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上遠野浩平



上遠野浩平「海賊島事件 The man in pirate's island」/講談社/2002/12/15 「殺竜事件」「紫骸城事件」に続く「ファンタジー×ミステリー」シリーズ。 今巻は前作で見せた「ファンタジー世界ならではの謎解き」の魅力はやや少なく、 むしろ 「たかが”自己紹介”ひとつするだけのことに、ずいぶんと手間を掛けるものだな」 (p295) という言葉通り、既出キャラの一人、海賊王インガ・ムガンドゥIII世(激しく ジョジョくせえ)の出自及び詳細造形紹介の巻となっている。 でも読み込んでいくと、これがもう(主にEDの行動原理まわりで)深い深い。 こいつ何処まで先を読んで動いてるんだよ!とか思ってしまう。 ED自身は地味な探偵役をやってるんだけど、その地味さ故に奥深さが際だつ。 結局コイツの采配でこの「物語」はほぼまとめられてしまっている。 リスカッセに最強の護衛と的確な活躍の場を与え続け、このまま彼女を何処まで 押し上げて行こうというのか…… で、今回の「事件」の幕引きでは、ムガンドゥが持って行ってしまった訳だけど。 まだこのシリーズは続くのだろう。出来れば純粋にミステリ方面で「事件」 を解決し続けていて欲しい所だけど、ま、このまま所謂「ファンタジー」に 流れていってしまう、ってのは、仮面の戦地調停士が許さないだろうしな…… テーマは「勝利と敗北」。まあ言うほど「テーマ」が消化されてるとは思わな かったけど、然し、この「テーマ」の立った作品を語り続ける限り、この作者の 独自性は保持されるだろう。それが(結果として)ありがちな作品となったと しても、僕はそのテーマに対して「上遠野浩平はこう表現する」というのを 読むのが楽しい訳で、つまりは半ば以上作者萌えである、と、これはブギーの 最初っからそうなんだけど。マァいいや。その辺は。ただ面白いから。 スキラスタス(ジェスタルスといいリスカッセといい、この作品にはイイ響きの 名前が多い)の俺内映像がどーしてもフォトンのパパチャ様で困った @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (03/04/04)
上遠野浩平「あなたは虚人と星に舞う」/徳間書店/2002/09/30 正直このシリーズを掴みかねていたのだけど、この巻に至って漸く作者の意図、と いうか、このシリーズの「泣き所」が見えてきた気がする。いや、どこに焦点を 置いて、どの風景を見て「泣け」ばいいのか(SFのツボを押されればいいのか) とかそういう。 結局、世界の謎解き、とかそっちに力点が有るときは人間ドラマにまで目が行って なかったのね。設定が展開されたあとの一編だから、余裕を持って感情移入出来た、 ということか。偏狭な読者だ…… 「現代の日本」、恐らくここ数年前後の世界を封じ込めた仮想現実。それは、 戦闘兵器の中で孤独に震える「コア」を守るためだけに存在している。 太陽系の外縁で外敵と戦い続けるという絶対的な孤独と不安から、その戦闘兵器の 「コア」である人造人間(機械のみを闘わせるのは不安だった人類が、無理矢理 人間を乗せる為に取った手段)の心を守るため、「町並み」や「クラスメート」が 演算され、「コア」の精神を取り囲む。実際の戦闘風景も、この仮想現実のフィルタ を通して「コア」には伝えられる。そういう「設定」。その「設定」が生み出す、 独特の、懐かしいような、切ない感触。今自分が見ている世界は、実は仮想現実 なのではないか?と、半ば本気で「体感」できた頃の、夕暮れの感触。 この独特の「感触」がこの作品の(僕にとっての)泣き所、SFとしてのキモだ。 その辺含め、矢張りブギーポップなのだ、とは思う。いやつまり、同じ路線、地平。 最近の「ブギー」はどうだか知らないけど、最初の「笑わない」で感じた、作品 世界に吹く風や、夕空の寂しさの様なものが、この作品にも感じられる。 自分の見てないところで、今この瞬間も、もっと「真実」に近い物語が展開されて いるのだ……!僕の知らない所で!という。 ここに描かれている仮想現実の「町」は、ブギー同様、酷く懐かしさを感じるものに なっている。存在するガジェット等は現代のものだけど、流れている空気は、何と いうか、妙に切なく、懐かしい。「今が一番良いとき」だ、と信じられた時代から、 多分僕自身が遠く離れてしまったからなのだろう、とも思う。ブギーの時も思った けど、「現役」の高校生達がこの作品を読んだら、また全然違った感想になるのだ ろうな、という感じ。 物語の本体、というか、主軸はもうどうでもいい。そこに存在した(過去形) ナイトウォッチとコア達の、その「設定」が生み出す物語」共感して、SF魂が、 切なく、震えたのだった。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (03/02/01)
上遠野浩平「ビートのディシプリン SIDE1」/メディアワークス/2002/03/25 所謂「ブギーポップの出てこないブギーポップ」。統和機構とか反統和機構 とかMPLSさん達とかは出る。何て言うか、正直記憶能力の薄い拙者には 「ぼんやりと」しか過去に登場した彼等の生き様を思い出せないので、その辺 Webの検証サイトとか巡って「あーそうだっけ……忘れたけど」とか思いつつ 読んだ訳で。 やっぱあの辺(組織とか)に関しては、作品が増えることでより深く詳しく解る 様になる、っていうよりは、より複雑で曖昧な方向に展開してる気がする。 それも上手い手だとは思いますが。 ていうかジョジョ。波紋世代だからなー。 やっぱそっちに向かうのか。それはそれで読んでいて面白いけどもさ。 あの「とりかえしのつかない」切なさは何処へ。もういいのかそれは。 ていうか白土三平。 つまりは王道であり、面白くない訳は無いと言うことで。 ただもー、必殺技の打ち合い!串刺しズタボロ血まみれ、それでも秘術と根性 を尽くして立ち上がる!最後の一撃!みたいな展開に心躍らないのは年を取った からなのか。ぼくはもうつかれたよ……ラウンダバウト萌え〜とか言っとくか。 回りくどいのにカッとなったら何するかわかんないワヨ!みたいな。 矢っ張り最初の「笑わない」が、一冊でその構成を体現した作品だっただけに あの衝撃を超えることは(結局永遠に)ない。とか、毎度毎度新刊が出るたびに 言い続けるのもバカくさい話なので―――でも書いちゃうけど。 「ごく普通の」感性を持った合成人間を主人公に展開した、その意味では転換期 的な作品かも。何となく「ブギーポップ・ネクストジェネレーションズ」に 入ってきてるんじゃないかなー、とか最近思ってる次第です。 side1とあるからB面も有るんだろう。何か1だけでちゃんと終わってる感じも するんだけど、さて果たしてside2ではどう展開するのか。やっぱり最後は 世界の敵(の敵)が出てきたりするのか。 まー、シリーズのファンなら買って読んでるでしょうし。初読の人は、まず 「笑わない」からでしょうね。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (02/07/26)
