン以外は死に絶え、 不気味な廃墟然としていたこの店も、先日来本屋の部分とレンタル屋の部分が再開して (かなりお座なりにはなっているが)イイ感じなのだ。 オマケに今度はCDショップまで出来ている(でもいろいろ手を広げると、結局どれも 気が行き届かないので全体として貧乏くさくなる−のは致し方有るまいか・・・)。
 ゲームショップで、話題のグランツーリスモをテストプレイ。だがあまりのショボさに 「本当にこれが!?」という気分になる。多分やり込むと面白いのだろうが、 敷居が高そうだ・・・ちょっと様子見に逃げることにして、中古のコーナーを 眺めていたら、以前欲しかった「バーチャレーシングセガサターン」が980円に なっていたので思わず買ってしまう。 後今月のメージュと先月のFRと「彼方から」「NATURAL」 「おまかせ!ピース電器店」「カードキャプターさくら」の各新刊などを買って帰宅。
 「バーチャレーシングセガサターン」は聞きしに勝る出来。これはもう 「バーチャレーシング」のパチモンとしか云いようがない。酷すぎる。 メガドライブ版の方が一億倍は良い。なんて言うか・・・・この移植チーム (どうもアメリカらしい)は「移植」する気が全然無いみたいで。 恐ろしく長い「Now Loading...」はまだしも、肝心のレース中の画面 (マシンの挙動をはじめ、もうありとあらゆる・・・)があまりにもオリジナルとは 違っている・・・本当にこのゲームをゲーセンでプレイしたこと有るのか?的。 まぁ「洋ゲー」だと思えば怒りもおさまらないではないが、それを逆なでする なれなれしい(というかガキヲタクっぽい。「みてね☆」「なのだ」「!?」等多用。 「ピチピチギャル(死語)」って・・・)取説ががもう・・ 「数々の工夫を凝らしています」って凝らすな!工夫を! そのまま移植しろ!それ以上何も求めないからさ! ああもうコース説明ムービー(然も凄いお座なり)とか入れるなぁぁ! あのゲームはそのシミュレーター的ストイックさが良かったのだよ! ・・・せめてデモはもう少しまともに再現して欲しかったなぁ・・・。 「移植」ってのは、ゲーセンで稼働しているときの匂いも再現してこそ、 ってのが日本じゃ常識なんだけど・・・アメリカじゃぁねぇ・・・ セガの体感シリーズの中では、移植度はメガドライブ版の ハングオンよりまだ酷い。泣くぞ。マヂで。 セガには是非とも「アーケード版の移植」をお願いしたい。 ・・・もうこうなったらあの真っ赤な筐体を買うしか 他に道は無いのか。

 ・・・あッ。32X!そう言えば32X版が有った!もうこの屈辱を晴らすには 32X版を買うしかないッ!って今32Xって手に入るのかなぁ。


JAN.10.1998(SAT)。風邪が最高潮。

 土曜日は休日の筈だが、何故か26時まで仕事。 お陰で98年最初のバスケには参加できず、悔しい思いをする。 帰宅して仮面ライダー(地獄大使とショッカー日本支部の最期、 そして、アフリカの特殊部隊ゲルダムを加えて再編成された”ゲルショッカー” 日本支部結成式まで。面白すぎる。心が震えた・・・ああこの感動をどう 伝えたものか・・・)を観、ルパン(いまいち)を観て、夜明け前に寝た。


JAN.09.1998(FRI)風邪ひきさんパート4。

 25時頃に会社を出る。駐車場の車のフロントガラスがバリバリに凍り付いていてたまらない。 何で車のフロントガラスは、そんなに寒くない夜でも凍ってしまうのだろう?謎。 だれか子供電話相談室に電話してみて・・・

 26時頃帰宅して、さっき今日の「ガガガ」を見終わったところ。「燃えない」「いまいち」 「狙いすぎ」「セパレート面多すぎ」等と云われ、実際僕もそう思ってきていた昨今。 何かもうとっくに最終回迎えちゃってた様な気分だけど、まだ続いてたのね・・とか。 キングジェイダーに勇者達が載って「行くぞ勇者達!」「おう!」とかって敵内部へ「特攻」して 行くシーンでさえ、何やら冷めてしまうのだった。結構熱いタイミングなのだけどなぁ。 受け手たる拙者が冷え切ってたしなぁ(室温8度。気持は零下1000度)。ああ。 やっぱ「ザ・パワー」が問題な訳で・・・「謎解き」が有れば或いは。

