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981130付けテキスト


永野護「ファイブスター物語 VIIII」/角川書店/1998/09/30

感想棚処理月間の4。

相変わらず読めば読む程に発見のある漫画だけに、
感想の書き時がなかなか難しくて。というのが今頃感想書いてる
言い訳になれば・・・ならないか。良いんですけど。

先日丸一日潰して全巻再読したんですけど、
何かいよいよ感想が書けなくなってしまって。
何というか「下手なことは書けんなぁ・・・」という感じ。
でもまあこうして全巻再読してみたところで、全体の20%位しか
理解出来てないんだろうなぁ、というレベルの読者な私。
開き直っててきとーな感想を・・・

今巻はなんつーか、騎士の「考証」が目に見える形で成されていて
SF者としては嬉しいのであったよ。
騎士ってのは、一体どういう「種族」なのか・・・
シバレース・スバースの下りやp105「騎士代謝」の下りは、
「騎士」がこういう「生き物」であることを認識させてくれて実に興奮した。
おお、SF!みたいな。今更ですけどね・・・

この作品の面白さの根底には、斯う言った「血」の系譜を
有意味な物に仕立てた(超人とそうでない人間に明確に区別した)
巧さが有ると思うですよ・・・

メカ的に見ると今巻はどうしてもエンプレスですかね。
エンジンが焔炎!(エピソード3p76、あの大ゴマの迫力!)
てだけじゃなくて、やっぱり何処かしらあの女王の面影を残した
流麗な機体が、ヤーボの最後の晴れ舞台にはよく似合っていた・・・
迫力というか・・・何でしょうね、気品というか。

併しヤーボさんも死んじゃったんだなぁ。
この作品は平気で時間を前後するけど、明確に死が訪れたキャラクターの
再登場はあんまり無さそうで・・・
まあカイエン親父もこれで腰を落ち着けることになる様だし
星団最強コンビも行く末が楽しみでもある(系譜見てるとこいつら・・・)が。


私にとってはその持つ壮大さを純粋に楽しませてくれる数少ない
「本物」の作品。先日の全巻再読は久々に「壮大な物語」の持つ魅力を
感じさせてくれました。

特に「複線」の魅力は長編にしか出来ないもので
ミッシングリンクが埋まったときの「ああそう言うことだったのか!」
というあの快感がたまりません。
このキャラはこの血筋で・・とか、そう言うことを考えるのも実に楽しい
(そういう楽しさを意図的に演出している。同じ顔とか)。

