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本棚・梶尾真治



梶尾真治「黄泉びと知らず」/新潮社/2003/08/01

SF短編集。

黄泉びと知らず
六番目の貴公子
奇跡の乗客たち
魅の谷
小壷ちゃん
見知らぬ義父
接続された女
赤い花を飼う人

…を収録。

タイトルこそ「黄泉がえり」のアナザーストーリーの体を取っているものの、
収録された作品は、(タイトル作含め)全てカジシン節全開なので注意されたい。

って、あ、もう遅いですね。

どれも良い感じにカジシン。食とスプラッタの合成、という、氏の作品では
お馴染みのアレが、今回も炸裂。腕の立つ料理人が人体をさばく様にウットリ。
こんなに美味しそうな手術シーンみたことない!みたいな。だいたいそういう
ノリ。「小壷ちゃん」なんか、なんか往年の星新一とかツツイみたいな。

「黄泉がえり」は爆発的に売れたらしくて、特にそれまでSFなんか読んだことも
ないオバサン達が手にとってくれたらしい。で、これも「黄泉がえり」関連です
よ、と言う体にして買ってもらって、読んでひっくり返って貰うのが楽しみ……

という様な事をSF大会で嬉々として話していたのを思い出す。いや、これはもう
ひどいですよ。ギャグありエロありスプラッタあり泣きあり恐怖あり。全部入り。
良い感じにカジシンの魅力が配分されてる短編集になってる。でもこの一見
「泣き」系を思わせる地味な表紙。騙されて読んでみてハマればよし。


2004年のSF大会でのカジシンについて、思い出した所を書いておく。やっぱり
「黄泉がえり」の映画化及びヒットは、梶尾氏の人生を大きく変えた様だ。
「知り合い」を名乗る人達は増え、地元じゃどこに行っても顔がさす。えっちな
本も買えないよ……みたいな。お金の方も正直かなり入ったらしくて、それも
家族を”説得”する材料になった、という様な事も仰っていた様に記憶する。

説得、というのはつまり、石油会社社長業を退き、フルタイムライターになること。
家族には反対されたらしい……ってそういうもんなの!?社長なのに。あと失明の
危機なんかもあったらしい。で、もう残りの人生は全て創作に捧げるのだ、と。

最初の頃はペース配分が出来なくて、手が動かなくなるまで書いてしまったとか、
こういう人が「創作という呪い」にかかっちゃった人なんだろうなあ……
全般的にニコニコして話してたけど、創作態度について話してるときの目は
本当に真剣で、ちょっと恐いくらいだった。社長業をやりながら創作してた頃の
生活ペースなんか聞くと、あーこりゃ普通の人間には無理だ!と思えたり。
なんか今年の大会で、初めて「本気のカジシン」のオーラを垣間見た感じ。
以前は(サイン会の席とかでは)そのオーラを消してたんだなあ。ぞわぞわ。

数年前に比べると、正直「景気の良いオヤジ」度が進んでいて、うーん、こんな
ええカンジになってるおっちゃんがあのエマノンを……というのはある。ある
けど、ま、それが創作ってやつの魅力だろう。


えーと。表紙こそ大人しめですが、中身は横山えいじイラストのソレと何ら
変わらないドB級SFノリなので、既存のカジシンファンも安心してお買い求め
頂けます。よ。……そんな感じで。どんなだ。
@@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
(2004/12/30)


