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ノンフィクション・エッセイ・その他



大崎善生「将棋の子」
笹本祐一「宇宙へのパスポート ロケット打ち上げ取材日記1999-2001」
小松左京・高千穂遙・鹿野司「教養」
富野由悠季「戦争と平和」
武田康廣「のーてんき通信」
田宮俊作「田宮模型の仕事」
赤瀬川原平「少年とグルメ」
月面探査委員会:編「20世紀のムーンライダーズ」
永瀬唯編「ザ・デイ・アフター・エヴァ 対論<新世紀アニメ>ふたたび」
清谷信一「Le OTAKU フランスおたく事情」
マーク・ペンダグラスト著・古賀林 幸訳「コカ・コーラ帝国の興亡 100年の商魂と生き残り戦略」
赤瀬川原平「ステレオ日記 二つ目の哲学」
岡田斗司夫・世紀末対談「マジメな話」
野田昌宏「宇宙を空想してきた人々」
夏目房之介「マンガと「戦争」」
岡田斗司夫「東大オタク学講座」
と学会「トンデモ超常現象99の真相」
赤瀬川原平・編「トマソン大図鑑」
ファミ通編集部責任編集「ゲーム帝国 V」
夏目房之介「読書学」
唐沢俊一「古本マニア雑学ノート」
廣淵升彦「スヌーピーたちのアメリカ」
「バーチャファイター2マニアックス」
西村繁男「さらばわが青春の『少年ジャンプ』」
ファミ通編集部責任編集「ゲーム帝国 IV」
トーキョージャーナル編集部・編「TOKYO VOICES」
と学会・編「トンデモ本の逆襲」
和巻耿助「評伝 新居 格」
日本軟行銀行[頭取]存架空「パソコン「界」遊学見聞録」
萩原朔美・監修「ビックリハウス・驚愕大全」
大槻ケンヂ「ボクはこんなことを考えている」
四方田犬彦「漫画原論」
古川益三「まんだらけ風雲録」
唐沢よしこ「なをき・よしこのパソコン夫婦バンザイ」
PIRICA監「CGネットワーカーズ自選作品集U」
野田昌宏「愛しのワンダーランド スペースオペラの読み方」


大崎善生「将棋の子」/講談社/2003/05 雑誌「将棋世界」元編集長による、将棋ノンフィクション。 面白かった。 いや、「物凄く」面白い、と言った方がいい。 最初の数頁で、ガッと魂を捕まれて、ラストまで一気に持って行かれた。 気が付けば3時間程度で読了。イヤ、マイッタ。 「奨励会」という将棋プロ育成機関、そのあまりに閉ざされた弱肉強食の場で、 将棋しか知らずに、将棋だけの青春を送った後に挫折、赤子同然の状態で社会に 放り出され、それでも生きていく「将棋の子達のその後」の姿が、まんま実名で 登場、描かれる。 奨励会、という存在そのものの厳しさ、異常さがまず読者の興味を引く。背筋を 凍らせつつ、彼等を支える家族愛、友愛の、然し無情さ、理不尽さに涙する。 筆者が「内側」から描いている所為もあって、読んでいる間は「奨励会」という 異常な社会も「そういうもの」として受け止められ読めてしまう。 でもま、僕らが生きる「社会」もまた、「外側」から見てみればこんなものなの かもしれない……などと。まあ勝負の世界に一般常識は通用しないんだろうけどさ。 作者の独特の緩さというか、程良いオジサン風味が何だか良い。人生という風雪に 洗われた結果としての言葉の優しさ、視点の実直さもいい。 覗き見趣味的、興味本位で読んだ事を否定しない。他人の人生を覗き見する快楽、 というのは多少なりとも誰にもあるものだと思う。相手の世界が特殊であればある ほど(且つ不幸の匂いを漂わせていれば)、その下世話な興味は湧くというものだ。 が。この読後感は悪くない。 癒される、というのでもない、むしろ、「生かされる」という感じ。 あまりに現状肯定というか無批判というか、そういう部分が気にならないでも 無かった。が、全肯定結構、それもいい。それでもいい。彼らは生きている。 僕も生きている。ここで。人生を生きてるのだ。生きている。 手放しで「面白かった!オススメ!」というのはためらわれるけど、でもお暇なら 騙されたと思って手にとって見て。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (04/09/10)
ISBN4-257-03649-4 笹本祐一「宇宙へのパスポート ロケット打ち上げ取材日記1999-2001」                         /朝日ソノラマ/2002/01/31 H-II、スペースシャトル、アリアンV、H-IIA…… ロケット打ち上げを見に行く人たちの旅行記。 各章末には松浦氏による宇宙開発解説コラムがあってお勉強もバッチリ。 何となく「そう言うこと」をやってる人たちが居るってのを知っては居たけど、 具体的にどういう風にして行ってるのかってのは、解らなかった。これを読むと、 それが疑似体験できる。非常に(そう言うのが好きな人には)楽しい本だと思う。 少なくとも、僕は非常に楽しみました。 なんて言うか、ただ「日記」「旅行記」ってだけじゃない、人に読ませようとする 描写が的確に入っていて、読んでいてスッとその「旅行体験」に参加できる。基本 的に食い物の描写とかが上手いんだよなあ。美味いもマズイも含めて。なんか腹が 減って仕方ない様な。ウェイトレスが可愛かった、とか、どうやってネットに接続 した、とか、空軍博物館での興奮とか、売店の売り物とか、街角の風景とか、…… 何というか、「旅情」を感じさせる描写がしっかりとある。デスクがあって嬉しい 感覚とか、ファーストフードで買ったメシを夜食に持ち帰ったりする感覚とか…… おお、これこれ!みたいな。ドギーバッグ必須。 男らしい旅スタイル(子供でないなら何とかするだろう、的な)も気持ちいい。 旅の醍醐味は実際コレだと思う。繰り返しの毎日の中では(あんまり)使わない 「状況に即座に対処し決定する能力」を、しかも場所によってはカタコト英語で もって駆使しなくてはならない、だがその危機を乗り越えたとき(ちゃんと対処が 出来たとき)に得られる「おお、俺って結構やれるじゃん」的な満足感。それだ。 あと出てくる面子の「濃い衆」っぷりがまたいいのだ。怪しさ抜群の集団。主に あさりよしとお氏の怪人っぷりが光る。毎度毎度の強行軍はしんどそうだけど、それ をおしても「やってしまう」だけの魅力が「それ」にはあるのだ、と、この日記を 読むと言わずもがなに見えてくる。ああ、僕も見てみたい!、というか僕も 「やってみたい」! 「地球始まって以来人類以外の何ものも成し得ていない(と思う)重力を  振り切って星の世界を目指すという素晴らしいイベントに行けないのは、  人生の損失以外のなにものでもない。」(まえがき) 多分多くの人は、まだあのビルみたいな巨大な建造物が轟音と共に空に昇っていく 姿を「実際に」は見ていないだろう。見た人は皆口を揃えて「アレは見てみなければ わからない」「見てしまうと人生さえ変わる」と言う。いつかのSF大会で、あさり よしとお氏が打ち上げビデオを上映しながら、でもビデオではあの音は伝わらない んだ、本物はもっと「バリバリバリ」って音がするんだよ!とか力説していたのを 思い出す。いつか僕も「本物」を見てみたい、と思ったものだ。 こういう本を読んでしまうと、「ロケットより橋をつくるべきだ」って叫ぶ側には もう回れない、気になる。毛布二枚で冬を越してしまう。そういう気にさせられる。 そこには、国の威信とか(日本は中国に負けた!とかね)そういうのは関係ない。 ……或いはそこから言及して行かなくてはいけないのかも知れない。○○の代わりに もっとロケットを!と叫ばなくてはいけないのかも知れない。でも、そこへ踏み 込んで発言するのは、何というか、まだ、躊躇われるんだけど。 それでも、確実に「宇宙開発」は以前より浸透してきていると思う。こういう本が 出版される事を見ても明らかだ。まんがサイエンス、遠い空の向こうに、なつの ロケット。パスポート・ブルー、度胸星、プラネテス、MOON LIGHT MILE、 ふたつのスピカ……ジャンル「宇宙開発モノ」みたいな。この現実と地続きの、 手に届く宇宙を語る作品。これからもまだまだ出てくるだろう。 宇宙で和弓を放つゴルゴは置くとして。 おたく的には、「そういうの」を積み重ねていく事が「結果」につながるんじゃ ないかなあ、とか夢見てしまうんじゃよ。ロボットアニメを見て育った人たちが 二足歩行ロボットを”本能的に”作ってしまう様に。 あー。この現実世界には、宇宙の高みに届く矢がある。いつか、見なくては。 センスオブワンダーを体で感じておきたい。軌道エレベーターが出来てしまう前に。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (03/11/26)
小松左京・高千穂遙・鹿野司「教養」/徳間書店/2000/11/30 いや、興奮した。成る程、小松左京という存在は、尋常じゃない。 「偉大な存在に触れる感動」みたいなものを、この本から感じた。 小松左京を前に、我々は文中で高千穂氏の言う、モノリスに触れる猿の様な感動を 味わう、その疑似体験ができる本といって良いだろう。まあ取り敢えず読んで見て。 こんなオモシロ存在を野放しにして置いていいのか。もっと出力させないと駄目 なんじゃないのか。世間の人にもこのオモシロさを味わって貰うべきだ!…… そう思う高千穂氏の気持ちは痛いほど解る。 このダラダラな会話にどれだけ興奮材料が仕込まれている事か! 知識の曼荼羅、というレベルでは、老教授の研究室でお茶など頂いてる時の 無駄話なんかにこれと近い空気を感じたことはあるけど、でもそれは知識の芋蔓 にしか過ぎなかった。小松左京の面白さは、その博覧強記を元に吐き出す「見解」 にこそある。その出力結果がSFだったり、万博だったり、映画だったりする訳で。 いや、知識は量じゃないんだよな、と痛感した。要するにセンスだ。膨大な情報を ドライブするセンス。その底力が違う。知識は前提として必要だけど、その知識を 持ってしてどういう「見解」を出力するか、そこんとこが即ち知性、教養、って ヤツなのだ。それをまじまじと見せつけられる。そうだ、こういうのを「センス・ オブ・ワンダー」と言った。五感のレベルでしか世界を見ることの無い凡人に、 宇宙のレベルからの視点を与える技。それがSOWだ。 そしてその「知性」に裏打ちされた、「根拠のない前向き」に痺れる。 やればできるんだよ、細かいことでグダグダ悩むな、問題があったら解決しろ! みたいな、あの前向きさこそは、戦後から現代までを通して「人間の偉大さ」を 見続けてきた人ならではだ。鹿野氏のまとめ「ぐだぐだ自己憐憫に浸るな、やる気 になったらいくらでもうまい手があるといいきれる」(p206)ってのが、その 在り様をまさに言い当てている。 キモチイイ位に「桁が違う」って感じ。 僕の日常の上限がせいぜい10年程度の枠なら、小松左京の頭は数億年のスパンを 見ている。その語り口の端々に見る、その発想の巨大さに胸がときめく。前に 小松左京の話はパンゲアから始まるんだよ、とか書いたけど、この本読んでると、 パンゲアの前のゴンドワナの前のロディニアの前の謎の大陸の前のヌーナの前の プルームの説明から入るんだよ。腰が抜ける。 この本が出たのは2000年11月で、同時多発テロ以前なんだけど、小松氏は「悪」を 退治することで元気を出してきたアメリカが、ソ連の崩壊以降駄目になるんじゃ ないかと配して「これから人類は、何を対象にすれば元気がでるのだろうか」とか 絶望していた旨が語られている。で、小松氏はここで「人類にはまだ宇宙がある」 ってな事を言って、宇宙開拓にベクトルを向けることでまた元気が出せる、とか 考えてるんだけど、まあご存知の様にそうはならなかった訳で。 人類の、せめて1/3が小松左京の頭脳を持ち得たら、戦争なんて道具を使わないでも、 どれだけ人類は「元気」になれるだろう。生きるのに飽いた人類には、まだ宇宙が あるのだ!(その先に待っているのが絶望かもしれない、という事も含めた上で)。 「洋の東西を問わず、宗教的バックグラウンドも人種的バックグラウンドも問わず、 それから文明というものはもうアメリカタイプだろうがなんだろうと、いちばん 便利なヤツをぜんぶパラフレーズしていって、そして何かやっぱり人類全体に とって大事な精神の対象というのが宇宙にでてきたとき、それに耐えられるかだね。 で、絶望して、人類は自分で自滅していくかもしれない。それならおれは納得する」 (p179)そこまで行かないと納得しないのだこの人は……あと花を生ける猫の話とか、 例によって星新一馬鹿発言話とかも楽しい。実に。 ホント、今すぐNHKは小松左京ショーをやるべきだ。もっと小松左京に喋らせろ! そして、情報被曝で虚ろになった我々をもっと「啓蒙」してくれ!そんな気分。 もう、なんつーの、もっと視点を引き上げろ、と。お前も嘗てはSFを通して深遠な モノに触れたろう、それを思い出せ、逃避じゃなく、とかそんな気になった。ああ、 マジで、第二弾、第三弾も是非出して欲しいものだ。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (03/03/22)
