970927付テキスト


岡野史佳「君の海へ行こう」/白泉社/1997/8/10

いやまあもう皆さん買われてる事とは思うんですが。

正直期待してなかったですよ。
先の「ラブリー」がちょっと・・だっただけに
「あーまた出てるなぁ・・・しょうがない他に買うモノもないし」的感覚で。


いや、まいりましたねどうも。
p25(ノンブルのない漫画だな・・)でスゲェどきどきしてる俺。
漫画読んでどきどきしたのなんて久しく無かった・・・。
っていうかこりゃもう「基本」の書でしょう。直ぐにそうなると思う。
久々のヒット短編だ。

絵もかなりマシになってきているし・・・まだ斜顔が人間じゃない時があるけど。
・・・すいません>好きな人。昔の絵柄が好きだったんだよう・・・

モノガタリそのものには奇異な展開は特に見られず。
物語の強烈さよりは寧ろ、絵そのもののインパクトで勝負という感じ。
こういうのを画力って言うんだよな・・・・

思わず気がつくと10回は読み返しているという。

巻末の「緑のゆびさき」も丁寧な作りで岡野作品らしい一編。
長野まゆみ系SFの薫り高い・・・。短編は相変わらず巧い。
・・「君の海へ」も「緑」も、物語的には、「外」から男(年上の王子様)が
やってきて少女の心をさらっていってしまう、というありがち一辺倒なもの。
でも其れを魅力的に描ききる力というのは・・・

プロットが平凡でも、画力と「感性」が有れば。


漫画は、この世に残された「個人の感性」の最後の砦かも知れない。

とか考えてしまうです。一人(まぁアシスタントはいるにせよ)で
版下まで作成してしまう世界なんて、他には無いでしょう。「芸術」以外には。
いや、さいとうプロみたいなシステムで描かれても漫画は漫画。
でも、漫画の向こうに「作者」という個人を感じることも、
漫画を読む魅力の一つだと思うです。特に少女漫画にはそういう楽しみ方が
似合う様な気がするですよ。「1/4スペース」や「あとがき」の存在が其れを
証明していると思うですが、如何。いや如何って言われても。

「フルーツ果汁」はもう二度と読むまいと思っていたのに
書庫から引っぱり出してきてしまった
@@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@

ゆうきまさみ「じゃじゃ馬グルーミン★UP! 11」/小学館/1997/8/15 気が付いたらもう11巻。いつの間に二桁になったんだっけ的感慨が。 で、今巻は たづなちゃん特集号と言うか。 うーと。 とりあえずたづなちゃんは俺の(俺のってあんた)だッ。 作者が狙ってんのは百も承知というか、狙ってやってんのは明らか (P116とか!119とか!!)なんだけどでもそれにハマる俺。 あかん・・・もう・・・ いや、狙って狙えるだけの力があると言う事か・・・ 少なくとも、今まではここまであからさまにはやって無かった様に思うですよ。 惚れたハレたやっても「大人の恋」とかで、多くの読者が等身大で ハマれるそれが無かったと思うのさ。「あ〜る」以降ずっと。 それが新鮮というか・・・ 駿平はしかしたづなの好意には気付いてんだよな。心の何処かでは。 だから「責任」が回ってきそうになるとボケを打つ。本能的に。 経験者(・・・)は頷いても呉れよう。 然してっきり遠くの高校に通い出して、出番が少なくなるかと思ってたんだけど この展開は予想外。もっと計算高いというか、人生設計がしっかりあって、 夢に向かって一人暮らし、みたいなタイプの子だと思ってたから、 読者としてはうれしい誤算だったのかも知れない・・ ・・・かも知れないけどその理由が駿平じゃなぁ・・・ ・・・で、馬の事なんか全然目に入ってない現状。 もすこし競馬に興味が持てれば・・実際に馬券買うのが一番なんだろな・・ 燃えるには。 人間ドラマだけを見てても良いんだろうなとは思うんですけど、 それじゃあ馬漫画である必要は無い訳だし、矢っ張り蚊帳の外というか、 知らないで読むのも辛いし・・・。もっとこう馬解説漫画みたいな事を やってくれても良いかなとか・・・ ・・ちゃんと読めば解る様になるのかしら。馬周辺は結構斜め読みな私・・ 然し矢張り駿平のキャラは面白い。リアリティもあるし(出来る父親の前の息子って 実際あんな感じだよな・・・)、いちいち「うんうんそうだろうとも」と 頷いてしまうのだった。 でも人格的にはまだあそこまで達観というか人格者になれない私。 駿平は岡田式分類法では恐らく「職人」タイプと見たが如何に。 ちょっと「王様」寄りか? @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