梶尾真治「まろうどエマノン」/徳間書店/2002/11/30 読み始めた、そのままの勢いで読了。クライマックスからラストにかけて、 背筋を走る感動の痺れは消えることが無かった。強烈なノスタルジー。 時は昭和44年、アポロの年。「都会の少年が田舎で過ごす夏休み」の、その 少年の心象が、バカンス映画の様なものでなく、リアルな粒立ちで描かれた 見事なボーイミーツガールだ。 彼が出会ったその少女は、出会うことの叶わないはずだった、大切な人であり…… 時の魔術師の腕は今に至るも寸分も衰えていない、と感じさせるに十分な出来。 どこか「ユタと不思議な仲間たち」を彷彿とさせる野人、田舎の風景、少年達。 セミの声。化石採集。夏祭り。落雷。通り雨。繋いだ手の感触。熱気。戦争の 生々しい記憶。読んでいた間、数時間、僕は”昭和の夏休み”を過ごした。 エマノンが側に座るだけでドキドキする、そういう「少年」の感覚が、何とも 良い。特に嗅覚に訴える、甘い「女性」の知覚は、身も蓋もない、少年ならでは の感覚といえる。 鶴謙のイラストの力を得て、エマノンは「匂い」さえ発する確かな肉体を得た、 という感じ。特に今回の扉絵は、とうとう僕の中に有った”あの”エマノン像を 上書きした。そうか、彼女はこんなだったのか、いや、そうだ、そう、確かに、 こんな風だった……! 少年が感じる、年上の女性に対する憧れ、それを思い出して、強く共感した。 いや、流石。流石は、カジシンだ。そんな感想。オススメです。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (03/02/26)
梶尾真治「黄泉がえり」/新潮社/2000/10/15 せめて新書に落ちるまで待とうと思ってたんだけど、なんか映画化されて、年明け 早々にも公開されるっていうから、こりゃカジシンファンの端くれとして、映画に 先越される前に読んどかなきゃならんな!とか思って読んだのだった。いい加減な 「ファン」もいたものだ。 九州の阿蘇地方、ある一定の地域で、死者が蘇ってくる現象が起こり始める。 ゾンビとかじゃなく、生前のままの姿で、死別した夫が、恋人が、息子が、憧れの アイドルが、彼等の元にひょっこりと「帰って」くる。「黄泉がえり」と名付け られたその現象を前に、混乱する家族や地方行政、それらを内包した「日常」が 淡々と描かれる。そして、当然の様にやってくる「別れ」も…… 導入が鮮やか(日常が日常のまま、異常事態に移行していく、出来の良い特撮 (怪獣)映画にも似た「ぞわり」とした感触!)だっただけに、中盤からの 「カジシン節」とでも言う様な、些か「甘い」展開は、まあ好きずきなんだろう けど、うーん、とか唸った。 いや「そういう」話(死んだ家族や恋人が蘇ってきたら、あなたはどうしますか? みたいな”切ない”話)だと思って読んだから「外し」た感じがしたんだ。 あくまでもこれは「SF」なのだ、と、その視点で読めば非常に良く出来た(絵的にも 謎解き的にも)SFだと思う。全ての現象の背景に(作者一流の)「怪物」が居る あたり、カジシンらしい作品だと思った。装丁とかあらすじとかの雰囲気に流された けど、フム。怪獣映画だと思えば…… 特にこの「異常な現象」に対する地方行政の「やるな!」という「頼もしさ」は (カジシンが今地元でどういう位置に居るのか想像もさせて)なかなか良い感じ。 ニヤリ、とするんだよ。頼もしくて。あー、その意味ではこれは確かに怪獣映画だ と言える。体制の、自衛隊の頼もしさに痺れるみたいに。 意図的な「お涙頂戴」や、教訓や何かが存在する訳じゃ無い。ただ「黄泉がえり」と いう「現象」が起こった、と、それだけを、ドキュメンタリー的に描いている。 その辺はホント、ファンタジーでは無くて、ある種乾いた「SF」(但し「百光年 ハネムーン」をものする作家の)だと思う。でも、その根本には「(家族)愛」が ある。死者は遺族の心の中で生き続ける。それを形にして見せる。 この「現象」を前にして、各者各様の反応を想像するのは、屹度楽しい。ここに登場 する「例」は、割と地に足の付いた人達が多い(だからこそ、一瞬の描写にホロリと 来るんだけど)けど、描かれない数千の家族や恋人の間では、その数だけのドラマが 演じられたに違いない。成程、その辺を映画にしてみたくもなるだろう。 