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須藤真澄



須藤真澄「庭先案内1」/エンターブレイン/2006/02/10

面白かった……!
読み終わったときの、こう、虚構世界で得た満足感をかかえたまま「現実」に
帰ってくる感覚がたまらねえ。これこそは漫画。これこそは須藤作品。
このファンタジーと日常の配合具合の絶妙さにメロメロになる。読んでいて
本気で気持ちいい。久々に「あの」須藤漫画に出会える喜びをかみしめる。

あー。やっぱりアレですな。須藤漫画の少女、いやさ女の子はイイですな。
イイ子ばっかりで、なんか、おっちゃん読んでて切なくなってくるよ。
いやホンマに。胸が痛くなる。あんまりにも良い子なので。表情とかさ。
思考のもっていきかたとか。ああ。あああ。
「#9遠方より来たる」の娘っこがもうなんかこう。あかん。俺はもうだめだ。
こんな孫が欲しい……(孫か!)。あと関西弁姉妹も好きだ。大阪弁に
そんなに違和感がないのは方言指導でも入ったのだろうか。お姉ちゃんの方は
作者が意図的にキャラ作りをしようとしている気配があって面白い。是非継続
出演を願う。

冒頭の「幻燈機」、プロットがすごい「須藤っぽい」。んだけど、他の作品の方が
光り過ぎててかすみがち。色味が濃いからかなー。幻燈機2の巨大魚も須藤っぽい、
けど、んー。プロットというかネタでいくと「#4アングラ」なんか超好きだ。
なんか切ないじゃんなあ、こういうの。こういうの、あるといいなーと思う。
普通に。なんかね。

「#7It's a small world」もいい。この、死を見越した和やかさというか、その
ヒヤリとする怖さ、みたいなのを最後まで維持して終わっていくのが何だか凄い。
胸にどわん、と何か波紋が残るのがいいのだ。北野勇作的な。

何にせよ、久々におすすめ!といえる作品集。買って損なし。
@@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
(2006/06/06)

須藤真澄「あゆみ」/エンターブレイン/2001/12/06 他社単行本未収録の短編かき集め、と言ったところ。 デビュー作「わたくしどものナイーヴ」(1984)も収録。 個人的には「100,101」(1989)。 須藤真澄の「あっち側路線」とゆーと真っ先にこの作品が浮かんでしまう拙者。 いや、もっとこってりしっかり作り上げられたファンタジーつーかメルヒェンな 作品はいっぱい有るんだけど、何でかこの作品が脳から離れない。 つーか、カッコイイでしょ。この話。 主人公が兄ちゃんだしさ。珍しくも。 当時たまたま買ったCBで読んで、なんかもう、ハマったのよ。で、須藤真澄って 人の漫画を探したらこれが無くてねえ。CBバックナンバー探したりとか…… (遠い目)いや、ホント、何がどうイイっていうのが説明出来なくて、でも、 ね、イイでしょ?なんかこの短いページの中に、「望んだ物語」の全てが 入っている様な。 然し「100,101」とか書いてあるから、これが100話目と101話目なのかと 思って、暫く混乱していたものだった。 以下例によって適当に。 「椰子の木時計」(1998)  オチの毒っぽさが往年の須藤を感じさせる。 「深海プリズム」(1990)  かわいい話。暗闇に届く光、の、痛々しくも崇高なイメージ。 「まるい海まるい波」(1990)  不思議少女最後の冒険というか。不思議少女って何処へいっちまったのかねえ。  稲垣的でもある。 「フラワーバスケット〜つたえ草〜」(1990)  ほのぼの。確かにシリーズ化できたかも。でもいちま好きだし。 「ゆきあかりのよる」(1991)  何か力はいってませんかこの作品。流石に読者を意識したか。完成度高し。  でも至る所須藤節。変なじいさんとかさ。ああいう「異世界へ抜ける扉」  みたいな存在の置き方がホントに独特で上手いと思う。 「全国博物館ルポ」(1986-87)  流石に古い。こういうのが求められた時代でもあった。 「天のおさる」(1995)  ちゃんと竹書房版須藤顔になってるあたり。