白炭屋カウンターへ

本棚・メインへ


芦奈野ひとし



芦奈野ひとし「ヨコハマ買い出し紀行14」/講談社/2006/05/23


p14,15,16の、夕闇へ去っていく車を見送って、さて、と気分を切り替えて、でも
一拍おく下りがとても好きだ。こういうの、ほんと、いい。


ああ、成る程、こういう終わり方かー。
正直、最後はもっともっと未来の話になってるんじゃ、とか思ってた
(今度のアフタヌーンに番外が出てるらしいけど、それは未読で)。
正直、もっと寂しい、耐えられない程の寂しさを感じるラストなのでは、という。
来ない客を待ち続けるアンドロイド、とか。

見て歩き喜ぶもの、人間の感覚で世界を感じて未来永劫生きて行く、人間の物語の
最期を看取って思い出を持っていく、そういう存在だと思う。
彼ら彼女ら、アンドロイド達は。

人間が為す術もなく滅びていく(出産率が激烈に低下してるとかそういう感じ)
中で、人間が、自分たちの「記録」だけじゃなく、もっと「心」の部分を未来に
残したいと思ったときに、彼女たち繊細な心をもつ、不死の存在が生み出された……
とかそういう。で、まあ、「人類の夜」の向こう側、そういう未来<ビジョン>が
語られるかも、とちょっと思ったんだけど、まあそういうことはなくて。

ラストの語りで見えるのは、この「てろてろの時間」は「つかの間」だったと
いうこと、そしてそれを振り返る「後の時代」があるということ。「のちに、」と
語りがある以上、この後また新たな文明(それが人類によって再興されたのか
アンドロイド達の引き継いだものなのかはわからないけど、「人の夜が」という
文言からは、人類はやはり程なく滅びたのだと思われる)の世代があって、
そこでこの時代を振り返るとき、アルファ達は口を開く、のか。

風化の過程、それがつまりこの作品の味わい、切ない味、って事だ。
人類は滅びるが、人間という種が持ち得た感性と記憶が、アンドロイドのなかで
生き続ける。だがそれもいずれは。


例によってこの漫画の完結に紐づけて自分の人生を振り返ってみたい、んだけど、
うーん、不思議なことに、この漫画に紐づけての思い出語りは特に出てこない。

とてもいい漫画だし影響はめちゃめちゃ受けてるけど、何だろう……うまく
言えないけど、「旬の風景」、今をもっと感じろ、今しか見えないモノを見て
記憶しておけ、的な事に、数年前はひどく共感していたものだけど、摩滅したのか、
年を取ったのか、今はそうでもないかんじだ。

身も心も出不精になってるのかも。見て歩かないと。動かないと。職場と家の
最短距離を往復してるだけの毎日は、味気ないぜ。感性を、感覚を、失った事共を、
少しずつでも再構築していかなくては。ホント、世の中の面白さなんてのは、
受取手の感性次第だ。鍛えよう。

何にせよ希有な漫画だった。こんなのんびりした漫画が商業的に成功するとは
正直最初信じられない感じもあった。でも気がつけば新巻が出るのを最も心待ちに
する作品になっていた。一時期の過剰なまでの思い入れこそ薄くなったけど、
最後まで楽しませてもらいました。

いや、なんつーか、ホント、いい漫画でした。ホントに。
@@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
(2006/06/06)

