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永野のりこ


Nagano Noriko
荻窪圭・原作/永野のりこ・漫画
「マンガパソコン通信入門 笑って体験、はじめの一歩」/講談社/1996/09/20

講談社ブルーバックスにして、あとがき以外全てがマンガ。

永野マンガとしては、他の作品には見られない(比較的)ストレートな男女
関係が描かれていて、実に新鮮だった。クライマックスの切ない感触は、
かなり「本気」で描かれていて、途中で思わず本を伏せてしまった事だよ。
ううう。酒が無くてはとてもこんな話は読めん・・・それくらい。


1996年9月といえば、もうパソコン通信という文化は衰退を始めてた頃だ。
1993年〜96年がパソ通全盛期だと個人的には思ってるんだけど、それはでも
アレか、草の根しか行かなかった貧乏人の感覚か。カード持ってなかったしー。
まあそういう時代に、パソ通初心者が、Win95マシンとGUIのブラウザを使って
(商用ネットで)パソ通を楽しめる様になるまでの「流れ」を丁寧に描いた
良質な入門書。

以下、折り返しにある内容紹介をそのまま引く。

「 パソコンをいじったことすらない主人公・トオルが、彼女につられて始めた
 パソコン通信。しかし、彼女の背後には通信で知り合ったらしき男の影が見え
 隠れ。謎のライバル出現で、いやおうなくパソコン通信の世界にのめりこんで
 ゆくトオルに明るい明日はあるのか!?
  超初心者であるトオルの悪戦苦闘ぶりをとおして、パソコン通信のしくみと
 楽しみ方、セッティングからアクセスまでの方法とコツがマスターできます!」


兎に角「過程」の描写がイイ。流れの中での心理描写がイイのだ。

HowToじゃなく、「ハマっていく」という「過程」を丁寧に描いている。読む
だけで「あーパソ通にはこうやってハマっていけばいいのかー」と、(パソ通
にやたら詳しく且つお絵かき属性の彼女が居ない)初心者諸兄にも、「ハマり方」
が大体解るという・・・解ったはずだ。当時なら。

今でもこの手法は使えるかも知れない。電話線に繋げば即Webに、という昨今
でも、この「慣れていく」過程の描写は「使える」かも知れないよ。掲示板に
書き込むときは過去ログを読んで空気を掴んで・・・とか。逆にそういう事
こそ「パソ通」に馴染む為には重要だった。狭い世界だったからね。その辺
Webは基本的に公の世界だから、まだゆるくなってるけど。

初心者トオルが不用意に板のルールを無視した書き込みをしてしまって、それを
見た彼女が恥ずかしい、と云って怒る下りの心理の食い違いとか、今でも十分
通用する。

掲示板の書き込みの中には、トオルが知ってるのとは全然別の彼女の顔が。
オレは彼女の事を何も知らなかった!とか、最近よくある「彼女の日記サイト
覗き見してビックリ」的な内容も有り。そーかオレ以外の友達と遊んでる時は
こんな感じなのか・・・とか。この感覚も、今でも十分通用する。

然したかが数年前の作品だというのに、もう「今でも通用する」なんて書いて
しまう。いや、矢張り、パソ通とWebとは全く違うものだ。それを説明するのは
難しいけど。


「パソ通」って何だったんだろう。




永野マンガ的には「ユキちゃん」は性格的には美奈世であり、造形的には
後の原。そうすると「トオル」は北原(ツンドラブルー)かなー。
自虐パンクス山川X以降のあのライン。

「寒い夜に肉まん持ってやって来る彼女」みたいなストレートさ。
ストレートで、ストレートだからこそ永野のりこの持つセンチメンタリズムが
直球でぶつけられてしまった。実際酒が無くては冷静に読めない様なマンガに
仕上がっている。

今更「パソ通」入門?と云う前に、ちょっと読んでみて欲しい「マンガ」だ。

めるへんめーかーの「マンガでわかるWindows95」も傑作だヨ
@@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
(01/06/05)

