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椎名誠

Shiina Makoto


椎名誠「白い手」/集英社/1992/06/25

小学校5年生から6年生にかけての、「男子」の生き様。

ここに描かれているのは、まだ家にテレビが無い、でもそろそろ近所の家には
テレビが入ってくる、そんな時代の小学生の日常、その記憶。

でも、僕が小学生の頃、既にテレビもビデオもファミコンもあったけど、
だいたいこんな感じだったよ。

佐藤さとるの「わんぱく天国」にまで戻ると流石に昔過ぎて感情移入がし難いん
だけど、これなら大丈夫。


今から思えば永遠とも思えるほど長かった「放課後」の「午後」の時間。
この小説はあの空気をまざまざと蘇らせてくれた。

子供の視点、子供の感性のままに書かれている様でもあり、ずっと後になって
思い出を語っているようでもある。どちらでもあり、どちらでもない。

大人の作ったルールの中で、何かしらめんどくせえなあ、と思いながらも
運動会や学芸会の練習をしてみたり、そこで同級生の女子に憧れてみたり。
心のどこかで空疎な気持ちを感じながらも遊びに熱中していたり。

そういう記憶が、あの頃過ごしていた風景と一緒になってじわじわと
蘇ってきた。懐かしさというよりも、物珍しい様な感触。忘れてはいない。
思い出さないだけで。自分もそうだった。思い出そうと思えば結構思い出せる。
日記はつけていなかったから、明確にいつとは思い出せないけど。

なんでもない、なんでもない毎日の記憶。
小学校5年の頃、毎日どんな風にすごしてた?


運動会の練習、だいぶんやったよなー。運動場の感触とか、秋空の感じとか、
色々と思い出してしまう。

秋だしなー。色々と、物思うぜ。追憶は罪もなく。ただ甘美なり。
@@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
(2006/09/20)

