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杉浦日向子




杉浦日向子「百日紅(さるすべり)」/ちくま文庫/1996/12/5

漫画サンデーに1983/11より88/1まで掲載されたものの集。
かつて、実業之日本社から出ていたものの、再編、文庫化である、らしいです。

葛飾北斎、その娘のお栄、弟子の英泉達の「生活」を中心に、江戸を描き出す。
その会話の、空気の生々しさは、まるで「見てきた様」である。

「その道」では知らぬ者とて無い言わば基本の書、らしいんですが、
実はこの文庫化で初めて読みました。ワタシ。初めて読んで、惚れ込んだ・・・
成程これは杉浦日向子の代表作と言われるはずだ。時代を軽く超えて
未来に伝えられる魅力を持つ。台詞回しや物語世界そのものに描き出される空気が、
もはや他人の追随を許さない出来である。尋常ではない。

文化文政期の江戸ってのは、全くこうだったのだねえ。しみじみ。
と、ただただ作品世界にどっぷりと浸かり込み、魅せられる事を許してくれる、
完成度の高い世界観。膨大な知識と、現代日本きっての江戸感覚の上で描かれる
淡々とした明るい(粋な)日常は、生半可な知識では太刀打ちは不可能である。
むしろその世界の心地よさに浸かり込む事で、純粋に楽しむべきであろう。
なにせ相手は今や日本屈指の江戸風俗研究家(肩書だけじゃなく)なのだから・・

しかしこんなに面白いというか気持ち良い漫画が有ったとはね。知らなかったなぁ。
いや不勉強でした。

好きな話数は数有れど、中期という事でか、其の十六「火焔」と其の十七「女罰」が
特に気に入り。前者はお栄の「人」としての深みを、後者は英泉(池田善次郎)の
ちょっとした因果を描いてみせる。後者の笹の散るカットの見事さ、爽やかさよ!

お栄、という一人の確固とした「人」の魅力もこの「百日紅」では大きい。
ちゃんと自分の世界を持っている、一人の女性。というかオンナノヒト、だな。
江戸の絵書きならばそうでもあろうと思わせる、しっかりした個性。
紙の中で(作者が見ていないところでも)息づいている様な生々しさが魅力だ。

その後の其の十八「酔」も、ラストまでの流れが鮮やかで好きだ。何より遊女滝山の
造形に惚れた。洗い髪のものすごさ、色っぽさ・・・


ああ。しかし杉浦日向子の描く江戸。
こんな風にのびやかに生きられれれば・・・のびやかで、然も粋だ。
のびやかだから粋でいられるのか。「粋な会話」だけで構成された漫画・・・・。

社会的生活の自由を得ると共に、失われた規制の下での息抜き的自由。
「あの時代」に比べ、一個人が生み出す生産物は何倍(何十倍)にもなっている。
特に衣食住の基本的な「物」の生産量は、かなりダイナミックに変わったはずだ。
それなのに未だにあくせくしなくてはならないのは何故か。
コンピュータ導入前に比べれば、一人が一定時間に処理できるデータ量も
格段に増えたはずだ。だが相変わらず多くの日本人は単純労働に従事している。

今の半分ほども江戸の人達は(町人だからな・・)働いていなかった様に見える。
閉じた世界なら、それで良かったのだ。幸せは、規制の下に有る・・・奴隷根性?


とにかくお薦め。こんなに「良くできた」世界を覗かない手は無いですぜ。
ってみんなもう読んでますねきっと・・・

杉浦日向子「百日紅(さるすべり)」(上)/ちくま文庫/1996/12/5
杉浦日向子「百日紅(さるすべり)」(下)/ちくま文庫/1996/12/5
@@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
(1997/03/20)


