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本棚・長野まゆみ



・目次
長野まゆみ「月の輪船」
長野まゆみ「サマー・キャンプ」
長野まゆみ「ギンノヨル」
長野まゆみ「鉱石倶楽部」
長野まゆみ「遊覧飛行」
長野まゆみ・青い鳥少年文庫シリーズ
長野まゆみ「天然理科少年」
長野まゆみ「鳩の栖」
長野まゆみ「月の船でゆく Le bateau "LUNARIA" 」
長野まゆみ「上海少年」
長野まゆみ「学校ともだち」
長野まゆみ「夏期休暇」
長野まゆみ「雨更紗」
長野まゆみ「宇宙百貨活劇-ペンシルロケット・オペラ-」
長野まゆみ「聖月夜」
長野まゆみ「テレヴィジョン・シティ」
長野まゆみ「星降る夜のクリスマス」「仔犬の気持ち」
長野まゆみ「三日月少年漂流記」
長野まゆみ「夜間飛行」
長野まゆみ「夜啼く鳥は夢を見た」
長野まゆみ「螺子式少年レプリカ・キット」


長野まゆみ「月の輪船」/作品社/1991/09/30


[画]鳩山郁子


奥付に[天球儀文庫1]とある。
巻末予告には11月に「夜のプロキオン」というのも出るとか。

「テレヴィジョン」の前年、10年前の長野まゆみ。
何でこれを未読だったのかは分からない。と言うか、元々僕は熱心な読者では
ないので。感想も思いつきで書けるものしか書かないし。こんなのだけ。

この空気感。この肌触り。
安定した、「製品」の如き美しさだ(脆くはあれ)。
この作者に僕が求めているのは結局「コレ」なのかもしれない。

・・・つまり、その「少年世界」のイメージを喚起させる、宝石の様な言葉達、それ
そのものを「のみ」求めているのかも。

物語は、こんな風に「それっぽい謎」をひとつまみ、月の船や鳥なんかの間に
記号的に配置するだけでいいのだ。それで十分。



それにしても、この小品のクライマックスたる野外映画のシーンの美しさ。

夏の終わりの夜、学校の中庭で行われる野外映画。
校舎の三階から垂らされた白い幕に上映されるのは
「おなじみの漂流記や、伝記、ニュース映画、」や理科教材もの、或いは
<<街のパノラマ>>という風景映画。

風に揺らめく幕に「ごくあたりまえの風景映画」が上映されている、その光景を
想像するだけでもう十分満足だ。これだけのシーンを、どうやったらここまで
違和感なく表現できる?世界全てを一から作り替えないとムリだ。

ここで語られる「少年」世界は全てが記号であり、部品の寄せ集めであり、一から
レプリカだ。栄養価の無いソォダ水。ただ感じるだけの世界。肉体を持たず、ただ
言葉によってのみ形を与えられている、だからこその美しさ。



レコードのスクラッチノイズのパチパチという音は確かに妙な快感だった。
そして、それは確かにソォダ水のはじける音と同じなのだ。確かに同じだ。

それに意味が有るかどうかなんて事は関係ない。ただ、同じ快感なのだ。


純粋な「感覚」だけが、成形され、こめられている。
ずっと子供の頃の感じていた、あの感覚をもう一度。

もうそこには還れないとしても。
@@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
(01/04/18)