実際、映画のサイト(http://www.yomigaeri.jp/)でのあらすじを見ていると、 アイデアのイタダキのみ、という感じもあり、いわばこの「現象」を別視点から 描いた作品とも言えそう(個人的に石田ゆり子と哀川翔のキャスティングは見事)。 どんなドラマを見せてくれるのか、今から楽しみだ。 ラストの絵的な美しさを、果たしてどう映画化するのか、そこも気になる所では ある。聞くだけで癒されちゃう歌を、一体誰が歌うのか、も。あ、このアイドルは 出ないのか……しんみり系で行くのね。それもまた。 取り敢えず映画が微妙に楽しみな @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (2002/11/30)
梶尾真治「さすらいエマノン」/徳間書店/2001/02/28 1992年に出たモノのリニューアル版らしい。 未読でした。 ・さすらいビヒモス ・まじろぎクリィチャー ・あやかしホルネリア ・まほろばジュルパリ ・いくたびザナハラード の5篇を収録。 作品毎に舞台は違っていて、流れている空気も違うんだけど、どの作品も カジシンらしい、エマノンらしい味に満ちている。 高尚でなく、いっそB級とも言えるカラーの強い舞台/キャラ/怪獣達が、作品の 「物語」的な地力を強めている感じ。 「まじろぎ」では、あの荒涼とした風景が脳裏に焼き付いた。救いようの無い、  悔恨だけが支配するラストの切れ味。「あやかし」の、冒頭のドキドキ感も イイ。「まほろば」は導入からラストまで一気に持って行かれた。森や川や山の 風景がリアルに浮かぶ。ラストは流石カジシンというか。これも絵がイイ。 「いくたび」の主人公倫子の、何というか他人事とも思えない「人生」風景も、 そういう人生がこの世界には一杯転がっているのだろうな、と思わせて切ない。 「数時間でも数十年でも同じ事」というか。 人生の中で、僅かな時間一緒に居た女性が、何十年もしてから、当時と変わらぬ 姿で現れる。懐かしい記憶をそのままに。その、衝撃。結局それが一番の魅力 なんだろうなと思う。 あと、何となく思ったのは、この作品で(も)それとなく貫かれている、 「人が生きている意味」への言及。 人間には、時々「自分はこの瞬間のために今日まで生きてきた」と思える場面が 用意されている。それがいつかは分からないし、全ての人に「それ」がある わけではない(全員が「プロジェクトX」に取り上げられる訳ではない)。 だが、その「使命」を果たす瞬間に、人は悟るのだ。自分はこの瞬間のために、 生を繋いで来たのだ、と。 そうであると信じたい。自分の人生に「意味」が有るのだと思いたい。 実際、「使命」を果たすために生きているのだ、という考え方は、この年に なっても魅力的だ。女子が将来の夢として、恋愛のシミュレートを繰り返して いた頃、男子は地球が危機に瀕したとき、自分はどう立ち向かうか、どうやって この地球を守るか、という事のシミュレートを繰り返していた。 いつか王子様が、と夢見るのと同じ様に、いつか俺にも聖衣(クロス)が、そして その時俺は……!とか思っていたのだ。そういう思考回路がまだ抜けきって無い。 でも、ホント、そうやって「使命」を果たした、と自覚して死ねれば、とは思う。 まーどうせグズグズとつまらない生に拘泥して、死ぬまで生きるだけだろうけど。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (02/06/28)
梶尾真治「かりそめエマノン」/徳間書店/2001/10/31 面白かったァー! 読み始めて1.5時間位で一気読み。心に残る切ない感触。流石は梶尾真治、流石は 「エマノン」と言える中編になっている。 世代交代を続けながら、数十億年に渡る過去の記憶を受け継ぐ「エマノン」。 基本的に一人が一人を産んで、記憶を移行して、の繰り返しなんだけど、ある 時期、彼女には双子の兄が居たらしい。 今回はその兄側から語られる、戦後〜現代にかけての話。 図抜けた記憶力、状況判断能力、予知能力、身体能力を持ちながら、「人並みの 幸せ」で充足されることが出来ない彼。生きる意味を見失って、しかし死ぬことも 出来ずに中年に至った時、初めて知る「自分の使命」…… 設定(エマノンそのものもそうだけど、兄やそれを取り巻く環境)が非常に 「らしい」味わいを湛えていて、実にイイ。 然し何より、冒頭のシーンに「グッときた」のだ。 