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ますむら・ひろし


ますむら・ひろし「アタゴオルは猫の森 12」/メディアファクトリー/2008/01/31

巻末の「アタゴオル余波12」で衝撃的な事実が。

「私の作品のカラーは、妻の増村昭子が、塗っている」そーだったの!?

いやー、驚いた、と同時に、なんか納得してしまって。

昔から、いい色だなあ、でも、この色の感覚と作品世界の中の雰囲気と、
なんか二面性を感じるなー、とは感じてた(そこがまた魅力的だった)。
そうかー、なるほどね。

今巻も、ヒデヨシの豪腕っぷりにホレボレする事多し。ラストの

「悲しみなんかと遊んでるヒマありませーん」

はけだし名言と言うところ。ヤツならでは。

いつも通りの、というのが保証になるマンガ。いつも通りの品質で、おすすめです。
@@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
(08/02/03)

ますむら・ひろし「アタゴオルは猫の森 9」/メディアファクトリー/2005/11/30 何かちょっと久々な感じの9巻。内容はいつも通り。いつも通り過ぎる、という 読み慣れた読者の意見を、(それでも)押さえ込んでしまう絵力がある。 いや、もうホント「また同じ展開かよ……力業でムリムリやっちゃってさ……」 などと思いながらも、やっぱりラストの大コマ、見開きで、背筋が「ゾワッ」と するのを止められない。この、絵。脳のどこかにこの手の「絵」にゾクゾクする スイッチがあって、それを毎回触られている。繰り返しだ、と感じていても、 どこかが常に新鮮(に思える)なのだ。p48-49の、火山の火口を湯船に つかって見下ろす(!)という強烈な構図を、ガチガチに固くなった自分の脳が 拒否せずに受け入れている(そして心が震わされている)事に驚く。 今巻、ヒデヨシが延々ねらい続けている「金色の魚」ことギンボンがヤケに 人がましい表情で現れたりしているけど、基本的にはあの頃のママ。 あの造形はないだろう……!的なやっつけ感がそのままで、逆に読者の心に 妙な感触を残す。 何にせよ。読み慣れた、素晴らしい安定感。初期シリーズの一番好ましかった頃 (当時は数編ごとに印象が変わっていたので)が延々続いている様な喜ばしさ。 でも(ああ、でも、だ。読者は勝手なものだ)、こうなると、また「星街編」の 様な、読者の魂を丸ごと持って行ってしまうような「大仕掛け」を望んでしまう。 「玉手箱」の最初の巻を読んだときの興奮は忘れられない。金ピカに磨いた 釣り針で空に浮かぶ街への入り口をつり上げるのだ……! 作者自身も後書きで語っているが、初期の作品にある黒さ、暗さ、「闇」の世界 との真摯なつながりが、今のアタゴオルには無い、いや、まあ、またそういうのが あればなー、と。あの夜の澄んだ黒さ、夜闇を透かす猫正宗の巨大な瓶、それらに 囲まれたネズミトランプの卓。そういうのも、また、見たい。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (2005/12/29)
ますむら・ひろし「アタゴオルは猫の森 4」/メディアファクトリー/2002/08/31 あーもー!ギルバルス!ギルバルス!!お前……おいしすぎるだろ! という感じの4巻。ラストの「オレの物さ」の、あの格好良さ、あの 「ギルバルスっぽさ」にただもうウワー!と叫んでしまう。 冒頭、伝説の笛・銀宮を奪いにやってくるギルバルスの、あのページめくりを 意識しまくった登場にメロメロ。ラストのそれは言わずもがな。格好良すぎ。 あの曲線……! この多少安っぽいくらいの格好良さ、昔から変わってないよなー、こいつ。 桃色リンゴ丸登場、と来れば、またみんなで旅するシリーズものと相場は決まって いる。それさえも「いつもの展開」でありながら、気持ちは新鮮だ。 乗ってる連中もテンパンテマリ組を除くと常識のタガが外れた連中ばっかりで、 やれやれ、しょうがない、とやけっぱちな冒険をしてみたり。脳離崎で怨霊と 化した死者の魂を微笑ませ踊らせるヒデヨシのリズムにぞわぞわする。この作者は 「音楽」の力を心底信じているよな。いや、知っている、というべきか。 今巻ウゥ、とうならされたのはp158、ヒデヨシの何気ない台詞 「パンツにだって解けないんだぜ、鉄砂に解けるわけねーべよ」。この台詞を 最初に目にしたとき、何かしら弱ってた自分の心が決壊してしまって、しばらく 先を読むことができなかった。ヒデヨシにこんなこと言われたら、泣いちゃうよ。 「微笑みだけが通り抜けていく」というのも、ああ、全くその通りだ。 自分の胸を真に通り抜けるのは、相手の微笑みだけだ。 兎に角ノリが良い、としか言いようのない気持ちよさ。読むのが楽しくてならない。 今巻ベストショットはp50、温泉でグデグデになったヒデヨシ。あの顔! @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (04/06/23)