富野由悠季 上野俊哉 大塚英志 ササキバラ・ゴウ                「戦争と平和」/徳間書店/2002/05/31 昨年末に富野氏に対して行われたインタビューで構成された、いわば座談集の 様なもの。インタビュアーはいずれも名の知れたガノタ系文化人達。タイトル及び インタビュー時期が意識させる9・11の影は寧ろ薄く、基本的に富野作品を通じて 人が(我々が)何を見ていたのか、を再確認するような内容となっている。 「ああいうふうに年表が組み立てられていくということについては、大きなお世話  だという印象しかなかったです」 この本を読み終えた後、久しぶりにヒゲの後半10話位をぶっ通しで見てみた。 成る程、黒歴史ってのは、そういうことだったのか、キエルとディアナ、或いは ロランの存在ってそう言うことだったのか、と、まあ、「伝わってない受け手」 的な反応を素直にしてしまうのだった。 黒歴史の上に我々は生きている。殆どの人間は、学校で教わった歴史以上の歴史、 黒歴史を検証せずに日々を生きている。今日自分がここに居るということ、この国 がこんな風であること、それら全てが歴史の結果なのだと知りながら、然し歴史を 知ることに意味を見いだせないで居る。でも、自分達の持つ”黒い歴史”を隠蔽 したまま世界の帝国となった某アメリア大陸なんかは…… とかまあ、主題的な所は、でも実はそんなに突っ込んでないというか、大人しい 感じ。寧ろ個人的に面白かったのは、p155辺りの「子供が欲しくなったら種だけは 必要なんだけども、それいがいでは別に必要でもなくて、男のほうはどんどん 捨てられている」「でも、男ってそういうものなんだから」てな下り。 結局男ってのは、戦争しないではアイデンティティを保つことは出来ない生き物 なのかもなあ、という。「定職もなくフリーターやって生活しながら、閉塞感の 中でひたすらギャルゲーをやりながらコンビニ弁当食っている」のが、結局 平和な時代の「男」の有りようで。戦争しない「男」になる訓練をしないと ねえ、みたいな…… 「富野さんは帰依させといて、パーンとひっくり返して、それでまた帰依させ といてパーンとひっくり返す」(p134)とかいう「健全なビンラディン」論も、 まあ面白いっちゃあ、面白かったけど。でも長嶋かっていうと、ちょっと違う ような気もするが…… ターンエーの作成スタイルについての言及で興味深かったのは 「物語の構造に関しては、おおむねスタッフにまかせました。まかせた上で、 一話一話の形になる端末には手を入れました」(p113)てな辺り。 構造の大らかさと、それでいて非常に「富野臭い」あの作品テイストは、つまり こういう(最低でも台詞には手を入れる”原理主義者で、独裁者”ならではの) スタイルから来ていたのか、とか。 あと「エルガイムの頭の部分に女の子が入っているという設定」に未だに 耐えられない「病院に入れ、と、それだけのことです」(p115)とか、 「今このへんをうろうろしてる高校生、みんな殴りたい/韓国に行ったときに ファンがたくさん集まってくれたんだけど、みんなかわいい子で、お尻触っても なんか文句言いそうにない感じで」(p174)とか、 「愚民はものすごく目に付く量がいるからなんです。そんなの端から相手に しなきゃいいんですよ」「バカな奴はいつだっているもん、絶対に。」「そう 言う人たち用のマーケットを獲得して、銭儲けはする。それでこちらで一方また 好きなものを作る。」(p159)(ここで言う愚民、とは、ギャルゲーに萌えつつ 現実の女性には「負ける」男子達を言う)とか、実にまあ良い話が読めるので、 富野スキーは(賞味期限が切れる前に)一読されるも良しでしょう。 巻頭の大塚のブチ上げと、巻末の上野の曖昧さ、ササキバラの常識的なシメ、 という妙な構成も味わい深し。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (02/11/18)
武田康廣「のーてんき通信」/ワニブックス/2002/04/10 SFファンダム(という狭い世界)では知らぬ者とて無い、怪傑のーてんきこと 武田康廣氏の半生記。サブタイトルの「エヴァンゲリオンを創った男たち」は いくら何でも、とは思う(内容からするとむしろ「エヴァンゲリオンで脱税した 男たち」みたいな)けど、嘘ではない。 読んでいて面白かったか、っていうと、うーん、どうなんだろう。 基本的に「話をオモシロ可笑しく持っていこう」という意識の全く無い、 淡々とした自己語り。 正直言って、読み物としてどうかっていうのは感じた。 面白可笑しい話ではない。何というか、読んでいて重苦しい気分に。 お祭りには終わりがあって、また次の人生が待ち受けているという。 その繰り返しなんだよな、みたいな重さ。 「男」の人生、そのまま。 ただ、本当に武田さんというのは「こういう人柄」なんだなあと。 人柄がそのまま出た様な文章でありまた構成であり。 最後の欠席裁判/鼎談でトドメ、という感じ。ひどく納得してしまう。 ガイナ祭前後のどよーんとした雰囲気は何となく伝わってきていたけど あーこういう感じだったのか、と。あの頃ホント、ガイナどーなっちゃうん だろう、という感じはあった。ガイナ祭に行ったのは、「これが最後かも しれない」という妙な強迫観念からだったんだよなー、とか思い出した。 あとナディア劇場版のアレコレとか。噂には聞いていたけど、うーん。 個人的には、読み所は用語辞典や人名辞典、あとSF大会レポに集中したり。 特に人名辞典は「あの人のその後」が結構追跡されていて、業を背負ったままの 人、業を捨て去った人、人生色々色々だなーと感じさせて深い。 用語辞典も簡潔かつ濃い内容で読みでがあるし、ガイナ関連の知識を補強する 上で、まあ”第二世代オタク”を自認する連中は必読の書とは言えましょう。 期待していた「DAICONの頃の熱気」みたいな描写は妙に薄くて。 大昔の話なのだから仕方ないか。 ……というか、「それ」が読みたければ、当時のメックや岡田本から 「ためになるゼネプロ講座」を読めばいいか。 今でも、ページの温度が其処だけ違う様な、あの切れまくった関西芸人の 文章は「仲間で集まって何かをやること」への憧れをかき立てて已まない。 メックや、あじまの漫画を通して、「ああ、いつか僕もSF大会に行ってみたい」 と心底思った中高生の頃。ああいう憧れを次の世代に繋ぐ事を、然し今誰も やってないよな、というのは多少寂しい。それはもう必要ない、毎年平均年齢 こそ上がっていくものの、参加者はちゃんと居るし、ムリに宣伝することは 無いよ、と言われてしまえばそれまでだけど……過去は過去として、矢っ張り 若手に向けてもっと毒電波を送るべきなのではなかろーか、などと思いつつ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (2002/07/09)
田宮俊作「田宮模型の仕事」/文藝春秋/2000/05/10 模型のタミヤが如何にして生まれ如何にして現在に至ったか、を社長自らの視点で 語った(多分)珍しい本。最近何かと泣かせる「プロジェクトX」系お仕事 ええ話シリーズな感じ。 まあ思い出話、という感じで、多少焦点が定まらない感じも有ったけど、その辺 プロの作家が書いた訳じゃ無し、やっぱりその「本人」の言葉を読む楽しさの方が 大きい。業界全体を見つめてきた人の言葉は一々成程なあという所はあるのだった。 で、結局世界のタミヤとして成り上がっていく下りで、泣きまくる。 小松崎茂の侠気のシーンなんかアンタもう、涙無くして読めないっつーの。 「バルバスボウ!?かーっ、バルバスボウなんて言葉が出てくるとは、  うれしいねえ。あんた、軍艦知ってるねえ!」(p66) プロはプロを知る。マニアはマニアを嗅ぎ分ける。いい仕事には必ずどこかで反応が ある。「そういうの」を肌で感じた事のある人間なら、誰しも共感して泣ける事必至。 世界を駆けめぐり、戦車の実物を前に驚喜乱舞して写真を撮りまくってる姿は 実にもう、ああああああ、もう!!という感じなのだ(わかんねえよ)。 アバディーンの戦車の群に出会うシーン(p120)で泣き、ソ連製のT-34/85の写真を 撮りにイスラエルまで出かけていく話(p140)で泣き、パンサー戦車の砲身が ギコギコ動いててる下り(p146)で泣く。もういちいち泣けて仕方がない。 ポルシェ911を分解する下りは前から有名な話だったけど、矢っ張りどっか キレてるよなこのヒトタチ、とか思ってしまうし。 中盤からの、経営側の視点から語られるタミヤ史も興味深かった。 トライ&エラーの中から、かなり慎重にマーケティングを行って、次の売り場を 創造・確保しつつ、着実に進んでいる様が老練でもあり、また頼もしくもある。 ミニ四駆なんかはこの人の手からは離れしまった感じを受けたけど、でも大会の 子供(これがまた泣ける!!)を見守る語り口の誇らしげな事。彼等の夢を 牽引してくれた、そして今もまた次の爆発を準備しつつあるというあの二つ星の 模型会社に、さらなる活躍を期待するものである。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (00/05/31)
赤瀬川原平「少年とグルメ」/講談社/1993/06/15(初:1985/10) 80年代赤瀬川節を堪能できる一品。正しくは「少年と空腹」とでも言うか。 前半「人肉はまだ食べていないけど」はビックリハウス(1981/10-1982/09)初出。 初出誌のノリ(と言ってもBH世代じゃないのでわかんないんだけど)を モロに受けた感じの軽い可笑みのある食エッセイ。「ハナクソ」の食感(キタナイ 話で申し訳ないが)の細かさには震えが来た。 基本的に貧しい話が多い中、「天丼」はそのゴーヂャスさと緊迫感のある展開で 群を抜く。赤瀬川原平がイケナイ人だった時代の話だ。今の好々爺(失礼) もかつては若かった。若い頃に潰瘍で胃を三分の二取り去った。なんで あんなに痩せてるのか、これで納得がいった。痛みに耐えるために 「手の指や足の指を剃刀でプスプスと切ったり」してたという描写が。 後半「少年とグルメ」は雑誌「てんとう虫」1984/08-1985/7/8初出とある。 食そのものから離れてやや観念的に食を語るというか。これも大人向け雑誌 だからやっぱりそれ向けに書き方が変わってるんだろう。ずるずると言葉が 言葉を紡ぎだしていく、あの独特の文体が現れていてなかなか味わいが深い。 ま、さっと読む分には面白いです。視点の変換、とかそういう劇的なのを期待 しなければ、ふむ。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/12/09)
月面探査委員会:編「20世紀のムーンライダーズ」/音楽之友社/1998/08/10 をこれまた発売後1年目にして読んでみたり。 各人のインタビューにせよ、ヒストリーにせよ、エンサイクロペディアにしろ、 兎に角饒舌。饒舌なんだけど、でも「何故自分はムーンライダーズをこんなにも 好きなのか」に対する明確な答えは出ないまま。 でも、「ムーンライダーズって何なのか」は、ヒストリーのおかげで かなり明確になった。ほうほうそういう経緯が・・・みたいな。 まあこういうのは興味のある人しか面白くないだろうし/興味のある人は とっくにこれ買って読んでるだろうけど。 プリプロの現状とか、結構技術的(と言うか機器より)なところに 突っ込んで書かれているのは、「そういう」ニーズを期待しているからで それは多分当たっている。 そういうスペックが気になる音なんだよね。元々。ボコーダーとか。 んー。ま、そんなとこ。 後々の資料として手元に置いておくのも一興、という感じの一冊です。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/08/28)
