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その他。そのうち整理しますね・・・



北野勇作「ウニバーサル・スタジオ」/早川書房/2007/08/25

かつて大阪と呼ばれた場所に「ウニバーサル・スタジオ大阪」と呼ばれる
アトラクション主体のテーマパークがあった。

ウニの形をしたそれは、何らかの理由で「外の世界」が滅び、客足が途絶えた後も、
自らの修復機能を使ってお客様を作り出し、そのお客様に向けて(大分おかしく
なってしまった)アトラクションを演じ続けている。

スタッフはアトラクションの度に死んでしまったりするが、その死者は(当然)
生き返り、或いは変身し、変形し、再利用される。記憶を失い、綻びを綻びで
繋いでいく。それでもどうにか希望を持って「繰り返し」を生きるのだ。

いつもの北野勇作、といってしまうのは勿体ない。二度三度読んで味わいのある作品。
買ってからもう一年になるけど、何となく手元に置いてあって、適当なところを
開いて読んでみたりする。


北野勇作の、一つのネタ「大阪にあるテーマパーク、ただしウニ型」について
止めどもなく溢れてくるディテール(或いは「ネタ」)、は、しかし何故か全て
懐かしくて悲しい感じがする。


かつて何かの理由があって始まったイベント、そのイベントは繰り返されコピーされて
いくうちに、なんだかもやもやとした事象になってしまう。理由は失われ、(ルール
通りにきっちりと)繰り返す事だけが重要となっていく。
よくありますよね、こういうこと。

良くできた演劇の脚本を読んでいる様な気持ち。
閉じた作品世界にどっぷり浸かって、その空気を味わう。

「派遣」や「アルバイト」や「正社員」っていう言葉の持つ温度とか、
割と挿入される時事ネタなんかを思うと、10年後、20年後に今の感触で
読める本かどうかは微妙な所だと思うんで、読むなら今のうちですよ、とか。
@@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
(08/09/10)


田中哲弥「ミッションスクール」/早川書房/2006/05/31 ひどい。ひどすぎる(褒め言葉)。 なんつーか、歪んだ高校生(男子)の妄想だけでできたような小説集。素晴らしい。 世間的には「振り落とされずについて行くのが大変」という事になっているらしい けど、いやもう全然。シンクロ率120%で読み切りましたよ。自分の中高生の頃の 妄想を再確認しているような。 いやもう、なんつーの、アレですよ。女子の描写がいい。 身も蓋もなくエロくてかわいい。イラストもいい。是非橋本晋氏にはもっと エロかわいい部分の描写をやっていただきたかった! 「ポルターガイスト」の下品な言葉を大声で、とかゲラゲラ笑いながら読んで しまったよ。たまらん。でもこれ「純真な夢見る少年少女」に読ませたら あかんかもなあ、とは思った。 下品下品と言うけど実はそんなに下品でもなく。基本的にただひたすらに下らない (褒め言葉)。そしてエロかわいい女子満載。小説ならではのスライド感満載。 いやー、いいですよ、これ。読者は選ぶけど。 初期筒井康隆的なノリが好きな人にはお勧め……かも @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (2006/06/06)
小川一水「導きの星III 災いの空」/ハルキ文庫/2003/02/28 地球外知性(ETI)の文明育成は、どうやら人類がただ自己満足の為に 行っている訳ではなさそうだ。 後半までは「うーん……」という感じでまったり読み進んでいたんだけど 核兵器が登場し、市街地であっさり爆発させられた下りで目が覚める。 何だろうこの感じ。やるせない。 正直4巻を読む気は無くなっていたんだけど、これは、読まざるを得ないかな…… 導き手、見下ろす側の人類、司の過去が明らかになってきて、なんだかコイツも実は たいしたことないな、的な印象にも。未来人だからって勝手に超進化(成長)を 遂げてるとか思いこんでたけど(竹本泉系未来世界の人類の如き落ち着きっぷり) そんなこともないのね。 人類がこれから成長しようとしている文明を見守ってるとかいうストーリーだと、 大抵徹底的な不介入が墨守されて、監視者は悲劇を阻止できないことに苦しんだり する事が多いと思うんだけど(新スタトレとか)、このシリーズでは割とその辺の 「お約束」が軽めに扱われていて、積極的に介入してしまっている。結果として (かどうかは今後明らかになるのだろうけど)人類に似通った、地球人のお荷物 的な文明が成長してしまっていたりする。 「不介入の原則」に慣れきった目から見れば正直お粗末というか、いいのかよ、 的な気持ちにはなるんだけど、それは多分作者の意図したところなんだろう、と 思える。ラストに向けて収束していく、その先に何が用意されているのか…… やっぱり最後までつきあう必要がありそうだ。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN]@@@@@@@@@@@@@@@@ (2006/02/10)
桜坂洋「スラムオンライン」/早川書房/2005/06/15 本屋で見かけて、何だか読まなくてはいけない気がして、読んだ。 タイトルこそ”オンライン”ゲームだが、題材から匂うのは、「あの頃」への 果てしない郷愁、だった。 メガロシティやアストロシティの前で繰り広げられた膨大な時間。膨大なコイン。 全ては、ただ、このゲームで強くなる、という、そのためだけに費やされていた。 二次的な事(ゲームの勝者として有名になったり、そのゲームがらみで人と仲良く なったり)はどうでもよかった。ただ、より上手く”後出しジャンケン”が出来る ようになりたかった。 そういう時代が、あったのだ。 だが、ああ、もう戻れない。もう戻れないだろう? どうだろう? 今ゲーセンを見渡せばネットワーク対戦は常識化している訳で、家庭の上り速度の 高速化を思えば、或いはこういう世界が”復活”してもおかしくはない、とは思う。 でも、なー。 正直かなり古びている、という印象だった。今この作品を読んで泣けるのは 本当にごく一部の(結構スレた年齢に達している筈の)大人だけだと思う。 で、そういう「おっさん」である自分にとって、主人公の造形こそは理解できる (自分を重ねることが出来る)んだけど、このヒロイン。このヒロインの造形の、 なんというか、こう、アレだ、うーん。いや、ダメじゃろ?これは? アニメ声で眼鏡っ娘で女子校出身の真面目女子で不思議ちゃんで何故か最初から 主人公が好きで主人公は彼女の前でついついリアルファイトをやって気がついたら 膝枕。なんつーか、こう、ここまでアレだと裏があるのかと思うじゃない、彼女 サイドからの語りとか。それも無い。なんか、こう…… ……などという読者の思惑はともかく、気がつけば彼女のペースに乗せられて、 色々予定を組まれてしまう主人公。あ、いやその日はゲームの大会が…… そんなのを説明できずに彼女との間はどんどんもつれて行く。だがそこでいきなり 男らしく開き直る主人公。 「彼女のことは大好きだけど、大好きだからこそ、彼女が好きでいてくれる  ぼくのために、ぼくは当初の目的を貫いて戦わなければならなかったのだ」(p231) な・め・ん・な・! おまえ!おまえおまえおまえいまおまえいまなに何言った!キー!なめとんのか! 電車の中で思わずもんどり打ってそのまま匍匐前進する所だったわ。そしてそんな 主人公を(勿論)彼女は(近所のゲーセンでお兄ちゃんにゲームを教えてもらったり して)許容するのだった。ッ!なんだこの夢物語ッ! ていうか勘違いだよそれは。勘違いからいろいろ始まるんだけどさ。 自己をブラさず、且つ相手に歩み寄るなんて、あんた、そりゃわがままって もんだよ!そもそも(以下なんか醜い泣き言が延々と続くため割愛) いや、ホントいうとこのラストは結構好き。ああいう不器用ほのぼのテイストは 凄く好きだ。あー、不器用でも相手に歩み寄ろうというのはいいことだ!美しい! と思いました。好きだからこそ相手を理解したいと思う。それが大事よ…… 相手が歩み寄ってくるのを待ってると、大体待ちぼうけを食らうのよ。 いや、格闘描写は素直に気持ちよかった、というか、非常に脳内再現性が高くて わくわくしたよ。(よくパロディとして語られる所の)夢枕獏的な格闘描写が 全編に流し込まれている。 「バランスをくずしてテツオがよろける。リッキーはクイックフォワード。  突き上げの掌底。掌底がカウンターヒットするSE。テツオの体が宙高く  舞いあがった。   浮いた体にパンチ。パンチ。キャンセルから肘打ち。しゃがみパンチ。  倒れたテツオへの追い打ちはせず、リッキーは後方に下がって距離をとる。」(p100) アンジュレーションに出会ってから暫くのあの感覚が懐かしい。 3tbの頃の自分はどうだった?結構やれていたと思うけど…… 淡々と、しかし手が震える様な緊張感、バーチャジャンケンの域に達していた頃、 確かに自分も”それ”を感じていた、あの感覚。 あと個人的に好きなのがルイがオヤジにゲームの「意味」を解説する下り。 「相手がわかる言葉で教えてやんなきゃ意味無いだろ」(p156) これ、ここの瞬間的な鮮やかさは、ちょっと、気に入ったかんじ。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (05/12/09)
新城カズマ「サマー/タイム/トラベラー 2」/早川書房/2005/07/31 うわ何このラスト!激しく(安易な)タイムトラベルモノくせえ! いや、正直ラストは全然<別方向>に軸を振ってくるんじゃないかと(勝手に) 期待してたんで、何となくがっかりした。いや、なんつーかね。 結局「彼等」に憧れることも、感情移入することも、 この2巻に至って急に出来なくなってきて。 なんだろう、このもどかしさ、ちょっとした悔しさ。もどかしい。 この「分かる人だけ分かってね」みたいな匂いが、最後の最後になって、 僕を突き放してしまった感じ。この読者である僕を置きっぱなしにして、物語は 一気に未来へ行ってしまう。僕はしがみつくことも出来ず、放り出されてしまう。 主人公のタクトには高校時代の自分のいやなところがそのまま描き込まれている。 要するに、素直じゃない。ヒネくれてる。ガキだ。 かつては感じられていた、その事どもを、この本を読んで思い出せた、つもり だった、けど―― それを思い出すのは、想像していたより、楽しくないことだった。 当たり前の、田舎の、夏。 地方経済は吸い取られ、弱り、あきらめていく。 「この市場経済って代物は、だからいつだって狡猾な時間旅行者なんだ。  ぼくらは量られ、較べられ、売りに出されている。誰の手で?決まってる。  未来だ。」(p51) 「あたりまえの現象を目撃して、どうしてぼくの躯は震えるんだろう?  どうして涙が溢れ出しそうになるんだろう?」(p125) 結局の所、主人公、タクトは「負け」たのだと思う。 「どうしてそんなふうにいうの?タクト、あたしのこと、応援してくれてると  思ってたのに」(p210) いつの時代だって気づいたときには遅すぎる。 自分は置いて行かれる側の人間なのだ、ということ。 「だって、しょうがないだろ。あいつは行くっていってんだから!  『進み』たいって!」(p234) いつの時代だって先に「跳んで」いってしまう女の子を縛り付けられる主人公は いなかった。いてはいけないのだ。失うからこそ美しい。捨て去られるからこそ 執着する。いつの世も同じ事。 「悠有は、ただの不思議な女の子で、たまたま時の河をちょいと飛び越えられる  だけなんだ。時空連続対の申し子じゃない。大宇宙の次なる経済学的進化の兆し  でもない。世界なんかどうでもいいじゃないか。」(p275) 押しとどめようのない変化。時の流れ。エントロピーの増大。 その前に、あらゆるものは無力だ。 「説明しなけりゃいい」 「SFじゃなくして。ただの幻想(ファンタジー)。解釈無しで」 見る前に、跳べ。考える前に。100本の映画より1回のキスを。 「置いて行かれた」者たちにできるのは、現象に対する注釈と、解釈と、後悔だけだ。 美しくなんて、ない。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (05/11/09)
新城カズマ「サマー/タイム/トラベラー 1」/早川書房/2005/06/15 某本読み人の熱烈な叫びを耳にして、どれひとつ、と手に取ってみた。 しかしこれが、いや、強烈だった…… 「SFとして」どうだろう、というのは、ある。まだ前半だし。 確かに不思議なことは起こっているんだけど、それが読者に対して何らかの 「感情」を巻き起こすには、まだ至っていない。 多分カジシン的切なさをもたらしてくれるんじゃない?という 予感はあるんだけど。 そう、まだ後半がまるまる残っている。だけどこの1巻を(途中まで)読んだ 時点で「うわなんか大変だ!コレハナンダ!」とウロが来てしまった。 高校生、にしては随分と大人びた、そう、「大人びた」「背伸びした」主人公 達の、その会話(”現実よりも大切な事のように”虚構を語る)の味わい。これに すっかりやられてしまった。こういうの、あったっけ。こういう会話、してたっけ。 してたかなあ。既に彼等の年齢の倍も生きてしまい、「当時」の事はもう時間の 美化作用を受けて霞んでしまっている。でも、ああ、この感じ。この感覚はまだ 思い出せるよ。 体力も知識も「大人」に追いつき、或いは追い越し、大きくなった高校生の、 背伸びした、気恥ずかしいほどの、鼻持ちならない程の自信、その、清々しさ。 「終わりを予感させる」事で輝く刹那の輝き。いわばフリッパーズギター。 アノラックからバッヂを外せ!と叫び得る「未来」の圧倒的な、透明だが濃密 な存在感、その圧力。だがまだパステルズバッヂはついたままだ。 いっぱしの口をきいてはいるが、そして柔らかい脳味噌から知識は溢れているが、 どこか足がついていない、その感じ。「来るべき未来」がじわじわ迫る焦燥感 なんかも、ありありと思い出させられたり。 そして当然「あのときのときめきを確かに思い出せるけどもう二度と感じることは できない」のだ。昨夜読み終えたばかりの小説の感想を語り合う、あのマジック フィーリング。思えば僕にとっての読書熱中時期は2年かそこらでしかない。 如何に高校時代の趣味趣向が人生を規定するかという。 そういう話でもないか。いや、でも、そう。 「そしてなにより彼は、本を読んでた。」 「『読む』っていうのは、つまり読むこと以外の報酬がないって意味だ。  味わうためだけに味わうってことだ。」 ああ。一体僕は何をやっとるんだ。ボルヘスも読めてねえ。ヴィアンだって 再読しきれてないし。やるべき事は山ほどあって、でも、何一つ集中できてない。 気がつくとコーヒーメーカーのコーヒーが抽出されるのをボンヤリ眺めていたり する。時間を無駄にしてはいかん!ハッ!宗方コーチ!? 兎に角2巻をまつ。全てはそれからだ。今は何も言えない。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (05/08/02)
三雲岳斗「レベリオン 放課後の殺戮者」/電撃文庫/2000/05/25 ツンデレ小説と言える。教科書的なツンデレ。 謎の弾丸によって瀕死の重傷を負った主人公は、謎めいた美少女のキスで 超人レベリオンへと進化する!レベリオンとは特殊なウィルスにより強化された 超人類の事である。驚異的な快復力で翌日には学校に登校する主人公。そこへ くだんの美少女が登校してくる。その美しさに騒然となる教室。その美少女は 主人公を屋上に連れ出し、言う。「あたしは、あなたを殺しにきたのよ」 主人公を自分の組織の監視下におくから自分の命令に従えとか高飛車なんだけど でも洋服とかはよくわからないので一緒に買い物に行ってやると喜んだりして、 お風呂場でドッキリとかあって、よくよく聞いたら年下で、意固地なんだけど かわいいのだった。高飛車で妹キャラ。しかもツンデレ。 つまりツンデレ文法に則ったゆかしい小説と言える。 あとここ数年のYA世界で普遍的に見られる「ジョジョ的」「ブギーポップ的」 「ARMS的」な超能力者のスタンドバトル。「なりそこない」が襲ってくる ところとか、もう何万回こういうの見たか、という「ありがち」さ。 でも不快感はないのだ。 途中で投げだそうとは一度も思わず、いやむしろ先が気になる感じですいすいと 読み切れた。主人公の心情にも(自分とは全然タイプが違うにもかかわらず) 感情移入できたし。何より「高校」という世界への郷愁が綺麗に描かれていて (これは郷愁だろう、この作品に流れる温度は)、それに惹かれたともいえる。 P75からの夕暮れの屋上からの風景。そこに佇む美少女、そしてバトル。 その一連の”映像”が脳内にこの上なく沁みたのだ。 いや、ホント、いい作品だと思うよ。そりゃ絶賛はしないけどさ。流石に。 ただ、惜しむらくはイラスト。2000年だからかなー。 今だったらもう少し、こう、違ったイラストで攻めてくると思う。思いたい。 脳内映像は、ホント、美しいのよー。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (2005)
