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わかつきめぐみ



わかつきめぐみ「ゆきのはなふる」/白泉社/2006/06/03

ほふ〜。なかなかの読み応え。

表題作がなんともいい。これはいいわかつきめぐみ作品ですねという感じ。
収録作が殆ど別の単行本からの再録だったりするのはご愛敬。そもそも
この単行本自体がその書き下ろし表題作のためにあるようなものだから。

再録作も読み返すとこれがまたいいのよ。この辺の絵は好きだわ〜
特に「雨の宮 風の宮」のゆかりちゃんは当時何度も模写したものよ。
気持ちいいんだぜ模写すると。線とかさー。髪の毛のすっすっと引かれてる
線がたまらん。表情もいいしなー。

しかし最初この表題作をパラパラとめくって見たときの偽らざる印象としては
「うわっ……こんな××やったっけ……」だった。P202の4コマ目とか。
もともと「そういう」気配は濃厚な作家だったけど、これは……でも読んでると、
これはこれでいいのだった。一度読み終わってからの再読時には、もう殆ど
絵柄に対する”違和感”は消えていた。
うーん、自分の脳のいいかげんさには驚くばかりだ。

物語の作り方、特に「人形」に対する距離の取り方が過剰でなく、適度に
淡く語られているのが、珍しいというからしいというか。インパクトは薄い。

わかつきめぐみの魅力は、しかしなによりその絵柄、絵の生み出す空気感に
こそあるのであって。なんかお外の風景だとそのへんイマイチ魅力が発揮されて
ないよーな。「SoWhat?」の頃の室内風景(背景画)のパースの気持ちよさとか
また見たい。なんとなく。

ま、なんにせよ、わかつき節に久々に触れることができて、いや、善哉善哉。


人生の一時期を、自分は確かに暮里やももたろーと一緒に過ごした。それを
忘れることは、この先一生無いと思う。あの日々。それが自分の中にあるだけで、
自分がどれだけ強く生きて来れたか。くじけそうなとき、「あの日々」があった
からこそ、その先に一歩を踏み出すことが出来た。虚構の力、を思うとき、
必ずあの日々の事を思う。柔らかく、しなやかに。繊細でも打たれ強く。
@@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
(2006/06/21)