永瀬唯編「ザ・デイ・アフター・エヴァ 対論<新世紀アニメ>ふたたび」/水声社/1998/02/20 永瀬唯 meets.... 大原まり子 水民潤子/松代守弘 斎藤環 水谷真理 唐澤俊一 何で今更こんな本を読んだかというと、図書館に行ったら 「新刊」で入っていたからだったり。 もう「エヴァには金も時間も割かない」とか言ってた私ですが 結果から言うと、今「エヴァ語り」を読んでみることは 決して不快なものではなかった訳で。 ひとつには、この対談集が無造作なまでに「当時の業界人のエヴァ語り」を そのままに記録しているという事にある。 一つの「主観」に則って「論述」されるのではなく、あくまで個々人の 視点/立場での「エヴァ感想」が語られている。これが肩肘張らずに なんとなーく片手間に読み進むには最適だったのだ。 でもね。 もう、ここには何もない。僕の求めるものは。 一年前、この本が書店に並んだときは多少の意味(つまり「夏エヴァが納得 できなかった人達への救済」という)が有ったとは思うんだけど、今となっては 本当に何も無い。正直な話、古雑誌と大して変わりはしない(小谷真理の 「素性」語りも今更、だし)。あ、でも「可能世界」ネタは自分の中で全然 解釈が出来ないまま放り出してしまったのを思い出さされた。一度ちゃんと 掴んで置こうと思ったんだけど、もう「可能世界」流行は過ぎてしまった見たいね。 「自転車旅行主義」を読み返しておくべきか・・・まあ、いいや、別に。 もう心理関係も遠くなった。精神世界、って言葉も手垢が付いてさ。 ああ、でも、「哲学」しかないんだろうなあ。最後の砦は。 死ぬまでに、一度ちゃんと学んで見たい。 死ぬときは、せめて自分の中だけでも納得ずくでいたいものだよ。 ・・・ま、こんな本も有った、という事で。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/05/05)
清谷信一「Le OTAKU フランスおたく事情」/KKベストセラーズ/1998/08/15 この清谷信一氏というライターを、私は浅学にも知らなかったのだけど その筋(「丸」とか「コンバットマガジン」とか「軍事研究」とか)では 割と著名なライターの様だ。 巻頭言に曰く 「本書の中には軍事に関する記述もでてくるが、これはぼくの  主なる仕事が軍事にかかわるものが多いからといって、  無理やりこじつけているのではない。」 この言葉からも読みとれるように、ついつい筆が軍事方面に走ってしまう 性質の人らしい。軍事方面で暴走を始めそうになると、章を変え、仕切なおして また軍事方面で暴走、仕切直し、という感じ。 プロレスの人が世の中すべてをプロレス変換して語るが如し。 然し基本的に、この著者は徹頭徹尾「客観的」である。それはもう不気味な程に。 Chapter-2「日本アニメがいかにしてフランスに上陸したか」の下りは フランスのTV局情勢などを高い位置からきっちり考察してあって、 分かりやすくて面白い。海外における日本アニメ事情に興味のある方は是非。 で、ここでも徹底して冷静な著者の筆は、もういっそもどかしい程。 「我らが日本アニメ」が如何にフランスでムチャクチャにされてきたか、その様を 感情のない描写で行うのだけど、読んでいる方はもう「国辱」「キルフランス」 というか、そういう気分になっていて、その感情の乖離感覚が、この本の 特徴かもしれない。この著者には感情はないのか・・とか思ったけど、話がこと 軍事方面に行くと、爆発したようにナショナリズムとか語りだすので、多分 感情を抑えながら書いてるんだろうな、と。 自分の専門に話が行くと抑えが効かなくなるってのはよくある・・・ ・・・要するに、放映権の法外な安さ、が、日本アニメがフランスで 放映されまくった最大の原因だった、らしい。 1986年のTV局の民営化によって、新しく開局したはいいが 番組を作る体制が整わないという状況下、ましてや子供は「不完全な人間」だと 考えている様なフランス人にとっては、子供番組(幼児番組)はそういった 「安い」フィルムで埋めるに限るのだった。 斯くして子供たちが休みの水曜日には、TF1の「クラブ・ドロテ」で 日本アニメが何時間も垂れ流し(但し内容は目も当てられないほどに改竄されて) にされるという状態に。この垂れ流し時期(1986〜96ピークは1987)に 日本のアニメにハマったのがフランスの今のアニメファンのコア層となっている。 それ以前にも、国営放送時代にゴールドラック(UFOロボ・グレンダイザー)が とんでもない視聴率をとった事で起こった第一次日本アニメブームがあり、 このときのファン層が手探りで切り開いたおたく空間を、今若手が引き継いでいる というのが現状の様だ。 で、例によって文化侵略に過敏なフランス社会は、日本アニメの暴力と セクシャルな部分を批判し、この日本アニメバブルは90年代頭で終わっている。 (だが、95年に爆発したドラゴンボール&セーラームーンで、また  第三次のアニメファン層は育まれつつあるようだ。) で、この一番濃い「第二次オタク層」の描写がまたイイ。 16〜20歳代半ばのこの層が如何にアレかというと、その八割が何らかの方法で 日本語を学び、アニソンを日本語で歌い(おたくだからオリジナルにこだわる。 ヴィデオじゃなくてビデオと発音。エヴォンジェリオンじゃなくてエヴァンゲリオン。 マジンガーZの主題歌を「ズィー」じゃなくて「ゼーット」と歌うダメな アメリカ人と同じ)、声優アイドルのファン(!)も多い。 巻末で紹介されるフランス一のダメおたく兄ちゃん(強烈な林原めぐみファン) とか見てると、実際頼もしい限りなのである。近づきたくないけど。 こいつは死ぬまでダメな道を貫くのであろうなあ。 この単行本のカバーはフランスのコスプレイヤーの写真で覆われているのだけど、 これがまた何というか。本物はダメだよ本物はッ!みたいな。 エメラルダスが凄くて。あの松本美女特有の大きめの鼻が完璧に再現されていて イヤになること請け合い。マフィア顔のモコナとか。 ・・・うーん、この辺のリアルなフランスおたく文化をもっと活写して くれてればなあ・・・と思うですよ。いやあんまり活写されても イヤになるだろうけど。カメラを向けると「コスプレの本場」同様 Vサインを出す、とかいう描写がもう。ああ、いやだいやだ。 この本の軸は、そういったおたく描写よりもむしろ、著者が知り合った マンガ専門店「トンカム」社長のドミニク・ヴェレという人の人生に 置こうとしているようで、どうもその辺まとまりを欠く。 が、言いたいことは伝わる。 日本のマンガやアニメは、単純にその持つ「作品性」の魅力故労せずして 右肩上がりに海外へ浸透しているように言われていた(という風に社会を 洗脳したのは岡田はんだが)が、そんな単純な話では決してないのだ、という。 何より先ずその世界に「本気で」関わる層の厚さ・・・日本のおたく人口は、 コミケだけを見ても30万人を下らない。有明の広大な駐車場を見渡す限り 埋め尽くすダメ人間達の放つ異様な「場」のパワーを見るにつけ、 日本のおたく文化というゲスいが故の歪んだ力を感じざるを得ない。 その「場」の生み出す力こそが、「おたく力」とも言うべき、世界のダメ人間を 引き寄せる磁場を形成しているのだ。いやもう、それくらいダメなパワーが 集まってる「場」が、この価値観の分散した現代社会の何処にある? そりゃガイジンも「本場」の真似してピースサインするっちゅうねん。 金髪碧眼の姉ちゃんがリアルセラムンやるっちゅうねん。 西欧社会(・・・)での、「おたく」文化は、今ようやく「認められつつある」 だけなのだ。まだまだ、日本のアニメ、マンガ、ゲームはあくまで「幼児」・・ 「人間未満の存在」の為の娯楽でしかないのだ。 あの「日本が輸出できる文化はマンガとアニメとゲーム」という脳天気な論を 深く考えもせずに吐いている某新聞集団は、一度その当のアニメ/マンガ制作者達が どれだけ劣悪な環境で血を吐きながら仕事をしているか、どれだけ局側に搾取 されまくっているかを見ておくといい・・・まぁそれのお陰で 安いアニメは世界に浸透していったわけだけど・・ p82〜86の、フランスで放映された膨大な数のアニメリストを見ると、 そういった思いがこみ上げてきて、何つーか、胸が詰まるよ・・・。 「常に新しい、エネルギッシュな文化は「分別のある大人」からは白い目で見られ、  旧体制、フランス語で言うところのアンシャンレジュームと摩擦を起こすもの  なのである。」(P198) ・・・日本でもかつてはそうだった。今や一億総おたくと化して、熱的死を 迎えんとする日本おたく世界。それもまた時代の流れなのか・・・ ・・・すいません全然纏めれてませんね。いつものことですが。 やー、文章も読みやすくて割とお薦めの一冊でした。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/04/13)
マーク・ペンダグラスト著・古賀林 幸訳 「コカ・コーラ帝国の興亡 100年の商魂と生き残り戦略」/徳間書店/1993/04/30 厚さは結構あったけど(この冬のコミケカタログよりは厚い) 全く飽きさせずに一気に読ませられてしまいました。 もう滅茶苦茶面白かったという・・ ・・・実は密かにコカコーラファンな私。 屋根裏の空き缶のコレクションには 各地の国体記念缶、オリンピック記念缶の他にも 中国、アメリカ、カナダ、イギリスの缶なんかも有ったりして。 でも、コカコーラを初めとする各商品が どういう経緯で生まれてきたのか−を 詳しく知ったのはこれが初めてでした。 ・・・スプライトが7UPの対抗商品だった、とか ミニッツメイド買収騒ぎとか タブ(ダイエットコーク以前のダイエット飲料。 クリスタルクリアブームの時にタブ・クリアつって 日本でも一瞬だけ発売されましたよね)の作製秘話とか まさか「ファンタ」がナチスドイツ政権下で原液の輸入が出来なくなった ドイツのコカコーラ社が作った苦肉の策だったなんて。 この本には、1986年で100周年を迎え 更に次の100年を生き抜いていこうとするとんでもない企業 ・・・というより「清涼飲料水」の姿がある。 世界中で最も名を知られた商品。奇跡の様な炭酸水。 そして何より、それを通して描かれるこの100年間のアメリカの 市民生活の変遷の興味深さ。 つまりこの本はただコカコーラ社の社史ではない。 CMを通して、時代の移り変わりを見事に描いてみせたり・・・ 矢張りコカコーラの歴史は何よりもまずアメリカの世相の歴史そのものなのね。 読了後の感想としては・・結局、コカ・コーラというのは、 本当にイメージの産物なのね、という。 特に巻末、1985年にコカコーラの味をより滑らかにした ”ニュー・コーク”が誕生してすさまじい反発を受ける辺りでそれが良く解る。 曰く 「コークを変えるのは、神が草を紫色にするようなもの」 「わが家の前庭で国旗を燃やされたとしても、私はこれほど怒らない」 で、やむなくあの「クラッシック」(「TO−Y」参照)を発売すると 「クラッシック」の売り上げがニュー・コークに置き換える以前よりも 更に延びた・・・という下りなんかは実に象徴的。 目隠しテストでは、ユーザーは明らかにニュー・コークを好んだというのに、だ。 巻の中盤から始まるペプシとの熾烈な広告争いは見ていて笑ってしまうほど凄い。 目隠しテストCMに代表されるように、お互いがお互いを思いきり意識した 広告を打ち合っている(例えば今のペプシのペプシマンがコカコーラっぽい トラックに追いかけられるやつとか)歴史は今も綿々と続いているわけだけど・・・ ペプシが攻勢に出たときのCMソング 「たっぷり12オンス。