長野まゆみ「サマー・キャンプ」/文藝春秋/2000/04/10 「最近の長野まゆみ」の描き下ろし新作。 女系家族に贄の様にしてはめ込まれた少年が主人公。部品として生み出され、 部品として生かされようとしている。性行はヘテロだけど女性に近づけない身体。 これが意味するところは結局飼い殺しの「男性性」という事になろうか。 本人は自由意志を持っていると思いこんでいるが、それさえも・・・ とまあ多分こんな話なんだろう。正直再読してもまだよく解らない。理解する為に 精読するのは正直腹が立つ。この作者は読者に喧嘩を売ってるんじゃないかと 思うときがあるな。「テレヴィジョン・・」からそうだったけど。解らな過ぎ。 読み返す気が起きないもう一つの理由は、昨今のあまりの露骨さ故。この人の描く 少年の”性”ってのは、どーしても臭くて駄目だ。同人女子高校生の妄想の様な 過度な淫靡さが漂う。同人臭い、とでも言うか。 何だか、新井素子の作品を読んでいる様な気になった。閉じたスパイラルの中で ただぐるぐる回ってるだけの様な。正直俺ァもうこの人の性染色体がどうの、精が どうの、と言った文章を読みたくない。臭いんだよ。ホントに。 少年と少女がただ恋をすることさえ出来ない。少女は少年の身体を持たなければ この作品の活字の上にのぼることさえ出来ない有様。「心の性」は肉体のソレとは 関係ない事がある、というのは重々承知だが、それにしたって最近のこの作者は そういった「道具」(SFさえ!)をひたすら少年×少年、少年×青年(兄貴)、 少年×先生といった(言ってしまうが)ホモ描写を正当化するために利用しているに 過ぎない気がしてならない。昔マージナルっていう漫画が有ったけど、つまり ああいう手法か。状況を男×男しか生み出さないように持っていく。まあそれも 一つの浪漫ではあろうが。ワタシにはついて行きかねる。 思えば「蒸留塔」の頃からオカシかったんだよ。 勿論「レプリカ」である「少年」の話はまた別。作者の中ではそれもこれも同じ ベクトルの深いか浅いかだけなのかも知れないけど、僕にとってはある一線、てのが やっぱり有って。・・・いつからこんな事になってしまったのか。もうレプリカ キッド達の物語は生まれないのか。以前の、性の臭いの無い、「少年」という記号で 構成された、鉱石や星や煙草や飛行機やソォダ水で充ちた作品世界に、立ち戻る ことは無いのだろうか。 勿論良い部分も沢山あった。特に夏に照らされた湾岸の風景は一生モノ。物産 センターやプラスチックの薄片が透明な炎をあげて燃える描写なんか、あまりに いい感じなので、よけい惜しいと思ってしまうのだった。嗚呼。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (00/07/16)
長野まゆみ「ギンノヨル」/作品社/1999/11/10 「青い鳥少年文庫」4巻目を漸く読む事が出来た。 お見事。かなりツボを押されてしまった。 硝子の様な空気を最後まで保ったまま、それでも量感のある 「物語」を感じさせる「時間」を添えて終える、その腕は流石。 列車での旅、というのを、実のところ殆どしたことがない。 バスか、飛行機か、船か。通学していた頃は毎日JRにお世話になったけど あれは「移動」であって「旅」じゃないしね。 でも、列車での旅、というのは、自分の身体の中に記憶として刷り込まれている。 ”銀河鉄道”やなんかだけじゃなく、何というか、過去生の記憶とでも 言った様な感じで、その情景を想うと妙に懐かしくなる。 生まれる前の事を思って懐かしい気持ちになることって有るでしょう。 そういう感じ。 旅客飛行機では明朗すぎるし、長距離バスでは地に足が着きすぎている。 船はまた別の世界だし・・・列車は独特なのだ。多分。 ましてストーヴ列車ときては。 少年と父親(偽)と兄弟と鳥。長野作品の部品が鏤められた全き世界。 何気なく挿入される映写機の映像なんか、兎に角技が冴えている。 勿論謎解きは無意味だ。無粋だ、というか。 林檎菓子と茶が欲しくなる。明日はケーキ屋が開いている内に帰ろう。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (00/07/16)
長野まゆみ「鉱石倶楽部」/白泉社/1994/02/26 長野世界では鉱石とソォダ水は近しい関係にあるとずっと感じていた。 彼の世界では、鉱石は清涼な味わいを持っているのだと思えた。 それがここにはそのまま(多少ダイレクトすぎるほどに)描き出されている。 冒頭、少年が人気のない理科室で見つけた「ゾロ博士の鉱物図鑑」から作品世界は 展開する。「石から生まれた18の物語」。 架空の鉱石の図鑑というか標本箱というか・・・ 架空の石に物語と解説が添えられる。 特に解説が見事で、この世界の「鉱石」の魅力を見事に語っている。 出てくる鉱石に食べられない物は無い。甘く、また酸味があり、時に気泡を含み 或いは薬用に。 短編は他愛のない物だし、鉱石の説明にしたっていくらなんでもワンパターン だろうとは思わないでもなかったが、でも「鉱石の味」というのは、宮沢賢治が 描いた銀河の水の、その水素よりも透き通った水の冷たさと同じ 「ほんとうにありそうな」イデア的な魅力がある。惹かれてやまないものがある。 「鉱石」が長野世界の魅力の大きい部分を占めていたのだと言うことを改めて 思い知らされた思いの @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (00/07/16)