ふくやまけいこ「まぼろし谷のねんねこ姫 3」/講談社/1997/8/6 良すぎ。絶対の買い。激愛。 友人知人で「KCなかよし」が買える人間(割とハードル高いかも)には 会う度毎にすすめまくっている私。 もう良すぎて・・転がり回ってますが。 ふくやまけいこ氏の「本来の」世界はこういうのだったのかも知れないですね。 昔のSFな作品群でこの作者に惚れ込んだ人間としては、「るるちゃん」が今ひとつ 盛り上がらないまま消えた後、この連載が始まった時は正直複雑な気分だったんですが でももうこれは・・・ 「るるちゃん」でやれなかった部分(少女漫画としてのラブコメ)を かなり初期から描き出したのは正解だったと思うですよ。 るるちゃんはるるちゃんで正統SFの血が騒いで良かったんですが、 この「ねんねこ」に比べると、作者と作品にちょっと隙間が有った様にも思うです。 「物語」を描いている感じ。それは今までもそうだったんですが・・・ この「ねんねこ」は作者の内部からのみ生まれた様な感じで、作者と作品の 一体感というかライブ感が違う。 なんて言ったらいいのか・・・「生き生きしてる」。 こう雑誌付録とか日記レポート漫画とかで見せていたおとぼけたノリが、 10年(もっとか)以上の歳月を経てここに結実したと云う感じ。 里穂ちゃんの一人称な部分がもうたまりません。 「あおいちゃんパニック!」で少女漫画を読む様になって以降、 もしかしたら最大級のヒットかも。これよこれが読みたかったのよ的。 ・・・えーとP100とかp119とかP133とか!!死ぬ。良すぎて死ぬ。うううう。 あとはやっぱりねんねこ姫ですかね。 P88で「はらはら」涙を流すカットでやられました。 いやもう。一撃必中というか。心臓停まるかと。良すぎます。 あとキスシーンですね。すずのすけとの。ぐるぐる目のねんねこ姫が完璧。 いやキャラ的にはちずるちゃんですが。いやそりゃもう(って何が)。 他の脇キャラも妙に立ってて(その辺が矢張り一味違う)凄いんだけど、 各々の活躍の場面がちょっと少ないのが悲しい(とくにちずるちゃんの性格 深そうで)感じ。連載が続けばいずれ・・・ああこのまま10年くらい 続いて呉れと天に願う私。 小道具も世界観も全てに於いて「対象:小学3・4年生以上」な作り。 世界が狭いのが(るるちゃんはその点世界観の作りは壮大だった)気にはなりますが、 子供の世界は本来こういうものだし・・・描写は少なくても、地面はしっかりしてて 現実との乖離感は特に無いし、理想的。 兎に角お薦め。一読あれ。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
原案:大槻ケンヂ 漫画:速瀬みさき「蝶や蛾の施術師」/リイド社/1997/8/18 懐かしくて涙する。 ああ昔のオーケンていうか筋肉少女帯はこうだったよなぁ、という。 思わず昔のアルバムを聴きまくってしまうのだった。 だって原案大槻ケンヂって言ったって、 筋肉少女帯の詩(つまりはオーケンの詩)から「インスパイアされた」だけな訳で。 でもそれだけに素直な解釈で、下手に拡大解釈とかしてないのが好感度高し。 ・・・・いや恐怖漫画なんですけどね。 ノゾミ・カナエ・タマエ 猫のおなかはバラでいっぱい レティクル座行超特急 風車男ルリヲ 僕の宗教へようこそ マタンゴ 何処へでも行ける切手 少年グリグリメガネを拾う 流石はオールナイト時代のオーケンファンを自称するだけ有るぞ>作者。 選曲が見事に電波だ。 既に「電波」を超え、今や格闘王と化しつつあるオーケンの、過去を懐かしみ 又再評価する意味でも区切りの一冊かも(・・・)。 然し何よりこの本の価値は巻末対談にある。大槻ケンヂ×速瀬みさき対談。 オーケンの「電波は体に良くない」論が端的に読めて傑作。 ファミコンは1日1時間で有るように、電波系も1日1時間程度に押さえようね という。 痛々しい描線が「電波当時の」オーケンらしくて、不快感は無し。 その素人っぽさも含めて割と完成度高いかも。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
衛藤ヒロユキ「Pico Pico」/エニックス/1997/8/12 まぁ買う人は買ってますよね。 この人の、「グルグル」以外の単行本って他に幾らも無いと思う。 その意味でも買いかしら、と。 「グルグル」同様、可愛さと腰砕けさが全編に充ち溢れた傑作。 こういうのって、やっぱ作者の資質だよな・・・特に腰砕けの方。 実際ももぎの不条理魔法はかなり効くぞ。プログラムならぬ読者でも。 下手したら死ぬかも。 「光の子」(最終的には総勢5人)の造形が又凄い。 キャラの描き分けの巧さは学ぶべき部分が多いと言える。 ももぎの造形は一見ククリなんだけど、その精神構造はかなり別。 どっちかというと、ククリはナノちゃんとももぎを足して割った様な感じ? メガもニケとは違って、「カッコ良さ」を意識して行動してる感じだし。 ちゃんと「別キャラ」なんだよな。巧いというか・・凄い。 ・・・そういう訳で愛椎ミリにのーみそくすぐられてる私。ダメだ。 いやキャラ的には圧倒的にナノ派なんだけど、シチュエーション萌えていうか・・ っていちいち主観を解説するな>俺。 所で今読み返してて気づいたんですが、この作者って 背景も自分で描いてますよね。特にデイジー銀座の描写は それだけで作者のごちゃごちゃした面白さが出ている感じで好き。 ・・いや、確信はないんですけど、タッチが独特で他人には描けそうもないし。 