上遠野浩平「わたしは虚無を月に聴く」/徳間デュアル文庫/2001/08/31 「ぼくらは虚空に夜を視る」と同設定世界の話。だけど、肌触りは別物。 前作を読んでいなくてもOK。あっちが仮想現実界をメインにしていたのに比べて、 今作はより「外側」の状況が描かれている。 読み終わるのに3ヶ月もかかってる。斯様に牽引力がない、のではなくて、 すいません、単に読者の怠慢です。中盤のウサギ型ロボ、シーマスの登場で ちょっと弾みがついた感じはあるけど、一気に読み通さずには居られない、って 程でもなかった。 「相克渦動励振原理」ってのがまだイマイチ見えてこないのと、シリーズと して何処へ向かうつもりなのか、ってのが不明で――あ、もしかしてブギーの 世界って、こうやって見せられて居る「夢」の一つかも、とかさ。まあ もとより創作物には違いないんだけど。(巻末の”VS Imaginator PartIV” から水乃星透子云々に徒に反応するには早い気がするんよ……) この世界は仮想現実なのだ、と。毎日感じる違和感はそのせいなのだ、と。 あー、自分中学生とかやったら信じるかもなー、というか、真実だと思えるかも なー、とか、そういう想像をしながら、でも「現在の私」は、というと…… ま、一瞬「そうかも」(そのうち「世界に隠された闇から垣間見える真実」に 気付くかも、だって世界はこんなにも違和感に満ちている……)と思えたから それでいいや。一瞬でもその気持ちが味わえた。 以下付箋貼ってた台詞とか。なんとなく。 「記憶や記録、経験や知識、それらは確かに人が判断を下すにあたって大きな  ウェイトを占めるけど、しかしそれだけではない――自分も知らないなにものか  を決断するときこそ、人の心というものは意味を持つ。そのために心はある。」 (p125) 「苦しいなら苦しくないようにしようとする、つまらないなら面白いことを  見つける、生きるってことはそれだけのことじゃないのかな。そんなに難しい  ともおもえないけど?」(p171) 寝る前に、布団の中でコッソリ「心の闇にすみれを咲かせよ」と呟いてみた @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (01/12/10)
上遠野浩平「ブギーポップ・アンバランス ホーリィ&ゴースト」                        /メディアワークス/2001/09/25 一冊で綺麗にまとまった作品といえる。相変わらずソウルフルなあとがき (作品と一体の。これが無いと締まらない)も良し。読み終わってから口絵の カラーイラスト(なんか回帰した?)を見て、しみじみとため息をついたりする この「読書」の快楽。読み終わって、「嗚呼、お見事!」と呟いて、布団に 潜り込んで眠る。そういう作品だった。  「夢ってのは、明日やるから今はサボってもいいって言い訳にしか思えないがね」   (p83)  「ブギーポップにでも殺されないと、そのままから出られないのかもな」(p118)  ”力の伴わない意志――それこそが悪いことだと?では君の思う、その力と  いうのは一体なんなんだい?もっと健康で、自由に動ける体を持って生まれて  いたとしたら、君はその力を持つことができていたと思うか?”(p169)  (彼女が何を考えているのかわからないんじゃない――俺は、俺が何を考えて  いるのかすら知らないんだ)(p204)  「アンバランスだからこそ、倒れないように努力できるんだろうよ。きっと   ――世界ってのも、そうやって成り立っているんだと、今では思う」   そう――”そのまま”でいることの方が、あるいはブチこわして回ること   よりも難しいのかも知れないな、と結城は思った。(p250) まー、要するに「好きなテーマ」だった、という事で。「このまま」の繰り返し に対する絶えない不安と不満と恐怖。無自覚な「繰り返し」の中から抜け出し、 激しい非日常の中で「繰り返しの日々」に新たな意味を見つける――そういう。 ラストも良いしね。死なないし。両手打ち鳴らしラストの次位に良いラストだ。 なんか、カワイイんだよー。ほのぼの。 こういう「テーマ」がある小説って、やっぱ、良いわ。読んでて、作者の熱とか 力とかを凄く感じる。この小説は「生」だ。ライブだ。作者の目を通した「今」 がここには詰まっている(だからって数年後に無価値になるかというと、多分 そんなことは無くて。少なくとも10年は腐らない小説だと思う)。「ある種の 人間にとって」の普遍性があるというか― SF的な造形も色々楽しかった。スリムの「存り様」とか、凄く「らしい」。 「ロック・ボトムのひみつ」の明かし方とかも好きだなー。少年SFはこうで なくては!というか。で、また「ロック・ボトム」が実にこの作者の作った 「最終兵器」っぽくて良いのだ。カラー出まくり。 どうでもいいんですが、スリム(イタチの方)の声は島田敏の声で読んでました。 島田敏のラップって聞いてみたい。 最近思うのは、「自分」なんてものは本当は幻想でしか無いんじゃないか、と いう事。確固たる自我、なんてものは、存在して無くて、状況に応じて自分の 色んな「人格様のもの」が表面に表れてるだけで。最近旅行しててそんな 気になった。この作品でそれを思い出したんだけど。いや、これはまたもう少し 考えてからにしよう。 ブギーポップVS夢幻紳士というのも見てみたい @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (01/10/14)
