3月24日付テキスト群。

ながいけん「神聖モテモテ王国 1」/小学館/1997/2/15


きらめく何か


今や我々にとって基本の書なり。聖典とも言える。
読んだことのない方はサンデーなどで立ち読みなさってみて下さい。
単行本を手に取ること必至。

聖典な割に感想が遅れたのは
毎日のように友達と「モテモテ」の話をしていたからわすれてたんじゃよー。
いや顔を合わせるとモテモテの話。こんなの「あ〜る」で騒いでた
中学生の頃以来だ。

内容は







解説不能。







分類としては宇宙系ギャグマンガ(主に言語操作)。
往年の天才漫画家ながいけんのギャグセンスが時代を超えて此処に爆発。
もう他の追随を許さないと言うか追随できねぇというか。
凄すぎる。(この「〜すぎる」もながいギャグが最初期だったと記憶する。)

昔森住のブックセンター(香川)で読んだ「まんがファンロード」って雑誌で
ちゃぶ台囲んで丸狩りと宇宙人?なファーザーがモテる計画を練る、
という漫画を読んだ記憶がありますが、それからもう何年になるのか・・・
確認を求む。

ながいけんの過去を知る者は伝導して吉。ただしあんまりやりすぎると凶。


何かにつけ「やはりだめか」と苦悩する深田君だが、それでもファーザーに
頼らざるを得ないあの性格は一体何を暗示しているのか・・・実は深い裏設定とか
有ったらやだけど無いに違いない。