オチの嫌味な所も割とイイ。  絵柄に騙されそうになるけど結構突き放した作りだよな。あるがままというか。 「わたくしどものナイーヴ」(1984)  矢っ張りデビュー作ならでは、の魅力が有って。紙一枚一枚に込められた  力っていうか、「念」みたいなものが違う気がする。 「ほな」(2000)  成る程この路線の「今」がコレか、とか。さっぱりしてるよな。それでも  「描ける所」がある、つーか描く「対象」がある、モチベーションがある、  のか。そのことに、この作者の底力を見る気がする。描きたいモノがある  内は枯れないよな。 てなところで。 昔話でしか感動を語れないのは老いた証拠だな @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (01/12/03)
須藤真澄「てぬのほそみち」/秋田書店/1999/11/25 ・「きららセーズ」1996/10-1999/05掲載作品。 うわー。何か読んでてクラクラした。わかってんなー、というか。 こういう「簡単手作り」モノってのは永遠にニーズがある題材では ありましょう。実際に作るかどうかは別として。 ワタシも過去に「こういうの」を読みあさった記憶があるです。 10代前半の時ってさ、こう「手作り」にハマるよな。男女問わず。 家庭科や技術科の授業が小学校高学年〜中学時代に集中してるのって ちゃんと理由があるんだろう。ものづくり熱さかんなりし時代。 あ、今は高校でも家庭科あるんだっけ。いや男子の話ね。 ワタシはその時代MSXにもハマってたので、ベーマガとかの プログラムリスト打つ事でその「熱」を処理していたような気もしますが。 でもフェルトと針と糸でなんかごちゃごちゃ作ってた記憶もあるぞ・・・ 母親に布とかもらってな。菓子づくりも結構ハマった(小学n年生の 記事とか観て毎月いろいろ作ったぞ)し、うーん、そういう時代もあったのだ。 で、まあ趣旨というか作品テーマもそこそこ楽しみつつ、しかし やっぱり大の大人としてはあんましそれのみで読むわけにも行かず。 でもその辺はちゃんと押さえてあって、初代担当とりゃーま(とりちゃん)と 二代目編集てしろぎ(てっち)のキャラ造形の確かさでもって、きっちり 読ませてしまうあたりは流石。これなんか観てると、明らかに「おさんぽ」と 同じ文法で背面構成がされてるんだよな。その辺パパの秋田書店つながり? 編集者と互いにボケツッコミを繰り返しつつ、一定のテンションで 安心して読ませる出来。 何にしても「おさんぽ」以降の須藤真澄らしい一冊。「どんぐり」系の 無機質なまでの愛らしさがお好みの方もどうぞ。 ・・・今でもたまーに焼き菓子が作りたくなります。でもてぬ(言い忘れ ましたが「てぬ」ってのは「手抜き」の「てぬ」)が染みついてしまって、 長らく「寝かせて型抜いてオーブン使って」みたいのはやってない。 小麦粉卵かーきーまぜてーっつーとやっぱホットケーキかお好み焼きか。 最近だと春頃にたこ焼きがマイブームだった事がありましたが それ以降全くないですね。うーん。なんかまた一つ覚えようかなぁ。 どーせ覚えても披露する相手が自分だけの @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/11/12)
須藤真澄「観光王国」/アスペクト/1999/09/10(初:ふゅーじょんぷろだくと/1989) 「子午線を歩く人」と同時に復刻。田舎の本屋に須藤真澄の新刊2冊が 平積みになっている様は壮観であった。時代は変わった、というか。 流石に今見ると、この物語のまとまりの悪さは「若さ」なんかなーと思う。 説明不足感・・・というか、もう「この人ナニ考えて生きてたんだろう?」 ・・・みたいな印象。 だってアリが巨大化したり頭から麻薬出したりカッパだったりするんだぜ。 ちょっと敷居が高いっちゅーか・・・と1989年当時の私は思った。 (あとあの「つー・てん」の線も気持ち悪かったし・・・あの「目ばちこ」も。) 「違和感」が凄くて、確かに惹かれる部分もあったんだけど、好きにはなれなかった。 