上遠野浩平「ブギーポップ・パラドックス ハートレス・レッド」                        /メディアワークス/2001/02/25 「”自分なりに真剣にやっていた”なんて恥ずかしげもなくよく言えたもんだな!  そんなことは当たり前だ!何をやってもうまく行かないなんて、なんでもかんでも  うまく行く方がおかしいんだ!ほとんどのことは失敗の繰り返しで、それでも  みんな、それを承知でやらなきゃならないことをやっているんだ!」(p225) 「傷物の赤」テーマは「気持ち」か。また後書きに拠ってるけどさ。 人間は感情の生き物で、結局「気持ち」が全てに優先「してしまう」ものだ。 心の持ちようで世界はどうとでも変わる。まー、そういう話でもあるのかも。 正直イマイチだった。もっとヒリヒリする様な痛みを「感じるべき」物語だった のではないか、と思うのだけど。読みが浅かったか、と思って再読したんだけど、 矢張り、どうも。 或いは今後の為のネタフリ(或いは前後の調整)として利用されたのか。 反統和機構の存在だとか、”炎の魔女”の誕生だとか―― 「奴の名は”水乃星透子”という……!」 正直いまだにこの「炎の魔女」の事が良くわからない。或いは最後まで解らない のかもしれない。まだ「ブギー」の方が「理解」の範疇に居る気がする。炎の 魔女、のあの生き様が「僕にとって」納得行く瞬間が来れば、この作品の価値 (「僕にとって」)も変わるのだろうけど。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (01/10/14)
上遠野浩平「紫骸城事件 Inside the apocalypse castle」/講談社/2001/06/05 「この世で最も絶望的なことは、何かご存じかしら?」(p131) 前作「殺竜事件」に続く「ファンタジーの文法によるミステリ」シリーズ。 「殺竜」の時はキャラ立ちこそ素晴らしかったものの、「ミステリ」の方が。 「んー?やっぱこの人そういう素養はないのかも?」とか思ってたんだけど、 この「紫骸城事件」はラストの鮮やかさも含め見事に「ミステリ」になっていた。 読後感の良さはこの作者の近作の中でもトップクラスだと思う。オススメ。 まぁ、ファンタジーの要素がなければ成り立たないっていう時点で駄目な人も 居るかも知れないけど、それはまあしょうがないのか。何せ、剣と魔法の世界、 なのだ。竜も居るし。科学は効率の点で魔法より劣る。そういう。 三百年前、リ・カーズとオリセ・クォルトという二人の魔女(魔女と、それを倒す ために作られた破壊兵器)がぶつかり、消えた現場であるとされる紫骸城。 「城」とは名ばかり、本来の機能はリ・カーズが「呪詛」を集めるために築いた 「道具」なのだけど、一応居住空間もある。外部からの進入は、扉が溶融して しまった今となっては転移呪文のみ。 その紫骸城で、魔導師の優劣を決める大会が行われている。主人公フローレイド 大佐は、母国ヒッシバルの命運を背負って、審判としてこの城にやって来ていた。 だが、参加した(強者揃いの筈の)魔道師達は、戦いを前に次々と殺されていって 仕舞う。紫骸城は呪符無しでは入れない(そして規定日まで出る事を許されない) 完全な密室、犯人は参加者の中にしか居ない・・・ 読んでいる間に、僅かに引っかかる「違和感」として謎解きの鍵は用意されて いて、ラストでびしっと収斂する作りが見事。でもってあのラスト。ああいうの 好きなんだよー(読んでね)。開放型ラストというか。笑っちゃう。 思わず読み返して感心したくなる出来といえる。 「人間というのは、大抵の場合間違っているから、最善と次善の二つがある  場合は、まず次善のことをどうすれば良くなるかを考えた方がいい、と  そいつは言うんだ。」(p181) 勿論いつもの上遠野節も健在。一般的な場所に持っていっても使えそうな台詞 (箴言)は結構あるんだけど、作中だとそれがまた(ある知識をマスクされて いるという状況下で)謎解きに効いてきていたりして。p188-189あたりの ウォルハッシャーとの対話の空気は尋常じゃない。 いや、キャラ立ちも良かったよ。フローレイド大佐はイマイチぱっとしない 「英雄」だけど、それがかえって感情移入しやすかったし。でも個人的には やっぱ審判長ゾーン・ドーンかなー。「死人」キャラの面白さ。一旦「魂」が 抜けた身体に、何かしら「魂のようなもの」が代わりに入り込んで復活した男。 知識や技術はそのまま受け継いでるが、人格はもう以前のものではない、という。 何か好きでねえ。この人(?)。描写に何か愛を感じた。作者の描くフリークス 的なキャラには、妙な愛情を感じてしまう。寧ろ萌えか。スプーキーEとか。 萌えと言えばU2R(擬人機。コスト高で既に過去の遺物)もイイぞ。なんか。 あとやっぱミラル・キラルの双子の戦地調停士。例の仮面の男といい、こういう 「超越した連中」の描写の魅力は流石上遠野という所。ミラル姉がなんか微妙に カワイイ。E.T.に惚れてるんだか惚れてないんだか解らないあたり。 暗殺王朝のレーリヒとかも妙にキャラが立ってるし(p159の演説口調は名調子。 結構キツイこと言ってるし)、良くこれだけのキャラを考えつくよな、という 感じ。ヒースロゥも登場シーン多いし。五右衛門みたいなアレもいい。 でも、やっぱり一番美味しい所は仮面の戦地調停士が持っていくのだった。 いやー、面白い、キャラも面白いし、世界観も面白いし、ミステリとしての シンプルさも(非ミステリ読者として)解りやすくて気に入った。デイード! 続刊にも期待したい。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (01/08/21)
上遠野浩平「殺竜事件」/講談社/2000/06/05 漸く読み終わった。夏から読み始めて、読み終わったら冬だったという。 つまり、それだけ、駄目だったん。個人的に。 いや別に嫌悪感があるとかそういう駄目さじゃなくて、「上遠野にしては・・」と いうか。うーん・・・兎に角ギアが入らないままでだらだらと読み終わったという 感じ。面白い作品を読んでる時って、こう読んでる途中でガキっとギアが入る瞬間が 有って、そこからは寝食を忘れて読みふけるんだけど・・ テクノロジーに対する魔法の描写のこだわりとか、「界面干渉学」とか、その辺の 発想の特異さっていうのは流石に上遠野だなあという感じではあったのだけれど。 EDは金子一馬のイラストの印象に結構誤魔化されてしまった感じもある。 リスカッセやヒースは読んでると全然違う絵が浮かんでくるんだけど、EDだけ 何かあの絵。でも違うよな。ミスマッチ。 長くつき合った割に、特に語る事も無し。ミステリ肌の人にはそれなりに面白さが 見いだせたらしい話も聞くので、素養の問題もあるか。 兎に角言葉が出てこない。取りあえず読んだ、と。あと月紫姫萌え、と。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (01/01/11)