野尻抱介「太陽の簒奪者」/早川書房/2002/04/30 これはいい野尻SFですね、というやつ。 導入から緊張感と速度で読者を離さない。読み始めたら一晩で読了。 「うわこの先どうなるんだー、もう気になって眠れねえー!」 という感じで、翌朝はあやうく寝過ごしちゃう所だったス。 久々に「一気読み」ができて、満足なり。 難点から先に言ってしまうと、人間社会側の描写が、スケール感に乏しい。 薄い、のだ。8億人という死者を出した”太陽の簒奪”による災厄、その「災厄」 に関しての描写が、作中では背景に一瞬映るだけ、というのはどうにも。 アニメで言うと、止め絵で「悲惨な現実」をパカパカ映して”説得力”を与える所。 ガンダムとかトップをねらえとか。そのへん活字でスケール感を出すのは辛いか。 登場人物もほぼ”関係者”のみに限られてる。まあ、世間で言われる通り、その分 ”速度”が生きたって事なんだろうけど。描いてない所は読者の想像力にお任せ、 ってことなのね。いや、やっぱどうも「トップをねらえ!」と比較してしまって。 うーん。結局その辺がもどかしい。面白かったんだけど、その分非常に物足りない モノを感じる。これは野尻作品には多かれ少なかれついて回る印象だ。プロットだけ あって演出家が居ない、役者はあんまり役作りをしていない、というか。熱がなー。 例の「放射線漬けになるよ」「いいんです。それで…」云々、のあたりの白石亜紀 のキャラ造形、好きなんだけどなあ。それも一瞬の事。主人公白石亜紀の造形にブレが あるというか……まあ人一人の人生(然も女子高生からオバサンになるまで)分の 時間が流れてる訳で、ブレても当然っちゃあ当然なんだけど、うーん。うーーーん。 背骨が面白かったが故に、色々物足りなくて。ああー。 面白かったポイントは幾つかあるけど、リング物質を作ってるナノマシンの構造を 調査して再プログラミング、の下りはSFのSFたる魅力を存分に持っている。こういう ところのSFな”仕事”描写の面白さは野尻作品ならではだ。 ラスト10頁でやっと現れる”宇宙人”の描写も、なかなか変でいい。おお、こうかー、 これなら、という。何となく柴田亜美漫画のキャラの様でもあるニー。 ちゃんと顔や手や指がある、という「宇宙人」を正面から描いて、然し圧倒的な 「異質な知性」を同時に描くことで、決して安っぽくなってない。 思考の快感に従い、より深い思索を求めて増殖・ネットワークする彼らの異質さは、 だが、有り得るよな、とも思わされる。元々の”宇宙人”としての個体は”彼ら” 或いは”彼”の思考ネットワークのノードの一つに過ぎない(個別に分離されれば 彼我の区別を再認識できるのだが)、という。「太陽の簒奪者」となって、恒星の エネルギーを思考空間へ転換するため、恒星リングから球殻に成長した居住空間に 数百兆にも増殖しては、ただ考える事ことだけを考え、さらなる思索(の快楽)を 求めて宇宙に拡散していく。いや、面白い。成る程こういう連中も居そうだ。 人類の知性を「進化の過程から適応的に生まれたもの」として、非適応的知性 (AIとか)と区別する下りも面白かった。宇宙船もミサイルも、人類が意識的に 関与したものは自然と連続性を失わない。では「非適応的な知性」とは、となると、 これはもう偶発生に頼るほかない、あたりの面白さは、この作者の面目躍如。 ま、いろいろ書いちゃったけど、読んで損なし。すぐ読めるし。そんな感じで。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (04/09/11)
野尻抱介「ヴェイスの盲点」/富士見書房/1992/06/25 野尻抱介「フェイダーリンクの鯨」/富士見書房/1992/12/15 野尻抱介「アンクスの海賊」/富士見書房/1993/06/25 野尻抱介「サリバン家のお引越し」/富士見書房/1993/12/25 野尻抱介「タリファの子守歌」/富士見書房/1994/11/25 野尻抱介「アフナスの貴石」/富士見書房/1996/03/25 クレギオンシリーズ。 早川書房から再版が始まったという事もあって、手に入る分だけ手に入れて ちびちびと読んでました。 うーん、成程、この作者の基本的な魅力ってのは、最初から全然変わってなかった のね。手持ちの情報と道具を盤面に配置、頭脳を駆使してそれらを組み合わせて 一見不可能と思える様な事態を解決する。アポロ13の空気フィルター制作過程 みたいな。つまり「いい仕事」描写で読者のご機嫌を伺うという。デビュー作から 一貫してこの路線だった訳か。 個人的にお気に入りなのは「サリバン家」かなー。 やっぱシリンダー型コロニーはいいよね……この手のコロニーが出てくると、 何か故郷に帰った様な気がするよ。いやホントに。子供の頃、21世紀になったら (どうせ自分は大した大人になってないだろうから当然の結果として)地球を 追われてサイド6あたりで駄目な労働者をやってたりするんだろうなあとか普通に 思ってたので。コロニーの最下層とか「川」の部分の描写とか実に燃える。 ラストのコリオリ力で魅せるコロニー内戦闘描写もいい感じ。あと奥さんと 旦那の妙な乖離関係がなんか妙に真に迫ってて、このころ作者の身の上に何か あったのでは?とか要らぬ妄想をさせたり。そういや「タリファ」の時の子育て 描写とかも妙に体験談っぽくて気になる。いや別にええねんけど。 超高速航法とか人工重力とかオーパーツ的なモノはとりあえず「そういうことで」 みたいな扱いにしてるのは、ピニェルとかでも巧いなあ、と思ったんだけど、 うーん、ここまでマスクされるとなんか微妙な感じに。ここまで語るなら後一歩、 みたいな。なんかそこがちょっと痒い感じなのだった。敢えてそこをマスクする ことで、物理法則の効く星系内でのハード描写に枚数を割けてるんだ、ってのは 分かるんだけど……うーん、などと勝手なことを。 勝手の序でにイヤゴトも。まあ昔の作品だし。 いや、全体通してなんか散漫な印象がある。設定主体でもない、キャラ主体でも ない、なんかこう「軸」がないというか……「華」が無い。萌えーとか燃えーとか そういう”一点”に読みを絞り込みにくいのだ。設定や描写にはキレがあるのに、 全体的に熱が足りないというか、どこか物理法則の前に醒めているというか。 「フェイダーリンクの鯨」での雪玉を使った移動手段の描写の面白さなんかは 実にSFのツボを押してきて気持ちいい。この辺の考証と表現のバランスとか、 ああ、野尻だなあ、と気持ちいいのだった。この「描写の(SF的な)気持ちよさ」 ってのが、それだけに終わってしまうのが「惜しい!」と思わせる。これで もう2,3歩キャラクターに歩み寄ってくれれば! 近作になるとこの辺の折り合いの付け方は全く巧くなってると思う。過去作品を 読んで、いよいよ今後が楽しみになるのだった(偉そうに!)。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (2004/02/16)
ISBN4-08-613330-X C0193 ベニー松山「隣り合わせの灰と青春」/集英社/1998/12/10 良い出来だ、としか言いようがない。 他に類例を知らないので、他と比較してどうこう言えないんだけど、いい出来。 正直言うと、最初の版のやつ、少しだけ読んで投げ出したのだ。あまりにも 「俺ウィズ」とは違う気がして。まだ実際に地下迷宮へ潜り続けていた頃だし。 小説である以上、この作品は、具体的な設定も無ければ「物語」さえない、線画 だけの「ウィザードリィ」というゲームに、一定の世界観や空気感を与えている。 例えば冒頭、ギルガメッシュの酒場の描写。それは「何もない」からこそ”全て” を想像で補う、あの没入感を冒涜するものだ、とさえ思えた。つまり僕の中では僕の 「ウィザードリィ」があったのだ。何というか、僕の中ではもう少しアンリアルな イメージだった。勿論登場人物(自分がメイクしたキャラクター達)も違うしね。 なんか、そういうのが嫌だったんだと思う。 肉付けをすればするほど面白さが失われる。何もつけてない状態が最も強い忍者、が このゲームを象徴している、と当時よく言われたものだ。 でもそれからもう軽く10年は経つ。 この文庫を新刊で買ってからさえ、もう5年もの歳月が流れた。積ん読もいいとこ。 で、昨晩酒の肴にラストを一気に読み終えて、満足のため息をつく。何度目かの 全滅の後、ちまちまと育てあげたパーティで、初めてワードナを倒した夜の事を 思いだした。今読めば、この空気感はまったくウィズそのものだ。ワードナを倒す 直前のレベルからスタートする、という思い切った作りも非常に巧い。ラストの 爽やかさとかも、基本的に地下に潜りっぱなしになるこのゲームとは全然別方向を 指していて、巧いな、と思う(勿論こんなラストは、ウィズにはあり得ないが。 プレイヤーが飽きるか、灰になるか、石の中にいるか、或いはセーブデータが 消えるその日(電池が切れる/FDが物理的に読めなくなる)まで、永遠に終わら ない、永遠に続くのがこのゲームだ。それが魅力でもある)。 惜しむらくは緒方イラスト。これは流石に合ってないだろう……と思うがどうか。 もう少し”濃い”(ダサい)感じで良いんじゃないかなあとか。いや、何を 言っても今更だけど、まあこの小説を最後まで読める様になるまでに、これだけの 「断ウィズ期」が必要だった、のだと思おう。 続編らしい「風よ、龍に届いているか」(こちらは全く未読)も読みたくなって来た。 ・余談:ウィズにドハマリしていたのは高校2年の頃だろうか。鹿野司の名著 「ウィザードリィVプレイングマニュアル」片手に始めたWizV、これに僕はもう 完全にハマった。親に隠れて暗い部屋で98VXのディスプレイを見つめ続け、視力は 面白い様に落ちた。遡って始めた初代Wizでワードナを倒したのはセンター試験 直後だった(と当時の日記に書いてある。パーティ全員のプロフィールとか イラストとかも描いてあって、まあ、ひどいもんだ)。Wizプレイ中の麻薬的な 没入感については多くの人が語ってきたけど、ホントにあれは凄い経験だったと 思う。何もないからこそ想像させる。それを一身に体現している作品だ。 ・余談2:勢いでFC版のウィズIII(掘ったけどこれしか出てこなかった…)のROMに 久々に電気を流してみたら、全員E(悪)だった。もう友好的な○○とか逃がして たらキリないしな!最初は頑張ってG(善)とN(中立)で押し通してたもんだが。 流石に手描きのMAPも見あたらないし、少しだけ迷宮を彷徨って、マーフィーズ ゴーストを殺ってから帰って解散。次はまた10年後かな。電池もつかなー @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (2004/01/26)
押井守「BLOOD THE LAST VAMPIRE 獣たちの夜」/角川ホラー文庫/2002/07/10 格安焼肉屋・梨花園での革命的推論シーンはこの作品の華だ。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「だいたいモサドのヒットマンがなんで日本刀振り回さにゃならんのだ」 「判った」と再び天野。 「お前は黙ってろ!」 「柴野、そういう強圧的な態度はよくないぞ」 「たとえ天野といえども、その言論は確保されなきゃならん」 「ボナパるなよな」 ボナパる、とは独裁主義(ボナパルテイズム)から転じた用語で独裁主義的傾向 を示すことを指し、日常的に使われる場合は、「エバるな」「偉そうにするな」 といった程度のニュアンスで使用される。(p109-110) ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 飄々としてしかし膨大な教養と油断ならない眼力を持つ”刑事”後藤田はつまり 後藤であり、中央集権的仕切屋柴野は間違いなくメガネであり、思いつきを口に しては叱責される天野はチビであり、鍋田・土井垣はパーマ、カクガリでもあろう。 ということは零はあたるなのか。いや面堂か。 前半の反体制の闘士な高校生連中の「リアルな」描写を堪能した後、後半に至り、 謎の老人と後藤田、そして零の間で交わされるペダンチックな「教養」の応酬に どっぷりとつきあわされる。 曰く狩猟仮説。人間とは何であるか、動物と人間の差違を巡る人類の歴史を蕩々と 語る。残りページが殆ど無くなるまでこの応酬は続き、気がつくと物語は終わりを 迎えてしまう。これだけの濃密な論理展開を見せておきながら、結局「吸血鬼」の 存在を「我々に納得させる」だけの説得力を欠片も備えていない。その存在を肯定 するのは、零の「目撃」という個人的な体験だけだ。 押井好きなら読んで間違いなく面白い一品といえる。特に前半など「うる星」の メガネ一派の雰囲気が好きだった人にはたまらないものが有ろう。 「知識」「論理」「組織」がそのまま力であり武器だった時代の濃密な実感。今や 寧ろ「知らない」事の軽さを尊ぶ我々だが、こういう時代もあった(らしい)のだ。 多分。そういう事を思い出させてくれた。 山田正紀による巻末解説がこの作品の価値を明確に説明している。 ”あの”1969年を、その熱の中枢近くで生きた反体制”少年”達/高校生活動家達 の、語られなかった日々がここには見事に噴出している。村上龍の「69」ってのも あったが、これに比べるとあれは「家庭内闘争を回避(ネグレクト)してる」連中 の話に過ぎなかった様にも思う。現実はもっと惨めで辛いものだ。 多少でも押井守のインタビューなどを見聞きした人なら、彼等高校生活動家達の姿は そのまま当時の押井守なのだという事が解るだろう。「間に合わなかった」、メイン ストリームに近づくこともできなかった、ただ熱を感じ、「ほんとうのこと」の存在 を感じながら、それを「経験」する事の出来なかった疎外感。それを抱えて何十年も 生きてきた。 何か信じ難い事件が起こっていた。その断片を垣間見て、しかしその全体を知る事は 永遠に無い。疎外感、というこの独特の感触は、嘗て「ブギーポップは笑わない」で 痛感した「痛みのツボ」の様なものだと思う。 今のこの「現実」を言葉によって「総括」できるだろうか。 僕らはもうつい先日戦争が有ったことさえ忘れたげに生きている。忘れた様に、と いうより「なかったこと」の様に、だ。いや、この国では戦争の総括を誰もして いない。誰にもその全体は見えないから、なのかと思う。戦争の「本当の理由」が 「ある」事は感じながらそれに近づけていない、その疎外感が(少なくとも僕の上 には)ある。目を開き耳を澄ませ。自分がどこにいるのか、時々は目線を上げて。 世界に疎外されている、その事を感じつつ、退屈な日常を、生きるのだ。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (2003/06/20)
乙一「暗いところで待ち合わせ」/幻冬社文庫/2002/04/25 主人公の境遇は、まるで僕とうり二つであった。 彼と違うのは、「その状況」を打破しないまま、すでに5年以上が過ぎている、と いう事位。今、相変わらず飯は独りで食ってるし、休憩室で”仲間”と駄喋る事も 無い。彼等が駄喋っている間も僕は仕事をしているんだから、僕の方が偉い筈 なんだ(本当はそうじゃないことは痛いほど解っている)などと考えているのも 全く同じ。そう言えば殺したい上司も居たけど、ここ数年は仕事柄、他人と関わる 事が極端に少ないので、怒りの感情も湧かない、まあ平穏な日々ではある。 中学生の前半位までは誰とでも話せたのに、段々誰とも話せなくなっていく、 それでも家族兄弟の前では普通に振る舞う、そのギャップ、みたいな下りは、 全くこれは僕の事だとも思えた。が。 が、結局、虚構なのだと思う。僕にとって「恋愛」が虚構の中にしか存在しない のと同じ様に。萎縮した人間が、あんな状況であんな行動を取るとは思えない。 ましてミスリードの下りでは「あ、こんなことしてしまう作家なのか」と、急に 冷めてしまうのを感じた。え、これってミステリだったの?みたいな。殺人、の 持つ重さをこの「状況」がどう受け止めるのか、それを読みたかったのだけど…… で、まあ、斯う言う読み方は馬鹿げているとは思うけど、「”現実”はもっと陰惨 で汚くて惨めで救いがないんだぜ」とかそういう。大学時代、部屋の中で巨大な 一匹の芋虫と化して数ヶ月を送った事が有るけど、決して静かな気持ちでは 無かった。外へ出たい、会話したい、兎に角外へ出なくては、でも外は怖い、と いうあの恐怖。結局僕はそれに正面から打ち勝つ事は無く、殆ど半病人として パソ通世界に没入して、そこを頼りに九死に一生を得るのだけど、あの一日中 じっとして脂汗を流している様な時期を生きた者として、彼女等の「外への帰還」 は、あまりにも美しく軽やかに見えた。僕は今もまだ「自分の部屋」から出られ ないというのに。 独りで部屋で転がってる事を選ぶ醜さを、僕は痛いほど知っている。鏡に映る姿が 「それ」だからだ。それは、決して、この作品に語られる様な、悲しく軽い肌触り ではない。布団の中で朽ちていくのが平安なら、それは(谷山浩子的な)腐臭の する狂気だ。 今ではこんな風になってしまった僕も、中学生の半ばまでは誰とでも話が出来た。 寧ろ積極的に自分と違う意見の人間の話を聞いた気がする。それが何故今になって 駄目なのか。相手の「物語」と自分の「物語」をぶつけて、その共通点を探す (或いは相違点を認め合う)行為が苦痛でしか無くなった、その理由がどこかに 有る。いや、過去はどうでも良い。問題は、どうやったら「また、再び、」他人と 同じ世界を共有する事が出来るようになるのか、という事だ。 「黄色い液体になってひとつに」なることは、どうもこの世界では不可能みたい だし、結局気力を絞って無理矢理会話の中に突入するしか無いのか、と思ったり もする。でも、解る人には解ると思うけど、無理矢理会話に参加して、場が 白けて、仕方なくその場を去った後、後ろから聞こえてくる失笑、って奴に 何度も何度も晒されると、もう何も出来なくなる。どんどん空回りしてしまう。 それに対するこの作品の「解決」は、あまりにも都合が良すぎた。 或いはお互いが、その独白の中でさえ語らない、対話への強烈な願望を秘めていた にせよ、それが明確に語られないでは、僕の様な想像力の貧困な人間には、どうも 良く分からないのだ。緊張感も薄いし、その分熱も無い。低いテンションのまま ただズルズルと「この人は悪い人じゃない」という曖昧な解釈だけで……ってまあ、 その辺はアレですか、富野御大のいう「お肌の触れ合い会話」で解決ですか。 「なれあい」って奴ですよね。でもそれを語ってる訳でもなさそうだし…… 結局、彼や彼女は人間として「まだ大丈夫」なのだと思う。この世に「現実」が、 「外の世界」が、「自分と違う物語」が有ることを皮膚感覚で感じていて、その 世界に向かってちゃんと歩き出そうと思えるだけの健全さがあるから。 僕はもう、かなりその「皮膚感覚」が怪しくなっている。こうして日曜の昼下がり、 独り部屋の中でPCの前に座り込み、活字から得た感想(という名の「寂しいんだよ、 誰か助けて呉れよ」的かまって音頭)をまた文字に起こしている、ただそれだけで 一日を終える様な生活を続けていると、どうやったってオカシクなる。その自覚が あるだけ、まだ生きている、という事なんだろうけど、でも、それも怪しい。 まあ、この作風を「純真だ、カワイイ」と捉えられれば、「あーほのぼのした」 って感想にもなるんだろうけど、僕の口から言ってしまえば「なめんな、世の中 そんなに甘くないんだ。一度自分から集団に背を向けた人間がそのまま年をとると どんな風になるか、見たかったらここに見に来い。夢見るゾ」と。 書いてて流石に情けなくなってきたのでこの辺で終わる。 あ、勿論、世間で言われるだけの才能は感じたし、面白かったんですよ。一気に 読んだし。ただ、Web上での絶賛感想を見てると、だんだん腹が立って来て…… 天の邪鬼っていうか、いや、気を悪くされた方、すいませんでした。いっつも こんなんです。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (02/11/10)