ますむら・ひろし「アタゴオルは猫の森 3」/メディアファクトリー/2001/12/31 「…生きてるってことは  365枚の記念日を見つけることなんだ……」 こういうの、ただ言葉だけ並べてみると、なんだか「安い」路上詩人のイラスト 箴言色紙みたいだけど、ますむらひろしの手から生まれるこれらの言葉には、その 「うさんくささ」が無い。無い、と感じる。それは多分そういう言葉に「うさん くささ」を感じる以前から、僕がこの作者の作品を読み続けてきたからかも 知れないけど。 「そんな脅し声であきらめるほど オレのヨダレは薄くはないぜい」 一体誰がカニの気持ちなんか想像するだろう。 そして、確かにカニ達は思っている、川辺の水面から、大空の雲の嶺を歩くことを、 それは真実の事だ、と、そう思えてしまう。思えてしまうのだ。 いや、もう、面白いんだからしょうがない、という感じ。 世界観も、キャラクターも、アイテムも、物語構成さえも、言ってしまえば殆ど 全てが既存・既知の「アタゴオル」部品で出来ているのに、読んでいて得られる 感動は、いつも強烈で、新しい。 同じ曲を同じ演奏家が演奏しても、その度に新しい、とかそういうのでも無い。 もっと、何て言うか、人が作り得る「作品」を超えたところに、この「アタゴオル」 は有る様な気がする。ここに描かれているのは、真実なのだ。「ほんとうのこと」 なのだ。上手く伝えられないけど、僕にとってあの世界は、あの世界として、 「ほんとうに」存在しているのだ。 個人的に今巻のベストは、巻末「嵐ノ中ニ居マス」。 冒頭、ヒデヨシに悪態をつきながらも、あの臭素のカタマリの様なマントを洗ってやる テマリ。その一見なんでもない「日常のこまごました優しさ」が、ちゃんとラストの 「なにげない毎日に埋もれて生きる我々、だが目をこらせば求める道は必ず見える」 という、静明なラストに見事につながっている。この自然さはもう「ほんとうのこと」 としか言いようがない。日常を生きることは、混沌の嵐の中に身を置くこと、だが、 僕らには「道」がある。日常のなか、見失っても、目をこらせば、きっと見える筈だ。 それを僕はほんとうのことだと信じる。そうでなくては! 「やめろーと言われてやめたことなし」 ヒデヨシとテンプラの出会いシーンとか、曖昧にしておきたいだろう「過去」さえも 固定してしまう。それさえも平気なのだ。今作者はノリにのっている。 そうそう、今巻より「Jaria」の時王が登場。ジャリはジャリでもクレバーな ”ジャリ”の魂と、全てを超越して欲望(主に胃袋)に素直な奴との対立は、今後 結構見物、かも知れないワ。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (04/06/23)
ますむら・ひろし「カリン島見聞記 上」/ポプラ社/2003/05/17 ますむら・ひろし「カリン島見聞記 下」/ポプラ社/2003/07/15 イラストと文で綴られた、知性あるペンギンの島、カリン島での物語。 昔MOEで「コミックエッセイ」として見かけた記憶があるが、初出は1984年から 「王様手帳」で連載されていたものらしい。 氏の文体というのは独特で、展開が全く読めない夢の様な感触がある。それが良い。 眠る前に少しずつ読みながら、数日間かけて読み終えた。 これは……!という話は無いけど、作者自身あとがきで語っている様に、一つ一つが 一本のマンガのプロットとも言えるもので、読んでいると、その行間にあの世界が 見えてくるのだった。ていうかその後似たような話描いてるしー。 ちょっとドギツイ所のある身体改変描写とか、曖昧で不気味な投げっぱなしオチ とか、やっぱ若いからかどことなく攻撃的で……とか書こうと思ったけど、今でも 充分ザクザク来てるしな……こういうのを描けてしまう、そのメンタリティの強靭さ。 そこに痺れる憧れる、って奴。つーか、「不良」だよなー。如何にも。 まあいわば「幻の作品」だった訳で(僕は存在さえうろ覚えだった)、それを こうしてまとめて読むことが出来るのは何より嬉しい。こうやってますむら氏の 文章を眺めるだけでも充分なのだ、けど。 今ますむら氏の「言葉」は毎日の様に氏のWebサイト「ごろなお通信」で読むことが 出来る訳で、うーん。Web日記の功罪ってあるよな、と思ってしまう。 それはそれでいいんだけどね。読んでて単純に楽しいし。 Webサイトから垣間見える作者の姿は熱くて、エネルギッシュだ。どんな 逆境も、苦労も、全てがネタ。全ての感情(特に怒り)がエネルギーとなっている。 動き続けて、吐き出し続けて、外へ外へと広がり続ける、それだけの「自力」を 持つ人なのだなあ、と思う。生まれつき身体が強い、とかそういうレベルで、強い。 確固とした、その揺らぎ無い「存在感」こそが、この作者の(或いは、ナゾノ・ ヒデヨシの)最大の魅力かも知れない。 ま、よーするにファンならどれ読んでも嬉しい訳で、これも買い、って事。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (03/10/26)