厚雲に覆われた空の下、砂浜を歩く編みの荒いセーターと、色褪せたジーンズ姿の 少女の雰囲気は、僕が初めて彼女と出会った時(と言っても僕の方は精々12,3年前 だけど)の、あのフェリーの中での印象と何一つ変わっていなかった(イラストは 全然違うのに!)。その事だけでも感動せずには居られないのだ。 彼女にまつわる「恋の切なさ」(刹那さ)が、兄妹という立場でも変化なく 貫かれているのも流石だった。恋せずには居られない、が、決して我々の手の 届かないところに存在し続ける女。またいつか出会える日を。 プリオン云々の所は時期ものという事で。数十年後には良い味に変わって居よう。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (02/05/06)
梶尾真治「OKAGE」/早川書房/1999/05/15(単行本:1996/05) 小学生・国広兆には、大人には見えない「ともだち」が出来た。 「トルネコ」のスモール・グールに似ていたので、グーと呼んでいる。 グーは兆少年に「そのとき」が来る事を伝え、少年をどこかへと連れて行く。 道行きで「仲間」は増え、行進の体を成していく。 同じ頃、全世界的に子供達が失踪し始めた。「おかげまいり」に比された その現象は、日本では「おかげ現象」と呼ばれ、超常的な力を持った彼らの 「行進」を大人達は止めることが出来ない。彼らの行進の目的は何か・・・ 世紀末もの、とでも言うのか。 昨年、一昨年は地球滅亡モノが当たり年だったけど、これはその前にSFMで 連載されたもの。「全世界を覆う災厄」を一地方にカメラを据えて見届ける。 ここまで地に足のついた視点で、真正面から「カタストロフ」を描いてしまえる 作家も少ないのではないか。 カメラは基本的に熊本、阿蘇の周辺から離れない。そういえばこの作者はその昔 「清太郎出初式」という、矢張り「全世界を覆う災厄」を一地方から描いた作品で 当時何か変なモン読んだなーという気分だったんだけど、今ではその御当地風こそが カジシンの(もう一つの)持ち味だと思う様になっている。 カタストロフへ向かう流れはホントにシリアスなんだけど、でもゾンビとか 「式神男」とかの存在がどことなくB級ホラー/SFなのは、これもカジシンの 持ち味というか。まあその辺多少不満というか「これをいとうせいこうが書いたら こうはなるまい」という部分はあるんだけど、カジシンはカジシンだし。 個人的には矢っ張り「子供の世界」を描いているシーンに背筋ゾクゾクが集中して いて、子供には勝てんなー、という感じ。あのp188の「いよいよ!」という妙な 高揚感の描写とか、歩き疲れた子供達の口から自然と「ムーンライト伝説」が 歌い出される所とか。このシーン良いんだよー。 で・・・このラストどうよ。和江さんのイマジナリー・コンパニオン(幻獣)だけは いくらなんでも、という感じ。まあハリウッド的と言えば。後から考えたら「あら?」 というモノでも、勢いが有れば良し、的な。でもなー。うーん。 ホログラフィックな脳、集合無意識の檻、人間のエゴのエネルギーが地球に悪影響 云々・・・途中からトンデモになっていくのもそれはそれで良し。「そういうのも あり」で読めるから、ハンコックだって読めるんだ。特に知覚の欠損を補修する脳の 機能で「集合無意識の檻」を解説していく辺りは、「何でもあり」を科学的な言い 換えで面白かった。こういう「本編にはあんまし関係なさそうだけど聞いておくと より作品世界が複層的に理解できる」ってのは何となく京極的でもあり。 ・・・まああんまり「B級だからそれでいい」「ハリウッド的にはOK」てのも どうかとは思うんだ。正直な話。やっぱカジシンは短編ですか? しかし今読むと、強烈にTVアニメ「デジモンアドベンチャー」の絵が浮かぶ・・ 個人的にはあと一歩物足りない、という感じ、でした。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (00/04/03)