そういえばキャラの線も太さが一定だし、ロットにしてはエッジが甘いし 油性サインペン?・・・考えたらこの「衛藤ヒロユキ」の創作活動について、 殆ど何も知らない私ですが。 物語そのものよりも、ヒトコマヒトコマの完成度、オモシロオカシサの方が強い。 こういう仕事をする漫画家って他にどれくらい居るのかしら。 兎も角「完成度の高い」漫画である、と。かなり「スレた」読者も笑える筈。 いやでもホントに声出して笑える漫画ってトシ取ると だんだん無くなって行くよね・・・(って同意を求めるな) あとももぎの声はこおろぎさとみ(シシルモード)希望。 ミリちゃんは小桜エツ子かなぁ。ぼんやりした方の。 いや良いんですけども。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
CLAMP「カードキャプターさくら 3」/講談社/1997/8/6 いやー、相変わらず花びら以下なんだかふわふわしたものが 画面中に充満した漫画だよねぇ。あらためて観ると凄いわ。 でもなー・・・ 3巻に至って、未だにさくらのキャラが掴めない・・・ もう少し「影」の部分も欲しい、と思うのはこの漫画の場合 的外れだとは思うのだけど、でも矢張り何かのエレメントが足りない気がする。 綺麗可愛いってだけの画面には直ぐ慣れるですよ。結局漫画は「中身」かしら。 キャラが立てば物語も二の次なんだろうけど・・・正直「ちょっとね」な私です。 でも兄貴は良くできてる。キャラ造形が。 思い入れの差かな? 山崎君も。なんか男の子ばっかりキャラ立ってる様な気がするですが これも少女漫画ならでは? 次巻も出れば買うには買いますが、でももう惰性かも。うーん・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
中田雅喜「ももいろ日記(上・下)」/ユック舎/1991/1/10 女性によるSEX/子育て(他)漫画。 と言うとどうしても近年の内田春菊・他が出てきてしまうのだけど、 これはそれ「以前」のソレ。らしい。当時は画期的だったらしいのだが。 でも、やっぱ「当時」を知らない人間にとっては 「比べるとちょっとね・・」的気分になってしまう。 で、私にとってこの漫画の焦点はただ一つ。彼氏(後旦那)の描写に尽きる。 明言こそされないものの、「10年前からSFの人」横山えいじだ。 氏の「不幸」を嘗て風の噂で聞いていたが、成る程そうだったのか、という。 この作中の言葉を借りればこうだ 「おれって何?  マンションはおしかけ女にのっとられるわ、ガキはつくられるわ、  子守りはさせられるわの、主夫か!?」(下・P133) 横山えいじと言えば私にとっては神にも等しい存在だけに、 かなり複雑な気持ちも無いではないの。 勿論実際は奥さんや子供のことを話すのが嬉しくて仕方ない、ってのが SFマガジンとか観てると解るけれども。 基本的にはSEX(これは男性読者の興味本位用)と子育てと、そして「昔話」。 女性の漫画エッセイストの多くが、過去の自分の話ばかりを延々としてしまうのは 割と良く観られますが(男もそうだけどな)、でも大抵は「面白くない」。 例外は中高生にとっての新井素子くらいでは。 「日記漫画」は面白いんだけどねぇ。あんまり「昔話」って面白くない。 特にこの作者のそれは過去が(あからさまに)美化されている為に、少々不快ですら 有る。これは自分も又同じ様な失敗をしてきている事を思い出した為・・・。 あと矢っ張り気になったのは、「最大の敵は無理解な母親」であるという点。 最近コレに類した話を某所で2件ほど聞いていて、女ヲタクの敵は 結局母親なんかなぁと。いや違うのかも知れませんが。 えーと。この作者の事良く知らないんですけど、「濃い」のは解る。 SF全盛期の人名が端々に出てくるし。多分掲載紙のこともあって 「押さえて」はいたんだろうけど、巻末の「オランダの堤防少年」あたりで その性格がオモテに出てしまった感じ。 悪くはない(寧ろ「愛のさかあがり」的で親しみやすい)んだけど、 そこまでが全く「そういう」エッセイ漫画じゃ無かっただけに、 かなり違和感を感じる。それが連載終了の原因だったのかも。いや単なる推測ですが。 ○この本を提供して下さったへのへのモアイ氏に感謝します。  横山えいじファンとして。  私一人では、この漫画に出会うことは多分無かったと思います。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