椎名誠「みるなの木」/早川書房/1996/12/31 椎名誠によるSF短編集。 椎名SFの神髄を「武装島田倉庫」に見るとすれば、これはその作品世界を 緩やかに広げた作品集と云うことになる。此の本に収められている中で 「武装島田倉庫」の世界観を受け継いでいるのは 「みるなの木」「赤腹のむし」「南天爆裂サーカス団」「海月狩り」 「混沌(さんずいの代わりに食編を)商売」(「管水母」もそうかも) などで、例によって奇態なネーミングで埋め尽くされた、然し、妙に馴染ましい あの世界が展開される。酒に酔うたアタマで読むと最高。これ以上のものはない。 この他には、「幽霊」「巣」「突進」「聞き書き 巷の達人」「出歯出羽虫」 などの(作者によれば)「フツーの世界のヘンテコ話」が入っている。 「本書はそうしたきわめて個人的なヘンテコ空間に棲むヘンテコ小説を集めた  二年ぶりの超常小説集である」(あとがきより)。 前も思ったけどこの作者の自己作品に対する分析の客観的且つ的確な事には感心する。 後者の方は何だか懐かしい感触。これが、というか、これも、SFだったのだ。 中後期筒井康隆の、静かに発狂していくあの空気と同じモノがここにはある。 しっとりと、ぐずぐずと崩れていく世界。ブラウン的に「オチ」を探し求める事も なく、ただ一方的に崩れていくのみ。オチはない。読者の脳内地平を、どこか 別の空間にぐんと広げて、広げたまま終わっていく。身体にはその「ぐん」と 空間が広がったときの加速感が暫く残っていて、作品世界のさらに奥へと心が 暫く留まってしまう。そういう感じ。 以下印象に残った作品をつらつらと。 「対岸の繁栄」での、河原から対岸の群層都市・綺羅禁城を眺めるシーンの美しさ。 沈む夕日が超高層ビル群を照らし出す。川の風が心地良い。 「南天爆裂サーカス団」のあのラストシーンの、言葉に出来ようもない感触。 サーカス最後の日、サーカスが終わったテントを抜け、何となく現実に帰ってきた 少年の目に、油雲の切れ間から覗く星が映る。この畳み掛ける清涼感。子供の頃 感じた「夜」のイデアの様なものがここにはあった。生まれてこの方空がずっと 曇っていて星なんか見たことが無い、という少年が星空を見てしまった瞬間、どんな 感動があるだろう。夜来る、じゃないけど、そういう想像力が刺激される。 「海月狩り」の草海はまるでハイペリオンのそれだ。淡々と、あたりまえの事の 様に、或いはドキュメントの様に異世界の風景が描かれていく。全てに触感があり、 リアルだ。作品世界観光というSFの醍醐味を存分に味わえる。オチらしいオチが 全くないまま、全く途中のシーンでぷつりと終わるラストも気持ち良い。嵐の 過ぎ去るのを草の海の底で待っている男達の姿は、永く読者の脳を去らないだろう。 良く計算された作品。 ・・・作品世界に耽溺する心地よさを久しぶりに思い出させて呉れた。 その意味では、この作品集では矢張り「島田倉庫」系の文章が好ましいと思える。 文章そのものは通常の日本語でありながら、語られる名詞は異世界のもの。 それでも字面から何となく意味は読みとれるから、一行一行が読者の想像力を 喚起する。没入度も自然と上がるというもの。 こういう世界に身を置いて、もの凄く落ち着く自分を感じる。 SFの血が安息を求めるのか。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (01/03/30)
椎名誠「武装島田倉庫」/新潮社/1993/11/25(初1990/12) 実は未読でした。 やー、こんなにも「SFらしいSF」が未読のまま存在してくれていたことに (誰にとは無く)感謝してしまうですよ。あまりにもSF。恐ろしいほどSF。 何て言ったら良いのか・・・僕がSFに目覚めた頃に嗅いだ臭いがするん。 あの頃に出会った作品達と同じ臭い。筒井や吾妻ひでおの。 読み終わるのが勿体なくてねえ、もー少しずつ少しずつ読んだよ。SFらしい、と いうか、日本SFらしい、という。 最終戦争後とおぼしき灰色の世界。この世界の空気が何とも言えず気持ち良い。 気持ち良い、と言っていいのか・・・兎に角魅力的なのだ。