長野まゆみ「遊覧飛行」/河出書房新社/1996/05/02 巻末によると、1994/02に河出書房新社から『都づくし旅物語』のタイトルで刊行 されたものだそう。収録された作品の発表時期は、いずれも1990〜1993。 買ったのは大学生の頃。以来何度か読み返してきた。今回久々に読んで、感想?を 書いていなかったのを思い出したので、つらつらと書いてみる。 正直な話、長野まゆみは「こういうの」が一番いいな、と個人的には思う。 読者を強烈に引き込むきらびやかさ、読者を煙に巻くその鮮やかな手並み。 前半「遊覧」は、書き手の「私」(長野作品で一人称は珍しい)が一人旅、或いは 友人と連れ立ってのふらり旅を描いた掌編集で、JR西日本関連の企画だった (らしい)こともあって、古都にふらりと立ち寄る感触を、幻想的に描いている。 そうでありながら、各物語の章末では、ちゃんと「少年」のイメージと出会う辺りは 流石長野まゆみと言ったところか。オチの幻想的な感触はなかなかのもので、どんな 飛躍した展開も「そういうことね」で納得してしまったり、「すべて、春霞が見せた 幻影なのかも知れない」で終わってしまう閉じ方なんかは実に稲垣チックで懐かしい。 こういう作品をこよなく好んだ事もあった。 後半「逍遥」は正面切っての少年もの。一話が3、4ページの短編が17話。 そこには「少年達」(所謂「男子」ではない、少年という生き物)の遊びや その背景に垣間見えるイエスタデイズトゥモロウ的都市の風景が鮮やかに描かれる。 カアランツのジュウスやルミナス果実舗、野外映画劇場、ロケット瓶ソオダ、 地下鉄の壁に描かれたネオンのアニメーション<メトロ・ムーヴィ>、天使の卵、 地下通路を使ったローラーレース、猫屋の風信・・・ このセンス、この軽やかさ、この鮮やかさ、この格好良さはちょっと真似できる 代物ではない。いや、下手な真似なら簡単に出来そうだけど、ここまでかっちりと しかも矢継ぎ早に出せるセンス、てのがつまり長野まゆみの魅力(だった)という。 今読み返すと言葉の誤用があったりしてオイオイとか思うんだけど、でも そのちょっとした歪みさえが美しい。昨今の闇色濃い耽美な空気を纏う前の この軽やかな世界を愛して止まない者である。 足穂の「一千一秒物語」(新潮文庫の)を、年に一回くらい読み返す。自分の 感覚が鈍ったときに、もう一度エッジを研ぎ直す気分で読み返すことが多い。 この本も、その同列に有る。イメージのカンフル剤として。多用は禁物。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (00/05/14)
長野まゆみ「青い鳥少年文庫 vol.1 オルスバン」/作品社/1999/02/25 長野まゆみ「青い鳥少年文庫 vol.2 ヒルサガリ」/作品社/1999/05/30 長野まゆみ「青い鳥少年文庫 vol.3 オトモダチ」/作品社/1999/07/30   この後「ギンノヨル」ていうのが出ている見たいなんだけど、未読。 ※写真の方は趣味が合わないので外します。 読んでいる間中、透明で清涼な空気感に浸ることが出来た。久々に 「私の好きな長野まゆみ」の作品を読んだ気分。毎度毎度この程度で「とめて」 いてくれれば読めるんだけど・・・嫌いじゃないですけどね、「新世界」。 でも矢っ張り長野作品の神髄は、こういう足穂ライクな空気感にあると思う訳で。 特にロプノールなんかの砂漠のイメージは強く足穂を意識させる。 少年と鳥の組み合わせ− 己が鳥であることを忘れている少年、或いは己が何者なのか、という事に 「気付いていない」少年像は長野作品の永遠のテーマでもあり、いずれ気付く、 いずれ終わるからこそ、今この何でもない時間がかけがえのないものとなる。 主人公が作らされる木の実のキャラメルや三色玉子と胡麻かりんとうの香りが 今も鼻の奥に残っている気がする。ストーブの焚付け口に入れられた松の樹脂の 臭い。畳の上に伸びた西日、天幕の中で繰り広げられる一夜のサーカス。銀ラムネや ヤグルマギクの洋墨、孔雀のカフスボタン。文字を追う事そのものが快感に繋がる。 物語が展開される空間は狭く、流れる時間は明瞭だ。煩雑な場面転換と徒に複雑な 構成の作品に慣れた目には、シンプルさが鮮やかで美しい。これであってこそ。 漸く「サマー・キャンプ」を読み始めた @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (00/05/09)