柊あおい「星の瞳のシルエット ENGAGE II」/集英社/1997/9/17 表題作はイマニ。と言うか、もういいよ〜的。えんえんと「その後」を描くのも 良し悪しだ。でもこれだけキャラの立つ物語ってのは描いてみたい気もしますが。 でも、いや、ねぇ。この作品に出てくる香澄は駄目なんだよな・・・自分を 投影する分には素直で可愛い香澄ちゃん、は良いんだけど、こうして客観視すると かなり嫌。何か「満ち足りた笑顔」見るとねぇ。もーどーでもいーやという 気分になる。ああ汚れてるのか>俺。 で、それ以外の2編、「はじめまして」と「季節の栞」で、やられた。 オールド少女漫画者とゆーか、ちょっと古い所で止まってる自分的には、 これは一寸、いやかなりのヒットだった。 「季節の栞」の、あのラストで泣かない男はいねえ。ていうか泣け。 これよこれなのよ。 日々を重ねて少しずつつのっていく想い。これを描いてこそだ。 P131で心臓がきゅーッと。ああ。やっぱり受験期の「共闘感」と、その生み出す 「戦友」意識、そしてその後には当然別れが待っていて− どんな人間にでも、この時期にドラマの一つや二つは有るのである。 特に中学から高校へのそれ、は覚えていないだけで、誰にだって有った筈なのだ・・ この時期を扱った名作はそれこそ星の数程もあるが、中でも此の作品は「二人」 以外の他者(サブキャラ)を一切挟まないことで、その空気の純粋さを切り出した 傑作と言える。 余りに「雰囲気」が良くて、読み終わった後思わず卒業アルバムを 引っぱり出してしまった私。その後も2〜3日その手の気分が続いていて、 気がつくと小山田いくにまで手を出していたという。いやこれはまた別の話でした。 然しこの「季節の栞」も「はじめまして」も、どちらも考えてみればかなり 小山田いくライクだ。絵は別として、話の作り、台詞回し、妙に似ている様な・・ いやいいんですが。 P124〜132の流れの気持ちよさ、ツボのハマリ具合を見ていると、ああ本当に 柊あおいは巧いなぁと感心するのだ。思い切り駄目な作品を見せられて、 「ああ、この人ももう駄目かー」と思ってるとこういうのを出してくる。 矢張り世代交代の激しい少女漫画界で長年描き続けるだけの力は有るのだぜ。 然し、ああ、今夜眠って目が覚めたら、学ラン来てカバン持ってJRに乗って 学校へ行くんじゃないかという気分。 また夕闇の中の街を駅まで歩きたい。列車に揺られて青背を読んでいたい。 退屈な授業を余所に聞きながら、頬杖を着いて窓の外を眺めていたい− そういう気分にさせられた、という事で。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
唐沢なをき「唐沢なをきの楽園座(パラダイス・シアター)」/講談社/1997/8/27 割と大人しめの一冊(・・・)。 「電脳」以降濃い方面を極め続ける作風の裏では、こういうオーソドックスな 「唐沢まんが」を描いていたのだった。 今巻は(も、か)女の子のハダカが多くて眼福眼福。 この人の絵柄って昔からこれでしょう。カスミ伝以来ずっとこれ。 好きなんです。なんか。可愛いじゃないすか。 多分に描線が少ない(何せペン入れは油性マーカーだという)だけに、 恥線や汗といった漫符が生きているし、シチュエーションが「良い」(どう 良いのかは秘密)のだ。P107(「戦え!エレベーターガール」冒頭)の 「ニコ」だって、この擬音(?)が有ると無いとで随分印象が違うという。 卵な輪郭に線の眉とぐりぐりの目。恥線と逆への口。殆ど漫画のかきかたに出てくる 表情の描き方、の「ニコ」の見本みたいな単純な構成だ。 それでも、このコマの「笑顔」の可愛さというのは、(擬音も含めて)可成りのものが ある・・・と思うのだけど・・・。 えーと、何が言いたいかというと、唐沢なをきは絵が下手だ、というのは 当たらないよな、と。「絵」だけじゃなくて、シチュエーションそのものが 「唐沢まんが」なのだし。 そういう訳で一番好きなのは「戦え!カメレオン女」だったりして。 メガネっ娘萌えな人は読むように。 この作品に至っては、ただ保護色を使える(様に改造された)女子高生が、 悪の組織に追われて逃げ回る、その保護色を使う為には全裸にならなければならない、 という「ありがち」な設定の、その設定をえんえんと描く(つまり服を脱いでは 消え、また服を着て、また脱いで・・・)のみ。他に何の物語も無い。 ここにはただその一つの設定のみが有るだけだ。 ・・・P1363コマ目なんか、殆ど落書きのような表情なのに、可愛い・・・ 漫画は矢っ張りシチュエーション、だ・・・。 ネタの殆どが既に何度か見ているものであるにも関わらず、矢っ張り笑えてしまうのは 同じネタを何度焼き直しても笑えるモンティパイソン系ギャグ(理系ギャグ)だから なのだろう。とり・みきや上野顕太郎等この系統の漫画は、その作り込みが「理系」 的なのだ、とこれに関しては既にとり・みき氏が自身の著書の中で何度も語っている ので繰り返さないが、今この手のギャグでは、唐沢なをきが他に一歩先んじているのは 明らかだ。例えばとり・みきのソレは往々にして実験が実験で終わることが多いのに 対し、からまんは常に実験がギャグ(ギャグの道具としての実験性であり、高踏では ない)として機能している。例えば「電脳」がそうだし、「怪奇版画男(では、 みひらきで新宿歩行者天国の人ごみに突如あらわれパニックをおこす日光さる軍団を 彫れ)」がそう。あまりの馬鹿馬鹿しさにひっくり返って笑う。初めてキャプテンで 氏の漫画を読んで以来既に7、8年経つのではないか。だがそのノリ(ネタもだ)は 全く変わらず、寧ろそのベクトルをはるかに突き進んでいる様に見える。 でも、この単行本に収録された作品の様に、昔の(というのか・・)味わいをも そのまま描き続けているのだなぁと。 然しやっぱ唐沢なをきは唐沢なをき個人の方が面白いですね。 一時期「商会」の活動ばかりで「あれ?」という感じだったのだけど、 「電脳」以降からまんが本当に面白くてならない私でした。 ※唐沢なをき漫画の解説・解題に関しては、とり・みき「マンガ家のひみつ」 (徳間書店)が詳しい。一読をお薦めします。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
