5月19日付テキスト群。

赤瀬川原平・編「トマソン大図鑑 無の巻」/ちくま文庫/1996/12/5
赤瀬川原平・編「トマソン大図鑑 空の巻」/ちくま文庫/1996/12/5

文庫なのに一冊1300円。
流石はちくま文庫。容赦が無い。
然し其れも其の筈で、これは図鑑というか写真集なのだ。

知っている人には説明不要の「トマソン」だが、
果たして今どれくらいの人がこの名と定義、出自を知っているのだろうか。

今となっては(「VOW!」なんかで)当たり前と化した物事の捉え方の一つだが、
その概念が登場した当初は、本当にショッキングな事件だった(らしい)のだ。
一つの新しい視点の開拓であり、路上観察学の(大正期以来の)復活でもあった。

とまあそう言うわけで堅苦しい話は抜きにして(いや出来ないんですが)。
ただ眺めるだけで楽しめる珠玉の図鑑。
今まで数々の本で紹介され、知られてきた「物件」達が
この2冊にほぼ収斂されている。
かつては物件そのものよりも其れを捉える観察者側の意識を中心に
語っていたような所があったが、それも最早不要(な程「トマソン的見方」は
浸透した)である。

第一物件発見以来24年の歳月を経た今、その物件達の有意味さは失われつつ
あるかも知れない。浸透と拡散という奴だ。今しか出せない本のような気もする。
今しか読めない本、かもしれない。



・・・いやただ観ればわかる面白さなんですよ。
赤瀬川氏の解説がまた素晴らしくて。写真をみて、解説を読んで、また写真を見て。
柿の種と酒を往復する、いやさゴハンとオカズを往復するようなこの心地よさ。
ワビサビと笑いが共存する、感覚だけが支配する世界。
何ひとつ企まれた物のない、ただ其処にそうして有る物件を、感覚一つで切り出す
その「感覚」を共有する醍醐味。そして何よりその「元締め」であるところの
赤瀬川原平の「人の良い空気」に触れる安らぎ。

何故トマソンが僕をこんなに(いまだに!)捉えて離さないのか、その一つには
路上観察学会人の人の良さというか、「格好良さ」にも有ったと思う。
赤瀬川原平の語り口の素晴らしさ!何も芥川賞作家だからとか、
もうそう言う以前に・・・

トマソンは終わらない。新たな「物件」が発見される度に、
新たな次元へと延びて行く。
だが、矢張り「浸透と拡散」は何処にでも有るのだ。其の意味で今斯うして
「トマソン」を纏めたのは、意味深い物であろう。