どうせすぐ忘れ去られてしまう・・・「プチパイ」とか「メルティレモン」 とかで活躍し、消えていった「濃い」作家達と同じラインに居る様な気がしたのだ。 だがこの作者はきっちり生き残った。今も生き残っている。 今読むと、「THE ANT」に描かれる「美大の夏休み」の空気は、なかなか切なくて良い。 以前にも書いたけど、須藤作品を「ちゃんと」読める様になったのは 大学出る前くらいからなんですよ。大人の漫画、というか。 わかるようになるまでに結構修行が必要だった。 ・・・今の作風に比べると、尖鋭さがキラキラし過ぎて目に痛い程。 痛すぎるのか。 特筆すべきはやはりこの時期に描かれた「少女」の艶めかしさだろうか。 最近の作品には絶えて見られないものだけど、実に当時の須藤「らしい」。 高橋葉介の影響と言えばそれまでなんかもしれないけど・・・ ああ、またこういうのたまには描いてくれないかなぁ・・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/09/13)
須藤真澄「子午線を歩く人」/アスペクト/1999/09/10 (初:ふゅーじょんぷろだくと/1990)←単行本には1989と有るが間違いであろう 「観光王国」と共に、今回装丁も新たに再刊されたもの。 今回改めて読んでみて気がついたけど、CBに載ってたやつが全部収録されてる 訳じゃないんだな・・・・収録漏れは今後まとめられる予定は有るんだろか? 「100,101」とか良い話はまだいっぱい有る・・・ ともあれ、CB(COMICBOX)に初出の短編集。 「観光」の感想でも書いた「敷居の高さ」が、逆に魅力になってきている。 巻末の「今宵楽しや」という作品が、後にも先にもこれっきりという巧さで、沁みる。 背景の描き込みも、カメラワークの凝り方も、ちょっと他の作品では見られない。 恐らくは作者本人にも二度と再現できないであろう作品世界。こういう 唯一無二のものにはひどく心惹かれるものである。 以下適当に雑感。 頭の「シオマネキ」は、高橋葉介と言うよりはファンタスマゴリアの様な感じ。 これもちと敷居が高い気もするけど、それが良い作品。 タイトルの「子午線を歩く人」は、その持つ不安定さこその美しさがある。 「MOONY」で描かれる闇の雄弁さなんかは実に「若さ」を感じさせてくれて良。 「ビデオのよろこび」は昔ふくやまけいこが「えんにち」でやってたスタイルか。 似た位置に居たのは確か。 「白い星、青い実」は、絵のタッチも含めて後の「アクアリウム」を強く 連想させる水族館もの。くれこちゃんがかわいい。結構好きな作品。 「このはなさくや」はなんだかわかつきめぐみが描きそうな話。味わい。 「今宵・・」を読むだけでも買う価値はあると思うんですが、どうでしょうかね。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/09/13)
須藤真澄「どんぐりくん」/竹書房/1999/08/27 これって、やっぱ「きゃー!かわいー!」っつって読むもんでしょうか。 ・・・ああ、でも、「かわいー!」て視点から以外では 切り崩しようがないか。この本は。 「ぽてぽて」とか「ほとほと」とか「ぶわっ」とか。 確かに可愛い。可愛いというか・・・もう「煩悩噴出」みたいな感触。 絵柄そのもののもつ愛らしさ・・・と言うのでもないな、その持つ「味」を 生かし切った強烈なボディーブロー。 でも、うーん、それだけじゃなくて。 ・・・わしはこれが好きで好きでたまらんのじゃあ!みたいな作風なんだけど その煩悩漫画を描いている漫画家をツッコミ入れながら見ているもう一人の 須藤真澄、の影がちらついてしまう。おさんぽ大王的というか、ボケをやる 自分自身というキャラに対してツッコミを入れる漫画家の自分、という メタ構造がデフォルトの「おさんぽ大王」にあまりにも慣れすぎたのか>自分。 ・・・「正しい読み方」としては、「可愛いー!」で良いんだと思うけど @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/09/13)
