白炭屋カウンターへ

本棚・メインへ


本棚・神林長平



・目次

神林長平「鏡像の敵」
神林長平「永久帰還装置」
神林長平「ルナティカン」
神林長平「グッドラック 戦闘妖精・雪風」
神林長平「蒼いくちづけ」
神林長平「宇宙探査機 迷惑一番」
神林長平「敵は海賊・A級の敵」
神林長平「ライトジーンの遺産 RIGHTGENE'S Heritage」
神林長平「Uの世界」
神林長平「過負荷都市」
神林長平「機械たちの時間」
神林長平「言壷」
神林長平「今宵、銀河を杯にして」
神林長平「魂の駆動体」
神林長平「我語りて世界あり」
神林長平「敵は海賊・不敵な休暇」

神林長平「鏡像の敵」/早川書房/2005/08/31 「渇眠」「痩せても狼」「ハイブリアンズ」 「兎の夢」「ここにいるよ」「鏡像の敵」 を収録。全て1980年代の作品。SFイズムとか懐かしい掲載紙も…… 結構バラエティに富んでいる。 痩せても、のコミカルさ、ハイブリアンズのメタ感覚、兎の夢のハードさ、 ここにいるよ、の静謐な不気味さ、そして鏡像の敵、の緊張感…… どの作品も割と正統的な(というべきか)SF仕立てになっている。わりと あからさまなSFオチが続くのは正直好みが別れるところかも、とは思うけど ……個人的にはツボった作品多し。 どれも印象深いけど、中でも「ここにいるよ」は「あな魂」の類似展開であり ながら、より近い日常とより遠い時間を扱っていて、その落差に目眩がする…… かというと目眩はなくて、ただそこにはその落差を軽々と扱うSFの快楽が あるのだった。 巻末「鏡像の敵」はこれも神林作品ではややお馴染みの、精神データだけを移行 した「世界」と、それを”外側”から見たもののやり取り。展開はディック的と いうか、割と緊迫していて良いんだけど、今となってはオチが弱いか…… 巻末の桜坂洋による解説、「神林長平が紡ぐ文章にはリズムがある。」に頷く。 そのリズムに乗せられてゴリゴリとした言葉を読む快楽をここまで感覚的に 「正しく」言い表した文章を初めて読んだ気がする。 「兎」を読みつつ、やっぱり神林SFはハードボイルド”っぽい”のがいいなー と思う。ホンマ、「ライトジーン」好きなんですわ…… @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (20060920)
神林長平「永久帰還装置」/朝日ソノラマ/2001/11/30 「正義とは、愛だよ。それがわたしにも、わかった。きみには陳腐に聞こえるかも  しれないが、本当に初めてわかったんだ」(p271) 神林長平入魂のメタ言語ラブロマンス。略してメタラブ。 いやもー。なんか、うーん。真っ正面から顔見つめられて「愛、愛なんだよ」 (大塚明夫声で)とか言われてるよーなむず痒さ。でも、構造の部分は過剰な までの神林長平節。愛のある、「敵は海賊」というか。相変わらず二重三重と 畳みかけるような世界構造の視点移動が快感。いや、面白かった。 外枠は(他作品に比べれば)単純且つ壮大に出来ている。創作者と、その登場人物の 恋物語とでも言おうか。舞台は、(あの)火星。ボルターと呼ばれる「永久逃亡犯」 を追ってこの世界にやってきた永久追跡刑事・蓮角。だが、この世界にたどり着いた とき、彼は冷凍睡眠状態で現地人に「発見」されてしまう。その正体を暴こうとする 火星戦略情報局。そのリーダー、ケイ・ミン。 最初、その冷静さ、言葉遣いなどからレクター的な知的狂人かと思えるんだけど、 だんだんとその「刑事」としての生き方の真摯さが見えてくる。彼は刑事なのだ。 世界を創造、改変してはその中に逃げ込み、また世界を破壊して新たな世界を― そうやって「逃げ」続けるボルターを、その世界のスタイルに合わせて追い続ける 永久追跡刑事。今の彼の「人間」としての姿は仮のもので、記憶も、言葉も、この 世界に合わせて彼の頭に埋め込まれた(という形でこの世界では表現される) リンガフランカーなる装置が決定している。兎に角、この世界を作り、その中に 逃亡している永久逃亡犯、フヒト・ミュグラを捕らえなければならない。その為に、 彼もまた世界を改変する。ケイ・ミンの記憶を操作し、自分の協力者に仕立てよう と…… 冒頭から一気に「何が現実でなにがそうでないのか」の境界線は吹っ飛ばされて しまう。前半はまさにその混乱を味わう段。中盤、未来を決定する猫、サヴァニン 、のあたりで世界は固定され、ラストへ向けて加速する。猫はシュレディンガの 猫という訳か。 「出所不明、正体不明のものを信じることはできないわ」 「だから、納得がいくまで調べろよ。わたしが信じて欲しいのは、わたしはフヒト・  ミュグラを追う刑事であり、きみにわかる言語体系で表現すれば、いまここでの  わたしは永久追跡刑事である、ということだ。信じろ」(p129) 全くの異質な背景を背負ってこの世界に現れた、という事を、言葉だけで相手に 納得させなくてはならない。或いは物的証拠なしに、得られた情報と「言葉」 だけを道具に真実へと迫っていく下りのエキサイティングさ、というよりは 「神林らしさ」。言葉だけが武器、というのは如何にも神林的で。 <コミュニケーションは他者との格闘だ>(p204) 戦略情報局の、それ自体が生き残る事を最大の目的とするスタイルは明らかに 「海賊課」と通じるものがある。より過激だが。海賊が敵なんじゃなくて、 敵が海賊、って奴。 警察手帳、その中のクリームパンの包装セロファン。こういう所が実に 「死して咲く花」的なシミジミ味わいを出していて好きだ。 「あなたはなぜ、飽きもせずにボルターを追い続けてきたの。こんども、もし  逃がしたら、ボルターが逃げ続ける限り、永久にそうするのでしょう、その  理由はなに。わたしには、単なる義務感でそんなことができるとは思えない。  たとえあなたの真の存在が人間でないとしても」(p403) という問いで始まる「帰るために愛せよ」の下りはスゴイ。徹頭徹尾論理的なのに その論理の中枢にあるのが「愛は勝つ」なんだからなあ。言葉の魔術師健在という ところか。 世界の感触が狭い様に思えるのも、「火星ってこんな感じなんだー」で吸収出来る し、そもそもの設定からしてこの世界が仮想現実である、という大前提があれば 納得してしまえた。次元を超えた逃亡者、追跡者、でも「この世界のレベル」 では普通に刑事であり逃亡者なのだ。ヨウメイみたいな人倫の範囲を遙かに超越 した絶対自由人に比べて、フヒト・ミュグラのチンピラ的ショボさに逆に納得して しまったり。 いつもの調子で難解(と思われる)な構造がすいすいと展開されていくのは 非常に心地良い。難度は高いかも知れないけど、読みこぼしたりしない限り、 美味しい部分は全部説明してくれるので、スルリと読んでクラクラして欲しい。 「わたしたちの魂に平安がありますように」 「挨拶よ。ごちそうさま、ということ。いまはだれも使っていないと思うけど。」 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (01/12/14)
