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香山リカ



香山リカ「香山リカのきょうの不健康」/河出書房新社/1996/16/25


香山リカとミュージシャンの対談集。集、といっても相手は3人。メンツは、
ムーンライダーズの鈴木慶一、YMOの高橋幸宏、筋肉少女帯の大槻ケンヂ。
「〜の」と付けたが、既にソロ活動に入って久しい者もあり。

ね、メンツが濃いでしょう。如何にも、という感じ。このメンツがそれぞれの
心の病の履歴を語り、今(95年頃)何の薬をやっているかを語る、という。
非常に何というか雰囲気曇り空な感じのする、決して楽しい本ではない。

対談時期は1994−1995。当時の私がこれを読んでいたらどんな気分に
なっていたろうか。彼らの音楽無しでは毎日を生きられなかったあの頃。



各人それぞれ鬱側に突出した個性があって、読んでいると「ああ、この当時彼らは
こんなだったなあ」と懐かしく思い出したりもする。鈴木慶一はすぐにおちゃらけた
方向に持っていきがちだし、高橋幸宏は静かな自信と確かな知識で香山リカと
正面対決の姿勢、大槻ケンヂは当時の彼の「やさしさ命!」みたいな状態が強烈。

中で興味深かったのはユキヒロ氏の語りで、ああ矢っ張りこの人は厳しいなあと。
自分にも他人にもに厳しそう。センスが研ぎ澄まされている分、他人との無意味な
馴れ合いを拒否するような冷徹さというか、自分を決して崩さない堅い態度は、成程
あの人の姿そのものだ。あと話の中で出てくる教授の「草木も生えぬ龍一ツアー」の
話なんかは、嗚呼ホントにそうだったんだなあと。

あと慶一さんの話で、あの名曲「夢が見れる機会が欲しい」は、ほんの五分くらいで
出来た、という下り。”何かし過ぎて死んじゃいそうな状態”で書いたという。

「こんなに早くできるわけがないのに、何でできるんだろうと、こわかった」。

あの最高にムーンライダーズらしい詩(目が覚めたらラジオ消して/テープレコーダー
自分の声入れて/土の中に埋める)は、氏の脳が危険な程に回転している時に生まれた
ものだったのだというのだ。いや、実際作家と作品は別物だなあと。そういう状態
なんて想像だにしなかった。それに、その話を知ったからって曲のイメージは
変わらないものね。


兎に角ただ対談しているだけで、興味本位で読むのが「正しい」読み方なのかな
とは思う。この人はこんな病と闘い続けているのか、とか。あの頃こんなだったのか
とかさ。だからこの3人に興味のない人は、多分読んでも全然面白くないだろうなあ
とは思うん。私はユキヒロさんのアルバムは全部持ってる(ベストは除く)し、
ムーンライダーズも大好きだし、筋少は言うに及ばず、という過去(もう過去と
なりつつある)が有ったから、まあ興味本位で読み終わりましたけれど。

まあ、不思議な本です。売れたのかどうだか知らないけどね。
@@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
(00/07/16)