須藤真澄「金魚銀魚」/アスペクト/1999/03/29 収録作及び初出は以下の通り −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 「PORI PORI」 がくゆう6年 1993年4月号〜1994年3月号(麦の芽出版) 「大きな海の小さな船」 がくゆう6年 1992年4月号〜1993年3月号(麦の芽出版) 「魔女おヨネとおハナ」 がくゆう5年 1989年4月号〜1990年3月号(麦の芽出版) 「松梅サーカス団」   がくゆう5年 1988年4月号〜1989年3月号(麦の芽出版) 「ジャングリング! JUNGLING!」              がくゆう6年 1991年4月号〜1992年3月号(麦の芽出版) 「ピップ・パパパワー」 がくゆう6年 1990年4月号〜1991年3月号(麦の芽出版) 「金魚銀魚」      がくゆう6年 1987年4月号〜1988年3月号(麦の芽出版) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 基本的になげやりな展開。意図したものかどうかは別として。 そういうの嫌いじゃない。 買ってからもう数ヶ月、結構繰り返し読みました。繰り返し読めるんだよ。 重みがないっつーか、空気みたいな。さほど面白い訳じゃないんだけど、 その分いつまで経ってもつまらなくならないというか。 読めば読むほど(思い入れの分だけ)味が出てくるタイプ。 なんつーか、今の季節(梅雨時)の午後、ひまー・・・な時に開いてみて、 「何考えてこんな展開にしたんだろうなー」とか 「このがくゆうって雑誌、どんなんだろうなー」とか そんなことを考えながらだらだらと読むと良いかも。 ・・・昨今の忙しい毎日のなかではそれも無理か・・・ 作品に押しつけがましさがないのが良いのか。こっちから能動的に アクセスしたときだけ、開かれる作品世界、そんな感じ。 ・・・しかしこう、なんかどれもこれも本質的に邪悪な感じがして。 キャラもそうだけど、あんまし救いの無いオチとかが如何にも須藤。 古い作品も、基本的には今のそれと大して変わらないあたり。 個人的にはやっぱ表題作の「金魚銀魚」かなー。奈魚(ナナナ)の造形が 如何にも「当時」で。高橋葉介っぽい「黒さ」とか、イカス感じ。 でもホントはもう一作くらいアクアリウムみたいな作品が読みたいんですけどね。 (読んだら読んだで泣くくせに) @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/06/28)
須藤真澄「おさんぽ大王 2」/アスペクト/1998/07/07 そういや、東京タワーって上ったこと無いです。 国立科学博物館は、割と行ってますね。好きで。 ・・・あー。もー好き過ぎる。このタッチ、このノリ。 深いし。なんてゆーか、もう「いい仕事してる」んですよ。職人な感じ。 どういう展開に持ち込んでも、確実に仕上げてくる技のキレ。 決して当初の予定通りに進まない展開は、それすらもお約束である。 何かに手を出しても、必ず話の終わりではリセットをかけるという作りは 半ば意図的なものでも有ろう。それによって次回も0から展開を 組み上げられる。 ワタシ、以前 「須藤真澄は桜玉吉亡き後のアスキー日記まんが文法の正統な継承者」 とか云ってましたけど、桜玉吉センセイが復活した今となってみれば、 その文法が根本で違うことが判明。 キャラとしての「須藤真澄」は基本的に一人旅なんですよね。一人称。 須藤真澄、という一キャラクターの目線で展開が進む。 「須藤真澄」の視点が切り取る世界。「世界」対「須藤真澄」、という感じ。 それに比べて漫玉の方は、常に「防衛隊」という括りの集団が繰り広げる 醜態(・・・)という、複数キャラクターでの展開を主体にしている訳で。 その辺、やっぱり須藤真澄は須藤真澄なのだった(・・・当たり前の話・・・) 要は視点の在り様次第。世界は視点の変化でいくらでも違う顔を見せる・・・ 好きな話は・・・ってピックアップしようと思って読み返してたのだけど どのネタも均等に出来が良くて(この辺も職人気質が出てる様な)。 