長野まゆみ「天然理科少年」/角川書店/1996/12/25 割と傑作。 「元少年だった、そして今も少年の続きをやっている親父」である 梓というキャラは、私が読んできた限りに置いて、長野作品における 成人男性の造形では非常に珍しいと思うがどうか。非常に魅力的である。 父親梓と、主人公岬少年との会話の、何とも曰く言い難い軽妙・・・違うな、 鮮やかさ・・・と言うのがなかなか。センスは良いが、あくまで地に足のついた 「昭和」を生きる日本人としての父と子の会話。 (然しモノカキでしょっちゅう引っ越している父親と、それに付き従う少年 然も名前が「岬」、なんていうと、古い世代としては「岬太郎」が思い出されて ならないのだった。閑話休題) 世界は例によって半ば幻想の中なのだが、ラストで全ての幻想風景から 「物語」として現実の地平へ引き戻されるのが珍しい。 謎の解明と共に物語は結末を迎える、と云った「お終い」具合は 他の長野作品の虚実入り乱れるうやむやラスト群に比べると、 非常に解りやすくて「物語として良く出来ていた」という感じを受けた。 長野作品ではしょっちゅう「病でふせって居る友を見舞う」 描写が出てくるが、此の作品では「友の変わり果てた姿を認めたがらない少年達」 といった、こうなんつーか、バスケットボールダイアリーズのよーな ハードな「少年もの」の描写があって、その辺も他の長野作品に於ける 線の細いジュネ入った世界観とはちょっと違う様な。長野世界の必要以上なまでの 幻想性に/少年愛好癖に嫌気がさしてきている様な方にも、お薦め。 所で、鬼胡桃の印鑑って本当に実印登録出来る/出来たのだろーか。 面白いけど、腐らないか?大体オニグルミって見たこと無い拙者。 普通の所謂「胡桃」とは違うのだろうか?違うんだろうな、やっぱ・・・ 山の中の役所の空気や、学校の雰囲気なんかは流石の長野節で、 でも全体のノリは他の長野作品とは違う感じ。 それだけに長野ファン以外にもオススメなのでした。 ビギナーには良いかも。 ・・・こういう思わせぶりな展開の作品は、然しラヂオドラマ向けだと思う。 あと、章毎に入る詩文めいたコラムも良い感じだった。凝ってる感じが良。 あの学校の弁当が食いたい @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (980507)
長野まゆみ「鳩の栖」/集英社/1996/11/30 はとのすみか、と読む。 これは「当たり」。ジュネ感の薄い、本来の「少年もの」としての路線であり、 「正統長野まゆみ路線」という感じである。表題作を含め、どの作品(短編集 なのだ:「鳩の栖」(95/12)「夏緑蔭」(96/5)「栗樹カスタネア」(96/7)「紺碧」(96/3) 「紺一点」(書き下ろし)・月号は「小説すばる」初出のもの)も美麗で 丁寧な言葉遣いに溢れており、それだけで読みがいが有るというものだ。 例によって「感想」は語り難い。涼しく、風の臭いを感じられる−と云うか 一冊全体の印象は(春夏を描いている作品も多いが)涼しく、秋の印象。 秋の静かな野原の様な−例えば「水平線の見える高台」(P111)であるとか。 多くの人間には顧みられる事も無く、「たまにこんな町はずれへまぎれこんでくる 観光客を出迎え」る錆びた望遠鏡のある高台・・・ 誰にも邪魔されずに海を眺められる場所−(紺碧)。こういうシーン、情景を 切り取り書き出す巧さ。或いは牛乳とレモンのヨーグルト、水琴窟、etc.の 小道具の組み方、使い方の巧さ等、本当に「長野世界」としての完成度は高い。 やはり小道具がこの作家の魅力だと思う。ジュネ性は二の次、と思うのだけど・・。 雑誌掲載の月日を観ると、数カ月置きにこれだけのものを掲載している様で、 これはもう「職人芸」の域に達しているのかも。作者自身が其のイラストを 描いているところから、何となく読み切り系少女漫画家を連想するのであった。 何にせよ、「空気」「雰囲気」を味わってこその一冊。ジュネ臭の嫌いな人もどうぞ、 という感じなのです。いや一寸は臭いますけどね。でもマシ。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (97/09/27)
長野まゆみ「月の船でゆく Le bateau "LUNARIA" 」/光文社/1996/4/25 これぞ長野まゆみ、と言った内容の一冊。 冬の街、不思議な少年、謎の女性、わがままな少女、猫、月、音楽。 《夜猫》で、ジャスが、女友達のパロマの電話につきあってから テーブルに帰ってくると、鞄や本を置いて有った筈なのに 見知らぬ少年が場所を奪っている。 「・・・・ぼくは月から来たんです。パパを探しに。」 と真面目に言う少年ティコ。 彼の態度の異様さに、行動の儚さに、惹かれていくジャス・・・ 主人公ジャスの造形が些か「背が伸びすぎ」というか薹が立っているというか (今をときめく新解さんに因れば、薹が立つ、は「少年が、青年になりかかる」 という意味で紹介されてます。男権論者の新解さんらしい話。)何せ高校生である。 今までならこういう不思議少年に惹かれる・・のは大抵14才とか15才と相場が 決まっていたように思うのだけど・・・。粋がって冬でも薄着の、主人公。 その女友達でわがまま少女のパロマ。彼女の、相手の話を聞かない一方的な 話し方、が生み出す雰囲気(あまり楽しくはない)は、長野作品に「少年」の 現れるときの理解無き現実的女性像の典型か。例えば母親とか・・・ 少女の、可愛さ以前に不快感をもたらすわがままさを良く描いている。 