坂田靖子「よなきうどん」/マガジン・マガジン/1997/9/15 傑作集3にして遂に過去の単行本とのダブりが無くなった。 純粋な新刊と言える。買いだ。 いちおジュネコミックスなんで、ジュネ満載なんだけど・・・ 一筋縄では行かないのはいつものこと。 特に「春の道で」はここ数年では最高の傑作では無かろうか。 ・・・と思ったら初出は88年。「ララ・ショートストーリーズ」初出の4作品は どれも得難い傑作。もしかしたら既に単行本の形になっていたのかも知れないが 読んだのはこれが初めてで。 「春の道で」をどう説明したものか・・・・ ただ、少女が学校へ登校するまでの、春の道草情景を描いているだけなのだけど。 この豊かな登校風景を見よ。菜の花畑、れんげ畑、空にヒバリ・・・ 日本は、良い国だ・・・(増殖)という感じ。 ヒバリの鳴き声に空を見上げる、それだけに二頁を費やす。このタイミング。 「道草を食う」ってこれだよな。ともすれば語源を忘れ勝ち。 兎に角此処まで来たかという感じの出来である。 或いは「へちま棚」とか。 高等遊民たる「学生」(昭和初期のソレ)の、夏の空気。 ただ縁側で団扇を片手にだらだらと話し続けるだけの作品。その見事さ。 80年代末期の坂田靖子頂点の頃の作品。 無駄のない冴えきったコマ運びを見よ・・ ・・・・やっぱ坂田靖子は凄いよ。 だって扉のマンガからして「わたしは光る尾をもつなめくじ」だぜ? この語感!! 「目が覚めると  ナメクジになっていた・・・  ひんやり・・・」 だぜ? 矢っ張り凄いわ・・・ 次の単行本を楽しみにしつつ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
須藤真澄「じーばーそだち」/秋田書店/1997/5/10 ・・・やっと・・・やっと手に入れた・・・通販だぞ通販。 送料本体価格並だぞ。くそう。でもいいの。いいのよ。 やっぱすどさん凄いっす。 でも考えたらこの人の4コマって某ムー民以来じゃ。 でもちゃんと起承転結な四コマで、然もオチが無茶苦茶ツボに入るという。 何回悶絶したか。いやー、この人ホントにオカシイわ。ギャグの人だよなぁ・・ 大体この人のマンガ初めて読んだのってCBのギャグの方だったし。 だからワタシの中では、須藤真澄と言えば「こういう」感じなんですよね・・・ 然し。ああああああ。 もー兎に角りるちゃん可愛い可愛い。凄いぞ。 おともだちも可愛いしなぁ。困ってる表情とかなぁ。 かわいいかわいい。かわいいよう。 P125見て本気で30分くらい再起不能だった私です。 さあ殺せ今殺せ的。 すどさんの絵って、それだけで凄い・・・ あの線の細そうな肩とか背中の描線が・・あの足がぁぁぁ・・・ もーヒトコマヒトコマ目が止まってしまって。コマ数多いからコストパフォーマンス 凄い高い感じだ。ああ。ああああああ。 ・・・おにいちゃんもいい味出してて好きだ。じーばーそだちの彼もまた 苦労しているのである。然し何度見ても「たまごうでてきた」で笑ってしまう俺。 ああ・・・ 彼女もいい感じの人だし(声は佐久間レイに決定だよな)、彼の人生に幸アレ。 ていうかあんな良い妹がいて何の不満が有ろうか〜・・・ むこっかたのふたりも凄い好き。 あの爺の、孫にも容赦無いあたりが何とも。居そうだよなぁ・・・ P128の目が・・・ 一徹のキャラも好きだしなぁ・・おともだちのパパも好き、もっふーんトレボンて。 みんな好きだ・・・キャラ造形が無茶苦茶巧い。絵としての完成度と、キャラの 立ち具合が双方見事で、もう何も言えん・・・・あーもー。ああああ。 キャラが立つってのはこれだよな。さくらももこ的完成度と言えよう。 でもさくらももこは駄目な私であった・・・ネタの作りが根本的に違うわな。 ・・・すいません。 やっぱ本当に好きな作品だと「好き」以外何も言えません。 ツノマムシを前にしたりるちゃん状態と言えましょう。 そゆわけで、もう絶対のお薦めです。 今ならまだ新刊コーナーに有ると思われる「おさんぽ大王」と セットでお楽しみ下さい。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