永野のりこ「ひっち&GO!! 1」/メディアファクトリー/2001/01/01 作者の内的宇宙丸出し、なカンジ。 例によってソウルフルなあとがきを見ると、中学生の頃に描いていた「妖精の森・・・ ・・ムヘヘ」とか、そういうのが下敷きになっているらしい。道理で、というか、 何か作品に「本気」を感じる。いやいつも本気なんだろうけど、中でも今作は かなり作者の「コア」な部分に直結した作品なのではないか、と。 引き籠もり気味のアンゴロー(安五郎)の自滅っぷりが痛くて痛くて痛くて痛くて 痛くて痛くてもー!p27の「よくないデショ!?うん・・・女の子がね・・」って もー!ウアー!この口元!この表情!たまらん!いててててテテテ。妄想の度合いも 凄くて、直ぐにアンゴロー空間に突入してしまうあたり永野ビギナーには 「現実と妄想」の区別に要注意という所か。 下宿の女主人(然としている)トシ子(全方位ツッコミ要員)の造形がなにげに ツボ。冬服の頃の、ちょっと太め?と思わせて置いて夏服になるとその平たい身体、 細っこい手足を惜しげもなく!・・・いや永野世界に置いて「扁平なスタイル」は なかなか望めないので貴重と言えよう。取り敢えず眼鏡っ娘でツインテールなので その辺も記号的に良しとする。 で、この作品が本来(中学生時代に描かれた頃)持っていたと言う「エグイ面」が また強烈で。牙の拝怒鑼(ハイドラ)の執拗なまでのビザールでシャドウな造形 (”ド変態ヘビマダム”)は、うわやっぱこの人基本的にコレなんだな!好きだよな こういうの!!みたいな。戦闘シーンの(戦闘シーンがあるのだ)迫力は流石怪獣 マニア出身(?)というか。破壊っぷりが良い。 近年お約束のハイテンションメガネマッド白衣ドクターチエイ(キャラ的には 「オデッセイ」のキッシーや「み〜ちぇ」の英知と同根と思われる)も今後の活躍が 期待できそうだし。 異界の姫が人間界の勉強を(偏った知識で)して、人間界に憧れてやってくる・・ のは思えば少女漫画の(横山光輝以来の)古典なのかも知れない。デイジーにも 海底人のお姫様(ダゴンの女王シイラ・・・女王か)居たよね。あの話妙に印象的で。 ああ或いはこれも「落ちモノ」の系譜なのか?女神さまっとかちょびっつとかの。 って何でも型に填めて安心するの止そうぜ。 「オデッセイ」では現実の地平に永野キャラを配置してみせたけど、「まる出し」 のこの世界でこそ”本来の物語”が語られるのかも知れない。「すげこま」の完結に より「歩野」と「デイジー」の救済が完結した(と思われる)今、新たに「救済」が 必要なキャラとしての、ひっち&アンゴローの明日はどっちだ。 (キタモリは「み〜ちぇ!!」で救済作戦実行中) 「オデッセイ」と同根とすると、巻数が重なるとまた全く別の切り口が見えて来る 予感がする。今後も要注目という感じ(で今巻は流す)。 ではまたポン。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (01/04/02)
永野のりこ「STAND☆BYみ〜ちぇ!! 1」/講談社/2000/04/21 ゴールデンウィークに友達が遊びに来てて、ふとこの漫画を手にとって 「・・・読みにくい漫画・・」とか感想を漏らしていたが、確かに久々に 永野漫画を読むと結構抵抗がある感じだ。この異常なテンションの高さと、この ノリの妙な濃密さは、入り込むまでに多少の時間がかかる・・・けど、それも 含めてナガノマンガなんだなあと。勿論はまると気持ち良いのは保証済み。 この連載、実は全然知らなくて、えーと、巻末によると初出は「マガジンZ」 1999/08-20000/03に掲載されたもの。読んでないもんなー「マガジンZ」。 孤独の感情が高ぶる(泣く)と怪獣が出現する体質(どんなや)の少女み〜ちぇ、を 世界から隔離しつつ慈しみ育てるマッドな姉(あああ)テルラ。その姉によって み〜ちぇのオトモダチとして適当に選ばれてしまった(これも運命か)メガネ君 ・・・ケロ森ヨシオ、じゃねえ田仁茂(通称タニシ)。キャラの配置は違えど ノリは殆ど往年の「デイジー」である。懐かしい。 あと馬鹿みたいな大金持ちとかイカレタお嬢様とかマッド理事長とかが出てくる ほのぼの学園(と怪獣)マンガ。「何系」と分類不可能な永野ワールドが再び現出! という感じで、割と楽しみなのだった。特にメガネ君のキャラが「電波」の キタモリよりまだ気弱な感じに設定されていて(すげこまの対極か)、非常に 味わい深い。第8話のたたみかけギャグの犠牲になっていく様はたまらない。 お薦めです。 こういうノリ、割と好きなんだ。すげこまと違ってダークな色合いも薄いし (今んとこは)、電波オデッセイの痛みも取り敢えず無いし。読んでただ そのナガノ世界の魅力(怪獣とか電波とかアシッドパンクとか)に浸れるこの 緩やかな快楽こそ。実際、「デイジー」は私の心のフルサトなんだ・・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (00/05/14)