それに対する大人の女性としての叔母のマリオンや、謎解きのキーを持つシルビィ。 この二人は結構いいキャラクターで、冷静に事態を判断し、展開を先へ進める。 あ、結構女性が多いな・・・これは・・・ 気に入りなのはジャスの行きつけの店《夜猫》(イット)で、高校の近くにあり、 学生向けなそのカフェの雰囲気が、作品の中でかなり大きい位置を占めている。 個人的な話になるが、高校時代周りがその手の喫茶店だらけだった(と今なら分かる) のに買い食い願望より古本屋!だった人間として、こういうのは今でもアコガレ なのである。未だに「行きつけの」喫茶店なんて無い・・・かつて友人がバイト していた店に通った事も有ったが・・・いやそれはまた別の話でした。 少年・・ティコの「猫っぽさ」、猫特有の媚びないあつかましさは、それを あつかましいと言うより当然と感じさせる雰囲気は流石だ。「らしい」。 「物語」としてはいつもの「謎めいた部分は完全には明かされないまま」 終わってゆく作品、ですが、冬の街、を存在感たっぷりに描いたという点で 私個人の中では傑作の域に入るのでした。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (1997/3/20)
長野まゆみ「上海少年」/集英社/1995/11/30 読み出す前に長野マニヤの友人から「これはつまんなかったな」と 言われてはいたですよ。でもホントにつまんないとは・・・ 読んでいて、てっきりデビュー直後の作品集かと思っていたら、実は'94〜'95の近作 ばかりでしたが。 つまんないっていうか、違う、のだ。これは長野まゆみの作品じゃ無いというか・・ 長野っぽくない。時代(場面)設定が「戦後日本」と明確に設定されていて、 (今までは漢字名はあっても、それは別の「そういう世界」だった。)それが 非常に没個性化を押し進めてしまっている。ファンタジックな世界でこそ生きる 「美」の世界は、地に足の付いた(まして土臭い)日本、を舞台にしては全く弱い。 「そうでない」、今までの物とは一線を画した作品世界を展開しようとしているの なら、今の所それは成功しているとは言い難い・・・ 唯一、今までのノリで読めたのは表題作の「上海少年」であった。 ラストのオチが「なんじゃこりゃあ」だったが。 妙に閉じられるのも気持ち悪いものだ。閉じきらないラスト、が長野の真骨頂だなと 今更ながら思ったり。 やはり、「ファンタジー作家」としてのヒラキナオリが欲しい・・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (1997/3/20)
長野まゆみ「学校ともだち」/河出文庫/1996/2/2(初/光文社/1992/9) 「少年」を描くのに、こういう方法もあるのか・・・という一冊。 学級日誌を通して僅かにかいま見える、その向こう側の世界。 この仕掛の効果は絶大である。いや、この「僅かに見える」度合いが絶妙なのだ。 情報の描けた部分を読者が埋める事により成立する、高没入度の世界。 学級日誌、といいながら、その実日誌の体をある程度外れた部分もある。が、 そんな事は「お約束」としてすぐに飲み込めるので問題無し。 読者はその仕掛に素直に従えば良い・・・ 終末へと向かう世界の中で(そういう設定の世界)、成長する少年達の言葉、姿・・ 「少年」を描く方法(仕掛)は、まだまだ有りそうだ・・・全くこの作者の技量は 底が知れない。 かいま見える背景世界は、オゾン層が減って、紫外線が降り注ぎ、 子供達は夏休みを室内で過ごさなくてはならぬ、そういう世界。 この世界のハレーションを起こした白さ、は 他のいくつかの長野作品に共通のもの。 作品が夏と共の終わるのも、「らしく」て良い。 かつて少年(少女)だった人は、これを読んで思い出すものも多かろうと思う。 自意識の薄い、あの時代。 この作品には、ノスタルジィを基調とした美しさだけがあり、「教訓」は、無い。 それが、いい・・・ 字数からいえば「軽い」一冊。コーヒーがわく間に読み終えられるサイズとして オススメかと。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (FEB.2.1997)
「夏期休暇」長野まゆみ・河出文庫 これは完成度高し。好みの問題でもあろうが、「少年アリス」よりも好きだ。 だいたいが夏期休暇、岬の空家、少女の服を着た少年、仔犬・・・ アイテムが良いもの。 しかし冒頭の盛り上がりが最後まで持続しなかった感じもある。 装丁もきれいで買いだ。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
長野まゆみ「雨更紗」河出書房社/1994 タイトルの「雨更紗」、この文字のイメージが作品全てを覆っている。 いい描写が多い。 ま、それはこの作者の作品の基本だけど。 「 雨は口をきくことを倦くせるほど、せわしない音をたてて降り、児手山の繁みを  水烟で白く蔽ってゆく。」 とかね。 わたしゃそーゆーの好き。 しかし・・ 非常に解説というかそういうののやり難い作品でどうも・・・ まーアレだ 少年愛趣味な方にはどうぞ。 違うか @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