向山孝彦/宮山香里「童話物語(上)大きなお話の始まり」/幻冬舎文庫/2001/07/25 向山孝彦/宮山香里「童話物語(下)大きなお話の終わり」/幻冬舎文庫/2001/07/25 成る程”童話”だと思う。長い童話。いや、寓話、か。新聞広告か何かで見た 「エンデ+クロウリー+宮崎駿」というアオリは、正しい。 正直、この本を手放しで「面白かった!」と言ってしまうのは、本読みとして 何となく「負け」の様な気はする、のだけど、ここは素直に面白かった、と 言っておこう。面白かった!久々に質量のある「童話」を読んだ気分だ。 子供の頃、エンデを読んで眠った夜の様な、妙な満足感。 ”隙”の多さは看過したい。時間とかメートルとか。せめて時間の単位を24で 割らない、とか、そういう「気遣い」が欲しい、とは思った。思ったけど、でも 多分「敢えて」してないんだろう、とも思った。日本の殆どの読者は、ポンド・ ヤードさえ「実感」出来ないのだから。 兎に角、随分長い間、これだけの「力」を感じる「童話」には出会ってなかった 気がする。いや、兎に角、耽溺した。 文庫版にある作品世界解説とか、巻末の巽解説とか、そういうので「馬脚」が、 つまり芝居の馬の足が見えてしまうが如き「内幕話」が、だから非常に辛かった。 作品の成立過程、作者像、反響の広がり方等「作品の外側」に目を瞑りたい、 知りたくない、そう思わせる程に、作品の力は大きかった。それだけ作品世界に 没入していたということだ。 作品が「作品」として遙か過去から存在しているのではなく、現実に作者が存在 して、それが僕と同年代で、評判が評判を呼んで、ネットや口コミで広げた人達が 居て……とか、そう言うことを知ると、何だか作品から引き戻されてしまう様な 感じがした。その意味で、文庫巻末の巽氏による解説は非常に「興醒め」だったし、 Webサイト「童話物語メモリアル」で語られている事共もそれはそれ自体面白い ものだけど、興醒め以外の何者でもなかった。 そんな雑念を抱きたくなかった。作品に、作品そのものに惚れたからには。 でも、雑念を抱いてしまった以上、ここに吐き出すのだった。 以下、「童話物語」好きな人はゴメンねな内容。 僕はこの作品に、過去に出会った「童話」の影を見た。読みながら、ああ、この 感触は昔「童話」から貰った感動そのものだ、「懐かしい……!」 「宮崎アニメ」「エンデ」といった、過去の「童話」のデータベースから、 各シチュエーションに似た「感動」を引き出しては、その感動に「萌え」ている 自分を自覚しつつ、感動もした。感動しながら、どうしても「動物化ポストモダン」 っぽい読みがついて回った。 情報に溢れる現代に生きる我々にとって、万事リミックスならざるものは無し。 だからどう、と批判したい訳ではない。読んでいる間は楽しかったし、読後に 満足感もあった。でも、ここに語られている言葉が「ほんとうの言葉」かどうか、 それを考えると、スレてしまった本読みは、寂しく自嘲するだけだ。 これは「童話」であり、「寓話」だ(でなければ守頭の存在は説明できない)。 物語から感動を得たい、教訓を学びたい人には、必要十分な感動と教訓を与える だろう。それで、十分だ。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (02/11/09)
北野勇作「イカ星人」/徳間書店/2002/08/31 あとがきを読んで僕はちょっとだけにやりとした。 僕が北野勇作(「かめくん」)を最初に読んだときの感想?は、こうだ。 「あまりの投げ出しっぷりが気持ち悪い。消化不良というのでもなく、  何というのか、文系脳の発想(連想)を、論理回路を通さないまま適当に  思いつきで並べた文章を読まされている感じ。  読者がそこから何かを読み取るのは自由だけど、でも文章自体は何も  言ってないのではないか。」 「ただ個人的には、このかめくん的メタ世界認識の面白さ、をもっと「言葉」で  追求してくれればとも思った。でもそういうのは多分この作品の「本来」では  ないのだろうな、と推論する。」(2001年2月7日) つまり僕は作者の意図してやっていることを(さも発見した様に)そのまま ”感想”として吐いてた訳だ。感想でもなんでもねえ。 「読み」っていうのは、そこから先をどうするか、って事なんだよな。多分。 論理回路を通さずにそのまま出てきた塊を、さてどう料理するか、どう解析するか、 そこを怠ったのではこの作者の作品を「読んだ」事にはならない。 結局、この作品という「装置」に「読者自身」を通して、「自分語り」を行う事で しか、この作品の「読み」は完成しない。 この人の作品に「本当のところ」を見いだした、と思った場合、それが本当に 「テキスト」だけから導かれたモノなのかどうか、検証するのは非常に難しい。 大抵は本人の脳味噌を覗いているだけ、という結果に終わる。客観的な(普遍的 な、民主的な)解は最初から存在しない。それでも、その作業をする事を止める のは、北野勇作を読むのを諦めるのと同義だ、と。 ただ、根がテキスト信奉者というか、「テキストに書かれている事以外は全部 客観的なモノではなく”感想”に過ぎないから語るべきではない」という教えが 脳に染みついている身としては、だから恐ろしく語りにくい作品ではあるのだった。 と言い訳だけで「感想」をシメてみた。 内容はいつものアレ。読んでいて気持ちいいのは間違いない。 そしてそこに僕が何を見たかは、僕にしか解らない。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
銀林みのる「鉄塔 武蔵野線」/新潮文庫/1997/06/01 「わたしは全身で鉄塔を感じ、鉄塔のためだけにその1日を費やせる悦びに  包まれていました。それは子供心にも、一生で数えるほどしかない最も  幸せな日の1つのように思われました」(p93) 実際、シメの部分が来るまで、これの何処がファンタジーなのか、と訝りながら 読んでいた。これは単に少年小説なのではないか。少年だったことがある人なら、 誰だってこの手の冒険は(規模の差はあれ)経験している筈だ…… なので、文庫版で大幅に「現実的に」修正されたというラストさえ、「はぁ?」 という気分ではあったのだ。これは何だ!?と。こんなオチあり? 「ファンタジーだから」と言われてしまうと、はぁそうですか、としか言えない けど、何か切なかった……単行本版だとどうだったんだろう。 鉄塔文学。初出時の衝撃は、今となっては想像するしか無いが、結構なもの だったらしい。第六回、ファンタジーノベル大賞受賞。 個人的に、少年が鉄塔に美を感じるのは当たり前じゃないか、と思う。 だって、鉄塔に個性や美を感じた事、ありませんでした?いびつな電柱や巨大な 鉄塔に名前を付けて呼んでいたのは、僕だけでは無かった筈で。後に佐藤さとるの 「ジュンと秘密の友だち」に出会ったとき、ああ矢張りあの感覚は万人共通の ものだったのだ、と思ったものだったけど…… ただホント、「夏休みの少年」小説としては出色の出来だった。 夏休み、よく友達と自転車で知らない町(校区外)まで足を延ばし、買い食い等の 不良っぽい事を(ビクビクしながら)やってたのを思い出した。遊んでいる内に、 畑や工場の敷地や民家の庭に勝手に入り込んでしまい、知らない大人に怒られる、 その震える様な恐ろしさ。親に嘘をついた後の限りない後悔…… 飛び越えようとして川に落ちたり、間違えてバスに乗ってしまったり、自分の思い 通りにならない「社会」の存在に怯えたりしながら、夏の空の下をただ「遠く」 まで出歩いた記憶。 ……やー実際「大人」にはよく怒られた。公共広告機構、じゃないけど、ああいう 「見知らぬ子供を怒る大人」(叱るんじゃなくて、ホントに怒る)って最近居るん でしょかね。少年の世界には。って他人事じゃないのか、もう。 自分の人生にも、嘗ては間違いなく「夏休み」って奴が有ったんだなぁ、と、 まるで他人事の様に思い出した @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (02/05/27)
東野司「よろず電脳調査局ページ11 青の妖精」/徳間書店/2002/02/28 「ページ11」シリーズの第3巻。 うーん。 何か、狭い。一都市圏から外に出られない、その妙な閉塞感。 ミルキーピアの頃は、何より「アミューズネット」っていう、仕様上からして 賑々しい、年中お祭りみたいな(おおらかな枠の)広大な電脳空間が有って、 そこに「潜って」の「冒険また冒険!」が出来たから……「現実」でも漁師町 から過去の世界、南欧から人工衛星まで、ホントにフットワーク軽く大活躍して いた。キラキラと輝くような、あの感触を求めると、だから、辛い。 今回の秀人の「あんな姿」は、正直、見たくなかった。いっそ、二度と出てきて 欲しく無い位、辛かった。「俺たちの時代は終わったんだ」とか言いながら、 過去の、熱と夢の残滓にボロボロに動揺して。いや、解る。解るからこそ、辛くて、 正視に耐えない。 地下にモビルスーツが隠してある位言ってください!とか言いたくなる。 そう思える程に、秀人に感情移入していたのだ。僕は。彼の感情の波に乗って、 一喜一憂したのだ。あの頃。奴の涙に、涙したのだ。だから、なぁ…… いや、解ってる。過去の作品を引っ張り出して、今のはツマンナイ、昔は良かった、 とか言う奴の醜さは知ってるさ、でも、ああ! いや、だって、藤丸とかえでの間、とかはもうどうでもいいんですよ。どっちにも 感情移入全然出来ないし。その時点でこの作品アウトじゃないですか。かえでの 話なんだし。或いは彼女の「成長」にまた感動することも有るのかも知れないけど ……シンクロ率低いです今。 つーか仁美所長萌え。みたいなさ。も少し脇のキャラで展開してくれることを望む。 かえではさっさと藤丸とくっついて主役降板すれー。とか思ったり。何も電脳と 霊(ゴースト)レベルでコンタクトできることがこのシリーズの魅力の「本来」 でもないでしょう。むしろユビキタスな未来をガジェットでどこまで「魅力的に」 見せてくれるか。そこで生きる人達がどんな風に恋をしたり仕事をしたりしてる のか、ソコガモットミタイノデスヨ。他のキャラ折角濃い作り込みなんだしさー。 結局、こう言うことなんじゃないか。 この作品で描かれるネット社会は、「ユビキタスな電脳社会」は、もう、あの夢の 様な「未来」ではなく、僕らの生きるこの現実と全く地続きな所にある。精々 パソ通のブロードバンド版までしか想像できなかった僕ら(小松左京は当然の様に 今を予測していたけど)は、もうあの頃の想像を遙かに超えたところに立っていて、 今もまたその先へと進もうとしている。 現実に「ネット化社会」に突入して解ったのは、結局そこもまた「社会」だって事。 カーニバルのパレードの如き「仮想空間でのお祭り騒ぎ」をやれるかどうか、 楽しめるかどうかは、結局自分次第だ、って事に、僕らは気付いてしまった。 アミューズネットを埋め尽くしてたAIも、イベントも、作っているのは結局人間、 なのだ。当たり前だけど。末端とは言え、その作り手側に回ってしまった事も、 その萎えた気持ちに拍車をかける。 斯くして僕は、もう無邪気に「電脳潜り小説」を(手放しでは)読む事は出来ない。 考証とかそんなんじゃなく……パラダイム、というのか。それが変わった感じ。 それが、この作品に、「あのシリーズ」にあった、無邪気な熱や輝きを観ることが 出来ない、最大の理由の様な気がする。 あのアミューズネットのグランドクロス、目眩のしそうなパケットの渋滞路、 あんなものはもう、どこにも存在しない。全てが整理され、偏在している。 それが、ネット。 ホストに何度リダイヤルしても繋がらなかった、なんて時代はもう霞の向こう。 p162で、ネットが現実世界に流出してくる描写があるけど、それが何となく 懐かしい視点で描かれている。作者は自覚的だ。 キャラSF小説として如何に優れていたとしても、「ミルキーピア」が、今後 「あの頃」の様に、読者に素直に受け入れられるかどうかは疑問だ。あの熱も、 輝きも、過去のもの、かもしれない。それを一番知っているのは、作者なのだ。 嘗ての主人公をこの舞台に引きずりあげ、「俺の時代は終わった」と言わせ、 「自らの手で」葬り去ったのかも知れない。 決して面白くなかった訳じゃない。これだけ読者の心が動揺するのは、それだけ 良く出来ている証拠だと思って頂ければ。それに、旧シリーズを知らない人なら 何の問題も無いだろうしさ。素直にかえでと藤丸、及び彼等を取り巻く人間達の 魅力溢れるキャラ造形に触れて、東野司の味わいを堪能して欲しいもの。 もう読んでる間の「絵」は横山えいじでは有り得ない @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (02/03/22)
菅浩江「永遠の森 博物館惑星」/早川書房/2000/07/31 SFMで93年から98年にかけて掲載された、SF連作集(書き下ろし含む)。 ラグランジュポイントに浮かぶ巨大博物館<アフロディーテ>を舞台に展開する 「美とは何か」に至る(様な)物語。 かなり踏み込んだSFガジェットと深い情感が固く結び合って生まれた傑作。 日本推理作家賞及び星雲賞受賞。FMラジオドラマにもなった。 通して読むと、推理作家賞は兎も角、成る程「星雲賞向き」ではあるなと思える。 変な気負いが無いというか、「SF者に読んで貰えたらそれで良し」的な。 無理に「一般性」を持たせようとしていない感じが、読んでいる間中ずっと 「痒み」の様にあった。特にタイトル作の「永遠の森」なんか、TVチャンピオン ジオラマ王選手権!みたいな感じ。ちょっとそれは……と、SF読者故か、多少 引いてしまう部分も無いではなかった。 でも、考えてみれば昔SFMで「そばかすのフィギュア」を読みながら、もう後半 泣けて泣けて泣けて泣けて泣けて泣けて泣けて泣けて泣けてしょうがなかった 事もあったのだ。読み終わって、「この作者は鬼か悪魔か!いや天才だ!」 みたいな感想を書いた記憶がある。あれなんか考えてみればオタク向けの極致 みたいな話だったけど、当時あの作品はまだ「SFファンだけのもの」みたいな 感触があって。でも推理作家賞、とか言われると……気恥ずかしい(って 何で僕が恥ずかしがるのか。何様だ>自分)。 ……と、まあ、イヤ言から入ってしまえるのは、それだけこの作品の(世間での) 評価が高いからで。これが評価されてない単行本なら、僕は多分  こんなに瑞々しい感性が、深い”共感”が、これだけの密度のSFガジェットに  埋もれずに表面を覆っている。その奇跡!そしてラスト、”我々にとって美とは  何か、美を感じるとはどういう事か”を読者に思わせる、その「締め」に  ハマっていく模様の美しさ!この作者は天才だ! とか何とか叫んでるだろう。実際そう思う。 あんまり「推理小説」って読まないからどの辺が”推理”のツボに入ったのか 定かでないけど、毎回「謎解き」が軸に有るのは確か。その「謎」の技術が 「高密度なSFネタ」になっているだけで。 キャラ小説ではないな、という印象。視点が引いていて、入れ込んでない。 かといって物語構造で読ませるものでもないし……何だろうこれは、と思ってた けど、そうか推理小説だったのか。成程。 まあ自分の「共感」能力の低下ってのもあろう。 淡々としか描かれない主人公に、感情移入出来なかった。つーか最近真面目に (アグレッシブに)仕事してない人間としては、孝弘の「できる奴」っぷりが 跳ね返ってきて痛かったん。仕事が出来て人望があって、自分の世界もあって、 可愛い妻と新婚で。いてて。いててててて。あ、それで行けば美和子の描かれ なさも。これは「謎解き」の為の意図的なもの(過剰なまでに「ピュア」で 無ければならない、という縛りから、彼女自身のを細かく描写出来なかった) だったんだろうけど、うーん。ホントにラストまで出て来ない。それだけ孝弘が 奥さんの事を思い出してない、って意味なのかと(字面通り受け取って)、 ちょっと不気味でさえあった。結婚したら奥さんの事なんてこの程度しか思い 出さないもんなの?とか。そうじゃないんだよな。マスクしてあるだけで。 その辺まだまだ推理小説読みとしては慣れてない自分。 美和子(情動)を隠し、ひたすら「美」に奉仕する主人公の「仕事ぶり」をのみ 描き、「真の感動」を押さえておいて、でもその裏では「美」を論理分析によって しか記録できなかったDBシステムが、情動を記録できる様になって……という 流れを準備しておいて、ラストで足並みを揃えるという。決して作り込んだ 印象は与えない、でもさらりとやってのけるエレガントさ。センスだなー、と 思う。いやホント、数年にわたる連載形式で、これだけの仕掛けを、仕掛けとも 見せずにシュッと纏め上げる辺りはもう流石という他無い。 さてそのラスト。 何故美和子が描かれなかったか、何故マシューがああいう性格だったか、 しつこく出てくるピアノの意味は、唐突にも思える彩色片や植物の意味は。 全ての「理由」を一点に集中したラストシーンの「綺麗さ」。 ドントティンク!フィィィーーール。とブルースリーも言っている。 僕には「美」に対する素養は(絵も工芸も文学も音楽も自然も)殆ど無いけど、 こーやって(年月だけは)長いことアニメやら本やらの「感想」めいたものを 書き続けていると、感動する以前に「言葉」がその感動を描写してしまうことが (しょっちゅう)ある。あーこの本の感想はこういう文章で行こう、みたいな。 真の意味でのセンスオブワンダーて奴は、感じてる瞬間には言葉に変換出来ない。 背筋がゾクゾクして、後から「……ぁあー!何だったんだ今の!何なんだ!?」 みたいな。その「感覚」を、いまだに忘れられないから僕はSFを読むわけで。 ……つーかそんなん(センスオブワンダーの瞬間の情動)記録できたら、そら 神経ドラッグにもするわな。そういう情動記録の危うさ、或いは脳とDBのリンクが もたらす人間性の歪み等々、そういう危険性に対して楽観的過ぎる気はした。 (「抱擁」とか、楽観というか……)そこまで考え出したらこの作品は成り立た ないだろうけど。 うーん、何だろう。焦点が当てづらい感じ。SFガジェットはそれだけでホントに イロイロ語れてしまいそう(いつでも膨大な資料を参照できる「接続された」人の 可能性とか)なんだけど、そっちへは行かないし、「推理小説」たる謎解きの部分も それがメインでは無さそうだし。キャラものって訳でも無いし。もやもやと。 「SFとしては」食い足りない感じ。 多分、もっと「情感」で読むべきなのだろう。「共感」で。描かれない所での 密度が高い分、深い「読み込み」を受け止められる懐を持っている様に感じる。 (さいきんコレばっかだな。逃げてます。) どれか一編、というなら「享ける形の手」。シーターに恋したよ。魅力的だ。 また続きも書かれそうなんで、期待していたい。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (02/03/11)