奴の弱点は目だ。
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筒井康隆「文学部唯野教授」/岩波書店/1990/1/26 正直「読んだだけ」で有ることを告白する。 何せ講演テープ「誰にも解るハイデガー」を聴いて「解らなかった」男だ。 この本でも唯野教授の講義自体は分かりやすかったものの、だが解ったのは その場(読書中)だけで、完全に会得できたわけではない。「教養」にならない・・ 読んだ端から忘れていくからな・・「心理は知識の向こう側にある」らしいけど。 どっちにしろ矢張り最後は自分で原典に当たらざるを得ないか。 文学系に席を置いた人間ではあったが、「文学とは何か」に至る以前の段階で 終わってしまったというナマクラであれば興味はあれ、読んだのは大学も 卒業しようと言う4回生の12月頃だったと記憶する。 それから今まで感想用棚に放り込んだまま、たまに腕組みをして 「書くべきか、書かざるべきか、やめとくか・・」とかやってたんですが いい加減棚が狭くなったんで仕方なく。 その「文学とは」以外の、つまり「大学」という空間のカリカチュア(本当は カリカチュアどころかもっとアレなのは地方国立大学でも同じ事。 文学系は特にだ。)は如何にも筒井らしい勢いのある展開だったが、如何せん 主人公の唯野教授が大学人という事で、行動原理がかなりいつもの「俺」とは違う。 その違い方が妙にリアルで気分が悪くなった記憶がある。知っている教授達の空気に 酷似していたのだ。それがなんか恐くて・・・ 大学の内部事情暴露本、として読むことも可能。かなり「近い」感じはします。 鶴見氏なども「リアル過ぎる・・・」と語って居られて。 それでも読み始めた時は唯野教授の講義内容に興味があったてのがメインで、 なのに読んでみると今一つ「理解する快感」が薄かった。 単に理解できていなかったのかも知れないが、兎に角「読み」と言う行為への 新たな視点からの「センスオブワンダー」を期待するなら田中実 (小説の力、とか)でも読む方が今の私には相応しいと感じた。 この(田中の)読み方が今の「ブンガク」を変えつつある様な気がする。 唯野教授の最後の講義でも「現代的な小説を読むには、早読みしない、 ゆっくり食べる、はしょらない、丹念に摘みとる、これが大切です」(p297)と 言っているし。読み手の為の作品、は読み手の数だけ無限に存在しうる・・・・ そういった「読みのアナーキー」と対抗せざるを得ない現在、虚構のための論理が 開発されねばならぬ・・・わかんない話になってしまいましたスイマセン。 一時期時代を席巻していた唯野教授も最近はそうでもないのか影が薄い。 筒井作品が大うけしたのはもう昔の話、なのか。 「過去の栄光」から作者も読者も抜け出しつつあるが、しかし、その中で 生まれた作品は、まだ一つとして僕の心に染み込まないのであった。 どうにも頭ヨーグルト @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
筒井康隆「文学部唯野教授のサブ・テキスト」/文春文庫/1993/7/10(初/1990/7) タイトル通り、岩波「文学部唯野教授」のサブテキストである。 対談、インタヴュー等が主(巻末の「解説にかえて−『文学部唯野教授』の特別講義」 は読ませる。オモシロイ。)だが、目玉は ポスト構造主義による「一杯のかけそば」分析 であろうか。でも素読ではその「笑い(危機感を含んだ)」が出て来にくい、 てのが実感。あの頃に比べて時間も経っているしな・・・ 確かにコドモゴコロにあの「一杯のかけそば」ちゅう話はあんまり駄作で こんなのを学校の先生がコピーして配ったりしてるのが妙に思えたものでしたが。 斯う言うのを有り難がって笑おうと努力するのもアレですが 読めば成る程とは思う。思うがかなり「解る人にしか解らない」というか・・・ 正直「〜?」という・・・ どうも要領を得られない。 読者としてのレベルが・・・ やっぱ勢い馬鹿SF〜とか「虚構」のツツイまでしか理解できない私。 ・・・ツツイをやたら有り難がる傾向がある、と言うのもまた事実で 昔のSF者はこー・・・駄目だなあ・・・いろいろと・・・ ううむ・・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
赤瀬川原平「新解さんの謎」/文藝春秋/1996/7/10 噂の、新解さんの秘密を探る書である。 新解さん=「新明解国語辞典」(三省堂)がヘンだ、というのは 以前から(文藝春秋で連載が始まった平成4年以前より)結構有名な伝説で、 皆さんも学生時代に一度は新解さんの「動物園」をあるいは「世の中」を 引いたことがあるであろ。あのソウルフルな文面・・・ つまり、みんなが知っていたことでは有った。のだ。 厳密にはトマソンの如き「発見」ではないのだが、然しそれを文章に、 あのアカセガワ文章に仕上げしかも大量に列挙してみせることで 「新解さん」という、辞書の向こうにいる人物を「発見」して見せてくれる。 いや、やっぱ赤瀬川原平の文章(笑い系)は上手いわ。流石だ。 嘗て「超芸術トマソン」で息も絶え絶えに笑わせられたときのあの気分が甦る。 畳み掛ける笑い、その畳み掛けの中で読者も「明解」の森に引き込まれていくのだ。 そして浮かび上がる「生真面目」な「新解さん」の姿。 ああ、しかし泣きたいくらいに生真面目・・・ 是非「新解さん」に出会って見て下さい。 「ああ、こんな時新解さんならどういうだろう・・」 後半の「紙がみの消息」も読みごたえ有りですが、ちょっと散漫な感じ・・ まあ、話題の本、と言うことで。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
猫十字社「県立御陀仏高校 1」/小学館/1985/1/20 猫十字社「県立御陀仏高校 2」/小学館/1987/5/20 おだぶつ、では無くみだぶつ、と読む。 猫十字社の「黒もん」系スライドギャグ漫画。 たっつぁんとももちゃんのハイスクールライフ・・・ いやこういう懐かしい響きが何となく似合う、渋い漫画である。 多分連載当時もそう言う雰囲気だったのではと予想されます。 朝の光、午後の気怠い光、春の風、懐かしさを誘う風景・・・ 実にいい味を出してて(特に毛皮のモーリン)、 古本屋で結構な値段で買ってから、数週間した今や愛読書。 たっつぁんの可愛さがたまりません。あの髪型とあの性格。 バイクの免許取ったりするのも猫十字社の好みが出てて好きです。 ももちゃんエイド(欲しすぎる)といい、ゴル子さんの造形といい、もう・・・ で、斯う言うのをもっと読みたい!と私は思うのでした。 今何巻まで出ているのか・・・ 黒もん、の1巻がまだ手に入らない @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@

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