長野まゆみ「宇宙百貨活劇-ペンシルロケット・オペラ-」河出文庫/1995 長野まゆみの「少年」像の凝集な感の有る「宇宙百貨活劇」15話と 作者自家製言葉辞典「ことばのブリキ罐」を収録。 ミケシュとロビンの双子の造形は相変わらずのパターンで、気弱と攻撃的 繊細と尖鋭・・・ まー短編も短編、なんで、移入はし難いですけど、長野テイストを「ちょっとだけ」 味わいたいときには良いかもしれません。 文庫で400円だし、 コーヒー一杯。 しかし何故ウチの近くには<サンダー洋酒店>が無いのだろう・・・ いやリカープラザでもいいスけど。 ペッシェビーノでも買ってくるか。 あとアールグレイを一罐・・・ いやあの長野世界における「ソォダ水」って奴を 飲んでみたいじゃないですか。光る石の入った瓶の・・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
長野まゆみ「聖月夜」河出文庫/1994/11/4 河出のギフトっぽい絵ハガキ付きで出されたシリーズ4作のセット(文字のみ)。 うち2作は既に読んでいまして、今回は残りの2編の為の読み。 「少年アリス 三月うさぎのお茶会へ行く」 は、如何にも、といった作品。 気の強い少年蜂蜜とそれに憧れる常道を行く主人公アリス。 それだけ、だが、・・・いやそれだけ・か。 「クリスマスの朝に」は何と主人公が女の子である。 フランス映画のような倦怠感が素晴らしい。 新しく生まれた弟に親をとられて不満の少女マティ。 その不満感・・・灰色の空気。真冬の空。 いい。 それが故のラストの「魔法」は、実に魔法的で、不気味。 不気味なんだけど、魅力的・・・ しかしまぁ、この人の作風は、真似しようとする人も多かろうとは 思うのですが、第二第三の長野まゆみ、が出てこない所を見ると、なかなか 簡単ではないのだぜ。 何より漢字が使えない。 この人の美しい字面を見るにつけ、漢字って大切だと思うです。 いや何も、漢文を書けというのではなくて。かなの美しさ、漢字の美しさ (字面だけですけどね)というのは、確かにある。 最近試験をよく受けるのですが、何が辛いって漢字が全く書けない。 答えはカンタン。ワープロに頼りすぎたのだ。と思う。 もう登録語も増えに増えて、こいつ無しではまともに漢字仮名混じり文が 書けない有り様。 SFだぜ・・・未来の人間。機会が仕事をしちゃうので退化してくんだよな・・ いや冗談では無い。 本当に漢字が使えないのよ。ワープロは基本的には本読んでるのとおんなじで、 出てくる字でもって確認してるからな・・・ まだ遅くならない内に、手で漢字を書けるように特訓した方が良さそうです。 毎日、少しずつでも書取をやろう。と思うだけは思う・・・ あとがきも興味深く、作者の物語を生み出した背景がかいま見えます。 本当の少年(かつてはワタシも痩せた手足をした少年だった。信じられないが) よりも、より少年らしい物語中の情動、言動は、果たしてどうやって 生まれたのか・・ この人の作品を読むと、必ず「1999年の夏休み」の、風にはためく白いカーテン を思い出す @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
長野まゆみ「テレヴィジョン・シティ」上下各1500円・河出書房新社/1992 を読み終わりました。 読み終わったのはいいのですが、この本の世界観から抜け出すのに 2日程かかってしまいました。 なんというか・・脳に直接世界を投影された様な物で・・・ 巨大なビルで構成された衛星、人形の様な少年達、蒼い瞳のイーイー、 主人公のアナナス、地球の映像を常に映し続ける窓、600階には<ドォム>が ずっと上にはゾーン・ブルゥ、<サーキュレ>でチュウブを失踪するイーイーの姿、 MD-0057864アナナス、パパ・ノエル、ママ・ダリア、「アーチイの夏休み」 ML-0057654イーイー、Service、<ホリゾン・アイ>、ジロ、シルル、<ヴィオラ> 棟と棟の間の底の見えない谷、吹き上げる風の咆哮、ROBIN、CANARIA <同盟>、ADカウンシル、AVIAN、<ピパ>、サッシャ、ヴォイス、・・・ そんな諸々が脳に新しい世界を切り取って存在してしまった感じです。 読み終わったときの不安感というか喪失感というか、久々に味わいました。 いやー、はまったはまった。 作者特有のしつこいまでの状況描写と展開の不明瞭さが 読者を宙ぶらりんな感じにさせた上で、明確なタネあかしも無く終わってしまう・・ 「これで終わり!?」というのが正直な感想。 なんというか・・・作者の脳には明確なタネと言うか、 書かれていない「真実」があるのに、それを隠したまま終わってしまった様な・・・ まぁ作風ですが。しかしこの本ばかりはどうも。 上下で5日程拘束された上でこのラストでは・・・ またいつか別の形でこの世界を描いてくれる事を望まずにはいられない・・ 単に読者としての僕のレベルが低かっただけという事かもしれませんが。うむむ。 ところで作中にしばしば「暗号」として出てくるAriancとは何?