神林長平「ルナティカン」/光文社/1988/05/20 これも1999/09/09現在絶版の一冊。 「子供のころ母親によく言われたわ。知らない人についていってはいけません、て」 「それで?」 「それだけよ。いまはもう子供じゃないわ。」(p72) 神林にしては珍しく「女」の湿り気のある作品・・・とか書こうと思ったら、 こないだの「わが名はジュティ」がモロに「女性」だったので、この人も いろいろ書くんだなーと。そういや「猶予」なんてのもあったか。 月世界にやってきた地球のノンフィクション作家リビー・ホワイトは、月の 企業LAPの作ったアンドロイドによって(その信頼性の証明のために) 育てられている子供、ポールを取材しようとしていた。 「LAPは人間を実験台にしている−」 だが、LAPのツバイ主任に威圧的にあしらわれてしまう。 リビーが「ルナティカン」−月の地下世界に住む「空気を盗んで生きている 野蛮人」に会いたいと言ってホテルのフロントでもめているところへ、月人の リックが案内人に雇わないか、と声をかける。リックは、LAPのツバイに ポールのガードマンとして雇われている探偵だが、実は彼は「ルナティカン」 の出身であり、ポールの(本当の)父親の兄でもあった。リックは ホワイトに力を貸し、アンドロイドに育てられているわがまま王子・ポールに 「真実」を見せることにする・・・ 物語としては、今ひとつ今二つ展開に力がないんだけど、その分、というか リックの造形の格好良さが光っている。作者本人も 「このリックの過去を探るのが書いてる自分自身にも面白くて」(あとがき) と語るほど。 ハードボイルドの魅力には、やっぱり「語られざる過去を持つ男」の 格好良さ、ってのが有る。最近だとスパイクとかジェットとかね。 で、このリックも、それなりの過去を背負って生きている。 決して明るくはない過去。でも、こいつが今の状態に至るには どんな過去が有ったのだろう・・・と、思わず探らせずには おかない様な魅力が有る。これだ。 その出自から月社会では決して強い立場には居ないが、自分の立ち位置を しっかり認識して「やるべきこと」を前にすれば、それを「やる」事に 躊躇いはない・・・そういうマーロウ的「探偵」の格好良さ。 「被差別者」で「雇われ者」・・・のイメージは「ライトジーン」に近い。 アレも実にハードボイルド、だった。実は今のようにウヰスキーをばかばか 飲むようになったのは、あの作品が原因なのだ・・・影響されやすいね。 但し神林作品に有る筈の「底に流れるテーマ」は(僕には)読みとれなかった。 (ハードボイルドに深みのある描写は不要だからだ、とも。  感情を廃し、展開の表面をのみなぞる。) でも映像的に面白かった。思考実験みたいな神林作品しか知らなかった身には 光文社の一連の作品の、その明快さには驚かされた。 好きな言い回しは「月的」。 「・・・正気なの?」「月的か?」(p48)とか。 こういう言語変換が出来てしまうのが、神林なんだよな・・・ 月の地上と地下世界をつなぐ送気筒を下るシーンは、何となく インダストリア地下(ってわかんねえか)を彷彿とさせた・・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/09/15)
『・・・・ジャムは、神のような存在、か』 『そういう可能性もある、と言っているだけだ。が、もしそうだとしても』 とブッカー少佐は言った。『ジャムに取っての人間も、同様だろう。 お互い様だ。ひるむようなことではない』 神林長平「グッドラック 戦闘妖精・雪風」/早川書房/1999/05/15 前巻「戦闘妖精・雪風」が刊行されてから15年。これはその、続巻にあたる。 SFマガジンで連載されていた頃につまみ食い程度には読んでいたけれど、 こうしてまとめて(今回、この本を読むにあたって、もう一度前巻から 読み返した)読んでみるとまた違った感動があった。 主人公零の性格の激変があり、戦況にも変化があり・・・何よりも、 前巻である程度匂わされていた敵・ジャムの「正体」に踏み込んだのは 大きい。まだ「結末」は見えていないが、エンディングの具合からして いずれそう遠くない時期に続編が読めるような気がする。 ともかく・・・SFとしての物語展開以前に、「雪風」という機体の・・ 機械の「存在感」に惚れ惚れした。表紙のFRX版<雪風>の不気味な(以前の スーパーシルフに比べると決して美しくはない)姿さえが、この作品を 読んでから見ると、手応えのある魅力的な「機体」である感じがする。 息づいている一個の(獰猛な)生き物の姿。プログラムのコードを解析しただけでは 決して理解できない「個性」。 何よりあの雪風のセリフ回しの味わい。簡潔でありながら「性格」をちゃんと 伝えてくる。嘗てここまで「キャラの立った」戦闘機が居たであろうか。 「ユー・ハヴ・コントロール、雪風」 <I have control/I wish you luck ... Lt.FUKAI> この”会話”シーンのもたらす興奮というか、衝撃は結構深かった。 機械知性を、機械知性として認め、その上で対話する。この妙な感動。 「他人というのは他者であり、他者とは自分とは違う世界を持っている  存在のことだ。ただそれを認めるだけでよかったのだ。真の付き合いは  そこから始まる。敵であれ、恋人関係であれ、それは同じだ。」(p149) 他者とのコミュニケーション、というのがこの作品の主テーマだと思う。 ジャムと人間。機械知性と人間。ジャムと機械知性。「違う世界を持っている」 他者との意思疎通。これは言わば人類普遍のテーマでもあって。 雪風との対話の魅力は、この「意思疎通」が難しいながらも何とか やり取りできている・・・という描写にあると思う。 この機械知性は、人間には似ていない。が、理解できないわけではない。 「人間に似すぎていない程度に似ている」というのは、動物なんかに 感じる魅力の一つだ。犬や猫、アライグマなんかの仕草は可愛いけど、 昆虫や、或いは猿の仕草があんまり可愛くないのと同じで、全く違うもの 或いは近過ぎるものにはここで描かれている様な感情は生まれにくい。 自律行動をする雪風は、そう言う意味で「かわいい」犬や猫に近い。 ある程度理解は出来るが、別の知性。 雪風自信の言葉による即物的な表現、それを推し量って 雪風はこう言っているらしい・・・と読み取り、それを信頼する零。 メカと人がつきあう上で最も基本的にして、最も胸をうつ関係だ。 <everything is ready/I don't lose/trust me ... Lt.> 零と雪風が、互いを不可分のパーツとして認めあう様は感動的ですらある。 「雪風を他者と認めつつ、それはまた自己の一部でもあると意識するのは、  人間にとってさほど珍しい現象ではない、人間にはそういう能力がある」(p375) ・・・それは、「愛する」という能力・・・。浮ついた恋愛感情ではなく、 生き残りのためならその「自己の一部」を切り捨てるのも厭わない、極限の信頼。 ・・・斯う言う感動を最近何処かで味わったことがある様な・・・・ 何だったかな・・・・・ってああ、こりゃポケモンだ!! 「ピカチュウあってのサトシ、サトシあってのピカチュウ」な訳だよ。 近いと思うがどうか。イヤ別に近くてもどうという話ではないけど。 プロファクティングツールMAcProIIの解説の下りなんかは 如何にも神林調で、もっとこのツールの進化系の先が見てみたかったり するのだった。 ジャムとは結局「何者」なのか、奴等とのコミュニケーションは どこまで可能なのか、零は今後どんな風に変化していくのか、フォス大尉と 零の間に今以上の感情は生まれるのか等々、まだ先の楽しみも残されつつ・・・ <everything is ready ... Lt.> @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/07/18)