わかつきめぐみ「ソコツネ・ポルカ」/白泉社/2002/03/05 「今の自分にとって」という言葉を最初に、言い訳として。 万全の一冊、とは、残念ながら、言えない。 それはでも、僕が「今」この作家を欲していないから、という事なんだろうと思う。 作風は以前と変わらず、よりその「わかつきめぐみらしさ」を追求して居るように 感じられる。好きな人にはたまらない出来、だろう。例えば、高三の頃の自分に とっては。 「ふに」 とかいって、シシの愛らしさなんかは昔と全然変わってない。キャラの作り込みも。 絵だってそうだ。髪の毛の流れの心地よさ、定規で測った様に端正なパース。 読みやすくて適度に華やかなコマ割り。何もかもわかつきだ。なのになぜだろう、 おかしいなー、と思って、恐る恐る、嘗てあれだけハマった 「月は東に」「So What?」辺りを一気に読み返してみて、愕然とする。 今の僕に、これらの作品は何も語りかけてはくれない。 これは結構辛いことだった。いや、今も辛い。辛すぎる。あまりにも。 自分がそれだけダメになってしまった、って事の証明の様な気がして。 心に余裕の無い人間が読んでいい作品じゃないんよ。ハマっていた当時、 わかつき作品が面白くない人間なんてこの世に居るわけがないとさえ思ってた。 今は解る。凄く読者を選ぶのだ。いや、だからこそ、ハマったときの衝撃、破壊力 は凄まじい。大げさじゃなく、読み手の生き方を変えてしまうほどに。 またいつか、「ぱすてるとーん」あたりを読んで、心から”彼ら”の事に 思いをはせる事ができる様になるだろうか。そうありたい。なんとしても。 ……そんな荒れ果てた心にも、ちゃんと触れた下りがあって。それは 巻末の月見とおはぎの下り。母と娘の会話から、ラストにかけての。 こういう「日々の生活の豊かさ」を描かせたら、やっぱりこの作者は 天下一だと思う。月見のシーンの清涼な盛り上がり(変な言葉だけど)具合、 月夜に舞う池の魚の、その絵のファンタジックさ。この数コマで胸が震えるから まだ多分、 大丈夫。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (05/03/05)
わかつきめぐみ「ローズ・ガーデン」/講談社/2000/02/10 そりゃ勿論好みは双葉な訳ですよ。ええそりゃもう惚れましたとも。 双葉のキャラに、って云うか、双葉と米田の関係に、か。 ある種の人間には「こういうの」永遠の憧れだと思うよ。映画や本の話で わいわい言える「仲間」の様な。他人と会話するときに、何かしら「ネタ」 「話題」がないと会話できない生き物って居るのさ・・・ いやそうじゃなくても3本の中ではこの話が一番良く出来てると思う。 ってのはやっぱ贔屓の引き倒しって奴? 桐谷がどれだけ米田に惹かれているか、ってのを本人の口からではなく表情や なんかの流れで見せていく巧さ。あの表情の力には本当にまいる。見た瞬間に ぐっと言葉に詰まるような。ああ、ホントに良い・・・・ ・・・然しこの人の眼鏡君ってどうしてこう完璧なんでしょうねえ。 いや欠点も含めてさ。良いキャラ過ぎ・・ ・・ってまた読んでない人には何が何やらな話で始まってしまいましたが、ええと わかつきめぐみのこの新刊は、あろう事か恋愛至上主義漫画(と動物漫画)だった 訳です。この「ローズ・ガーデン」(ザ・デザートH11年8/10/12月号掲載)の 内容を要約すると 「恋と変は似てる」(p60) そういう話。要するに。 恋すると変になる、ってのを正面からがっつんがっつん描いて嫌味じゃない。 これだけベッタベタな「恋愛」モノを照れずに描ける(読ませる)だけの力を とうとう身につけたかこの作者は−−!みたいな。 「何でも恋愛沙汰に結びつけるのは、欲求不満か・・・」と桃太郎に 言わせた作者の、1999年時点での答えなのかも知れない。 デッサン力と小回りの構成の巧みさは相変わらず惚れ惚れする。 さて後半部をしめるのは「あの」ヨツジロさん。月刊少女フレンドH7/1-12月号。 往年(・・・)のコミカルさが残る作品。まぁ面白かったですが、やっぱマゾヒスト 読者(とか言われた)のワタシとしては、何処か白に痛みをもつ作品でないと 駄目なんで・・・ほのぼのすぎる・・・うう・・・ てなところで。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (00/02/28)