作者本人の言葉を 借りれば、「泥濘化し、風化歪曲したこのあやしげな世界」であり、且つ 「ノスタルジックな混沌世界」を、読者は旅する事になる。 海はそこから燃料が作れる程の油に覆われていて、ねっとりと波打っている。 道路は寸断され、海から取られたらしいフーゼル油を燃料に走る巨大な貨物車が 何とか流通を保っているものの、盗賊に襲われたりしてそのラインも途切れがち。 嘗ての都市は廃墟となり、生き残った人間達やアンドロイドやミュータントが そういう世界の中で「生活」している。この生活感が凄い。 世界を構成するパーツの一つ一つが、少しずつねじくれて、然しディティール 細かに描写される。名詞ひとつにしても、そのねじくれ加減が見事で、その 名前の向こうに「今とは異なる世界」の確かな手触りを感じることが出来る。 曰く「尻拭湖」「魚乱魚歯(かみつきうお)」「よみづれうた」「敷き藁饅頭」 「三足踊豆(水にふやかしたりしてうまく育てると茶碗の中で虫みたいに)」 「引腹通運」「蟹割街道」「泥濘湾」「詰腹岬」「切屑大橋」「漬汁屋」「火壺師」 「ザンバニ船」「骨裂港」「招魂酒(ふぬけ)」「しゃれ傘」「砂頭巾」「知り玉」 「浅沼ドクタラシ」「平壁海鼠(めらなまこ)」「汚濁水貝(よごれみみ)」 「モロテガラミ」「ヒラヌルトゲトゲ藻」「ニンバオカボ」「ニゴリドロハキウオ」 「キンシャギンシャの布」「回転鉄嘴のついたヤブツキ」・・・・これらはホンの 一部だ。幾ら拾い出しても切りがない。これら皮膚感覚をぺたぺたと刺激する 言葉達によって作り上げられた、澱んだ世界観。一つ一つのディティールが積み 重なり、その背後にある灰色の世界を強烈に感じさせてくれる。 そしてまたこの世界に住む人達の独特の行動様式にも惹かれる。諦めというのでも ない、しかしひどく諦めに近い感覚で現実を受け入れ現実を生きている人々の姿。 島田倉庫の面々の、「自分の世界」を持った男達の描写。泥濘湾連絡船で、冒頭に やってきた老人と若者が漸く現れる様な下り。耳切団潜伏峠の運転手の存在感(あの 貨物車の操縦方法を説明する下りは実にSF的魅力に溢れている)。 それぞれにそれぞれの人生を感じさせる。 これぞSOW。これぞ日本SF。作品世界観光の魅力ここに極まれり・・・!という 様な事を「アド・バード」を読んだときにも感じたのだけれど、こっちの方が寧ろ 「そういう嗜好」に深く踏み込んでいる気がする。ああ、この感動・・・でも無いな この妙な「充足感」を何と表現したら良いだろう。こういうのを長いこと読んで 無かったなあ、ああ、やっぱりアンチユートピアは良いなあ、というか。 ホント、読み終わるのが惜しくてねえ。読み終わった後直ぐにまた最初から読み返し たり。一篇たりとも外れのない見事な一冊。今更かとは思うけれど、SF者は必読。 短いしね。ホント、是非是非。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (00/11/06)
椎名誠「岳物語」/集英社/1989/09/25 (初:1985/05) 他人の子供の話ってのは、ホント言うと苛立たしいものだ。年賀状にアップで 印刷された涎を垂らす赤ん坊の写真に虫酸が走った経験は誰しもお持ちだろう。 自分に子供が出来れば可愛く思えるようになるよ、と子持ちの先輩は言うが ワタシは何となくそう言う日は永遠に来ない気がするのだった。 「知人の子供」を見るとき、その「知人」に「親」の顔を見てしまって、どう して良いか判らなくなるときがある。あんたいつものキャラと違うよ、という。 当たり前なんだけど、人はその場その場で演じる役割を変えるものだよな。 何だか照れくさくてちょっとイライラする。彼女の前でぐずぐずに崩れている 友達を見る時もそう。お前さ、そういうのは俺の居ないところでやってくれよ。 でもこの本は違った。 椎名誠は息子の前でさえ椎名誠であり、親を演じている時でさえ椎名誠なのだった。 それだけ「椎名誠」というキャラを作者自身が客観的に描けていると云う事なの だろう。キャラが「立っている」とでもいうのか。