芦奈野ひとし「ヨコハマ買い出し紀行 10」/講談社/2003/03/20 アフタヌーン'02/01-11分を収録。 読みでがあって、美しい。 95話「緑」の、あの火花に鮮烈さを感じる。 時々ふっとその緑色の稲妻を見たくなる。そういう、言葉にならない「感覚」が、 リアルに伝わる。その「感覚」のとらえ方が良いのだ。 このマンガのこういうところが、本当に好きだ。 感覚と言えば、98話「飛ぶ者」の、子カマスのびちびちっぷりも素晴らしい。 あの重さ(軽さ)や外皮の固さ、が手に伝わる様な数コマに、こっちも思わず 「あううー」と身震いしてしまう。描こうとしているモノを、そのイメージ通りに 描けているのだろう、その画力にはつくづく感心させられる。この下り、カマス だけじゃなくて、マッキの仕草や表情も、なんか実にいいのだ。 あとホラ、93話でココネが聴いてるレコードの音の描写とかね。音とか 色とか味とか温度とか、そういうのがすごく練り込まれてる感じ。 ヒマワリの話も妙に好き。 ウチの田舎じゃお化けヒマワリのブームっていうのが時々来るんだけど (なんか思いついたようにコンテストとかやってる。カボチャとかも) 田舎の庭先に呆れる程でかいのが生えてて笑えるのだった。ライトアップは 考えつかなかったなー。今度機会があったらやってみよう。 タカヒロやマッキの成長を、或いはおじさんの皺を通して、時間は確実に流れて いる事を描いて見せる。ただ静かな生活描写マンガなら、ここまで意識的な 「経過」を描き込む必要は無いように思える。作者の意図はどこにあるのか。 どこに話は落ち着くのか。ロボットの悲哀、即ちmortalな人間との別れ、を 描くこともあるだろうか。 ……或いは作者も先の事までは計算していないのかもしれないなあとか思った。 時間が進む、というそれだけを約束事にしておいて、あとは作中キャラが動くが ままにさせているのかも。そういう自由さは感じる。設定を固く締めてない分、 物語に締め付けが無い、ってかんじ。 僕らにとっても、たった一つ、それだけは真実だ。時代が変わり、価値観が 変わった後も、時間だけは流れ続けている。それがあるからこそ、この物語は 嘘にならない、のかもしれない、とか。 元々最初から「流れた時間」を意識させる画面作りであり物語作りでありキャラ 造形でもあった訳で、まあ今更言う様なことじゃないんだけど。 素直に、この先が楽しみなのだった。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (03/10/30)
芦奈野ひとし「ヨコハマ買い出し紀行 9」/講談社/2002/03/22 マッキ(11)萌えー。 というのが実に偽らざる感想だったりするんだけど。 「流れる時間」を意識させる展開は、何処へ向かうのか。 旅から帰ってきた時の「ああ 今日は一キロも歩いてないんだなあ」とか そういう感触、上手いなーと思う。 或いは「本でわかることと現地で感じることは別モノ」とか。ああいうの。 あの「旅」で作者が何をしたかったのか、実はよく分からない。単に「間」を 開ける事でタカヒロやマッキの成長ぶりを強調したかっただけ、でも無かろう。 正直かなり食い足りない感じはする。もっとこの「黄昏の時代」を生きる各地の 風景を見せてくれても良かったのでは。関東圏だけじゃなくさ。 「本でわかることと……」の下りを語りきる事も無く。どう「違う」のか、と。 でもそれをこの「本」から「感じる」ことは当然出来ない訳で、だから 語られない、のだろう。この言葉を受けて、僕らは、いや僕は、「旅」を しなくてはいけない。と思う。 (観光して土産買って帰るだけの)「旅行」じゃなく、「旅」を。 アルファはロボットなのだ、という認識を読者に何度か呼び起こさせるのも、 この先の展開に何か関係が有るのかも。 「どこか感覚的なみんなを見てると  とてもハードな過程があったことはわかるわ」 ココネは「知ること」をやめないだろう。いずれ(この連載が続いていけば) 作者(達?)が用意した「設定」レイヤーまで降りていく事が有るかも。 それはそれで興味はあるし、読んでみたいと思う。思うけど、それとは別の、 「感覚的な」アルファの日常ももっと見てみたいとも思う。 時間は流れて止まらない。本当に、この作品は何処へ向かっているのだろう。 今巻は特に「語り」を入れたくなる様な所は無し。でもまー「雰囲気」はいつも 通りだから、その辺心配めさるな。つーか、誰も心配してねっか。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (02/03/26)
