4月22日付テキスト群。

ゆうきまさみ「じゃじゃ馬グルーミンUP! 10」/小学館/1997/4/15

いや早い早い。
また感想を書きそびれて仕舞うところだ。相変わらず良い漫画。

パンチは決して強くはないが、しかしラブコメ(!!)たるもの、
やっぱ風邪の女の子の看病してこそだよな。

ひびきさんの「王子様」が悟さんだった、と云うのは、広くはない(?)
生産主の世界、有りそうなことではある。
それよりも、今回は俊平の方が(悉く!)ポイントが高い。様に見える。
問題はひびきさんが全く意識してないって事だが。

でも、気負ってる割には、お互い(俊平&悟)そんなに巧んでない感じが
好感度高い。結局良い奴らだなあ、と。悪人の居ない漫画。
今、確かに居ないな・・内海さんみたいなのが。それが良いのか悪いのか・・・


そう言うわけで、今巻も主眼が明らかに人間関係で、割と馬漫画じゃない感が強い。
これはアンケートの結果か、それともこれが本当の向きなのか−

”ひびき”を賭けた俊平と悟さんの戦い(?)は割とあっさり(今回は)
終わっちゃって、もっと引いても良いんじゃないかな−と思ったのだけど、
このあっさり、がゆうきまさみだな、と。


いやー、しかし兎に角ひびきさんが可愛いってのはもう認めざるを得ないわ。
どんどん可愛くなっていく。可愛いだけじゃなくて、良い子なんだ。と。
ちゃんと悩んで答え(らしきもの)を出す。ホントに。ああああ。
あの一家の娘は(奥さんはアレだけど)みんなそうだけど、裏心みたいな物が無くて
良い娘ばっかりだ。

勿論たづなちゃん(ミルクの匂い!)は心のヒロインだけどさ。
何か絵に愛が有る−
と思うのは単なる思い込みか。

ひづめちゃんも何と無ーく(お茶出ししたりさ)可愛くて、
p140の「うはよーす」見てからファンなのだった。いや、あの子は面白い。
ファンだなあ。って誰でも良いんかい>俺。
あ、あぶみさんは・・・その・・・


でも本当、初期に感じた、「可愛くて読者が一目惚れする様で
無くてはならない筈のヒロインが可愛くない・・・」と云った感想は、
もう感じない。
作者の意図する可愛さ、ヒロインらしさ、がちゃんと描かれているのを
読み取らされる。本当に、良いです。

・・・・だめだ。
何度書き直しても「〜ちゃん萌へ〜」以上の感想にならない。
女の子が可愛いってのは、それだけでとても凄いことなのだけど・・
ま、いいや。そういう漫画である。違うか。
・・・僕にとっては、そういう部分が、有る、と。