あやしい冒険隊であり本気の 冒険家でもあり父でありエッセイストでありSF作家でもあり本読みでもあり 出版人でもある「椎名誠」だが、それぞれの肩書きにおいてそのキャラは齟齬を きたしていない。うーむ。 キャラ立ちの良さはその息子「岳」にも見られる。個性的というか何というか。 かなり良い具合の「少年」だ。今は何歳くらいになってるんだろう。 いや、こういう育ち方した「立派な少年」って今時居ないぞ・・・と思ってたら こないだ知人の家にお呼ばれしたとき、隣の埋め立て地で泥まみれになって 遊んでた少年達を見て、そうでもないのかな、とか。彼等のイカス喋りとか 聞いてると、まるで岳みたいな感じで、ああ、こっちが知らないだけで、子供は いや「少年」は、矢っ張りあんな風にして生きてるんだなあとかしみじみして しまったりしたよ。そう、「知人の子供」じゃなく、子供「そのもの」を客観的に 見られれば、子供の生態をってのは結構面白いのだ。 「ムロアジ大作戦」の冒頭、この「岳物語」についての(言い訳めいた)説明があって 「自分と息子との人間づきあいの話」と語っていた。成程「人間づきあい」なのだ。 「子供と友達のようにつきあう馬鹿親」ってのは結構居ると思うんだけど、この 「人間づきあい」が出来る親は案外少ないのかも知れない。 ・・・うーん。椎名誠エッセイに食いつくのは難しいし、そもそも馬鹿馬鹿しい。 あらすじを説明しようにも「椎名誠と息子の、主に釣りを通して築かれる人間 づきあいの話」としか言いようがない。あの味わいが気に入れば読みたくなるもの だし、そうでなけれな手に取る必要もあるまい。ただ、何となく妙にニカニカしつつ ほっとする様な時間が欲しくなったとき、ほぼ確実に文庫一冊読み終わるだけの時間 その「気分」を提供して貰える。それがつまり椎名誠のエッセイの味わいって奴 なのだ。等と今頃この本読んで何を偉そうに。いやまだまだ未読作はあるんですけど 続けて読むのもったいないじゃないですか。ねえ。 では。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (00/04/23)
椎名誠・編「鍋釜天幕団フライパン戦記」/本の雑誌社/1996/07/30 編者あとがきの言葉を引くと 「まあ非常に私的個的なる世界の話で、こういうものはよほどの好事家が 手にしてくれるだけだろうけれど」云々。 あやしい探検隊があやしい探検隊だった頃の写真をサカナに、シーナ氏と 沢野ひとし氏の「まあ対談というのもおこがましい、相変わらずの酒場の ヨタ話の延長のような気分の思い出し話で構成してある」というもの。 ・・・何というか、全くその通りなのである。それだけのもの。 なのに何でこんなに読んでて和むんだろう。ああ、コレばっかりは解らない。 会ったこともない人間の、それもワタシが生まれるかどうかという頃の 懐かし話をぼへっと読む行為に一体どれだけの意味が有ろうか。 でも良いのだ。良いんだよ。意味なんて必要ない。 敢えて何か言葉を引き出すなら、そうだな、ここには真実だけが書かれている。 巧まない真実の言葉だけが語られている。それが、気持ち良いのかも知れない。 でも、解らない。ただ、椎名誠の活字世界を通して、彼等と焚き火の周りでの バカ騒ぎを共有した人間達にとっては、これは掛け替えのないアルバムとも 言えるのだ。多分。すまん。何もわからんな。 ・・・ワタシは、休みの前の晩、安ウィスキーを飲みながら、幸せ一杯の気分で コレを読み終えました。それだけでいいじゃないか。そんな感じ。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/12/21)