梶尾真治「ジェノサイダー 滅びの戦士たち」/朝日ソノラマ/1994/05/31 ソノラマの半額セール時(昨年6月頃)にまとめ買いしたソノラマ文庫の中の一冊。 漸く読む。連載は「グリフォン」1993新年〜1994春。 えーと。 読了後の結論から云うと、イマイチ。 兎に角オチがあんまりB級で・・・ 「ぼくたちはこの星の王様と女王様だよ」 的ラスト。カジシンの他の作品に、この手のハードでダークな作品が 無いわけではないが、例えば「ドグマ=マ=グロ」に見られた様な、 筆先の魔力の様なものがここには感じられなかった。 プロットこそSFだが・・・余りに型通り。 高速増殖炉はメルトダウンするわ巨大隕石は降ってくるわ、 操られた人々はガンガン死ぬわの人類皆滅モノなんだけど、 その全滅せねばならない理由ってのは「トップ」(人類は宇宙にとってガン細胞 であり、「抗体」によって滅ぼされねばならない)だし。 これに遺伝子治療(宇宙怪獣じゃなくて、強化した人類を使って人類殲滅) の概念を投入したのは新しいと云えば新しいが・・・・ それにタチムカウのがこれまた超能力(戦う度に成長する) を死の間際の兄より託された少年で、技は腕からのビームと「加速装置」。 同様に力を与えられたヒロイン(美少女・技はテレポートと心理関連)が パートナーになって、共に人類の敵と戦うが・・・という、 考えてみれば少年誌の王道かも知れない。が、ラストの呆気なさが 全てを「はぁ?」という感じに還元してしまうのであった。 ・・・まぁ、連載モノと言うこともあり、様々なパターンの敵、 段々強くなる主人公、芽生える恋、そして滅び行く人類の未来は! とかいうのでキメ、でOKなのかもなぁ・・とは思うけど・・・ いや、ソノラマらしいと言えばソノラマらしい作品ではあるか。 森岡氏の「メタルダム」と云い、これと云い、 作家の皆さんソノラマ「向け」に書き分けしてるのかも・・・ それでも背筋がゾクゾクするシーンは有る訳で。 強烈なのが、デoズニーキャラ及びアメリカンアニメの 「著名なキャラたち」が現実化して襲ってくるシーン(p245〜)。 ぬいぐるみとかじゃ無く、彼等「そのもの」が立体化して襲ってくるのだが、 この辺の冒涜感(ヤク中で腕に痣のある○ッキー、そいつに胸を揉みしだかれて あえいでいるミ○ー、とか・・)・邪悪な感覚は矢張り尋常ではない。 p245で、通路の向こうから「・・・ナルド・ダッ・・」とか 「・・・ッキー・マウス」とかの名前が「途切れ途切れに」聞こえてくる シーンには笑ったが、その次のページからの演出には、背筋を凍らされた。 でもここだけなんだよな・・・ うーん。 せめてヒロイン・アンジェリナの「美少女ぶり」をもう少し描写して欲しかった。 主人公の造形はかなり細かいところまで作り込まれているのに対し、 どうもアンジェリナの印象がパッとしない。 ラストの「王様と女王様」を祝福する為には、もう少し・・・ 後、彼等は既にアレになってるんだから、もう「人類」じゃないんでは。 ・・・良いけど・・・どうも釈然としない・・・・ ラストの風景で「キー・ラーゴ」を思い出した @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (98/01/30)
梶尾真治「ちほう・の・じだい」/早川書房/1997/9/15 カジシンの短編集。 でも、書き下ろしの表題作「ちほう・の・じだい」以外は殆ど既読の私。 ・・・というのも、収録作の殆どが93年〜95年の作品であり それは即ち拙者が一番SFに浸かっていた頃だったという訳で・・・。 矢張り、と言うべきか、初読の時の情景までが浮かんで、内容とは関係なく じーんとしてしまう拙者でした。 さてその未読の表題作は、カジシンのリリカルもの。 ちゃんとSFな小技も効いていて、当たりである。 ある日、いきなり「風の名はアムネジア」してしまった世界。 だが、周りが痴呆化していく中で、主人公は何故か一人正常なのだった。 他の人々と同様に痴呆化してしまった妻と二人、静かな世界で せめて生き抜こうとするのだが・・・ ラストの、閉じた様で閉じていない、余韻が何ともSFだ。 昔読んだSFってこんなだったなぁ的。 このほかに、 「ブンガク・クエスト」 「絶唱の瞬間」 「M・W・L(仮)へようこそ」 「木曜日の放課後戦士」 「時の果の色彩」 「トラルファマドールを遠く離れて」 「アンナプルナ平原壊滅戦」 「”偶然”養殖業」 「怒りの搾麺」 「金角のひさご」 を収録。どれも一筋縄ではいかないカジシン節が詰まっている。 どの一編を取っても、アンソロジーの「売り」に使える作品ばかりで、 実際その様にアンソロジーの看板作品となった作品もある。 以下例によって雑感。 「ブンガク・クエスト」 如何にも嘗て座敷牢生活を送っていた カジシンらしい一遍だ。