・立花隆関連で適当に眺めていたら、例の先端研探検隊の報告書のページにたどり着いた。あくまで「報告書」なので、 部外者の興味本位的なものとはその視点を異にするが・・・・。然し実際、(国立)大学の研究室、 特に工学系の学舎というのは、歴史の差こそあれ何処も斯う言う性質を持ってしまってるんじゃ ないだろか。そう言えば徳島大学の工学部も、造波装置とかの謎の機械が結構有った気がする。 やっぱり「過去そうであった」という情報よりも、経年変化を受けた「モノ」の方がよりリアルだし。 んー。文学系はその辺、基本的に情報しかないから(本しか無い・・・)。

・最近夜眠れなくて辛いので、またTheWidowmakerRebornを読み始めました。睡眠薬代わり。 エイゴだし、4.5頁も読むと眠くなってイイ感じ。 あ、前作TheWidowmakerの紹介も有りました。でもストーリィ紹介してないなぁ。 やっぱアッチでもネタバレは厳禁なのかしら。うう。・・・で、 どうも前作からしてクローンの話らしい(Rebornでも先に死んだクローンの話が出てきたけど)。 何か凄いよな・・・主人公はクローンで、その本体は今も冷凍睡眠状態。 勿論ラストに至ってクローンがアイデンティティに悩む(らしい)のはお約束。 ああ、相変わらずおもしろかっこいいぜ>レズニック。やっぱ前作買うか・・・ キノクニヤの通販使って。でも何か読み終わる前に和訳が出る予感がするですよ・・・ 創元辺りから。どうなんでしょ。

・SFと云えばこの2月号(12月25日発売)で通算で500号を数えるSFM。 まぁえらいことになっているらしいのだけど、 何処の本屋にも無くて。いや前から量は無かったのだけど、唯一有った本屋にもない。 注文してまで買う気は毛頭無いし(待てば図書館で借りることが出来る)・・・ という訳で、まだ全然読んでないです 1月号。 然し12月末に出る2月号とかって変だよなぁと前から思ってるんですが・・・ 何でなんでしょう・・・


JAN.08.1998(THU)風邪ひきさんパート3。

 なんか機能低下したまま生きてます。ぐらぐらするよう。鼻水は止まらないし。ああ。
 今の拙者のステータスは「毒」。HP残量は、PITに落ちれば即死な程度。 それも一歩歩く毎に減っていくという。はやくリルガミンの城に戻って、 馬小屋に泊まりたい・・・嗚呼、こんな事なら学生時代に回復系魔法を学んでおけば良かった。 せめてDIOS・・・・

 近年頓に電波を受信し出したと噂の旧友から年賀状。相変わらずディープでキュートという感じ。 パンク系ミニコミ誌(”80年代初期の関西アングラ文化徹底検証”雑誌とか。もうこの上なく濃い。) 専門フォロワー、みたいな生活をここ数年送っている様で、周りは既に諦めモード。ついていけないのだ。 昔から頭の回転は無茶苦茶速くて、切れる奴だった。トモダチ思いだし、個人的には凄くイイ奴だと思う。 ・・ただ、電波が聞こえちゃうだけなんで・・・所謂「電波の女」((c)水玉)。 電波な彼女にとって、私は「SF大会に行く人」という分類らしく、「SF大会行ってる?」とか。 行ってねぇ・・・行きたいのはやまやまなれど、だ。大体彼女の言う「SF大会」ってのは、 UFOフォロワーとか霊能者の集会みたいなモノらしいし。まぁ外から見ればSFもUFOも サイババも似たようなもんでしょうが。やっぱ大槻ケンヂがSFだってのが勘違いのモトなのかも・・・
 あ、実は今年、結局年賀状を一枚も描いていないという・・・描かねば・・・寒中見舞い?