好きなページは空の巻p234。「車は液体になるしかない」境界。
いやもう人の思惑というのが空回りして生み出す「無用さ」ってのはタマラナイ。
好きだ・・・


じっくり味わって下さい。お薦めです。
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杉浦日向子「東京イワシ頭」/講談社/1992/5/29 杉浦日向子のもう一つの顔、というか、今まで「江戸の人」という 部分しか観てこなかった自分にとっては、90年代初頭にNHK等で 「街の粋人」としてよく現れていた氏の、当時のスタンスというか ・・姿を見る本であった。 もう一つの顔、というのは、東京という街のタウン・ウォッチャー (格好悪い横文字・・)である。 その街角観察人(・・・)が、「小説現代」誌の女性編集者ポ(ポアールの ムースの様だというので命名)氏とともに、「鰯の頭も信心から」的 即効性アリガタ物件を求めてさまよう企画物。 連載は「小説現代」/1990/1〜1991/12。 人面魚とか高塚光とか結構「時代」なものもあるが、 それ以外の「周辺部」(この周辺ぶりが素晴らしい)をさまよう 杉浦日向子氏とポ嬢の、何とも言えない悲哀感というか雨のそぼ降る感というか そういう都市の持つ面白さと疲労/倦怠感を再現してくれていい感じだ。 その「いい感じ」は、恐らく杉浦日向子自身のもつ物だ。 全ての「イワシ物件」を賞賛するでもなく、また完全否定するでもなく 楽しむというか、そのイワシな環境にいる自分達を第三者的に観察する。 その感覚が、ああ、杉浦日向子だなぁ、と思うのだった。 しかしこの本から受ける印象の、結構なオバサン風の氏と、「お江戸でござる」に 解説として出てくる控えめな美人とは、どーも同一視が出来ないのだが・・・ まあ、それもこの人の魅力か。そういえば漫画家(20代前半)の頃から 年寄りじみた言葉は吐いてるしなぁ。いやだいたいが江戸の人間なんだから、 本来ならもう疾に100歳は越えているわけだし・・・ まぁ、どんなスタイルであれ、杉浦日向子の本は独特の風味があって 読みがいがあるな、という話でありました。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
北野誠・竹内義和・板井昭浩 「明解サイキック読本IV サイキッカー」/青心社/1996/8/24 そういえばネット上でサイキックの話をすることも少なくなった。 とはいえ、サイキッカー達と逢えば 何年ぶりだろうと話が通じるのが恐ろしいが。 「サイキック青年団」というラヂオ番組がある。 関西に住んでいる「事情通」を自称する人間で、 この番組を聴かない者は居ない(決め打ち)。 ・・この「決め打ち」と「邪推」とを武器に、世の中全てを歪んだ (あるいは真実の)視点で切り出す恐るべき番組である。 既に9年になんなんとするこの番組だが、そのメインパーソナリティが 北野誠(お笑いタレント)と竹内義和(作家)の二人。 これにこの春までこの番組のディレクター(と出演・決め打ち・邪推加速) だった板井昭浩氏を加えた3人は、その9年の間にサイキック関連の本を 数冊出して来ている。これもそのうちの一冊。 いや出たのはもう去年の話なんですが。 徳島ってのは、一度本を逃すと、次に手に入れるには注文取り寄せしかない所で、 いやまあ其れを惜しむタイプでは無いのですが、何となくそのままになっていて。 先日遂に手に入れたと言うわけです。 内容は至ってシンプル。与えられたテーマに沿って三人が三様の文章を書く。 北野誠はタレントの立場から、竹内義和は作家の立場から、 そして板井昭浩はをたくの立場(違う?)から・・ だから、リスナー以外には正直何が面白いんだかわからない部分が多いだろう。 ラヂオの関連本なんてそういうものだ。 それだけの、本。 でも面白かったんだよう。 何かね。 サイキックは今も関西圏サブカル(死語)の中心と言えるのではないかしら。 最近でも、サイキックの面子と東京ヲタク方面が近づきだし、 気がつくと岡田斗司夫等「オタクアミーゴス」とサイキックは切っても切れない 世界となっている。それ以前も、オウム、小林よしのり、リンダ(違う)と 我々が志向する世界を引っぱり込んでは好き放題語り、 ますますカオスの様相を呈していくのだった。 今や私の中には「サイキッッカーとそれ以外」という分類が生じている程。 サイキッカー意外には決して語れない話とか、あるですよ・・・。 あー。なんかラヂオの話に終始しそうなんでこの辺で。 まぁこういう本も良いなぁ。という事でした。 あ、ちなみに私の名前はp185最下段左から12番目・・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
桜玉吉「防衛漫玉日記 2」/アスキー/1997/3/31 ここ数年来「我々」の話題の中心をなしていた「そねみ」、 それ以来の一連の流れの、言わば終着点。 集大成、ではなく、終着点と感じる事に、特に根拠はないが−。 ホントの所、コレで終わりだとは全然思ってないし、次の展開が有ることは これも根拠無く感じられる。でも、「そねみ」はもう無いのではないか? うーん・・何と言ったらいいのか・・ 少なくとも現在における「防衛隊最後の単行本」である。 最後?に相応しく、一分の隙もない出来である。完璧と言っても良い。 「惰性」という言葉の持つ風合いを見事に漫画として定着させた。 墨絵。狂ったアヴァンギャルドなコマ割。「そねみ」絵として定着したいつものアレ。 様々な「嫌実験」を繰り返す。 かと思えば「昔の」コマ割で進む「使命の十字架」等は、表面は普遍的ながらも、 その内容が尋常でなく「走って」しまっていたりと、全く持って 予断をゆるさないのである。 ・・・この連載無き今、果たして僕らが「ビーム」誌を買い続けることに 何か意味は残されているのだろうか? もう、「惰性の権化」すらないこの雑誌は、金でん一((c)玉吉)編集長の下、 何処へ向かうのか・・・ ああ・・・ 等と言いつつも笑えるところは笑ってしまうのである。そういう漫画。 この一種独特の「笑い」こそは桜玉吉漫画の最も魅力的な部分でもあり・・。 個人的に死ぬほど笑えて好きなのはp30の、 隊長がスノモで雪道をわやくちゃに走って、それにヒロポンがハマる、というシーン。 何かもう見事にツボに入ってしまって、何度読んでも笑えてしまう・・・・ 然し。 