その中で敢えてと言うなら、21話「BON インザ OSAKA」ですかね。 後半ちょっとバリ/東南アジア漫画の文法が入ってて好き。 あとはその次の22話「働くおじさんこんにちは」での、あの 水面下に漂う緊張感を存分に味わってこそ。 ところで大日本印刷は実際無茶苦茶広いそうですね・・内部情報によると。 ホントに迷うらしい。昔「チョコレート工場のひみつ」読んで以来、 そう言うでかい工場とかには憧れる私です。 あと24話「呑みゆかば」も好き。この人の大学時代の馬鹿話は 是非とも今後の展開の中でどんどん暴露していって欲しいものである。 新大久保屋台村の「お店が戦車でやって来る!!」この迫力。 「ウチのダケ頼んでない」ほとほとほと、の、このタイミングがもー。 緩急使い分けた見事なピッチング。流石だ。 ただし読み終わると同時に無性にモツ煮込みと辛い酒を摂取したくなるので要注意。 今まさにそういう状態。あー。 ・・・・ところで 須藤センセエは「2年前から人妻」だそうで。 こないだ初めて知って吃驚しました。 うーん・・・いやだからって印象は変わらないか・・・ ダンナはこれ以降も登場しては来ないそうですが。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (98/09/16)
須藤真澄「AQUARIUM[アクアリウム]」/新声社/1994/06/30(初版) /1998/02/10(第二版) (注.内容には殆ど触れてません。叫んでるだけ。) ううううう。 感想書く為に思わず再読してたらまたハマっちゃったよ。切ねー。 いやもう近来稀に見る切なさだいね。 切ない。セツナイって何でしょね。こう胸が締め付けられる様な・・・ 「せつな・い(形)自分の置かれた苦しい立場、境遇を打開する道が全く無く、  やりきれない気持ちだ。」(新明解) ・・・ふむ。この切なさは何ちゅーか・・・いや 斯う言う事を人前で云うのは何とも憚られるものがあるのだけど− 「恋」っすよ。恋。 漫画のキャラに心臓わし掴みにされたンですよ(野田調)。ええ。 (・・・・勿論読んでる間だけですが。) あああああ。俺ァ鎮香にも杢子にも恋してしまっただよ。 でも相手は漫画の中のキャラクターだし、時間はどんどん経って行くし。 あああああやりきれねぇ。切ねー・・・・という流れ。 ・・・・・・やー、久々スよこの感触。 早川あおいランクの胸キュン(死語化後1000年)モード。 年齢と共に薄れ行く感情移入能力が、こう久々に復活したというか。 切なさの原因は、作中に確固として存在する「時間」の故でしょう。 「時間」に弱いのは前から気づいていたけど(ヨコハマとかカジシンとか) ホント弱いな拙者。ACT.1から10までの間に、20年程度の「時間」が 封じ込められている。−で、これがもう切ない。 杢子の(或いは鎮香の)成長を、作者はどんな気分で描いていたのか・・・ 生半可な気持ちで描けるようなもので無いのは確かだが。 表情とか仕草とか行動とか口調とか背格好とか・・・に、 明確にどのへんが、と言えない全体的な「成長」が読みとれて、 その意味するところにもう泣けてしまう。最近涙腺弱い私です。 ていうか、もう一番切なかったのはp135〜の「丁稚の星」一連の中の4コマ 「おっしょさんとでっちどん」な訳で。二人の間に流れる空気がもー。ああッ! こういう二人を横目で見ていろと云うのか!(杢子に恋している)俺に!という。 ・・・いや、まんがだってば。然し4コマであろうと、その微妙な「空気」は きちんと伝わって来る。凄い。巧い。 ・・で、ラスト「知床旅情」での大団円で、俺ぁもうボロボロ泣けた訳よ。 もう心底。 実に効果的な時間操作。・・・うう、また再読してて泣けてきた。泣き笑い半生記。 感動の基礎基本ってのが「泣き」であるというのは(少なくとも日本人においては) 古来同じな訳で、皆心の何処かでは「泣かんとて見」ている様な部分があって えーと、つまり・・・もう久々に「泣けた」ていうか感動した一本だった訳です。 