それはたくさん/5セントで2倍も  /ペプシ・コーラはあなたの飲み物」 なんかは、もう露骨で笑わざるを得ない。 (「2倍」なのは勿論コカコーラの2倍、という意味。) そういえば数年前にダイエットペプシが打った全面広告で 「太りたい人はコカコーラライトを」というのが有ったのを思い出すよ。 近年ではコカコーラのCMはビル・コスビーにが結構顔だったらしい、というのも この本で初めて知った。ビル・コスビー・ショウ、好きだったっすよ・・・昔・・・ うーん・・・まとまらないので以下テキトーに。 読書メモなんで読み飛ばして下さい。 99%以上がただの砂糖水、であるコークが生まれたのは19世紀末、 売薬ブームの真っ直中。都市化がすすみ、「神経症」が都市特有の病として 蔓延しだした時期。当時は滋養強壮剤としてのありとあらゆる薬効を宣伝しつつ 様々な液体が売られている。コカ・コーラもそうした売薬の一つだった。 アメリカ特有のいわゆるソーダ・ファウンテン(炭酸水売場。一昔前の小説では アメリカの少年はドラッグストアの片隅でソーダを飲んでいたものだ)で 炭酸水で割られる原液の一種として生み出される。作ったのは ジョン・ペンバートン博士。漢方を修めた彼は、コカの葉の効能(コカイン)と コラの実の効能を合わせ持った偉大な健康飲料としてこの飲み物を作った。 今のソレとは恐らく似ても似つかぬ味であるらしい。 今の商品(成分は7X、と呼称される)にコカとコラがどのくらい入っているかは謎。 ただコカインは抜くようにしたらしい。アブない事件がいろいろ起こったので・・ ペプシもほぼ同時期に生まれている。ペプシはその名が示すように、 ペプシンが配合されていて、消化を助けるという売り込みであった。 ドクターペッパー(チャールズ・アルダートン作)も同じ時期。 第二次大戦で戦場にまでコカコーラを(生産工場ごと)連れていくアメリカ。 工場が作れないときはタンクを背負ってでも持っていく。 戦場で、兵士達はあの茶色い原液をブリキのスプーンでアルミのカップに入れ、 割る炭酸がなければ水で溶いて祖国を偲んだ。これがアメリカ人なのだ。 ・・・多分我々がこののち、宇宙の戦士の如く他の星系に兵士として 送り出されたとしたら、「地球人」はみんな故郷を思って コカコーラを飲むのではないか? この本の原題は「For God,Country,and Coca-Cola」であるが、これは 自分たちが何のために戦っているか、という事を書いて送った手紙の内容からの引用。 神と、祖国と、コカコーラのために。 この本の中で、恐らく最高のCMとされている、ビル・バッカーの手になる ”本物シリーズ”の「丘の上」編(1971.7.7〜)というのを一度見てみたい。 内容は、イタリアの丘で世界中から集められた200人の10代の若者達が リンゴを育て、蜜蜂を世話することをリリカルに歌い上げた・・・というものらしい。 大反響だったという・・・ 7UPのCM集とかはLDで出てるのに、コカ・コーラのCM集って無いのかなあ。 ・・・うーん。切りがないのでこの辺で。 いや、ホント良くできた本でした。お薦めです。 読んでる間中周りの人間にコカコーラウンチクを話まくって煙たがられた @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (990101)
赤瀬川原平「ステレオ日記 二つ目の哲学」/大和書房/1993/04/18 随分以前に日曜美術館でハイレッドセンターやってたとき、 「ステレオ茶会」の模様が放送されていた。 曰く「脳内リゾート開発」。茶室でステレオビューワーを覗く親父達。 「馬鹿なことやってんなあ、でも面白い。」とか思ったけど 「それ」に至る流れをこれで読みとることが出来る。 ビデオで久々に見直して(こういのビデオに残してしまう辺りどうかと思うが) 「雲がガラス板の重なりの様」とか云ってるのを聞いて 「ああ、こういう意味の会話だったのか」と。 矢っ張り実物(立体写真)見ないとわかんないですよこれは。 いやそれだけなんですけどね。 実際このステレオ写真というのは不思議な物で、 やっぱりステレオ効果がきっちり出る風景とそうでない風景が有る。 以前の路上観察的な視点、何かしら「解釈」が入り込んだ ねっちりした視線はここでは影を潜めており、 ただただ純粋に「より立体である光景」を探し求めてる (初めはそうじゃないのがだんだんそうなっていく)辺り 実にこう、乾いた良さがある。写真そのものには 「意味」があまり封入されなくなって、純粋に「立体」へと踏み込んでいく・・・ 意味よりも感覚。感覚から再び意味を取り出すのは簡単だ。 だが新たな「感覚」を生み出すのは簡単ではない。 この番組の中で竹林の賢人白洲正子氏が 「本質をつかんだ上で新しいことをやるから確かである」 「赤瀬川原平は最早前衛ではなく”赤瀬川”である」 というようなことを云っていて、今見るとああ確かにそうだよなあとか思うのだ。 個人的に好きなのは050の雪の写真とか、012の桜の写真とか。 これらは立体写真でしかとれない「空気」を写し込んだ作品で、実に良い。 是非一度ステレオ写真を撮ってみたい物だが、ステレオカメラは 現在中古市場でしか手に入れることが出来ない様だ。 ・・・此の本によれば「TDCビビド」というのが良いらしい。 作者の思い入れが伝わってきて、「欲しい!」と思わせる辺りは 流石にカメラライター。 ※写ルンですでも立体写真は撮れる様です。 要するにステレオベース(レンズとレンズの間)を6〜7センチ (人間の目の幅)取れば良い。あとは同時にシャッターを 押す技さえ身につければOK。結構手ブレに悩まされそうではあるが。 ・・・「立体」も久々に楽しんだ気がする。ランダムドット全盛期から既に数年。 然しこれ読んでから暫く、並んだ物を見ると立体視してしまう癖が。 パソの壁紙とか立体視しやすいですよね。 JRの切符も立体視すると結構凄い。なんと千円札でも出来る。 流石に印刷のズレは殆どないから立体感は薄いけど・・・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (98/11/29)
岡田斗司夫・世紀末対談「マジメな話」/アスキー/1998/04/11 岡田斗司夫氏が97年後半に行った対談を集めたもの。 対談相手は 小林よしのり、岸田秀、大槻ケンヂ、堺屋太一、鶴見済、 小室直樹、今野敏、宮台慎司、岡田和美。 「でね、原稿を読み返して思うのは、ホンマにねえ、「去年の僕は賢かった」(笑)」                                  −(p321) 「僕は気が済んだから、君らも気を済ませてくれとしか、よう言わんわ(笑)。」                                  −(p339) で、現在の岡田斗司夫は本気でオモチャのヒトらしい。 じゃあ今の彼は果たして「オタキング」なのか−はさておくとして。 その「生き様」の特異さ、というのが歳月を経るにつれより明確になってきて 「矢張りタダモノではないな−」という感じなのであった。 さてこの本は、その97年の「賢かった頃」(何かチャーリィ・ゴードンみてえ) のオタキングの対談集な訳で− 正直この本だけで語られている事の全てをフォローすることは不可能であろ。 脚註も細かいけれど、いかんせん「外」から持ち込んだ論点をこの場で 語っているだけなので− 対談の前後の流れを掴めていないとどうにも分かり難い。 「解った気になってしまうが、でもよくわからん」ものが多い。 ・・やっぱ拙者の基礎体力が不足か・・・ で、個人的に「これを読めただけで買った価値有り」と思えたのが、 大槻ケンヂとの対談。もう「ウアー」というか。「自分、ヤバイ奴でした」 的カミングアウトの仕方が、実にこうなんというか「こっち側」的で。 そのさらけ出し様が痛々しくて・・・うああああああ。 あとはやっぱし「レイヴでゴーゴー」モード感たっぷり (今はどうだか知らないけど)の鶴見氏との対談ですかね。 「「支配してるやつがわかったら戦おう」とか  そういうメンタリティはありますか」(p156) なんかは、なんつーか・・・「神狩り」では・・とか。 全てのタガが外れて−と言うか(この「と言うか」こそが問題なのだが) 全てが”日常化”して行く日本・・・ −よくあるエントロピー増大のなれの果ての、ぼんやりと不幸な日本を想像すると 然しそれは妙に懐かしく好ましい様にも思えるのだった。 「無意味な繰り返し」を否定も、肯定もしない・・・「レイヴ」な感覚が その口調から感じ取れて非常に面白かった。 あとは、今野敏氏との対談とか。 「ものを作る人間は、それが最良かどうかはともかく、  あるモデルケースを提示すべきだ」(p232) ってのは全くそうだなぁ、とか思うわけで。 (でも、それは「シーン」でも良いんじゃないか、「シーン」だって  ひとつのモデルケースじゃないか−とかいろいろ) この辺は嘗て「木を植えた男」の頃にさんざんやった様な記憶もありますが。 ・・・然し実はまだ「慎治」読んでないんですよ。読むべきですかね。 この手の「論」ものって長いこと見てなかったもので(もともと苦手な上に 脳が完全に駄目になって久しいので。例のゴー宣の戦争論とか読んでて 「まぁ、そういう感じ方もアリだよね?」的感想しか無かったという。駄目だ。) 面白かったです。 ・・・・やっぱ、鶴見氏ですかね。「共感度」から言えば。 終わり無き日常。古新聞の数だけ退屈を背負って年老いていく我々・・ この世にもはや「大きな物語」は作り得ない−そのことを再認識するためにも ボクラはもう一度、エヴァを通して観ておくべきなのかも知れない。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (980717)
野田昌宏「宇宙を空想してきた人々 SF史に見るイメージの変遷」/NHK出版/1998/07/01 NHK人間大学・1998/07〜09月期のテキスト。 何というか・・・私ゃ興奮のあまり鼻血を出してしまいました。いやマヂで。 あるでせう、こう、興奮したり感動したときに背筋から鼻の辺りに「じーん」と 抜ける奴が。アレがもう目白押しというか。 人間大学のテキストで興奮して鼻血を出すことになろうとは。 各回のサブタイトルと放送日時は以下の通り ------------------------------------------------------------------------------  第一回 SFは絵で始まった〜宇宙人の肖像画 7/9:7/13  第二回 月世界旅行は弥生時代から〜宇宙旅行の系譜 7/16:7/20  第三回 SFの三巨匠 7/23:7/27  第四回 SFは科学の教科書である! 7/30:8/3  第五回 火星人と運河 8/6(この日のみ23:15〜23:45):8/10  第六回 宇宙旅行は本格化した〜スペース・オペラの誕生 8/13:8/17  第七回 SFの”市民権”獲得へ〜スペース・オペラからのテーク・オフ8/20:8/24  第八回 ロボットはいかにして生まれたか? 8/27:8/31  第九回 時間を旅する・・・・ 9/3:9/7  第十回 日本SFの黎明期 9/10:9/14 第十一回 花開く戦後日本のSF 9/17:9/21 第十二回 やはりSFは”絵”である〜そしてSFの楽しみ 9/24:9/28 ------------------------------------------------------------------------------ ※放送時間:教育テレビ 木曜日 午後10:45〜11:15       再放送   月曜日 午後3:00〜3:30 「SFは楽しいです」 ああ、そうだよそうなのだよ。そうなのだったよ。SF世界への憧れが 頂点だった頃の魂が蘇る。すっかり灰になっていた筈のSF魂が。 今回の講義は、「はじめに」によれば 「一般教養課程の”初級SF史概論(前期)”というところ」 であり、主に1950年代前後を時系列の下限としている訳で、その辺 もう耳タコな方も居られようとは思うけれども− やっぱりそれでも野田節を読んでいるだけで幸せな私。 是非とも後期講座や専門各論もぶって欲しいものですな。 押さえめな文体の向こうに、限りなく熱い魂が垣間見えて非常に緊張感のある文章。 いつものノダコウぶりに比べれば「押さえてるなぁ」という感じだったのが、 第八回、押さえきれなくなった筆が暴走して・・・ p90ロビーの解説の下りが殆ど「いつも」のノリになってて爆笑した。 おッさン、好きだねェ・・・・という感じ。 あと興味深かったのはp58で語られる人工衛星の原理。 「ある一定の速度を超えたとき、ボールは永久に落ち続ける」というアレ、 「オネアミスの翼」内で語られたのと同内容なんですが、これって有名な 「たとえ話」なんでしょうか?それとも野田/宇宙軍のオリジナル? えーと。 SF者は買ってて当たり前。でしょ。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (980711)