ますむら・ひろし「アタゴオルは猫の森 2」/メディアファクトリー/2001/04/01 面白い。近年のアタゴオルシリーズの単行本の中では、一、二を争う出来だと思う。 物語の出来栄えもそうだが、ヒトコマヒトコマの描き込みは、とても月刊連載とは 思えない美しさだ。 1巻の時も感じたんだけど、このシリーズで、作者は「原点回帰」を指向している 様に思える。嘗ての作品に出てきた台詞回しやキャラ、シチュエーションが次々に 現れる。だって糠野目博士にフーコちゃんだぜ。然し全く古臭さはない。 新しいファンには目新しいだろうし、オールドファンにはまた溜まらない懐かしさが あったりして。 「原点回帰」を感じるのはキャラや台詞だけじゃない。作品のトーン、全体を包む 雰囲気が、最初期のアタゴオルっぽいのだ。必要以上の説教臭さも、気になっていた 見開きでの盛り上げのわざとらしさも無い。 あ、でも最近のパターンであるところの見開きでの「絵」の美しさっていうのは 相変わらずあって、p24の森の墨の美しさ、p36の往年のノリを感じさせる楽しさ (ヒデ丸がちゃんとトンカチ持ってる!)、p148のブリューゲルの様な細々した 面白さなんか見てると、作者はいくら描き込んでも足りないみたいだ。 特にp116の森が一気に紅葉するシーンのあのゾクゾク感は格別。ここ何回見ても体が ぞわぞわする。なんかもう、絵が美しくてねえ。あとがきでは「カラーの方が」って 云う感想も有ったみたいだけど、これは白黒だからこその美しさだと思う。 p119で「導火線みたいに森を染めていく」描写の、黒い森に白く(紅葉した)燃え 上がった森が浮かび上がって、そのコントラストが逆に色を強く感じさせる。 で、これもオチは静かに終わる。これがいい。わざとらしくなくて、しっくり来る。 穏やかな「アタゴオル的日常」の風景がただ展開する。その素晴らしさ。 自然体の格好良さとでも言おうか。 でまあ。兎に角ヒデヨシがイイのよ。基本的にヒデヨシの魅力に尽きる。何かもう、 アイツが何かやる度に、胸の奥がざわざわと騒ぐよ。魂が熱くなる。こいつの、 この・・・圧倒的な「自信」。自信喪失気味の毎日を送っている僕にとって、p50の 「”素”が一番なのサ」は・・・何かもう心がビリビリ震えて。チクショウ!と 言う感じ。うまく言葉に出来ないけど、僕に足りないものが奴には有り余って 口からだらだらと溢れている。何せ、ラストページを見れば分かるが、ヒデヨシは 「不安」「自責」から最も遠い生物なのだ。 デタラメな生き様も相変わらずイイ。 p53「こんがりと焼き猫になってしまったのよォ」とか p133「出来たてのかまくらにーっ 爆弾投下」とかもーコイツ!みたいな。 あとp150で「鯨と船長」読んで貰ってるヒデヨシの幸せそうな事!そんでまた パンツがちゃんと読んでやるでしょ。ああいうのが、なんかたまらないんだ。 あ、パンツも妙に良い。あのダジャレセンスは結構好きだ。実際良く見ると コイツ何考えてんだ、みたいなところが結構あって、オモシロイ。 近年の、作者のソウルがそのまま紙の上で叫んでいる様な雰囲気の作品も決して 嫌いではない。これがこの作者の「現在」なのだろう、もう昔の作品みたいなのは 描かないかもしれない、でもそれはそれで・・・とか思ってて。 でも、この「猫の森」では、(少なくとも表面上は)そういうダイレクトな メッセージは無い様に思う。テーマを直接語るソウルフルな「ますむら・ひろし」が 好きな人も居ようし、その辺評価は人それぞれかとは思う。けど、僕はこういうのが 読みたかったのだ。こういうの、っていうのは、ええと、言葉にすると遠くなって しまうんだけど、「豊かな生活」って奴。生活そのものの豊かさ。なんか憧れるん。 こんな生活がしてみたい、と思う様な。つまり− 雨が降れば本を読み、晴れた日には森で古代遺跡の謎に頭を捻り、日が暮れれば 粉雪亭やオクワ酒屋で仲間とその日一日有ったことを話し合う。 夏の暑い日には蛇腹沼で泳ぎ、冬の冷える日には熱燗を啜りながら星を見上げる。 音楽を愛し、季節を味わい、過ぎ去った過去に思いを馳せる。 世界は解かれるのを待っている謎で満ちていて・・・ 彼等と初めて出会った時に感じた事を、今また感じる。 どうやったらこんな風に生きられるだろう? 以前、僕とテンプラの間に有る溝で何が一番大きいか、というのを考えた事があって 多分それは「しがらみ」の有無だろうな、と。 恐らくテンプラは誰の子供でも、誰の親でも無い。誰の部下でも誰の上司でもない。 誰の恋人でも誰の敵でもない。彼は、あまりにも他者との(感情上での)「絡み」 が無い。己が半身とも言えるヒデヨシとであってもだ。そしてそれに寂しさや、悲しさ を感じない。孤独であることが当然なのだ。それは、パンツやヒデヨシ、他のキャラも 皆そのように見える。