須藤真澄「おさんぽ大王」/アスキー/1997/9/22 激お薦めの一冊。 連載誌で何度と無く読み返してたのに、 こうして単行本に纏められたのを読み返すと 更に新たな感動が・・・ ていうか笑いが。 ああああ。 上手いなぁ、と。ただただ上手い。 作家性、を言えばこれほど作家性のある人も居ないが(こんな線他の誰が引くよ) これはその作家性が(有る意味)フルに発揮されている単行本だと言える。 「日記漫画」スタイルの中では、日本まんが史に残る傑作で有ることは間違い無い。 考えてみれば、桜玉吉亡き(生きてるが)後のアスキー漫画界で、この人が唯一 「日記漫画」を連載している訳で、其の意味では「そねみ」の正当な継承者 とも言える。スタイルが似ていなくも無いし、これはもう御本家が機械の身体を 手に入れて帰ってくるまではこの人がアスキーの日記漫画文化を背負っていく、 という事になってるのであろう。 町内だろうが下町だろうがバリだろうがネパールだろうが河内だろうが 全て同じ調子で淡々と進むおさんぽ記録。 一番好きなのはやっぱ「カワチの熱い夜」でしょか。 あの飲んで踊ってまた飲んで、の気持ち良さを描ききった大傑作。 観ててむっちゃ踊りたくなる私。徳島にも阿波踊りがあるけど、あれはねぇ。 チーム組まないと駄目だし、様式美が重要だし、技術も必要だし・・・ 楽しい以前に「ウツクシク」見せなくては(見せるのだ。踊りを)ならないってのが どうにも。やっぱ櫓の周りで「盆踊り」がしてみたい・・・ 考えたら生まれてこの方一度も「そういう」定型の踊りを踊っていない私。 学校で教えてくれるのって阿波踊りばっかりだったしなぁ。 「おさるに会いに」とか「ネパール・だら〜る日記」とかも無茶苦茶好き。 この人間(及び猿犬等路上の動物)描写の上手さよ。 泳ぎ去っていく貸しボート屋のあんちゃん(P136)、のシーンでもう 息が止まるほど大爆笑した私。「ヒマだから」っていいよね。 人生所詮死ぬまでの暇つぶし、さ。 然しバリ島行かないとなぁ。次の夏にでも行くか。おさるに会いに。 ていうかケチャ!ケチャ聴きたい!ううう。 先年「ジェゴグ」とかいう竹のガムランみたいなのでやるケチャ系のを観て はまったのだったぜ。夏、汗だらだら流しながら力の限り竹琴を慣らし続ける のはさぞ気持ちよかろう。酒も飲んでたし(この場合聴くと言うより演奏して みたい方だな。ケチャもそうかも)。 今年の夏はずっとクーラーの下で過ごしていたので、汗一つかかなかった・・・ くそ。来夏こそは何がなんでも汗だくで倒れるまで踊り明かす夜を。 ・・・もう無理かなぁ・・・トシだしなぁ・・・・ ちっ。仕方ない。夜が明けるまでカラオケで我慢してやるか。 どちらもSF大会へ行けば可能だしな・・・・・SF大会と言えば コクラノミコンの横領事件、裁判どうなってるんでしょうかねぇ って関係ない話でしたが。うーん。別にSF大会じゃなくても良いんだけど・・・ ・・・何か話が取り留めなくなってきたのでこの辺で。 ではでは。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
栗本薫「ヤーンの星の下に」グイン・サーガ57/ハヤカワ文庫JA/1997/8/15 グイン・サーガ57巻。 今巻の主たる舞台はクム。 中原の中の東方と言われるクムの、その特異な風俗、空気、そして食い物!!が 存分に味わえる、今巻はいわばクム肝硬変、ちゃう観光編、という感じである。 ・・・それにしてもバルバル。あの美味さたるや! 「クム名物というべき、白い米の粉で作ったねっとりしたパンに  辛く煮つけた肉と白と緑の野菜をはさみこんだ簡便な食物」、バルバル。 オリーおばさんの肉饅頭、あのガディの歯ごたえとは違う、「ねっちょりした」 口触りがもう!ああ! P160以降しばらく続く全国美味いもん巡りな描写は、 57巻を数えるグイン史上、希に見る美味さ(想像上)だった。 チチアの朝売りの魚の揚げた奴とかもー・・・腹が減って・・ こうして読み返していると、パブロフの犬の如く、涎が・・・ ・・・本編はかなりの大転換点なんだけど、それよりも イシュトが自由に好き放題やってて、其れを見てるだけで嬉しい。 やっぱりイシュトヴァーンてこういうキャラだったんだよな。 一時期の死んだような彼を見て心を痛めていた私としては、喜ばしい限り。 前巻でクムのタリオ大公の首を取ったイシュト(取ったのはカメだけど)は、 その余勢をかって一気にクムの都ルーアンを攻める。 このまま攻め落とすかと言う勢いだったイシュトだが、今や冴えきった頭脳と 其れを超える天性の「カン」が、彼に策略を授けるのだった・・。 タリク王子の生命を取引の武器に、さくさくと計略を立てていくイシュト。 全ての準備を整えた後、ヴァラキアのマルコと供に只二騎、パロへと向かう! このスピード感!!! 中盤、あの淫魔ユリウス(裏には当然グラチウスが!)につかまったりしながらも、 巻末ではもうマルガに着いているというこの速さ。 今の自由なイシュト=イー・チェンに相応しい、身軽な展開だった。 そういう演出なのか、実に爽快。だらだら続くパロ編とは違うぜ、というか・・・ 巻末の「リンダっ娘」という音で、一気に辺境編のあの空気が甦ってくる・・ イシュトとリンダは、果たして再会するのか!?彼等にとっても5年ぶり、 読者にとってはもう何年ぶりだか・・・ 兎も角、待たれよ、次巻! ・・外伝の続きはまだかなぁ・・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