上遠野浩平「ぼくらは虚空に夜を視る」/徳間デュアル文庫/2000/08/31 デュアル文庫は妙に背が高くて並べると変。それはそれとして これまた上遠野氏の「ブギー以外」作品。以下ネタバレ。 「冥王と獣」の冒頭で語られた、忘れられた「外宇宙への開拓船団」が舞台。 現代日本と思われる世界で、極々平凡な学生生活を送る主人公工藤兵吾は、ある日 自分が「ナイトウォッチ・マハロバーレイ」のパイロット(の予備)であることを 知らされる。ナイトウォッチは謎の敵「虚空牙」からこの船を守る為の守護兵器だ。 日々彼の送ってきた「平凡な学生生活」は、ナイトウォッチの操縦者の精神の 安定を保つために作られた仮想現実(”発狂しないための妄想”)だったのだ。 (ただし、そこに生きている何十億もの人々は、彼と同じように「本物の」人間が 接続された姿なのだが)つまり彼は「安全装置」だった訳である。だが、二つに 分けられた精神の、パイロット側が精神崩壊を起こしてしまったために、本来 安全装置として一生をこの「地に足の付いた」世界で過ごすはずだった彼は、 二つの世界を行き来することになる。 一見ごく馴染ましい「現実」が実は仮想現実であり、宇宙で謎の敵と戦っている自分 こそが「現実」。読み進むに連れて「現実」は仮想現実世界に浸食を始める・・・ 二つの世界のどちらにも存在し、どちらででも敵と対峙する。 この場合、「現実」とはそもそも何なのか。 読者はどっちを「現実」だと読めばいいのか。 こう言うことって小学生の頃よく考えた。自分が見ている現実は現実じゃなくて 本当は仮想現実(みたいなもの)なんじゃないか、本当の自分は何処か箱の中に 詰め込まれてじっとしてるんじゃないだろうか、みたいなことを考えて、夕空を 見ながら歩いていた事がある。この辺の疑念の究極の姿は、光瀬龍式データカード化 人間の姿だったり、神林長平式に電子世界に人格を移して身体は滅んでる人類 ってな感じになっちゃうんだろうけど・・・最近「マトリックス」で矢っ張り 「詰め込まれて繋がれた人」が出てきて、ああいう発想は永遠なのかと思う。 そしてそれに気付いた時、その目に映る世界の、何と切なく、寒々しく、寂しい ものか。自分の住んでいる世界が、自分の立っている足下が崩れさる様なあの瞬間。 あの言い様のない感覚というのは、昔から妙に魅力的だった。未来世紀ブラジル 或いはディック。 一見SFではありがちな世界設定だけど、そう単純な作りでもない。 メタフィクションなテーマの魅力を存分に引き出す作り込み。兎に角設定が 論理的に組み上げられていて隙が無い。 何故人間が「ナイトウォッチ」に乗らなければならないのか、とかその辺の 「理由」をさりげなく説明してくれる所が実にもうSFのプロだ。痒いところに 手が届く感じ。読み込めば読み込む程設定マニア的な懐の深さがあって、構成の 上手さが光る。「物語」そのものにはさしてパワーを感じなかったんだけど、結局 設定の巧みさに痺れた、という感じ。設定フェチの人は是非。 この作品を読んでつくづく、この作者のヒネリは矢張りただ者ではないなと感じた。 まだまだ引き出しというかアイデアは多そうなのである。単なる(と言って良いのか どうか)ヤングアダルト小説家と思っていると、とんでもない所からSFが覗く。 まだまだ、楽しめそうなのである。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (00/10/12)
上遠野浩平「冥王と獣のダンス」/メディアワークス電撃文庫/2000/08/25 内容紹介は省く。あれだけ売れてるんだ、もう読まれてるでしょう。 要するに普通の少年兵(イイ奴)と敵方の超能力少女(綾波系)が出会って、互いに 一目惚れして、でも一旦は別れてしまう。少年の方も実は超能力者で、敵方から 寝返った超能力者達を部下にしてウロウロしながら、恋した少女を捜し求める・・・ という。 アイデアボックスから引っ張り出した設定の上に、とっつきのいいキャラクターと ファンタジーっぽい少年向け物語を乗せた、もはや職人芸的作品。読感はなめらかで 且つそこそこの歯ごたえもボリュームもあり。良い味わいなんだ。なんだけど。 結局「ブギーポップは笑わない」の鮮烈さには及ばないと言う事。処女作に勝る 作品は無し、とも言うが・・・この作者の場合「パンドラ」があるし。 あの辺のの衝撃が凄かっただけに、いまだに上遠野の新作というだけで、何かこう 先入観というか心構えみたいなものを作って読んでしまう。「期待」せずに読むのは まだ無理だ。結果として裏切られてしまう事もある。 「知るか!惚れたが悪いか!」(p302) 電撃読みのトモダチと話してて、ガンダムだよな、めぐりあい宇宙だよな、と いう話に。やっぱり考えることは皆同じか。特殊能力者で敵同士で、でも惹かれあう。 ララァならわかってくれるよね?ラストなんか小説版ガンダムかと。 ってだからそーやって過去の作品になぞらえて何かを喋ってる気になってたら それはえらい間違いだぜとかあとがき風に思うんだけどどうか。 読み手の力不足か、どうしても今一歩、踏み込めないまま読み終わってしまった。 馴染みのないマンガ雑誌で馴染みのない(でも巧い)マンガ家が長編書き下ろしを やってて、それをたまたま従兄弟の家か何かで読んで、ふーん、と読み終わった だけ、の様な。って何の例えだそれは。すいません今頭に浮かんだ事を文章にした だけです。何にしても思い入れが出来なかったので感想は書けません。私の文章は 所詮解説でも書評でも無くタダの「かんそうぶん」なので。 冒頭で語られる宇宙の敵「虎空牙」に関しては、作者がいくつも抱えているという サブストーリーアイデアの中の大きな一つの様で、この後の「ぼくらは虚空に」 でも大きな役割を果たすことになる。恐らくは今後も。 SFオンラインの書評でも触れられていたが、表紙折り返しの内容紹介文は凄い。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (00/10/12)