永野のりこ「電波オデッセイ 4 ODYSSEY」/アスキー/2000/01/04 おさまってしまったなあ、というのが実感。穏やかに。あの「夜明け」から 始まるラストの感触の、何と懐かしくも穏やかな事よ。鬱にまみれた脳で眠れぬ夜を 過ごし、ああいう気分で夜明けの空を見た事が何度有ったろうか。 作者のあとがきの「血ダルマ」ってのは実際殆ど血ダルマ状態だったんだろうなあと 思わせる。特に中盤の痛さは尋常じゃなかったから。自分の中の痛いところを選んで 開いてみせる、みたいな事を繰り返してこの作品が出来上がって来たんじゃ 無いだろうか。・・いや、だから、というか・・・痛くない電波オデッセイはもう 電波オデッセイじゃないよ!というかさ。マゾだから。痛さを求めてしまう。 痛さと、そしてそこからの劇的な解放、ってやつを。でも「デイジー」じゃないんだし 日常生活の枠で「それ」はハナから無理だったわけで。考えてみれば「日常」から 一歩も逸脱しないでここまで強烈な「痛み」を描いたってだけでも凄い作品なんだ。 ・・・自分にこれだけの共感能力が有ったんだ、と自分を再発見させられる様な 作品だったよ。もう痛くて痛くてページがめくれないなんて漫画久々だったもの。 この4年間、本当に痛がらせてもらった・・・という。ホントマゾだな。 諸行無常。「生きる意味」なんてのはハナっから無い。生きると云うことは、一日一日 死に近づいていくという事だ。そういう中で、結局「オミヤゲ」(思い出)ってヤツが 生きる上で唯一「頼れる」ものなんだろうなとは思う。 生まれたからには生きてみるさ。オミヤゲも多少は有るし、死ぬまで生きれば もう少し増えるかも知れない。 それでは。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (00/05/14)
永野のりこ「電波オデッセイ 3 TICKET」/アスキー/1998/03/09 「のんちゃん」と一緒に買って、でもこっちは怖くて長らく読めず。 先日意を決し、1巻から半日かけて一気に読了・・・いや、一気に、じゃないか。 1ページ読んでは投げだし、1ページ読んでは叫び狂い、もうなかなか ページがめくれないのだったよ。 ・・・読んでて思うのは、作品中で泥沼の様に悩まれている事共は、 その殆どが”過ぎ去ってしまえば大したことのない”「若さの証明」みたいな 事件なんだねぇ、と。でも悩んでる間は、それがもう生き死ににかかわる位 重大なことに(読者にも)思えてしまう。その辺りが本当に巧い。 地の底までぐぁ〜っと悩んで、オチでこれ以上ないくらいストンと落とす。 その繰り返し。その繰り返しの心地よさは、多分誰もが経験してきた 「悩みとその克服」、を再現してくれているからなんだろう。 特に今巻の中盤を構成するキタモリの独り相撲は典型的。 もの凄い勢いで自滅していく下りなんか絶対他人事とは思えない。 もうビーム本誌で見たときは、痛くて痛くて読めなかったですよ。 で、ああもう好きな子にも軽蔑されちゃったぜ〜とか思ってたら 「何かあったんですか」とか言われて、もー全然最初ッから 気にもされてなかったよトホホ、みたいな。このトホホぶりがもう! トホホなんだけど、そのトホホさ故に肩の荷が軽くなる。 誰も僕のことなんかそんなに気にしちゃいないんだ・・・と気付くには キタモリはまだ数年かかると思うけど。 そんでp146のオチ。「キッシイイイィィェェェ!!」 爆笑のまま閉じるオチの気持ちよさ。 この開放感。最高だ。何度読んでもたまらなくイイ。 ・・ところでこの話って、昔おち天で永野氏自身が語ってませんでしたか。 何か嫌いな先生を見返してやろうと思って必至に勉強して 結局教師の思うつぼだった、とかそういう体験が作者にはあったらしい・・ いやそれにしてもキッシー王子、イカスよな・・・「ふっ・・・」がイイ。 ・・・ただ、そういった中で、どうしても乗り越えられない 壁ってのは有るわけで、その最も「ストンと落とす」ことが出来ないのが 原の過去〜現在。野川さんのそれも大きいけど、矢っ張り原の「問題」は 根の深さが全然違う。だからこその今の原、な訳だけど・・・ 楽しさの裏に必ず潜む過去の傷。原は子供時代に親から可成り 性的虐待めいたものを受けていたらしい。母親の存在は「実家に帰っている」 という形でなんとなく示されているものの、父親の存在は 原が売り歩くレコードという形でのみ代弁されている。 