ではまた。
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神林長平「ライトジーンの遺産 RIGHTGENE'S Heritage」/朝日ソノラマ/1997/1/30 この世界で、人類は臓器崩壊という原因不明の病に冒されている。 その為人工臓器が一般化した世界。 その最大手人工臓器メーカー「だった」ライトジーン社は、 強大になりすぎた為、分割されている。 そのライトジーン社が、嘗て人工臓器開発の中で生み出した人造人間 菊月虹(きくづき・こう)が、この作品の主人公である。 自由人である彼(とその兄)は、その生まれつきより超能力 −この世界ではサイファ、と言う− を持っており、その力故にライトジーン市警第四課の依頼を受け、 スイーパーとして様々な事件に関わって行く。 作品は主人公、コウ、の一人称で展開され、謂う所の ハードボイルドタッチである。スタイルは連作短編風であり、 昨今の神林作品とはまた作風を異としている。 だが台詞回しやコウの思考スタイルは全く神林調。読み進む、 活字を追う事そのものが快感であるという辺りは、相変わらずの 傑作である。 アクション主体(攻殻−系)だが、全体としては静かな世界。 一人称主人公、コウが其れを望んでいるからで、彼の趣味はと言えば たまに古本屋で借りてくる、或いはごみ捨て場で拾ってくる本を読むことと 何より愛するウイスキーを飲る事、そんなものだ。そうやって毎日を生きている。 その主人公のもつ空気が作品を覆っている。 曇天なのだが、妙に冴えた空気、そんな風合いである。 最も好きなシーンは「エグザントスの骨」の冒頭、不意の客の話を肴に 酒を飲む下りで、実に「らしい」。このシーンを読んだだけで、 この本を読んだ価値はあった。 後、コウの兄にして今は17才の美女(サイファによって自己の身体を 性転換させた)MJの美しさも堪能出来る。是非其の芸術的な美しさを 見てみて下さい。 例によって引用。 「権力闘争というのはようするに縄張り争いであり、他人の縄張りを荒らさない限り、  気ままに生きられる。しかしそれが結構難しくて、人生の困難さというのは  みんなそれから生じているようなものだ。」(p150) 「自分の気持ちの持ちようで世界はいかようにも変化する、というのは  正しいかもしれないが、自分の気持ちというのは自分だけで独立しているものでは  ないことに気づかない限り、気分は変えられないものだ。  自分と同等に他者存在を認めなければ、いくら自分は不幸ではないと  言い聞かせたところで、偽りでしかない。」(p185) 「街を見下ろせば、すくい取れるほど大勢の人間がいるが、  どうやって生きているかなんて、 おれは知らない。  おれが知らなくても他人は生きている。そいういう他人というのは、  自動機械のようだ。自働機械がロボットか、ゾンビでもかまわない。  だが、いったん関わってみれば、そいつらは、ゾンビではない。  生きていて、生活があり、親があり、歴史がある」 「他人同士、たいして知らなくても社会というのは機能する、ということだ。  不思議じゃないか」(p205) 「ウンドウは無視され続けて生きてきた。だれも無視などしなかったのに、  というのは常に他人が言うことだ。  彼自身は、無視されていると信じている世界を生きてきたのだ。」(p318) 「あきらめのほうが価値がある。ウンドウは、他人に恨まれてこそ自分が  存在するという現実をも、あきらめたんだ。現実を明らかに見た。  あきらめる、というのはそういうことだ」(p324) 「憎むべきは、親なのだ。子供はそれに気づいて初めて大人になる。」(p379) 神林ファンは勿論、「攻殻機動隊」等が好きな人にはお薦めです。 今までなら一晩で読み切ってしまうような面白さですが、 今やいろいろ忙しく、読了するまでに2週間を要しました。 しかし連作形式なので、むしろそういった楽しみ方の方が 向いているのではないか、とも思えます。 そう言う風に、「全ては考え方一つだ」と、コウには教えられました。 彼の様に生きてみたいが、其処に至るまではあと20年は必要だ。 あと20年生きてみなくては、解らない・・・・ おやすみなさい。いい夢を。あなたの魂に安らぎあれ。 そしてぼくの魂にも。  明日のことは明日考えよう。きょうの苦労は今日だけでいい。  明日の苦労まできょう背負いこむことなんかないんだ。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