上遠野浩平「ブギーポップ・カウントダウン エンブリオ浸触」/電撃文庫/1999/12/25      「ブギーポップ・ウィキッド エンブリオ炎生」/電撃文庫/2000/02/25 巻末の言葉を見るに、この「エンブリオ」はこの二部構成でまとまる様だ。 まとめて読むことをお勧めする。 「格好良いとは斯う云う事さ」という作者の言葉が聞こえて来そうでも有り。 戦闘シーンが「ジョジョ」だよなーとか思ったらジョジョだったり。いや マトリックス的、っていうのは本末転倒で、マトリックスがジョジョなん。 忘れがちな昨今。 テーマは(何にでも主題を見つけようとするのは旧世代の悪癖だとは思うが) 「勝負」と云ったところか。まあこの辺はあとがきを見てフムそうか、と 思ってる訳で、とするとこれまた作者の掌の上のなんだろうか。斯うやって 作品の「テーマ」を自らズバリと語ってしまえる辺りにこの作者の余裕つーか 立ち位置の面白さが見えたりする訳ですが、さて。 「浸触」p156あたりの武道伝みたいな描写はありがちだけどかっちりして居て 如何にもジュヴナイル。「ありがちだけどちゃんと描く」というのは、つまり 想定されている読者がまだ本当に若いんだろうな、と。勿論ありがちなそれを 「ありがちですね」て言っちゃうスレた読者だって居るわけで、でもそれは それでちゃんと読めてしまう(ああ、これはアレね、とか云いながらも)辺りも 流石。「剣を知ることは相手の隙を見つけることと同じ」とかさ。バガボンド? まあそこそこ面白かったわけで。 矢張り「笑わない」の衝撃には届かないし「パンドラ」のラストの気分にも遠い。 何よりこの作品には「痛み」が欠落していた。「突破者」系能力を持つ人間 (つまり物語の主人公タイプ)ばかりが表に現れているのは、今回はもう そういう冬枯れの景色の様な、しくしくとした痛みを売りにはしないよ、という 事なんだろう・・・けど、その痛さ、感情をドライブする「アレ」無くして なんのブギーかよ、とか思ってしまうのは単にワタシがマゾ系読者だからですか? 辛うじて顕子のキャラが痛みを放出はしていたけれど。曰く 「この事件が自分に与えたものがなにかないかと、そればかりを彼女は考えて  いた。まったくの徒労だったとは想いたくなかった」(「炎生」p226)とかさ。 でもこれくらい。他はあとがきと。 結局この2冊で語られたのは高代亨というキャラの削り出しだけなのでは。 この男のキャラは結構面白味があって、今後も何かしらの出番を期待して しまったりする。アウトロー的な存在、我々と同じ世界に住んでいながら、もう 別の世界に身を置いてしまった者。サムライ、というか、ガンマンですな。 殺し合いの世界で生きてくんだよ、というあのラストは西部劇。感情移入を ギリギリのラインできっぱりはね返すような感触が似ている・・・って 何云ってんだか判りゃしねえよ。まーいつものことですが。 それにしてもブギーポップ出てこないねえ。彼奴の喋り好きなんで、も少し 表に出てきてもらえないものか・・・どうなんでしょ。 「さあね。なにしろ自動的なんでね。ぼくにもその辺は定かじゃないのさ。」(p185) @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (00/03/09)
上遠野浩平「ブギーポップ・ミッシング ペパーミントの魔術師」/電撃文庫/1999/08/25 「ペパーミントの魔術師の栄光と没落の話」。 物語の前後に語り部を入れるなど単行本としての機能を生かしつつ、一冊の 単行本としてすっきりと終わらせている。この作家が「小説構造」の構築に 非常に長けているのは以前から感じていたが、この設計能力の安定した高さは 明らかに彼の「能力」(作中で言われるアレだ)だろう。 描かれているのは相変わらず「あの世界」。 実験都市風の、あの街。 時間は、「イマジネーター」の裏。 今回の合成人間は軌川十助。できそこないとして、統和機構の協力者 軌川典助の元で生かされていた彼は、その典助氏の死後、寺月恭一郎によって その(本来とは別の)能力を再発見される。 人の痛みを知り、それを和らげるアイスクリームを作ることが出来る。 それが、戦闘用として作られた十助の、もうひとつの「能力」だった。 ・・・「人は、痛みを胸に持つが故に進歩することができる。それを消されたら、     もはや人は前進することはできない。」(p316) つまり、そういう話だ。 過去の作品とのリンクがなり濃密にされていて、それが如何にも「らしい」。 さくさくとしたタッチは相変わらずで、でも「統和機構対MPLS」の 図式はいよいよ明確になってきた。まだまだパーツは不揃いだが、シリーズを 積み重ねることでより精細な「全体図」が見えてくる事への期待はある。 何にせよ、これで「イマジネーター」辺りの感想は(個人的に)がらりと 変わることになった。このシリーズの凄いところは、そうやって 「明らか」になっていく展開が、時間の経過ではなく、他の物語と「同時多発」に 起きているというその作り方だ。この設計、この感覚こそが最大の魅力。 一つの「事件」は、登場人物それぞれが持っている物語の結果だったり 始まりだったり通りすがりの情景だったりする。関わり方も人それぞれ。 複雑極まるパズルのピース一つ一つにも、しかしちゃんとしたドラマがある。 この「今」という時間で交差する無数の物語・・・それぞれの登場人物が しっかりと描き込まれているため、次回作にこの中の誰が出てきても おかしくない程だ(ましてこの作品の様に時間軸を行ったり来たり しているシリーズなら、死者の復活も有り得る。今回のスプーキーや 寺月の様に)。斯う言うのを執拗に描き込んでいくことで、作品世界に 一種の超リアリティを持たせることに成功しているのだと思う。 我々の生きる「現実世界」の構造と、この小説の構造は相似形なのだ。 ・・・・実際、一瞬の出来事にさえ、無数の面がある。 ふつう我々はその出来事の一面かそこらしか見えてはいない。 時間の流れ、と言う奴がその「多面的な見方」をしている暇を与えないからだ。 視点の変化ではなく、時間の変化によってのみ単調な「物語」を進行している ワタシなどは、こういう視点の存在をつきつけられると、妙に感動してしまう。 