古橋秀之「サムライ・レンズマン」/徳間書店/2001/12/31 誰か言えよ!「こんなん『レンズマン』じゃねぇ!」って。 嘘。 滅ッ茶苦茶レンズマンでした。悔しいくらいに。キニスンのキャラがちょっと おっさん入ってるかなーて所はあったけど、でもレンズの子らに至るまでの時間を 考えれば。大体スカイラークに比べるとよっぽど「知性的」に感じたレンズも、 実際読み返してみると「スペオペ」なのだよなー。バカ満載。 ……そんでその上ヤングアダルトゆーか、ラブコメゆーか、ジュブナイルだしさー。 やりすぎ。 アルタイル柔術の使い手、盲目のサムライ・レンズマン「シン・クザク」。 超重物質デュレウムの日本刀を帯び、必殺技は明鏡止水。武士道、即ち死に様を 求めて宇宙をムシャバシリで駆けるグレーレンズマンだ。 カンチガイなサムライスタイルが実にこう「くすぐる」。「ドウモドウモ」とか。 直ぐに割腹するし。「バンザイ!」「アリガトウ」…… あらすじ:悪い奴が出てきて、巨大な兵器で地球を狙うので、そいつを倒す。 冒頭の入り方、ボスコーン側のノリ、光速を軽々と超える世界、艦隊戦の雰囲気、 オランダ人共の脳の暖かさ、かなり徹底した文体の統制。うーん「まんま」だよ。 途中からブラックロッドが見え隠れ(絶対強者の描写だから似ちゃうよな)して 「あっ、そうそう、これは古橋作品だったんだ」みたいな。それ位世界設定の取り 込み、かみ砕きが「良く出来て」いた。 実際、レンズマン世界を学ぶ基礎知識として充分活用出来よう。でもって「あの」 とか言われたら、キムボール・キニスンの全盛期も見たくなるというもの。 そこへ持ってきて創元から出るというレンズマンの新訳版!という事? 是非ノって行きたい所だ。乗っていけ。QXか? 問題はイラストか。真鍋イラストの目も眩む(いろんな意味で。トレゴンシーが 可愛すぎるとか)イラストで読んだ身としては、是非岩原氏によるイラスト展開を 期待したい。いや、デルゴン貴族のデザインがもー実にツボにはまって。コレダ! コレダヨ!みたいな。 然しまーこれだけピンポイントで集中攻撃されると。かなり受け身読みになって しまった。「ハッハッハ、いやー、懐かしかった面白かった格好良かった」で、 オシマイに。作品のキュートな部分((c)ヨドチョー)を読み逃しがち。こうまで きっちり作られると、作品そのものに「惚れる」のは難しい。少しは隙も欲しい ……等とワガママな感想を言ってシメる。 それでもGロボみたいな空虚さが無いのは、後半のブラックロッド節があるからね。 最初のページをめくる瞬間(どうしても)アルフィーの歌声が聞こえた世代 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (01/12/25)
草上仁「スター・ハンドラー(上)」/朝日ソノラマ/2001/07/31    「スター・ハンドラー(下)」/朝日ソノラマ/2001/09/30 面白かったよー。と素直に言える様な作品。何て言うか、やっぱ良いね、草上仁は。 暫く新作らしい新作を読んでなかったから、こんな風な作品をものするタイプの 作家になっていたとは、正直驚きだった。ちゃんと「朝日ソノラマSF」に なってて、でもちゃんと草上仁の匂いがする。 異生物訓練士<スター・ハンドラー>。 「全く異質な生物と意志を通わせ、馴致する素敵な仕事」。 人類が色んな惑星に植民して数世代。お馴染み「アイユー」が通貨の世界。 辺境の惑星で異生物訓練士養成校を卒業したミリ・タドコロは 就職活動中だった。卒業試験ではミスったものの、その才能はひょんな事から 見いだされ、斯くして「ゼネラル・ブリーディング社」に就職する事に。 所がこのGBC、行ってみると社員は皆何処かイカレた奴ばかり。 孤独なハンター生活の結果、自分の行動をハードボイルドタッチで副音声の様に 呟き続ける中年男、どう見ても発情した薄汚い男子高校生にしか見えない先輩、 今時使いもしない「書類」を常に整えている事務長、隙あらば辞めてやると 息巻く船長、有名なトリヴィスターにしてギャングにして大金持ちにして王位 継承者……のクローン(違法)、おまけに乗り込む船は溲瓶そっくりと来ている。 美少女には酷な仕打ちだが、どっこいミリ・タドコロ(タドコロの千分の一)は 日本のSF史上希に見るタフさを持ち合わせていて、その口汚さは天下一品、なん だけど、何でそれが嫌味にならないのか、不思議でしょうがない。カワイイ、 つーか、魅力が有る。そばかす三つ編みに弱い人には覿面だと思うがどうか。 たとえて言うなら蓮っ葉な山田栄子系というか。……もろ駄目でした。あああー! 彼女の初仕事は、大スターにしてギャングにして王位継承者…のペテロ・シュルツ が、珍獣「ヤアプ」を飼い慣らしたい、というので、そのクローンを使って馴致 させようというもの。勿論ただペットにしたい、って訳じゃなくて、その裏には 明確な目的が有るんだけど…… 一冊目中盤からぐんぐんと面白味が増していく。何故ペテロ・シュルツがヤアプ を飼い慣らしたいのか、って理由がちゃんとSFでねえ。然も今風の。このペテロ ってキャラもかなり「立って」て良い。常に命を狙われ続ける宿命から、体中改造 しまくってて、お追従の嵐の中でも自我を高く保っている凄み、みたいな。その 好敵手とも言うべきユーニス・ザ・グレイト(こっちは恐ろしい美女で筋金入りの サディスト)もキャラ立ちまくりでかなり良い。ホント、上手いよー。 どのキャラも必要以上に立ちまくりで、おいおいコレで終わりかよ!もっと連中 のバカ話を読ませれ!とか本気で思える出来。是非シリーズ化して欲しい。 (でも「必然性のある変な生物」考えるのも大変そうだな……オチも綺麗に まとまってたし。) 異星生物の描写、芸人まがいの軍隊(この辺は論理的なのに歪んでるという、草上 仁らしい存在)、謎の傷跡を持つ男(傷の理由が泣かせる)、口汚さではこの宇宙 最悪とも言える数学者ムハン魔女、不幸なヤン、操縦桿を握ると人が変わる支配人 (カッコイイ!)そして何よりヤアプの能力の面白味(群の数を一定に保ちたがる、 ってのは「エンディミオン」だっけかでそんな連中が居たけど、その理由はこうだ った、のかも。面白い)。命からがら、紙一重、息をもつかせぬ畳みかけの展開の 向こうに、何かこう、その「世界」が見える。行間の豊かさが桁違いに感じられて。 やー、でもやっぱこの小説は半ば以上キャラ萌えで読むでしょう。ていうか キャラ萌え出読みました。 ミリに対するヒュー(薄汚れた男子高校生、の様な先輩社員、サー、プリーズ) のセクハラまがいの言動が妙にしみじみしてさー。いやー、なんか、うーん。 ……ああいう地の言葉で口汚く会話してみてえよ!ミリみたいな女の子と! とか思った。ああ僕はヒューに嫉妬するよ!マジで。ああ大マジさ! ……ともあれ久々に草上仁の作品を堪能した感じ。正直、オススメッス。 もー何か色々飢えてる @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (01/11/03)
野尻抱介「ふわふわの泉」/エンターブレイン/2001/05/02 正直、このタイトルからは「楽園の泉」は連想出来なかったヨ・・・。 時々忘れがちだけど、真空ってのは「軽い」のだ。水素より軽い。真空で満たした 堅い「気球」で空を飛ぶSFも有った(らしい。大昔)。中を真空にしても大気圧で 潰れてしまわない様な堅さを持った「気球」で、しかもその重量が浮力より軽い ならば。そういうのを開発してしまった女子高生(とその後輩)が、その粒子を 使って事業を興す話。 知人と「アレって女子高生である必要何処にもないよなー」みたいな話を。直ぐに 女子高生じゃなくなっちゃうし。女子高生だからどうこう、っていう展開でも無い 様に思えるし、うーん。大体泉には読者(男子)の視線を引っ張っていく様な機能 (・・・)は殆ど備えられてない訳で(一回脱ぐけど)それでもまあそれで読者が 手に取るなら良しという事なんだろうか。全体的にキャラに愛が無いというか・・・ 薄いというか・・・霧子は可愛かったけど。 「楽園の泉」では軌道エレベータのキーになるテクノロジーはなんと言ってもその ケーブル(軽くて丈夫で長くてテーパ構造で)にかかっているんだけど、この作品 では「ふわふわ」建材を利用して、もっと強烈な奴を作ってしまう。それはさぞや 壮大な眺めであろう・・・こういう「絵」が強烈っぽいシーンはSFの醍醐味だ。 その辺、イラストは結構凝っていて、作者の意図を良く読みとっているなーと感心。 大量に生産される「軽くて丈夫な建築素材」で軌道への道を作る所まで、はまー (あっちゃこっちゃにブレが有るとは言え)「楽園の泉」の子供、という感じなん だけど、「スター・フォッグ」という霧状宇宙知性体が入ってきた所でポイントが よく分からなくなったというか・・・いや、でも霧子(スター・フォッグの模造体 日本版。カワイイ)が居たからこそこの作品が「こういう味わい」になったの だから、それはそれで良いのか。読後感の妙な楽しさっていうのは作品の構成の 不安定さを超えていて、まー、何か、イイナー、と。ていうか霧子萌えー。いや ホントにカワイイよ。ああいう「親人間の宇宙知性」独特の愛らしさはなかなか。 声は桑島法子だと思った。ドロレスですな。 それにしてもラスト数行のオチが見事。「我々が我々で有りながら宇宙へ出ていく」 にはこれが(正直な話)一番手っ取り早いし、唯一正しい正解に見える。遺伝子の 乗り物として生み出されている以上、自分達の遺伝子に手を加えるのは躊躇われる (実際やり始めてみないと解らないけど、多分ためらうと思う)し、「自分」を 情報化してネットワークに乗せたりコピーしたりして平気で居られるとは思えない し、かといってそのままじゃ宇宙に出て行くには脆弱/短命すぎるし・・・オット オチがばれる。 まー然し各所で言及されている様に、あんまりにも「そのまま」すぎかと。ネタが そのままゴロリと入っている、野趣溢れる味わいとでも言うか。場面場面が間の 繋ぎも無く無造作に並べてある。まあこれは然しテキストたる「楽園の泉」がそう だしなあ、という所はあるけど。うーん。 正直小説としての練り込みは「振り子」みたいなのを期待しているとかなり辛い。 でも、SFってこうだよな(不親切な体裁も含めて)というか、SF入門小説として 広く読まれて欲しい、とも思う。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (01/09/10)
東野司「よろず電脳調査局ページ11 鋼鉄の天使」/徳間書店/2001/05/31 ドラッグデータ作成者ジャン・煙山を追って飛行機に乗り込んだページ11の メンバー、姫子。だが、それはジャンの罠だった。ドラッグ音楽により、機長も 乗客も、そして飛行機の人工知能までも酩酊させられてしまい、・・・ 「ページ11」シリーズの第2巻。 どうやら浦島かえでが主人公、と認定されそうな予感。 「どこでもコンピュータ」のこの世界では、人と機械の間を疑似人格ソフトが 取り持っている。その疑似人格ソフトと交感できる能力を持つ(らしい)彼女が この先どんな相手とどんな形の「対話」をしていくのかが楽しみでもあり。 でも、他のメンバー、藤丸や姫子やカッキーや所長、どのキャラクターにも それぞれの過去と目標、その生き様が明確に刻まれていて、誰が主人公で活躍 しても全く問題がない。それだけの魅力がある。ので、そういう話も期待したり する。そうなると、かえでとはまた違った視点でこの世界が見えてくるだろうと 思うんだ。それも楽しみ。 今回、舞台が殆ど空の上(今回は航空機アクションがメイン)ということもあり、 「どこでもコンピュータ」世界そのものの世界観を俯瞰で語った前作に比べると お勉強効果は薄かった。でも、人工知能に対する独特の感触は、あの 「ミルキーピア」時代から何も変わらない、この作者なりの確固とした視点が 感じられて面白かった。 ソフトウェアはソフトウェア。仮想世界に生きる人格でしかない。それでも、 語りかけ、答える事が出来るなら、相手に「我々の解釈」が通用する、のだ。 疑似人格ソフトの作成者がどんな気持ちで「それ」を作ったか。「ミルキーピア」 のイヤリングの話を読んで、胸に詰まったのを思い出す。 操縦不能な酩酊状態から緊急システムを立ち上げて機体を立て直すまでの描写 こそはこの作品の一番の見所で、平易な表現を使いながら、ちゃんとその 「解決」の面白さを見せてくれる。多少スレた読者としては、「まーこう来る だろうなとは思ったけど」という展開なんだけど、それはそれで良いんだ。 実際この作者のネット技術描写の「地に足の着いた」感触は気持ちいい。安心 して読める。流石はその道のプロだなあ、と。 で、「引き」をちゃんと用意してあって、また次巻に続く。期待しよう。 相変わらず読んでる間の「絵」は横山えいじだった・・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (01/08/08)
野尻抱介「ピニェルの振り子 銀河博物誌1」/朝日ソノラマ/2000/07/31 ・・・面白かった。星雲賞を取りかねない。「猫地球」がヤバい。 終盤で伏線がすぱんすぱんすぱーん!!という形で「SF」に収束して行く感触には 背筋に走るものがあった。思わず「おお!」と声を上げてしまったよ。コレはイイ。 良いぞ。イイSFだ。 いや、この「振り子」というタイトルに至るまでの謎解きの美しさには心底参った。 うわっそういうことか!というのが畳みかけでやって来る。挙げ句に「超正常刺激」 でシメるあのラストシーンのエレガントさ。いやー、凄いよ。傑作だ、とそれしか 言えない。「ロケガ」シリーズではイマイチその面白さに目覚めなかった拙者にも、 漸くこの作者の魅力が解った気がする。 この作品の物語背景については既にネット上に多くの解説が有るので簡単に。 19世紀の人間を当座の食料と共に居住可能惑星に放置、当時までの文明を再興させる 中で「シャフト」と呼ばれる、磁力を与える事で超光速に至る推力を生み出す装置と 鍍金城の宇宙服になる液体を「発見」させる。要は博物学全盛期の、徒に知的好奇心 に傾倒したエネルギッシュな人種に宇宙航行技術を与えたらどうなるか、という実験 を「プレイヤー」が行ってる、という設定。プレイヤーは即ち作者という事か。 一応「正体」は設定されているらしいけど・・・ 蒸気機関ベースで動く宇宙船、とか聞くと「おいおい」って笑っちゃうかも知れない けど、オーバーテクノロジーの与え方が巧くて、全然違和感なく読める。設定の あかし方が絶妙なんだろうな・・・力業の設定がちゃんと地に足のついた描写に なっているのは驚くばかり。 魅力の力点がエキセントリックなキャラ設定やら宇宙船の描写やら惑星の風物やら 謎解きやら作品背景やら色んな所に分散してて「ココがイイ!」って言いにくいんで、 とりあえず「モニカ萌えー」と言っておく。(とりあえず?) いや、モニカ嬢の描写が素晴らしかった点を忘れてはなるまい。これはもう 「そういう」視点で読むべきだと思うのだがどうか。草ナギ画伯描く無感動綾波系 美少女に「全裸に粘液」「下着で包帯」「全裸にメッキ・かつその脚の付け根を 下から見上げ」etc.の大技を。ウブな植民地少年の目に映る無防備な宗主国美少女の 姿、その何というかこう・・・興奮させる描写なんだよ!!(・・・) 主人公が一目で恋に落ち、命捨てても平気になる位の美少女像。しかも最後まで 徹底的に相手にして貰えないという。素晴らしい。後期頬染め綾波が駄目だった マゾ系の皆さんには大いなる福音と言えましょう。いや実際「それ」が作品を読む 強力な推進力になっていたのは男子だからしょうがないと思ってくれ。ミャアちゃん の同人誌(脚に書いてあるアレ)だよ。つまり。ああウツボツたるパトスよ! 等と殆どストーリーに触れずに終わったので後で読み返したら何のことか サッパリ解らないだろう。取りあえずウツボツたるパトスをそのまま 発露してみました。SFとしてとんでもなく面白い、なんてのは今更だし。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (01/06/05)