香山リカ「おかしくってもダイジョーブ!!」早川書房/1994 去年の年頭にでた本を今になって読むとは・・・ しかしまぁ中身はさらにふるいので安心。 たかだか2〜3年前の社会現象ネタというのがもう解らない。 いかに「空虚」だったかを思い出させる。 時事ネタを扱いつつ、心理学的にというよりは「香山リカ的に」判断をくだしていく のだけれど、彼女独特のかったるい様な文章が心地よい。 結局、徹夜あけのぼー・・っとした頭で読んだ巻末の後書きが しかし一番衝撃的だった。 あんまりにも心にづしんと来たので ちょっと引用。  八〇年代についてなら、いくらだってノスタルジックな話ができます。たとえば、 私が初めて坂本龍一の『戦場のメリークリスマス』を聴いたのは、あるサブカルチャー 雑誌の編集部でのことでした。といえば聞こえはいいかもしれませんが、そこは単に、 溜り場がわりに使っていた編集長の住みかにすぎなかったのです。何時に行っても必ず 、起きている人もいれば眠っている人もおり、全員がそろって覚醒中もしくは睡眠中と いうことは一度もなかったくらいです。その日も、締め切りはとっくに過ぎているのに 、意味のない長電話、見ていた局の放映が終了したとパニック状態に陥った人が次々に チャンネルを変えては見入っているテレビの映像、痴話ゲンカ・・・・・・そういった意味の ないもので部屋はあふれかえり、編集作業はいっこうに進む様子はありません。  そのうち空が白々と明るんでくると室内のタバコの吸い殻の山にも光があたり、疲れ と焦りとバカバカしさで、だれもがその場にぐったりと座り込んでおし黙ってしまいま した。そんな時、編集長が「そうや、昨日、教授のデモテープもらったんやった」とよ たよたと立ち上がり、かけたのが『戦メリ』のサントラだったのです。いいとか悪いと か感想を述べる人もいません。ただみんなぼーっと虚ろな表情で、ピアノの音が部屋に 流れるままにしておいたのを覚えています。 ね。 80年代っていうのは本当に有ったんですね。 こんな生活が本当にあったんですね。 資本だけは、お金だけは有った時代。 何の因果関係もなく次々といろいろな事が 起こっていた。 「明日は何が起こるかな」と期待してしまう、そういった感覚は、 やはり僕が80年代にその精神の形成期を過ごしたからだろうか・・・ 上のソレは非常にネガティヴな感覚で描かれている様ですが そこには「教授」の「戦メリ」が、その一番はじめの姿、デモテープが そこにながれている事で、何かが生まれる予感に満ちている。 80年代は至福の時代だったんじゃないかしら。そう思える。 90年代、既にして半分を過ぎてしまった90年代は・・・ 何があったのか、それすら忘れてしまった・・何も残らない・・ いろいろ考えちゃいますね。 80年代は単に思い出として美化されているのでは無く 事実ああいう時代があったというその証拠、逸話(上の様なもの)をもっと 記録して置くべきだと思う。 「今が一番いいとき」と歌った某アニメの様に、日本至福の時代の記録として・・ ただ、ここで大事なのは、「80年代」は東京に主に訪れたらしいということ。 僕はTVを通してしかそれを感じ得なかったこと。 僕の住んでいる町は、全く70年代とたいして変化してない事。 それでも東京に来たら全国に来たのも同じなんですが。TVがあるかぎり。 ローソンは実に80年代的だと思う @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (1995)
香山リカ「リカちゃんのサイコのお部屋」ちくま文庫/1994(扶桑社/1991) SPA!に連載されていたコラム。 香山リカの本というのは実体を割と別のモノに転化してたんだねぇ。 いや、これは投書に対する返答で構成されているため、 ヤバい文章がまんま載っていて、なんか「うわ〜・・・」という気分になる。 どんなに「反社会」モードなアブない投書にも取り合えず肯定するのがおそるべし。 ただ、その氏が唯一頭から否定するのが「自己啓発セミナー」である。 これは興味深い。 社会的催眠から脱催眠させ、一時的に開放感を感じるかもしれないが・・・ ふむふむ。 オーケンが救われたとか言ってた記憶があるが「森田療法」の話もあったり なかなかサイコ(とかこーゆー言い方って軽くてどーにも「らしい」よね)で良い。 ラストのヲカザキ(岡崎京子)との対談が熱くて良いぞ! 香山リカがやたらTV等に出るようになってた時期で・・・ TVの暴力、だけでなく、ただただ発信する人間が延々増え続けるという。 「’90年代は自分を一方的に放映!」なんて、まるでそうよね。 HPとかさー・・EYECOM今月の竹熊の野望みたいな状態なのよね。 例の「山あらしジレンマ」の話も有って、成る程・・・いや、 「えば」で見て理解していたのとはちょっと違う話なのネ。 ショーペンハウエルの寓話、だそうである。ふむむ。フロイトね。 いやしかし。感情的距離もそうだけど、単に「単一空間」を多数で共有すること そのものになんか「刺」を感じるワタシ。ホッとする空間が欲しい。 基本は感情の距離らしいけど。 「移行対象」の話もある。 思うにをたくちゃん達は「リンボ界」に「そっとおいて置く」べき移行対象を 現在も抱え続けていて、その移行対象を共有しているが為に「そのスジ」として 感じとることが出来るのであろう。 最近だとSFMで連載していた「OKAGE(梶尾真治)」にも出てきた、 見えない友達「イマジナリー・コンパニオン」の話も。 僕には無かったと思うけど、男子の23%、女子の31%は経験する、のだそうだ。 それをオトナになるまでひっぱって生きている・・・そんな女の子の話・・恐い・・ 腹の中に返事をする虫を飼っていたり・・うう・・・ しかしこーゆーの読んでると自分の社会観が どんどん外側からはがされていく感じがして寒くなってくるぜ・・・。 自分もアブない部分を多少なりと持っているのだなぁ・・・ 巻末の用語辞典が、「香山作品(?)を読む上で」非常に便利。 いやー、ネタになりそう!とか思って読んだけど、キモチ悪くなってしまった。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