ああ、「世界」は広くて深くて複雑なのだ、自分の知らない所でも物語 (ドラマ)は休むことなく(実際に)展開しているのだ・・・。 これは不思議と懐かしい感覚。 痛み云々、の下りは、昔も今も変わらない真理のひとつだろう。 即ち安定は死。人は人として生きる限り、永遠に痛みと戦い続けなければならない。 痛みが人を前進させる。それは血を吐きながら続けるゴールのないマラソンだ。 ともあれ、物語はますます「SF」寄りになってきた。一体この先 (と言っても時間経過ではなく物語の掘り下げによって) 「統和機構対MPLS」の図式はどう展開していくのだろう? 「パンドラ」で見せたような切ない「戦い」が、まだまだ見えないところで 行われている様な気がしてならない(そんでいちいちブギーポップがその度に 出張ってると言う。受験生なのに大変だねどうも。あ、だから浪人なのか)。 「笑わない」で感じた感傷的な部分とは全く別の所で、この「物語」の 続きが無性に読みたい。勿論、この複雑に絡み合う手法の行き着く先も 楽しみなのである。 ※良い書評というのは、まず適度な内容紹介があって然るべきなのだそうですが 生憎と僕は良い書評家ではなくてただの雑な感想書きなんで、その辺はご容赦を。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/08/20)
上遠野浩平「夜明けのブギーポップ」/電撃文庫/1999/05/25 正直あんまり期待はしてなかったんですよ。 電撃hpで読んだときは 「あー、もうそろそろ擦り切れてきたかなー」とか。 でも甘かった。 例によって「通して読むと一つの物語が見えてくる」仕掛けは この単行本でもきっちり貫かれていて。 「どんなことでも、簡単にひとつのことでは説明できないものですね。  いろいろなことが絡みあっている・・・」(P277) 「恐怖喰らい」の物語、或いはブギーポップの/炎の魔女の誕生秘話。 「凪の物語」が今巻のメインかとも思うけど、個人的には 統和機構の「探偵」黒田慎平の、本当に絵に描いたような探偵ぶりが とても好きなのだった。死に至る下りも、探偵はこうでなくては、という 作者の美意識のようなものさえ感じる。生き様、というよりは死に様。 少女を救って、自分は泥の中で死ぬのだ。 物語の最後、探偵は自分のみっともなさに怒り、また後悔しながら ぼろ屑の様に死んでいく・・・だが、そこに「奴」が・・ 「不気味な泡」が登場する。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 「俺なんかは、なんかの罰を受けるべきなんだ。誰かに裁いてもらわなきゃ・・・  だがその時間はない。俺はもう死ぬ。これでおしまいだ。  こんな半端なまま、俺は・・・」 「裁いて欲しいのかい?」 「・・・・・・え?」 「それをされれば、君は綺麗な正義の味方になれるのかな?」 「・・・・・・・・」 「君の心にある後悔など吹っ切れて、その彼女に誇れるような精神に、また 戻ることが出来るのかな?君が最も美しい心を持てた、その瞬間に」 (P65) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ここで、読者はもう一度「ブギーポップ」とは一体何なのか、どういうものなのかを 思い出さされる。単なる変身ヒーローではない。奴は「死神」なのだ。 その人が一番美しいときに、その命を絶つという伝説の死神。 ・・ただ、正直、ワタシにはまだ「ブギーポップの役割」は はっきり見えていない。少女達の噂に上るような、幻想的な「死神」として 存在する「奴」と、統和機構の怪物達と戦う「奴」との間に、まだ 距離があるような気がするのだ。一体奴は「何者」なのか? もっと喋ってくれればな。 そしてもう一つの軸、霧間誠一の役割もイマイチ読めてない。彼自身の言葉が まだ作品中にさほど露出していないと言うのもあるし。その熱心な読者達が 「進化しかけ」の存在だったとして、一体どの辺りに影響を受けているのか、も。 その辺がこれから(死後も本が売れ続けている辺りからして)継続して 描かれることもあるだろう、と期待はしている。 ・黒田と同じくらい気に入ったのがモ・マーダー。 統和機構に所属する暗殺者だが、やっぱり凪の魅力にクラっとしてしまう オジサンキャラ。どうも凪にはその手のキャラ(中年にさしかかったエキスパート) を虜にしてしまう部分が有るようだ・・・・ ・挿話的な「霧間凪のスタイル」(時間軸は一応「現在」ということになるのか) 何かは凪のキャラをより表に出してきていて面白い。ああいう生活してんのな。 ・・・・あー、相変わらずまとまらない。駄目な感想ですいません。 夏だし。暑いんですよ。もう。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/08/07)
上遠野浩平「ブギーポップ・オーバードライブ 歪曲王」/メディアワークス/1999/02/25 或る者は高く評価し、或る者はどんどん悪くなっていく、と評した。 個人的にどうだったかというと−これは、ダメ。ダメだった。 「笑わない」にあった切なさや、「パンドラ」にあった映画の如き格好良さは ここには見られない。視点が「今」に固定されているのが不自由に感じる。 不自由というか・・・薄っぺらい感じ。「笑わない」や「イマジネーター」 それに何よりも「パンドラ」は、その映像イメージが粒子の見えるフィルム (16mm程度)の様であるのに比べ、この「歪曲王」は言ってみればビデオ映像だ。 フィルムのソレを期待していた僕にとってこれは「生」すぎた。 オマケに緒方絵が・・・うう・・「あっち」方面にどんどん進んでいくような・・・ 今更ながらその絵に如何にイメージを補強されていたかを感じる。 イラストが変わるとこうも変わるモノかよ、という。個人的には例のCMの タッチが復活してくれると言いなぁ・・・とか 2.14。 巨大な財産家、寺月恭一郎が56歳で急死した。後に残された財産の中の一つ 一大情報管理システムタワー「ムーンテンプル」。奇異なスタイルと 構造を持つこのタワーは、主を失い解体される運命にある。 この塔が、解体前に一般公開されることになる。 一目見ようと集まってくる人々の中に、嘗ての登場人物達 羽原健太郎や田中志郎、新刻敬、竹田啓司(は直接は関係なかったけど)等々・・ も居た。 