杉浦日向子「江戸へようこそ」ちくま文庫/1989/1/31(筑摩書房/1986/8/29) 初版は十年前である。 チェルノブイリの年だった。と、あとがきが語る。 それでも、今から見ればいい時代だったぜ。過去が全て美しい訳ではないが。 兎も角。 収録が多彩で、文章有り、対談有り、黄表紙(復刻と新作含め)有り、どれも 実に楽しい。 何処から読んでもよし、つまみ食いしても十分楽しい本です。つまみ食いしている うちに、何となく全部読んでしまったワタシ。 当時('86)作者は、女性の歳を云うのは失礼ながら、28歳。 当然それ以前の文章ばかりという事に成るが、その筆使い、言葉の選び方、対談 での話題、とてもそうは思えない。矢張り現代随一の江戸考証家の脳は、その頃から 既に尋常な知識量では無かった様だ。 全く自らを省みるに、辛いものがある。 いや、流石、というべきなのだろうけど。 対談は、中島梓、高橋克彦、岡本螢の各氏とのものであるが、どれも エキサイティングである。中でも岡本螢氏との対談は、少々本質と外れるが、 当時80年代後半の世紀末感をうかがわせてくれて、興味深い。 で。 岡本螢原作、杉浦日向子画、の 「乙好 太郎 駄弁居眠胡散噺(タロウ・オトコ・ペチャクチャムニャムニャウサンバナシ) 全」 がもう傑作。オカシイ。 絵草紙の体であるが、この本をここまで頭から読んで行くと、自然にこの作品の 「オカシサ」が伝わる仕掛。 こーゆーアッケラカンとした作品は良いですねぇ。 教養、と方肘張らずに、なんとなく読んで、のほほんと楽しめるのは、この作者の 特徴でしょうか、ともかく、「好ましい」本ですね。お薦めです。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
杉浦日向子「ゑひもせず」ちくま文庫/1990(双葉社/1983) デビュー作「通言室乃梅」を収録。 作者本領の江戸もの。 特に思い入れがあるのか、太鼓持の描写には非常なものがあります。 中でも「ヤ・ク・ソ・ク」の太鼓持彦三の造形は見事で、太鼓持とは かようなものか、と。 居そうなんですよね。でも今果たして居るかというと、四〇になってもまだこうして 座敷を盛り上げるのみ、を生活の糧としている人間は少ないわけで、ましてこの彦三 のような男は到底・・・ 収録作は 袖もぎ様 ぼうずのざんげ もず 通言室乃梅 ヤ・ク・ソ・ク 日々悠々(其の一〜三) 花景色狐港談 崖 駆け抜ける 吉良供養(上下) 日々悠々、のシリーズは如何にも江戸町民文化、といった体で、こういうのが 本領なのかなとも思いますが、例えば維新動乱期の一エピソード、として取材 している体で描かれている「駆け抜ける」などは、この作者がただ町人文化のみに 取材しているのではない事を示している。 しかし・・どうしてこういうのを描けるのか・・・ 「まるで見てきたかのように」描く・・・ 矢張り頭半分向こうの世界に突っ込んでいるからなのかしら。 初期作品とは云え、既にレベルは高いものばかりで。 夏目房之介による解説に、桂文楽の「明烏」ネタが。 「あたしゃァもう、生涯、倅で暮らそうと思ってン、親よしちゃって・・。  子供できたら子供を親にしちまおう・・・。」 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
杉浦日向子「とんでもねえ野郎」ちくま文庫/1995/7/2(青林堂/1991/7) 漫画である。 ここの所、杉浦氏の作品と云えば活字ばかりを読んでいたので(と云っても大した 量では無いが)、あらためて読むと何とも新鮮(実は、先に読んではいた。)・・・ 青林堂版が91年という事で、比較的最近のものではある。 兎も角、オカシイ。 今まで読んできたこの作者の作品の中では随一のオカシさである。お薦め。 主人公、蒟蒻島にある「眞武館」という道場の主、桃園彦次郎の性格がもう 「とんでもねえ野郎」で、借金は踏み倒す、無銭飲食はする、道場破りからは逃げる、 いろいろ好きかって放題やった後で「ばひーん」とか云って逃げてしまう。 でも、それが「いい感じ」なのだ。如何にも杉浦日向子漫画〜という味わい。 で、各話とも、ラストがきっちりとは落ちて無くて、最近私の好むところの 「起承転々」という。発展性の必要ない、ただ放蕩(と云っていいのか・・)の日々。 サブタイトルだって、殆どが「何々した日」とゆーもう子供の日記状態。 ただ、日々を送るのだ。 現代の、非生産者は人ではないと云った空気とは無縁の視線。 作者の「生きている」時代が解ります。 丁度、杉浦氏の文章の方を読んだ後でもあった為、非常に楽しく読ませて貰いました。 いやー、しかし。この作者の凄い所は、もともと考証学者の位置にいながら、 漫画の中にはその「うるささ」が出ていない事ですね。 調べた事を並べただけの漫画を描いてしまいそうなもの(そういう誘惑は 強いと思う)ですが、それが全く無い。 しかし、漫画の中には、解る人には解る(らしい)江戸風俗の「記号」が ちりばめられていて(氏の文章を読んだ後で気づいたワタシ)、 そのへんは正に「黄表紙」である。ゆったりと読もう。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@

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