言語らしいが・・ 適当で組んでいるのかもしれないが、どうもモトが有りそう・・・ どなたかご存知でしたら教えてください。 たとえばこう 《1148 150171411418 18E441321411411319Z11418 4$21781918 17418947319W》 これで ことばは消えても文字は残る・・・・・、それがぼくの望みだ となる。 <012417198181841241319Y> で<警告> 02214121506134-12148W 1920 12E 14201118418W 13E418-24 15018X 13142018 0111141318 5813817W 以下会話 「1420#418-1920X」 「2142023-1920 12A015141719417 120《Viola》X」 「14208W 1420#418-1920X」 「94 1820818 301318 11A01824131842017 34 NO.33W」 「2E41819 41319413321W」 うーん。なにか法則性はあるのだろうか。 「811 134 24 0 15112018 20134 18420114 1547181413134W」 ・・・何か脳オカシクなってしまった感じ・・・ ではでは。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ 970809追記:テレヴィジョン、とはその語源的な意味でのタイトルだったのだろう。 暗号については今に至るも不明。また別の形で答えが示される事があろうか?
長野まゆみ「星降る夜のクリスマス(Starlight Christmas)」河出書房新社/1991/11/20 長野まゆみ「仔犬の気持ち(Puppy's Feeling)」河出書房新社/1991/12/20 時期外れもいい所である。 ましてもう随分前の本ではないか。 グリーティング・ブックと名付けられるシリーズで、あと一冊出ているらしい。 長野まゆみ氏本人のイラストが1/3を占める。上手い。プロの絵だ・・ 考えてみれば、長野まゆみ氏は、もともとデザイナー出身の人だったんですね。 ただし、イラストと本文は特に関係無し。 さて、文章の方は、「クリスマス」の方が、母親の買い物につきあわされ、退屈した 少年の前に突然現れる謎の少年。いつものパターンだが、上手い。例えば買い物に 来たデパートのエントランスの巨大間とか。そういうツボにはまる描写が多い・・ 静まり返った移動遊園地ルナ・パァク、暗く沈む地上から、ゆっくり上がっていく 観覧車・・・雪が観覧車という視点故、頭上から足元まで通り抜けていく。 雪の日の観覧車というのはお薦めかも知れませんね。 「仔犬」は、クリスマス、の方にも出てきた犬、タッシュの由来?の様なものを。 兄弟の描写が如何にも長野作品で、傲慢な兄、我がままな弟、実にリアルだが美しい。 ラストでの兄弟の仲直りのシーンは、ああ、理想だな・・・ 僕には男兄弟が居ないので、結局こういう仲たがい、や仲直り、も経験しなかった。 親戚に男ばかりの3人兄弟がいて、それがもうバイファムのロディとフレッドを 思い出す良い兄弟。喧嘩もよくするけど、一緒になって(今でも)馬鹿話をして 笑ったりしている、その結束感には、ああ、今でも、憧れてしまうよ・・・ この作者の作品はファンタジーという事もあり、現実感から遊離してはいるのだが、 そのへんを活字の補完能力で見事にカヴァーするすべを知っている様だ。 必要以上の事は書かないから、漫画でやっちゃうと不安感を誘うような 「足元の不確かさ」も、感じない。 言葉というのは本当に可能性が大きい。言葉の使い方を「本当に」マスター出来れば、 と思う。漫画を含む映像作品の可能性も否定はしないが、とっつきに好き嫌いが どうしても出てしまうし、何より漫画は、文章で数行の所を何時間もかけなくては 描けないのだから、中島らもじゃないけど「思った事をすぐに形に出来る」のは、 ううむ、どう考えても(ストーリーテラーには)有利の様な気がする・・・ まぁ、長野まゆみ位の「手」が有ればねぇ・・・ ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (1996/04/14)
BGMはUtollo Teshikaiの「URSA minor BLUE」 たむらしげるのアニメ「銀河の魚」の総サントラ(CD−ROM版含む)集であり、 何故今ごろ出たのか不明。にしても、良い。ほのぼのしてて。 LD買おうかなぁ・・安いし。 「水蓮は三日月少年たちが何処へ行くのか知っているのか。」 「彼らは自分たちの棲み家へ帰って行ったのさ。」 「棲み家って。」 「決まっているさ、三日月だよ。」 長野まゆみ「三日月少年漂流記」(河出文庫)を読む。 解説の野上暁氏に解説し尽くされているが、この三日月少年という自動人形たちは その後(それ以前)の彼女の作品中の少年達のオオモトなのではないか。という。 道具の扱いなどが宮沢賢治かますむらひろしか、というのも同感。 他の彼女の作品に比べて視点の移動が殆ど無い。平板な流れであり、またタイトルの 「三日月少年漂流」はこれから始まる、という所でこの話は終る。ここにこの作品が ”プロローグ”である事は明かである。 風を感じたい。 まるでC.W.スミスのスキャナーになった気分だ。 青空を見上げたい訳ではない。 木の葉ずれの音 知らない町の神社の森 この国にはまだ神社の森が 僕の知らない森が在るのだ。今も。 そして風に木の葉ずれの音をさせているに違いない。 ではでは。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (1994/04/25)
