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大島弓子


Ohshima Yumiko

大島弓子「水枕羽枕」/朝日ソノラマ/S59/8/30

大島弓子80年代前半の作品集。
表題作「水枕羽枕」
「金髪の草原」
「夢虫・未草」
「わたしの〆切りあとさきLIFE」
「雪の日のすごし方」
「ミルク・ラプソディ」
「ミルク・ラプソディU」
を収録。

表題作が実にTVドラマ向けだなぁと思うワタシ。
少なくとも前のアレよりは・・・うう・・・
いつもながら、木々の扱い、光と影、
特にベタ闇の扱い方の巧さには背筋がゾクゾクする。

一番の気に入りは、「金髪の草原」。
大島弓子作品にはよく見られる、「精神年齢をそのまま絵にした」表現方法。
この表現が用いられるときの話というのは他に比べても完成度が高くて、
切ない。
1920年代に心臓の病を宣告されてから81年の今日まで、ただただ
自分の心臓が止まらぬかを心配しながら生きてきた老人が、
今呆けた頭で思い出すのは、唯一幸せだった大学の寮の時代。
家政婦にやってきた少女を当時の憧れのマドンナだと思いこみ、
世の中の変わり様に「これは夢だ」と確信する。
その儚い切なさが、現実によって裏切られていく過程が哀しく、
だが、最後に「現実」へ帰る瞬間の、何とも言えない盛り上がりに繋がっている。
何度も読んだ。

「わたしの〆切りあとさきLIFE」も良い感じ。
某あすかから出ている一連の単行本は大抵この「作者近況」みたいな
漫画が入ってて、その原型みたいなものかしら。と。
サヴァが猫の姿で居るのが面白い。如何にも猫、な扱い(布団の上に寝てて
重い!とか)が、後のあの姿へと変わって行くのだな・・・
そう言えば、サヴァも随分以前に亡くなったと聞きます。猫だものねぇ。
以前井の頭でぶらぶらしていたときに、サヴァと大島弓子の世界が
実際に此処に有るんだなぁ、と妙に感激した思い出がありますが、
その時既にサヴァはこの世には居なかった訳。


一部の(多くの)人達にとって、大島弓子は決して「外れない」漫画家。
少なくともワタシにとっては、そう。
然し乍ら、我が書庫に並ぶ大島作品は、その多くが古本屋で出逢ったものばかり。
絶対に外れないからと言って、直ぐさま取り寄せ注文して、出ている限り
全巻揃えたい!と思う作家もいた(坂田靖子とか)けれど、
大島弓子作品は何だかそういうのがためらわれて。
「出会い」が必要なんですよね。
求めて手に入れるのでは無くて、旅行先の本屋とか、古本屋の棚の隅、
とかそういうところで「出逢う」必要が有る。個人的な思い入れですけどね。

だから大島弓子の単行本だけは、どれを何処で買ったか、明確に思い出せる。
初読の時の空気も。
結局ノスタルジィなんでしょうけどね。魅力の根本は。
@@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
(1997/08/13)