夏目房之介「マンガと「戦争」」/講談社現代新書/1997/12/20 イマイチ。 夏目センセーの論にしては、「成る程そうか!」という部分が無さ過ぎた。 このテーマはまた後に再考されるべきでは有ろう。 マンガ、特に少年漫画の世界に置いて、「戦争」は絶対に切り放せない存在である。 近作を観ても、EVAがそうであり、他にも列挙にいとまがない。 この論は、何故そうなのか、ではなくその扱われ方についての言及なのであるが、 「最後に」と題された作者の言葉を引くと、 「戦後マンガの「戦争」イメージの変遷を、時代と日本人の変化に接する位相で  たどり、現在にまでつなげてみたいと思っていた」が、論を進めていくうち 新たな問題が出てきて上手く行かなかった、と。 ・・・全くそう言う感じ。 ただこの切り口は割合使い回しが出来そうなので、今後の展開に期待。 戦後日本に於ける「戦争」の記憶がマンガの中で如何に再現され、忘れられ、 新たな事象に移行していったか。 然しこの切り口で、きちんと少年漫画史(青年誌マンガ含)が語れてしまう辺り、 本当に日本の漫画と戦争は、切り放せないのだなぁと。 ま、そんな、所、でした。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (980519)
岡田斗司夫「東大オタク学講座」/講談社/1997/9/26 結構面白かった。 濃すぎず、薄すぎず、かつアニメ特撮以外の「ヲタク」を講師に積極的に 動員したのは、流石名プロデューサーという感じである。 「洗脳社会」の面白さとはまた別の、この「空気」の妙さが伝わって良いのだ。 以下雑感 第一講 ゲームクリエイターのアノマリー分析 今明かされる電脳学園制作秘話!って秘話じゃないか別に。 岡田氏は自分が関わった過去の作品を語るときに 否定しすぎるきらいがある。一人で作った訳じゃ有るまいし あんまりやるのは嫌味ではないか。 「負けたら女の子がアカンベーしておしまい、勝ったら服脱いで「イヤ〜ん」。  そこで「ゲームの本質はこれだ!」って。」(p41) 確かに本質はこれだ・・・。 第二講 日本のアニメの思想と根性と美学 やっぱ「昔のをたく」臭い。というか、アレ以来何も技術的革新がないんだなぁと。 例に挙がってくるのは第二期アニメブーム(’84を中心とする)の作品ばかり。 然し勉強にはなる。アニメの「画面」は割とここで語り尽くされている。 第三講 エフェクトアニメ進化論 ゲスト講師:ロト 金田エフェクトを解説。一点集中の講義で流石に面白い。「猫背の戦闘機」って 初めて聞いたけど、確かにそうだった。 然し矢張り、個人的には金田氏の濃いエフェクトより、庵野秀明作画の戦闘機とか ああいうのが好きなのだった。やっぱ特殊作画マンとしての庵野氏は天才(だった)。 あとヲタクの老後についていろいろ。僕の前に道はない。僕の後に道は出来るのだ。 第四講 あくなきオタクなまんが読みになる方法 マンガそのものの文法論などは他のテキストの方が(当然)充実しているので そちらに譲っている。矢張りここでもオリジナルな話題はマンガの海外輸出戦略。 特にアメリカ関連に突っ込んでいるのが興味深い。 アメリカに進出するのはまだまだ難しいのだ・・・「目利き」が必要。 第五講 民主主義的に正しいスーパーヒーロー ゲスト講師:フレデリック・ショット マンガとアメコミ。フレデリック・ショットは最近結構見聞きするようになった 名前。最近氏の著書「DREAMLAND JAPAN」に影響されたガイジンが 結構いるらしい・・ アメコミの不幸を歴史的背景を通して語っているのが興味深い。 第六講 まちがいだらけの現代科学 と学会もの。入門。この世界は基礎知識が膨大だからな・・・ 第七講 妄想戦士たちの栄光と影 ゲスト講師:皆神龍太郎 志水一夫 ランディーを倒せ。これもと学会系列。アミーゴス的トークショウ。 第八講 現代アートの超理論 ゲスト:村上隆 この村上氏の名前がおたく界(特にモデラー界)に浸透して暫くなる。 結局「等身大綾波レイ」と例の「プロジェクト・ココ」の匂いの違いは、まさに ホビーとアートの違いなのだった。 素材もデザインも基本的にはヲタク派生なのに、どうも出来上がったモノは 「違う」なぁ、これはガレキじゃない、魂が違う・・とか まぁ何となく感じていた訳ですが、ああ「アートの文脈」で組んだら こうなるのねという。納得。 このへん微妙だが、感覚的に成る程と思わせて良い。 この辺もハッタリ半分だとは思うんだけど。 第九講 ゴミ漁り想像力補完計画 ゲスト講師:村崎百郎 これには参った。 ここで村崎氏を初めて知ったのだけど・・・こりゃ凄いや。 兎に角読んでてのまれっぱなし。ゴミを漁りながら、そのゴミを捨てた人物像を 想像していく過程のエキサイティングさよ(然しこれも大都市ならではかも。 田舎でゴミ漁りしても読み解くだけの情報が無い場合が多いし)。 特にp250で語られる、全く知らない人達がやってるカラオケ大会を見ながら 「つまりこの世には俺以外にも人間がいて、そいつらには友達や彼女がいて、  結婚して、二次会でこんな風に盛り上がったりもしてるんだなぁっていうか、  「他の人間がいるんだ」ってのを実感しちまった」下りの凄さ。 解りすぎる。「求めてるのは個人よりも物語」というのは至言。 氏の著書も読んでみたい。 第十講 終わりなき「やおい」の野望 ゲスト講師:青木光恵 青木でやおいを語るなっちゅうねん。 然し青木光恵の持ってくる人物像ってみんなキレてる人ばっかしやな。 そういう風にしか見えないのか、それとも実際そうなのか・・・ いたけどな。友達にも。 一つ心に残った名言「擬音を口に出すようになったらあかん」(p278) 成る程。 第十一講 日本核武装論 ゲスト講師:兵藤二十八 これがまた面白い。あんまりこの手の話に興味が無いというか素養がない私は これ読んで洗脳されかかってます。内容はタイトル通り。あんまり語ると アレなので、詳しい人の解説など待つ。 第十二講 愛と誠の変態講座 ゲスト講師:唐沢俊一 もろ唐沢商会チックに展開する。やっぱこの人の話術は芸の域だ。 同じネタなのに、面白い。実際に聞くと倍は面白いぞ。 内容はタイトル通り。オチまでぎっしり、どうしようもなく唐沢(兄)がつまってて 岡田斗司夫の姿は無い。 第十三講 敗れざる『ゴーマニズム宣言』 ゲスト講師:小林よしのり 明確なテーマはない。「ゴー宣」って既に私の中では外れてきてるんで・・・ ちょっと食傷気味。 個人的に感動したのは第九講のゴミ漁り、で 何かもうモダン都市文学の「都市の周縁」の臭いがするのだった。 ブンガクの臭いなのである。「ブンガクの文脈を踏まえている」というか・・・ まあ何にせよ、岡田はんの話だけでは最近持たなくなってきているので、 こういう周辺人を集めてアンソロジー的な事をやってくれると面白いのだった。 ・・・スイマセン一寸雑な文になってしまいました・・・お許しを。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (97/11/17)
と学会「トンデモ超常現象99の真相」/洋泉社/1997/3/26 SF・アニメ閥サブカル系活字読者ちゃんの殆どが 未だにエヴァンゲリオン一色の様相を呈している昨今、 こういう本は実に心温まる一冊といえよう。 著名な超常現象を取り上げて、その謎解き或いは否定をしてみせる。 ジャンルはUFO、異星人、宇宙の伝説、地球大異変、古代文明、超科学、霊、 大予言、超能力、超自然、等であるが、この手のジャンル分けは非常に難しい。 実際此の書でのジャンル分けも成功しているとは言い難く、 その辺詰めの甘さを感じるところである。 でも・・・なんかもうただただ懐かしいというか。特に小中学生時代 狂った様に覚えた、UFO、宇宙人、謎の実験に関連する専門用語の数々 (キルリアン写真とか、フィラデルフィア実験とか、ロズウェルとか・・)が もう目白押しで。いや自分でも良く覚えてるなと感心する。 私は「ミステリーサークル」「プラズマ」あたりで「ムー民」 やめちゃったんで(MJ-12とかエリア51とかには疎い・・)偉そうな事は 言えないんですが、こういう無駄な知識ってのは(のめり込み過ぎない限り) 実に嬉しいものがある。 ヲタク的な楽しみではありながら、どこかこう馬鹿アカデミックな感じが 超常現象ものには多くて、籠もらない濃さというか、うーん難しいな、 兎も角それなりに騙される楽しさを味わえるのである。 「成る程!」と思わされた方が負け。負けは負けなんだけど、面白い。 安直なセンスオブワンダー。SFの基本だ。 この辺が「SFファンってUFOとか信じてる人の事よね?」と 飲み屋で聞かれたりする所以なんだろうけど・・・ 「エヴァ」関連の活字で疲弊した脳を休めるために、脳天気なこの一冊を。 然しつくづく抜け切れてないな>私。例の読み解き本買うかなぁ・・・ 劇場公開まであと・・・。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
赤瀬川原平・編「トマソン大図鑑 無の巻」/ちくま文庫/1996/12/5 赤瀬川原平・編「トマソン大図鑑 空の巻」/ちくま文庫/1996/12/5 文庫なのに一冊1300円。 流石はちくま文庫。容赦が無い。 然し其れも其の筈で、これは図鑑というか写真集なのだ。 知っている人には説明不要の「トマソン」だが、 果たして今どれくらいの人がこの名と定義、出自を知っているのだろうか。 今となっては(「VOW!」なんかで)当たり前と化した物事の捉え方の一つだが、 その概念が登場した当初は、本当にショッキングな事件だった(らしい)のだ。 一つの新しい視点の開拓であり、路上観察学の(大正期以来の)復活でもあった。 とまあそう言うわけで堅苦しい話は抜きにして(いや出来ないんですが)。 ただ眺めるだけで楽しめる珠玉の図鑑。 今まで数々の本で紹介され、知られてきた「物件」達が この2冊にほぼ収斂されている。 かつては物件そのものよりも其れを捉える観察者側の意識を中心に 語っていたような所があったが、それも最早不要(な程「トマソン的見方」は 浸透した)である。 第一物件発見以来24年の歳月を経た今、その物件達の有意味さは失われつつ あるかも知れない。浸透と拡散という奴だ。今しか出せない本のような気もする。 今しか読めない本、かもしれない。 ・・・いやただ観ればわかる面白さなんですよ。 赤瀬川氏の解説がまた素晴らしくて。写真をみて、解説を読んで、また写真を見て。 柿の種と酒を往復する、いやさゴハンとオカズを往復するようなこの心地よさ。 ワビサビと笑いが共存する、感覚だけが支配する世界。 何ひとつ企まれた物のない、ただ其処にそうして有る物件を、感覚一つで切り出す その「感覚」を共有する醍醐味。そして何よりその「元締め」であるところの 赤瀬川原平の「人の良い空気」に触れる安らぎ。 何故トマソンが僕をこんなに(いまだに!)捉えて離さないのか、その一つには 路上観察学会人の人の良さというか、「格好良さ」にも有ったと思う。 赤瀬川原平の語り口の素晴らしさ!何も芥川賞作家だからとか、 もうそう言う以前に・・・ トマソンは終わらない。新たな「物件」が発見される度に、 新たな次元へと延びて行く。 だが、矢張り「浸透と拡散」は何処にでも有るのだ。其の意味で今斯うして 「トマソン」を纏めたのは、意味深い物であろう。 好きなページは空の巻p234。「車は液体になるしかない」境界。 いやもう人の思惑というのが空回りして生み出す「無用さ」ってのはタマラナイ。 好きだ・・・ じっくり味わって下さい。お薦めです。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (97/05/18)