椎名誠「土星を見るひと」/新潮文庫/1992/06/25(1989/03) 私小説というか、叙情小説というか。エッセイでも、自伝でも、またまるっきりの 虚構でもない、そういう短編の入った作品集。”ブンガク”の匂いがする。 手触りが、今まで読んできたシーナ作品とは、かなり、まるで、違う。 「コッポラコートの私小説」の、絵に描いたような駄目人間状態の「ぼく」の ノイローゼ気味の心情は、自分も似たような感情を(今も)持っているので 非常に親近感(・・・)を覚えたが、しかし、それがあのシーナ氏の一部なのかと 思うと、人というのはいくつもの顔を、その時代その時代に持ち合わせるもの らしいと、つくづく感じ入るのだ。こういう、ノイローゼ気味の、冬の灰色の 心地よさっていうのは、でもきっと解らない人には永遠に解らないのかもな、とか 思ったりもする。灰色を知らないまま生きている人って、案外居るものだ。 タイトル作の「土星を見るひと」も秀逸。こういうの読んで、何というか格好 つけすぎだぜシーナよ!とか思ってもみるんだけど・・・これも、冬の、身を切る 寒さが全体を引き締めていて、読んでいて妙に清々しい気分になる。決して サワヤカな話ではないのだけれど−冬の夜と星空の持つ浄化作用が妙な形で 中年男の日常の上にかぶさるこの感触。なんか、たがみの「軽シン」を 思い出した。なんでだろう。 「ボールド山に風が吹く」も不思議な魅力を持った作品。少年時代物という それだけで力の有る素材を使っているために、この作家の作品としてどうこう、 という感じではないのだけれど。 小説の、紙とインクの向こうに、妙な時間を観る時がある。 他人の人生を垣間見た、というよりは、他人の思い出の中の時間を 自分に転写した様な。そういう感触を生む作品集でした。 他「うねり」「壁の蛇」「クックタウンの一日」「桟橋のむこう」を収録。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/11/24)
椎名誠「ハーケンと夏みかん」/集英社/1991/03/25            (初版/山と渓谷社/1988/05) ワニ目画伯沢野氏とシーナ氏の名コンビの雰囲気を堪能できる一冊。 他の単行本に比べると、この二人の関係というか、その間に流れる 「空気」が描かれた作品が多く編み込まれている様だ。 特にこの二人の「過去」を描いた冒頭2本は実に味わい深い。 タイトル作「ハーケンと夏みかん」は、庭の松の木にしか ハーケンを打ったことが無いという沢野ひとし(16)と 学校をさぼってロッククライミングに挑戦し、沢野が見事にずり落ちるという 既にして二十数年後のノリを彷彿とさせる、何とも言えず味わい深い作品。 ばかばかしくも切ない思い出が美しい。 その次の「雪山ドタドタ天幕団」ではシーナ氏の冬山原体験が描かれる。 「 斜面の途中で体を休め、見上げた果てにある空の、  黒に近いような蒼さに圧倒された。それは生まれてはじめて見る空の色だった。  なんだかこわいような色でもあった。」(P31) この空の蒼さがその後の氏の冬山行きを動機づけることになったという。 この蒼さの描写もまた実に見事。 で、この2本以降は「いつもの」探検隊もの。 沢野氏のバカ殿モードが楽しい「沢野バカ殿様白神のボコボコ山を行く」 の章末での 「あの月をひとつふたつほしいのう」 「御意にござります」 ・・・・・・・・・・・ 「月がほしいのう」 とかいう「間が抜けている割には妙に緊迫したやりとり」には大爆笑。 またこういう会話を横に聞きながら月を見上げ、コツ酒を飲むこの快楽。 人生の喜び此処に極まれりという感じ。あああああ。あああ。 やりてえ。今すぐやりてえ。ああああ。 また、この後椎名氏等探検隊の食生活を一気に向上させる リンさんこと林さん初登場の「銀山湖・人生焚火の夜が更ける」では ラストの椎名・沢野コンビがカナディアンカヌーを一緒に漕いでいる 辺りの描写が実に何とも良い。本当に高校時代の人間関係というのは 一生ついて回るものだ・・・とかしみじみ思ってしまう。 このリンさん登場によって、明らかに食事の描写、とくにレシピの分量が 確実に増えていくのが面白い。果たして東ケト会初代炊事班長沢野画伯は これ以降の展開を暗示する様な台詞を口にする。 「「我々はもう、キャンプの朝はチャーハンなしでは生きていけない体に  なってしまったのかもしれないな」と、沢野画伯は力無く言った。」(P134) 実際どんどんキャンプの描写は「おいしく」なる。酒だけじゃないのだ。 挙げ句料理本まで出してしまうという。これがまた実にうまい。 読んでいると口の中涎だらけに。ううう。 矢張り上手い料理人というのは最も尊敬されてしかるべきなのである。 食事は、人間の楽しみの、根元的なものだから・・・ 兎も角、最近は何かしら登場回数の少なくなった沢野画伯の その魅力を味わうには最適の一冊と言えましょう。お薦めです。 男の人生とは斯くありたい @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (990101)