大島弓子「草冠の姫」/朝日ソノラマ/s57/10/30 「草冠の姫」1978 「ハイネよんで」1976 「ヨハネがすき」1976 「いたい棘いたくない棘」1977 を収録。 うう・・・台詞が多い・・ 然し大島作品を読むと、自分がいたく思慮深くなった様な気になるな・・・・。 ああ・・・勘違い・・・ 後の作品にある、内面世界が現実を覆ってしまう様な濃厚さは無いものの、 物語としては実に「大島テイスト」。こんな話を何作も何作も書いてしまう この作者は一体何者なのか・・・ 時代が比較的新しい「草冠の姫」が、矢張り より複雑な構造をしている。と言うよりは、 他の3作品とこの「草冠」とは、明らかな違いがある様だ。 それは「それ以前」と「以後」の違いであり、 草冠には、その後の加速される、「理解し得ない少女の内面」が、 強く表に出てきている様に思う。 これが更に加速すると、世界そのものが少女の目から覗かれ、 語られることになる。一人称では無くても、作品世界はその最初から、 既に少女の内に取り込まれている・・という。 ・・・大島弓子の近作が読んでみたいものですが まあ、ぼんやり待っていればまた何処かで出逢うこともあるか・・ それを待つことにします。 「かおる大将」という言葉の響きだけで時代性が薫る様な気がする @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (1997/08/16)
大島弓子「大きな耳と長いしっぽ」角川書店/1993/8/7 スミマセン。まだ買ってませんでした。でも、これで今出てる「あすか」のシリーズは 全揃い。 生きる為に必要な時間。とは誰も認めてくれない「何もしない日々」。 それを認められているのは「学生」くらいのもんだ。その学生だって、 あくまでも「猶予期間」だから・・・ 働かざるもの喰うべからず、というか、非生産者はゴミ以下というこの日本で 著者は象にまで責められる・・・しかし相変わらずハナコさんの描写は強烈だ・・ 痛々しいこと・・・ 猫のように生きたい、と思う。 確かに思う。 この日本では、非生産者は人ではない。 成る程・・・ 臥薪療法、「したくなるまでしない」は、しかし「世間様」の目に対抗出来るだけの カネと「自分」が無いと出来ないわね。その意味で、著者は強い・・・・ 何も約束の無い日々。 空しい? でも、シアワセだと思う・・・ 人生にいくらメリハリが有っても、感じている自分自身がボンヤリしていては駄目・・ 今、シアワセと言えば、夢を見ている瞬間だと思う。ツマンナイ人生? 中学高校と、夜夢を見なくなっていたワタシが、時間的に余裕が出来た時、 夢を見て本当にシアワセを感じた事が有りまして。でも、夢の世界にイッてしまうと、 社会という集団妄想の世界には還れない(つまり社会不適応)といいますから。 シアワセでも、死にたくないし。 結局、生きて行くしかないんだろうなぁ・・・ ところで、サバはまだ存命なのでしょうか・・・ ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
大島弓子「ロストハウス」角川書店/1995 大島作品は新書版で揃ってるので、こういう大版なのは「揃い」の意味で 買うのを躊躇してたんですが、何か買ってしまいました。うう。 内容は「いつもの」大島節。素晴らしい。天才だ!と言いたくなる。いつものこと。 何気なく描いている様だが、描かれた作品全てがそのへんの作品とは 一線を画したレベルであるのは、考えてみれば凄い。 これはもう資質というか・・・ ここまで話を組み立てるのは、いくら大島とは言え苦労しているであろうと 思われるが(作者の独白漫画等にその苦労が見られる。)、それを越えて生まれた 作品達の輝きは・・・ 矢張り一時代を築いた漫画家は違うな。 で、収録作は 「青い 固い 渋い」  北の地に「カントリーライフ」を目指してやってきた2人の男女。 「村人」は基本的に理解が無く、生きるのは難しい。 男は夢に向かい、女は現実に挫折する。 最終コマは、そのまま東京へ帰ってしまうという展開でも良かったと思う。 そこを引き返させのは、大島作品の「強さ」だと思う。   「8月に生まれる子供」  冒頭の「大学の夏休み」についての描写が、今は空しく響くにしても、的確で 素敵な描写だ。だが、その後に続く展開は・・・ 老化現象を短期間で19歳の少女に与えてしまう。それによって起こる現象を 淡々と描く。ラストは辛いが明るい。 「ロストハウス」  表題作だけあって傑作。 「ああ彼はついに全世界を部屋にしてそしてそのドアを開け放ったのだ。」 僕はこうして野中の一軒家、に住んでいる訳だけど、例えばマンションの類、 隣に別の「家」が存在している世界は、考えてみれば不思議な物だ。 これに出てくる新聞記者氏は、おそらくその感覚が希薄だったのだろう。 そして遂に「自分の世界」を「外」に広げてしまった。 「クレイジーガーデンPART1」 「クレイジーガーデンPART2」  いい話。 読んで気持ちいい。 PART1だけでも作品としては成り立つと思うが、暗い。 PARTでページをかけただけあって、その「救い」は完璧に大島好みな 閑かで明るい方向へ向かう・・・ 大島弓子の世界はそれほどリアルではない。なのに心に染みすぎる。何故かしら。 SFだからかも。大島作品のあの冷徹さは、ファンタジーと言うよりもむしろ SFと言えると思う。 しかし・・都市生活とは縁のない僕にとっては、この作者の作品を「正しく」 感じられているかどうかも不安なのですが・・ ええ、大島作品は(たとえ田舎が舞台でも)間違いなく「都市文学」の 類だと思うですよ。どうかしら。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@

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