わかつきめぐみ「言の葉遊学 ことのはあそびがく」/白泉社/1999/12/04 あんまり毎回手放しで絶賛するのもバカみたいなので、たまには嫌言から いかせて下さい。何イヤゴトはいつものこと?まぁいいや。 いや、ごく個人的な話なんですが− この連載をPUTAOで読んでて、ちと辛かったワタシです。国文やってた方なら 解っても呉れましょうか、ワタシこの作品の底本たる「広辞苑」にアレルギー みたいな所がありまして。「広辞苑」イコール信用ならないモノ、という 先入観が強く有ります。 多分出典に「広辞苑」なんて書こうものなら論文はつっかえされるわ演習では 吊し上げられるわ、という様な経験を繰り返した結果でしょうが。まあそんな訳で 素直に読めなかった・・・てのがまず一つ。 もう一つは、この作家に限っては、本人が表に出てこない方が良いよね、てのが あって。その軽い明るいキャラクターこそが作者本人なのかも知れないけれど、 だからといって作品世界の持つ空気感と作者のキャラクターとの間にある距離を 無視して突っ走られるのは多少辛い。作家と作品は別物だと思うですよ。これは 人によりけりですが。 この「遊学」の衒学趣味も、このキャラクターでやられると妙ーにハナにつく。 この辺はもしかしたら私自身が「そう言う」奴だからかも知れないけど。2頁構成で 文字びっしり、っていうのも、この「空気感」を第一とする作風には辛いのじゃ ないか・・・とか。まあ。 兎に角「知識」を「知識そのまま」として押しつけられるのはご勘弁。その 「用法」をこそマンガとして描いて欲しいのである、とこれは自戒でもある。 で、イヤゴトはこの辺にして。 ■「One Fine Day」 やー、これにはマイッタ。参りました。鈴木(さん)の造形はまるで− いや、その。いやいや。でも全く・・・p75のキックなんてまるで。いやあのその。 えーと。あああ兎に角完成度高し。限りなくツボにはまったと言えよう。 ・・・ああ、しかし、これよこれ。この白さ。この明るさ。この懐かしさ。 92年作品。今から8年前、つーことは、おお、まだワタシ現役高校生の頃か。 こんな作品が有ったなんて、ああ、知らなかったなぁ。まあわかつき作品に 本格的に遭遇するのは大学入ってからなんだけど・・・・この空気感こそ。 文系人間には説明不要の「文化祭前日」の高揚感も見事。 ・・・でもやっぱ鈴木さんの造形でしょ。これは。 ■「Frozen Flowers」 こういう「何と言うことのない話」に込められた「空気」がどれだけ美しいか。 何と言うことの無いシーンだからこそ、切り取られて見せつけられたときに その輝きに驚かされる。 ■「花降りやまず」 卒業式遅刻組。これまた一見「何でもないシーン」。だけど、こういうのは一生 思い出される瞬間なんだ。これもまた「思い出」の秘密を解きあかせそうな一編。 卒業式の帰り道のシーンをいちいち覚えている。卒業式が終わった後の部室の空気。 あそこで流れた時間をほぼリアルタイムで思い出せる。いつもと何等変わり無い バカ話。昨日の続き。そして明日も・・・だが、もう明日からはこの空間は無いのだ。 この会話は無いのだ。 「逆子の上未熟児で」云々、は作者の実体験が元なんだろうなやっぱ。 ■「雨の宮 風の宮」 「黄昏時鼎談」から続くシリーズ。雨師の都世くんの遊び人な休暇。 風師のゆりかちゃんの造形がこの上なく良い。あと芙左(へび)の造形も。 ・・・いやホント、ゆりか姫良いわ。「女の子」としての魅力を引き出す巧さは 流石わかつき。勝ち気な姫という設定だからこそ生きる泣き顔や生真面目な困惑顔。 そして何より素直な笑顔。p169のアオリ顔は、近年作者が何度と無く描いてきた この角度の中でも最高の部類。最近のこの人の漫画には、この見上げる表情が 本当に良く似合う。 ・・・上に挙げた作品だけでなく、この単行本に収められた短編はどれもこれも 一級のものばかり。この上なくわかつき。ワタシが「わかつきめぐみ」に 求める全てがここにある(ただし求める以上のもの、は無かったけれど。まあ 拾遺短編集だしその辺は仕方なし)。 絵の巧さも・・・ああ、でも「花の音」の絵は結構アレだ。この眼にトーン貼る 手法って後にも先にもこの辺だけでしょう。93年というと「博物誌」の頃か。 一瞬だけ顔の造形が崩れてたときがあって、ああ、とうとうこの作家も「慣れ下手」 に突入したか・・とか思ってたんだけど、その後見事に回復しましたね。 