見事にやられてしまった・・・ いや、この「泣き」の心地良さがたまらない訳ですが。日本人(のオヤジ)的に 初版の時大学前の小山助学館で立ち読みしてて、確か最後まで 読み切った記憶があるのだけど− こんなに感情が爆発する様な事は全然なかったです。当時。 なんかこうアングラな印象が強かったですよ。小劇場系の。 つまり「いまいち・・・」という感じだった筈。 それが証拠に単行本買ってないし。 四年有れば感性も変わると云うことかしらね・・・。 あー。 ・・・この作品見てると、こうして誰が読むのかも解らない 「感想」書くのが虚しくなってしまうですよ。 無駄口たたく前に「生きてみろ」てな感じ。 ・・・・詰まり、生きるっていうのは、斯う言うことな訳で。 うーーーーん。 ・・・ま、こういう漫画が有るから、漫画読みは止められないのであるなぁ。 と。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (980320)
須藤真澄「じーばーそだち」/秋田書店/1997/5/10 ・・・やっと・・・やっと手に入れた・・・通販だぞ通販。 送料本体価格並だぞ。くそう。でもいいの。いいのよ。 やっぱすどさん凄いっす。 でも考えたらこの人の4コマって某ムー民以来じゃ。 でもちゃんと起承転結な四コマで、然もオチが無茶苦茶ツボに入るという。 何回悶絶したか。いやー、この人ホントにオカシイわ。ギャグの人だよなぁ・・ 大体この人のマンガ初めて読んだのってCBのギャグの方だったし。 だからワタシの中では、須藤真澄と言えば「こういう」感じなんですよね・・・ 然し。ああああああ。 もー兎に角りるちゃん可愛い可愛い。凄いぞ。 おともだちも可愛いしなぁ。困ってる表情とかなぁ。 かわいいかわいい。かわいいよう。 P125見て本気で30分くらい再起不能だった私です。 さあ殺せ今殺せ的。 すどさんの絵って、それだけで凄い・・・ あの線の細そうな肩とか背中の描線が・・あの足がぁぁぁ・・・ もーヒトコマヒトコマ目が止まってしまって。コマ数多いからコストパフォーマンス 凄い高い感じだ。ああ。ああああああ。 ・・・おにいちゃんもいい味出してて好きだ。じーばーそだちの彼もまた 苦労しているのである。然し何度見ても「たまごうでてきた」で笑ってしまう俺。 ああ・・・ 彼女もいい感じの人だし(声は佐久間レイに決定だよな)、彼の人生に幸アレ。 ていうかあんな良い妹がいて何の不満が有ろうか〜・・・ むこっかたのふたりも凄い好き。 あの爺の、孫にも容赦無いあたりが何とも。居そうだよなぁ・・・ P128の目が・・・ 一徹のキャラも好きだしなぁ・・おともだちのパパも好き、もっふーんトレボンて。 みんな好きだ・・・キャラ造形が無茶苦茶巧い。絵としての完成度と、キャラの 立ち具合が双方見事で、もう何も言えん・・・・あーもー。ああああ。 キャラが立つってのはこれだよな。さくらももこ的完成度と言えよう。 でもさくらももこは駄目な私であった・・・ネタの作りが根本的に違うわな。 ・・・すいません。 やっぱ本当に好きな作品だと「好き」以外何も言えません。 ツノマムシを前にしたりるちゃん状態と言えましょう。 そゆわけで、もう絶対のお薦めです。 今ならまだ新刊コーナーに有ると思われる「おさんぽ大王」と セットでお楽しみ下さい。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (97/09/29)
須藤真澄「おさんぽ大王」/アスキー/1997/9/22 激お薦めの一冊。 連載誌で何度と無く読み返してたのに、 こうして単行本に纏められたのを読み返すと 更に新たな感動が・・・ ていうか笑いが。 ああああ。 上手いなぁ、と。ただただ上手い。 作家性、を言えばこれほど作家性のある人も居ないが(こんな線他の誰が引くよ) これはその作家性が(有る意味)フルに発揮されている単行本だと言える。 「日記漫画」スタイルの中では、日本まんが史に残る傑作で有ることは間違い無い。 考えてみれば、桜玉吉亡き(生きてるが)後のアスキー漫画界で、この人が唯一 「日記漫画」を連載している訳で、其の意味では「そねみ」の正当な継承者 とも言える。