神林長平「蒼いくちづけ」/光文社/1987/07/20 ハードボイルドSF。 「機械たちの時間」や「ライトジーンの遺産」に繋がる文体と空気。 「清潔ではない」月都市の描写などは如何にも80年代後半のSF。 舞台は月。テレパスが一定の割合で存在する世界。 それまで恵まれない人生を送ってきたテレパスの少女、ルシア・ボーマンは 初めて掴んだ恋と幸せの絶頂で、その恋人によって毒殺されてしまう。 恋人だと信じていたチャド・ケーンの正体は、テレパスの犯罪者、 ケネス・ブートタグだった。 裏切りを悟ったルシアは非常口から脱出、救命ゲルのカプセルによって 内蔵は助けられたが、薬物により既に脳死状態。 ベテラン刑事により犯人はほぼ目星がつけられ、あとは地道な調査での 立件−それだけの事件として片づけられるはずだった。 だが、ルシアの死体は、死んでいなかった。 死の直前に念じられた「殺してやる」という念が身体に残り、強烈な 力を発していたのだ。近づくテレパスは皆悲惨な目に遭わされる。 脳そのものは薬物により死んでしまっているため、説得も出来ない。 ここに、サイディック、テレパス専門の刑事が召喚される・・・ アメリカの刑事物を下敷きにした様な徹底してハードボイルドな文体は 先にも書いたように「機械」や「ライトジーン」を彷彿とさせる。 むしろそれらよりも、より「ハードボイルド的」。 魅力の一つには、単行本一冊で終えるには惜しいキャラ造形がある。 この事件を担当する遊撃課のブラックウッド刑事の造形なんかは、 もう実に良い。その「とどまって戦いつづける姿勢」とか。 両親を天支ビルに連れていった下りとか、さり気ない過去の掘り下げが このキャラクターを見事に立たせていて、素晴らしい。 そして、ただひたすらに「ハードボイルド」を演じきるサイディック 「OZ」の描写の痺れることと言ったら。「かたくな」なハードボイルドさ。 過去の古傷、強いテレパス故に完全に閉じられた心、 弱みを握られないために人との触れあいを徹底的に避ける生き方。 「敵に、大切なものを奪われたくないんだ。物理的にも心理上のものでも。  敵は必ずそれを狙ってくる。はじめから大切なものは自分の生命だけという  生き方なら気がらくというものだ」 OZは、だから消えゆく者しか愛することが出来ない。 この作品のタイトルの「くちづけ」、そしてあのエピローグは、 OZの為にあった訳だ。 彼等だけでなく、他のどのキャラも各々に印象が深い。一瞬しか 出てこなくても、その「個性」が際だっている。 所謂「キャラの立った」巧さ。或いは空気の演出の巧さ。 例えば、遊撃課の雰囲気を壊れたコーヒーメーカーで演出したり。 あのコーヒーメーカーの使い方の巧さたるや。エピローグでの、時の流れと 対比して「相変わらず」の描写として使われている辺りがもう実にイイ。 惚れ惚れする。 或いはカンボジア密林でのサイディックとテレパス犯罪者の行き詰まる戦闘、 その最中に響く殺意、見上げる月・・・から「事件」本体へ流れ込む 構成の格好良さ。 ・・・結局は「ハードボイルドタッチの格好良さ」に尽きるか。 正直物語そのものには神林一流の「根底に流れる思想」が 見あたらなくて、多少食い足りない感じではある。でも、良い小説。 ・・・あ、でも「思想」かどうかは兎も角とするなら 「内蔵は生きているのよ。みんな生きているんだわ。生きて、なにかを  想っているのよ、胃も心臓も肝臓も、みんな。  脳がそれらの想いや意見を制御してうまく調整しているのよ。」(p176) に見られるような「人間は脳だけで生きてるんじゃない、胃や腸にも 意識はある・・・」ってのはひとつ「狐」の頃からの感性かも。 思えば「ライトジーン」も「内蔵」の存在を意識させる内容だった。 内臓を想え、というか。 まだ「雪風」の新刊を買ってない @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/06/03)
神林長平「宇宙探査機 迷惑一番」/光文社/1986/09/20 生きている限りこの世はある この世の主人公はいつでも私だ 「略して、メタバタ」 あまりにも有名な火浦功による解説。 今漸くその”実物”を目にすることが出来た、その喜びは大きい。 結構傑作。オチの付き方もあっさりとまとまっていて、読後感もそこそこ良い。 「主人公」小樽大介中尉の喋りが何とも言えず神林していて良いのだ。 他の作品の「おれ」と比べると、多少脳天気な− ときは未来。ところは宇宙。 月近くに現れた謎の物体を探査していた「脳天気中隊」こと 「雷獣」小隊は、その物体”マーキュリー”と共に−正しくはその 「言語発生機」と共に−平行宇宙へと飛ばされてしまう。 そこでは、軍は民営化を図ろうとしており、そのクーデターに 巻き込まれていく脳天気小隊−と言うのが表面上の「物語」。 この作品の構造の外枠は、水星の和泉禅禄教授の次元探査計画にある。 「観測者がいるから、この世はあるといってもいい。  人間原理だ。珍しい原理ではない。  和泉教授はなんとかそれを確かめる方法はないかと考えていたよ」(P121) 観察者の眼が無くても、宇宙は存在しうるのか−観察者たるこの「わたし」が 居なくても、宇宙は存在するのか?自分が死んだ後も? それを確かめる為に造られ、送り込まれたのがこの「迷惑一番」と呼ばれる 「言語発生機」なのである。彼が記述する「別世界」を、 別の平行世界の和泉教授が受け取る、という仕掛け。 またしても「言葉」。はじめに言葉ありき。 云ってしまえば 「言語がこの宇宙を記述することで、宇宙は初めて存在している」という話で−。 これは他の作品でもまま見られるお馴染みの展開ではある。 この作品の特徴は、このお馴染みのバックボーンのもと、軽妙なドタバタが 演じられる所にある。全く「メタバタ」とは言い得て妙、と言える。 「迷惑一番」が”憑依”したタヌキのぬいぐるみ(ポムポム・・・)の 愛らしさも神林一流のソレだし、脳天気小隊の”晨電(しんでん)”という 戦闘機のイメージ、特に高機動戦闘モードへ移行する際に、パイロットの全身に マン=マシンインターフェイス用の”針”が打ち込まれる描写などは実にイイ。 この辺、神林の魅力が詰まった一冊、と言えなくもない。現在絶版なので 古本屋で見かけた折りは是非− と言うところで終わってしまうのも何なんで、もう少し。 正直、これを傑作と言い切れないのは、この思考ルーチンが拙者の中に 既存の物として存在しているからで。「言葉が全て」て奴。 だからこそ、その呪縛から解き放たれたが如き「魂の駆動体」や「ライトジーン」 に感動もした。神林は常に新鮮な思考をドライブしてくれる− ・・・もっと以前に読んでいれば或いは・・・ 神林作品の、その魅力のオオモトは結局 「情報は物理的な力を持っている、情報は物理法則で扱える、ということの証明」 にあるのだなぁ、と今更考えてみたりもする今日この頃の @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (981028)