アレ何だったのか。流行ってたのかなあ。 いや、然し斯うしてあらためて見ると、ホントにこの人の絵は巧い。この線。この 服のしわ。このデッサン力。この表情。この仕草。このコマ割。この描き文字。 そしてこの物語。全てが文句のつけようも無く・・・ ってああ、結局最後は手放しでの絶賛かよ。まー仕方ないか。この人のマンガ 読まなきゃ国文にも進まなかったろうし、らくがきも描きださなかったろうし。 今の自分を方向付けた最大の作家なんだ。最初から敵う訳ゃ無いのである。フム。 次回単行本を楽しみに、また過去の作品を読み返すとしよう。 ではでは。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (2000/02/04)
わかつきめぐみ「夏目家の妙な人々」/講談社/1999/02/12 待望の新刊。 何にせよ「わかつき作品」と言う、もうそれだけで傑作間違いなし でしょ。 以前「きんぎんすなご」という作品に出てきた 奇人(というと屹度彼は怒るだろうが)夏目蒼一郎氏の 家庭の事情。彼の偉大な精神は斯様にして形作られた・・・のか? 何だか読んでいて、「すなご」の夏目氏とキャラは同じだけど、 でも同一人物の過去譚、とは限定もできないかな・・・とか思ったよ。 パラレルワールド的というか。ていうのは、「すなご」の夏目氏には 何となく父子家庭というイメージが有ったし。だからこの怒濤の家族構成は 割と意外。 ・・・で、「すなご」を読み返してみると、ああ、 ちゃんと母親の話は出てるのね。三つ子って設定だけ抜け落ちてる。 いや別にそんなことはどうでも良いんですが。 兎も角、夏目家というこの独特なノリの「家族」の魅力が この作品の魅力そのもの。タデちゃん曰く「毎日が修学旅行みたい」なその日々。 そうでありながら、家族が家族として機能しているその心地よさ。 こういう、気を使わない家族、歯に衣きせない会話が出来る家族、には憧れる。 ああいうのが憧れで、そして結局得られなかったもので− いや、会話文が良いです、実に良い。夏目三兄弟(・・・)の会話センスが 一人一人違ってて、中でも蒼一郎氏の口調の完成度の高さはなかなかのものがある。 個人的な話だけど、京極夏彦のミステリーに出てくる「榎木津」という男の 顔かたちが、この単行本を読んでからすっかり夏目蒼一郎になってしまった。 この榎木津という男も、こういう喋りをするんですよ。妙な自信に満ちた しゃべり方が良く似てる。いや蒼一郎氏はあそこまでイっちゃってはいないか。 主義主張、「教訓」めいたいものは今回は薄くて、だから 近作に比べると多少、軽い。この軽さが心地良いですよ。 なんか昔の諸作品を思い出すじゃないですか。「月は東に」の頃。 或いは「ぱすてるとーん」の頃。「生活」の美しさ。 「こうありたい」日常。何気ない風景の輝き。 生活しているだけでいい。イベントは特に必要ない。 感動は、常に日常に潜んでいる。 ・・・「思い出」っていうのは、自分の情動とかなりシンクロしている みたいですね。って唐突ですが。最近何となく考えてることで。 特に子供の頃の思い出は、社会的イベントとは無関係に記憶されていたり するじゃないですか。何と言うことの無い風景・・近所の友達と一緒に 遊んでいた光景とか、学校帰りの空とか。ふと感じた「空気」や「雰囲気」が その瞬間を「思い出」化して脳に深く刻み込むみたいで。 要するに、その瞬間の主観的な気持ちがどれだけ大きく揺れているか、が 後の「思い出」の鍵なんじゃないかと。個人的な経験から言えば、ですが。 夏目家の風景は、だからそういう、決して派手じゃないけど 「思い出」に残りそうな瞬間瞬間を捉えている様な気がするんですよ。 例えば、「ヨコハマ買い出し紀行」で提示される「思い出」なんかは イベント主体な訳でしょう。個人的イベントって奴。 思い出を作るために行動を起こすような感じ。外科的な思い出作成方法。 小さなイベントのつながりでしか日常が語れない−と これは今のパラダイムの典型で、人生という長い長い「暇潰し」を 生きるために、無理矢理イベントを作り出してはそれを消化している 我々現代人の末期的な姿(それは安らかで美しいものだが)がアレ。 それに比べて、わかつき作品のそれは、全く巧まない。 日常のこまごまとした事に触れて、心の振幅が高まるように出来ている。 