ファミ通編集部責任編集「ゲーム帝国 VOL.5」/アスキー/1997/1/4 見よ。偉大なる神はわしらに比類無きゲー帝(嫌)の第5巻をお示しになられた。 今あかされるあんこロボの秘密!! 買って良い。 っていうか いやー、やっぱ良いわ。そこはかとなくネタが古いのがまたいい。 CMネタは特に古びるのが早いと実感。ううむ。 しかし濃いなあ。濃度が高い。 正直ファミ通このコーナーの為に買ってる度40%だし。 それが延々150ページ。読むのが億劫になるほど濃いぜ。 私の場合、読み終わるのに2週間近くを費やした。 しかし、真の価値はこれからで、実は二ヶ月に一回は読んで笑える 実にコストパフォーマンスの高い本なのである。 しかし、こういうスタパ系の喋りってのは真似しようとしても難しい。 一時期影響を受けて「だーゼー」とか言ってたけどさ。 あっそういえば「スタパミン」注文してないけど 本屋にあるかしらん。探さねば。 ではまた。 (JAN.31.1997) @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
夏目房之介「読書学」/潮出版社/1993/7/15 「コミックトム」誌にて1986/5〜1991/11にわたって連載された同名エッセイの 単行本。らしいです。いや、「トム」読まないもんで。 某NHKの人間大学(オモシロい)ですっかり顔が売れてしまった作者であるが、 流石にもう「夏目漱石の孫」なんて言われなくても大丈夫になった。流石だ・・。 手塚真みたいなものかしらね。 人間大学の方は、如何にも「漫画学」でしたが、この本は漫画(本)の話、という よりはむしろ、「本と私」といった内容の色が強かったように感じる。 何より、まず「自己紹介」から始まるのだ。漫画も語るには語るが、「漫画学」程 熱く系統立てて語ってるわけでもなくて、ただその場その場での茶飲み話的な 「お話」なのだった。・・・それよりも、著者自身の自伝めいた部分が面白い。 −しかし。私がこの著者に何よりも親近感を覚えたのは、P107 「坂田靖子にあこがれて」の項を読んだからなのだわ。これがトムに書かれてより 数年後、ワタシもこの著者と同じように坂田靖子を手当たり次第に買いあさる事に なったのだけど、全く、あの漫画が好きな人間に悪い奴は居ない(ワタシにとって、 ね)というか、「心の友」な感じがしてしまうのだ。 P109「こーゆーのが描きたい」 全く!!!! −そのへん、「読み手としてのセンス」は十分尊敬に値する。 でも「漫画家/イラストレーター」としての氏は、凡庸かも・・・ まぁ、そうワタシが感じてるだけなんですけどね。主観の問題・・・ 夏目房之介未読の方にはは、取りあえず「夏目房之介の漫画学」が非常に エキサイティング(少なくとも出た当時は)でオススメだったと思います。 昔の話で思い出せない・・・こんなんじゃいくら読んでも意味無いな・・ んー。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
唐沢俊一「古本マニア雑学ノート -人生に大切なことはすべて古本屋で学んだ-」 /ダイヤモンド社/1996/3/26 ダイヤモンド社の「雑学ノート」シリーズの一冊。 読みがいは、有る。 単純に「濃い」というイメージだった唐沢「アニ」の根元というか、本職というか、 「本当の顔」が見える。 何より、この本も又「オタク学入門」なのだ。とにかくどうしようもない「マニア」 が、「目利き」にすり替えられていく感覚が全く同じ。・・・どっちにしろ、知らない 方がシアワセな世界ではある。 しかしこういうほぼ全方向性の様な古書収集こそが、氏の「濃い」雰囲気を生んで いるのだなぁと。 あと、この本、俊一氏の「青春」が見えかくれして(唐沢兄ファン(居るのか)は この部分の為に一読するも良。)、興深い。「わが古書遍歴の記」はヤマト世代の アニメファンがどれだけ熱かったか、を伝えてくれる。こういう辺りは実に上手い。 ・・マニアのグループが出来て、その中から彼女が出来て、でも自分のマニア性と 彼女とを天秤にかけた瞬間にマニア性を取ってしまって別れてしまう・・・という もうあんまりにもヤマト世代のステロタイプ・・・ しかしまぁ、古書屋めぐりで半日潰したり、行きつけの古書店では店に入ると 思わず店長と立ち話してしまうような方々には、「ああ、そうそう」で終わってしまう 内容では、あるか・・それを言葉、文字にして出版出来てしまう所に俊一氏の凄さ (力)があるのかもな。 岡田の「オタク学」にも大きい影響を与えている様で、「価値は、目利きによって 生み出される」「価値は自分で生み出す」といった、「オタク学」の論拠とも言うべき 考えが打ち出されている。ちょっと危ない感はあるんですがね。 しかしそーゆうのにも容易に同意してしまう自分がどうにも・・ パソ通の様に、だれもが情報を(価値観を)発信できるようになれば、その効果(?) はよりハッキリしたものになってくるのではないかしら。だってあるでしょう、友人が この本好きだっていうから、この本を読んでみた。ナルホド奴が好きそうな本だな・・ っていうの・・・なんかよくわかんない話になってきたな・・・ でもやっぱマニアはビタミンD足りなさそう。もっと日の光をあびよう・・と思って 反省してしまう俺は一体。 ・・・などと書いてから気づいたのだが、なんかニュータイプの9月号で大々的に 紹介されてんじゃんこの本。ちっ。まぁいいか。 んー。ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
廣淵升彦「スヌーピーたちのアメリカ」(新潮社)を読了。 県立で見かけ、以前NHKで紹介されていたのを思いだしたので借りたのだけど、 これが以外と・・いや、面白い。とゆーか、PEANUTS好きには たまらない一冊。PEANUTS(スヌーピー)を知らない人もこれを一読すれば とりあえず日本国内では「通」といえるでしょう。多分。 この作品がどれくらいアメリカ人の中に住み着いているかを知ると、たかが漫画 されど・・・という感じ。現代アメリカを語るにPEANUTS抜きには語れない、 と言う筆者。(ただそこでサザエさんを引合いに出すのは・・・) かく言う僕も以前からPEANUTSが好きで好きで。 特にペパミント・パティには恋をした程だ。今でも憧れる。 今朝も図書館の19日付けトリビューン(国際紙)でペパミント・パティの HAMLETについてのハズしたレポートを楽ませてもらった。 マーシーに突っ込まれて”I CAN’T STAND IT!”の表情が何とも。 (トリビューンは漫画がまとめてチェック出来るので良い。) 角川版(以前に鶴書房ツル・コミックで出ていた物の再販で’80年代初期に出た) ってもう手に入らないの?うーーーん・・・ 出来れば現在7巻まで出ているA PEANUTS BOOK featuring SNOOPYの形(コマ内は原版 通り、訳がコマの外)で再販望む。 横田順弥(出ない)「夢の陽炎館」(双葉社) いくら明治30年代フリークといってもこのオチ無しのミステリーもどきには ついていけん。雰囲気はまあ許そう。けどストーリー自体が・・・ ヨコジュンもよく解んねーなぁ・・・いや、もともと古典こてんの人だから・・・ これこそ本質なのかな。 「明治時代というのは、何が起こってもふしぎではないような気がするから  ふしぎです。」という後書の言葉が示すように何でも有りの明治時代・・・ なんか、違うんじゃ・・・・? 明治時代の空気が好きな方はどうぞ。 ではでは。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
「バーチャファイター2マニアックス」アスペクト/1995 結局買わずに、友達から借りました。彼はもう殆ど暗記してしまったというから。 で、到底立ち読みは不可能な重量(1.5Kg有る。今計った。)だったソレを 漸く読んでいます。 矢張り、というか異常な「攻略本」だなぁ・・・・と。 出たのは9月である。当時と今とではゲーセンの状況はかなり変わってきている。 勿論ソレをとりまく環境も。 その上で、読ませる。読ませるのだ。ゲームの「攻略本」を「読んだ」というのも 変な感じだが、この分厚さその説明のしつこいまでの丁寧さそして そしてブルース・スターリングによる(しかも訳は今岡清!)序文に代表される 本来の「攻略」とは別視点からの攻略。 総てが一見して「異常」としか言いようがない。異常なまでののめり込み。 この本を見、その重さを感じ、中身を読めば、当時(と言わねばならないだろう)の バーチャロイド達が、確かに異常なまでに没入していたという「跡」を認めることが 出来る。それがたとい100年後であっても。 我々を恐怖に陥れた例の「ワイアード」の柏ジェフリーの記事を思い出す。あの記事 もまた、「当時」をいずれ語るときに重要な資料となろうが・・ 「インベーダーゲーム」やドラクエの行列といった「社会現象」とは違い、ゲーセン という隔離された社交場ででは有るが、確かにコレは時代を作った。 出来る強者達だけが存在を許される閉鎖社会をのぞき見たような気分。 そしてこの1/60SECの世界を完全に体得することは(僕には)不可能であり、また たとい体得したにせよ、既に全盛期は終わったわけで、それはゲーセンを見れば明か。 まして家庭にあれ程完璧な移植がなされた今、果たしてこの本の果たす役割は? と考えるに、矢張りこれは「記念碑」なのだな、と。だからこそ「マニアックス」 なのだ。こうして全盛を過ぎいずれは現れるであろう「3」に強者が移行していく。 1年以上全国の強者が100円玉の山を崩して会得した技の数々が、消えてしまう 直前、まさにその最強の状態で保存されたのがこの本と言う訳だ。 とまぁ大袈裟に言ってみたくもなるですよ。この本読むと。 まー完全に「記念碑」にするならもう少し「時代」の情報を入れたでしょうが・・ 例えば「バーチャファイターアンドミー」はもっと人数を増やせた筈。 そのへんはまた別の所で語られるべきなんでしょうけどね。 しかしこのゲーム(正しくは「VF1」ですが)がなけりゃゲーセンなんかに 入り浸らなかったんですけどねぇ。 いや、ホント。 「1」初めてみた時から一目惚れ。 ファミ通とかの「2」の写真見ては「なんて綺麗なんや!」「橋の下くぐりたい!」 とさわぎ、あとXX日!とカウントダウンし、果たしてゲーセンで100円玉を ホイホイ消費する日々・・ と言ってもいわゆる「バーチャ貧乏」の連中に比べたら可愛いもんでしたが。 でも直ぐ弱っちくなってしまって早々に退散。あとはおきまりのギャラリー。 VF1の時はそこそこまで強かった(と思う・・・後ろにギャラリー控えてた ことだって有るもの)ワタシも2では素人同然。結局貧乏しなくて済んだだけ マシか・・ 向上心ないからねぇ。 しかしまー、「異常な思い入れ」という点でこれを追い越せる 「攻略本」は出ないのでは無いかしら?という。 いや、僕らはまだ「3」を知らない・・・・ で、結局重いんで技表(今更「技表」も無いが、使用キャラ以外殆ど忘れてるぜ)は ファミ通のを使ってるって訳よ。 ちなみにウチの決戦兵器(・・・・)はサラ。姉御の膝をお喰らい!! @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