そして当然の様に、彼等はまた「事件」の当事者となっていく。 今回の「敵」は「歪曲王」。心の奥底に潜む「歪み」を指摘して増幅させる。 彼の目的は、その「歪み」を「黄金」に変えることだと言うのだが− ・・・背景の地味さ、展開の掴み難さ、イメージの伝わりにくさ・・・ 「絵」にならないシーンが多い。或いは読み手の能力不足なのかも知れないけど。 ラストの寺月による「気をつけろ」の語りはイマイチだし、続く ブギーポップの饒舌にも正直寒いものを感じた。 あの「笑わない」で竹田と交わされた会話の如き感動は、無い。 ・・好意的に読めば、或いはこれは「インターミッション」というところか・・・ でも、それでも、全体を包むこの空気、どことなく懐かしい雰囲気はまぎれもなく 「ブギーポップ」なのだった。この「世界観の一貫性」これが貫かれている限り まだ望みはある。本来こんな短期間で次々と繰り出されるにはあまりに 惜しいシリーズだけに、その「世界観」を、その感性を、ああ、どうか 摩滅させないでくれ、長く大事に使って呉れよ・・・と 願わずには居られないのだった。 ・・・結局好きなんですよ。取り合えず次巻待ち、ということで。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/03/13)
上遠野浩平 「ブギーポップ・リターンズVSイマジネーターPart1」/メディアワークス/1998/08/25 「ブギーポップ・リターンズVSイマジネーターPart2」/メディアワークス/1998/08/25 「ブギーポップ・イン・ザ・ミラー「パンドラ」」/メディアワークス/1998/12/25 この3冊をまとめてしまうのは些か乱暴かとも思ったんだけど 放っておくと死ぬまで感想が書け無さそうで。既に内容忘れつつあるし。 この2月には新作が出るそうなので、些か処理気味に。 ・・・正直なところ、「VSイマジネーター」は割と物語優先になってしまっていて ワタシの感情をドライブする部分が(前作に比べ)大きく欠落している様に 感じたですよ。それが証拠に、感想も斯うしてなかなか書けないで居た訳だけど。 「統和機構の人造人間 V.S. ブギーポップ」見たいな仮面ライダー的構図が そのまま出ている様な・・・その分、背景解説とかには重要な役割を 果たしているので、この後のシリーズを楽しむ上では必読の書ではあるか。 でも、なんつーか、イマイチ「切なさ」が弱いというか・・・ 飛鳥井のキャラ造形もなんか「ありがち」だし、織機は綾波だしで 唯一「ブギーポップ」らしさを漂わせていたのはスプーキーEだけだったという。 いやー、スプーキーE、良いですよ。あの造形は良い。 あ、末真のキャラ造形も存在感があって好き。 P238〜織機に向かって「誰にも嫌われないで生きていくことなど出来ない」と 言い切る下りなど、もう実にらしくて燃える。 ・・・このシリーズでは登場人物誰もが主人公になれる (除くブギーポップ)ので、それなりの作り込みが どの登場人物にもしてある様なんだけど、その中でも結構大きい存在感。 「ペイズリー・パーク建設予定地」の持つ寂寥感とか、 ここぞと言うところでのニュルンベルクのマイスタージンガーとか シーン(絵)的にはホントに良かったんだけど・・・ いや、実にこう、仮面ライダー(初代)的な画面でしょう。 UHF波の再放送映画みたいな、黄色っぽい画面が目に浮かぶ。 最近だとガイファードとか。あの妙に郊外型の画面が好きで。 ・・・でも、前作が前作だっただけに、ねえ。 断片断片を取り上げると、実にイカス出来なんだけど・・・ 「君は、がんじがらめに世界に縛られているが、そのなかで何を望む?」とか。 やっぱりブギーポップ自身の台詞の錬れた感じは見事だよ。 自然に、スッと心に浸透してくる様な台詞回し・・・ でも、総和としての「出来」が・・・うーん・・・やっぱり ファーストインプレッションに縛られてるのかな・・・再読したら或いは。 テーマがさほど明確じゃないのも辛い。・・・テーマは「洗脳」ですかね。 「洗脳」テーマで泣いたことって無いから、その辺は私の感性に 問題があるのか。 「少年ドラマシリーズ」的にTVドラマ化する事で昇華する物語の様な気も。 で、 次の「パンドラ」が面白かったわけですよ。面白かった、というか 「上遠野浩平」に望むもの、が完全に近い形で反映されていた感じ。 一作目と比べてしまうと、その単行本としての完成度の点では 矢張り劣るけれど。 いわゆる、成長の物語、って奴。 クライマックスの、暗い穴蔵の中での死を賭した戦い、 そしてその対比としての、青空の下での「散会」の解放感。 一度はやってみたいと思いながら、でもこの手のカッコイイ別れってなかなか 出来ない。シチュエーションが重要でしょう。単に長い時間を共有してた ってだけじゃなくて、共闘感が必要。共に命がけ戦った、その戦友だけに出来得る 別れ・・・テグジュペリじゃないけど・・・ ああ、でも。もう少し・・・とか思ってしまうですよ。 或いは私がもう歳をとりすぎたのか・・・・ 例えばこの「六人」の描写、巻末で作者の言う 「ごくごく小さな同意とか、  笑ってうなずきあうことができたあんときとか、  そーゆーものこそが”理由”かも知れないとか、  そう思いませんか?生まれてきた意味ってヤツは?」 的な内容を小説として提示しようとしたのだとしたら、それはちょっと 外れだったと思う。でも、或いはそう感じる自分がもう若くないから なのかも・・・とかね。各人にもう少し親しみを持つことが出来れば 良かったんだけど。 と、そう言う意味では、冒頭のイラストがあんまりにも能弁。 「こういう」内容だと思っちゃうじゃないですか。ねえ。 イラスト見ただけで泣いた奴>自分。ホントに。 あの色使いと言いあの空気感と言い・・・でもその実・・・という。 (この作品は緒方イラスト無くしては決して成り立たないですよね。  それは世の「ヤングアダルト小説」の概ねに言えることだけど。) 「泣いた」「泣けた」という人達の話を見聞きしていると ラストの「血」の挿入で一気にブワっと来たらしい。成る程。 それはそう言う仕掛けなんだからその反応は正しい・・・んだけど 拙者はその挿入タイミングにズレを感じて、上手く盛り上がりに ノれなかったですよ。うーん・・・・ 個人的にこの、「何でもない幸せの記憶」の語りは 彼等のあの手を打ち鳴らした別れの後に入れたい。それも、出来れば エンディングのスタッフロールが流れ切った、その後。 