オチの巧さも流石だ。 実際、ここまできちんと「ゲーム」の感覚をリアルに出せるのは、 もう本人がドハマリしてるに違いないという。嘘がない。 と思う・・・自分もあんまりゲームやんないからアレだけど。 「絶唱の瞬間」 これも傑作で、ああ、これに横山えいじのイラストが ついていれば猶良かったかもと思わせる勢いのある展開。 これもカラオケボックスの空気が良く出ていて巧い。 大槻ケンヂ系な強烈なオチも良い。 「M・W・L(仮)へようこそ」 ああなつかしやあの「プレイン・ヨーグルト」でとんでも無い目に遭った 創作料理人フモト氏が再登場。矢張りとんでも無い目に・・・ ・・・でもやっぱり食ってみたいものなのか、最後は。 「木曜日の放課後戦士」 ああこれも傑作。初読の時ゾクゾクした、その同じ所でまたゾクゾクしてしまう。 子供社会の匂いが懐かしい。ガシャポンの興奮が蘇る。 これにも嘘がない・・一体どうやったらこんな話を思いつくのか。 アイデアだけでなく、その世界にリアリティーを与えている子供の視点、 語り口、全てに於いて完成度高し。 「時の果ての色彩」 これは以前にも感想を書いた記憶が。 時間テーマもの。但し、設定に一ひねりあって タイムマシンを手に入れても、ある限界点は超えられないのだ・・・という この設定が、作品そのもののトーンを形作っている。 ただ読者の思い入れがし辛く、何となく単調に終わっているのが惜しいか。 「トラルファマドールを遠く離れて」 後期の星新一の様な匂いが・・・ 此処にも痴呆によって起こり得る一つの現実が描かれている。 この巧さは一読した時には気付かなかったが、今斯うして読んで初めて それに気付く・・・・凄い・・。 「アンナプルナ平原壊滅戦」 田中芳樹(本人)の描写が秀逸。でもオチはちゃんと 田中芳樹的奸計で見事。然しそんなに茄子嫌いなのか>タナカ・ヨシキ。 然し「七都市」読んでから何年経つんだろう・・・ 「”偶然”養殖業」 カジシンお馴染み機敷坐風天氏の珍発明モノ。 運を左右する力を持つ動物を交配して−ってのはリングワールドか。 ある偶然の率を限りなく高めた瞬間に、 何本もあるエレベーターが一斉に開く(p271)という描写には 背筋を走るモノがあった。この辺の巧さは流石。 オチの軽さも粋だ。 「怒りの搾麺」 SFバカ本切ってのバカSF。これって作者名隠したら(昔の) 岬兄悟作品だっつっても分かんないよな。あんまりバカすぎて 初読当時の私は「こんなん出す暇があったら過去の名作選でもやるべきだ!」 とか怒ってましたが、このシリーズも既に3冊を数えるのだからなぁ。 バカSFは求められているのか・・・ 「金角のひさご」 これもイラストは横山えいじ氏にお願いしたい。 こういうどろどろ、ゾンビ系は氏のイラストが浮かんで仕方ないのだった。 ワガママだけど何か可愛い、という女性の造形は カジシンの他の作品にも・・・モデルが? オチも良きSFしてて満足。 やっぱカジシンは巧い。 SFの何たるか、を体現している様な所があるなぁ・・ 等と云っている私ですが、実は既に氏の未読が 数冊本棚に溜まっているのでした。読まにゃなぁ・・・ ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (97/12/10)
梶尾真治「クロノス・ジョウンターの伝説」朝日ソノラマ/1994/12/24 カジシンお得意の時間テーマもの。 時を越えた愛の姿を、しかしここまで描き続けられる作者の力には 本当に脱帽だ。今や時間テーマのアンソロジーには必ず氏の作品が入っている。 ところで、このタイトルを見て「どういう話」かすぐ解る方。アナタはSF者ですね。 クロノス、は解るとして、「ジョウント」とは何か・・・ 是非「虎よ、虎よ!」アルフレッドベスター、ハヤカワ文庫 をお読み下さい。あんなに時代を超えてオモシロイ小説はそうは無いです。 本書は、グリフォン1994新年号の同タイトル作品(改題)に、同ページ数の 書き下ろしを加えています。 果たしてその書き下ろしが素晴らしかったのですが・・・。 兎も角、時間旅行者の軌跡、な訳で Legend1 吸原和彦の軌跡、は冒頭の科幻博物館の描写が生きすぎて、 本体がいささか地味目ではある。キャラクターの行動原理も少々単純で、 正直「あら?」という感も無いでは無かった。博物館の描写(しかもなんとオーナーは あの機敷埜風天(きしきのふうてん)である。