 J.G.Ballard   terminal beach         1964 J.G.バラード「時間の墓標」伊藤哲 訳/東京創元社/1970/10/30 短編集。 果たしてこれは「SF」か。 最も著名な「ニュー・ウェーブSF」作家の一冊であるが 考えてみれば、私は「ニュー・ウェーブSF」の何たるかを知らない。 NEWと言うよりは寧ろ’60〜’70年代の空気を見事に匂わせ、古臭い。 −というか、この感覚は「懐かしい」だ。SFと言うよりは、寧ろマルケス等の 南米幻想文学とブラッドベリを足して二で割った様な− 和文タイトルの「時間の墓標」は、何となくハイペリオンのアレである。 っていうか、あっちが真似したのかな。 身体を全てコード化する事で永生を得ようとした人々の遺跡。 その再生方法が無いまま、数千年の時が過ぎていた。 墓荒らしの中の一人が、データの中の女性に一目惚れし、再生の方法を探るが− しかしまぁそこそこ。個人的には矢張り原題の方、 terminal beach「執着の浜辺」がより表題作らしい。 80年代前半まで世界を支配していた終末観、即ち 瓦礫の山と化した都市、或いはシンと静まり返った都市の死骸、荒涼とした終末観、 「廃墟願望」に満ちた終末観が見事に切り取られて、書き残されている。 のっぺりと白く、巨大な入り口のない建造物が整然と並び、方向感覚を麻痺させる。 空は青く、空気はじっとりと暑い。嘗て原水爆実験が行われたこの島には、 人も虫も居ない。人の残したものと、主人公の男が一人・・・ 別役実か押井 守かと言った雰囲気である。 ここに描かれているのは、1964年当時の南洋の小島そのものだ。 (書かれた当時にしても)未来ではないが、然し来るべき未来の姿、的な感覚がある。 この未来とは即ち「終末」だ。核による終末、その後のイメージ。 廃墟願望は僕にも有った。だがこのバラードのそれは、より「荒涼さ」が強いか。 ビューティフルドリーマーの、瓦礫的廃墟よりは、天使の卵的、うち捨てられた廃墟。 未来から現代を見て、それが遺跡になった時のことを想像するというのは 昔からあった手法(そういう派の美術も有ったと記憶する)だが、そうだこれは 「ナウシカ」がそれかも。崩れ行く過去の巨大都市群、とか。 最近見ないねそういうの。ガルディーンとかのジュブナイルにも、地下に埋もれた 「現代の」遺跡とか、所々に残るハイウェイの跡、とかが良く出てたのに。 やっぱり核による現代文明の終末、ってのがもう廃れたのか。 最も「今受け」しそうなのは「蘇る海」で、これはブラッドベリ的。 高台から見下ろす街並みが、ひた寄せる「海」に沈んで行く空気の微妙さ。 オチの(やっぱりオチがあるからにはSFかな)醸し出す雰囲気も絶妙で、 (昔の)坂田靖子の作品の様であったよ。 ・・・とり・みきの「あしたのために」を読んで、バラードまとめて買った筈だから 実質積ん読4年。全く。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
長野まゆみ「鳩の栖」/集英社/1996/11/30 はとのすみか、と読む。 これは「当たり」。ジュネ感の薄い、本来の「少年もの」としての路線であり、 「正統長野まゆみ路線」という感じである。表題作を含め、どの作品(短編集 なのだ:「鳩の栖」(95/12)「夏緑蔭」(96/5)「栗樹カスタネア」(96/7)「紺碧」(96/3) 「紺一点」(書き下ろし)・月号は「小説すばる」初出のもの)も美麗で 丁寧な言葉遣いに溢れており、それだけで読みがいが有るというものだ。 例によって「感想」は語り難い。涼しく、風の臭いを感じられる−と云うか 一冊全体の印象は(春夏を描いている作品も多いが)涼しく、秋の印象。 秋の静かな野原の様な−例えば「水平線の見える高台」(P111)であるとか。 多くの人間には顧みられる事も無く、「たまにこんな町はずれへまぎれこんでくる 観光客を出迎え」る錆びた望遠鏡のある高台・・・ 誰にも邪魔されずに海を眺められる場所−(紺碧)。こういうシーン、情景を 切り取り書き出す巧さ。或いは牛乳とレモンのヨーグルト、水琴窟、etc.の 小道具の組み方、使い方の巧さ等、本当に「長野世界」としての完成度は高い。 やはり小道具がこの作家の魅力だと思う。ジュネ性は二の次、と思うのだけど・・。 雑誌掲載の月日を観ると、数カ月置きにこれだけのものを掲載している様で、 これはもう「職人芸」の域に達しているのかも。作者自身が其のイラストを 描いているところから、何となく読み切り系少女漫画家を連想するのであった。 何にせよ、「空気」「雰囲気」を味わってこその一冊。ジュネ臭の嫌いな人もどうぞ、 という感じなのです。いや一寸は臭いますけどね。でもマシ。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
