970725付テキスト


椎名誠「新橋烏森口青春篇」/新潮社/1991/3/25 /(初版)S63/12

この本を買った春の夜のことを思い出すと、それだけで何だか懐かしくなるのだが、
それは個人的な話として置く。

椎名氏の私小説と云う感じ。大学を卒業したので仕方なくバイトの延長の様な
つもりで就職した出版社。そこでの忙しくも淡々と流れ行く日常・・・だが、
読了間際でいきなり恋の嵐が吹き荒れて、もう其処までの兄貴臭い匂いが
消し飛んでいくのが笑えた。結局男って斯うだぜ。

然しこのヒロインたる原田瑞枝女史の魅力に尽きる。前半の重いトーンの70年代的
「日常」が、彼女の出現で一気に80年代的明るさに変わる。
絵的にはしりあがり寿氏の描くOL嬢のイメージ。
その仕草の何とも言えない愛しさが、そのままダイレクトにこっちに伝わって
読者たる私は、もうこの女性に恋してしまうのだった。読んでる間だけの恋。

酷く腹が立つ事があって、
「誰か気分のいい奴と話がしたい、と思った。いますぐ話がしたい」と
思った時に、思わず彼女に電話をかけてしまう−という下りが、なんかもう
たまらなかった。

電話で他愛もないことを話してから公衆電話の受話器を戻す。
「知らぬ間に受話器を握る手のひらに汗が出ていた。
 なんとなく、目の前を歩いている雑多な人々の群が、
 ふいにみんないい人ばかりになった−−−ような気がした。」(第7章末)

うんうん解るあるよなぁそういうの。という。体の中にある激昂した部分が
話してるうちに、何か別のものに置き換えられていく・・

やっぱ幸せってそういう気分だと思うのさ。

そういうほよよんとした気分に、最近成ってないぞ>私。
不幸だ・・


椎名氏の「青春三部作」てな云われ方をするそうですが、そのうちの一冊らしい。
でもあと二つ読んでないんだ・・・

また何処かで何かの機会に手に取ることが有れば・・・
急ぐことは無いよね。
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藤島康介「ああっ女神さまっ 14」/講談社/1997/4/20 買ってからもう4ヶ月近く手元に置いてある。 何か手持無沙汰の時に思わず開いて読んでいるという感じで 結構回数読んでるはず。でも読んでるだけ。眺めてるだけ、というか・・ もうそろそろ書庫行きなんで、今の内に感想を書いておきましょうかという。 正直初読の時はもう全く「感想」が持てなくて、何なんだこれはと ショックを受けたものでした。 友人に話すと「其れは貴様が歳を食ったからだ」と一言で決めつけられましたが でも確かにそう。 少女漫画の鉄則というのがあって、主人公は対象読者の少し年上、が ヒットの絶対必須条件なのだそうだ。読者は未来への憧れを持って、漫画を 「(恋愛)マニュアル」として読む、という。 僕が高校生の頃此の漫画にドハマリしてたのは、結局その一点に尽きたのでは ないかしら。絵の巧さもあるけれど、矢っ張り「大学生活」への憧れみたいな そう言う付加価値が大きかったのだろう、と今になってみれば思う。 だが今や大学も卒業してしまい、ハタと気がつくと「何じゃこりゃ」という訳。 女の子の多くが歳と共に少女漫画時代を「卒業」してしまう様に、 「女神さまっ」も、もう対象年齢外の私にはあまり輝いては見えなくなった。 それだけの事・・・ ・・・だと思うんだ。読者の移入度の低下だけだと。 漫画の本質はそうは変わってないはず。昔から魂薄い部分はあった・・・ 矢っ張りキャラクターに「目標」を持たせないとな。 時の停まった円環の世界で、突拍子もない事件が起きては それに慌てて対処する可笑しみ、みたいなものを永遠に続けていても、 それはそれで良いと思うんですけどね。 でも時間は流れ出す。就職活動、留年、スクルドの恋、etc. 漫画大明神のお札(「時」は止まる)の効力はまだまだ大丈夫だと思うのだけど、 あえて其れを剥がし、時を進め始めたのは、果たして正解か否か・・ 兎も角、人としての魅力を持った蛍一の復活を望む者である。 何かどんどん薄くなっていくしな・・・影・・・ ま、然し絵は相変わらず良い仕事。嫌いじゃない((c)羽山秋人)。 特にスクルドはホイホイ変わる髪型と服装がギュー。 ちょっと媚び気味のポーズも三面図起こしやすくて良いのでは・・・。 ではでは。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
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