東野司「よろず電脳調査局ページ11 真夏のホーリーナイト」/徳間書店/2000/11/30 買ってはいたものの、片倉イラストがネックで、なかなか入り込めなかった。 読み出したら一気に読めたけど、やっぱイラストが最後まで違和感。やっぱ 横山えいじじゃないと。結局脳内映像は最後まで横山絵だったよ。泣ける展開、 激しいアクション、軽い笑い、恥ずかしくなる程のロマンチックな描写を、 コミカルタッチで包む横山えいじのイラストがあってこそ、あの作品は「ああ」 なったのだ、と個人的には思っている。でもイラストで売れたみたいですね。 この本。やっぱツカミは必要って事。 「季節外れのロマンチックにはそんなことないのよ。  これは必然なのよ。ぜったいに」 内容はホントのホンキで「リニューアルされたミルキーピア」。生真面目なまでの 「リニューアルされた未来観」がうれしい。IPv6で語られる、全ての機械に アドレスが打たれ、全ての機械(とそれに接続した人間)がネットに繋がった 「どこでもコンピュータァァァ」の世界を、自販機ガシャポンといった下駄履きの 視点からきっちり描いて見せてくれる。 実際僕達はまだネットインフラの「完全」に行き届いた世界を体験していない。 ライターや髭剃り(発電はゼンマイで?)にまで電脳が組み込まれネットに接続 される日が来たとき、どんな世界がやってくるだろう?そういう風に想像するのは 楽しいし、それが直接的な未来に待っている気配がするから、興味もわく。 所謂「お勉強効果」は抜群だ。AIがあそこまで行くのは大変だろうけど・・・ この作品世界では、人々は端末を耳下に埋め込み、エレカーは太陽電池で充電 されて走っている。クリーンエネルギーを実現した、いわば「未来都市」。 嘗て特殊能力を持つ者だけが行えた「ネット潜り」は、MVSと呼ばれるネット内の 状況をビジュアル化するツールで誰にでも(擬似的に)行える。彼等ページ11の オフィスは昔の様にパーティションでは区切られないで、顔を付き合わせて 知恵が集結しやすい様になっている。ディスプレイは最近流行のエアタイプ。 当たり前のことだが、「近未来像」ってのは今現在の変化に対応してどんどん 変化していく。その「リニューアル作業」を具体例の上に行うだけの観察力と 想像力が、この作家にはまだまだ余る程あるのだ。それがただ嬉しかった。 後、文章のノリに以前の空気が残っているのも個人的には嬉しかった所。 「ミルキーピア」程くどくはないけど、でもあの独特のくねくね感が残ってて。 久々にこの文体読んだけど、やっぱり楽しい。ああいう「作った」文体って 最近なかなかお目にかかれない。最初ちょっと抵抗があるんだけど、ハマると 実に気持ちいい。 勿論「物語」の出来も良くて、一つの事件を複数のカットから組み上げて収束 させていく手練れの手法は見事。真夏に雪の降る遊園地、ラストでじわりと 泣かせたと思えば、そのまま激しい展開に持っていってガツンと撃ち砕かれる ラストの、あのロマンチックさとハードボイルドさの同居。 これが「男のロマン」って奴か。 ミルキーピアを知る者としては、ゲスト出演とは云え、秀人や鳴琳が出てくるのは (矢張り)嬉しかった。変わらない鳴琳に比べ、着実に年を重ねたと思われる 秀人の、あの物腰の柔らかさ。その辺に何かもう、うわーっと。時の流れがさ。 彼も嘗ては今作の主人公藤丸と同じ熱い(そして痛みを抱えた)男だった。 作品毎に「大人の男」へと成長していく秀人に、自分を重ねたものだったけれど。 所謂「SE」にはなれなかった僕も、もうあの頃の片山秀人と同じ27歳になって しまった。レインボーブリッジは見えないけど、(遠くに)海の見える職場で、 何台ものマシンに囲まれて、ネット上のソフトを相手に日々を過ごしている。 ・・・でも、知識・技術・才能以前に、仕事に対する誇りとか情熱が全然違うよ。 「やらされてる」って奴隷根性が有る限りは、さ。あとロマンスも全然足りねー。 主人公に必要な「過去の痛手(女性関係)」もハナっから無いし。駄目じゃん。 相変わらず社会の底辺這いずってます。あー。 兎も角。 「メリークリスマス」で終わり、「ホーリーナイト」でまた再び幕を上げた 東野司電脳探偵シリーズ。まだ「消えた父親の真意」とか、あからさまな複線が 生きている感じで、多分浦島かえでを加えた続刊があるものと思われる。 (AnimaSolarisでの東野司インタビュー   http://www.sf-fantasy.com/magazine/interview/010102.shtml  によれば、今年前半には続刊が出るらしい) 旧ミルキーピアの「ネット潜り」といった一種ファンタジックな描写ではない、 現実的なネット潜り描写でまた楽しませて呉れそう。続巻が楽しみだ。 電脳祈祷師シリーズが未読の駄目東野ファン @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (01/05/07)
笹本祐一「ブルー・プラネット」/朝日ソノラマ/2000/10/31 シリーズ名が冠されてないみたいだけど、「星のパイロット」の4作目。 ラストシーン見てると、何となくこれがシリーズ最終巻なんじゃないかと 思えるんだけど、どうなんだろう。 正直期待はずれ、というか・・・イマイチ。というのも、今回「飛ぶ」 シーンが無いんで、「そう言うの」を期待して読むと、どうしても点数は 低くならざるを得ないという。 あ、それで「星のパイロット」じゃないのかもな。 今回の主人公は有能なミッションディレクターにしてハッカーにして 悩める年頃の少年マリオと、JPL惑星間生物学研究室のドクターにして マリオの彼女(とか言うと殴られそうだが)の美少女スウ。 この二人の非合法活動(・・・)を中心に周りが巻き込まれていく展開。 早い段階でネタばらしが有るからまあバラしちゃうけど、タイトルの 「ブルー・プラネット」ってのはつまり「第二の地球型惑星」のこと。 ネタを持ち込んできたのはスウ。「ムー」や「東スポ」なネタじゃなく、どうも 本物らしい。でも、それが色々な理由から政府によって隠されているらしい。 研究対象そのものズバリのネタを手放せないスウとしては、これを「最高の魔法使い」 マリオの技で暴いてほしい・・・という。 木星の反対側にある地球型惑星発見衛星を弾く(コマンドを送って反応を見る) 辺りの面白さは如何にもこのシリーズといった感じだったけど、それ以外は 矢張りどうも。このシリーズの魅力は矢っ張り「体感」出来る様な感覚(宇宙船 同士のタイムラグのある通話シーンとか、超音速での飛行描写とか、ああいうの) に求めたい。軌道計算とかの数値だけで面白さが感じられる様になるには まだまだ修行が足りない自分としては。 ・・・あとやっぱどうも主題が見え難くて。面白さのキモが見えない。 詰め込み過ぎ、っていうのでもなくて・・・どうもぼやけた印象が残るのだった。 果たして続きが出るのかどうか、わかんないけど、次はも少し・・・と期待して。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (01/01/11)
山之口洋「オルガニスト」/新潮社/1998/12/20 第10回日本ファンタジーノベル大賞受賞作。 ・・・という風にまず受賞作であることを冠するあたり、ワタシの感想は、まあ そういうものでしたよという。 作品世界そのものに決して魅力がなかったわけでは無いんですよ。学究の世界の 感触を久々に味わった感じもするし。作者の本職が研究職という事もあってか 大学で研究を続けている主人公達の造形は、なかなか伺い知れない彼の世界の リアルな感触が有った。 ただ惜しむらくはワタシが音楽(楽器)の素養を全く持ち合わせていない事位で。 途中で挿入されるパイプオルガン制作のシーンとかで、読者の具体的な印象を つなぎ止めようとしているのかも知れないけど、その辺の知識が無くてどうにも。 まあ、いわばびっくり箱の様な作品。前半の、一見前世紀のドイツかとも思わせる 空気(意図的なもの)で作品世界を包んでおいて、中盤から一気に近未来へ持って いくその強烈さ。読んでいて「オイオイオイオイ」とつっこみながら、そのもの凄い 変化球ぶりに幻惑されてしまう。強烈な角度で物語世界が曲がっていく感触は、実際 希有な読書体験では有った。ジェットコースター的というか。いや寧ろミステリー ハウス的か。どこに出るか分からない。 アラは至る所にある。ミステリとしてもSFとしても、ツメは平均以下。根がSFの 徒の私には、正直耐え難い部分もあった。ミステリにしたって、もっと巧い説明が あるだろう、あまりにもご都合主義だよ、という思いが、どうしても読み手の感情の 足を引っ張る。惜しい。でもファンタジーノベル大賞取った理由はわかる。そういう 作品。読んで、そのマジックに引っかかって貰わないことには。 あの幻惑感、アレこそがこの作品の真の価値かと。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (00/07/16)
新井素子「チグリスとユーフラテス」/集英社/1999/02/10 第20回日本SF大賞受賞作 ほんっっっとに(素ちゃん調に)遅ればせながら読了。 読書家の皆様の大絶賛を聞くにつけ一日も早く読みたかったのだけど、結局 今頃になってしまいまして。いやまあ何で今更新井素子の気持ち悪さでそんなに 話題になるのかと思ってたら、ホントに気持ち悪かったという。成程こりゃ凄い。 なまじホラーじゃなく「SF」だっただけにその気持ち悪さは直球で、久々に 脳をグスグスと刺激した。 人生は無意味だ。だがヒトは諸行無常という事を知っていて、それでも のほほんと暮らしていける、矛盾を抱えた生き物なのだよね、うん。 という様な話。人生に意味を求めること自体意味がないし、意味がないからと 言って生きるのを止めるわけにもいかない。人生に意味なんて無いんだと 悟っている振りをしてても、その実「自分がこの世に生きた意味」を最期まで 求めてしまう。理不尽だ。だがそれが人なのだと。 ・・・まあ、そう言うことが延々と書かれていたという。異常なまでに狭い 「理屈」を、手を変えず品も変えずただひたすら何回も何回も何回も何回も 何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も密室でしつこく聞かされ続ける ことで、洗脳される様にその「濃さ」にハマっていくという。狭いんだけど、 途轍もなく濃い。この気持ち悪さ!! そうやって一旦この「新井素子世界」(素ちゃんワールド)に頭まで浸かって しまえば、結構面白く読めたですよ。いやこれはこれで面白いんです。谷山浩子を 聴くのと同じで。このいびつな空間の中に「キモチワルイ・・」とか言いながら 浸ることこそ新井素子を読む最大の理由なのだから。読書にマゾヒスティックな 快感を求める人間としてはね。兎に角気持ち悪い。最期まで気持ち悪いんだけど、 それが良いんだよ。ああ、何て言うか・・・それがつまり新井素子なんだ。 出てくるキャラ出てくるキャラみんな途中で作者自身の言葉と混ざり合って しまうし(昔から意図的に斯う言うことをする人ではあったが、今回のこれが 果たして意図的なものかどうか)、そもそもそのキャラの書き分けが出来ない (手持ちのパターンが少ない)のはもう「星へ行く船」以前からそうだったわけで。 いやもう「これこれ、これだよ、これが新井素子」という感じ。だって 「レイディ・アカリ」っすよ、「レイディ・アカリ」。このネーミングセンス。 もう普通じゃないじゃないですか。 読後感としては、ああ、こりゃ正統「日本SF」だなあという。一旦絶滅したあと 外からやってきた別の世代によって再発見、再生へと向かってる(と思いたい) 「日本SF」の中で、「新井素子」はその絶滅した世代(具体的に名前は挙げないが HとかKとかTとかMとか)の土饅頭の横に横たわっている「最後の子供」な 訳ですよ。あの時代までの日本SFで育った人間にとっては否定しようもない真実の 「結果」。祭りの後(SF大会なんか行くとそういう「終わった祭りの残滓」が モロ見えて凄いよ)。 そんな訳で、ルナちゃんという「惑星ナイン最後の子供」「社会によって永遠の 子供である事を強いられてきた老女」は、SF界における新井素子の位置と 見事に重なってて何とも言えない。そういう読み方した人結構居たみたいだから これはこれで意図してたものかも知れない。そう言うことを意図的にやるんだよ この老幼女は。 「風虎日記」でみのうら氏が指摘した様に、新井素子を読む楽しみは殆ど トンデモ本を楽しむのと差異がない。それは昔からそうだ。「違う次元」で 生きている人の思考をトレースするのは、実に気持ち悪くて、楽しいのだ。 (これが例えば17,8の女の子なら「不思議少女の魅力」って事になるん でしょうか)・・・ただ、トンデモはトンデモな訳でですね・・・ああ、でも 「日本SF」なんだよな。しょうがないよな。「日本SF大賞」だもんな。 あの大原先生の選評 「新井素子は、いわゆる新井素子的な口語風文体ではない文章で、小説を書くことが できる」ってのは、「・・・と思いたいけどやっぱ無理でしたテヘ」みたいな皮肉 なのでは?違うの?ホントに?「SFの明るい未来を感じた」ってさ。プロじゃないと わかんないのかなあ。 「SFJapan」でやってたT偶数ファージの話なんか、あんた何年その話 やってんの、という不気味さこそが最大の魅力だったり。 世の中にはトンデモ本をトンデモとして楽しむよりは、「本気」で楽しんでる人 の方が遥かに多いのだ、という事を忘れがちな昨今、気をつけたいものです。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (00/04/23)
光瀬龍「夕ばえ作戦」/ハルキ文庫/1999/10/18 大岡山中学一年生の砂塚茂は、古道具屋で不思議な機械を手に入れた。 部屋でその機械を弄っているうち、彼は急に別の世界に投げ出される。 戸惑う間もなく襲いかかる忍者!それは現代と江戸時代を繋ぐタイムマシン だったのだ!斯くして茂は伊賀者を率い、罪なき百姓町人を苦しめる 風魔忍軍と戦うことになるのだった・・・ うーん。やっぱり「ノスタルジィ」抜きには読めない。勿論リアルタイムで 読んでた訳じゃないし「少年ドラマシリーズ」も後付の知識なんだけど。 古き良き昭和40年代。子供世界に「夢」が充実していた頃。この時期独特の 空気が非常に懐かしい。読んでいると、あの頃の、単純ですっきりした世界観に 脳が立ち返っていく・・・自分の中の少年魂みたいなのが燃え上がるのだ。 鍛え抜いた忍者達をも凌ぐ現代(1965年当時)の少年達の体格・運動能力、 手近な道具(懐中電灯やビニールシート、ラジコン飛行機なんか)を強力な 武器に変えてしまう自由な発想の楽しさ、そして何より敵方風魔の少女、 風祭陽子の、男勝りで勝ち気だけど実は女の子らしい所があって云々、の この美少女ぶり!!!妹の陽子のこまっしゃくれた感じも実に時代で良い感じだ。 「妹」がああいう描き方されなくなってどれくらい経つだろう? 茂の仲間達もそれぞれにキャラが立ってるし、敵キャラも個性があって良い。 ・・・感情描写が薄いのはホラ、スピード感を殺さないために必要だと思うし。 中学生だしさ。で、このラストの、スピード感を殺さないままぶつ切りに 終わっていく感触が、その後ワタシの「日本少年SFってこういうもの」という 感覚を決定したという。まさに金字塔。 同時収録の「暁はただ銀色」は、上に比べると構成もしっかりしていて、もう 少し大人っぽいというかSFっぽいというか、真面目な感じ。その分ノリは 負けるけど。 百合が丘中学の3年A組では、最近休みがちの宮野理香の事が話題になっていた。 級友の佐々木啓子は友達と連れだって放課後見舞いに行くが、理香は精神を 病んで無くなった母がそうだった様に、自分も最近幻覚をよく見る、いずれは ・・・という。啓子は夜の迫る夕焼けの中を、級友の市原健の家に向かう。 「理香ちゃんのことだけど、ちょっと相談があるの・・」 この辺(p225)までの導入部の懐かしさと来たら無い。赤い夕映え。踏切のランプ。 遠い警笛。市原健の部屋のガラクタだらけの描写とか、もー辛抱たまらん。 中身のないテレビの箱が椅子代わりにおいてある部屋なんて今時無いよ。昔は 「男子」の部屋ってホントに「拾ってきた」ガラクタだらけだったけど、最近は そういうのって、無いんだろうなあ。 「夕ばえ」に比べると大人が協力する事もあって物語はどんどん広く壮大に なっていく。今回読んでいて、ふと日本地図を片手に読んでみたが、そういう 読み方をしている自分がこれまた何だか懐かしくてさ。いやー、何かあの頃の 自分ってのが今での自分の中で息づいてるのがわかって面白いというか何というか。 ・・・いやもー、SF小説としても十分面白いんだけど、読んでる間の喜びを まとめると、結局「懐かしい」の一言に尽きる。懐かしい、ってのはもう それだけで最高のスパイスなワタシ。「そう言う人」には問答無用でお勧めです。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (00/03/14)
犬丸りん「おかたづけ天女」/角川書店/1998/01/30 「おじゃる丸」の原作者、犬丸りん氏の短編集。 凄い。 この「身も蓋もない」味わいは、この作者唯一無二のものだ。 以前朝日新聞での連載コラム見てて、この作家の「才」は、その 卓越した人間観察眼にあるのだと得心がいった。この人は見ているのだ。 じっと、世の中の「人」を。そして、普段なら決して「物語の主人公」には なり得ない人達を主人公にした「お話」を考えているのだ。その おじゃる丸の様なシニカルな瞳で。 身も蓋もない、と書いた。 どの話もラストは世に言う「めでたしめでたし」では無い。全ての短編に 共通しているのは、「世の中は思いこみと勘違いで出来ている」という 淡々とした「事実」だと思う。この本に描かれた人達の生き様を見ていると 「人」は思いこみと勘違いがなければ生きては行けないのだ、と痛感する。 自分が持っている「生き甲斐」も、所詮は「それ」なんだ。 何というか・・・現実には、殆どの人(ワタシ含)は、「主人公」に なれないんだ、という当たり前のことを痛感させられるのよ。ま、この 作品に出てくる人はみんな「少しヘン」ではあるけど。でもそれを言ったら 「少しヘン」じゃない人なんて居やしない訳で。 誰も彼も、たいしたもんじゃないのだ。誰も彼も、そこそこの人生を それぞれの場所で生きて、死んでいくのだ。そこにどんな「異常な」 ドラマがあったとしても、世の中にそれを取り上げられることは永遠に無い。 見えない所でドラマは進行し、見えない所で終わっていく。今も都市の片隅の 古アパートで、この作品みたいなドラマが行われている・・・のかも知れない。 いや、別にそういう暗いトーンの作風じゃないんだよ。読み手のワタシが そういう暗いトーンの人間だからそういう風に読んじゃうだけで。 もともとはミモフタモナイあっけらかんとした「お話」ばっかりが 詰まっていて、まあ他人の人生をちょっとつまみ食いしたいという、所謂 野次馬根性を満たしてくれる、「人生短編集」とでも言えそうな面白本で。 オススメなんですよ。ええ。単純に「読んで幸せ」ってのを求めなければ。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (00/01/15)