原が髪の毛を売ろうかという下りの切なさ。原の伸びきった髪の毛が その不安定さをいや増す。原はモノを知っているようで、 でもブルセラとかを知らない。フリマを知っていても質屋/中古屋へ 持っていこうという頭が働かない。 原の知識元は、恐らく家に転がっている父親の蔵書や レコードの類なのだろうが・・・斯う言う何処かいびつな所が いっそ愛おしい。バランスの崩れ具合が、何とも言えない。 しかしキタモリ観察に絶好の席を手に入れたり、バンドやろうぜ!になったりして 可成り良い感じになってきていた学校生活は、高校進学という流れで 断ち切られようとしている。現時間と平行して確実に進行する作品内時間の中で 原は果たして・・・作者はこのキャラクターにこれから何をさせようと 言うのだろう? ・・・しかし「卒業祝賀会実行委員」として集まったハセ/PG/原/野川 アーンドおとものトモトモ達が、バンドやろうぜ!(ああああ中学生!! しかも割と80年代!)とか言い出す辺りを見ていると、「デイジー」の 社会復帰バンドを思い出すのだったよ。矢っ張りバンドだよね〜 などと表面上で浮かれているけど、そのリバウンドがガツンと来てしまう。 今の原はまだそれに対応するだけの力がない。 楽しさの裏には、常に不安がある。「こんなことしてていいの?」 ああ、でもこれは、だれしも同じなんだよ。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/03/13)
永野のりこ「ちいさなのんちゃん」/アスペクト/1999/01/04 ・・・この本不用意に読んじゃうと こう、心の壁が薄々になってしまって激ヤバイですよ。 実は冬休みの三日間ぐらい、もうどっぷりと読み込んでしまってて ページから眼を引き剥がすのが大変でした。 コミケ行きがなかったら年明けまで読みまくってたに違いない。 で、恐ろしくてしばらく再読出来なかった私です。 いやー、もー、大変です。この本の破壊力というのはもう。 情動を直撃ドライブされて大変なんすからもう。 ・・・何というか、心のありのままを吐き出すと 「のがああああああああああああああああああ!」みたいな ちょっと人外入った叫び声しか出ないので、とりあえず外堀から。 サンケイ新聞に連載された「育児記事用のカット」という位置付けらしい。 育児漫画って一時ブームがありましたよね。流石に育児漫画までは チェックしてないのだけど、多分この漫画は世の育児漫画とは 一線を画していたのではないかしら。ていうかこれは・・・ 此処にあるのは、ただただ「娘可愛さ」のみ。ただそれだけ。 で、その娘かわいいかわいいワールドへ巻き込まれた読者たる私は 当然の如くのんちゃんにハマってしまうのだった。いや・・・ 現のんちゃん(11〜15歳)がもう可愛すぎて・・・ のがああああああああああああああああ(停止 再起動)ああ・・・・・・駄目だすいませんこれ以上何も書けません。 なにがどう良いかってのをひとつひとつ取り上げて語ることなど不可能。 もう全て!全てがッ!! えーと・・・・・・・ 仕方ないのでそのドハマリしてた時期の日記から抜粋 ----------------------------------------------------------------------- 「ちいさなのんちゃん」を号泣しながら繰り返し繰り返し読む。 この可愛さは尋常ではない。倒れそうになる。 いいのか親!変な人に尾行されるぞ!と言うか。 あああもう切ないほどに可愛い。親の欲目(虚構の存在つーか)というのを 含みで、そのラブリーさにクラクラするのだ。愛有ればこそ。 15歳まで全てのモードでまんべんなくラブリーなあたり・・・ 個人的に一番反応(・・・)してしまったのはp136だが。詳しく 描写するとまた疑われかねない(?)ので止しますけど 単行本持ってる方なら頷いても呉れましょうか。 こういう感情の爆発の瞬間を共有できるか否かで、人生の価値は 全く変わってくる。同じ目を持つ者同士が「合う」所以。 これもまた、しかし「とりかえしのつかない切なさ」に満ちた作品だ。 後悔はしてないけど、でも子供の成長程「帰らぬ姿」は無い。 p115の 「冬の小さな子」の「かたち」を追いかけてしまう下りは、 もう泣けて泣けて仕方がない。ああ・・・・多くは語るまいよ。 万人が共通に持つ「切なさ」の体現。 ----------------------------------------------------------------------- 「かたち」の下りは、母親ならざる私にも その想いがガンガン伝わって非常に切なかったです。 