スタイルが似ていなくも無いし、これはもう御本家が機械の身体を 手に入れて帰ってくるまではこの人がアスキーの日記漫画文化を背負っていく、 という事になってるのであろう。 町内だろうが下町だろうがバリだろうがネパールだろうが河内だろうが 全て同じ調子で淡々と進むおさんぽ記録。 一番好きなのはやっぱ「カワチの熱い夜」でしょか。 あの飲んで踊ってまた飲んで、の気持ち良さを描ききった大傑作。 観ててむっちゃ踊りたくなる私。徳島にも阿波踊りがあるけど、あれはねぇ。 チーム組まないと駄目だし、様式美が重要だし、技術も必要だし・・・ 楽しい以前に「ウツクシク」見せなくては(見せるのだ。踊りを)ならないってのが どうにも。やっぱ櫓の周りで「盆踊り」がしてみたい・・・ 考えたら生まれてこの方一度も「そういう」定型の踊りを踊っていない私。 学校で教えてくれるのって阿波踊りばっかりだったしなぁ。 「おさるに会いに」とか「ネパール・だら〜る日記」とかも無茶苦茶好き。 この人間(及び猿犬等路上の動物)描写の上手さよ。 泳ぎ去っていく貸しボート屋のあんちゃん(P136)、のシーンでもう 息が止まるほど大爆笑した私。「ヒマだから」っていいよね。 人生所詮死ぬまでの暇つぶし、さ。 然しバリ島行かないとなぁ。次の夏にでも行くか。おさるに会いに。 ていうかケチャ!ケチャ聴きたい!ううう。 先年「ジェゴグ」とかいう竹のガムランみたいなのでやるケチャ系のを観て はまったのだったぜ。夏、汗だらだら流しながら力の限り竹琴を慣らし続ける のはさぞ気持ちよかろう。酒も飲んでたし(この場合聴くと言うより演奏して みたい方だな。ケチャもそうかも)。 今年の夏はずっとクーラーの下で過ごしていたので、汗一つかかなかった・・・ くそ。来夏こそは何がなんでも汗だくで倒れるまで踊り明かす夜を。 ・・・もう無理かなぁ・・・トシだしなぁ・・・・ ちっ。仕方ない。夜が明けるまでカラオケで我慢してやるか。 どちらもSF大会へ行けば可能だしな・・・・・SF大会と言えば コクラノミコンの横領事件、裁判どうなってるんでしょうかねぇ って関係ない話でしたが。うーん。別にSF大会じゃなくても良いんだけど・・・ ・・・何か話が取り留めなくなってきたのでこの辺で。 ではでは。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (97/09/29)
須藤真澄「ごきんじょ冒険隊」/竹書房/1997/7/27 須藤真澄の怪しい単行本、その最新刊だ。 本人がキャラクターデザインをつとめた同名ゲームの、 その設定を生かしたオリジナル作品。という事らしい。 ゲームの方やった事無いんですよね・・・ 相変わらずセンスの独特さが光る。 もう出る単行本出る単行本100%品質保証の作家。 今までの所本当に一冊として外れが無いってのは尋常じゃ無い。 さてこのたんこうぼんですが ようちえんじのしこうぱたーんというものを さくしゃどくとくのかんかくでもってさいこうちくしている。 とくにまなちゃんのしこうぱたーんたるや。 しかしこのまなちゃんてのはすげーいいこだよな。 たにんのことをおもいやれるようちえんじってのはそうはいない。 はちじゅうよんぺーじの「あのひとたちはいいひとだ」といったかんそうが まったくふさわしい。 ようちえん入力は疲れたので普通にしますが、こうまなちゃんが一生懸命悩んで 答をだして・・という展開がもう可愛くて可愛くて。 カッパを助けようと一生懸命のシーンには、不覚にも心を打たれた・・・ 没個性の主人公、てな感じで描かれてるようですが、でもそれはそれで 主人公らしい気概にあふれてて凄くいいキャラだと思うのですよ。 このまま良い子で育ってって欲しいものです。 さて 気になったのはまなの父親の存在。 未婚の母ってやつかと思ってたらちゃんと居るみたい(第七話)だし ・・・ううむ・・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (97/07/21)