空前絶後の壮大さで展開するF.S.S.
まだまだ楽しみは続きそう・・・・(ああ陳腐な終わり方。良いか別に)
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ふくやまけいこ「まぼろし谷のねんねこ姫 4」/講談社/1998/05/07 感想棚整理月間その2。 講談社コミックスなかよし888巻。 ぞろ目で末広がりで良い感じ。 「ねんねんばあちゃんのままごとセット」と言うアイテムを毎号送り込むことで 新たな夢が展開する。斯う言うの、イイですよね・・・なんか・・・ 定型の持つ美しさというか。 「レースのドレス」のマリナちゃんの描き方(タッチ)がなんかもう凄くイイ。 何かこう・・・懐かしい様な・・・一九二〇年代趣味の薫る一コマ。 このマリナちゃんも金持ちのお嬢様でいばりんぼという設定がありながらも、 すげーいい子なんだよね。p135の「いまごろみんな心配してるよ」 の辺りの自然さ、何の他意もなくそう言える彼女のピュアさが(以下自粛) ちずるちゃんの、チャリティーフリマに行く描写なんかは、彼女の性格が 良く出ていて巧いなあと思う。p107でミケコだっこしてる描写にクラクラ。 ミケコちゃんの下りも何とも言えず良い。この作者にここまでの おもちゃ箱的引き出しが有ったとは。 何かもうこの辺の楽しさは「ふくやまけいこ祭り」みたいな気分。 テンビンくんのキャラデザインも好きだなあ。耳のたれ具合が何とも言えない。 他にも「スプーン」のキャラとか・・・ ああp140の1コマ目を見よ。こがね丸じゃなくたってクラクラだぜ。 この作者の「女の子好き」が遺憾なく発揮されている・・・。 それにしても、やっぱり決めはコレでしょう。 「ねんねこは姫だもん!!平気だよう」(p148) ・・・・・・あーもー。空前絶後のラブリーさ・・・ 番外編の「こがね丸の冒険」も味わい深い一品。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
水沢めぐみ「トゥ・シューズ 3」/集英社/1998/07/20 水沢めぐみ「トゥ・シューズ 4」/集英社/1998/10/20 感想棚処理月間の3。 りぼん本誌の方で連載が終了した直後位に、各方面から 「あの終わり方は許されない!」という叫びを聞いたものだったが。 この4巻ではまだその完結には至っていないようだけど・・・ なんつーか・・・ 魂の入ってない作品・・・ とか言うとまた「何様のつもり!?」みたいな カミソリメールがきそうなんですけど。 なんかねえ。 余裕がない漫画って辛いわ・・・ がんばる!がんばる!挫折!でもわたしはやっぱりバレエが好き! がんばる!そして成功!しかしそのときあこがれの先輩は! みたいな。スポ根漫画・・・ 連載で読んだら面白いのかも知れない・・ (引きとか結構工夫してる感じはする) 4巻の「天使たちのティータイム」は、 作者の出したかった雰囲気は十二分に伝わったものの、 「水沢めぐみならでは」の何かに欠けていて没個性。 姉妹物では何と言っても「ミラクルガールズ」が有るし。 ・・・ああ、もうオシマイなのか・・・・? つーかオヤジの感想なんか誰も期待してねえ>水沢漫画。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
赤瀬川原平「ステレオ日記 二つ目の哲学」/大和書房/1993/04/18 随分以前に日曜美術館でハイレッドセンターやってたとき、 「ステレオ茶会」の模様が放送されていた。 曰く「脳内リゾート開発」。茶室でステレオビューワーを覗く親父達。 「馬鹿なことやってんなあ、でも面白い。」とか思ったけど 「それ」に至る流れをこれで読みとることが出来る。 ビデオで久々に見直して(こういのビデオに残してしまう辺りどうかと思うが) 「雲がガラス板の重なりの様」とか云ってるのを聞いて 「ああ、こういう意味の会話だったのか」と。 矢っ張り実物(立体写真)見ないとわかんないですよこれは。 いやそれだけなんですけどね。 実際このステレオ写真というのは不思議な物で、 やっぱりステレオ効果がきっちり出る風景とそうでない風景が有る。 以前の路上観察的な視点、何かしら「解釈」が入り込んだ ねっちりした視線はここでは影を潜めており、 ただただ純粋に「より立体である光景」を探し求めてる (初めはそうじゃないのがだんだんそうなっていく)辺り 実にこう、乾いた良さがある。写真そのものには 「意味」があまり封入されなくなって、純粋に「立体」へと踏み込んでいく・・・ 意味よりも感覚。感覚から再び意味を取り出すのは簡単だ。 だが新たな「感覚」を生み出すのは簡単ではない。 