芦奈野ひとし「ヨコハマ買い出し紀行 8」/講談社/2001/02/22 「出稼ぎ紀行」とでも。アルファさんにはバックパッカー然とした一人旅が似合う。 行く先々でバイトをしながら、柿食ったり、男型のロボットの人に会ったり、 飛行機乗ったり、とうもろこし売ったり、栗食ったりの一年間。 たった一年、もう少し長い旅になるのかと思ったけど・・・でも、ロボットの人 (アンドロイドじゃないのか)であるアルファさんの外見は変化しないから 「たった一年」って感じだけど、タカヒロとマッキ(特にマッキ)の成長を見てると 一年という「出稼ぎ」期間は、決して短いものでは無かった事が分かる。 あるいは今月のおじさんの皺とかさ。一年って云うのは、そういう時間だ。 ・・・兎に角絵が上手い。カラーも相変わらず良かったけど、黒白もね。好きなのは 「焚火」の、焚き火の光の描写。描こうと思ったものを描けてしまう力が羨ましい。 こういうシーンを描きたいな、と思っても、描けないんだよ。特にこういう「光」 だけでしか表現できない様な絵はさ。元々常に光と影がある画風だったけど、これは 凄かった。何て云うか、映画見たい。フィルムに映った光が見えた。 以下適当に好きなシーンとか。 p15-17の、一人で知らない道を歩くときのあの感じ。あの寂しいというか、心細いと いうか、でも妙に澄み切った感じが、ひどく心にキた。最後にあんな感じを味わった のはいつだったろうか。子供の頃はよくああいう気持ちになったけど。 「谷の道」の、あの街路灯植物の描写なんかは、うわーSFだーとか思ったり。 然し矢張り今巻は76話「栗」だろう。(とワタシは思う) あのなんでもない通りすがりの二人。あのなんでもない瞬間。これなんだよ!! (興奮気味に)。これが「ヨコハマ」なんだよ!!あのp149で栗を「じー」と 見ているアルファさんのあの表情。あれが全て。好きすぎる。 絵もそうだけど内容も上手い。感性と画力、両方が高い所でクロスしてないと ここまでは行けない。・・・人として、このレベルに達してみたい。 何か、違う世界が見えてきそうだ。 こういう旅をしてみたい @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (01/04/11)
芦奈野ひとし「ヨコハマ買い出し紀行 7」/講談社/2000/02/23 絵の力(すいませんのっけから。今回かなり主観入ってて読み苦しいと思います)。 絵が兎に角素晴らしい。今回はもうそれに打たれっぱなしだった。 どこがどう変わったというのでは無いのだけど・・・ページをめくるたび、 絵を見るたびに、胸がどきどきする。背景も、キャラクターも、何もかもが 輝いて見える。こういうのってホントに久々。「ヨコハマ」では初めて。 多分あるレベルの完成度に達したのだろう。無駄がない。 ・・・物語が(この作品にしては)劇的な転換期を迎えた事でもあり、作者の 意識が変わったのだろうか。一体今まで自分は何を見ていたのかと思うくらいに 今回はこの作品の絵の力に圧倒されてしまった。 ここにあるのは最早単なるノスタルジィではない。 ・・・或いは有るのは「懐かしい未来」。この作品の本来立つべき所・・・ って何かい結局アレかい、SFだからってかい。いやそうなんですけどね。 アルファの感情の振幅が大きく深くなっていくにつれて、彼女自身を形作る描線や 彼女をとりまく世界そのものもまた、どんどん深みを増していく。今までの 「黄昏ていく世界」の記号としての穏やかな世界を越えて、「世界」そのものの 力を前面に押し出してきた様な・・・・うう、説明は難しいが、たとえばp89、 「紅の山」の扉のあの絵。あの絵よ。ああいう感じ。台風のあとの空気感とか。 あの髪の毛を吹き抜ける風の質感。 「紅の山」なんて、ただ雨が降って雷が鳴って雨が止むまでの話。それがこれだけの 力で迫る。絵に余程自信がなければこれは出来ない。それだけの力を自分に認めた からこそ「次の展開」が見えてきたのか。何にしてもたまらなくひかれる。 アルファそのものがより「魅力的な存在」として描かれ出している(様に思える) のも興味深い。先にココネで実現していたその「キャラクター造形の掘り下げ」が アルファにも移ったというか。一巻から読み返してみればそのキャラの移り変わりは そりゃまあ大きいんだけど、でもこの巻では、殆ど開き直った彼の如き「変化」が 彼女の上に起きている。