それだけ「個」がしっかりしていて、だからこそ魅力的なのだ。 だが普通、人は「関係」の中でキャラクターを演じて生きているもので、だから僕は 彼等の様には成れない。従って・・・ ・・・所詮彼らの「生活」は虚構で現実生活で到達するのは無理なのか。 単なるファンタジーでしかないのか。 あー、そうだろうな。 ムリだよ。 でも憧れてしまうのよォ!・・・どこかにあの世界が有る気がするんだ。 所謂「心の持ちよう」で、ある程度までは近づけるんじゃないか、そんな気がする。 近づけたいと思う。 例えば、そうだな、毎日何かしら「謎」を解くとか、さ。 ・・・あー・・・うまくまとまらなかったけど、時間切れ。続きはまた今度。 テンプラになりたかったのだが、相変わらず見た目はヒデヨシの @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (01/04/11)
ますむら・ひろし「アタゴオルは猫の森 1」/メディアファクトリー/2000/12/01 「月刊コミックフラッパー」で連載されている「アタゴオル」の最新シリーズ。 といっても感触としては「最近のますむら・ひろし」タッチがそのまま続いている 感じ。ラビット・タウンとか読んでる様な気になる。 音楽あり謎解きあり植物ありバトルあり夕日あり切手あり、と相変わらず盛り沢山な 内容。バランスもイイ。 第1話のラストのテンプラの描写は、まるで20年前の「アタゴオル」の様だった。 この連載にかける作者の気分が見える様だ・・・然しつくづく「絵」そのものの 魅力の衰えない作家だと思う。デビュー当時からのあのギシギシと音のしそうな アミ部分のペンタッチや、絵画的なコントラストを感じさせる墨ベタの使い方、 そして何よりヒトコマヒトコマに描き込まれた草深い背景の情報量の多さと、その ヒトコマごとのイメージの鮮烈さ(一時は記号化気味な臭いがしてたんだけど、最近 また画面に鮮烈さが戻ってきた)なんかは、この作家の作品に対するスタンスが 今も昔も変わっていない事を強く意識させる。瑞々しい、のだ。今も尚。 実際この作者もいい歳なんだと思うんだけど、いつまでも「青年」のイメージがある。 ビートルズを愛し、現代社会を痛烈に批判し、ギリギリに研ぎ澄まされた作者独自の 世界での美学を追い続けている・・・そういう感じ。 そして何よりヒデヨシのあのパワー。あれだけの熱量を持つキャラクターを動かし 続けられると言うだけでも、この作者の内包するエネルギーは恐るべきものがある。 ・・・のだけど。 最近の氏の作品は、多少無理矢理オチに持って行き過ぎな気が・・・する。 最後の最後で兎に角オチ(教訓)を引っ張り出さないと気が済まない、という感じが して、どうにもムズムズする。いやまああのラスト近辺の見開き/大ゴマを描く ために便宜的にそういう「フレーズ」を引っ張り出しているだけだと言われて しまえばそれまで(例えば叫ぶために作られた楽曲で歌詞の意味を云々するのが 無意味な様に)なんだろうけど・・・この居心地の悪さは、どうにも。 初期のアタゴオルの持っていた、身も蓋もないオチとか、あっさりしたのが好きなん。 みんなで温泉に入って乾杯で終わっちゃうやつとか、ヒデヨシが酷い目にあって そのまま終わってるやつとか、もー投げっぱなしのやつが好きだ。 もっと軽く。教訓はたまに、でいい。そういう感じ。 それでもヒデヨシの(これだけ読んできて尚)想像を絶する無茶苦茶さ(或いは 格好良さ)には、思わず笑わされてしまうのだった。・・・結局好きなんです・・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (00/12/15)
ますむら・ひろし「ギルドマ」/朝日ソノラマ/1999/03/30 冒頭、いきなりタクマとギルバルスが登場したのには感動した。 特にギルバルスと出会うのは、何年ぶりになるだろうか。 然しそんな読者の感動をよそに、物語は冒頭から重苦しい空気に包まれている。 ここはギルドマ・ジャングル。 ヨネザアド/アタゴオルの世界の中でも、危険な森として語られ 描かれてきた場所だ。赤土人や恐竜が息づく闇の森。 タクマやギルバルスは最近この森で暮らしているようだ。 例によってタクマの顔を忘れているヒデヨシ。 彼がこの森に迷い込んで来て、植物女王ピレアの封印を解いてしまった事から ピレア対ギルバルス達の闘いが始まる。森の住民達、特に「自分がない」者達は ピレアの「規律」の下に次々と服従していく。あのタクマでさえが。 かつてピレアを封印したのは輝彦宮と言う者らしいのだが・・ まあ、何というか、既視感のある話では有った。 別の進化系を持つ植物の侵攻、というとどうしても「アタゴオル玉手箱」の 網樹のくだりを思い出してしまう・・・ 個人的には、観察者、網弦の造形が素晴らしかった。 見た目のインパクトがね・・・ ヒデコのなんとも言えない造形も、良かったなぁ・・・ 如何にもヒデヨシが好みそうなかわいらしさが有って。 「訴えたいこと」よりは、寧ろ作品そのものの「雰囲気」の方に ウェイトが有ったのかもなー・・・雰囲気は良かった。 でも、やっぱこの作家は、続き物の長編よりは中短編が好ましいなあとか思う @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/05/05)