神林長平「敵は海賊・A級の敵」/早川書房/1997/7/15 この世に食えないものはない 今巻は今までとは少しノリが違う様だ。何というか、ラテルチームの影が薄く、 ヨウメイ(此の漢字、出ないよねぇ。作者は手書きなのだろうか?)のキャラも 何だか違う感じである。 作品そのものの作りとしてはシリーズと言えるのだけど・・作者の言を借りれば 「いってみれば、同じ「敵は海賊」という設定を利用して、複数の作者が 競作しているというような感じです。」という、成る程そういう感じ。 彼等の代わりに登場したのが海賊課宇宙刑事セレスタン。アプロと並ぶ大食漢で、 食い物にはとことん弱い。巻頭の言葉からもこの巻全体が「食う」という行為に 染められている感じが読みとれる。 決して無能ではないが感性が少しずれた男。パワードスーツをベビーピンクに 塗ってしまうこの感覚・・・途中からやっぱり脇役になっちゃうんですけどね。 今巻も「情報を操る」と言う意味での「海賊」が敵なのだが、何と今回は (ネタバレを承知で書くが)「情報そのもの」。情報はハードに依存する物か否か、 「情報はモノか」という議論の下りはお馴染み神林調炸裂である。 「同じ情報を発信しても、伝達手段の相違で内容はまた変化する。情報の量は  伝達過程で必ず増える、というのが古典的情報理論だ。熱力学でのエントロピー  増大の理屈と同じことが、物質でないはずの、情報を扱うときにも起きる。  これは、情報というのは物質系の状態と同じように記述できることを示している。  (中略)  エネルギーを加えれば、その場は変化する。情報を加えても、同じようなことが  起きる。ということは、エネルギーと情報は等価なんだ。で、エネルギーは物質で  もって記述できるから、情報も物として記述できるだろう。つまり、情報は、  物なんだよ」(P219) 詭弁だよなぁ。弁論術的。でも「『情報』が物質界に物理的に影響を与える」という 神林一流の論がこうして今も書き直されながら生き続けているのは面白い。 流石に「言葉使い師」で受けたショックに比べれば、これはその延長線上 と言うこともあってショックは何程でもないが・・・ ・・そう、実際この巻はいまいちだったと思うですよ。他人の評価を聞いて いないので何とも言い難いけですど、私的には、イマイチ。 これが単に「駄作」なのか、それとも自分の読書能力のキャパシティを 超えているのかが解らない・・・銀乞(銀河乞食軍団)を読んでて、 巻を追う毎に、どう考えても「SF」として納得行かない部分が どんどん増えていったのを思い出す。でもこういうのは、大抵自分の読者としての 経験値不足だったりするので、後で読むとまた面白かったりするんだろけど。 ちなみにこの論を某防衛隊の隊長に話した所、「誰がそんな狂った事を」というので 神林長平だと言ったら、ああ成程とか納得されていた。さもあらん。 この世界にあるΩ変換という技術が今回の要となる。Ω変換自体は元々「ワープ」 の代用技術として扱われていた様な所があるのだけど、この技術について 語られている所を引用すると 「Ωドライブを実行すると、ドライブされた物はΩ次元を介して、ある通常  宇宙空域に対して均一に広がる状態を引き起こす。そのどこにも等しく存在する、  という状態だった。そうしておいてから、ある目標に向けて収縮する。  目標時空点における自己の存在確立を限りなく高める、と言うことだった  (中略)  単純な移動ではなかった。存在確立の制御で、そうなる。」(P195) このΩ変換を使うことで、「情報」をハードウェアに依存させることなく 空間全体に広げておくことが出来る。閉じた系の中でエントロピーを増大させる 事も無く、情報量は変化しない。この系を共有する事で、ハードウェアに依存しない 情報は、ハードウェアが壊れてしまった後もアクセス可能なのである。(何処かで 聞いたことがある様な。トンデモ本に引用の多い(本人の研究は正当な物・・らしい) シェルドレイクの形態形成場っぽいよな・・・ってそういう聞きかじりのこじつけが トンデモを生むのね・・・気を付けよう・・・)。この非時空論理回路の考え方に 従ってザクセンの開発した偵察ポッドは、その内部にΩ変換装置を持ち 情報をΩ変換する事で(破壊されやすいという性質を持つ)偵察ポッドの情報を 純粋情報化し、確実に読み出す事を可能にしたのだ。 だがその存在する領域には先住者・・というか先住情報が居たのだ。 タイトルのA級の的、とは即ちA級知性体。 ラジェンドラはおろかカーリー・ドゥルガーよりも以前に メルチド・ザウラクの生み出した人工知性体である。以前に語られた様に 初期型は安定せず、暴走、自閉などを繰り返し、その実験の成果は後に AAA級人工知性体ラジェンドラへと繋がっていくのだが、その暴走した初期型 純粋人工知性体、クルトン・Vが今回の敵なのであった。 あのアプロが喰われてしまい、あろう事か負けを意識する程(でもこれも 口先だけかも知れないけど)の強敵だ。なまじ相手がニワトリ(何故かクルトンは ニワトリの姿をしているのだ。小さく切り分けても矢っ張りニワトリ、大きくても。 ホロン的。死に方のオチがまたニワトリ的でおかしいのだ。こないだのNASDAの 実験で死んだニワトリを思い出す)なだけに、アプロも油断してしまった様。 ラストの緊迫した雰囲気はかなりのものではあった。 ・・・何か今回のアプロは全体的に可愛い。ドギィバッグに入れられたり、 一生懸命ラテルにおみやげ持っていこうとしたり。ホントは恐いんだけどな・・ こういうアプロも、でも好きだ。きっとマーシャから見るアプロって こんな感じなんだろう。・・はッもしかして精神凍結されてる? ・・・所で、既に誰かが指摘しているとは思うのだけど、この「敵は海賊」の 世界って結構松本漫画。特にサベイジのバー軍神なんて、何かヘビーメルダー (ていうかトレーダー分岐点)な感じ・・・。 然も其処へベビーピンクのパワードスーツで乗り込んでいって 「ミルク」と注文するセレスタン。このおかしさ。 カーリーの内部の雰囲気も何となく松本だしさ。内部に自然が有って、そこへ 女海賊のマグファイヤ達が乗り込んできて・・・て下り自体がかなり松本だと思う。 ハーロック的。ていうかこの辺読んでる時は、頭には松本絵が浮かんでいるのだった。 勿論ヨウメイには頬傷が。 ・・・結局宇宙戦艦といえば松本、なんでしょうね。私の頭には。 ヤマトの権利も買い戻したと言うし(西崎氏はこれからどうされるのか・・・)、 999再発見ブームも含め今年は松本零士の名を聞く機会が多い年の様ですな。 って全然関係ない話でした。 999でも見よう・・・ ・・終わることのないレールの上を、夢と、希望と、野心と、若さををのせて 列車は今日も走る・・・そして今、汽笛が・・ 駄目だ・・・何かすっかり松本話になってしまった・・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ 追記:初版の目次、「センスタンとエクサス」になってる。    2版からは「セレスタン」に直ってるのを見ると、矢張り神林長平は    今も手書きなのだろうか。少なくともフロッピー入稿とかじゃ    無さそうだ・・・「レ」を「ン」に間違えるなんてのは明らかに原稿起こしの    段階でのミスでしょうから。    どうでも良いと言えば良いんですが。まぁ書いてて「ら抜き表現」とか指摘    されないで自由に書く事は大切かも。    「私を生んだのは姉だった」が書けなくなる日は近いか? (97/10/05)