この作品の全体を一編で表すなら、これですかね。 ・・ただ残念だったのは、なんで収録順にしなかったのか!?という。 確かに作品の性質上、時系列ではないにしても、この「まとめ」方は 正直いただけない。作者の意図か、編集サイドの思いこみかは知らないが、 一体何を意図したのか。 ま、何にしても、激おすすめの一冊ではあります。 読んで転がり回って下さい。 ・・・さて、ああ、次は「電波」か・・コレも読み返すの重くて・・・ 出来るなら読まないで居たい、でも読まざるを得ない、みたいな・・ ホント、永野のりこは凄いです。キャプテンJr.で出会ってから幾星霜、 いつまで経っても常に私のはるか先を走ってくれていて・・・ だから安心して追いかけることが出来る希有な作家の一人。 ・・・あ、今月の「ソンソン」観たら・・・のんちゃんもとうとう大学生か・・・ うーん・・・子供の育つのは早いものだよな・・・ ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/03/13) ※追記:のんちゃんはまだ高校生でした。お詫びして訂正します。でもなー。
永野のりこ「電波オデッセイ 2」/アスキー/1998/03/09 痛てて。イテテテテテテ。あーっ。死ぬーっ(水木調)。 キタモリ・・・・ −20.あの夏− このさすらいぶり。 魂を突き刺す。もうぐすぐすと突き刺さる。作者の人は昔男でしたか的。 何故そんなに俺様の痛い過去をリアルに蘇らせますか。あああああ。 素敵な人の家の周りをうろうろしてしまうこのリアリティ。 でも心はとてもロンリー。僕は蠅になって君の〜家の周りぐるぐるまわる〜 「まるで夏をがまんしてるみたい」っての、わかるさー! ていういか今でもそうなんですけど>俺様。 「エンリョしながら生きて」るも、この歳になっても。 ・・・・でも、さ。キタモリは救われたじゃん。野川さんノートに。 この天国と地獄行ったり来たり、ってのはまさに「あの感覚」だ。 「恋ね」 然しその「オデッセイ化」によってますます野川さんに 「手が出せなく」なっていくキタモリ・・・哀れよの。 この章で一応キタモリ&野川さん編が一旦落ち着いて、いよいよ チカボンの登場である。此処から始まる原V.S.チカボンの構図がこれまた 何とも強烈である。今月号、力技でラブコメモードに持ち込んだ原の寝技勝ち・・ と思えるが、まだまだ予断を許さない状況ではある。 まぁお互いの「思いやり」が「思いこみ」ですれ違ってしまうのは 中学生の運命だよな。仕方無か。あの原の表情の一枚一枚がまた微妙で・・・ ラストのクケダイちゃんのアナロジーはなかなか・・・ 然し巻末の「お言葉」を見ていると、漫画家は原稿料のみにて 生くるにあらず、だなぁと。 所謂ファンレターが作者をどれだけ支えているか・・ 実際この作品なんかは「おち天」時代の投稿等の山が その根底となって居るであろう事は容易に想像できる。 ・・・たまにはファンレターなど書いてみるも・・・ 昔安井誠太郎氏にファンレターを書いていた @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (980407)
永野のりこ「GOD SAVE THE すげこまくん! 10」/講談社/1997/8/6 あーもー8月だって。ずいぶん寝かしてしまったねぇ。 内容はいつものアレ。それ以上に何を語れと言うのか。 個人的にはp24あたりからの暴走ぶりが、昔のナガノしててすげぇ好きなのだった。 こういう無茶苦茶なノリが好きだったんだよう・・・デイジーの海底ネタん時とか。 やっぱ山川Xの存在は大きいよな・・・「すげこま」世界には あの自虐パンクスが居ないから・・・欲しい・・ あとは矢っ張り藤江田でしょうか。 「フジエダの怒りエネルギーが120テラバイトに達したとき  ゲヴァルト・ブレスに閃光が走り、女学生ジュンコは  「ゲヴァルト・ジュンコ」に変身するのであった!!」 ・・・藤江田には幸せになって欲しい・・・マジで・・・ 所で私、遂にTVのデイジーを一回も見ないままでした。 いつか見ることが有るんだろうか・・・・ まぁ、いいんですけどねぇ。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (97/11/12)