・東京では大雪とのこと。雪か・・・しばらく雪も観ていない・・・

・某わんこ師もアートパッド2プロに移行された様ですが、ああ 線が太くなってしまう のは私だけはないのね。そっと描けばより滑らか、という事か・・・ふむ・・・ていうか 実際のペンで書いても線太いんでは>拙者。筆圧高いんだ。 でも筆圧設定はいじらない方が身のためだよ、とすけくぼ氏には教わったし、多分そうなのだろう。 デフォルト値が一番だってのは何事でも基本。身体を合わせるのが一番速い。
 今は(わんこ師の途中経過的画廊 とかもそうなんですけど)他の人がどうやって描いてるのか、そういうのが知りたいです。 実際こういうのは巧い人の描き方を真似るに及くは無しで・・・ 昔のコミッカーズにペインターの使い方を寺田氏が講座されてたというのを 聞いた様な記憶があるけれど・・・

・某筑紫哲也NEWSでの、立花隆の放談を観ていてもう何だか辛くなってしまう。 別に「勉強」主義者って訳じゃないけれど、自分の無知さに呆れる事が多い昨今。 欲しいのは、並列に存在する「知識」量じゃなくて、知の階層を積み上げた理解力の高さ。 数学だったり物理だったり言語だったり・・「勉強」してやっとたどり着けるもの。 論理のあるもの。そういうの。
 この立花隆の放談からは、いろいろ考えさせられる事が多くて・・・ここまで生きてきた 自分を振り返った結果、応用能力の欠片もない、「学校教育の悪例」みたいな存在だという事に 気がつく。いや元々そういう「資質」は有ったんだろうけれど・・・・自分が信用できない。 自分の価値観が信用できない。誰かが提示してくれるそれを鵜呑みにするのみ。 保育園以来の学校施設で過ごした20年の歳月、僕は無言で椅子に座り、ただただ与えられるものを 無我夢中で詰め込んできた。湯飲みの例え(日本の学生は湯飲みと同じ。机に並び、 茶を注いでくれるのをただじっと待っている。質問する者は誰一人としていない)は、 全く自分そのものだ。自分から何かをすると云うことが無い。マニュアルが無くては判断ができない。 でも、そのマニュアルがどこにあるのかが解らないから、そのマニュアルを探す為の、探し方の マニュアルを読む様な日々。どうやって息をしてきたのかさえ解らなくなって窒息死する愚者。
 学生ならまだしも、こういう人間が会社に入ると、一体どういう事になるかは容易に想像がつく というものだ。単純作業以外の仕事はまず不可能。僕は、今、滅びの時をじっと待っている・・・ ・・・・待っているのだ。自分から動くことが出来ないから。

絶望的。


JAN.07.1998(WED)風邪ひきさんパート2。

 あ゛だま゛い゛だい゛〜。・・・・アダマンタイト・・って何だっけ。FF?
 可成りトリップ状態。背骨がぎしぎし云う音が聞こえる気がする。気がするだけだけど。

 帰宅後、BSアニメ劇場のチェック。KEY THE METAL IDOLって初めて見たんですけど、 うーん。変なアニメ。個人的には絵が駄目です。なんかこー、全体的にいなたい(まだ云うか) ちゅーか、貧しい何かを感じる・・・いや貧乳は兎も角として。

・久々にWビジョンでクリィミーマミを見ていたら、 早川あおいが出ていて吃驚した。第31話、伊藤・望月コンビによる名作 「優のフラッシュダンス」の中盤、優が図書館で調べものをしているシーン。 Wビジョンだと放送開始15分あたりで出てます。一目で解る。ちゃんと名前文字も判読できる・・・ うーん。可愛い・・・・