椎名誠「あやしい探検隊 焚火酔虎伝」/山と渓谷社/1995/10/20 この「あやしい探検隊」シリーズ第六巻では、最近の椎名氏の 「焚き火」関連タイトルに近いスタイルが見られる。 既に苦悩の時代は過ぎ、ここではただいい年をしたオヤジ共が焚き火を囲み 酒をのみ、酔談を交わし、ひたすらいい塩梅になってから寝る、 という至極極楽的な活動が繰り返されているのだった。 その模様を活写したのがこの単行本。 久々に(ワタシが読んだ順番なので、実際の時系列とは関係なし)沢野氏の 活躍(気功術で神に挑む)が見られて楽しいのだった。 いいねぇ。としみじみ。 ああ、これをやらなきゃ。 日々防衛活動から遠ざかっていく我々「防衛隊」(最近の活動は定期的な トレーニング(バスケ)のみという有り様)は、先日遂に キャンプ地でテントを張り、バーベキューなどしてから おもむろに夜の海にボートを漕ぎ出す作戦などおこなってしまい、 いよいよ防衛隊と言うよりは探検隊の趣を増してきたところである。 そう言うわけでこれから個人的には防衛隊という名前を残しつつ 裏で焚き火馬鹿方面へも展開していきたい今日この頃。 でも最近みんな忙しくて一緒に動けないから遠出もできないし・・・ コンナコトデハイケナイ!と思いを新たにするのだった。 取り合えず公魚釣り作戦から。 「申し訳ないほどの天気」「申し訳ない申し訳ない」が個人的に流行りそうな @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (980921)
椎名誠「砂の海 楼蘭・タクラマカン砂漠探検記」/新潮社/1998/03/30 ・初出誌:SINRA(シンラ)1995年8月号〜1996年8月号 詳しくは知らないのだけれど、あとがきによると この探検行は10年前の事らしい。 そもそも私は不勉強にしてヘディンの「さまよえる湖」をいまだ読んでいない。 それでも、ロプノールの名は知っていたし、ヘディンの本の存在も子供の頃から 聞いてはいた−−のを、この本を読んで思いだした。 昔はそういう「不思議」「探検」ものが大好きだった。すっかり忘れていた。 サブタイトルでも解るように、つまるところこれはシーナ氏及び朝日新聞 ・テレビ朝日のドキュメンタリー取材班の一行が、1934年のヘディン隊以来 54年降ぶりの外国人探検隊として楼蘭へ踏み込む、という 探検行の記録である。 −何というか。 椎名氏のこの手の旅行記モノは、下手なドキュメンタリーフィルムよりも 実感を持った、リアルなものとして伝わってくるのであるよ。 読んでいる間中、気分はホントに黄漠綺譚、というか ほこりっぽい砂の海に立っている様だった。斯う言うenvironmentな風景は TV画面で見るよりも、活字を通して脳内に再投影した方が より広大であり得るのかも知れない。 見渡す限りの砂と岩。或いは水なんか一滴も残ってないのに、 何百年も前に立ち枯れた胡楊の林・・・・こんな所に置き去りにされたら 確実に生きては戻れまい、という口絵写真を見ながら、 シーナ氏の楽しくも感動的な文章と、その向こうに広がる空間を味わっていると 現世の憂き世を一時なりと忘れることが出来るのだった。 ・・「だから何」という様なものじゃない。 ただ、行って、楼蘭古城を見たよ、というそれだけのもの。 だけど、その、それだけ、が凄いのだ。 探検行より10年、何故今更この様な本が出たのかは知らないけれど− 10年経って猶褪せぬその砂漠の空気と、楼蘭の乾ききった青空を 私は確かに感じたのだから。 割とオススメです。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (980612)