秋本康「目薬キッス」/角川書店/1995/6/30 実は秋本康の小説、と言うものを、僕は初めて読んだ。 80年代後半をテレビの前で過ごした人間にとって、秋本康の「感性」は 一つのノスタルジィを持って感じ取られるのではないか。 最近おニャン子の曲を聴くと、もうそれだけで涙腺が弱まる私・・・ 何にせよ、ひどく懐かしい・・・。 この第一話が月カドに載ったのは、1994年4月号。 忘れもしない、その号は 「総力特集:100万人の少年少女へ−大槻ケンヂ特集」だった。 この特集に影響されて、僕は再び筋肉少女帯を聴き始め、後に 高円寺を彷徨う羽目になるのだ。 徳島城公園のベンチに寝転がって、この特集記事を読んだのを 昨日の事の様に思い出すが−。 その号に新連載としてスタートしていたのがこの「青春小説」だった。 何となく「仲良し」な8人組、「校章を胸にピンで留めるフェルトの生地はブルーと 指定されているのだが、僕たちはいたずら心を起こしてオレンジ色で統一した」 為に、オレンジグループと名乗る彼等の、その中学三年生(またしてもか!) 時代を描く。恋があり、喧嘩があり、仲間の死があり、彼女が妊娠し−・・ と、まぁ実に濃いドラマの「ありがち」路線まっしぐらなのであるが、連載当時 イラストを柴門ふみが担当していたことからも解る様に、かなり「懐かしき学生時代」 の匂いがする。90年代的な描写も少ないし・・ 特に「教師」が嫌な奴に描かれているのが印象的だった。 「将来のことをよく考えるように・・・・」  お決まりのパターンでしめて、やっと解放してくれたけど、三食弁当を食べながら、 カップ味噌汁の底のワカメを気にすることがアベセンにとって良く考えた将来のこと だったのだろうか?  僕は、もちろん、そんなことは聞けずに、ペコリと頭を下げた。(P19) 確かに中学時代、教師というのは理解出来ない矛盾だらけの大人、の 代名詞だったものだ。リアルに懐かしい。 教師は嘘ばかりついていた。僕等の問いには答えてくれなかった。 そうゆうものだ。  結局のところ、人は誰も孤独だ。  血を分けた親子であれ、兄弟であれ、あるいは心を許し合った親友であれ、所詮、 別々の意志を持つ二つの肉体なのだ。  お互いを共有することはできない。  つまり、自分以外の誰かと、喜びも悲しみも怒りも痛みも幸福感も何も、同じように 分かち合うことはできないのだ。  これを、孤独と言わずして、何を孤独と言うのだろう?(P150) 理解し得ない「他人」との共存の意味、僕が「それ」に気付いたのは、実は20歳を 越えてからだ。「人は理解し合えない」という認識から始めないと、何も始まらない。 エヴァはまさにドンピシャだった訳だが・・・それはまた別の話。 主人公の「家庭の事情」の複雑さ、そこから生まれる淡々とした空気、ああ 秋本だなぁと思う。「あの頃」の僕はこういうのに憧れていたのだ・・・。 「家」とは何か。一旦完全に解体した「家」が、複雑な形ではあれ再構築される姿が 丁寧に描かれていて、そのへんは作者のこだわりを感じた。 或いは「仲間」とは、何か。 「そんなことしたって、また同じことのくり返しさ。オレンジグループは、家族じゃ  ないんだ。それぞれに家族がいて、それぞれに問題を抱えていて、それぞれに違う  人生があるんだ。みんなでそばにいても、それは、淋しさを埋めるためのひまつぶ  しでしかないんだ」 「あきらめてしまったのね?」 「あきらめてしまったんじゃない。期待しないことにしたのさ」(P171) 単に「気の合う」というだけで集まった「仲間」は 一度別れると、「再結成」はし難い。実際去る者は日々に疎し、が 身に沁みる歳になった。それでも、やっぱり「仲間」なんだ、と。何か有れば 駆けつけてしまう。家族でも無いし、利害関係も特にない。ただ一緒に時を過ごした それだけなのだ。だがそれが、それこそが最も大切な「何か」なのだろう。 映画的で、閑かで、でも確実に時間は流れていって・・・ 卒業式の「あっけなさ」が見事。一生記憶に残る「あっけない」瞬間が描かれている。 こういうの、ホントに巧いよな。当然と言えば当然だけど。 だって天下の秋本康だぜ。・・・でも、ホントはもっとこう「賑やか」なのかと 思ったのよ。こんなに淡々としてるとは思わなかった・・先入観・・・ 妙に好きな一冊では、ある。 でもそれは作品自体が好きなのか、そのモチーフとして使われた背景が好きなのか、 ちょっと判断がつかない。時代を超えていける作品だとは思わない。 僕も勧めない。ただ、気恥ずかしさのない、「青春小説」をたまに読むのも 悪くは無いなぁと思ってる人には、お勧めするかな、と。 たまには振り返ってみるのも良いものです。 あんまり私みたいに後ろばっかりみて生きているのもアレですが。 基本的にはまえむきで・・・ 中学生に対して、云ってやれるだろうか。 「大人は面白いぞ。早く、大人になれ」(P223) と。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
日記へ戻る


junichi@nmt.co.jp inserted by FC2 system