P22で既にその走りは見えていて、タカヒロのあの表情は アルファの「魅力」を再発見した瞬間に他ならない。我々もまたタカヒロとともに 彼女を再発見する。 彼女は今やただほのぼのと客を待ち続けているだけのアンドロイドではない。 大体目に入った力が全然違う。以前のアルファの瞳と基本的な構造は同じなのに 今の彼女の目には明らかな「動こう」という意思の様なものが見える。以前は どこかしら受け身な感じを受けたけど(それは黄昏行く世界の有り様そのものでも あった)先生と話しているアルファの眼は、もう自分から動き出そうと している(様に見える)。平穏な毎日をただ過ごすのもそれはそれで彼女の生き方 だったのだろうが、今巻の眼には「動き」の予感が満ちている。 マンガってすごいなあと思うのはこういう時だ。物語の流れを、キャラや背景が 全体となって押し進めていく。黄昏に身を任せて静かに滅んでいくのがこの世界の 終焉かとも思ったけど・・・ 雑誌連載時にショックを受けたのは矢っ張り「藍色の瞳」の回で、この回に感じた 「違う」感触はこうして読むとちゃんと仕掛けられていたことがわかる。 「何かが変わろうとしている」という予感に満ちたものだった訳だ。 時間は止まらないのだ。たとえアンドロイド、もといロボットの上にあっても ただ、んん。 なんか可愛くなりすぎなんですよ。個人的には。こんなに可愛い顔になっちゃって どうしますか、という。アルファさん、ってもうちょっとこう・・でも、これは これで良いんだけど、うーん。いや、いいんだけどね・・・ 可愛いと言えば「青い服」も印象的だった。ココネの魅力満載。銃ひとつ、飯屋 ひとつで「この世界」の広がりを描いてみせる。こういうの一つ一つが世界の深みを ぐんと増していく。読者の食いつく余地がいくらでもある。兎に角巧い。 黒白なのに、彼女の姿が「色味の単純なこの街の中では特によく映える」のが見える。 そして、アルファは出掛けた訳だ。アルファは言う 「自分の場所は広くなるんだなあって・・・・」(p126) 人と出会うことで、出かけることで自分の世界は広がる。いくらでも広がる。 ワタシも動きたい、出掛けたい、とアルファの心に共振する者は多かろう それはそれが真実だからで・・・ 作者は我々をどこへ連れて行こうとしているのか。 我々はどこまで見ていけるんだろうか。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (00/02/28)
芦奈野ひとし「ヨコハマ買い出し紀行 6」/講談社/1999/02/23 む。丁度一年ぶりの新刊ですね。 初読時は、「やまのあな」が今巻最高の出来だ!とか思ってたんだけど・・ ・・何せあの「MIDWAY 峠之茶」屋のインパクトの強さは タダモノではなかったし・・でも、何度か繰り返して読んでいると (案の定)もうどれがどう、とは言えなくなってしまって。 どれもこれも本当に良く出来ていて、一つ一つがかけがえがない。 多分これは作者が自然体で描いているからなんだろうけど、 話の質に揺れがない。常に質が一定していて、よどみのない流れ。 兎に角「失望」させられる所がまるでない。 感性主体の漫画だけに、いつかは「アレ?ちょっと違うんじゃ?」ってのが 出て来るんじゃないかなぁ、と思ってるんだけど、今までの所は本当に 「期待通りで期待以上」なのだった。 今はただ、この作品世界の完成度に安心しきって身をまかせるのみ。 ・・・作者はどんな人間なんだろう、と考えることもある。 ただ、正直言うと、せめてこの「ヨコハマ」が完結するまでは あんまり(作者の人には)露出して欲しくないような気もするのだった。 作品と作者は別物だ、とは頭では解っていても・・・ ・・・コミッカーズとかで既に露出してたりして。うーん・・・ だいたいこの人、このシリーズ以外の作品ってどんなのが有るんだろう。 昔「逮捕」のムックか何かでちょこっと描いてるのみたことあるけど。 ・・と、まあ、それはまた。 さて今巻は−って以前の巻と比べても仕方ないんだけど、そうね、今巻は よりキャラ各自の掘り下げに作者の思いが入っている様な感じ。何と言っても ココネの曰く言いがたいキャラ造形の巧さには、ただただ感心してしまう。 巻末の「そんなココネと丸子であった」なんか見てると、これはもう所謂 「キャラが勝手に一人歩きしてる」状態なのだろうなあと。 54話「武蔵野通信」でのココネの描写の素晴らしさ。 ニコ目で、頭のてっぺんから「〜」って湯気見たいのが出てる。これよ、これ。 