一体我々にとって、桜玉吉(地球防衛隊隊長)とは何だったのか。 等と考えてしまうのである。 この一連の(「しあわせのかたち」から続く)作品群から 私はどれだけ影響を受けてきたかしれない。 事実我々は「防衛隊」を自称し、隊長、隊員と呼び合っているではないか。 今改めて、あの「しあわせのかたち」がどれだけ魅力的だったか、 魅力的であるか、を説明するのは簡単ではない。 それと同様に、作家としての/作家性としての「玉吉」は、 言葉では表し得ない・・・ いや単に語彙が貧しいだけなんですけどね。 アスキー系漫画家の中では最もメジャーでありながら、 同時に最もアングラだった。 果たして次の作品は・・・ まあ、買う人間は100%買ってることだし。でしょ。 言葉にならない呻きを分かち合おう(嫌・・)。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
吾妻ひでお「吾妻ひでお童話集」/ちくま文庫/1996/12/5 今更読む奴。 640円。コストパフォーマンスは高い。高すぎる。 巻末のとり・みきの解説も親切、且つ当時の空気を見事に書き出していて良い。 「あしたのために」を思い出す。 しかし最近のあじま漫画の再刊は有り難い限りだ。 有り難い限りなのだが、なんかダブリが多くて・・・ なまじ高い金だして買った古本の内容とダブってたりすると、 何か買う勢いが出ないのであった。 改めて上手いと唸る。 上手いというか・・巧い。 COM系少女の絵は、もうあじまにとどめを指すな、と 再認識するのであった。特に墨の使い方が凄すぎる。 内容もそうだが、一時代を築いた絵柄、というのは 後から観ると案外古くさいものだ。時代性が匂う。 あじま漫画には(まだ?)それは無い。 内容に関してはSFがメインと言うだけでも最早アレなのだが。 我々は吾妻ひでおの新作を待つことも、読むことも出来る様になった。 ・・筈だ。最近一寸観ないんですが。 過去の作品も簡単に読むことが出来る。 果たして時代は一回りしているのか? あじまは再び我々(・・・)に光を与えてくれるのか? どの作品もマスターピースであり、我々はその物語に打たれる。 作者自身がどれだけ苦悩し、生活の中から作品を生み出そうと、 作品は生み出された瞬間からその生活とは関係なく生きていく。 そう言うことを思いながら読むのであった。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
Orson Scott Card ENDER'S GAME /1977,1985 オースン・スコット・カード「エンダーのゲーム」野口幸夫・訳/早川書房/1987/11/30 人が読んでいると自分も読んでなきゃいけないような気になるってのは 私の悪い癖ですが、これもそうやって読んだもののひとつ。 でも大ヒット。 初読の時の読了感というのは、「うーん」というものだった(全体的な構成の バランスが・・・)のだけど、でもやっぱりラストの「SF」臭さに 負けたというか・・・・弱いんだ。 まぁオチは中程で「見える」んだけど、でもそれ自身が本当のオチかというと そうでもなくて・・・ SFのSの部分は決して古くなってはいない。「ありがち」ではあるが、 それは発表当時もそうだったろうし。 ・・ただ何ちゅーか、エンダー達があまりに幼すぎて、 「絵」が見えなかったですよ。想像力の欠如かしら? 正直欲求不満。 もっと「ゲーム」の部分を−、その視点というか理論というか、 要は「ネタ」を強く書いて欲しかったです。 読了した後、じわじわ・・と見えてくる 「社会というルールの下でゲームをする生き物」としてのヒトの姿、 いや言葉にすると陳腐なんですけど、それが見えてきたときの興奮は なかなかのものがありました。 で、そのテーマというかネタは凄くエキサイティングなのに、それがもっと 最初からはっきり見えていれば・・・ ってそれはもしかして読者側の理解力不足か? 解説にもあった「スラン」は、超能力少年に憧れた過去を持つ身としては 僕も大好きなんだけど、あれは少なくとも「少年」だったしなぁ。 エンダーなんて幼児だよ幼児。 まあ然しボクが歳を取りすぎた所為もあるか。スランを読んだときは まだ・・・えーと・・16歳だった(!)もの。 でも言わせてもらえばアレに比べてエンダーは「掴み」が悪すぎた。 一気読みするべき内容なのに(4〜5時間が理想的だ)、引き込むだけの パワーを感じない。何かこう「子供」に理想を重ねすぎているというか・・ 子供は基本的に無知であって欲しい。見えない「社会」に怯えてこそだ。 だがこのエンダー達は、社会も又ゲームであることを示すための明確な キャラであり、あまりに理知的すぎる。「リアリティ」を感じにくい・・ あと「色気」が全くない。それはもう全く、である。 いや素っ裸の女の子(先輩兵士)とか出てくるけどな。でも8歳とかだし。 兎に角思春期以前の少年少女しか出てこないのである。 その純粋に「子供」な感じが感情移入をいささかなりと削いだのは確かだ。 で、流れ上どうしても比べてしまう「ノーライフキング」。 あれに出てくる少年達こそが、ボクにとっての(極私的なアレですが) 理想的、というか「リアルな」な少年像なんですよね・・・。 絵的には安彦良和の少年像で決まり。 模擬線(ゲーム)のシーンとか、才能故の苦悩とか、もーそのへんは もう完全に安彦漫画の世界だった・・・さっきも書いたエンダーの先輩に当たる 少女などは、もう安彦キャラ(マギーとか)の絵でしか見えないのだった。 いや、でもホント。後半(8割くらいから)の流れるようなスピーディな展開と 面白さは、言われるだけの事はある、のであります。思わず拍手喝采のラスト。 長編読み切りSFの醍醐味であります。 ・・と思ってたら、これって「エンダーシリーズの第一巻」なんですってね。 これだからアメリカのSFは・・・ いや、好きなんですけどねぇ。でももっと続編を出すべき作品もあるでしょうに。 レズニックとか。レズニックとか。レズニックとか。 何時になったらマロリーの続巻が読めるのだ。あああ。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@

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