神林長平「ライトジーンの遺産 RIGHTGENE'S Heritage」/朝日ソノラマ/1997/1/30 この世界で、人類は臓器崩壊という原因不明の病に冒されている。 その為人工臓器が一般化した世界。 その最大手人工臓器メーカー「だった」ライトジーン社は、 強大になりすぎた為、分割されている。 そのライトジーン社が、嘗て人工臓器開発の中で生み出した人造人間 菊月虹(きくづき・こう)が、この作品の主人公である。 自由人である彼(とその兄)は、その生まれつきより超能力 −この世界ではサイファ、と言う− を持っており、その力故にライトジーン市警第四課の依頼を受け、 スイーパーとして様々な事件に関わって行く。 作品は主人公、コウ、の一人称で展開され、謂う所の ハードボイルドタッチである。スタイルは連作短編風であり、 昨今の神林作品とはまた作風を異としている。 だが台詞回しやコウの思考スタイルは全く神林調。読み進む、 活字を追う事そのものが快感であるという辺りは、相変わらずの 傑作である。 アクション主体(攻殻−系)だが、全体としては静かな世界。 一人称主人公、コウが其れを望んでいるからで、彼の趣味はと言えば たまに古本屋で借りてくる、或いはごみ捨て場で拾ってくる本を読むことと 何より愛するウイスキーを飲る事、そんなものだ。そうやって毎日を生きている。 その主人公のもつ空気が作品を覆っている。 曇天なのだが、妙に冴えた空気、そんな風合いである。 最も好きなシーンは「エグザントスの骨」の冒頭、不意の客の話を肴に 酒を飲む下りで、実に「らしい」。このシーンを読んだだけで、 この本を読んだ価値はあった。 後、コウの兄にして今は17才の美女(サイファによって自己の身体を 性転換させた)MJの美しさも堪能出来る。是非其の芸術的な美しさを 見てみて下さい。 例によって引用。 「権力闘争というのはようするに縄張り争いであり、他人の縄張りを荒らさない限り、  気ままに生きられる。しかしそれが結構難しくて、人生の困難さというのは  みんなそれから生じているようなものだ。」(p150) 「自分の気持ちの持ちようで世界はいかようにも変化する、というのは  正しいかもしれないが、自分の気持ちというのは自分だけで独立しているものでは  ないことに気づかない限り、気分は変えられないものだ。  自分と同等に他者存在を認めなければ、いくら自分は不幸ではないと  言い聞かせたところで、偽りでしかない。」(p185) 「街を見下ろせば、すくい取れるほど大勢の人間がいるが、  どうやって生きているかなんて、 おれは知らない。  おれが知らなくても他人は生きている。そいういう他人というのは、  自動機械のようだ。自働機械がロボットか、ゾンビでもかまわない。  だが、いったん関わってみれば、そいつらは、ゾンビではない。  生きていて、生活があり、親があり、歴史がある」 「他人同士、たいして知らなくても社会というのは機能する、ということだ。  不思議じゃないか」(p205) 「ウンドウは無視され続けて生きてきた。だれも無視などしなかったのに、  というのは常に他人が言うことだ。  彼自身は、無視されていると信じている世界を生きてきたのだ。」(p318) 「あきらめのほうが価値がある。ウンドウは、他人に恨まれてこそ自分が  存在するという現実をも、あきらめたんだ。現実を明らかに見た。  あきらめる、というのはそういうことだ」(p324) 「憎むべきは、親なのだ。子供はそれに気づいて初めて大人になる。」(p379) 神林ファンは勿論、「攻殻機動隊」等が好きな人にはお薦めです。 今までなら一晩で読み切ってしまうような面白さですが、 今やいろいろ忙しく、読了するまでに2週間を要しました。 しかし連作形式なので、むしろそういった楽しみ方の方が 向いているのではないか、とも思えます。 そう言う風に、「全ては考え方一つだ」と、コウには教えられました。 彼の様に生きてみたいが、其処に至るまではあと20年は必要だ。 あと20年生きてみなくては、解らない・・・・ おやすみなさい。いい夢を。あなたの魂に安らぎあれ。 そしてぼくの魂にも。  明日のことは明日考えよう。きょうの苦労は今日だけでいい。  明日の苦労まできょう背負いこむことなんかないんだ。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
Uは   UNIVERSE   宇宙の ウ   YOU ユウ あなた 神林長平「Uの世界」徳間書店/1989 を大学近くの図書館で発見しました。 で、借りて、読みました。 やはり、いい。神林節・・・ 作品は短編集であり、SFAの1982〜1984掲載のもの。 ウツセミ、ウツリマイ、ウド、ウユウ、ウマイ、ウンジョウの6編が納められています。 あとがきにある 「 まったく、一人の人間が同じ人間として連続性を持っていられるというのは  不思議なことだ。」 という言葉、これが全体のトーンともいえる。 色々な設定、世界、を通じて主人公たる「ユウ」はその都度姿を変え登場する。 「ユウ」である、という連続性、それだけが作品をつなぐ糸だ。 途中で出てくる「生命場」に関しては、他の神林作品にその解説を譲るとして 各短編は、それぞれ以降の長編の元となっている感が有る。 特に第5章「熟寝(うまい)」は、どうもマヘル(今宵、銀河を杯にして)と 「死して咲く花、実のある夢」、それに「完璧な涙」を思い出させた。 砂漠の中の船、そこに居る青いサリーを纏った女。 第1章「虚蝉(うつせみ)」は、「天国にそっくりな星」に同じ世界を感じるし・・ 第4章「烏有(うゆう)」は、しかし他の作品では見たことの無い・・ 強いて言えば「言葉使い師」だが、「ドーリー・マシン」という機械は初めて 見た。微粒子によって立体を作る、立体テレビの様なもの。 これはかなり面白い機械設定なのに、何故他で使わないのだろう? 現実的すぎるからか? いや、小説では活字、言葉そのものを扱った方がいいのだろう。 面白かったのは記憶喪失になった男(という初期設定の男)に対して ある男が「国家は歌えますか。”日本よ永遠なれ”は覚えていますか」 と言ってうたいだす歌詞。   梓弓にて守れわが祖国   のびよ栄えよ   日章旗よ永遠なれ   日の出づる国   われらが日本 これはその男のでっちあげなのだけど、うーん。なんか神林してて好き。 あとは 「外はよいところですよ、この洞の外は」 「選ばれた者にとっては、だろう。どんな世界でもそうだ」 とか。神林作品の会話は皆ハードボイルドでどこか悲しげでいい。 しかし、(P.K.)ディック的な 「自分とは何か?現実はどれか?今居るここは虚構世界では無いのか?」 といった問いかけを、状況のみで描くあたり、流石。 雰囲気として近いのは、やはり「完璧な涙」(早川文庫)でしょうか。 主人公も宥現(ひろみ)だし。宥はユウと読める。 短編としてはいまいち意味をなさず 長編としてはどこか足りないこの作品、成程絶版になる筈・・・ 手に入る限りの神林作品は読んで来ましたが、まだまだ・・・ それに実は最新作「言壷」まだ読んでないんです・・・ もう一時の情熱も冷めたか・・・また「あなたの魂に安らぎあれ」みたいな 超傑作を読んでみたいものです。 少なくとも、「あなたの魂に−」だけは、日本SF界が生んだ日本人のための 最高のSFだと思います。今でも・・・ 慈しみ深くあれ 肉体は真体の影 惑うことなかれ ではでは。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