わかつき作品が優しくて美しいのは、そういう今の「イベント」に 準拠した視点じゃなくて、情動に立脚したコマ展開だからなんだろうな、と。 ・・・んー。何か違いますね・・・今頭の中にあるのと 無理矢理つなげたので変な話になってしまいました。ごめなさい。 いや、ホントは何にも語らない方が良いんでしょう。 語られないところにこそ作品の本体があるっていうのは良くある話で。 ・・・強いてこの作品から主義主張を拾い挙げるとすると、やっぱりP88の 「卑下しない」夏目氏の語りでしょうか。 一読しただけだと正直良く分からなくて、再読、再々読して漸く掴めた。 他人の自分に対する評価は、あくまでも他人の評価であって、だから 馬鹿にされたからって自分を卑下することには繋がらないんだよ−という。 兎に角「我は我」という揺るぎない信念がこのキャラの特性。 自分で自分をどう評価してるのか。自分という存在をありのままに 認めていられるか。他人の評価を気にしてびくびく生きてる私にとって この言葉は結構ずしんと来る。 ・・・そして実加子の、この造形。典型的わかつき少女。 引っ越してきた当初の、あのトゲトゲした雰囲気の作り方の巧さとか、 「だんだん」意固地が外れて行くところとか、最高に「わかつき」してて良い。 第三者的な立場から、つかずはなれず「夏目家」を観察している視点。 その立ち位置もまた好ましい。頬に汗記号つけて引いてる姿が好き。 そんで喋りがまた良いんだ。存在感があって・・・こんな事言っても下らない話 なんだけど−僕はこの娘を知ってるよ。こういう喋り、こういう考え方、 こういう引き方をする人を知ってる。いや、知ってた。 ・・・いや、知ってただけだけど。でもだからリアルで。 おそらくは作者本人の投影なのかも知れない。 んー・・・語るに比例して意味を失うねえ。 唇寒しってやつだ。どうもわかつきに関してはまともな感想が 書けたためしがないよ(っていつもまともじゃないけどな)。 このへんでやめときます。 また好みが一巡りして、「ぱすてるとーん」を耽読している今日この頃。 ぱすてるとーんの末期の素晴らしさは、本当に何と言ったらいいのか・・・ 春の陽射しそのもの。高校を卒業して、大学に入るまでの長い休み、 限りない開放感と、未来への希望と、強烈な不安に満ちて空を仰いだ まだ「何者」でもなかった自分の身体の軽さ。 あの頃の空気がそのまま此処には残っている。 ・・・そして月日は巡り、またその季節がやって来る。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/03/14)
わかつきめぐみ「きんぎんすなご」/講談社/1998/01/13 何とも感想の書き難い作品ではある。 物凄く好きなのだけど、「好き」としか言い様が無い。 言葉に変換できないモノの方が遥かに多くて。 いつもそうですが今回ばかりは本当に自己語りの駄文になります。 御免なさい。 第一話にはタイトルがない。現実の地平から星の世界への障壁のない導入。 いらだちの主人公。その苛立ちと不安が読者をいらだたせ、不安にする。 これもこの作者の馴染みの手法。 凝り固まった心が、ほぐされ、広がっていく”解放感”、その為の布石。 主人公タデちゃんこと蓼子は”すねるのが日課”のわかつき少女の典型。 ご機嫌斜めな彼女が片道9時間もかかる山の中へやって来たところから 話は始まる。 「いい学校入って いい会社入って なんの不満があったのか」 今は山奥で一人暮らしをしている元ご近所の今泉久義氏を訪ねてきた彼女。 要は家出である。どうやら母親とうまくいってないらしい。 夢を追って山に入った彼を見て、彼女は自分が何をしたいのか、 何が好きなのかを見失っていること、いや今初めてそれが 「わからない」事に気がつきはじめる・・・・ でも、今わからなくても、今見つけられなくても 「見つけたいと思っていればかならず見つかるよ。星はなくならないから」、と この辺の淀みない清涼な流れは全くわかつき調。 以下話数を重ね、キャラ主体の漫画に移行(キャラ漫画としても好き。 でも今回はパス。語るにはもう暫く読み込まないと駄目です。)していきながら、 それでも「恋をしなさい」という命題が常に浮上してくる。 実際、この作者にはそう言う権利があると思うですよ。 「恋をしなさい」と。 えーと。 つまりはそう言うこと。 恋って言うのは、人だったりモノだったり生き方だったり様々だけど 「それに向かっている過程すら楽しい達成目標を持て」という事かな。 