あとがきの後に入れるとか。そういう演出って誰かやってませんでしたか? ・・・いや、やっぱあざとすぎるかそれは。これでいいのかな。 ・・・しかしまぁあのラストの青空の爽やかさ/懐かしさときたら。 この瞬間の空気を、どこかで嗅いだことがある。何処かで見たことがある。 この感覚は、いつか感じた・・・思い出せないけれど・・・そんな感じ。 これこそ上遠野浩平に望んでいるものなんですよ。ワタクシ的には。 この一瞬が読めただけでも、この本を読んだ価値は十分あった。 ・・いや、結局ノスタルジィが感じられればそれが傑作な人間です。 言わばノスタル爺。 ただ、そう、「パンドラ」はあとがきが良かったですよ。痛くて。 自分はこの一瞬の為に生まれて来たんだ、と感じる瞬間は誰しもあった筈。 ただそれを忘れているだけで・・・とか。この辺の語り口が 如何にも作者らしくて、結構染みるのだった。 ・・・ああ、結局まとまらなかった・・・書き捨て御免ッ!! @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/01/21)
上遠野浩平「ブギーポップは笑わない」/メディアワークス/1998/02/20 話題の本、だった。半年ほど前。 今更だけど、読みまして。 読後感が全く「えもいわれぬ」作品。上手く言葉にできないけど・・ この本を読んだ実時間は2時間程だけど、下手をすると一生涯折に触れて 思い出すような、そういう作品。 一応、SF、ということになる。 宇宙意思が遣わした「エコーズ」と呼ばれる 人間の存在価値の有無を判定するプログラム、が 人間の存在をOKとする物語。 ・・・とオチをばらしてしまっても、 この作品の魅力は損なわれることはないと思う。 「私たち一人ひとりの立場からその全貌が見えることはない。  物語の登場人物は、自分の役割の外側を知ることはできないのだ。」 (P12) この物語の魅力は、つまりこの新刻敬の冒頭言に尽きる。 「我々は決して物語の全貌を知り得ない」、 というコンセプトに貫かれた構成と内容。 自分が参加している「物語」の始まりと終わり、そして その詳細な全貌を知るのは全てが終わってからでも難しい。 この「我々は決して物語の全貌を知り得ない」、というのは何というか− 切ない感じのするものだ。 この作品を読んでいる最中から、何となく切ない雰囲気の作品だな・・と 感じてはいたのだけれど、初めは作者のあとがきなんかにある 高校時代への単純なノスタルジイに起因するものかなとか思っていた。 でも、どうもそれだけのものではない。 このあとがきで語られている「とりかえしのつかないこと」がつまり より深い意味での「切なさ」につながっている様なのだ。 例えば、この作品の舞台がそう。 あとがきによれば、これは作者の夢の中に出てくる高校なのだそうだけれど。 全国には高校が無数に存在するというのに、僕らが(教師でもない限り) 知り得る高校なんていうのは、周辺数校とか対校試合に出かけた先とか 模試受けに行った私立校とか、大概多くても10校程度だと思う。 まして、その中で生活できるのはたった三年間だけなのだ。その前も後も、 いったいその空間で何が行われていたのか、詳しく知ることは難しい。 ・・いや不可能だ。当事者でなければ結局のところ分かりはしない。 休日、たまに車でぶらっと出かけて、見知らぬ町の見知らぬ高校のグランドに 入り込んだりすると、「あぁ、ここではボクの全く知らないヒトタチが それぞれのセイシュン(・・・)を生きてきて、また今も生きているのだなぁ。 でもそれは多分死ぬまで知ることはないんだなぁ」とか思ってしまって切ない。 見知らぬ場所で見知らぬ人たちが、永遠にボクには知り得ない物語を 生成しては解散していく。 そういう「とりかえしのつかない」感じの切なさが、この作品にはある。 だから、この作品の切なさには「リアリティ」がある。 「我々は決して物語の全貌を知り得ない」 という前提のもと、五つの短編が各登場人物の視点でこの「事件」を 切り取り、それを積み重ねることで(おぼろげながら)全体像が見えてくるという仕掛け。 読み終わってからもう一度冒頭からパラパラとめくると、「ああ、成程・・・」 という風に、各物語の隙間が補完されて一つの物語になっていく。 可能性としてはあり得る形態だけど、ここまで本格的に「出来た」小説を読んだのは 不勉強にしてこれが初めてだった−と、思う。 ゲームでは結構やったけど。 ゲーム的では、あるか。時間軸で物語が平行に進展していて、 何度か視点を変えてプレーして初めて全体像が見えたりする、そういうゲーム。 昔はザッピングシステム、とか言ってた。 あ、でも、この小説の魅力はそういった構造だけではなくて。 キャラの魅力も−特にタイトル・ロールの「ブギーポップ」氏の造形及び 台詞回しの快楽は尋常なものではない。 「 僕はふいに、こいつのことが好きだったのだということに気がついた。   そう、はじめて街で会って以来、ずっと好きだったのだ。   それは藤花の顔をしているから、ということは全然関係がなかった。   僕が言いたくても言えないことをはっきりと言ってくれる  この男がとても好きだったのだ。」 (p63) この下りを読んだときの僕の気分は、全くこの文章とシンクロしていた。 このキャラクターの魅力だけでもまた延々と「語り」が入ってしまいそうなんで やめとくけど。 この作品は、本当にヴィヴィッドで、切なくて、良く出来ていて。 痒いところに手が届く設計のくせに、全然諄くない。 ああ、ヤングアダ−もとい、ジュブナイル、っていうのは、こうでなくっちゃね− そう、ホントは、中高校生達がコレを読んで、どう感じるかが知りたい。 やっぱり切ない気分になったりするんだろうか? それとも、単なるキャラ萌えで終わってしまうのか(その要素は充分ある)? 我々は、もう二度と大きな物語を作り得ない−なら、それはそれで良いのだ。 「そうじゃない」次元での感動もあり得る・・・ 何にしても、イイ本でした。二時間で得られる満足度としては最高に近いです。 (とりあえずもう高校生じゃないヒトには)オススメです。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (980731)

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