椎名誠・林政明「あやしい探検隊焚火発見伝」/小学館/1996/10/20 「全日本食えばわかる図鑑」(名著)の実地篇。 出かけては料理をして食う、という いつもの、ただ焚き火と飲酒と嘘歌の探検隊の無軌道さから 「料理」に有る程度焦点を絞った展開。 感想は特に無し。というか、また彼らやってるな、的読感。 まぁそれを確認するために読んでる様なもので・・・ 結構荒物食いに走ってるので、読んでて腹が減ると言うことも少なかったり。 唯一これは!というのがタケノコ。実際にやってしまえそうな所が良。 ほりたての筍を焚き火に放り込んで、表面が炭になったところを 取り出して、此を割って醤油をかけて食う。あああ。 筍の唐揚げとか・・・あああ春が待ち遠しい・・・大体あれは文字通り「旬」 しか食べられなくて・・・昨年の春は何となく食い損なってしまったしなぁ・・ 缶詰なんか食べる気はしないし・・・等と急に食べたくなるのだった。 毎日ジャンクな(一週間三食インスタントラーメンでも気にしない質で)もの ばっかりたべてる私ですが、たまには舌が(胃がじゃなく)喜ぶような 食事をしたいなとも思うのです。 タイトルには焚火発見伝とありますが、まぁこのヒトタチは常に 焚き火と共にあるわけで・・・ 焚き火もいいなぁ、と。もう今更「あやしい探検隊ごっこ」も無いだろうし (昔はいっぱい居たのだそうだ。真似モノ達が。)今やっても恥ずかしくないだろう。 我らが防衛隊でひとつ・・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (980105)
椎名誠「新橋烏森口青春篇」/新潮社/1991/3/25 /(初版)S63/12 この本を買った春の夜のことを思い出すと、それだけで何だか懐かしくなるのだが、 それは個人的な話として置く。 椎名氏の私小説と云う感じ。大学を卒業したので仕方なくバイトの延長の様な つもりで就職した出版社。そこでの忙しくも淡々と流れ行く日常・・・だが、 読了間際でいきなり恋の嵐が吹き荒れて、もう其処までの兄貴臭い匂いが 消し飛んでいくのが笑えた。結局男って斯うだぜ。 然しこのヒロインたる原田瑞枝女史の魅力に尽きる。前半の重いトーンの70年代的 「日常」が、彼女の出現で一気に80年代的明るさに変わる。 絵的にはしりあがり寿氏の描くOL嬢のイメージ。 その仕草の何とも言えない愛しさが、そのままダイレクトにこっちに伝わって 読者たる私は、もうこの女性に恋してしまうのだった。読んでる間だけの恋。 酷く腹が立つ事があって、 「誰か気分のいい奴と話がしたい、と思った。いますぐ話がしたい」と 思った時に、思わず彼女に電話をかけてしまう−という下りが、なんかもう たまらなかった。 電話で他愛もないことを話してから公衆電話の受話器を戻す。 「知らぬ間に受話器を握る手のひらに汗が出ていた。  なんとなく、目の前を歩いている雑多な人々の群が、  ふいにみんないい人ばかりになった−−−ような気がした。」(第7章末) うんうん解るあるよなぁそういうの。という。体の中にある激昂した部分が 話してるうちに、何か別のものに置き換えられていく・・ やっぱ幸せってそういう気分だと思うのさ。 そういうほよよんとした気分に、最近成ってないぞ>私。 不幸だ・・ 椎名氏の「青春三部作」てな云われ方をするそうですが、そのうちの一冊らしい。 でもあと二つ読んでないんだ・・・ また何処かで何かの機会に手に取ることが有れば・・・ 急ぐことは無いよね。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (97/07/27)