壊したものは 直しましょう 神林長平「過負荷都市」ハヤカワ文庫JA/1996/3/15 徳間の絶版より8年、やっと読めた・・・ 実際神林作品はハヤカワの文庫で、もうたいてい揃うのではないかしら。 あとは光文社のだけか・・・? 何にしても、手軽に読めるのは良いことです。畜生どれだけ苦労して買ったと おもっとるんじゃいというアレも無いではないですが・・・ で。 上手い。 解ってはいるが、あらためてこの作者の「天才」を感じる。 この空気の描写力は、やはり常ではない。 「創壊」。 創るために、壊す。 この言葉がこの作品の全てだ。 読み終えてみれば、解る。 言葉、いやさ単語一つで世界を創ってしまうとは! 滄海、蒼海、想海・・・・ 相変わらずダブル、トリプルミーニングの上手い作者である。 主人公陽奥峯士は高校生である。 しかし、イワユルワカモノではなくて、例えば彼女がいるのに、夏休みは する事が無くてヒマ、というタイプの男。この描写がイイ。 高校生の、しかもちょっと間を外した感じの高校生カップル、なんてのは、 神林作品には珍しいナマな設定で、面白い。ましてやそれを見守る作者が登場 しているのだから・・・。 「クォードラム」と呼ばれる「想いをより具体化してやる」システムの下で 静かに狂っている世界。・・・・これは、「プリズム」だな・・・ 想い通りに「生まれた」者達が、その本来の道から別の道を選ぼうとするから、 クォードラムは常に過負荷状態にある。 その世界で、陽奥峯士は、死にたいと想っている者を殺してやりたいと思う。 この世界では、生きる意味を持っている者は死ぬことがないからだ。 それを、この作品のもう一人の主人公であり、作者の投影とも云える(これも珍しい) 剣研丈(けんけんじょう。しかしこの作品に限らず神林作品の登場人物は皆名前が 何らかの意味を持っているらしいのだけど、わからないのがもどかしい・・・・)、 ・・峯士の「先輩」のような存在、親より身近な大人・・に相談する。 剣丈は、「創壊」という言葉を創る。いや、創ったのだろうか?・・・ 創壊士としてクォードラムに認定された峯士達は、果たして行動を開始するが・・ 「子供はね。大人はちがう。毎朝起きて、自分を創らなければならない。  へたをすると身体が崩れるかもしれないし、虫になるかもしれんし、会社に  行ったら実はそこの社員では無くなっていて路頭に迷うことになるんだ。」 深いぞ。 場面ごとにいろんなモチーフが入り交じっており、一体主題は何処だ?と思っている 内に、予想していたのとは全く別方向に抜けて収束する、という神林一流のSOWが この作品にも見事に効いていて、いやこの作家は成長しているのだろうけど、昔から 上手かったのだなぁ、と感心する。いわゆる「起・承・転・外・結」って奴ですか。 作者自身のあとがきにもりますが、 「なにもそう世界を自ら複雑怪奇にすることもないだろう、縺れた糸なら  それを断ち切って新たな糸を紡げばいいのだ」 という話。なのです。パワー溢れる、作品。 読後感も静爽で、非常に好ましい作品でした。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
神林長平「機械たちの時間」徳間書店・トクマノベルズ・ミオ 1987/9/30(SFアドヘンチャー’86/10−12月号連載) 絶版・・・・ 冒頭がとっつきにくかったので(全く状況説明はなされない。ひっぱり込まれる感じ) 10ページあたりで読みかけのままほおっておいたんですけど、 読み出すと止まらなくなり、一気に読了。 まずは、今までに読んだ神林(といっても早川が殆どだが)作品の中でも ビジュアルな面が突出している作品ではなかろうか。 2131年の新潟の巨大な都市構造体の描写などは 夕暮れの色と街の光と、まるで「攻殻(シロマサの)」の街の様。 (昔の)シド・ミード、か。単なるコピーかもしれないが、 活字でここまで世界を(空気を)構築するあたりさすがは神林長平。 それから 当時の(今も、か)神林作品の特徴なのか、物の”名前”にこだわるあたり、よい。 主人公、未来(??)の火星人MMHS(マン−マシン・ハイブリッド・ソルジャー) である邑谷(ゆうこく)武、の名は「融刻」でもあろう。 1986年に乗っていたホンダが2131年にはやはり中古の”クライマックス”に。 しかし、こいつは飛ぶ。カウンタック調でなんちゅーか、 しつこくシド・ミードなのだけど。それ、その描写も独特の神林調で良い。 タバコ、使い捨てライター、3半(こんな言い方しないよね)フロッピー・・・ 小道具の扱いが良い。 主人公はMMHS、脳の中にはコンピュータ群と直接ネット出来るTIPが有る。 有るのだが、サイバースペースな描写は出てこない。 それはこの作中の世界自体がTIPが見せる幻なのかもしれない 機械が見せる幻なら機械の中だけが現実・・という様な展開を生む為には当然か。 そのかわり(?)、セキュリティに割り込んだりする描写を存分に楽しめる。 あと好きなのが 絵里奈の部屋のシーンの「安らぎ」・・・ 「中条はいい女を愛した。痛いほどわかる。  安らぎ。心の平和。それがあればどこでも生きられる。  どこでも、いつでも、幻の時空でも。」 生体の意識とマシンインテリジェンスの時間感覚は逆なのだ。 未来へ進むにしたがって拡散していく、という邑谷の持論 (それが人間にはあてはまらない、少なくとも地球というミクロの上ではという事も  認めてはいるが。) その持論に従い、巨大なネット、巨大な一つの意志となる事を拒んだ未来の コンピュータが過去へ向かって爆発した、とする。 生体の意志は、宇宙の巨大な意志がビッグ・バンの様に分散、独立したものなのだ。 会話で物語を進行させるのがうまいなぁ・・とつくづく感じさせられた。 「死して咲く花、身のある夢」よりも、より純粋な「幻の時空」である。 なにせ「死して・・」はバーチャル・リァリティ以後、だからなぁ・・ ・・神林にとってはV.R.なんてのも言葉、道具としての「言葉」でしか ないんだろうけど。 全体に漂う郷愁、は、時間モノ、に共通のソレかもしれないが、 「それでも、帰りたいのだ。火星に。現実世界に。わが故郷に。火星。」 時間モノ、というより 世界としての現実はどこにもない。自分がいる、ある、ということだけが現実。 そういうテーマですね。 はぁぁぁぁ・・面白かった。 県立図書館にあるので(まだ返してません。明日返します多分) お読みください。傑作です。 ま、「あなたの魂に・・・」程じゃないけどさ。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
神林長平「言壷」中央公論社/1994 相変わらずの頭でっかちな作風が気持ち良い。 言葉、をテーマに書いてきた作品群のこれは集大成の様なものか。 どちらかというと「Uの世界」的な短編集では有るのだが・・・ 言葉、とは何か。 我々がこうして話また思考に使用する「言葉」とは。 言葉は人間が生みだしたものでありながらもはやヒトのものではない。 言葉は我々が生まれたときにはもう存在していて それを学ばなければ意思の疎通ははかれないという事だ。 言葉が生み出す「現実」はしかし言葉の性質上限りなく虚構に近いという・・・ それこそが現実。 とか。 私を生んだのは姉だった。 この言葉を文章作成支援システム・ワーカムが受け付けたとき 世界は少し、変わる。 言葉とは何か、言葉とは・・・という事を問い続ける作品です。 いろいろ考えさせられて、脳の活動電位が上がるのが感じられます。 背景描写を極力省いた世界は、文字が文字だけで語りかけてきます。 読んでいくうちに文字が消えても、風景は浮かんで来ず、思想というか、 流れる思考が紬出す「言葉」が、それのみで脳に流れ込んでくるのは変な感覚です。 とても僕の言葉ではこの作品のスゴサという奴を示す事は出来ません・・ ぜひともお読みになる事をおすすめします。 神林世界に浸れること間違い無しです。 とゆーことで ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