この番組の中で竹林の賢人白洲正子氏が 「本質をつかんだ上で新しいことをやるから確かである」 「赤瀬川原平は最早前衛ではなく”赤瀬川”である」 というようなことを云っていて、今見るとああ確かにそうだよなあとか思うのだ。 個人的に好きなのは050の雪の写真とか、012の桜の写真とか。 これらは立体写真でしかとれない「空気」を写し込んだ作品で、実に良い。 是非一度ステレオ写真を撮ってみたい物だが、ステレオカメラは 現在中古市場でしか手に入れることが出来ない様だ。 ・・・此の本によれば「TDCビビド」というのが良いらしい。 作者の思い入れが伝わってきて、「欲しい!」と思わせる辺りは 流石にカメラライター。 ※写ルンですでも立体写真は撮れる様です。 要するにステレオベース(レンズとレンズの間)を6〜7センチ (人間の目の幅)取れば良い。あとは同時にシャッターを 押す技さえ身につければOK。結構手ブレに悩まされそうではあるが。 ・・・「立体」も久々に楽しんだ気がする。ランダムドット全盛期から既に数年。 然しこれ読んでから暫く、並んだ物を見ると立体視してしまう癖が。 パソの壁紙とか立体視しやすいですよね。 JRの切符も立体視すると結構凄い。なんと千円札でも出来る。 流石に印刷のズレは殆どないから立体感は薄いけど・・・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
天沼春樹「飛行船帝国」/ほるぷ出版/1993/07/31 装丁・挿画が激イヤ。 ドイツ製複座グライダー、アレキサンダー・シュライハーASK-13で 飛行訓練を行っていた大和健夫少年とハインリヒ・リヒター教官は 乱気流に巻かれて雲に突入。と、雲の切れ目から現れる巨大な影。 それはなんと飛行船!一体ここは? ひどく古めかしい飛行場に着陸すると、この時代は昭和4年だという。 彼等はタイムスリップしてしまったのだろうか? だが、我々の知る昭和4年とはどうも歴史の流れが違っているらしい。 ここでは、飛行機に変わって飛行船が発展を続けていたのだ。 彼等は「アンチボデスの世界」、我々の世界とは歴史を異にした 世界に紛れ込んでしまったのである。 と、まあ有りがちと言うか懐かしげな設定な訳ですが。 この作品の凄さというのは、昭和初期「少年小説」文法を 貫いて書かれていると云う所にありまして。 「さすがは日本少年だ!」とか。 設定は兎も角、文体の「ノリ」だけなら昭和4年当時の「子供の科学」に 連載されていても全く違和感が無いだろうと言う出来。 最新鋭の飛行船、エキセントリックで天才肌の若い博士、 有能で勇敢な少年達、謎の中華美少女、敵の巨大飛行船、 南海の孤島に立つバベルタワー、その下層の闇市、怪しげな洗脳装置 その他諸々。実に「らしい」ではないですか。 その場その場の状況描写、風景描写の語り口も実に少年小説していて。 海野十三の少年SF小説とかにハマッた人なら結構楽しめるのではないかと。 ただ・・・ あの手の「少年小説」の良さというのは、矢っ張り「当時」の臭いが 見え隠れする所にも有るので、これはその「まがい物」でしか無い と言うところが泣き所ではあります。当時の作品は「当時の作品」という それだけで色々付加価値が有る(当時既にこんな物語/アイデアが 存在していたのか!とかそういう興奮)物なのですが。 まあしかし空から見下ろすこの世界の摩天楼都市描写なんかは 実にイカした感じで良かったです。 あの頃の「未来都市」ってのには、結構ビルの上に飛行船の発着場が 当たり前の様についていたりするんですけど、 それが再現されていて良い感じでした。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
安永航一郎「火星人刑事 1」/集英社/1998/11/24 1ページ1コマ目から股間に例の黒い長方形をぶら下げた男が 「うわはははーっ  われわれはヂャイアントコックス!」 とか言ってる漫画。 こんな漫画だったのか。「火星人刑事」。 なんかもう。昨今の安永節炸裂。 下品と言うより寧ろえげつない感じが素晴らしい。 勢いは巨乳ハンターと言うよりはスパルタカスかな。 半分呆れ顔で「うわー・・・・・」とか読んでて、p333コマ目の 「うぱーっ」「わあっ北京原人ーっ!!」 辺りで耐えきれずに爆笑。以後爆笑の嵐。 ぱかぱか餃子製造法の下りはナーズの逆襲を思い出すことであるよ。 あれはハンバーガーだったっけ。何か臭そうでなあ。 絶対3個作るようになるだろうと思ってたらちゃんと作るし。 織田川部長の造形は安永キャラの新境地というか 結構そそるものがある。弄ばれてみたいものだ。 しかし。火星人。何なの・・・ 設定が深いんだか浅いんだか。