ますむら・ひろし「アタゴオル2」株式会社スコラ/1996 ここんとこますむら本ラッシュで驚喜しているワタシですが これまた元祖のシリーズの、もう第2巻。 月刊誌連載と言うことで質の低下が懸念されていたのに、 そんな事は全然無いとゆー・・・・・もう独壇場。 相変わらずヒデヨシは馬鹿やってるし、ちゃんと事件は起こり、解決されるし、 うーむ。ワンパターンかも知れないけど、矢張りますむら世界は良い。 スミレ博士大活躍。いやはや全く・・・ 今巻の見所というかメインイベントは矢張り 「未来は砂でいっぱいか?(前後編)」でしょう。 久々にテマリちゃんの美声も聴けた事だし。彼女も相変わらずである。 ラスト(P207〜P208)の雰囲気には、久々に心が晴れわたる様な「広さ」 を感じた。楽観主義過ぎるような明るさが、しかしこの世界には似合いだ。 今の僕にも必要。 私たちの未来はーっ 砂だらけなんかじゃなーいーっ すぉーーーさっ 緑色の〜っ 希望の実でいっぱいなのよォ! ああ!ヒデヨシの声(泥沼の様な)がいっそ心地良い。 ヒデヨシと言えば家自分で焼いちゃって・・・大丈夫なのか? まー殆ど家には帰ってないみたいだからいいか。 月光を削る話も有る(月影にかき氷)。 丁度今夜は満月に近い月。明るい・・・この冷たい空気の中で 月光を感じていると、ますむら作品によく有る 「月光で冷やす」といった描写がリアルに感じられたりして。 矢張り(僕にとっては)アタゴオルってのは、心の故郷なんだなあとか。 なんか猫飼いたくなってきた。猫が秋口に死んでからどうも生活が乱れて・・ 冗談ではなく。本当に、猫にエサをやったりしていた頃はそれなりに リズムがあったのだけど。猫に逃避!も出来なくなったし。 最近よく、その死んだ猫の夢を見る。 いまだに夜起きていると猫の気配を感じたりする。 夜食をつくろーかなー・・と思ってごそごそやっていると、 奴が階段を降りてくる気配がする。 しかしもう奴はいないのだ。 なんかね。心のバランス猫に依存してたなんて情け無いが・・・ でもホラ、子猫の世話って大変やしぃ・・・ 楽しいけど。 ううむ。ちょっと考えてみるか・・・ 周りの承諾得ないとな・・・前の猫の死でダメージ受けたの僕だけじゃないし。 それでも。そんな気分。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
ますむら・ひろし「アタゴオル1」株式会社スコラ/1995 待ちに待った「アタゴオル」シリーズ最新刊。 バーガーで連載開始された時から毎月楽しみにして読んでましたが こうしてまとまってみると矢張り素晴らしい・・・ アタゴオルは既に僕の心の中に確固たる一領域を占めていて、 あの世界が脳の中にポンと有る訳ですか、そのお陰で僕にとっての僕の脳は 以前に比べ、とても居心地がよくなりました(まだまだ精進が足りませんが) さて 今巻ではやはり「神様、お願い!!(前後編)」でしょうか。 「アタゴオル」と「コスモス楽園記」の中間みたいな展開・・ でもちゃんとアタゴオルなのよね・・・ 伝言林からヒデヨシがニュースを持ってやってくる。 ミラフカバ、という絶滅寸前の動物が公開されると言う。 そのクラゲに似た生き物は、それを見る者に、その人(猫)が 最も逢いたいと願っている者の姿を見せてくれる。 その本能的行為の理由は後に明かされるのだが、ともかくそれを見る人(猫)達が 逢いたがっていた人達の姿に感動感涙する姿を見て、僕はしみじみ思いましたね。 僕には誰が見えるのか・・・・? 誰の姿に見えるのか? 答えはまだ出ない・・・ また、そのシーンで、この作品の主人公格であるテンプラ君には、何が見えたのか 不明なのですが、(彼はよくこういう扱いをされていますね。果たして・・・) ラストシーン、「本当は、何が欲しかったのですか?」という問いに答え切れて いない(と思われる)姿を見るにつけ、彼のキャラクターの深さを感じずには いられないです。 彼こそはヒデヨシの影、なのでは、と僕は思っているのですが。 そう単純な設定でも無いのでしょうか。 話の構成もしっかりしていて、とても面白くて、感動的でした。いやホント。 是非是非一読を!・・・とオススメしてみたい所なのですが。 「アタゴオル」って、初め誰にでもすすめられる、素晴らしい漫画だ!と 確信していたんですが、実際何人かにすすめてみた所、反応は「大好き」5割 「大嫌い」5割といった様な、極端な結果でした。 ますむら作品そのもの、ではなくて(現に「アンダルシア姫」なんかはウケがいい) 「アタゴオル」のみ、なのは、その個性故でしょうか・・・ 何にしても僕は既に、アタゴオルに、コスモス楽園記に、ペンギンに、 アンダルシア姫に、いや、もうどれも無くてはならない、もう あの世界を知らなかった頃の自分を思い出せない程、同化して しまいました。客観的には、作品を見えないのかもしれないです。 そんな僕にとって、今巻も色々と心に深く突き刺さる、というよりは 心にまた同化していく、素晴らしいソウルフルな作品でした。 やっぱり、とりあえず、オススメしておきます。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