この湯気見たいのの表現が好きでさー・・。 オチの効き具合も見事で、「ああ、ココネってば!」という辺りはホントに巧い。 今巻は、今までとは少し違って、それ程過去属性に引っ張られては居ない感じ。 オモイデの話よりも、今の、あるいはこれからを思わせる(それでいて ノスタルジィを誘う)話が多く見える。アルファとココネの関係もそうだけど、 何と言ってもタカヒロとマッキの「わかいふたり」を主軸においた話が 幾つか有って。・・・いや、マッキはイイよ、と。 特にP34の「声がちがうぞてめー」「ことばづかいちがうぞてめ〜」は最高。 何つーか、その気持ち解りすぎると言うか。 で、そう言う中での傑作、第50話「水の時計」。これが良かった。 P96の、タカヒロの「さらば少年の日よ」的シーンの巧さ。2コマ目のアルファの 何とも言えない表情(結構描線に気を遣って描かれている)、セリフの持って いきかたの巧さ・・・・独特の緊張感というか・・・斯う言うのって、言葉で何て 表現したら良いんだろう・・・ 「時間の流れは  みんなに  1個ずつあって  とまらない。」 この切なさよ。これがノスタルジィだ。郷愁感って奴だ。これでこそ「ヨコハマ」。 事実上、これがこの巻の最高の一編と言うことになるのではないか(・・先生の マーク、の話も捨てがたいけどね。女子高生だし)。 時間は不可逆で、とりかえしがつかない。アルファは−そうだ、マッキとの 会話の中で、アルファは「同じ時間を生きられないかも知れない」と語っている。 ”時の流れを旅する女”ってメーテルかい。 ・・・アルファは「そういう」存在なのか・・・今月のアフタヌーンでの ワッハマンの最終回が結構尾を引いてるかな・・・ とか、まぁ、SF者的な解釈も入れつつ。さてまた次巻まで一年。 ではでは。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/03/17) ■おまけ。 ・木戸氏による先輩のバイク予想/後輪サス付き模写とか
芦奈野ひとし「ヨコハマ買い出し紀行 5」/講談社/1998/02/23 何が、と問われると上手く説明できないのだけど、この5巻は 今までの巻の中でも(今のところ)最高の出来だと思う。 何が違うのか・・・ アルファさんと我々読者との距離が近付いた気がする。 彼女の笑い、彼女の独白、仕草、諸々。 より「身近」になった感じ。その体重を感じる。 彼女の「魅力」が質量を持ってくる・・・・ 「ココネの家ってのはココね!」 当て所もなく友達の家を泊まり歩いた旅を思い出す。 作品世界は、今や開き直った彼の如く 「思いで」で埋め尽くされている。 個人のそれもあれば、民族としての思い出も。 見も知らぬ一個人が描いた虚構、ましてや未来の風景に、 どうして此処まで胸が締め付けられるのか。 この感覚は間違いなくアレだ。「ノスタルジィ」だ。 時代設定も、風景も、物語も、全てに過去の匂いがする。 いや、本当は、この現実世界だってそうだ。 過去を持たないものなど無い。 ただその視点を忘れてしまうだけで。 この作品では、作者の目を通して、その 「過去を持つ世界」が描き出されている。 草木一本に至るまで、線の一つ一つに、 時間が付加されている感じ。 どうやってそれを紙の上に定着させ、またどうやって 読者がそれを再生させるのか、そのメカニズムは不明だが そう言えば、映画にも、そういう画ばかり撮る人は居る。 おなじ風景でも、その人のファインダーを通すと、 「時間」が付加されてしまう様な・・・ 要するに「泣ける」画面。 泣かされる原因は、ノスタルジイと、「人」の情動。 情動そのものも、考えてみると懐かしい。 最後に涙を流して「本当に」泣いたのはいつのことだったろう。 ・・・この作品から受ける感動は、子供の頃の記憶と 密接な繋がりが有る様に思う。 そう言う意味で圧倒的だったのは(誰もが認めて居るであろうが) 第38話「海の河」のあのアルファさんの心。 言葉はないが、伝わるものは余り有る。 背筋を走るセンス・オブ・ワンダーの感覚。 背景の朝焼けの空、その光の加減・・・・脳に染み込む。 ああ、そうか、この懐かしさはこの光の傾き加減にあるのだ、と 今漸く気付く。 然し結局、人間の、自分自身の人生に対する価値基準てのは、 「思いで」の量なんじゃないかしらね。 沢山の思い出が有ったはずなのに、いつかのアルファさんの様に 時と共にだんだんと忘れていってしまう。 思い出せない、と言うより 思い出として思い出さない事共の多さよ。 