県立図書館に神林長平の 「今宵、銀河を杯にして」(徳間書店刊、絶版) があったので、借りて読む。 神林氏の人気絶頂の頃だな・・・1987とゆーと・・・ あの頃のは(特に光文社の)は絶版だらけでどうしようもない。 あと一年早く「あなたの魂に・・」を読んでいればあるいは・・しくしく で、感想ですが。 これは連載だからいいのよね。 まとめようが無い、というか、まとめられる設定でもないし。 ラスト一篇でいきなり「先人の記憶」に「生命場理論(生命は生命子でできていて、 しかし一個体では生存を可能にする”場”、生命場を作り得ず、多くが集まることに より、場も安定して同じ生命子をもつものは繁栄する。似ていても生命子が異なるもの は反発しあい、滅ぼしあう。)」なんてものをぶち立てるのはどうか・・・ オーソロイド(アンドロイド)やドールロイド(ロボット)などの設定はさすが神林。 面白かったが・・・長編書き下ろしの方が向いている作家だな・・・
Ladies and gentlemen. Start your engine! 神林長平「魂の駆動体」波書房/1995 いい本を読んだ。 今年は個人的に当たりが少ない(何より冊数をこなせなかった!)年であったが 12月になってやっと今年一番の収穫が出来たと思う。 今年だけではない。 今まで読んできた本の中でも、個人的には、だが、上位にランク出来る。 粗筋は、こう。 第一部、過去、その舞台となる近未来では、人口そのものは減りつつあるのに 都市の人口だけは集中していく。ネットが末端まで結んでも、「情報を手に入れやすく なった分、情報だけではない生の実体を求めたくなるのは自然な成り行きだろう。 だから人が集まってくる。」(P64) そういう時代。 都市は狭く、気ぜわしくなっていく。果たして多数の人々は、HIタンクという 仮想現実世界へ自分の意識を移し、そこで生きようとする。 退職し、今は隠居の身の<私>は、松本市の郊外の新世紀集合住宅という、 養老院の如き建物にに住んでいる。近所?の小安という男はかつてHIプロジェクトの 初期計画に関わったエンジニアである。 <私>と小安は、林檎畑に忍び込み、林檎を盗むというゲームに夢中になって取り組み その計画が実行された時、<私>はその林檎園の中に放置されたプレリュードの廃車を 見つける。この時代、自動車とはまさに文字どおり自動に走る車であり、例えば 「来るのはかまわんが、気をつけてな」 『なにに気をつけろと?』 「クルマだ」 という様に、若い世代には最早自動車はエレベーターに近い「道路の付属物」と 言う様に認識されている。 だが、その廃車を観た瞬間から、<私>は昔ながらの操縦装置と、電気ではない 内燃機関を備えたクルマの研究にとりつかれてしまう。 息子が老いた父をHIタンクに優先的に入れるよう手に入れた席を、<私>は断って 小安と共にクルマの設計に没頭する。 第二部、未来。この舞台では、既に人間の姿はなく、HIタンクも遺跡となった おそらくは「未来」の世界。翼を持った種族、翼人、が住んでいる。 ここでの主人公<キリア>は翼人でありながら、人間研究のために自ら変身装置で 人間の姿になり、かつて造られた人造人間アンドロギアを伴って森の小屋で生活を 始める。 アンドロギアは「魂」をもたないロボット的な物であり、そのままでは研究の対象に ならない。その教育も目的の一つだった。 ある日、人間の遺跡から化石化した不思議な設計図が発見される。それはクルマの 設計図であり、それを観たアンドロギアは、それはかつて自分が書いた物だと 自意識を持って話し出す。アンドロギア(後に自らアンクと名乗る)が自意識を 持ちもクルマの制作を望んだ事から、翼人達はクルマを作り始める。 第三部は・・・ 書くべきではないから、書かない。 神林作品を通して読んできた方々は、コレを読んでいると、かつて出てきたテーマが 再びエキストラ的に出ているのを読みとることと思う。 例えば都市の集中はかつて「機械達の時間」で語られた事だし、 相変わらずネコは出てくるし。 仮想現実空間への意識の移行と言えば SFM1992/3「小指の先の天使」   同1993/10「猫の棲む処」 で描かれたソレである。特に後者は非常に似た性格を持っていると感じる。 勿論本書ではソレは多くのテーマの一部に過ぎないが。 魂、と、意識、の違いが第二部の一つの柱ではあるが、それもずっと 語ってきたところだ。意識は消えるが魂は死なない。 この作品の主題である「自動車」についても、神林はそのデビュー直後から、 エッセイ等で語ってきた事だ。アクセルを踏む、エンジンが回転する、 その機構の見事さ。 とはいえ。 ページを開いて、読み始めた瞬間に 信じて貰えるだろうか、「僕はこの本がずっと読みたかったのだ」と感じた。 この様な本、ではない。この本、だ。生まれてからずっとかもしれない。 書評等で観たその写真は白黒であったが、本屋に届いたこの本の表紙は 鮮やかな緑。それにまずショックを受けた。鮮やか、というか、爽やかな、鮮烈な 感じ。 これも信じて貰うしかないのだが、その表紙から、僕はリンゴの香りを感じた。 丁度季節でも有るし。紅玉系の酸味の有るリンゴの、香りだ。 ページを開く。 いつもなら、巻頭に掲げられる言葉。しかし今回はそれが見あたらない。 あえてソレと言うならこのTXTの頭に書いた Ladies and gentlemen.Start your engine! がそうとも言えるが、最近の氏のハードカバーにはソレが無い物も多いので 取りあえず置く。 それはいい。 第一部「過去」、第一章「林檎」 林檎。 この瞬間に感じた鮮烈な印象をどう伝えたら良い物か。 解ってくれとは言わないが、まあ、こういう訳で 僕はすっかりハマってしまったのだ。 セリフ一つ一つが、メモしたいほどに気持ちよく、見事に練られている。 要は好きなのだ。神林節というか・・・ 染み入る。 「そう、今日は満足して終わりだ。明日できることは明日にすればいい。  もし明日という日がなかったとしても、それなら明日の苦労もないわけで、  それはそれでいいことではないか。なにも思い煩うことなどないのだ。」(P59) 染み入る。 主題は「クルマ」である。 大げさなのは承知で言うが、自分が、この本に出会う前に、クルマに乗れるように なっていて本当に良かった。運転しようと努力した自分に感謝する。 もし読者がまだクルマを運転したことが無かったら、この本から「体感」される 感動は薄いのではないだろうか。恐らく。 初めて自分がクルマのエンジンをかけたときの緊張、乗り出した頃の クルマそのものに対する妙な恐怖感、こんなものを御せるのかという不安・・ 久々に思い出した。 あとがきを、著者はこう締めくくる。 「 本書を読むことで、初めて自分のクルマを動かしたときの、あの喜びと、  たぶん畏怖のようなものを、もう一度思い出していただけるなら、著者のわたし  にとって、それほど嬉しいことはありません。」 ああ。悉くツボにハマるワタシ。 いや、まだだ。 これに自動車の工学的な知識(エンジンの設計、組み上げからやるのだから)が ついてくれば倍は楽しめたと思う。言い換えれば、クルマ好きの人間なら、きっと この本を気に入ってくれると思うのだ。 ああ。 心に残るシーンがいくつもいくつもある。 引用したい会話は殆ど全てだ。 語彙の少なさまとめる能力の無さにがっくり来るが、まあ、良いか。 云えることは、僕にとってこれが「あなたの魂に」に次ぐ傑作だと言うこと。 それはとりもなおさず日本SF史上に残る、傑作であり、クルマが今の、 魂をドライブする「機械」で有り続ける限り読み継がるべき本だ、という事だ。 兎に角 素晴らしいとだけ。 手放しの絶賛は塵ほどの役にもたたないというのは解ってはいるが、 読み終えて既に2日を置いた今でさえ、その感動は去らない。 これからも何度か読むだろう。 何よりクルマのハンドルを握る度に彼等やあの世界を思い出すだろう事は間違いない。 まったく、いい本を、読んだ。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