今ひとつ全体像が掴めてませんが 今更安永作品に説明を求めても仕方有るまい・・・ モンティパイソンに「何故!?」って言ってるようなものか。 説明はないっ!みたいな。 ぬー。もちっと「県立」ライクな作品にも立ち戻って欲しいような気もするよ。 最近バランスがねえ。一方向に傾きすぎている感じがするですよ。 県立の頃の、あの絶妙なバランスが良かったのだ(それは多分に編集者側の 規制も有ったには違いないが)。 ギャグも走りつつ、でもたまにラブコメが出来る程度の・・ アンチョビーがそうだったか。アンチョビーは泣いたもんなあ・・・・ で、栗瀬十春って何なんですか。元ネタあるでしょう。多分。 ご存じの方、教えて下さい・・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
藤島康介「ああっ女神さまっ 18」/講談社/1998/11/20 前巻の感想を書いたときに、 「読者の目の届かない所で進展しているであろう  螢一とベルダンディーの関係」 について色々妄想してみたのだけれど、 p38(躓いたベルダンディーを抱きかかえるだけで真っ赤の螢一) を見る限りでは、結局の所「まだ」らしいのだ。 でもそれは、つまりこの漫画が原点の魅力に回帰しつつある ということの表れなのかも知れない。 前巻で感じた「この漫画もいつまで続けるんだか・・・」 みたいな不満はこの巻では全くない。寧ろ初期のこの作品が持っていた 魅力が再現されている点に於いては、(個人的に)久々に面白い巻となっている。 再現というのは、例えばこの真っ赤になる螢一や押し寄せる先輩達、 そしてラストのバイク勝負等。特にこの「峠の幽霊」は久々に熱くなった。 矢っ張り藤島康介の漫画には「コレ」を期待してしまうよ。 工学系の快楽、というか。作者の趣味が出てるような作品が好き。 キャラ主体の物語もイイには良いんだけど、やっぱりね・・・ p201からの畳みかけるような螢一&ベルダンディーの「復活」 (という作りだよねあれは)劇の格好良さったら無かった。 「本物のキングとクイーンがいるんだから」の、 あの大ゴマの高揚感。久々にキましたよ。 シュレディンガーホエールの造形も久々に藤島節炸裂みたいな感じだったし (この人斯う言うのデザインするのも好きそう・・・)クジラ=歌 という短絡とも言える物語が全然クサく無いのも流石だ(テキストは やっぱり「銀河ネットワークで・・」かしら?)。 或いはあの広漠たる畳空間で螢一とベルダンディーが交わす台詞の強烈なこと。 もうあの二人にだけ許される様な・・・でもそれが良いんだよそれが! いやー、あの瑞々しさそう簡単には出せないぜ。 ・・・ああ、ホント、今巻はもう全然文句の付けようがない。 結局、「螢一とベルダンディー」が好きなんですよ。拙者。 つーか、螢一が好き。いやそう言う意味じゃなくて。 本来読者が感情移入しやすいキャラクターである螢一が表に立たないと、 どうしても作品への移入度が下がるわけで。 作品世界へ感情移入する際の媒体たる螢一の造形/扱いが この漫画の善し悪しを決める最大のポイントだと思う。 で、だから今巻の螢一(をメインに展開する画面)は凄く良かったんですよ。 「そこ」に拙者も居られたから。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
火浦功「未来放浪ガルディーン外伝2 大ハード。」/角川書店/1998/04/01 感想棚処理月間第一回。 ・・・すいませんすいませんすいません今頃感想書いてます。 感想、読んだ直後に20人位相手に口頭で述べてしまってたので どうにも感想書く気がしなくて。いやもう、面白かったですよ、 無茶苦茶オモシロイ。こんなに面白がって良いのか!?>俺!みたいな。 ・・・だって私が紹介しなくたって皆さん買うでしょう? 紹介する必要無いもんねぇ。全然。 読んだ直後の日記から抜粋(980416):−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 「大ハード。」遂に読み始めた−ら、止められずに3時間で読了。 ああッ、ゆっくり読むつもりだったのに。兎に角無茶苦茶面白い。 ああ。火浦功はやっぱり面白い。いくら時が過ぎても、いくら歳を取っても。 中学生の時に「スターライト」に出会って、面白い!!!と 感じたのと同じ面白みを、10年後にまた味わえるなんて!! すっかり中学生に戻った3時間。やっぱり火浦功は「全然違う」。 世界が違う。僕にとっては文句無しに「最高」だ。 手放しで大喜びしながら小説を読むなんてホント何年ぶりだろう・・・ −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 今再読しながら、矢っ張り興奮してしまうこの面白さ。 