作品の概要だけを捉えて客観的に考えれば、余りにノスタルジィに浸り 思い出の中だけで生きて居るかの如き黄昏の作品世界。安定は死と同じ。 明日への希望も、発展の夢も、宇宙への腕も、全て捨て去った 人間社会のオモイデだけの世界。 この作品世界で、(子供達を除く)人々は オモイデを作り、また再生するために生きている。 (今とそんなに変わらないか。別に。) ・・・等と批判的に見ても、矢っ張り抗い難い魅力。 正直、「この世界」に住めるなら、今の生活の全てなど 直ぐさま捨て去ってもイイと思える。 この世界が「真実」で、僕等の生きているこの空間こそは 仮想空間なのではないかしら。 結局、僕等は−少なくとも僕は、ノスタルジィを最高の嗜好としている訳で。 決して還る事の無い時間。切ない空気。 アルファさんの「一眼カメラ」は、全くそういうものだ。還らないからこそ切ない。 どんなに知力を注いでも巻き戻すことの出来ない「時間」。 思うに、「自分で」経験して、自分で時間を越えて行かなければ この世界には住めないのだ。直ぐさま、とは行かない。 それは、写真やフィルムや音楽や本や、そう言った時間のパッケージが 時間と共に輝きを増すのと同じ事で。 この世界に住むために、今見ておくべき風景を今見ておく。 それでも、どういう経験をして、どういう風景を見れば こんな世界が構築できるのだろう、と思う。 これだけの世界を安定して描くと言うことは、その水面下には もっと広大な世界が広がっているわけで・・・ 「感性」の容量が圧倒的にでかいのだな。そう言う感じ。 その上での余裕が作品を潤している。でなければ、 こんな作品月刊連載出来ないよ。経験や思考で生み出せるものじゃない。 ・・・ああ。駄目だ。全然文章になってない。ゴメンナサイ。 感想を書く、てのが作品のニュアンスを文字で再構築することだとしたら この作品の場合、僕に(いや他の誰にだって)それが出来るはずはない。 背景も、道具も、台詞の一つ一つも、描かれたもの全てに意味がある。 それを再構築など出来ようか。 何万語を連ねたところで、ヒトコマの魅力を語ることさえ出来ない・・・ 僕に出来ることと云えば、ただこの作品を紹介することくらいで。 オススメです。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (98/03/03)
芦奈野ひとし「ヨコハマ買い出し紀行 4」/講談社/1997/3/21 これも淡々と続く作品だ。 少〜しずつ新しいキャラや新しい設定があらわれるものの、 基本的なトーンは変わらない。基本的なトーンを変えないままテンションを 保ち続けるこの巧さ。 少しずつ、少しずつ、流れていく日々。時間が流れる速度が、今の慌ただしく、 忙しさにかまける毎日とは、根本的に別物であるのを、肌で感じる。 単なるノスタルジィ、か。失ったもの、失われて行くもの− こういう漫画を読んでいると、一体自分は毎日毎日脳をすり減らし 感性を摩滅させて何をやっているのだ、と絶望的な気分になる。 「夢はあれから何処へ行ったのか」新・天地のOPが頭の中をリフレインし続ける。 今の仕事がどう、と言うのではなく、今あくせく仕事をして生きる事、そのものが 哀しいのかも知れない。哀しいと言うよりは寂しい。その寂寥感がしかし 素晴らしく胸に沁みるのだが。 そう言うわけで、漫画としては相変わらず私の快感中枢直撃!なセンスで、 ただただ好ましい。 最近は本を読むときに出来るだけ「教訓」を見出さずに読もうとしている 私と呼応するかの様な、教訓性の薄い純粋な「物語」。−SF、だ。 第26話「青のM1」(p37-)などは「歌う船」というか何というか、もう 何ともSF者のツボを押してくる。涙。 青空、成層圏のあの青さ、がここまで美しい漫画を、僕は他に知らない。 それに対する29話「ひなた」(p77)は非SFフナムシ系縁側漫画としては 世界最高の作品だ(ってそんなのそう数は無いだろうけど)。これも好き。 こういうの、を商業的に描ききれる力量(確固とした作家性)を持つ作家は 本当に少ない。 この作品の持つ一つのテーマ(ああ、直ぐにテーマとか探すなあ。悪癖)、 「思い出」である所の28話「縁」(P61)も、良い。こうやって、「今」を 外堀から埋めていくってのも、やろうと思えば(この作品の場合)無限に可能。 その無限の中から、「こういう」データ取りの風景、オモイデの 時間の一瞬を切り出して見せるこのセンス。 強く心を揺さぶられるわけでは無いのだけれど、そうした 「漫画の中のシーン」が自分の中に経験値として溜まっていくのを 感じる。