・1974年生まれについて。
 まだTINAMIでうろうろ、は続いています。毎日そんなに時間無いしさ・・・ で、その中で「おおッ」と思うHPの多くが、自分と同い年の人間だったりして妙な感じ。 HPのプロフィールを観てると、可成りの確率で1974年生まれという。 つまりプロフィールを見に行ってしまう程にそのHP作者に興味を持った、という訳で、 これは恐らく僕の潜在意識が「同級生」を嗅ぎ分けているのだと思う。 年上の人のページは如何にも年上だって解るし・・・ そういう部分を何処で嗅ぎ分けているのかは不明。恐らくはそのページから漂う「未熟さ」 度合いなんじゃないかと思うのだけど。「青さ」というか・・・好ましい意味での。 いやだから何と云われても困りますが。ただ、何となく。そう言う事って無いですか?無いか・・・
 うちのめされるですよ・・・スタートは同じだったはずなのに・・・とか。 自分は一体今まで何をしてきたのか・・・・とか。比較してどうなるものではないのだけれど。 1974年生まれは今年で24歳。試練の年では、ある・・・・この一年をどう生きるかで、 また1974・・昭和49年生まれのその後の人生は大きく変わる・・ってまぁ何時だって人生は 岐路の連続なんでしょうが。選択の度に、その後の生き方が変わる。あの子に話しかけようか? それとも止そうか?・・・の一瞬の選択が今の生き方を決めていたりして(後悔含む)、 全く人生は不可逆な選択肢の連続なのだ。やらないで後悔するより、やって後悔した方が良い、 ってのは、アレはでも真理かな・・・取り敢えずやっとけ、と。人生は思い出づくりの旅なのだぜ (・・スイマセン。最近また過去が襲ってくる事が多くなってて。)。 門松は冥土の道の一里塚・・・・

 えーと。今夜はもうネタが出ません。・・・・おやすみなさい。


JAN.06.1998(TUE)風邪ひきさん。

 本格的に゛風邪を゛ひい゛た゛み゛だい゛。或いは例の感冒か。鼻水がもー。 身体の節々が痛くなり、扁桃腺が腫れてきて、脳がぼー・・・っとしてるのはいつものこととして。 然し今夜も帰宅したらあしたのジョーが始まっていたという。いい加減仕事配分を調整しろ>自分。 出来てないものは出来てないんだよう((C)わかつきめぐみ)って。
 こまつだいら氏の情報によれば 今月はわかつきの新刊があるらしい。注文しておくべきか・・・・アクアリウムも 二版でまた描き下ろしがあるというし・・・。ああ、しかし考えたらまだアナルマン買ってないぞ。 売ってない・・・もしかして徳島では悪書追放の対象だったりして。注文するしかないのか・・・うう。 そう言えばぴから出てる唐沢商会のアレとかも未入手だった。 今の内にゲットしておかないと、また悔しい思いをする羽目に・・・

△年末年始見逃して悔しかったモノ:「こどちゃ」「名探偵コナン・時計じかけの摩天楼」。 この2作は周りが褒めまくってるので、余計見逃した辛さが募る。 ・・・コナンはまぁレンタル屋に行けばいつでも・・・でも「タダで観られる」ってのが 大きかったりするからなぁ割と。だってLD買ってまでは観ないし。こどちゃもそう。 やっぱり何だかんだ云っても同時性は大きいし、努力無くして勝利無しというか。 ちゃんとラテ欄ラインマーカー(蛍光)片手にチェック入れなきゃ。と言う訳で誰か録画してたら・・・ でも観る時間が無かったり。年末年始のエヴァ特番onTV大阪、もさっさと チェック入れて消してしまおう・・・ああ・・・未見が溜まっていく・・・大体毎晩ビバリー二本なんて 絶対消化不可能だって事に気づけよ>拙者。

 あ、遅ればせながら例のJTRON特集記事(讀賣新聞1997/12/26)を読んだす。以前 WIREDだったかで「我々は電話を使うとき、それと知らずにTRONユーザーと化している」 てな話を読んで燃えたモノでしたが、気がつくと自分家がトロンハウスになってました、ってのは やっぱり驚く。後は繋ぐだけじゃん。やるなぁ、坂村健。
 坂村先生、例の「知の解放」 とか観てて、ああ、とうとう窓際に追いやられたか・・・とか思っていたけど、 やっぱ凄いわ。影の帝王というか、深夜の市長というか、いやもうこれだから油断ならない。 知らない所では大ブレイク、というのに弱い私。ポケモンとかもそうだったけど。 「組込型」とか「リアルタイム」とかそういうの良く分かんないんですけどね。 でもあの時期、この人がいなかったら日本語のコードはユニコードに多い潰されてしまった 可能性が高いんじゃなかろうか、というのを今になって漸く感じる次第。 当時は対ユニコード戦を「狂信者の姿」的に捉えていた私ですが、今や尊敬の念は強い。 文化は、一度失うと、取り戻すのは困難なもので−。
 例えば東大明朝(10万字)の話は以前SFMの東野司の記事で知っては居たんですが、 それがTRON専用だというので(何も知らない私は)笑ったモノでした。今更?とか。 でもWindowsの「多国語」のどうしようも無さを知った今となっては TRONこそが唯一の希望かも知れんと。