西村繁男「さらばわが青春の『少年ジャンプ』」飛鳥新社/1994/5/30 かつてジャンプを日本一へのしあげた時代の編集長の、自伝的なもの。 しかし、これがヒドイのよ。 こうして読むと、如何に日本最大の部数を持つ漫画雑誌が少人数の手で 「意図的に」に作られているかが解る。派閥というよりは編集個人の対立で 作品がOKだったりボツだったりする・・・そんなものではあるか・・ 掲載されている作品は素晴らしいかも知れないが・・・・、編集業というのは、 ああ、何とも「ヤクザ」な商売だ。 「編集王」なんかメじゃない強烈さ。 正直な所、実にこの西村という著者は渡世の任侠だけあって、自分以外の他人を 全て軽蔑する目を持っている。恐るべきだ。自分以上に有能な人間は居ない。 そんな感じ。実績があるだけに、恐いですね。 良くも悪くも、「ジャンプ」の体勢そのものな人・・・ 自分に反対するものは尽くどうしようもないクズ人間であり、犬のようになつく ものだけを歓迎する様なフシがある。あくまで文章からの推察だが。 又、あまりにも時間の描写があいまいで、殆ど記録もしていなかったのであろうその 忙しさも感じられる。でもそれじゃあ役には立たないでしょ・・・何の「役」にかは 兎も角。 「酒を飲むこと以外楽しみを知らない」と自分から言う男が書いた文章。 それだけのもの。 漫画史を読もうとして、或いは成功の秘訣を知ろうとして、読むと馬鹿を見ます。 出版社が集英社でないのも面白いですね。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
ファミ通編集部責任編集「ゲーム帝国 IV」/アスペクト/1996/8/15 読むがよい。 まぁ買う人はとっくに買ってるんでしょうね。ある意味で「基本」の書なり。 どれくらい基本かというと、「こんなもんいかがっすかぁ」並に基本。 わかんないか。 比類無き神がほぼ1.5年ぶりにお示しに成られた「ゲー帝」4巻。 臣民は涙し喜びの念を電波に乗せて送るのだ。 1〜3巻と同様、地獄の念力絵師金子による素晴らしいイラストレーションは 我々帝国臣民の心を深く揺さぶるのだった。ブリッジブックドラゴンタロウの 活躍たるや! 最近では語り部=スタパではないかというアレもウワサされているが、そんなことは この際どーでもいいのである。語り部のヘボナイスな語り口は、「ヤマログ」系の 文章が現在も確かに進化を続けていることを実感させてくれる。んゴ。 一日数頁、ゆっくり読んで買ってから2週間かけて読了。遅いっ。渇!! で、何で今更書くかというと、今週の「帝国」にワタシのハガキが載ったからなの〜 それだけ。 3カ月くらい前に書き損じの年賀状に書いて送ったんだけどな。 ちょっと悪魔さんの反応が寒かったのはそのせいかも。 また出そう。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
トーキョージャーナル編集部・編「TOKYO VOICES」洋販出版/1995/7/20 ・・・すみません。日本語の所しか読んでません。 しかし、なかなか興味深いインタヴュー集である。 テレビでお馴染み、な人や、そうでない人も、皆かなり「ホンネ」っぽい。 特に興味深かったのが、淡谷のり子氏へのインタヴューで、考えれば僕は、氏が 既に「懐かしの」歌手になって以後しか知らなかった。いや別に知っている必要は 無いのだけど。 氏が歌手デヴューしたのは1929年。何と「あの」20年代なのである。 当時既に22歳。当時バリバリの「モガ」であったらしい。 ああ。あの時代の東京を飾ったモダンガールが、今も生きているのか・・・ あの時代lゥた人間が、まだ生きている・・・当然だけど。 わたしゃあの時代の都市に、いささか幻想的過ぎるかもしれないけど、憧れて しかたない人間で、ああ・・弱い・・・ 戦中戦後の生き方も、実に「モガ」の気迫の様なものを感じさせられました。 ううむ。しかし絵のモデルをやっていたとは。 ・・・昔の氏の写真とかみたこと無いんですけど・・・そのへん・・ 小林よしのり氏は、作者の落ちついた面をみせ、山崎努氏は、彼の「役者とは何か」 をハッキリ語る。筑紫哲也はまだタテマエを感じさせるけど、その「態度」は見える。 Tamayo(最近見ないけと米ではどうなのか・・)は下品やし、鈴木邦男は 以外と軽いし、タモリは実にホンネ臭いけど怪しいか、笠智衆は、言葉少なく・・・ ・・・何故か「生長の家」が何度か出てくるぞ・・・ こういうインタヴュー集というのは今まであまり読まなかったもので、結構 面白かったです。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
と学会・編「トンデモ本の逆襲」洋泉社/1996/4/1 そのテの本が好きな方はもう入手されてスミからスミまでよんじゃった事でしょうが。 やっと読みました。取り合えず、宝島30で読んではいたんですが。 SF大会なんかでもネタバラしされてたし。 なーんか、イマイチ興奮しない。面白くない・・ こういうのは、かつて何処かで経験した事が有ります。トマソンですね。 その概念を感得した当時は、嬉しくて全てを括っていましたが、概念が拡散しすぎて 崩壊(というか自然消滅)した・・・確かに、あれ以前と以後では、確実にものの 見方に変化が出たにも関わらず、「トマソン」はまた閑かになってしまった・・ それと似た道をたどりそう。だってあまりにもトンデモは多い。 「UFO」だけにする、とか「ユダヤだけにする」とかにすれば生き残れるかな。 それはそれとして。 しかし ううむ。 濃い。 何が濃いって、今更みんだ☆なお・・じゃない眠田 直、の直筆(・・・)の漫画が 読めるとは・・・相変わらずな絵柄がホッとします(いいのか?)。 いやー、今更「へばーん」ちゅー効果音を見れるとは・・・懐かしくて・・・ 原作は岡田<帰ってこない男>斗司夫だし。イマイチだけど・・・ トンデモ本大賞、今年も結局「直前発表作」が受賞・・・タイトル長いから省略。 というのも、前年のが、「宝島」で発表されてなかった、いわば「知られざる」 傑作だった為に(それでなくても十分大賞の格ではあったが)、投票直前の発表で 注目を浴びてダントツ一位だったですよ。 今回もそうでした。 でも、いいよね。この内容。かなり「電波のひと(C)水玉」で。 オーケンの作品に出て来そう。ううむ。どういう意図で書かれ、出版されたのか・・・ いや、これはトンデモ本全てに言えることでは有ったか。 しかし、この本の中で、トンデモを楽しむというスタンスを山本弘会長はじめ多くの 会員が踏み外しかけている(ツッコミ過ぎて攻撃と取れかねない)のに対し、異彩を 放っているのが唐沢俊一氏であろう。いや〜、知っているネタ(イベントで聴いた) とは言え、氏は文章書きだからねぇ、文章になるとこれが更に濃い。 しかも、他の会員のねちっこいツッコミに比べ、基本的に「なんでやねん!」で すませるあたり、独壇場である。まぁ、「こういう」文章で仕事してた歴は氏が 一番長いですしねぇ。 正直山本氏の文章は弱いと思うですよ。正論を言うが故に・・・ 五島勉の「危機の数は13」等の妖しい小説を持ってきて、SF大会で披露される 唐沢俊一氏の話、実はテープに録音しているワタシ・・・ でも聞き返してないけど。 SFのメインストリームに居たはずの人達が集まって、こーゆー本を読み漁って いるのかと思うと泣けてこないではないですが、 オモシロイからいーや(なつかしのフレーズ)。 しかし、そうですね、宗教な人達には、読んで欲しい様な読まないで欲しいような。 宗教によって救済されている人間から宗教を奪うのも恐いし・・・ まぁ、自分の「常識」を試される世界ではありますね。 宇宙人の解剖ビデオを見て笑えるか、信じて興奮するか・・・ 信じる人もいっぱい居るんですよね・・・ まぁ、トンデモ本にハマる人は、この本読んだからって太陽は冷たいって 信じてるんだろうし・・・ 今自分が「科学的真理」だと信じている何%かは確実にトンデモだと思う @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
和巻耿助「評伝 新居 格」文治堂書店/1991 新居格をご存じでしょうか? 僕は最近までご存じじゃなかったです。 モダン文学の類を意識して読み出して、ある日どうも「新居格」という 当時の銀座の先端を走り続けたオヤジが居たらしい、と言うことに気付いたものの、 だから?という程度の認識でした。 所が読めば読むほど新居格の名は心に残り、一体どういう人物なのか・・・ 近現代の文学者人名辞典で調べると何とこれが県人。 県人(徳島県人ね)だと言うことを知ってみて、 ちょっと調べて見る気に。 県立図書館に行けば何か有るだろうとは思っていましたが、 先の人名辞典での異常に小さい扱いからして、多分大した物はあるまいと 踏んでいったら、あるわあるわ。県人だから、かき集めたのね。 でもまず作品に当たる前にかつて徳島新聞(夕刊か?)で連載されたという この評伝なら貸し出し出来ますよというので借りてきた。 モダン文学界に登場する彼と言えば、きらめくモガ(モダンガールという言葉も 格の造語だとされている。ステッキガアル、等々の造語生産機的なノリは弟分の 大宅壮一にも通じる)や文人たちと銀座を闊歩しているイメージ。 ところが実の所、なんとも行動力の弱い「文人」である。 日記の内容たるやまるで僕のソレだ!後悔、明日こそは!しかしまた無駄話 (それこそが銀座の格のイメージなのだが)をしてしまった!後悔、明日こそは! その繰り返し。 生活に追われ、雑文を書き散らすことに疑問を感じる毎日。 但し、彼は東大卒。勉強しよう、と言えば語学を真面目に復習したり、 そういう意味では非常に真面目で勉強好きな男だった様だ。 洋書を読みこなす為に・・でなくてはあの情報の速さは納得行かない。 弟分とされる大宅壮一(大宅が弟分とは!本当?)は彼を「ハシリ」と評す。 ハシリとは、ハツモノの事であり、熟す前のハツモノ喰いは、ソロバンに合わない 酔狂で有り、旬の旨い所は別の作家に喰われてしまう・・・ そういう人だったのね。 アナーキストとしての思想側の論はよくわかんない(頭悪い私)ですが 行動力の無いアナーキストってのは・・・ 逮捕歴殆ど無いし。思想統制の当時としては驚くべき。 評伝としては、時代を前後したり同じ様な例を何度も引いたりで どうもアレでしたが、今の所これくらいしか無い(!)のでは・・・ それくらい忘れ去られた存在なんですね。まぁ時代の人は時代と共に去るか・・・ 新居格 明治21・3−昭和26・11・15(1888−1951)評論家。 徳島県生まれ。東大政治学科卒。「読売新聞」「大阪毎日新聞」「東洋経済」 「東京朝日新聞」などの記者を経て、文筆生活に入った。社会時評、文芸評論を 主とし、幅広く活躍。アナーキスチックな、虚無思想家で、モダニズム文学論に 組したが、孤立的であった。戦後、東京・杉並区区長に選出された。 ではまた @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
日本軟行銀行[頭取]存架空「パソコン「界」遊学見聞録」技術評論社/1992 貴方が読まれる程の本では御座いません。 やっぱりどうしようもない文章書きというのは居るもので・・ だいたい著者名みてイヤになるよねぇ。 否定と近親憎悪にまみれた業界暴露本・・・ でも割と読んでしまった・・・ 執拗に「プロテクト外し」に触れているが、今更(たとえ92年でも) それに興味有る「一般読者」など居るのだろうか? しかし著者がパソ通始めてみて、ぜんぜんつまんないこんなんやるやつぁ馬鹿だ、 という断定を下してしまったのは哀しい。 草の根は確かにどうしてもビッグネームが顔をきかせて新人を無視したりしがち (たといそうしていない積りでも、これは避けられない運命。)だけどさ・・ 「ネクラとオタクの集まり、パソコン通信」はないよね。そりゃまぁ一日2時間は パソ通関係に費やされている(タイプむっちゃ遅いねん)ワタシですから、 認めますけどねぇ。でももう少し弁護してくれても(・・・)いいじゃんか・・ もしどこかで観る機会がありましたら、イラストを観てください。 イラストはいいですよん。笑えて。特に諸星大二郎ネタが・・・ てなところで。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