天沼春樹「水に棲む猫」/パロル舎/1996/08/30 かつて日本に「高度経済成長期」というのがあったらしい。 東京オリンピックを10月に控えた1964年。「成長」に熱中する大人達に 忘れ去られた少年達の世界。少年達は<祭司>と呼ばれる少年に従って、猫を 川の中へ放り込むという残酷な「儀式」を行っていた。 「猫は水の国で生きる」。 「ぼくたちは退屈していたか、頭がおかしくなっていたかのどちらかだろう」 (p17/19) この「儀式」が熱を持ち、そして虚しく終焉を迎えるまでを時系列に沿って描く。 妙に鮮やかな読後感。妙な臨場感。休日に忍び込んだ工場の開けた敷地で 澄んだ空を見上げているイメージ。周りには誰もいない、その静けさ・・・ ・・・だが、これは、一体何なのだ。この本を、この物語をどう捉えたらいい。 「ただそれだけ」なのか?この本の、活字の上に表面的に語られていること、 それだけの話なのか? 一読した限りでは、全く「それだけ」の様な気がする。それ以上の深読みを いっそ拒否するが如く。少年時代の思い出、ただそれだけ。物語が「ぼく」の 中で語られ、「ぼく」の中で完結している、読者には判断が投げかけられない。 国語の教材には不向きだろう。「感想文」が書きにくい。 ・・・ああ、そうか、これは「スタンド・バイ・ミー」なのだ。ラストで 「仲間」の「その後」(死んだり)が描かれる所なんか、そっくりだ。 ただし舞台は日本の、薄汚れた、汗くさい、ドロドロの、より「懐かしい」世界。 「世界」の描き出し方は非常に巧い。その場の空気を読者の脳内で再生させる 腕前は見事。読んでいる間はとっぷりとその「高度成長期」の「子供の時間」に 浸ることが出来る。少年の視点で見た「世界」の印象が懐かしい。こういうのが 巧い作家なのだろうか。 この作品を介して自分の少年時代を語ることも出来よう。かつて「少年」だった ことのある、そして、ファミコン登場以前にギャング時代を過ごした人々には 多かれ少なかれこの手の「行進」をやった経験があるはずだ。5、6人のグループを 作って、他のグループと抗争をしたりして。 だがここで「それ」を語ったところでどうしようもない。大体余程巧い語り手 でもない限り、この手の話は聞き手に「はあそうですか」としか反応のしようが 無いものだ。この本は「はあそうですか」を超えている。その意味でも 「スタンド・バイ・ミー」なのだった。 ・・・どうも多層構造の「小説」に慣れきっていたので、どこかに「仕掛け」が あるんじゃないかと探りながら読んだんだけど、やっぱり「それだけの話」 の様な気がする。どうなんだろう。いや、どっちでもいいんだけど。 *「猫は水の国で生きる」という発想からは、筒井康隆の「池猫」が強く浮かぶ。  或いはそう言う「思想」が現実に存在したのかも知れない、とふと思ったりも。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (00/01/13)
久美沙織「MOTHER - The Original Story -」/新潮文庫/1989/08/25 キューピーにんぎょうなぜなくの/それはカナリアがなくからよ サルがうたえなピアノもうたう/ピアノはおばけがひくのかな さばくのサボテンさみしそう/ひとりでよなよなうたってる ドラゴンたおれておんぷがのこる/イヴがさいごにうたうとき クイーンマリーにじかんがもどる/ラララふしぎなララバイよ ララバイララバイさようなら・・・・(「MOTHER」プレイ当時のメモより) 長年夢見ていたのだ。この本を読むのを。 10年ごしの出会い。贈って下さった(初版で美本!)後藤氏にはただ感謝。 で、まああんまりにも頭の中で理想化が進んでいたので、実際に読んでみると 「うわ全然違うじゃん」とか。でも面白かったんだ。流石に語り継がれるだけの 事はある。Webで有料配信されたりしてるだけのことはある。 ゲームに限らず、アニメや漫画のノベライズは基本的に敬遠してきた私。 今までに読んだのは、ソノラマの数冊位だろうか。あ、あと富野は別だけど。 だから「おお、こういうのも有りだったのか」という感じ。成る程なあ。 ゲームの中盤でパーティに加わる少女が主人公、という。少女の目を通して 語られる少年達の冒険。「MOTHER」というゲームが、かなり意図的に 「少年の心」を描いた作品だっただけに、この選択の巧さは光る。 あのゲームをやった人なら解ると思うけど、やっぱり感情移入はあの帽子の 主人公にしてしまう訳で。何だか嘗ての(ゲームに没入している)自分を 客観的に描写されたみたいな気恥ずかしさもある。 文体そのものや、少女の心情描写、挟み込まれるオタクネタ、過剰気味の 恋愛感情等々、「全盛期の」久美沙織がここに封印されている、という感じ。 ・・・私にとって久美沙織はあくまでも「丘ミキ」の久美沙織なので。 いや、懐かしかったです。 「ああ、もう。男の子って、なんてバカなんでしょう。鈍感なんでしょう。」(p95) 「全く、男の子たちって単純なんですもの。生きてくの、絶対楽ですよね。  女の子より。」(p119) 男の子ってバカじゃないの!?っていうのと、ああ、やっぱり凄い、なんて 身軽なんだろう、なんて素敵なんだろう・・・!ていうのがぐるぐるしてる 感じがもう実に久美沙織的。ちょっとフェロモン出過ぎな所が特に。 クイーンマリーの世界、あのピンク一色の世界で「子供」に帰ってしまう ケンとロイドの二人に違和感を感じる下りを読んでて、「MOTHER2」が 出た頃に、香山リカ先生が「普段はエロゲーやってるお兄さん達が、 MOTHER2の前では急に純粋な少年になってしまう不思議」という様な 事を話されていた(と思う・・・確証無し)のを強く思い出した。 そういう身勝手(?)な「男の子性」に対してのツッコミというか、ちょっと 斜に構えた感じの視点、これを「MOTHER」の、しかも終わりまで プレイしない段階で(とあとがきにある)ここまで書いてしまうあたり、矢張り 流石と言う他は無い。ちゃんと本質を突いている。 「MOTHER」(FC)というゲームの素晴らしさは今更語るまでもないと思う。 あれはホントに巧妙に「エロゲーやってる様なオヤジ」が「純粋な子供」に なれる仕掛けが施されていて、真っ正面からやると、かなり胸を突かれる。んだけど だからってそれをそのまま文字に置き換えたんじゃ意味がない。プレーしていく 中で立ち現れる自分の中の「少年」を客観視して切り出してしまう事で、展開には 割と忠実なノベライズでありながら、全く違う作品としてしまえる才能。 この半キャラずらし的な差異こそが魅力「だった」のだ。今はどうか知らないが。 オチのSF的解釈も綺麗にハマって、ゲームをプレイした人間にも 悪意なく読めるなかなかの傑作でした。うーん、こうなると2の方も 読んでみたい・・・どこかの古本屋でで見かけた折りは、お知らせ下さい。 ・・・(当時の)久美沙織の描く少女たちの心理、っていうのは、今思うとしかし 新井素子の語る少女の心理ってやつと同じで、全然普遍性はないのだよな。 単に「異質」なだけで。でも当時のワタシは「おおお女の子ってこういう考え方 するんだ・・・!」とか思いこんでた事だよ。痛い目にも遭った。ああ痛い痛い。 でも死ぬまでにあと2回位は丘ミキを読み返しておきたい @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ ・・・にしても、MOTHER3っていつになったら出るんでしょう。 (99/12/09)
大原まり子「ハイブリッド・チャイルド」/早川書房/1993/08/31 大原まり子を読むときは、いつも「今更ながら・・・・」と言い訳を している気がするけど、ホント今更。 評価が定まらない内は読む気もしない、ってのが一つ。 面白くない訳じゃない。読んでる間は思い切り没入する。 と言うか没入させられる。でも、好んで読みたいとは正直思えない。 濃すぎるんだ。超高カロリーでベタベタした流動食を、無理矢理 口に押し込まれ続けているような読感。 ・・・それほどに作家性/影響力が強いのだ、と思し召せ。 「ハイブリッド・チャイルド」とは−”組み替え自在の特殊金属ユニットの 骨組みに、バイオ技術で作り上げた細胞を肉付けした宇宙戦闘用メカ”− サンプルB群、をこう呼ぶ。この造形そのものに「SF」を見るものである。 内容は三章に別れる。 「ハイブリッド・チャイルド」は、この戦闘用メカ・サンプルB郡のIII号機が 「脱走」し、精神不安の女性のクローンとして生み出された挙げ句せっかんで 殺され、今は家付きの人工知能と化している少女「ヨナ」と出会い、 その死体から細胞をサンプリングするまでの過程がサイコホラー調で描かれる。 「告別のあいさつ」は、そのサンプリングから生まれた「ヨナ」(心臓と 核融合炉が小さな胸の中で二つ燃えている!)と老人の静かな生活と別れ。 そして、巻の大半を占めるのが第三章「アクアプラネット」。 狂ったマザーコンピュータ(アナクロだが字義通りの)ミラグロスが 支配する世界の、悪夢の如き魅力。退廃、とはまさにこれ。 バーの中で確率をぬって生き続けている魚とか、首や羽のない、丸焼き 状態で生まれてくるニワトリ(遺伝子操作による)の野生化した姿とか、 地下迷路に水が入り込んだ水中世界、風花、シバラーマウス、スヤウト#3、 教会、アディアプトロン人、スダレ傷に覆われた顔の男・・次々と現れるイメージの 豊かさと描写の確かさは、久々のセンスオブワンダーを感じさせてくれた。 大原と言えばボーイミーツガール。 廃墟の都市で出会う少年(でもないけど)と少女(メカだけど)。 「こんな、この世に一つしかない不思議なものにめぐりあって、たがいに  魅かれあっている、この信じられない幸運・・・ドキドキする、その  不思議な姿を見るだけで胸がときめく、いまおれは生きてる」(p244) 出会って、一緒に遊んで、恋して、心が移って、でもやっぱり大切、と 思ったときにはもう死んでいて−と、これだけ見ればなんだか少女漫画ですな。 「なにかを好きなとき、生きてるものはみんな生きるのよ・・・」(p197) トギシ小惑星帯の少年=青年=中年=老年の話とか、印象的な挿話も。 そして、大原と言えば「肉」。 自分で産んだ「母親」の肉を食らって身体を再構築し・・・ 「血の穢れ」のイメージの濃密さ、嫌らしさ。削ぎ落とされた少女から 豊満な女の肉体(精神)への成長に対する極端な嫌悪。 「豊かで、大きくて、重くて、醜い、このぶよぶよの白いかたまり!」(P328) 成長を嫌悪する余り、豊満なその乳房をちぎり取る。精神の成長とともに 「母親」の肉を纏うことで少女から女に「成長」してしまったヨナが、 その「母親」の精神の醜さを嫌悪しながら、しかし同時に理解してしまう気色悪さ。 この「肉」「血」に対する愛憎入り交じった感触こそは、 初めて大原まり子を読んだときから一貫しているものだ。 こういうのって他の作家でも感じた事があるけど、全部女性だった気がする。 ・・・思うに、女性にはそう言う、自らの「肉」を疎ましく感じるときが 有るんじゃないかしら。いや直接女性にそう言うこと聞いたこと 無いから知らないけど。・・・拙者も結構「お肉の楽園お肉の楽園」な 肉体ですが、そういう感覚は(少なくともこれまでは)無かった・・・ 或いはイヤラシさなら、ヨナ(少女モード)の肉体描写の、 ロリータコンプレックス的な部分は強烈。華奢な胸や手首を突き破って 血塗れで出てくる機械(中身は戦闘メカなんで)等、もうこれでもかという 「性的描写」のイヤラシサ。「ベルセルク」を思い出す。 この辺を軸に語れば、母親と娘の永遠の因果とか、血は水よりも濃いとか、 遺伝情報とセンスとか、いくらでも(中途半端な)切り口は有る・・・ んだけど、なんかまとまらないのでやめました。駄目駄目〜。 ・・・壮大で幻惑的で、兎に角面白かったんだけど、でもじゃあ 一体この”お話”って何だったんだ?何が言いたかったんだ?そういう感じ。 展開されるイメージの、その種類/量の巨大さにただただ幻惑された、 だけど、これだけの話なのに「教訓」が何も残らない。「物語」として これを「名作SF」とは認めたくない・・・SFってのはもっとこう (以下偏見のため256行削除) でも、これが大原まり子なんだよね。と。何にしても特異な作家なのだ。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/08/27)
笹本祐一「ハイ・フロンティア 星のパイロット3」/朝日ソノラマ/1999/04/30 結局の所、このシリーズってのはミッション−「フライト」そのものにこそ その最大の魅力がある訳で、その他の部分はその「フライト」を 如何に困難克つ魅力的なものにするか・・・という位置にあるのだけれど、 その意味で今回の「ジャガーノートの脅威」はイマイチ実感の沸かない (充分有り得る話なんだけど)もので、物語展開の「動機」としては、非常に 辛いところだった。とにかく決定的に「敵」の影が薄すぎた。 まぁ、事件の当事者たちにしてみれば命がけのミッションだった わけだけど・・・うーん。惜しいかな。駄目でしたね。 やっぱ電子戦(・・なんつーアナクロな表現か)ってイマイチ ダイナミックさを欠くよな・・まぁその辺こそは作者の力量の 見せ所なのかも知れないけど。 その分冒頭からの60ページにわたって繰り広げられる XB−70Aヴァルキリーによる超音速の空中戦描写は素晴らしかった。 旋回半径の値とか、そういう数字の使い方が実に巧い。 空気の層を切り裂いて飛んでいく喧しい物体、の感じが実感できて。 あとチャンの・・・というか大佐の「秘密兵器」登場シーン(p252)には 正直爆笑したり。思わず大受け。ベタな笑わせに見えるけど、可笑しみは あくまでもリアルの延長線上にあって、だからこそ笑える、そんな感じ。 このシーンは一読の価値あり。見たら笑うよ。保証する。 ・・・美紀の唯一の見せ場とも言えるあの法廷のシーンには、ちょっと ズレを感じたり。宇宙開発に投資する金があるなら、環境保護に (或いは福祉に)もっと力を入れるべきだ!ってのは、まあ 言われてたんだろうなあ・・・昔は。でもねえ。 アポロで湯水の如く金を使っていられた30年前なら兎も角・・ 惜しいかな斯う言うところで全然リアリティを感じられないのだった。 ただまあキャラ萌えを軸にすれば、これはこれで結構楽しめた。 特に10代の天才カップルが良い感じで。作者もここぞとばかりに 「そういう」描写するし。シートに固定、の描写とかさー。 取り敢えず、このままシリーズとして展開するなら、こういう 「大きな連鎖が音を立てて」的なのはちょっと勘弁して欲しいというか。 いろんな機体でいろんなフライトをやってみせてくれれば、それだけでもう。 読みたいのは、あくまで「飛行機乗り」の話。「飛ぶ」事の快楽を 真っ正面から味わえるあの描写をもっと! ・・・いや、面白かったんですよ、一応。 前二作程じゃないにしても、ということで。 宇宙行ったり帰ったり、それだけでいいんだ。それだけで血が騒ぐ。 こないだから始まった国際宇宙ステーションの組み立て作業とか見てると もう興奮してしまって仕方ないのだった。 ああ、早く、一秒でも早く、宇宙世紀を。 人がその足で月面を歩いてから30年。もうそろそろ良いだろう。 もう始めたって良いだろう。SETIの電波解析に世界中の人が参加したがって パンク状態、とかいう話を聞くと、その全員でカンパしたら 火星ぐらい簡単に行けちゃうんじゃないかとか。 ・・・驚くべき事に、人類は未だに火星に降り立ったことがないのだ・・・ BSの「人類、月に立つ」だけを楽しみに最近生きている @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/06/09)
犬丸りん「偏愛」/読売新聞社/1998/12/31 なんか時流モノって感じもしなくはないんですけど、一応。 どの短編も、どこか変。どこか怖い。でも愛がある。 だから偏愛、なのか。 読んでみると、こう、愛の形に「尋常なモノ」なんか 無いのかもなあとか思ってしまう。 「どこか普通じゃない」人たちがどこか普通じゃない人生を送る。 その人生もまた良し。セ・ラ・ヴィ・・・いや、良いんだよ。良いんだ。 変なんだけど。 結局この辺の何とも言いがたい魅力こそが この作者の「資質」なんだろう。全ては。 「おじゃる丸」の「変さ」のまだ数段上を行くというか。 読み終わったときの「あたたかさ」は、ちょっと不思議に心に残る。 「愛のめざめ−和尚篇」のラストの空気とか。 「竜宮商事」のあのじわっとした終わり方も、何か良かった・・・ どの短編も、読者の予想を裏切って、裏切って、でも心地よく終わっていく。 物語のひねり具合、というかヒネクレ具合が実におじゃるテイストなのだ。 で、やっぱアレでしょう、最高だったのは「ガラスの心の健さん」。 あのラストはたまりませんな。個人的に須藤真澄の「アクアリウム」という 漫画を思い出してみたり。切ないといってこれほど切ない、幸せだけど切ない、 そんなラストはそうそうあるもんじゃなくて。 妻に去られて10年。男で一つで娘を育て、ついでに熱帯魚飼育にハマった健さん。 ある夜、雷雨の夜に帰ってこない娘に心配し(娘はその頃大人への階段を 勝手に上ってる最中だ)、停電のせいで水槽の熱帯魚は全部死んじゃって ショックでぶっ倒れて・・・でも、それでも、ちゃんとラストが「あたたかい」。 純粋にハッピーとも言えないけど、人生なんてそんなもん。 あのおおらかさ、というか、「生きていく」人間の強さ、みたいなものは 本当にこの作者の「資質」故だなあ・・・とか思うのだった。 短編の中にさりげなく「時間」を織り込んでいるのも特徴。 どの作中にも必ずそれぞれの短からぬ「人生」の時間が流れてて。 ・・・まー、でも、それだけっちゃあ、それだけなんですけどね。 おじゃる好きの人もそうでない人も、残業帰りに立ち寄った本屋さんで ちょこっと立ち読みしてみたりすると、わりかしほっとした気分で 家に帰れてしまう、そんな本です。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/05/18)