いつかどこかで、思い出す予感。遠い未来。 アルファさんのキャラはますます良くなっていく。ココネを前にした時の態度 (海でのそれとか)、タカヒロと風呂に入ってしまうときの、勢いから出た 「ハダカのつきあい」な発言、いろんなシーンでの彼女の行動は、 決して奇異では無いのだけど、ちゃんと「彼女の性格」がその場その場で 判断を下している様に見えるのだ−ううむ、巧く言えないな、 つまり・・・被造物としての彼女がそこに居る、というリアルさを 感じさせてくれる、と。 彼女がキカイだ、ということ、或いは作者が生み出した被造物、虚構の中の 何かだ、と言うことを常に意識下から呼び起こすような、そういう仕掛け、 を感じる。それが、「アルファさんがそこにいること」をよりリアルに してるのだ・・・考えすぎだな。アルファさん、という人格(?)が、そこに あって、リアルに息づいている様な−−上手く言えないけど−−感じ。 他のキャラも同様。アヤセやおっちゃんやタカヒロやマッキや・・ 彼らの呼吸をもっと感じたい。もっといろんな話を読んでみたい。 もっといろんな風景を見てみたい。 いいオリジナル作品ってのは、そういうもんだろう。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
芦奈野ひとし「ヨコハマ買い出し紀行 3」/講談社/1996/7/23 もう3巻。 早いぞ。相変わらず薄いけど。 「いつも」のヨコハマ。だがその「いつも」が尋常じゃないから・・・ 前巻の時に、「ただ続く日々。生きるために生きている素直さ。」 とか書きましたが、今巻あたりから、なんだかゆっくりですが確実に時間が 流れ出しているように感じます。キャラクターが増え、人間関係が新たに生まれる、 という事は、つまりそういう事なのね。 とどまる者と旅する者。人と人のつながり・・ アヤセやおっちゃんの喋り(「あんだえー」とか)ってのは、実在する方言 なんでしょうか。いや、ありそうなんですけどね。ああいう喋りをする人が居るなら その声を聞いてみたいじゃないですか。なんとなく。 方言というのは大抵耳障り(と感じる=それが味わい深い)な部分があるもんですが 彼等の言葉はそれがない。あまりに自然な言葉。なんか悔しいな・・・ 「個人的イベント」という言葉も好き。 今一つ世界観にそぐわない響きだけど、この世界にはもう「個人的イベント」 (=オモイデ)しか許されないのかもしれないしさ。黄昏の、世界。 アヤセの個人的イベント、ターポンが空を行く、的な話は、SF者ならだれでも 一度は考えるのではないかしら。 ワタシも昔そういう漫画を(下手同人レベルの話)で描いたし。 アルファさんの個人的イベントでは、彼女の記憶が過去の部分がなんとなく曖昧に なっていることに言及がいく。ってべつに彼女の記憶装置の容量不足、とかそういう のじゃなくて、ニンゲンとしてのワタシもそういう事の方が多いのよ。 自然に忘れる。多分ここだったと思う。でも・・・この世界は日々姿を変えている。 草木の伸張、海面の上昇、人の住まぬ町の廃虚化。 それでも、ああ、やっぱりここだった、昔ここの風景を見たことがある、今は 違ってしまったけど、確かに面影がある・・・という様なシーンで、やっぱり アルファさんの用にワタシも「気持ちが高ぶって」しまうだろう、と、そう思うのさ。 そういうのって、ありますよね。 まぁしかし、どのページをとっても見事な画面。漫画、というのはこんなのもアリ、 なんだという可能性の一つの形。(ってこの言い方は・・イヤイヤ) なんかこう、「ヒトコマ描いてみて、ペン入れしてみて、次のコマを描く」と、 こんな風になるんじゃないか、というくらいに自然な空気。巧まないが魅力的な構成。 作者の脳内世界の広さを感じさせる。 うむむ・・何とも形容できない作品。「〜のような」「〜系」と分類不能。ただ今以降 「ヨコハマ」のエピゴーネンが生まれる可能性は有ると思う。でも、このテの作品が 商業的に成功する可能性は万に一つ。この作者は、まさにその「万に一つ」を成し 遂げているのよね。 2色ページの泣きたいくらいの美しさ(カラーよりウレシイ)や、あの「お魚」の デザイン・・・とても好きです。あのアルファさんの魚へのこだわりも好き。 P123でミサゴが抱えてる魚、P28で空を行く魚、あの独特のデザインがシビレます。 木のボード買ってきてああいうの作ってみようかなぁ。 まー、出来れば「このまま」えんえんと続いて貰いたいものです。 「自分の周りに、こんなに「見るべき風景」が隠されていたとは・・。」 そういう静かな感動で、読者を魅了し続けて欲しいです。 これもまた、センス・オブ・ワンダー。 ですよね。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