永野のりこ「GOD SAVE THE すげこまくん! 9」/講談社/1997/2/6 もう出たか9巻。 相変わらずのアレがソレな漫画である。 ほぼ惰性で買っているワタシ・・ やっぱナガノの「本質」ってコレなのかなあ・・・ 「デイジー」とか「おち天」とかで救われた人間としては 「あの頃」が懐かしい・・・確かに「電波オデッセイ」は凄いけど。 ああ。 とにかく藤江田にはシアワセになって欲しい。 そのへんツンドラブルーこと北原はシアワセだよな・・・ 美奈世の声はしかしやっぱり宮村しかないのか? CDの声も好きなんだが・・ くぬぎちゃんも巨乳だらけの青年誌世界の中で一人孤高を保って 虫娘を演じている。いやあの娘の造形はいいぞ・・・あの襟足が・・・ 眼鏡は兎も角。 ヨシオお兄さんにもいよいよ救済の手が・・・ 涙無くしては読めない所である。 やっぱり漫画っていいよなと思わせる・・・ 何はともあれ次は遂に大台の10巻となる。続きも続いたり、だ。 こうなったら惰性で最後までつき合うしかないぜ。 一体この作品の「最終回」、「ハッピーエンド」はどういう風になるのか。 すげこまがリハビリする事なのか、 このまま「オタクのご主人」になってしまうことなのか・・・ 「デイジー」の例もある。兎も角見続けよう。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (Mar.25.1997)
永野のりこ「電波オデッセイ 1 PASSENGER」/アスキ−/1997/1/22 「月刊コミックビーム」誌で連載されている作品の単行本第一巻。 実のところ、連載で読んでいた文には「何だかなあ」というか、やっぱりナガノは 「デイジー」しかないよなというか、「おち天」が俺の青春の支えだったというか 今一つのめり込めなかったんだけど。 こりゃ凄い。 こんなに深い(というか単に読み解けてなかっただけか)漫画って 久しぶりに読んだ気がする。 そうかそう言うことだったのか!!と、読みながら興奮した。 如何にいい加減に読んでいたか・・・反省しきり。 P44で、原が涙しているのを見て愕然とした。本誌では全く気が付かなかった。 ううむ。しかしこの、だれかに「こんなのズルだっ」っていうホメ方(・・・)は、 実は昔キタモリな奴だった頃にやってたんだよ私。ああ恥ずかティ。 ・・そう言うことをやった心当たりがある人は少なくないと思うがどうか。 連載雑誌そのものが、割と全作品奇を衒ってるような(っていうか数作品除いて あとは全部電波系)「ビーム」だけに、「其の手」の作品と 感想が混じってたのかも・・・多分。 登校拒否を続けていた原さんは、 ある夜「オデッセイ」と名乗る「何か」から、 自分(原)は地球を観光に来た旅行者(パッセンジャー)であり、 それはとてもラッキーな事だったのだから、心残りが無くなるまで 「楽しんでみたら?」と伝えられる。 その夜を境に原は変わる。 積極的に「観よう」(思い出というお土産を増やそう)と、 もうやりたい放題するのだ。旅の恥はかきすてって事なのか。 学級委員長キタモリと、幼友達トモちゃんを人外魔境に巻き込んで 何処まで続く永野版中学生日記。というか。 そこから始まって、作品は俄然中学生日記の様相を呈してくる。 哀しみや苦しみ・・・原はそれを取り込み、何とか消化しようとするが、 今のところ何とも・・・ 現在雑誌の方では野川さんという図書委員の悲劇が、彼女にあこがれる 典型永野眼鏡キャラのキタモリによって「どうにか」されようとしているが 果たして。でもすげーキタモリの気持ち伝わるし。 絵的にも、かなり今までとはずれてきてる感じはある。 原の造形などは、今まで少し観なかったかも。 他だとMINAYO(すげこま)とか・・とりあえず「敵」顔・・・ あと巨乳度低し。最近の永野漫画の「取りあえず巨乳」な女性陣には 正直うんざりだったので、(まあ流石に中学生だし)なんかほっとする・・ 「デイジー」の頃の造形が一番好きなんですよね。いやその。 っていうか「アスカ」かも。「見せましょう」か? ギャグも走ってて・・・・・でも、 この漫画の本体、は、やっぱりそのソウルにあるっちゅーか・・ (此処から以下泥沼独白なんで読み飛ばしてね。) でも、きっと、世の中にはこの漫画に完全に同調できる人と、 全く表層しか見えない人と、いるんだろうなあとは、思う。 それでいいんだけど。 かつてキタモリであり、またトモちゃんでもあった(野川さんでも有った− それにたかる側でもあったが。大勢につき回る方では無かったにせよ)私としては 「解る!その気持ち解りすぎる!!」的な読みばっかりでどうにも。 ええ。ワタシがトモちゃんな頃は、通りすがりに「・・・・!」って言われてるのが 全部大声で聞こえて、教室の笑い声が全部自分をあざ笑っているんだって思えて ならなかったもんです。今でも通りすがりに「だっせえ」とか言われてるかも 知れないけど、昔は「それ」が聞こえて聞こえて大変だったのさ。 今は、あんまり、聞こえないけど。 そう言うときに「おち天」に救われたのよ。わたしゃ。 