カジシン読者には懐かしくもお馴染み であろう)にちょっと導入をそらされた感がある。 ラストの、壊れていた筈の蛙のブローチが復元していくシーンは、泣けます。 Legend2 布川輝良の軌跡 これが良かった。久々にカジシンを読んだ気分。正直最近長編「OKAGE」は 辛かったワタシです。連載時に今一つワクワク出来なかった・・・ 時を超えた愛・・・・お約束だけど、もうカジシンにはこれが一番・・ 時間改編がナンボのもんじゃい。タイムパラドックスにひっかからない様に 上手く上手くすり抜けて、見事に描き切る。 ラスト、しんみり終わるのかと思いきや・・・・ だめだ。久々にオレのリリカルSF琴線に触れた・・・・涙目になってしまったわ。 たった一目で芽生える時を超えた永遠の恋。 存在すると思います? ヒトメボレ・・・今まで会ったこともない人間に、永遠の愛を感じる・・・ それを信じさせてくれるのがカジシンだ。 切ないぞ! しかし主人公の過去へ遡りたい理由がふるっていて、現存しない建築家の最後の作品を 取り壊される前に見ておきたい、という、それだけ。 過去に跳べるっていうんなら普通、金儲けしよう、とか過去の自分に人生やり直させ よう、とか思っちゃうでしょ。そうじゃなくて・・・ それだけに、ソレが最後の最後で見えた時の描写がクる。 読んでいる方もその建築の荘厳ではないが、異様に「素晴らしい」感じが伝わる。 そういえば94年は、まだバルセロナの余波でか、ガウディとかの建築関連が 盛り上がっていた時期ではあったわね。思い出すのは「南欧の大決戦」。 いやアレは丁度バルセロナの年だった。あれから4年・・か・・ 今作の「航時機」は(この翻訳をしたのは黒岩涙香)あくまで開発部門の実験、 という事で、そのへんの理論は乾いた感じ、つまる所殆どブラックボックスである。 それもまた良し。日本人にはもともと機械によるタイムトリップを受け入れにくい 体質があるらしい事はヨコジュンが指摘していたし。 やっぱりカジシンは良いわ・・・ 初めて本気で泣いた時間テーマ作品は「時尼に関する覚え書き」でした。 「美亜に送る真珠」も泣けましたが・・・矢張り純情一本槍の時期に アノテの読まされたら泣くわ・・ ギャグも好き。キャプテンパープル音頭を高らかに歌おう。 「泣き婆」も素晴らしかった。 何か過去形ばっかりになるのが悲しいな・・・ まだまだ作者の方は創作意欲に衰えをみせていないというのに、 読者側がこれでは。 いや、でも、やっぱりSFはいいですよね。 カジシンのサインは家宝だぜ、の @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
梶尾真治「占星王をぶっとばせ!」みき書房/1985 古本屋で発見。感涙・・・ 新潮で文庫になってたですよね。たしかふくやまけいこ氏の表紙で・・・ それが買えなくて・・・絶版なんですよ。 それでずっと探してましたから・・・かれこれ4年・・5年かな? やっと読めた、という感動が先にあって・・・内容はこれがもうムチャクチャに ファン受けというか内輪ウケ的で(他の作品に比べれば)面白くないんですが うーん・・・ 確か続編も出ていた筈。「占星王はくじけない!」とか・・・ キャプテン・パープルは良かったなあ・・・まだまともだし。 この後の「ヤミナベ・ポリスのミイラ男」(大傑作。くだらなくていい。)の パープルの大活躍ぶり(・・・)を知る者にとっては・・・ うーん。やっぱり新潮版のふくやまけいこ絵で読みたいなぁ・・・うむむむ。 どっかにないですかね? @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
梶尾真治「ドグマ・マ=グロ」 ソノラマノベルズ920円 凄かった。とにかく凄い。たった一晩の話とはとてもおもえん。 「病院」という閉ざされた空間、しかも時からも閉ざされた・・・ こうとうむけい、と言ってしまえばそれまで、な展開ではある。 けなそうとすればいくらでも。閉ざされた世界の中でのみ、通じる展開。 いいかげんといえばいいかげんでもあるし。 だが、面白い。一気に読ませる。 ラストの大ドンデンはさすがに読めたが・・・ これは「サラマンダー」とは明らかに違う、なんというか、悪夢のような作品。

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