芦奈野ひとし「ヨコハマ買い出し紀行 2」講談社/1996 もう2巻で・・・なんか薄くないですか。いやいいですけど。 相変わらずいいですね。ただ続く日々。生きるために生きている素直さ。 余りにノスタルジックではありますが、それでも個が個であれるだけの 自由は存在しているという・・。 カバー折り返しの作者の言葉、 「 この場所は、そこに行ってみると拍子ぬけするほどありふれた、そこら中に  あるような所です。」 が語っている様に、そこら中にある風景、その中にある感動をを切り出して 見せてくれるその感性と画力は、初めてこの作品を読んだときの「パチもんくせぇ」 という印象をすっかり塗り替えてしまいました。1巻の時はアタマから 「鶴田のエピゴーネン」て決めつけてましたからねぇ。馬鹿丸だし。 で、矢張りこの巻の目玉は「砂の道」ですね。これで一段落つけたかったというのも よく解ります。平日の昼間の山道。その静けさ。空気が見事に描かれています。 単にノスタルジィに浸るのではなく、そこに生まれるナマな感覚を描き出す。 「−−  先輩  俺達くらいじゃ  ないすかね  いまどき  ブラブラしてんの  こんなとこで」 旬の景色、は今もどこかに存在している筈なんですよね。 ただ、今僕が生きている世界には(特に田舎には)現在の時間とは別の時間を持った 風景が多すぎて。50年は変わっていないであろう大方の風景に、しかし確かに 変化は起きているのですが。それは喪失ではなくて・・・ それに気づけるか、気づかないで通り過ぎてしまうか・・・メディアを通して 与えられた価値しか信じられない様なワタシ(自分の価値観まるでナシ)ですが だからこそ「先輩」の言う 「本とかでわかることでも   現場で感じるのと全然ちがう  目の前のモノちゃんと見て・・・・・」 が染みます。 現実の風景をちゃんとした現実として捉えられなくなって随分経ちますが、 こういう作品は、かつての自分の素直な感覚を思い出させてくれる様で、好きです。 ところで。 最近これ読んだおかげで、 「この辺は水面下かな〜」とかそういう目で地形を見てしまいます。 現実には(まだ)あり得ざる景色を見て楽しむ・・・ そういうのって、ありません? ないか。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
芦奈野ひとし「ヨコハマ買い出し紀行 1」講談社/1995 先の「ジャパンダ」で鶴田氏の作品が気に入った、と言ったら 某氏が「ヨコハマ買い出し紀行もいいぜ」というので アフタヌーンで読んでみた。読んでみたらわりと良さげなので単行本購入。 なんともアフタヌーン風味な作品ですね。あの雑誌ならでは、というか、 以前はこういうの出せなかったですよねぇ。 何とも形容し難い作品・・・ 確かに設定に破綻は見られるし、主人公のアルさんはロボットはロボットでも チャペックの言った広義でのソレとして捕らえていくべきだと思うけど 怪我した時の治療のシーンなんかどーみてもシロマサ(コーカク)だし。 いやまー今やアンドロイドな描写はシロマサが全てに於いて先導してると思うですが それにしても影響は大きいのネ。 設定の破綻、というか初期設定が甘いのだわ。でもそれを補って余る魅力。 水没していく首都圏。 静かに黄昏ていく時代・・・ 画風と作風が見事に一致して恐るべき効果を上げてる。 確かに鶴田のエピゴーネンというか、似すぎであるとも思うのですが 鶴田絵ではパワーが有りすぎて、駄目な所も有るでしょ? このひたひた寄せる夕凪の時代を描くには、これしかない、という絵柄だと思う・・ 熱狂的に愛したい作品じゃないけど でも好き。嫌いじゃないです。 漫画としては弱いと思うですよ。何も起こらないし、何も変わらない。 それを退屈にいってしまう直前で切り返している・・・ 結局 SFなのよ。 文系の発想による、SF。 ホラ、やっぱSFはいいでしょ。 バビロンプロジェクトは必須? @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@

白炭屋カウンターへ

本棚・メインへ inserted by FC2 system