萩原朔美・監修「ビックリハウス・驚愕大全」NTT出版/1993 成程。 投稿系雑誌を評するとき「BHの〜のパクリ」と言われるのは こういう理由だったのか。 まんまなのね。 例えばファミ通の町内会や「VOW!」なんかは全くそのまんまだ・・ ネタの出来まで変わらない・・・ ビックリハウスって読んだことなかったですよ。 最終刊の頃にはもうアニメ雑誌ばっかり読んでたし、 他には眼がいかなかったんだろう。 こういう雑誌がかつてあった、という事だけは知っていたけれど うーん、こんなんがかつてあったとすれば、今思いついた事は全てネタとして BHに既に載っていたかも知れない・・・とか思えてしまう・・ YMOとかムーンライダースとかわたせせいぞうとかスージィ甘金とか・・・ 東京、な感じが田舎者の心をくすぐるわね・・・ 当時、の。 この本そのものは、かつての記事ページを適当に編集しただけのものだし 古くさいものだ。 でもその中にある編集センスは、実に新しい・・・ ・・版権関係で駄目なのかも知れないけど、出来ればスージィ甘金のコミックを もっと収録して欲しかった・・・個人的要望・・・・ 見れば解ると思いますが妙に分厚くてゲップが出ます。 やっぱり過去は振り返らない方が健康にもいいのかしら。 ところで「ボイズンガルズ」で言ってたオーケンの投稿作品って何処に載ってるの? @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
大槻ケンヂ「ボクはこんなことを考えている」メディアファクトリー いやー、やっと手にいれたス。 タイトル探して貰って・・ 大槻ケンヂのエッセイ集である。 とにかく頭の「栗ご飯ノート」は爆笑間違い無しである。 「いなたい店」などもう恐怖を通りこして「もうどうすればいいんだぁ」な 狂気的笑いを醸し出してくれる。 オーケンのエツセイ集では 「のほほん雑記帳」(宝島社)の方がはるかに技巧的で読みごたえがあるが こっちはよりプリミティヴとゆーか夕暮れの遮断機とゆーか(なんのことやら) いろいろ想像が膨らみまして。なかなかいいです。 しかしこのエッセイ集読んで初めてオーケンの眉が太い事に気づいた。 ではでは。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
四方田犬彦「漫画原論」筑摩書房/1994 一つ言っておくと、是を読んだからと言って漫画の見方が変わるわけではない。 と思う。 ただ、非常に興味深かった。 単に今まで言われてきた事の集大成とも言えるのだが、いちいち「なるほど!」 と手を打ってしまう事請け合い。 自分たちが無意識に読みとっている漫画のコードの数々を徹底的に、ホコリチリ の類まで拾い上げ、観察し、分析している。 これによって読者は漫画を読むという行為が実は大量のお約束の上になり立っていた ことを思い出す。思い出すのだ。僕は初めて漫画を読んだとき、コマがどう進むのか、 どっちからどっちへ読んだらいいのか、それさえ解らなかったのを覚えている。 オノマトペの問題や、顔の造作、鼻、眼、吐息と汗、等々の系譜、登場人物のコード 等読んでいて面白い。自分の脳が漫画をどう翻訳しているかが解る。 しかし漫画のコード体系というのは結構体系化出来るものだ。人間考えることは そう異なってはいないという事か。それにしたって末端では無限に近い広がりを 見せる訳で、こりゃ君ブンガクなんてやってる場合ではないわよ。 膨大なテクストを前にどん欲に切り開いてゆくべし。 後半の「シャアウッドはどこへいったか」等の文章は何というか四方田氏の トマソニアン、路上観察者としての目が生きているように思う。 これはこれで面白いが・・・付録、だわね。 おすすめです。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
古川益三「まんだらけ風雲録」太田出版/1995 いろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろ 書いて有るんだけど、内容は取り留め無くて、それもその筈 「なおこの本はほとんど通勤電車の中で書かれたという事をつけ加えておこう。   (中略)  普通の人がただの通勤で終わらす時間で一冊の本が書き上がるのである。」 そんな態度で書いた本がまともな内容に成るはず無いよな。 怒ってる訳じゃないよん。 ただそういう本を書かせた事と、出版までしてしまった編集がね。 ちゃんとした「プロ」に 書かせるべきだったのではなかろうか?ゴーストでもいいから。 内容は、まんだらけが如何にして生まれ現在に至るか、と「宇宙の真理」の解題。 真理はおいといて、「風雲録」な部分は 半ばまで自分だけはいい子ちゃんで、周りは悪人か根性無い馬鹿か、という 自分中心〜な文章(まぁ自伝みたいなもんだから当然だけど)で、 登場する人物は過去からその後まで暴かれて、死まで報告される始末。 それは良し。 問題は最終章。 自己啓発セミナーみたいな内容でいきなり締めくくり、 「歳をとったら解った事」をいろいろ書かれているのだけど、 そりゃそーでしょう。いやまんだらけのおやじが宗教者だったとはね。 いやー冷めたというか引いたというか・・いいけどさぁ。 しかし割と「中庸」な人みたいですよ? もっと濃いのかと思ってたスけど・・・店員コスプレしてる店の店長なんて・・ 昔ガロでやってたトライアスロン漫画なんか観てるとどーにも好きになれない人だなぁ とか嘗ては思ってましたが、やっぱ「店長」という地位でもって、常識人に なったのかしらね。 まー、何の参考にも成らない(これから漫画専門古本屋を始めようとしている 貴方にとっては別ですが)一漫画マニア男の半生記ですな。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
文・唐沢よしこ  絵・唐沢なをき「なをき・よしこのパソコン夫婦バンザイ」光栄/1995 買っちまった。買っちまったよ。 ああああああ。1300円返せ。 てな感じ。ううむ・・・ 立ち読みでも読みたくねぇスよこんなの。 なんであんなにギョーカイで評判だったのかわたしゃ分かりません。 「つまんないだろうなぁ」とは思ってたの。思ってたんだけど・・ッ・・・ ここまでとは。 内容はタイトルに偽り(パソコン?何処に出てきたのかしら)有りだし 文章は素人目に観ても一寸・・ タイトルや執筆者のダンナの名前を観て買った読者が読みたい記事は 皆無なのでは無いかしらという・・・ 兎に角ベクトルが何処へ向いているのやら。さっぱり。 なをさんなんか奥さんに弱いみたいだし・・・ とにかく「甘い」。いや夫婦生活が、じゃなくて文章の視点が。 日頃唐沢商会のディープな視点に慣れっこになっていると もう物足りないことこのうえなし。仕方ないけどさ。 僅かな救いはなをさんのイラスト(&漫画)だけど、正直コレも 兄貴(俊一)とのセッションに比べるともう全然。 改めてあの兄弟の濃さを噛みしめる・・・・ まぁこのエッセイ集はディープな読者を対象にしてる訳じゃないのよね。 いつもの「唐沢」とは違う・・分かってはいたのに・・・ その点俊一&ソルボンヌK子夫妻の濃いこと濃い事。(それはそれで問題が) 兎に角「漫画家の妻」という位置のみでは。どうもねぇ。仕方ないか。 読んで知った意外な(でもないか)事実。 星里もちるの結婚式は豪華だったらしい 星里もちるはパソのパワーユーザーらしい。 唐沢よしこはMT誌の編集をしているらしい(そーいやアスキーでもしてた様な) ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
PIRICA監「CGネットワーカーズ自選作品集U」/1995 結局買っちゃった2900円。 ああJPGとP2ばっかり。 ふむ。もうすっかり「そう」なのね。 然し「1」が出たときも思ったのだけど、 コレってどういう価値基準で選んでいるのか。 好みは色々だから仕方ないけど、それにしてももっとこう・・・ 兎に角綺麗なんだけど、一応、仮にも、CG描きとして・・全く参考にならない・・・ 上手すぎるのよねぇ。 「これなら俺にも描けそう」ってのがあると安心なんだけどさ。 ああ多色ではっ。 ぷりめーら氏のコレ用オリジナル(?ふりふり)が取り合えず収穫(ふふふ)。 ダウンした事有る作品も有る(ぷりめ氏のは殆ど有るぜ)けど、 どっちかというと「落としたくない」だった作品が多いの。 まぁ参考にはなるけど。 出来れば3集が出るときは、「ダウン用作者見本集」という感じにしてくれると いいんだけど・・・ うーん。「U」買うより「T」買った方がMAG描きとしてはまだマシだったか・・ あっちにも持ってないファイル沢山有るしさ・・・ でもJPGは殆ど落とさないしなぁ・・ でもちょっと高い買い物だったかも。 まー、何にしても「中途半端」な作りではありますな。 も少し丁寧に作者を掘り下げるなりインタヴューするなりしてないんでは 価値は半減してしまう・・ で。 感動したのは矢張り(う)「火延真」氏の作品達。 実はこの本買った原因はこのファイル欲しさだったりな。 この本で初めて知ったのですが、僕はツボ押されてしまいました・・・ こういう絵はなかなか狙って描けるものではないスねぇ。 多色の美麗な作品よりは16色のポップな方を(まだ)好む者です。 可能性うんぬんじゃなくて・・・好き嫌いか・・ 画材としてのCGはこれくらいが妥当なんじゃないかしらん。 フルカラーならインクで描いた方が・・・とか・・・スイマセンスイマセン・・・ なまじ修正が効くだけに時間はかかる作品は上がらない。 まー詰めるのが信条の方もいらっしゃるし、それもヒトソレゾレというか。 やっぱ僕向いてないのかもなぁ・・・まだ紙の方が好ましい。 だいたい時間かけてドット詰めるよーなぢゃねーもんよ。ワタシのは。 ふぅ。 訓練有るのみか・・・ 時間も欲しい。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
野田昌宏「愛しのワンダーランド スペースオペラの読み方」早川書房/1994 貴族・大富豪・最高知識階級・所属、太陽系安全保証最高会議議長・ 太陽系惑星軍最高司令官・太陽系戦略宇宙軍最高総司令官・宇宙軍大元帥 の野田大元帥による著作である。たしか星雲賞候補に自薦されていた筈だ。 これは凄いよ、キミ・・・! などと野田口調になってしまう程のこれは傑作。 僕はこれはクラークの自伝「楽園の日々」に並ぶ傑作だと思う。 要はSF者の自伝的ヒキダシ開けとりとめなき話、なのだけど 元帥のヒキダシだものだから・・深いわ濃いわ。もうたまらん。 これは「読み方」とかそんなのはどうでもいい。もうノダコウの いつもの連載(もっとSFしてみよう!)の拡大完成版というか 「書き方け」に比べればエッセイ色が強く、その分興味深く楽しい。 「一の日会」の様子や当時のSF会の様子が生き生きと描かれていて燃える。 アシモフの出演する番組をテレワークが作成するにあたってアシモフ邸へ のりこんでいくくだりなどもあって、いいス。これは。熱くなる・・・ 「アァ、そろそろ俺も死に時だな・・」とか、そんな事をいいつつも 全然衰えてないところが何とも・・・ 最近SFらしいSFから遠ざかっていたものだからその衝撃はなおさらだった。 やはりSFは興奮させてくれる。それを忘れかけていた・・ こりゃあ、いかん。SFを読まねば。もっと読まねばならないSFは多い・・ 巻末に「これだけはよんでおきたい」というリストがあって・・ 読んでないのが多い・・手に入らないのだぜ。 あ、でもキャプテン・フューチャーもうほとんど揃ったし。 あと一冊だけなのだけど、古本屋で最近発見。 だぶってるかと思って買わなかったんだけど 近い中に買いに行こう(それまで残っててくれよ!と祈る) SFファンならずとも必読の一冊。 星雲賞の可能性はかなり高いと思われます。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
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