香山リカ「乱読パラダイス」筑摩書房/1995 各紙で掲載された「書評」をメインとした集。 感動した本の「すばらしさ」をどうにかあらわそうとした 苦しい闘いの記録、という事である。 香山リカ氏の批評なり文章なりが「好きな」人にはおすすめです。 僕は、いろいろ思うんですけど、基本的に「正しい」と感じています。 間違ってはいないよな。と。 もともと香山氏は、非常に「濃い」題材を選んでおいて、それでも「専門用語」を さけ、ちゃんと、ことば、を使って話してくれるので、そのへんは好ましいでしょ。 しかし、本そのものに対する批評というよりは、それを元に どんどん話を展開していく様な内容ではあります。いやそれこそが批評なのか。 「オリーブ少女の欲望のありか」など、読みごたえ有る・・・ 氏が学生時代初期を東京の、いわゆるサブカルチャー雑誌の編集などに関わっていた 事を抜きには考えられない、「80年代をひきずったままの90年代論」は、 この中でもちゃんと見られます。否定はしないけど、「祭りの後」的寂しさが漂う・・ 巻末のことば「一九九五年にもきっと夜明けは来る」に全ては要約されている様な ぼんやりとした不安、現実味を失った日常、に精神科医としての香山氏は、どう 答えていくのかしら? 一見平穏な日常、その裏の狂気というか暗黒面が、今じわじわと表層に 現れつつあって、社会はゆっくりと狂っていく・・・ 少なくとも不健康では、有るよね。 本当に香山氏の文章には社会に対する自分内部の不安、を露出させられるので、 だましだまし生きてる様なワタシは、氏の文を読む度に落ち込むのだった・・ たといファミ通のエッセイでも。 自分が不安にさせられる要素はもう一つ有って、当然ながらというか、 氏は哲学関係に博学であり、その上雑学に関しては八〇年代以降のメディア関連の 雑多な知識が詰め込まれている感があり、読む度に 「あーオレって何も知らない・・・」 という敗北感というかそういうのに襲われるので。 そんなん分かり切ってる事なんだけど。 でも、それでも、読まずにはいられない。不思議・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
香山リカ「リカちゃんコンプレックス」ハヤカワ文庫/1994 太田出版で/1991に発刊されたものの、再編集文庫版。 今をときめく、のかどうかは知らないけど、何故かいろんな所で大活躍の精神科医 香山リカ氏の、「精神科医香山リカ」としての著作のデビュー作。 氏の文章は、実は一時期耐え難いほどに嫌いでした。それが結局氏の「女だてら」の 教養(?)に嫉妬していたからと気付いてから、急になんか読みやすく成りましたが。 独特の語りかける様なトモダチ感覚の文章に、突然展開される心理学用語等のターム。 脳の普段使わない部分に新回路が出来る様で、面白く読めました。 ただ、エッセイといっても、雑誌のコラム程度のものもあり、問題提起だけで 終わっているのも多く、ちょっと不満も残ります。仕方ないですけどね。 だいたい、氏による解題はあくまで精神科医的アプローチなので、とたんに難しく なるのだし。 否定もしなければ肯定もしない、ただ、「どんなもんでしょ?」と言って問題を 並べてくる。それがスタイルなのかも。 内容は、書かれた時期が古いため(多くがバブル崩壊以前!)か、 「?」という所も有ますがそれはそれ。懐かしくも思い出してくだされば。 物があふれてて、今もその状況はたいして変わってはいないのよね。 情報も然り。いろんな価値観の元、いろんな情報が渦をまいていた。 マスメディアの気付かない地下で広がる価値観、ウワサ・・・ ビックリマンシール、高橋名人逮捕説等々、ただのデマとしては伝播速度が異常で、 どう見ても同時に複数発生したとしか思われないウタワサ・・・ そんなのが「まだ」有った時代ですね。(こういうの好きな方は、もう読まれたかも しれませんが、いとうせいこう「ノーライフキング」が一番、おすすめです。) その頃の雰囲気をこの本も感じさせてくれます。雑多な、一見書き散らしたとも思える いろんな方面(化粧、ゲーム、薬物依存、数々の精神病例、etc.)のエッセイが ここにこうして集められ、名づけられると、それは一つの「雰囲気」をもって 立ち上がってくる・・・まーこうゆうのがエッセイ集、の醍醐味なんでしょうが。 好みは第2章の「ボーイ・ミーツ・ゲーム」、TVゲームによる治療を推進する 氏ならではの視点が面白いです。 風営法施行以前のゲーセンの状況とかが描かれていて・・・ あの頃田舎のゲーセンってゆーのは「不良」のたまり場でしか無かったのに・・ 東京はこんないい思いしてたのネ・・ それはともかく。 保坂和志(すいませんこの方どういう小説書かれているのか知らないんですが)に よる解説の冒頭、 「香山リカの文章を読むのは、のびのび育った明るくてアタマのいい友達と  しゃべる楽しさに似ていて、爽快でとても肯定的な気分になる。」とありまして、 いや全く、最近では読んでいて「肯定的」な気分。 「ファミコン通信」(アスキー)や「SFマガジン」(早川)等、本来をたく ちゃんの為の雑誌にさえ、氏は「心理学者」としてそのときどきを語っていますが そういう時のスタンスが興味深いですよね。  をたくちゃんの文化もちゃんとリアルタイムで受け取っている今の香山リカ先生は しかしこれから必ずいつか訪れるであろうジェネレーションギャップを 受けとめられるのか。スタイルは変わらざるを得まい・・・ また、第4章「メディアをぼくの手に」の氏のおたく観(と言っても問題提起で 終わってるけど)が面白いです。 嘗て、こういうの、は、中島梓が「コミュニケーション不全症候群」で 近親憎悪的に描いて、いやわたしゃ随分打ちのめされたもんですが、香山氏の観点 だと憎悪の対象ではなく、精神科医として、そういう行動がもし外的な圧力から の逃避のはけ口としてあるならば、その「外的な圧力とは何か」という風に 視点を変えてくれます。その辺が「肯定的」の所以ですかね。 ・・・ ああ、眠くてでまとまりません。 ともかく、文庫ですし、読みやすいですので、機会が有ればご一読を。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@

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