長野まゆみ「夜間飛行」河出文庫/1995/11/2 成る程「銀河鉄道の夜」+「銀河の魚」だぜ。 今回の少年二人(いつものパターン)はミシエルとプラチナ。 冒頭の鐘の音、「カン・パネルラ・・・」で、「これは銀鉄です」というスイッチが 入る仕掛け。 ハルシオン旅行社の秘密のチケット。チケを買えるのは、金ではなく、雷卵石。 旅行の間に出会う人々、通る街、現実と非現実たる「旅行」の狭間のあいまいさ・・ タイトルこそサンテグジュペリですが、一見した構成はまさに「銀河鉄道の夜」。 とにかく一分の隙も無い。見事な世界観。 魅力的な空の旅、美しい庭園、謎のセールスマン、存在しない鸚鵡、美味そうな ソーダ、黄色の潜水艦(!) アラが見あたらない。恐ろしいまでの完成度。 ただ、やはり過去の作品のの焼き直し的な感覚はある。読者側の読み慣れか。 「テレヴィジョン・シティ」に受けた衝撃には比ぶるべくも無い。 ラストのあからさまな「銀の釦」がいやらしい。この描写なからましかば。 あとがきでまたそれを重ね書く。余程の腹立ちだったのだろうが、しかし今となっては フランス核実験も遠い日の花火(・・・)という感じだ。 全く自分のココロのいい加減さにもあきれるが、いささか攻撃性が過ぎる。 これが作者の言葉でなく、「蜂蜜」系の少年の言葉ならばまだしも、な・・・ 一番大切なものは目に見えない @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (25.July.1996)
長野まゆみ 「夜啼く鳥は夢を見た」河出書房/1990 駄作。(これは友人の長野マニヤの意見も一致する所である。) いろいろ書いてもいいんですがまぁ雰囲気だけの作品なので そういうのに飢えた時だけ、お読みになれば良いでしょう。 でも出来ればコレ読むよりは深夜のよくわからんB級映画見た方が・・ ちょっと時間の無駄感の有る @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
長野まゆみ「螺子式少年レプリカ・キット」河出文庫/1995/5/8 この作者の味をどう表現したものか、いつも悩む。 コトバで書かれた作品をコトバで語ることが如何に無意味かを思い知らされる。 何故ならこの作品に限らず、この作者の作品はコトバそのものの美しさに その価値があるからだ。 読書(こと物語文学)というのはインプットは多く、アウトプットは極力に少ない というのが考えれば当然ではある。 何か・・・以前にも長野作品の感想でこんなことを書いたな・・・進歩してない・・ 夏休みの暑すぎる空気。 白くハレーションを起こしたような街角。 襲う退屈。「退屈は至福だ。」 相変わらず父親不在の少年達だけが存在する世界。 因果関係のハッキリしない現象、続く足下の不安感・・・ 少年期特有の「世界は誰かによって作られているのではないか」という思いこみに よって作り上げられた世界。自分の友人とそのレプリカの区別が付かない自分。 少年達の行き着けの店<ビアブランカ>の然り気ない(しかし重要な!)描写。 読んでいてハッとする様な「なんでもない描写」がある。 そういう所で、この作者はただのショタ同人とは一線を画すると思うのだけど。 もう一つ、この作者の特徴として、少年の世界を描きながら、 しかし決して彼等は成長しない、少年の世界を出ていかない、という点が 挙げられようか。 だから、ラストもまた「円環の中へ還っていく」というラスト。 そこに不安(恐怖)を感じるか、物語世界の完成を見るか・・・ 全ては作者の、一歩踏み外してしまえば冷笑の対象にしかならないであろう繊細な 筆使いによっている。 読んでいる間は快楽に浸れるが、読了後、何も残らない、という様なことを友人と 話したことがある。確かにそう。砂糖菓子の様なものだ。 だけど、まぁ、こういうのもいいもんです。 ただ読んでるだけでも何らかの形で影響してるんじゃないか・・ とは思うんですがね。 そうでなけりゃ乱読はただの時間の無駄。 ・・・いやまぁ無駄、なんでしょうね・・・。 いいのさ。所詮人生死ぬまでの暇つぶし。 悲しいこと言うなよ・・・ いやその。この作者の作品が、無性に読みたくなる時が有るんですよ。 そういう時に、新刊を見つけてきて、読む。それでいいや。 と、最近思うワタシでした。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (10.July.1996)

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