小松左京「継ぐのは誰か?」/角川文庫/1977/05/20 何故今頃、今になって−というのはですね。最近「SFへの遺言」(1997)という 小松左京対談集を読んだんですけど、そこで「名作」「傑作」とうたわれていたから なんですよ。久々に「教養読み」をしてみたくなって。 小松作品は僕がSFの道に足を踏み込んだ、その最初期に様々な短編集 (あの頃は日本のSFなんて短編しか無いと思ってた)で楽しませて貰った 記憶が有るのだけど、長編らしい長編は、多分「復活の日」位しか 読んでないんですよ。だからホントはこんな駄文書いてる暇が有ったら 読めよって話なんですけど。 物語は、ヴァージニア大学都市のサバティカル・クラスのメンバーに、 彼等の中の一人、チャーリィを殺す、という予告がもたらされる所から始まる。 既に他の大学でも同様の予告と、そして殺人が行われてしまっており、この予告を 重視した警察やクラスのメンバーはチャーリィを護ろうとするが、結局 殺されてしまう。しかもその犯人はクラスのメンバーの一人、クーヤだった。 追われ、逃げ込んだ先で感電死したクーヤの身体を解剖した結果、「彼等」が 電磁波を自由に操る能力を持つことが判明する。彼等ホモ・エレクトリクスの 身体構造は単なる突然変異では説明が付かず、彼等の源流を探るため (何せ「彼等」はコンピュータネットワークにも容易に進入し、その痕跡も残さず データを書き換える能力を持つのだ。ネットワークに依存しきった現代社会で、 彼等の存在は放っておくには危険過ぎるのである)、クーヤの出身地、 南アメリカへと向かう・・・・ 如何にも古い。しかも悪いことに、古さによって意味を失ってしまう類のSF。 ・・・それでも、当時持っていたであろう輝きを幾分かは感じることが出来た。 先に挙げた対談集で言われていた、サバティカル・クラスの 羨ましいほどの、若さと知性に溢れた「仲間」の雰囲気は確かに素晴らしい。 あとは、矢っ張り先見性とか。コンピュータネットワークの描写が「外してない」 のは流石。 「その書きこまれている記録装置のおかれている場所がシベリアであって、  ふいにとり出したい場所がリオデジャネイロであっても、そんなことは関係ない」 (p112) とか、ネットワークの中で情報が扱われる姿を割合に「正しく」 捉えているのには驚く。 しかし一方、ジャングル(この作品の後半は、秘境モノとしての側面が強い)へと 踏み込んでいく際に、まず辺り一面に殺虫剤を散布して回ったりする描写が 嫌が応にも「時代」を感じさせずにはおかないのだった。この辺、時代による 人の意識のズレってのは、結構有るな・・・とか思う。 まだ、ジャングルは「秘境」で、人類の英知によって 「切り開かれるべき」と考えられていた時代・・・ みんな地球には厳しかったんだねえ。 −で、まぁ正直「なんやそれ!」的展開のまま終わってしまって。 主人公達がもの凄い勢いで計算/推測を展開していくシーン (この辺がイイらしい)も読んでる方はちっともエキサイティングじゃない。 ・・・そう(ああこれも読者としての私がスレてしまったからなのかも知れないど) センス・オブ・ワンダーがまるで、欠片も、無かったのよ。 ・・・ああ・・・正当な評価はその時代背景をきっちり解った人が やるべきであって・・私なんぞは「読んで思ったことを口に出してるだけ」なんで その辺はご容赦を・・でも・・あんまし、オススメは、しないかな・・・と。 ・・・所詮「教養読み」を平気でやる類の駄目人間の戯言なんで。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/03/29)
天沼春樹「飛行船帝国」/ほるぷ出版/1993/07/31 装丁・挿画が激イヤ。 ドイツ製複座グライダー、アレキサンダー・シュライハーASK-13で 飛行訓練を行っていた大和健夫少年とハインリヒ・リヒター教官は 乱気流に巻かれて雲に突入。と、雲の切れ目から現れる巨大な影。 それはなんと飛行船!一体ここは? ひどく古めかしい飛行場に着陸すると、この時代は昭和4年だという。 彼等はタイムスリップしてしまったのだろうか? だが、我々の知る昭和4年とはどうも歴史の流れが違っているらしい。 ここでは、飛行機に変わって飛行船が発展を続けていたのだ。 彼等は「アンチボデスの世界」、我々の世界とは歴史を異にした 世界に紛れ込んでしまったのである。 と、まあ有りがちと言うか懐かしげな設定な訳ですが。 この作品の凄さというのは、昭和初期「少年小説」文法を 貫いて書かれていると云う所にありまして。 「さすがは日本少年だ!」とか。 設定は兎も角、文体の「ノリ」だけなら昭和4年当時の「子供の科学」に 連載されていても全く違和感が無いだろうと言う出来。 最新鋭の飛行船、エキセントリックで天才肌の若い博士、 有能で勇敢な少年達、謎の中華美少女、敵の巨大飛行船、 南海の孤島に立つバベルタワー、その下層の闇市、怪しげな洗脳装置 その他諸々。実に「らしい」ではないですか。 その場その場の状況描写、風景描写の語り口も実に少年小説していて。 海野十三の少年SF小説とかにハマッた人なら結構楽しめるのではないかと。 ただ・・・ あの手の「少年小説」の良さというのは、矢っ張り「当時」の臭いが 見え隠れする所にも有るので、これはその「まがい物」でしか無い と言うところが泣き所ではあります。当時の作品は「当時の作品」という それだけで色々付加価値が有る(当時既にこんな物語/アイデアが 存在していたのか!とかそういう興奮)物なのですが。 まあしかし空から見下ろすこの世界の摩天楼都市描写なんかは 実にイカした感じで良かったです。 あの頃の「未来都市」ってのには、結構ビルの上に飛行船の発着場が 当たり前の様についていたりするんですけど、 それが再現されていて良い感じでした。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (98/11/30)
笹本裕一「星のパイロット」/朝日ソノラマ/1997/03/31 笹本裕一「彗星狩り [上]」/朝日ソノラマ/1998/02/28 笹本裕一「彗星狩り [中]」/朝日ソノラマ/1998/05/31 笹本裕一「彗星狩り [下]」/朝日ソノラマ/1998/07/31 と言う訳で「ブギーポップ」に続いて 「話題のジュブナイル」に手を出している私。 然しこれがまた面白くて。 笹本裕一を読むのは・・・中学時代に「エリアル」を勧められて読んで 速攻で挫折して以来だから・・・10年は軽く飛んでいる。 「妖精作戦」が最後だったかな。 で。こんなに面白かったっけ、この人、という。 この4冊はシリーズとなっており、以後も続刊が期待されるものである。 「星のパイロット」はいわばこのシリーズのイントロダクション。 キャラ紹介と舞台・時代設定の紹介。作品の雰囲気の「ツカミ」という所。 イントロだけど完成度は無茶苦茶高い。 西海岸のハードレイク空港にある「スペース・プランニング」社に 新たな宇宙飛行士としてやってきたミキ・ハヤマが、宇宙に上がって、帰ってくる。 それだけの話。でもその「それだけ」が無茶苦茶面白かった。 ミッションを立て、それに向けて機体を整備し、訓練し、実際に打ち上げて・・・ 宇宙、というよりはむしろ高空での飛行機の動作、とかそう言う描写が ひたすら背筋をゾクゾクさせてくれた。 「機体が音速を超えているから、機内はかなり静かである」とか。 「すぐ上に宇宙が見えるぜ」とか。 どんどんどんどん航空関係の知識を連続投入してくるのに、 それが全然「お勉強」臭くない。この辺はホントに上手いなぁ・・・とか思う。 名台詞も満載で、 「トラブルが起きたときに大切なのは、冷静な対処、そしてすばやい決断だ。  知ってのとおり、この世では時間が一番高価くつく」(P196) とか、実に斯う、イカス。 ・・やっぱ、現代に生まれたからには、 一度なりとも高軌道から地球を眺めてみたいものだ・・・・ で、その続編たる「彗星狩り」がもう。 正直無茶苦茶面白かったわけです。 発表された初期に「これは「SF」か?」という話があって、 確かにこれは「SF」じゃないかもしれない。 内容はタイトル通り、有人宇宙船で、現在接近中のヨーコ・エレノア彗星に (この彗星はアルミをコーティングしてあるので「ディープインパクト」 の彗星みたいなコトにはならない)一番乗りをした会社が、その運営権 (宇宙空間での水資源の確保)を得ることが出来る、という「宇宙レース」 の形で展開されるこの物語。 「宇宙レース」なられっきとしたSFじゃん、とか思われるでしょうが、 あくまでも「現実」的に物語が展開されていく為、どうしてもSF特有のケレン、 というかマインドから遠いような気がする。 淡々とミッションを積み重ねていく・・・・ 一応各船には個性付けがしっかりしてあって、 特にそれはエンジンの違いで表されているのだけど・・・詳細は面倒なので省く。 ちなみに我らがスペース・プランニングのエンジンはプラズマロケット。 比推力は小さいが、稼働時間の長さで速度を稼ぐタイプ。 他にも「月の石(ムーンブラスト)」を燃やして飛ぶエンジンとか。 これって初見なんですけど、実用化の話は有るんでしょうか? 地球から遠ざかるに従って通信のタイムラグがどんどん開いていくあたりとか、 宇宙船同士での中継とか、兎に角「こういう状況になったら現実に行われるであろう」 状況が(地味派手選ばず)どんどん提示される。 それはもう惜しげもなく、という感じ。 まージュブナイルと言うことで、キャラ作り(可愛い宇宙飛行士、 大中国企業の御曹司、美女の社長、少年のミッションディレクター、 (美)少女の惑星間生物学者・・・)に嘘が無いと言えば嘘になる けど、それはそれ、キャラの魅力有ってのジュブナイルでしょう。 それに、「美少女学者」スウと車椅子のハッカー少年マリオとのラブコメ☆ とかもあるけど、基本的には数字と物理学が支配する世界で、人が如何にして その彗星までたどり着くか、という殆ど「ドキュメント」な作品だし・・・ ・・いや、まんが的キャラの魅力もかなりあるか。 キャラの魅力だけで読み進んだ部分も有った・・・ 劉建とジェニファーなんかはまるで「マンガ」で好きだなぁ・・・ 宇宙放射線病(松本!)に冒されたデュークの「職人」的な所とか ヴィクターのプロっぽい喋りとか。ヴィクター好きです、キャラ立ってて。 ガルベスも好き。ガルベスと言えばこの作品だと ツーソン航空宇宙整備再生センターの下りですが。 この辺、似たような光景を一度写真で見たこと有るんですが 青空の元、見渡す限り果てしなく爆撃機のアルミの機体が並んでいる という有り様は、現実の物とは信じ難かった記憶があります。 多分航空機雑誌とかに載ってるかと思うので一度御覧になると、このシーンの リアリティが増すかと。 そう、唯一の不満としては、「イラストが少なすぎる!」ということに 尽きたですよ。兎に角こっちは無知蒙昧の輩なので、 「リフティングボディって何?」て辺りから入ってるわけで。 もっともっとイラストが欲しかった・・・宇宙船なんか各船体の図解とか 欲しかったですね(多分設定は有ると思う)。 キャラはこっちで補完するからさー。 何つっても「SFは絵」な訳で。 いやもう、是非お薦めです。面白かったですよう。 今から次の作品が楽しみな @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (980921)
天沼春樹「猫町 ∞ mugen」/パロル舎/1997/05/25 装丁に引かれて手に取った。読みたい、と思わせる、引き込む様な装丁。 エジプト風味。タイトルを挟んで猫ミイラが二本、立っている。 装画は出久根 育。 この「パロル舎」という出版社の名前を、私は初めて知った。 でも実のところ、装丁の空気と中身には一切リンク無し。 表紙に偽りあり、だ。違和感すら感じる。 中身はむしむしじとじとした夜の「ニホンの」町。 主人公は商事会社に勤めていたのだが、出向と言う形で今「ネコトリ」をしている。 急な入り用でネコトリを強化したいのだが、今日は一向に捕まらない。 かくして、ネコトリなら知らぬ者はないという「猫町」へ足を向ける一行。 この「ろくでもない町」で一番若い洋ちゃんという少年と一緒に組まされた 主人公は、行きがかり上、素性の知れない女の家へ上がることになるのだが・・ 猫の皮を何に使うのか知らないが、都市伝説のレベルで「猫捕り」の話を 最近結構耳にするので、案外斯う言う人達は実在していて、夜の町を捕虫網もって 彷徨っているのかも知れないな・・・ 正直「ふーん・・・」という読感しか無い。 「講」へ新しい血を、という(幻想世界なりに)理に落ちた展開には、 妙に冷めてしまうものを感じるのだった。 いっそ何も謎解きをしない方が良かったかも。 ふーん・・・という読感とは別に、読書中に体感した どぶ川の臭いや湿った蒸し暑い空気や猫の冷たい足の裏や女の黒い姿や 猫の手触りなんかは、かなり鮮烈な印象として残った。 現実とも虚構ともつかない、現実世界と地続きの「闇」の雰囲気を 見事に描いている。 この印象、夜の猫町の印象は、読後暫く頭から離れなかった。 多分これからも、折り有るごとに思い出すのではないだろうか・・・ 何か昔読んだ者に近い印象があったな・・・と思い出すに、恐らく筒井の短編の いずれかであろう。筒井の描いていた「夜闇」と同種の臭いを嗅いだ。 昼間のハレーションを起こしている暑さと、夜闇のどろりとした暑さ。 どちらにしても、夏読むと結構ハマりそうだ・・・ 冒頭及び巻末の「夢」と非常に良く似たものを見たことがある @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (980520)
山田正紀「神狩り」/早川書房/1976/11/30 うーん・・・・・・。 確かに、凄いわ。この説明不足ぶり。 ラストの暴力的なまでの終わり方は、何というか 「荒れた」時代を感じさせて、良い。 1974年(初出)当時作者23歳。23・・・ 成る程確かに「天才だ!!」と騒いでしまう様な出来である。 牽引力のある文体・ストーリー、的を得た状況描写。 非常に「頭の良い」作家という印象。 各章の最初に「現在」の描写があって、読者はまずそこへ放り込まれる。 それからおもむろに、そこへ至った経緯が説明されていく− というのを、章毎に繰り返し、これが特殊な雰囲気を醸し出している。 物語は、有り体に言ってしまえば「神」の存在を感じ取った人々が、 その「神」に対して果てしない戦いを挑む姿を描いたもの、である。 「神」の挑戦状である<古代文字>を解読することに、有史以来 命を懸けてきた者達のドラマ・・・ 想像を絶する構造(文字通り、人間の脳レベルでは理解不能)を持った <古代文字>に、情報工学の天才、島津圭助が連想コンピュータと共に挑む。 驚いたのは「連想コンピュータ」の使い方で、今から24年前の 作品だというのに、その「使い方」が全く古く感じられない。 まぁ学究に使う場合、それ程「使い方」に変化は無いか・・・ 学究の徒にとっては、コンピュータと言っても「速い計算機」の域を出ない訳で。 詳細な描写がないというのも幸いして、其処だけが今も 妙に真新しく見える。−というよりも、他の描写があまりにも 「時代」を映している為、其処だけが浮いて見えるような印象。 薄暗いバーや長髪の学生達、その学生運動に揺れる大学構内の描写や その他諸々が如何にもな70年代初期の臭いを強烈に放っているのだった。 何せ相手は人類の想像を絶する<神>と呼ばれる存在だ。 所詮釈迦の掌の上の悟空の如き人類。手も足もでない。 秘密に触れようとした者は、ほんの一ひねりで消されてしまう。 「だから、奴の前にはいつくばったままでいろ、と言うのか?奴が好き勝手に  ふるまうのを、忘れてしまえと・・・・」(p142) 斯う言う「絶対的な敵としての神」てパターン最近見ない。 「神を狩り出す」等という無謀なまでの壮大さも、考えてみれば 70年代日本SFの臭いが色濃いではないか。 いわば「なめんなよ神々!!」といった「若さ」。 人類がまだ全宇宙を、自らの創造主を相手に戦っていた、戦えた時代。 全く歯が立たないと解っていながら、それでも一矢報いたい、 ひとあわふかせるだけでいい、あとはどうなっても・・・と言った 熱いたぎる血が、当時のワカモノには流れていたのだ・・・ 等という下手な「読み解き」は置くとして。 ただこの作品自体は紙量が少ない為か、何となく大長編の序章、 プロモーションフィルムという感じを受けた。 「本編」は書かれているのだろうか? それにしても今、これ程 「誰かに操られるのが嫌だ。俺は自分の意志で行動する!」とか 熱く思っているワカモノは居るのだろうか。今やこの社会そのものが、 時の流れに身を任せ、流れの中で身を処す「賢しさ」を身につけてしまった。 ヨウメイ氏位かも。彼なら、神の存在を知った瞬間、命懸けで 狩り出すだろう・・・・ ・・・・・あ!居る、居るわそう言う人達! トンデモ本書いたり読んだりしてる人達だ。 ユダヤとか。フリーメーソンとか。エロヒムとか。 毒電波から身を守るために壁中に銀紙を貼ったりしてる人達。 彼等は今も「神」と戦い続けているに違いない。 我々一般市民は、強大で無慈悲な神の掌で転がされ、ある日突然 何も解らないまま命を絶たれる。 その中で、彼等は最後まで抵抗し続け、前のめりに死んでいくのであろう。 だが、ああ、「神」はあまりにも強大だ・・・ やっぱり「いつか猫に」を思い出した @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (980519)
酒見賢一「童貞」/講談社/1995/1/27 酒見賢一を読むのは久々。でも1995年作品なのよね。 何となく手にとって読み始めて、気がついたら読み終わっていたという。 伝説王朝期の古代中国(と思われる)、大河の河畔にある女性上位の邑 シャのシィでは、女性がその邑の実権を握っており、男性はただそれに仕えるのみの 完全女権社会が営まれている。これは子供を宿すのは女のみの力であり、男は その能力のない不具者といった考え方が社会通念となっているからである。 妊娠は媒(正しくは「示某」と書く。子を求める祭を高示某(コウバイ)と言った) という力による者であり、男はそのきっかけをつくる程度の存在なのだ。 男は肉体労働に従事し、或いは大河の氾濫を鎮めるために贄として殺される。 ある年、その贄に選ばれた男が自分に時間を与える様に言い、 男達の力を持って治水工事を始めるのだが、工事半ばにして大河の氾濫の前に 負れてしまう。 果たして彼が女達の手によって切り刻まれる所から物語は始まる。 その男を尊敬していた少年ユウは、その死を見て女達に復讐を誓う。 美しく成長した彼は、邑の女系社会に組み込まれるのを拒み 全てを破壊して旅立つ。この辺の下りは古典的な物語構造といえる。 身体を傷つけ、足を引きずりながら放浪する姿は聖人冒険譚の類の香りがする。 ・・・何というか、女性が読んで気持ちいい作品かどうか・・・ 男の復権の物語、の様な所があって、今一つ。だがこういう性差による権力構造の 転換というのは結構有ったのかもな、とは思われる。ぬくぬくとした女系社会から 力が正義の男権社会への転換は、有ったろう。其れが良いか悪いかは別として。 ・・・ラストの開放感は意識しての事だろうが、その後彼がどうなって行くのか についての言葉が無いので、今一つ。治水の夢はただの妄想で終わったのか 或いはそれを治めて王にのし上がっていくのか・・・ 絵的には諸星大二郎。「幸福の沼」とか。 あ、でも「ナムジ」との類似点も多いし・・安彦良和的かもしれん・・・ そこそこお薦め。矢っ張り文章は読ませるし、言葉遣いも気持ち良い。 ぐいぐい読ませる力は本物だ・・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (97/10/05)