「おちこみ天国」。あの連載は私にとって強力なカウンセリングだった。 「何やったっていいんだ」(かんちがい)的な言葉のお陰で、 どんどん道を踏み外す奴。思えば遠くへ来たもんだ。この先どこまでゆくのやら。 今は自分は(少し)原かもなあと思ってたり。「解脱」してるつもりで、 し切れないというか・・・ 何も彼もが嫌で死にたかった自分から解脱して、 流石にもう死ぬことまでは考えないけど だからって怖くない訳じゃない。全てが解るわけでもない。 ハイで飛び込んで、でも何にも上手く行かなくてローで帰ってくる。 良くあること。 自分だけが「解脱」してるつもりで、周りの奴らはみんな 「大勢」に何の疑問もなく従ってる馬鹿ばっかりだとか、 そういう風に「部屋の中で」は思っても、 街へ出れば自分は何にも出来ない無能力者に過ぎないって事を 痛感させられる。 それでも、実際誰しも「パッセンジャー」なんだしさ。 原なんか特にそうだろうなあ。両親居ないし。 なまじ血縁に縛られてると、そう言う意味での「観光」が 出来ない部分もあって。 いやその。 いや全く情けない。 あっ 忘れてはならない巻末特別読み切り「クケダイちゃん」!! その存在を知って幾星霜。よもや読むことが出来ようとは。 いやー・・・そうかこれが・・・・ 凄いぜ。 まあ、そうゆうことで(どういう・・・)、結構是非オススメな単行本です。 (JAN.25.1997) @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
永野のりこ 「GIVE ME たまちゃん!」 徳間書店 少年キャプテンコミックススペシャル 890円。 総ページ数364ページ。しかし1,2を買った人間にはちょっとなぁ・・・ いくら3巻に満たないからってこーゆー出し方はよー・・ いいけど。しかしけっこーサキの単行本未収録ってのあったんだね・・・ 貞吉の暴走だけで持ってるような所もなきにしも、ではあるが 一応SF(・・・・・・)だし。ね。 やーしかし貞吉はいいねぇ。とにかくまー暴走したい放題。 P226でフッきれてからの暴走がもう止まらない。はー爆笑。 しかしこの頃の絵柄も今のと違っていいぞ。 デビュー時から作品毎に変わる絵柄だが、 今のは(すげこまetyc.)ちょっと好きじゃないのだ。 しかし、エセSFなラスト、掲載誌で読んだ当時は「なんじゃーこりゃー」だったが こーして読むと結構許せるぞ。
永野のりこ「GOD SAVE THE すげこまくん! 8」/講談社/1996/8/6 やっと購入。後読み出すまでに一週間。全く。 漫画に対してさえ怠惰になりがちな昨今です。 さて。 とりあえず「くぬぎちゃん」がイイぞ。虫娘。虫が三つ有るムシみたいな娘だ。 どーも永野作品の巨乳な方々が苦手な私は、彼女に逃げ場を求めるのであった。 しかしイロイロと「おちいり」がちな永野作品に、おそらく初登場のボケまくり虫& 眼鏡娘くぬぎ。彼女の今後の活躍が楽しみな私であった。冬の虫の為に虫っ子ハウス 「くぬぎの家」を作ってしまう彼女に幸あれ・・・ ワタシはムシムシ大行進は苦手なのでアレですが。 で、相変わらずほぼ全員不幸なままの女性陣(M1号除く)ですが、今巻は何と 言ってもブルー・・じゃない涼子ちゃんにまで「バカ女」よばわりされてしまって ボロボロ(しかも救いにはほど遠い)の美奈世でしょうね。あの娘はやっぱもう少し すげこまに救われてないとダメかもな。「こんな」なのにへっちゃらなら私なんか− という。救いかどうかは兎も角。 所で涼子ちゃんはまだ登場してるのか。 しかし、こう・・読んでると、作者の、キャラや作品世界への愛がひしひしと 感じられるのである。キャラと作者のセッションというか・・・いいなぁ・・・ 「自分のために漫画を描いてる」とおっしゃってたが、ナルホド。 漫画は、やっぱり「業」の産物なんだよな・・・「愛」でもある・・・ 巻末にナガノのHP?のアドレスが。まだ行った事ないけど。 えーと http://www.screen.co.jp/yanmaga ・・・なんだ、ヤンマガのHP? まーいいか。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