ますむら・ひろし「アタゴオル玉手箱 9」偕成社/1996 ここ数カ月のますむらひろし本ラッシュは凄かった。 93年に出た「オーロラ放送局 下」以来、昨年5月の「アンダルシア姫1」まで 2年、新刊無しという状況(だった筈・・・)が、昨年7月の「アタゴオル 1」を 皮切りに、12月の「アタゴオル玉手箱 8」 同12月の「アタゴオル 2」 2月の「円棺惑星」、 3月の「アンダルシア姫」 同3月の「アタゴオル玉手箱 9」 と、もうファンは狂喜乱舞、いや乱舞はしないけど、の数カ月。 でも考えてみれば、再販等で常に店頭にはますむら漫画が並んでいた訳で 一見マイナー漫画家の様だけど実は売れっ子作家だったのネ、という。 で、その中でも真打ちの「アタゴオル」シリーズ最新作、「アタゴオル玉手箱」 の9巻がコレ。 のっけからヒデヨシ爆走。いや、笑った笑った。 「来るぞ来るぞ」と期待していると必ず出てきて馬鹿をやる。いいわ〜。 p11の馬鹿さ加減たるや!或いはp60の勢い余って窓に突っ込む姿の もう笑わせてくれる事! スミレ博士も止まらない。発掘と称して爆破!もーこの猫は・・・ 「それは隕石がコーヒーを飲みに来たのじゃーっ」って思いついたこと 口に出してるだけ・・・で、耳を塞ぐパンツがなんかいい・・・ うむ。いつもやってる事なんだけど、矢張りオカシイ。 「勝利の砂漠」のヒデヨシの姿、歴代の偉大な勝利者の姿を記録するこの砂漠に、 ウドンの喰い逃げするヒデヨシが・・・いや、その姿もこの場に相応しいだろう。 それだけの奴だもの。いや笑ったけど。 で、今巻の押しは「時の小箱」かしら。 ちょっと昔の「アタゴオル」の空気を思い出しました。ジルドルド王の造形が良い。 背中の月や重力箱のデザインなんかは、「コスモス楽園記」を彷彿とさせます。 あー、堪能。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
ますむら・ひろし「アタゴオル玉手箱 8」偕成社/1995 あああ!ちゃんとこっちのサイズで続刊してたのね!流石は偕成社。 ・・・と言おうか。ちゃんとやってくれるあたりもう感動すら覚える。 然も9巻が間もなく出るという。うおぉ。もうここ数カ月は ますむらファン、中でも「アタゴオル」ファンにはたまらないのだった。 この「玉手箱」シリーズは7巻まで随分とスペクタクルな連続モノで あったのが(氏の作品の内では「ジャングル・ブギ」並)今巻では 「いつも通り」であり、ホッとしたような、物足りないような・・・ 今巻はテンプラ氏がフィーチャーされているのに注目(重複)。 特に「脈を望む」の回、殆ど時間の流れのない筈のこのアタゴオルで 自分の感性の変化(劣化では無いと思う・・・)を感じる下り。 天文台長は言う。 「感覚は必ず歳月の中で滅びていく  そして再生はあり得ない  生きていくというのは  そういうことじゃないのかねえ」 この星を「循環」している途中の、「今のワタシ」。 その事を、水に感覚を同期させる事で確認しているテンプラ・・・ この感覚、たまらなく染みる。やっぱ好きだ。全きますむら世界。 あとは矢張り最後に収録されている「リボン」か。 夏の終わりのイメージ。セミ天定のオヤジもそろそろ店じまいの時期である。 その頃に輝く月の光! 「リボンをつけるためにこの世に来たんじゃない」 このいさぎよさというか、具体性が、僕がますむら作品を好きな理由なのかも。 わかりやすいからねぇ。皮肉とかでなく。美しい。 何にしても矢張りアタゴオル、である。この確固たるファンタジー世界観は ちょっと他に例を見ないのではないか。 ・・・このあとはバーガーで連載されている方だけど・・・ いや、でも、あっちはあっちで好き。うーん節操無い。 だって、アタゴオル、だものね。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