この単行本のタイトルもある中編「大ハード。」 無謀王ジョージ・ヴァルマーの若かりし頃の物語は 火浦功の魅力大炸裂な作品であり−そもそもその一行目からして −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  噴血、三百メートル。  脳天から真っ二つに斬り下げられた男の右半身が、左半身に別れを告げる。  そんな荒野の昼下がりであった。 (p149)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− とこうなのである。この「語感」にシビレル私。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  危地に臨んで、血が燃える。  まさに無謀王! (p162)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− この下りの盛り上がり様と来たらもう! 溢れる涙と込み上げる感動に我を忘れるのだった。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  大仰な脅し文句を、一生懸命並べ立てている大司教の顔に、 じっと視線を注いだまま、ヴァルマーは、静かに言った。 「ひとつ」 (p176)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− このシーンの背筋がゾクゾクするほどの格好良さ。 そして何より −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  血圧6000(笑)。  「ぅお〜のぉ〜るぇ〜。余に逆らうか、貴っ様ぁ〜〜っっ!!」  完全に常軌を逸している。  しばらく放って置いて、この先、どうなるのか、成り行きを見てみたい気も (ちょっと)するのだが、残念ながら、邪魔が入った。 (p293)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− このギャグのテンション! これぞ火浦功だ。少年の心を鷲掴みにしてしまう、比類無き筆先。 盛り上がるところできちんと盛り上げ、色っぽい所ではきちんとソレを入れ、 ギャグは徹底して畳み掛け・・・巧みに読者の興奮を操作する。 斯う言うのを「ツボを押さえた演出」というのだろう。一分の隙もない。 無駄がない、ということの美しさ。過不足なく、必要十分の分量。 この気持ちよさ・・・・ 一行書いては踊りまくり、一行書いてはギターを弾き・・・というのは あながち嘘ではないのかも知れない。これだけの完成度を持った 文章を生み出すには、一行毎の猛烈な推敲があってこそなのではなかろうか? ・・・というのは単に読者のうがちであって、実際は単に仕事してない だけなのかも知れないけど。 例によって以後無益な回顧話でお茶を濁すことにする。 火浦功との出会いが「文庫小説」を読み出す直接のきっかけだった私。 「究極超人あ〜る」の7巻が出る、まだ以前。 ゆうきまさみの表紙に引かれて「スターライト☆だんでぃ」に手を出したのが 全ての始まり。家に持ってかえって、何となく読み出した瞬間から 作品世界にズブズブとはまりこみ、あまりの面白さに読了後即日暮れの町を 本屋へ取って返して、残りの2冊を買い込んだ。 それからほどなくして、ふと本屋の本棚を見た瞬間 今まで自分とは無関係だと思っていた背表紙の数々が、自分とリンクしたのだった。 水玉の言う、青背を前にしての「ああこれ全部読んでも良いのね?」という感動。 あの世界が爆発したような感動は今でも忘れられない。 火浦功の解説を書いていた岬兄悟を読み、 岬兄悟のイラストを描いていたとり・みきを読み、 とり・みきが最大の影響を受けたという吾妻ひでおを読み、 吾妻ひでおがSFに目覚めたきっかけだったという星新一にはまり、 (以下65536行略) そして現在に至る−とまぁこんな一本道じゃなかったけども。 斯様にして、パラクリ方面、下北沢文化の洗礼を受けて 「この道」に踏み込んだ私でした。 その昔、栗本薫だか中島梓だかが 「最初に出会うSFが火浦功だったりする人は可哀想」 みたいなことを書いていた(直接じゃないけどそう言う内容だったよ)けど、 そこから全てが始まった人間だっているのだ。 まあ大した人間じゃないけどな。 @@@@@@@@@@@@@@@@ 「JUN」 @@@@@@@@@@@@@@@@


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