永野のりこ「GOD SAVE THE すげこまくん! 7巻」講談社/1996 あーアレです。 いつものナニ。 だんだんCDのソレ(甘えん坊大将)に近づいているのが何とも。 CDと言えば「デイジー」のCDは何処へいっても無いのだが・・・ 相変わらず絵の方は安心して読める高レベル。内容もいつものアレでよし。 しかし・・・ 頑張れえむ子!頑張れヨシオおにいさん・・・ アレだな、きっとヨシオおにいさんが不幸だからこそえむ1号は居る訳で 幸せになるとこれがまた・・・でも幸せになって欲しい・・ 藤江田も苦労が耐えない。なんか藤江田って唯一の常識人(ちょっとアレ含む)だし、 初期はファンだったんですが・・最近の不幸さはもうそれを楽しんでないと生きて いけない状態・・・母ちゃん宇宙人だからなぁ・・・ 美奈世方面は可成りキてる。 ブルーは果たして何処までこの異常な世界に耐えきれるか・・ またあのお姉さまがたのこれからの活躍は? で、すげこま&松沢先生はいつも通りという・・・ しかし・・あとがき読んでて無性に「デイジー」が読みたくなってしまって 久々に読んでみたら、絵は全然違ってるんだけど、ギャグなんかはこっちの方が 断然面白いなぁ・・・女の子巨乳過ぎないし・・どうもいまの乳デカ女ばっかり、 っての嫌でさ・・・でいじーちゃんは可愛かったよねぇ。 しかしまー、何よりノリがいい。「すげこま」はなんかこう「わかってやってる」的 な安心感があって、「デイジー」のなりふり構わぬよーなギャグの方が今読んでも 断然オカシイ・・・ こっちの作品(すげこま)はヤンマガだしな。対象がちがうか・・・ あとがきでもう一つ興味をひかれたのが、「おかあさん」になってしまった事で もう今までのアレな生き方をかなぐり捨てた・・という様な下り。ううむ。 あの「のんちゃんをおぶって持ち込み」という感動的な話は、そういう背景も あるのね。 にしてもやっぱ永野作品(「おち天」とか!)には一度ならずドロドロ時期を 「救って」貰っているので、どうあろうと最後の最後までファンでありつづけたいと 思うのです・・・いやホント。 ところで「みすてないでデイジー」はホントに傑作。再販されるとのことで、 是非ともこの機会にお読みになることをオススメします。 昔のキャプテンってこーだったよね・・・というか・・・ あー ではでは。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
永野のりこ「GOD SAVE THE すげこまくん!・6巻」講談社/1995 ツンドラ・ブルー登場!(って前から居たことは居たのね。) あ〜あ。 なんだかなぁ。 しかし何と言っても注目すべきは「どろみちゃん」であろう! 連載第6回にしてこの展開!ああああ。 まさか「かいたまんがを燃やしてしまう」がどろみの姿だったとは・・ デイジー3巻参照ね。自給自足漫画と言うか・・ 何にしても藤枝(声:佐久間レイ)には幸せになって欲しいよ・・・ フジエダの扱い可哀想過ぎ・・・。 はじめはこう、いつものおかっぱ松沢がナガノよりだと思ってたですが フジエダだよな。永野の代弁者って。 いやまーすげこまが一番「ナガノ風味」なんだけどもさ。  ラジオボーイ  電波が手を振る  ラジオボーイ  孤独色の雲の遥か彼方から いい詞だよなーアレ。 あーもう 今俺の部屋「るるる虫」がいっぱい居てさ・・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
永野のりこ「GOD SAVE THE すげこまくん!」4巻 講談社550円 お・・お願いだから藤江田だけは救ってあげてくれ。かーいそうでかーいそうで。 ナカミはいつものアレ。(・・・)
永野のりこ「どーしちゃったの!?KENにいちゃん!」ワニマガジン社500円 オレは・・こーゆーのが読みたい訳じゃ・・・ 「デイジー」の感動をもう一度得られれば、とか思ってる。 しかしやっぱ「おちこみ天国」はいずれ復活させるなりすべきだ(作品リスト観て 思う・・・)
永野のりこ「ハネムーンプラネット」アスキーコミックス どうにか買った。パソコンの光恵ちゃんが言ってたのでこりゃ買わなければ・・と。 アレな永野フリークにはちょっと不満もありそうですが、レディスしていて良い。 ところで子供の名前、「のんちゃん」ってさ、永野先生の娘の名前よね。 「のんちゃんちのパパ」もいつものメガネくんナーズでマッドな彼(よーいちろー) で楽しい。永野先生の描くおかっぱの女の子は作者永野のりこ自身がモデルである事は よく知られているが、光恵さんはより本人に似てきているぞ。見た目は。 問題は旦那だな・・・やはりナーズなのか・・・ 「みんな以外のうた」は懐かしかった。また「おち天」が読みたくなったぞ。 メージュのバックナンバーほり返したりして。好きだったんだ・・・・・ こういうのがこの人の本質なんじゃないかと思う。 (しかし「じっさいはこんな甘いもんじゃねーやいっいーやなっどーでもっ」・・・) 「親」に成るのは大変なんだなぁ。

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