ますむらひろし「円棺惑星」朝日ソノラマ/1996 ・・・トコロで今思ったんですが、「ソノラマ」って何? 手元の「広辞苑」「イミダス」「ジーニアス」「新明解国語事典」には 載ってない・・だれかご存じでしたらご一報下さい。 さて。 ここの所のちょっと危ない程のますむら本ラッシュの、これがうち止めかしら、 という本の様ですね。随分薄い上にハードカバーとは・・ソノラマも相変わらず 何か勘違いしている。いつものことですけどね。 ますむらひろし作品はもっと気軽に、何度も読む本。こういう装丁よりはむしろ ソフトカバー(と言うのかしら)にすべきではないかと思うのですが・・ 内容は、「アンダルシア姫」系のちょっとダークな話。 ダーク且つ、作者のソウルが溢れているという・・・いつものアレですが。 キャラの造形は少し古い目を意識している様である。背景の都市も同様。 背景の都市、というのが、巨大構造体の様で、一見メカメカしいのだけど、 よく見るとアタゴオルの森とそう対して変わらないあたりがどうにもますむらである。 冒頭の「マネキン」は、嘗て2号くらいでつぶれた雑誌で出ていた様な気がするぞ。 立ち読みした記憶しかないから良く解らないですけど。 あれも仮にもシリーズだった訳で、単行本化しないものか・・・ 単行本と言えばZ会から出ている「夢見るラビット・タウン」はどーなったのか・・ 注文したのに来ないんですけど・・・再注文してみるか・・・ さて。 巻末の「KARA」は、この手のでは久々の傑作。 と言うか、デビュー当時の雰囲気を感じます。 自分を突き動かす原動力、或いは背負っている物、それに自分を吸われている人々・・ そしてそれから完全に自由な人々も・・・ ますむら作品には、その作品世界の中だけで通じる論理が有る様です。 それに触れると、現実世界は違って見えてくる。 実はまだ「アタゴオル玉手箱9」を買ってない @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
ますむら・ひろし「夢降るラビット・タウン 1」/増進会出版社/H2/12/1 ますむら・ひろし「夢降るラビット・タウン 2」/増進会出版社/H3/8/1 ますむら・ひろし「夢降るラビット・タウン 3」/増進会出版社/1995/6/1 イエッ ついに手に入レタのダよッ! ・・・いや作中のキャラのセリフ回しが気に入って島ッテ・・・ いかんいかん。 存在を知ってから1年・・・ だいたいZ会の本ってのは本屋には並びにくいんだよな・・・ 骨平太も言ってる。 「おめしま まだせで むーちゃす わいがった なっし」と。 さて。 そもそも「ラビット・タウン」と言えば ますむら・ひろし「ラビット・タウン」/朝日ソノラマ/S60/6/29 という単行本が有り、そこに収録された2話がモトモトの設定ではないかしら。 そう断定して以下話を進めます。 「アタゴオル」の再販版でチェックした時にも大概ヘンな作品だとは思ってましたが やっぱりヘン。でもいい・・・ 1巻前半は、この旧来のキャラクターで物語が進行する。 兎のポンペイとナデイラ山天文台職員辺太(ぺんた)君の探偵的物語。 謎の科学者勾玉博士の起こす事件を追いかける・・・というパターン。 現に1話では勾玉博士の髪型は旧作の如きサリーちゃんのパパ状態。 所が2話以降、博士はどんどん辺太達の側に近くなる。新たに霧吹という強欲オヤジを 出した事で、敵味方バランスが変わったのだな。 髪型もあっさりしてしまって、まるで別人の様だが、そのヘンなキャラクターに変 わりはない。多分この博士は作者の投影なのだろう。そう思える部分が其処此処に みられる。 このパターンで行くかと思いきや、途中でポンペイが博士の薬を盗み飲みして、 脳の未使用部分が活性化してしまい、その状態で「骨平太(コッペータ)」という 骸骨ロボット(後に自律型となる)を作ってしまう。(これは「コスモス」のブンタの パターン変形だよね)この骨平太というのがもう素晴らしいキャラクターで、彼の 登場によってこのマンガは一気に賑やかになる。 彼のセリフは(例によって)米沢地方の方言と、スペイン語のごった煮で、また 作者の作品に出てくる他の骸骨タイプのキャラクターがそうであるように、妙に 明るく、ラテンな熱い血を持っている。 旧作では探偵をやっていた夏美、このシリーズではバンドのボーカルをやってるが、 に、一目惚れしてしまい、以後彼の行動は全て夏美に気に入られんが為、となる。 何をやっても報われぬ愛。だがそれでもいいのだ。今夜も奴は夏美嬢の窓の下で 歌うのである。  「ふらめんこギターとオレの自主制作のノドで夏美さんの心をトンガラシ色に   焼きつくすノダ」 そんで丸太ぶつけられるの。それでもめげない。ああ・・・・ 合い言葉は「夏美さーん!ぽるはぼおる!!」だッ。 うむむ。時間から言えば、他の作品の骸骨キャラ・・アンダルシア姫の象子・・ よりも、彼の方が早いのかも知れない。どっちにしろ作者のスペインへの傾倒は こんな所(いやワタシが知らなかっただけですが)にも見事に反映されている・・・ 勿論作者一流の妙な事件や妙な機械、過去の記憶、遺跡、宇宙(メインキャラには 宇宙人まで登場する!)、何と言っても星、酒、歌、リズム、夏の日差し、冬の雪、 火山、トマト、きのこ、種、夢、化石、鉱石、資源保護、ジュース、月、宝探し、 富くじ、等々、が充満(そんな感じ)している。 3巻通して読んで、(骨平太の言動以外で)一番強烈だったのは2巻P125。 