椎名誠「アド・バード」/集英社/1990/3/25 流石に言われるだけの事は有った、という感じ。氏の他の作品を全て読んで来た訳 では無いので何とも言えないのだけど、他作品にはない壮大さであった。 久々に読み返した「あやしい探検隊」シリーズにハマり、気がつくとこの ハードカバーを買っていたと言う。 作品タイプとしては「雨がやんだら」系の正統なSF。 この作品の魅力の大部分はその「映像」にある。 ・・・そのイメージを伝えるのは難しい。 文字だけど、ビジュアルに訴えるような描写が多いのだ。 活字が、今までTVでも見た事もない様なイメージを展開する。 アド・バード、というのは「広告鳥」である。その編隊で文字を描くように 作られている。それを手始めに、空中に描かれるCM広告イメージの その描写の強烈さ!!そのSFマインド!! 割とSFの冊数だけは読んできたワタシですが、ここまで強烈な「映像」は 見た事がないです。これは久々のセンスオブワンダー。 世界観が後半に行くにしたがってだんだん明らかになっていく様等も非常に巧い。 オーソドックスな作りではあるが、それが効果を生むくらいに明かされていく背景が 壮大なのだ・・ キャラクタの魅力も大きい。読者の「旅の仲間」としてのマサルと菊丸の兄弟、 何より強烈なアンドロイド、キンジョー。キャラが立っている、というか、 各キャラがちゃんと息をしているのだ。それがいい。 一緒に「旅」をしている感覚、何処かで味わったな、と思ってると、それは 「指輪物語」だったりして。あのヒースの草原も忘れ難いよな・・・ しかしこの作品は、矢張りそこに描かれる「世界観光」的な魅力に尽きると 思われる。圧巻だったのはP166からの、はじめて見るマザーK氏の、広告だらけの 空の描写。こんなのは一生に一度お目にかかれるかどうかのスゲェシーン。 作中キャラと一緒に読者までが息を飲み、ただただ圧倒されるのである。 そこまでずっと続いていた閉息感(地下をはいずりまわるのである)が解放された という事も手伝って、絶大な効果をあげている。凄い。 前半、キンジョーとの出会いのシーンでの、空に描かれるコークのCMにも度肝を 抜かれたが、それ以上にこのシーンは凄かった。それが空しさへとつながっていく (もうこの街には誰も居ない・・)のを肌で感じながらも、矢張りそこまで続いていた 暗い世界から、一気に光の洪水に放り込まれた事でのワクワク感が先に立ってしまう。 ・・・・・なんか上手く言えないんだけど、兎に角「巧い」と・・・ 後、「地ばしり」の上での描写など、旅やキャンプの雰囲気は流石に作者ならでは、 とも思われる。独特の寂しさというか失われた諸々への哀しみ、みたいなものも 他のSFな短編と共通しているのではないかしら。 他にも各シーン(高速道路の上、故郷の街、海、等々・・)が強烈に 焼き付いている。忘れられない「絵」。 ラストの「飛んで去っていく」という王道もちゃんとツボにはまっていて。 読み終わった時は「今一つかな・・・構成も甘いし・・」とか思っていても、 日を追うとに「いや、やっぱりこれはスゴかった!」と思うようになる・・・ そんな作品でした。 久々に感想書いたら全然まとまらん・・・うう・・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
椎名誠「あやしい探検隊不思議島へ行く」/角川書店/1993/7/25(初 1985 光文社) かなり「本来の」探検隊っぽい(らしい)。 やはり、遠く外国の島よりも瀬戸内とかの無人島が似合う・・・ 一日過ごしてしまう事になる空港の、その独特の空気描写が好き。 手に汗握るインドでのカレー対決等、シーナ氏のノリのまま 東南アジア方面をうごめくのであった。 椎名誠「あやしい探検隊海で笑う」/角川書店/1994/6/25(初 1993 三五館) 写真が美しい。 半分写真集である。 キャプションと本文の間に関連性は低く、どの写真がどの時期に あたるのかが分かり難い。でもそれはそれでいいのだ。 内容的には純粋なソレとは少し違っているのでは・・・ しかしトロピカルな海のキモチヨサ。行きたいなぁ・・・・ と思わせる。 椎名誠「あやしい探検隊アフリカ乱入」/角川書店/1995/7/25(初1991/3 山と渓谷社) 沢野ワニ目画伯の印象が素晴らしい。 又、冷えたビールが最も美味い作品。 しかし矢張り沢野氏の描写が秀逸である。 (96/07)

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