・一応坂村研のリンクを。


JAN.05.1998(MON)星新一氏死去のニュース。ご冥福をお祈りいたします。

 ノックの音がした。

 25時過ぎ帰宅。風呂に入った後、暫し本棚の前に座り込んで星新一作品をぱらぱらと捲る。 どれもこれも良く出来ている・・・当たり前だが・・・思わず時を忘れてのめり込む。
 早川版「冬きたりなば」の巻末解説(平井和正)を読んで久々に興奮する。 星氏の才能を独占出来た当時のSFサッカークラブの方々には、 その記憶が薄れぬ内に是非とも星語録の編纂をお願いしたいものだ。
 今あの狂気の様な「解る者だけに解る」(これは無上の快楽だ)笑いを提供出来る人って 居るのかどうか。昔のあじまとか昔の関西芸人とか昔の筒井とか・・は そういうのが飛び抜けて巧かった。今でもそれが出来そう(最近やってないけど)なのは とり・みき位?と学会やアミーゴス、サイキックや唐沢商会なんかは何か「違う」し・・・

 数年ぶりに「きまぐれ星のメモ」を読んだが、何かもう無茶苦茶面白い。確か4〜5回は 読んだ筈だが(当時はまだ一冊の本を何度も読み返す余裕があった)・・・。 内容は忘れてこそ居ないものの、斯うして数年の間隔をおいて読み返すと、 自ずとまた違った感想が生まれるものだ。もう一度読み返してみようかしら・・・
 等と云っていたら、そのまま筒井の棚、小松の棚・・・と彷徨い出す始末。 筒井の再読も暫くしていないなぁ・・・そう言えば平井和正も・・ という訳で、このまま60〜70年代日本SF再読ブームに突入しそうな予感。 実際未読処理に明け暮れる日々はもう限界みたいだし、これから暫くは再読を中心に 懐古モードに入ろうかしらん・・・筒井の世界をもう一度探訪・・・ 考えただけでゾクゾクしてきた。ああ・・・

 って、ホントは本読む気力なんて既に無いんだけどもさ。 大体ツツイのだってまだ未読があった筈。かっこつけんなよう。
 実際、星氏が死んだからと言って、それによる喪失感が薄いのは、私だけでもないでしょう。 作品が発表されなくなってからもう随分経つわけで・・・まぁ言わずもがなですか。 作家の死がきっかけで再びその本を手にとってみて、それにハマった過去を思い出しているだけです。 それだけ。

・今日付けのテキスト


JAN.04.1998(SUN)無為。

 正月休み最終日。無為に過ごす。これではな・・・・

らくがき


JAN.03.1998(SAT)寒。

 一日寝て過ごす。ベッドの中から出ないで、積み上げた漫画本等を読み耽るこの快楽。 眠くなればそのまま眠り、また目を覚ましては虚構の世界へと飛ぶ。一生こうしていたい。
 夕方、それでも動きたくなってM隊員宅へTEL。丁度皆で飲みに出かけるところだというので、便乗する。 面子は年末のアレのまま。バイパス沿いの飲み屋のカウンターに並んでひたすら飲んで喰って喋って笑う。 妙な多幸感。ナベ隊員曰く「俺っていつから隊員になったんだ?」「隊長を「隊長」と呼ぶ様になったら既に隊員だ」 ・・・もう隊員の数は計り知れない・・・更にそのままRCカーレースへと突入。 雨後の公園の砂地を激走させたお陰でマシンはドロドロ。可成りセガラリーな感じ。
 ここでもエヴァについて少しく語る。隊長、年末年始でこれを全話一気に見終わったのだという。 「ロボットアニメとして良くできてたよね」とかそんな話から始まって、気がつくと 「エヴァを語るとき、人は如何にそれに仮託して自らを語ろうとするか」等という話を ナベ隊員と語っていたり。やっぱこの人も根はガイナ者だよな・・・払拭し切れてないというか。 エヴァは斯うして今になってさえ僕等(等は止めろ)の口を動かす力を持っているのだ。何という力!