兎に角読んで貰うしかないが、暑い夏、泳いでいる者の意志によって動く水、 というのを勾玉博士が発明するのだけど、みんなの意志が一つのうねりとなっていく 描写が、もう何とも云えず素晴らしい。骨平太の「りふとおーふ」のかけ声で 空高く持ち上がる水のスピード感、壮快感、は、まるで自分がジェットコースターに のっているかの様な(たったヒトコマなのに!)快感を覚える。 このゾクゾク感!こういうのを感じたくて漫画を読んでる私・・・ 例えるなら(雰囲気は全然違うけど)妖怪ハンターの「ぱらいそさいくだ!」の シーンを初めて読んだときのあの感覚。センス・オブ・ワンダー・・・ ちなみにこの水の話はオチも大爆笑で(しょーがねぇなぁという笑い)傑作です。 ただ一つ。 私は納豆がいまひとつ・・この作品で、納豆嫌いは悪人、みたいな描かれ方が。 まぁ作者は北の地ヨネザアド出身の人間だし、そりゃ納豆好きが当然かもしん ないけど。ワタシは未だに「好き」じゃないです・・・ 食べられないわけじゃないですけど。 でもいいのさ。 うむむ。 「アタゴオル」がちょっとまだオシャレを気取っているとしたら、 この作品は本当に生活臭い、集団で生きる人間味のある作品ですね。 続刊が楽しみです。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
ますむら・ひろし「アンダルシア姫」3巻 学研/1996/5/1 完結の第3巻。 「世界は喰う者と喰われる者でできてる  ・・・・そして私の瞳は  喰われる者たちの瞳につながっている・・・」 見事だ。 ますむら漫画の一つの頂点であった。 世界観、象子(ゾッコ)やインカのデザイン、作品に流れるテーマ・・・ 文明化を無闇に否定する訳ではなくて、ただ その過程に流された「血」を忘れまいとする心・・・ 文明化によって大地と切り放されていく魂・・・ 勝利者だけが語れる「真実」。 人間の、誰もが持つマイナスな感情を浮き彫りにしながら、しかし少しも 嫌味ではない。声高に叫ぶのではなく、心に染み入るような語りかけ。 これを正面切って描ける作家がどれだけ居るだろう。 同情は、悪いものじゃない。 哀しみに同調出来る心は、持っていたい。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
ますむら・ひろし「アンダルシア姫 2」学研/1996 約一年ぶりの第2巻。 読んでて思ったのだけど、これは、「ますむら版ゲゲゲの鬼太郎」なのかも知れない。 いや何となくですが。 作者の持つ青林堂系の感性が、ここぞとばかりにスペインを激走する。 冷たい程乾燥した世界で展開するダークな物語。 しかしスペインという舞台設定(ますむら世界内での「スペイン」ではあるが)の 明るさが、例えば片目を失った主人公が、悲嘆に暮れるよりその状況に興味を示す、 と言った独特の感覚(シュール、というか)を生み出している。 このダークさが良い。舞台のハレーションを起こしそうな明るさと、見事な 対比、コントラストを成している。 ・・・しかしアンダルシア姫は可愛いぞ。 ますむらの描く少女は基本的に男性より上位の「しっかりした生活者」であるのが いつものパターンなのだけど、彼女は違う・・・ 特殊な力と超越した感覚を持っていながら、心はまた17歳にもならない少女の様だ。 その表情の細かさを見よ。いつも少し悲しげな眉と落ち着いた目! 可愛いと言えば美優(「ペンギン」シリーズ)ちゃんも可愛かったけど、あくまで 彼女は「ペンギンの中でアイドル化されている普通の女の子」だったから。 象子(ゾッコ)の時蔵に対する残酷なまでの態度もまたいい。解るよねぇ。 愛するご主人様が下品な(と彼は言う)日本人にメロメロ(死語)・・・ そりゃもう殺したくもなろう。その為にはご主人の敵の下僕にだって なってしまうこの想い!でも根がラテンで明るいから(骸骨だけど)憎めないのよね。 「アタゴオル」と「ペンギン」、それに「ラビット・タウン(まだ1/3が未読 ・・・しくしく)」の3大動物モノに加えて、この「アンダルシア姫」シリーズも また、外せないものと成ってきた感じ。 1巻と並んで置かれている本屋もある様なので、この機会にどうぞ。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
ますむら・ひろし「アンダルシア姫 1」学研850円/1995 やっと出た! 迷わず買いです。 LCミステリー掲載時から話題でもあったますむら期待の新シリーズ。 作品の雰囲気としては、「アタゴオル」よりもむしろ「ペンギン」の方に近い。 しかし。やはりますむらひろしは良い。 バーガーの方の連載も月刊連載とは思えぬ緻密さだし・・・ ファンにはたまりません。いやほんと。 まだ読んだ事の無い人は是非とも。 ではでは。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@

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