須藤真澄「電気ブラン」竹書房/1996/4/18 む。 これがそうか。 まぁ、ファンは買って当然の再販なり。 うむむ・・純粋すぎて目が痛い。 眼圧が上がる様な・・・ 「小悪魔」な少女は、初期の特徴ですね。最近の氏の描く少女は、ゆきさんの様な 娘がちでは無いですか。全て読んでいるわけではないので知らないのですが。 キャラに「色気」が有って良い。「創造」の身体切り刻んじゃうのとか、実に エロチックだが、しかし如何にも時代、ではある・・・・。 昔の臭い。 ふぅ・・・ 巻末あとがきが強烈。 僕が初めて氏の作品を読んだのはCBだったから・・・(然も、「ゆず」の回) そんなに昔じゃないか。 だから、初めて須藤氏の作品に出会ったときから、須藤と言えばゆず、という イメージがあって。ふむむ。「そうじゃない時」も有ったのね。当然だけど。 でも、10年の間に確実に上手くなっているのは解りますね。 絵がね。慣れ下手とは反対に・・ 「いちま」のゆきさんのあの少ない線で描かれた顔の饒舌な事と言ったら。 部品と漫符で構成された表情が、でも実に切ない顔をして呉れる。 名工の手による人形が、見方によって様々な表情を見せるように、だ。 あー・・いや、実は久々に「いちま」読んだですよ。で・・ なんか先に読んだ時よりハマっちゃって・・ もう一コマ一コマ目が止まっちゃって。駄目だ・・・だから封印してたのに・・ 各話のトビラなんか見せられた日にゃ、僅かでも有った創造への希望も雨散霧消 してしまう・・・ これもちょっと「奥の方」にしまっとかないと、実生活に影響が出かねないぜ・・ 須藤作品の場合の影響ってのは、僕の場合「アンチ〜」になっちゃう事が多いので。 そういう意味ではわかつき作品とは反対ね・・・ 似てるような気がするのになぁ。 ちなみにコレを買ったのは梅田の例の紀ノ国屋漫画専門店。 地上30階からの眺めを見ながら漫画を買うちゅーのは、異常だった・・・ 異常と言えば、有りそうで無い、無さそうで有る揃い。 まさか「おしのび倶楽部」が平然と並んでいるとは。我が目を疑った。 まぁ、秋田書店だから・・・ 話がそれましたね。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (96/04/05)
須藤真澄「ゆずとまま」竹書房/1996 猫漫画也。 須藤と言えばゆんたん。 然しこの溺愛ぶりは本当に凄い。何せ「ゆずが可愛い」というだけで 殆ど2冊の単行本となってしまったのですから・・・。 猫漫画と言うと真っ先に思い浮かぶのが大島弓子の「サヴァ」ですが、 氏とサヴァの関係は、そのの成長に合わせてサヴァのキャラクター画がオトナに 成っていったのに比べて、この「ゆず」はいつまでも子猫のまま。 7歳と言えば結構な歳に成っているのではないかしら。 まー、いいか。人、猫、それぞれで。 この本、ただただゆずの可愛い生態を描く部分と、旅行篇とにわかれる。 実は須藤の旅行ネタ、好きで・・・ 氏の旅行ネタは、多分ワタシ自身が実際にその国へ行くよりも 面白いのではないかしら。そういう事って多い。 「聞くと見るとで大違いっ」て言うけどさ。 実際に行っても、今キーをタイプしている「ここ」とそう大して変わらないのよね。 そりゃまーネパールとかタヒチとかムルロア環礁とかだと別かも知れないですが。 都市部とその周辺、はみんな旅行者無視して生活してるから・・・「佐渡」だわ。 で、僕の猫かわいがりぶりは、吉川さんのソレにそっくり。 ハタ目で見てるとかわいそーかも知れないけど、人・猫間には通じる物があるから 大丈夫なのよ。 刺激がなくちゃね。 あ〜 また猫飼いたいかも・・・でも今「通い」の猫だらけだからいいや・・・ ホラ今も隣の家の猫達が(ウチの猫の死後、奴の縄張りが消えると共に急激に 猫密度が増したわが家の周辺。)。 でも次は犬かな(ラッシーが・・)。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (96/03/13)

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