なんども言う わたしは 意識をもった 生き物なんだ 神林長平「我語りて世界あり」早川文庫SF/1996/1990(徳間) 90年12月に徳間から出ていたものの再販。 あー。 やっと読めた。 しかし徳間の神林作品はどうしてああも絶版の山なのか。 出てすぐに注文した記憶があるが・・・(何せ5年前の事だ!) 結局来なかったのよね。 非常に構造が難解複雑。でもそういうのが好きな人はたまらんでしょうね。 神林本人の言葉を「あとがき」から拾うと、 「 世の中のすべての人間が、その全部の経験を共有している、共有するように強制  されている、というのが、本書の舞台設定です。すべての人間が互いの経験を共有  するのだから、プライバシーや個人という概念はそこにはありません。肉体はそれ  ぞれ違っていても、個性というものがない。   そんな世界で、二人の少年と一人の少女が、個性を電子的に保存している過去の  戦闘コンピュータや電動シェーバーやヘアドライヤーなどを遺跡から掘り出しては  、その過去の人間の経験を追体験する遊びをしています。少年たちは自分という個  性を確保しておいて、(この世界では違法)、その過去の人間に情報的に擬態して  楽しんでいる。   その擬態の様子を、身体を持たない純粋知性のみの存在であるらしい語り手の  <わたし>が、自分の正体を探りつつ物語るという話です。」 回りくどい設定。 しかもこれだけだと何のことやらサッパリである。 あの頃以前の神林作品をお読みなら一目瞭然でしょうが、<わたし>とは・・・・ ラストシーンの<わたし>の仮の姿、のシーンには感動さえ覚えました。 世界は広いようで実は非常に狭い。主人公たる3人は殆ど海辺の「武器塚」に クルマで届く範囲に居る。過去の記憶だけが広さを感じさせる。 <わたし>とはすなわち「言葉」或いは「文字」と云えます。 ラストの言葉を使えば『「言語」そのもの』。 各章の始まりが殆ど「人間のことなら何でも知っている」という様な語り出しで 始まっているのを見て、ファンなら「・・言葉使い師?」ってなもんでしょう。 神林作品の多くに貫かれている「言葉の(物理的な)力」を物語る物語、の一つの形。 あの短編「言葉使い師」の世界、テレパスの如き共感能力が主体となって、言葉を 封じたあの世界に近いものを感じます。 「オーバーカム」と呼ぶヒトの意識の集合体、すべての人間がすべての情報を共有 する事で「個性」は沈黙し、その中で目覚めた<わたし>=言葉、はその存在を 認めて貰おうとして躍起になっている。作中に、偶然という形で「オーバーカム」 との接触を断ち、「個性」を持つことが可能になった少年達がいて、彼らを媒体に <わたし>はもう一度存在しようとする。 言葉によってしか人間は他と区別し得ず、つまり個性というのは言葉で宣言しなくては あるのかないのかわからないものなのだ、という。 個性とは個々の時間であり現実である。 最期に<わたし>(MISPANという名で呼ばれていた。機械知性のスパン。)は 「この世を再び無数の現実に分裂させる。そして、それを因と果のルールに従って、  並べ」るのである。それがすなわち<わたし>の力であり、言語の力なのである。 さて。 時期的に微妙ですが、他の作品とかなりリンクしているのではないかしら。 過去の、或いはこれ以後の作品のモチーフが多重露光のように現れる。 例えば先の「魂の駆動体」の主たるテーマ、「クルマ」、にしても 「電子素子たちの宴会」という章で同様の事を語っている。 それから形無い者が処女生殖という形で(でもなかったか)現実の世に物質として 現れようとする、というのも古くは「帝王の殻」から、もっと明確な形では 「猶予の月」でも見られた・・・と記憶する。 また、登場人物も、特に彼の作品では「兵士」がいろんな作品を渡り歩くことが多い ですが、この作品でも門脇少佐、佐柄等の兵士が登場します。果たして・・ 言葉の力。 例えば「言壷」では、結局言葉を操ろうとして逆に言葉に操られてしまう作者自身 (を演じる作者自身)が現れる。特に最終章「乱文」では 「ようするに言葉は虚構を、言い換えれば、仮想世界を構築することに長けている  という特徴から、それを駆使してつくられる社会は物理的生体レベルとは異なる  仮想世界として存在し、言葉を権力闘争の手段として使えるヒトという種は、体  力が全てという猿や犬とは違って頭のみでもボスになれる可能性を持つことにな  り、」それが 「仮想である筈の言葉による社会というものこそ現実であるという価値観を有する  生物の誕生」 と語っている。この中で同時に、現実では「個性」などは幻想に過ぎない、と言って いて、これこそ今回の「我語りて」内での思考の一つの答えなのではなかろうか。 先の「魂の・・」に比べるとドラマ性は非常に薄く、むしろ論で読者を 幻惑したい、というタイプの作品でした。いや、おもしろかったんですが。 あー、なんか久々に「帝王の殻」パラパラ見たら、忘れてるなー・・ また読みたい・・でも根性がない・・・ 結局この作者の作品には弱い @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
神林長平の「天国にそっくりな星」も読みました。 なんとゆうか、神林節のカタマリ。いいっスよ、ファンは買いですね。 どこを引用しても決まる、セリフまわしの小気味良さ。 坂北天界とゆー私立探偵が主人公なんですけど、こいつがいい。 天界の一人称で前編語られるんだけど、もう脳天気。 ところで。中盤白骨化してる玲美のシーンはP.K.D.になかったっけ? デ・ジャ・ヴュか?ってそりゃ気のせいっていうんだよ。 世界観によるドタバタ、別名メタフィジカルドタバタ、略してメタバタ(C)火浦功 山岸真氏の解説が読者の感動を代弁してくれています。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
「敵は海賊・不敵な休暇」  神林長平  ハヤカワ文庫SF 忘れていたが先日一気に読了。 アプロってばやっぱ宇宙人なんだね。 猫猫した行動、形態に騙されちゃーいかん。 しかし・・ヨウメイはやっぱり凄い。 今回はラテル活躍の場殆ど無し。 ラジェンドラもぐらぐらしてたし。 アセルテジオとゆー特殊能力をもった男・・は神林世界に無くてはならぬ雰囲気を 創っただけであとはやられてしまうのみ。 今回の主役はだれだかよくわかんない。もしかしたらチーフ?いやいや。 アプロはラストだけだし・・ それはそうとえらい前に小山に「天国にそっくりな星」注文したのに音沙汰ないなー こっちもすっかりわっせとったけど・・・

白炭屋カウンターへ

本棚・メインへ


tamajun■gmail.com(■をアットマークに読み替えてください)
inserted by FC2 system