衛藤ヒロユキ「魔法陣グルグル 8」/エニックス/1997/4/22 もう何だか「ツボ」だけで構成されている・・・ 面白いわ可愛いわ妖しいわ、もー最高級。 今巻は特にジュジュ様の魅力大爆発で、「クーちゃん」にや〜 から始まって、イっちゃった時の妙なノリや、おさいほうのセンス、等々・・ もーたまらん。作者の「狙い」が悉く読者(ワタシ)の琴線に触れるのだった。 あとルンルンさんもラブコメ入ってて良い感じ。あーもーイイなぁこうゆうの。 ギャグも勿論(ギャグ漫画だっけ)走ってて、冒頭から大笑い。 ククリの、怪しい通路ばっかり見つけてしまうくだり(p39)は 何度読んでもオカシイ。 「ちょっと濃い衆にもまれてね。」書いてて笑ってしまう。わはは。 後半、小休止の後いよいよ魔境へ。お約束と言うべきか、然しあり得る展開だ。 だがそこはそれ「グルグル」である。 ノリも変わらず続いていくので有ろう(本誌は読んでないの)。 兎に角読むのが楽しみな一冊。義務感よりも純粋に快楽を求めて買える本だ。 因みに今巻、ククリのツボはp133 「ねこちゃんが ばあー!・・・・っていったよ!」 であろう。 もーたまんない。チクショウ巧いなあ・・・ 続刊が待たれます。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
ポケモン第三話。 「ポケモン!ゲットだぜ!」 ああっ 首藤クサい! 今回脚本は違うけど、限りなく「それ」に近い。 ピカチュウとキャタピの会話の妙な長さ、は 首藤動物ネタのお約束だし。 嘗て「超くせ」で「わに語」 −わにわにわにわに、わにわに? と、そう言った音だけで延々話を進めたアレ、を思い出す。 でもあの時は画面の下に字幕出てたけどさ。 ムシは無視。ああ。かないみかの声が聞こえてくる。 −いやそうじゃない、むしろこの場合林原めぐみ、か。サキさん。 サキさんが言いそう。 犬山犬子の好演も光る。マキバオー以来2本目かしら? いよいよ本格的に声優転向か? いやしかし。やっぱ湯山&首藤のカラー出てるわ。 既に転がりだしたこの作品、果たして何処まで行くのか・・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
ウテナ3話。 ああ。 ああああ。 あれ? 今回はデュエル無しか・・・ 然し、アンシーって、結構恐い奴かも・・・ 今回のツボは川村万梨阿の犬。 ワン、ツー。 チュチュにはこのまま突っ走って欲しいところです。 それはそれとして・・ ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
新・天地 第三話 「大混線 伝言ゲームは ラブゲーム」。 ありゃ。何じゃこりゃ。 鷲羽ちゃんが可愛くて違和感有り。 何か自分の中では既に「鷲羽先生」なので− 好きだったなあ、鷲羽先生。 ・・・・・・何か、ね。 中学生が作る脚本でもこれよりはマシなのでは。 ・・・まあ、そうだな。声優劇だし、いいか・・・・いいのか・・・・ こんな脚本の為にこれだけのスタッフが心血注いでいるのかと 思うと・・・・・・・ いやいや、嗜好は人それぞれだし・・・ 「これも一つのあり得べき形の一つ」 はあぁ。 着ぐるみ天地、似合ってる〜、の砂沙美、あの辺のタイミングは 結構巧かった。 それだけ。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
竹本泉「ねこめーわく 2!」/宙出版/1997/4/10 やっと今頃になって感想を書いている私です。 「てきぱき」も結局、まだ買ってないし(PCエンヂンも)、 もーダメなのかなあ。 だいな、だって100%やり切って無いし(ああああ)。 ま、その〜(シマシマの声で)。 別にあおいちゃんに対する愛がさめた訳じゃないのよ。決して〜。 しかしまさか2巻が出るとはね。実は事前に全然知らなくて。 大体1巻が出た後も連載が続いていたなんて事さえ知らなかった。 今はもう九州に帰ってしまった友人と、夜の街をうろついていて 何気なく入った本屋で平積みになっているのを発見して その友人が居ることさえ忘れて狂喜したのを思い出す。まるで昨日の事の様。 一読してまず、その「1巻(?)との雰囲気のズレのなさ」、に安心。 これは完全に1巻の続編−って当たり前なんだけど−である。 ゆりこさまも相変わらず元気いっぱいであり、ちょっと 大きくなられたりしているが、可愛いのである。なんか 竹本少女キャラの王道を行っている様だ。 ほっぺたが延びそうなタイプ。 仕草も台詞回しも一々が気持ちいい。