 深夜二時頃帰宅。


JAN.02.1998(FRI)雨。

 気分が落ち着かない・・・何も出来ない。机の前に座って絵を描くことが出来ない。 本を読み続けることもできない。集中力が極端に欠如している。考え事をしようとすると睡魔が襲う。 これでは折角の休みが台無しだ・・・今日だけではない。最近休日というとこういう感じだ。 どうにかせねば。

 正月なので滅多に会わない従姉妹に会ったりもする。中学生である彼女は今モロにエヴァに ハマっているらしい。四国放送で丁度トウジが握りつぶされる辺りまでは観たというので、 聞かれるままその後の話を全部(劇場版含め)してやる。嫌がらせである。
 彼女が帰った後、何となくDAICONFILMのビデオを見出してしまう。 久々に(数年ぶり)「帰ってきたウルトラマン」を観て驚いた。そうかそうだったのか・・・的。 これは、良い出来だ。特撮技術がどうとか以前の「画面」作りの意識というか・・ エヴァ観てから後なんで余計そう感じるのだろうけれど・・・・ 緊迫感のある見事なカメラワーク、心理描写を含むカット挿入。 此の時点で既に「特撮的手法」は彼等の中では完成されている様だ。 庵野のウルトラマンがパロディ的印象を与えてしまうが、真体は別の所に在った・・

 日暮れ前になって車を出す。当て所もなく南へ。ある山を目指したのだが、たどり着く前に 日が暮れてしまった。そのまま引き返す。往復で100Km以上。ガソリンと酸素と時間の無駄遣い。 車を運転するというのは、しかし快楽だ。以前ビバリーヒルズで、痴呆症の老人が車のキーの 音で自我を取り戻す−という描写があって、「如何にもアメリカだよなぁ」とか思ってたけど、 案外自分も「そう」なのかも知れないなぁ・・・とか。

 深夜、漸く「一角獣」を読了。理想郷が訪れるまでせいぜい頑張るとしよう。


JAN.01.1998(THU)雨。

 あけましておめでとうございます。

 何だか寂寥感のある正月です。遂に年が明けてしまったか・・という様な心持ち。 何かしら取り返しのつかない気分。こういう正月は、実は初めてではないのですが。
 例えば、大学の一回生の時がそう。勢い込んで望んだ大学、 気がつくと講義には出ないレポートは書かない単位は落とす。 サークルには新歓以来出なかったから新しい友達も出来ず、バイトも家庭教師以外何もしていない。 本は読めなくなるわ音楽は聴かなくなるわアニメは観なくなるわ・・・ 高校時代の友達と顔をつきあわせては「高校の頃の方がまだ頭良かったよなぁ」と相哀れむ始末。 遊んだ訳でも無し・・・それに慣れてしまって数年、また今「大学の頃の方がまだしも・・」という。
 「何も出来ないくせに自信だけは有った」てのは自信を失って初めて解るもので。 「綿の国星」で小説家目指している女の子が出てくる話があったと思いますが、 全くアレは当時でも痛かったけど今読むと多分耐え難いだろう。 ・・・いや寧ろ微笑ましいかもしれない・・・ 微笑ましいと感じたら、そこで何かが終わるのだろうけれど。

 ・・・今日の酒は良くないです。辛いときは飯を食え・・・というか、 努力していればいつかは勝つ日も来るかもしれない。耐えて戦い抜け・・・ という松本先生の言葉が今夜は胸にしみるですよ。 「時は決して夢を裏切らない」と信じたい。明日のために今日は寝るのだ。


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