言い換えると意味がぶつ切れになってしまうけれど。 ただ「夢をあきらめるな」とだけいうのとは違う。 夢に向かって生きている内は良い。その夢を見失ったとき (或いは元々持っていないことに気付いた場合)の指針としての言葉と見る。 正論だけに突っ込む余地は幾らでもあって、この作品を全否定することも 出来なくはないのだ。世の中なめてんじゃねぇぞ、と。 でも、それはそれ。それでも、正論は正論。真実の道。 一番痛かったのは、作中でも何度か出てくる 「生きたい様に生きるのは”逃げ”なのではないか?」という問い (と、それに対して作者の言わんとする事)。 実際、僕はこれに縛られて今まで来てしまった。 生きたい様に生きることを「面倒くさがり」、その理由付けとしての 「人は皆生きたい様に生きられる訳ではない」という論。 生きたい様に生きることを「逃げ」ではなく「恋」だと 言い切られてしまった瞬間に、何か目から鱗の感触があったのは 否定しない。 恋なら仕方ないよな、と。まぁそういう。 星を探すこと(掴むこと、では無い。)を半ば諦め、 生きるために生きる、死ぬまでの時間を潰すために 生きている様になってから一体どれくらいの月日が過ぎたのか。 自分を否定することは出来ないが・・・生きたい様に生きることを諦めるのも、 又「逃げ」なのだ。否むしろそっちの方が(僕にとっては)より罪深い。 僕はまだ星をみつけていない。 だから、今「生きたい生き方」をやっても 屹度それが自分の目指す星ではないことに気付いてしまう。 ・・・・という風に「蹉跌」を恐れる時点で 既に僕が星を持っていないことが証明されようというものだ。 自分の「人生」をかけられるほどの「恋」が出来ようか? 「恋をしなさい」ってのは本当に難しい話で、特に徒に歳を重ねてしまった 僕みたいなオヤジにとって、それは完全に忘れ去られた感覚だったりもする。 面倒を面倒だと思わない、目標に近付くための過程が、苦労が楽しい、 確かに有ったのよそういう感覚は。 ・・・・語る程に虚しい。 僕も(他の多くの人の様に)結局星を探し続けて終わるのか。 思うことの多い作品。わかつき作品はいつもそうだ。 外化して客観的に語ることが出来ない。 いやまぁ今までそれが出来てたとは言わないですが。 ・・・あと模写してて感じたんですが(わかつき作品の模写は 快楽中枢を直撃するですよ)こんなにこたつに入ってる漫画も無いなぁ、とか。 アオリもかなり多い。空を見上げることの多い漫画だ。 アオリってな実際難しくて、この人も例外なくデッサンが 変になっちゃってるのだけど、それをものともしない「演技力」。ふむ・・・ 「自分のやりたいことを決める」これは本当に大変なことなんだ。 死ぬまで探し続けることになるかも知れない。それでも 探すのを諦めないことだよな。 生きていれば未来がある。明日があるさ。 星はいつも空にある いまもそこにある いつか あたしの星を手に入れる @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (980219)
わかつきめぐみ「夏藤さんちは今日もお天気」講談社/1996 いや、やっぱり、ね。 わかつきだし。 弱いわ。僕。 こんなん連載されてたなんて知りませんでした。レディース誌とか・・ 知ってても読めなかったか・・・ またぞろ模写よ模写。 内容については、好きな人間は100%ハマれるでしょうし、それ以前にもう 既に買ってるでしょうし、という事で。 何が良いのか説明しにくいんですけど。 大した事件も起こらないままただ過ごしていく日常。 だけど、僕にとってはそれが途轍もなく良いんですよ。 要は「こうありたい生活」なんですけどね。 そういったボンヤリしたイメージを明確にしてくれた、という事か・・ ううむ。 あー、語る言葉を持たない。何を言っても陳腐になるだけだ・・・ 漫画を読んで、それが現実生活に影響する事って少ない私ですが、 わかつきには弱いです。直ぐに言葉遣いや振る舞いに出てしまって 「あー俺はいま影響を受けているな〜」というのが、一度読むと2,3日は続く という・・・ ま、取り合えず、わかつきはいい、と。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@

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