食べてるのとか、 頭くしゃくしゃとか、なんかこー、女の子女の子してる。見てて幸せ。 ホンモノの女の子はこうじゃないかも知れないけれど。 ヘンリヒの事を思いやるシーンで、抱きついてやる仕草とかも、 好きです。 取り敢えずスカートが短くなってるのは正義。 と、後、ヘンリヒサイズのワイシャツとか着てるゆりこ様 (表紙・中表紙・・・竹本氏お気に入りなのだろうか)が、もーツボで。 なんか、良いんだ。ゆりこさまっぽいというか・・・ 猫たちも相変わらずで良い感じ。 ますます「ホーカ」(「地球人のお荷物」−ねこめ1巻あとがき参照)化 してきている・・・今度再装丁されるときは竹本バージョンてのはどうか。 ・・・今の天野絵も好きなんですけどね・・・ んー。 ダメだ。買ってから時間置いちゃったんで書けやしない。 初読のときは「いいなーいいなー、くそーっ上手いな〜」とか、 叫びながら(マヂ)読んでたんですが、もう何十回も読んでしまい 且つ模写までしちゃっては、ちょっと感想も出て来難いです。 やっぱり情動は熱いうちにこうやって何かの形に表さないとダメですね。 どうにも。 あ、そう言えばこの表紙、例によって切って立ててパース つけたんだと思って、例の友人に 「CGで簡単にやれそうなもんだけど、敢えてそれをしないのが良いのさ」 等と吹き込んでしまい、後で恥をかいたという −どうでもいい話ですね。どうも。 勿論万全のオススメです。是非どうぞ。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
けろちゃ6話。 リープ〜!!! イモだすな〜 本捨てるな〜 GOサインだすな〜 仲間かっ飛ばすな〜!! ぎうにう飲むな〜!!!!! ガラス切るな〜!! 王子様突き落とすな〜!! 主人公釣るな〜! がああああああああああああ もー駄目。 もお駄目です。 ぎうにう飲んでるシーン&ティータイム、 誰かMASL化して・・・ ああ・・・巻き戻して見てしまう・・・ マッハGOGOGOも異常に面白いし 不作だった木曜がまた熱くなってるぜ・・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
NHK朝の連ドラ、「あぐり」。 吉行あぐりと言えばその娘和子と息子淳之介が有名であるが、 旦那である吉行エイスケについては、今振り返る者は少ない。 わずかに「モダン都市文学」肌のファンが居るだけだろう。 実は好きなんです。吉行エイスケ。 彼は龍胆寺雄(りゅうたんじ・ゆう)等と並ぶ新興芸術派の尖端である。あった。 1920年代後半は旧芸術派とモダニズム派、プロレタリア派 の三派鼎立時代とされるが、そのモダニストの代表格の一人だった。 才能もあり、人気作家であったが、文壇的には不遇に終わる。 吉行エイスケの創作活動は1922(16才)年から1933年頃までの 10年ちょっとなのだが、その間に書かれた作品は、都市生活者の空気、 都市文明へのアイロニカルな感覚を見事に描いたものであり、 実にクールで「格好良い」。 どちらかというと吉行エイスケは都市の地下的なもの、グロテスクなものに 惹かれていたようで、ダダイズムからスタートしただけ有ってか、 作品から都市のアンダーワールドへの志向を読みとることは簡単である。 ああ、機械文明の影!!それだけでモダンじゃないか。 それが、当時の国際都市、<魔都>上海を訪れたことで、「東京」への 志向が変わっていった、と海野弘は言う。 彼は「都市」と言うものを外側から捉え、全てを描写しようとし出す。 単なる風俗のスナップショットだけではなく、株価の統計表等が 貼り付けられる様になる。あらゆるデータをモンタージュして、「都市」を 描こうとしたのだ。 彼は確実に新たな都市表現の可能性を開きつつあった。 だが、時代が其れを許さなかったのである。 吉行は文学を離れ、株の売買に専念し、1940年、狭心症に倒れる。 今読むと、本当の意味での才能を感じる。 もっと再評価されてしかるべきで、朝の連ドラが 吉行エイスケの再評価に繋がれば、と思うのだった。 現在吉行エイスケの作品を解説付きで読もうとするならば、 平凡社の「モダン都市文学」シリーズ(大抵図書館にあるです)がお薦めです。 脚注が懇切丁寧で、ハマること間違いなし。是非どうぞ。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@

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