秋本康「目薬キッス」/角川書店/1995/6/30 実は秋本康の小説、と言うものを、僕は初めて読んだ。 80年代後半をテレビの前で過ごした人間にとって、秋本康の「感性」は 一つのノスタルジィを持って感じ取られるのではないか。 最近おニャン子の曲を聴くと、もうそれだけで涙腺が弱まる私・・・ 何にせよ、ひどく懐かしい・・・。 この第一話が月カドに載ったのは、1994年4月号。 忘れもしない、その号は 「総力特集:100万人の少年少女へ−大槻ケンヂ特集」だった。 この特集に影響されて、僕は再び筋肉少女帯を聴き始め、後に 高円寺を彷徨う羽目になるのだ。 徳島城公園のベンチに寝転がって、この特集記事を読んだのを 昨日の事の様に思い出すが−。 その号に新連載としてスタートしていたのがこの「青春小説」だった。 何となく「仲良し」な8人組、「校章を胸にピンで留めるフェルトの生地はブルーと 指定されているのだが、僕たちはいたずら心を起こしてオレンジ色で統一した」 為に、オレンジグループと名乗る彼等の、その中学三年生(またしてもか!) 時代を描く。恋があり、喧嘩があり、仲間の死があり、彼女が妊娠し−・・ と、まぁ実に濃いドラマの「ありがち」路線まっしぐらなのであるが、連載当時 イラストを柴門ふみが担当していたことからも解る様に、かなり「懐かしき学生時代」 の匂いがする。90年代的な描写も少ないし・・ 特に「教師」が嫌な奴に描かれているのが印象的だった。 「将来のことをよく考えるように・・・・」  お決まりのパターンでしめて、やっと解放してくれたけど、三食弁当を食べながら、 カップ味噌汁の底のワカメを気にすることがアベセンにとって良く考えた将来のこと だったのだろうか?  僕は、もちろん、そんなことは聞けずに、ペコリと頭を下げた。(P19) 確かに中学時代、教師というのは理解出来ない矛盾だらけの大人、の 代名詞だったものだ。リアルに懐かしい。 教師は嘘ばかりついていた。僕等の問いには答えてくれなかった。 そうゆうものだ。  結局のところ、人は誰も孤独だ。  血を分けた親子であれ、兄弟であれ、あるいは心を許し合った親友であれ、所詮、 別々の意志を持つ二つの肉体なのだ。  お互いを共有することはできない。  つまり、自分以外の誰かと、喜びも悲しみも怒りも痛みも幸福感も何も、同じように 分かち合うことはできないのだ。  これを、孤独と言わずして、何を孤独と言うのだろう?(P150) 理解し得ない「他人」との共存の意味、僕が「それ」に気付いたのは、実は20歳を 越えてからだ。「人は理解し合えない」という認識から始めないと、何も始まらない。 エヴァはまさにドンピシャだった訳だが・・・それはまた別の話。 主人公の「家庭の事情」の複雑さ、そこから生まれる淡々とした空気、ああ 秋本だなぁと思う。「あの頃」の僕はこういうのに憧れていたのだ・・・。 「家」とは何か。一旦完全に解体した「家」が、複雑な形ではあれ再構築される姿が 丁寧に描かれていて、そのへんは作者のこだわりを感じた。 或いは「仲間」とは、何か。 「そんなことしたって、また同じことのくり返しさ。オレンジグループは、家族じゃ  ないんだ。それぞれに家族がいて、それぞれに問題を抱えていて、それぞれに違う  人生があるんだ。みんなでそばにいても、それは、淋しさを埋めるためのひまつぶ  しでしかないんだ」 「あきらめてしまったのね?」 「あきらめてしまったんじゃない。期待しないことにしたのさ」(P171) 単に「気の合う」というだけで集まった「仲間」は 一度別れると、「再結成」はし難い。実際去る者は日々に疎し、が 身に沁みる歳になった。それでも、やっぱり「仲間」なんだ、と。何か有れば 駆けつけてしまう。家族でも無いし、利害関係も特にない。ただ一緒に時を過ごした それだけなのだ。だがそれが、それこそが最も大切な「何か」なのだろう。 映画的で、閑かで、でも確実に時間は流れていって・・・ 卒業式の「あっけなさ」が見事。一生記憶に残る「あっけない」瞬間が描かれている。 こういうの、ホントに巧いよな。当然と言えば当然だけど。 だって天下の秋本康だぜ。・・・でも、ホントはもっとこう「賑やか」なのかと 思ったのよ。こんなに淡々としてるとは思わなかった・・先入観・・・ 妙に好きな一冊では、ある。 でもそれは作品自体が好きなのか、そのモチーフとして使われた背景が好きなのか、 ちょっと判断がつかない。時代を超えていける作品だとは思わない。 僕も勧めない。ただ、気恥ずかしさのない、「青春小説」をたまに読むのも 悪くは無いなぁと思ってる人には、お勧めするかな、と。 たまには振り返ってみるのも良いものです。 あんまり私みたいに後ろばっかりみて生きているのもアレですが。 基本的にはまえむきで・・・ 中学生に対して、云ってやれるだろうか。 「大人は面白いぞ。早く、大人になれ」(P223) と。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (97/09/27)
草上仁「無重力でも快適」/早川書房/1989/2/25 高校時代、この本を読みたいと、どれだけ夢見たことか。 隣町の町立図書館で開かれた古本バザー、 そこでこの本が転がっているのを見てワタシは驚喜した。 っていうか4月に手に入れて何で6月に読み終わってるか>俺。 実質は4時間くらいなんですけどね>所要時間。 草上仁'87〜'88の、真に絶頂期に編まれた短編集である。 収録されたどの作品も傑作で、これぞSF!といった 「正統派」の香り紛々たる名品ばかり。SFで切なくて・・ もう言うこと無し。各短編にはきちんと「オチ」があり、 ひねられたソレは、古いスタイルながらも衝撃的で、新鮮だ。 SF短編「定型」の魅力が詰まっている。 表題作も笑えるし(後のビジネスマンものの走り?)・・・ 「太公望」はその各登場人物の個性が渋くて素晴らしく、読んでいて本当に飽きない。 短編とは言えこのキャラクターの作り込みはどうだ。兎も角魅力的である。 「ヘイヴン・オートメーション」は、テーマがテーマ(職場のOA化)だけに 古臭くなりそうなものだが、今読んでも全く褪せないブラックさである。 それに徹しているのが「プロ」っぽい。 然し何より、この単行本の要は 「ウィークスを探して」だろう。 もうこれには参った。ノースウェストスミスシリーズを彷彿とさせる− −具体的にはあの「シャンブロウ」を彷彿とさせる設定。 だが、単なるパロディというにはさらに深く、然し草上短編ならではの気の利いた、 ひねったSFオチ、がラストに待っている。テーマそのものの哀しさ (例えば、シャンブロウを魔性の生き物と知っていても、それでもシャンブロウしか 愛せない男、の様な−)、アイデアの奇抜さ、オチの効き方、全てが一流である。 全てがこれ以上ないくらい「SF」なのだ。 アイデアだけではない、SFは絵だ、空気だ、というならばこの話の冒頭の描写、 「タブ−どこにでもある、資源開発星。  タビア−どこにでもある、活気と汚辱に満ちた港町。  クロムとプラスティック、レーザーとキセノン・ランプの繁華街。  酒と食物の匂い、香と麻薬の薫り、ざわめきと歌声、  快楽と誘惑を約束する暗い路地。」(p167) もうこれだけで充分。イラストは自ずと松本零士が浮かぶ。 正直先日読み終えたばかりの「女王天使」文庫上下巻、よりも この一編の方が「よりSF」的な感動を与えてくれた。 少なくともこの頃の草上仁は天才的だった・・・。 いや、やっぱり草上仁は面白い。読者を楽しませる自信に満ちていて、 その自信たっぷりの筆致が、読者に安心して「騙される」快感を与えてくれる。 会社員をやりながらの、二足の草鞋のSF作家。 堀晃氏などと並ぶ、その代表格。 それが作品に「現実感」を与えているのだろうか? 地に足のついたSF、というか−。 虚構の感動は現実の延長線上にあってこそ、なのだ。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (97/06/03)
S-Fマガジン11月臨時増刊号 「現代日本SF作家25人作品集 The S-F Writers」早川書房/1995 ぐわ〜 やっと読了。 正直、玉石混淆。 とは言え、各作家、特に短編を幾つかものしている作家達の「個性」が 見事に見られます。 いかにもこの作家らしい、という内容ばかり。 新井素子は奥様(ダンナは先輩だし・・)の視点から物語り、 大原まり子は壮大な視点で美しい世界を展開 梶尾真治はこれまた感動的に泣かせる展開。 川又千秋はロジック先行だし(面白いけどクライトンかと思った) 神林長平は相変わらずの複雑構成だし 菊池秀行はその「D」や「アムネジア」の如き荒涼とした世界観が素晴らしい 草上仁はアイデア、語り口とも以前の軽快さを取り戻しているようだし 久美沙織は須藤真澄的(わかんないか)な世界を相変わらず軽く描くし 栗本薫はその意地の悪い視点が、ここ数年の傾向をよく表している。 椎名誠は相変わらず「水」と「漂流」だし 清水義範は言っていいなら「パスティーシュ」してるしさ・・・でもSF。 菅浩江は「踊り」だし 高千穂遥は・・ちょっとイマイチかな。いや、新たな世界なのかも 田中芳樹は中国だし 谷甲州は宇宙の猟犬(好きだねどうも)だし 東野司はオヤジの悲しさ心得てるし 中井紀夫は登ってるし 野田大元帥は「宇宙」(これがまたイイ!)だし 火浦功はハードボイルドバカだし 眉村卓は・・ちょっと解せない。少なくともここに書くべきでは無いと思うが 岬兄悟はこれまた相変わらずの無気力による融合合体(流行)だし 光瀬龍は閑かに時間を旅し 村田基は、ありゃ、これは以前に同じネタを本人がやってた様な?いいけど。 山田正紀は丁寧かつコンパクトにまとめてその力を示し 夢枕獏はまたイロモノTVとチベットである。割と傑作・・・ この本に限ったことではないが、例のアニメの最終回以来、どうも 何とはなしに、「SF」というジャンルの拡散、衰退の結果をまざまざと 見せつけられる心地ぞするのよ。 何度も繰り返してきた例の「読者自身の感性の衰退」、と言って 逃げられるものではない。 主な柱が、何よりあまりに古びてしまった。ホコリだらけ。 僕はせめて感性の「若かった」頃にSFに出会ったから、その「古さ」も感じ なかったが、人は永遠に中学生で居られるわけもないし・・・ 数多くの物語に出会ってしまえば、殆どの「センス・オブ・ワンダー」仕掛けは ツマラナイものと成ってしまう・・・のかなぁ。 でも、レズニックだけは、違うね(森本レオの声で)。 あの人の作品がに出会わなかったら、どーなっていただろう・・・ 兎も角。 アメリカでそうであった(らしい)様に、当然の事ながら日本でもこの 20年(!)という長い時間の中で、浸透と拡散の後、SFは老いたのだ。 それは考えれば当然の事であり、別に哀しむことでもない。 20年前に滅びはじめた「SF」とはまた別の方向で、この文化観は 受け継がれているのだし。 そーだね。最早「SF」は、それをリアルタイムで感じた人のオモイデで あっても良いんじゃないかしら。 とかね。 僕は、残念ながら、そのオモイデを共有は出来ないけど。ただ、「この世界」で 聞いたことを、知ったことを、後の世に伝えることはもう意味が無くなってきている のは、確かだ。新たな世代は、古い物語に縛られる必要はないぜ。 古い物語のオイシイ所を現代風にアレンジした、それに初めて当たればいいのさ。 何も古典から学ぶことは無い。「センス・オブ・ワンダー」が有れば。 ・・・すまん。僕が初めて「SF」として読んだのは、火浦功だった事を ここに告白する。偉そう言ってる立場じゃないね。 という様な事を考えつつ、テーマを「SF」に置き換えて見れば実に泣けるのが 誰あろう菅浩江の「賎の小田巻」である。長い導入ですまぬ。 踊りの師匠でもある作者の、面目躍如と言ったところか。 いちいちのセリフが、SFと置き換えられるのを見ると、まるっきり仕掛が してないのでも無いだろう。 作者のことばに言う 「 SFは、開拓期・浸透拡散期を経て、個人的にはますます  面白くなってきたと思います。小説ジャンルがカオス状態  になっているからこそ、「今だ、チャンスだ、出撃だ」とい  った気分があります。さて次はどんな本を書こうかな・・・」 この姿勢。 この作者の物語は、幅は広いが古典的、それでいて実に上手い。 読まれた方ならうなづいても下さるだろうか、「そばかすのフィギュア」で 僕は泣いた。道具立てがきちんとSFだった所も良かったが、物語の「根」が SFだったから・・・ 何にせよ、この「賎の小田巻」は、この作品集の中でも一二を争う出来。 機会が有れば是非ご一読を。 物語は、そもそも「泣く」為にあるのだ。最近そう思う。センス・オブ・ワンダー(以下SOW) も、背筋を走る感動が、涙を呼ぶ。 で、何が言いたいかというと、「泣かせ」の名人も数名この作品に収録されていて、 もうそれが全て泣ける!という・・ カジシンのなんかこれが泣かずにいらりょうか!実は買った日が飲み会で、その席で 人待ちの時間つぶしにコレを読んだんだけどさ。なんか周りの喧噪吹っ飛んで、 子供達の愛らしさに感動してしまったよ。ううむ・・・矢張り凄い。 菊池秀行の作品の、あの雰囲気を見事に和風日本に持ち込んだのは流石だ。 短編なのに、膨大な時間が封じ込めて有る。これぞSF。 ・・なんかブラッドベリの「河」を思い出した。いや全然似てないんだけど・・・ ブラッドベリと言えばここ最近でいきなり書き溜めていた原稿発表し出したとかで、 「まだ生きとったんか!」という驚き(ああ!何て事を)と共に、「読みたい!」 というもう口から涎状態の欲望が・・・何だかんだ言っても、ブラッドベリには 手も足も出ない。弱いぜ。 ああ・・・やっぱSFはいいよな・・・って 何だ SF死んでないんじゃん。 少なくとも僕の中では。 新作だって十分楽しめるし・・・ ふふ。 SFはいいぜ。 「古典」もいい。そりゃ古いさ。1950年代とかだもの。 でも、それはそれ。そんな古さは、その中にあるSOWを消すものではないよ。 読まなきゃ。・・・僕自身もだけど。 SFだって根はモノガタル能力なんですよね。だけど、それだけじゃない。 その物語にふりかけられている「SFマインド」が、オイシイんですよ。 ええ。 僕も、実際最近はSF(活字自体そうだけど)そんなに読んでないです。でも、 その「マインド」が自分にも有り続ける限り、年1冊でもいいや、 読み続けたいです・・・。 各作品について語りたいことは山ほど有るけど、根性もないし、何より誰も 読んでくんないだろうから止め・・・。取り合えず本書を読んで頂いた方が。 「買い」だとは、思います。作家の見本としても。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
大原まり子・岬兄悟 編「SFバカ本」/ジャストシステム/1996/7/7 現在のSF業界の不振は、すなわちハチャハチャ(懐かしい言葉だ)SFの減退・・・ バカSFの滅亡が原因である、という編者の意図はうなずける。だがしかし。 それをいくらかでも挽回しようとしているのならこのアンソロジーはその目的を ほぼ全く、達してはいない。 バカSFってのは、もっともっと質が高かったし、今でも簡単に・・いやもう本屋 にはSFは並んでなかったのだったな・・図書館などで、単行本として読む事が 出来る。 正直もうSFは駄目なのだろうか、という感を強くしただけであった。 小松、筒井、星、横順、岬兄悟等々、バカSFのアンソロジーを組むなら、古いなりの 大傑作がいくらでも有ろ。過去の作品をアンソロジー化して何が悪い。聞くところに よると今ムコウ(何処)の書店に並んでるペーパーバッグSFは多く再編された大昔の 作品アンソロジー(+新しい解説)だっていうぜ? そうやって「古典」に触れる機会を安く、ハデハデに、組む以外に現状(悲惨な) 打破の道は無い。それでは駄目だと言うのならこのヒドイ内容は何。 ジャストの出す単行本は質の高い物が続いていただけに、これはちょっと・・・ この内容でハードカバー1900円とは。涙も出ない。 読者対象を何処に置いているのか。タイトル、値段からしてオールドファンというか オトナの人向け(内容も)なんだけどそれじゃ駄目だわ。でしょ。 オールドファンは目が肥えている。それはだって筒井や小松を読んでしまえば、あの 麻薬的な面白さの後に何を読める? その意味この本は全編合わせてもかなり駄目状態である。 まず新世代の開拓だぜ。 安く、手に取りやすく、目を引きやすいデザインにせねば。 ハードカバーでいかにもなデザインで、1900円ではね。 期待していただけに辛い。 執筆陣をみれば 梶尾真治 斎藤綾子 高井信 中井紀夫 火浦功 村田基 森奈津子 勿論大原まり子と岬兄悟も書いている。 これだけの豪華メンバーでこれ?という脱力感・・・ 火浦功は流石にひときわ光っていたし、岬兄悟も往年のバカショートショート作家 としての味を見せているが、他の作品は・・・ いや、確かに皆面白い。久々に読んだ作家も居るし、「相変わらずいいなぁ」と 一応うなずいては見る。だが。 それはあくまで「SFファン」として、一応チェックいれとかなきゃ的視点を 出なかった。この感想を書く前、各作品の感想を打ってみていたのだけど いろいろ誉めたり「笑った」とか「死ぬほどイイ!」とか書いてみたのよ。 でも、実の所全く笑えなかったのだ。オカシクもなんともない。 砂を噛んでいる様、というのはコレだな。 昔の大ヒットギャグマンガを今読んで、全く笑えないのと同じくらい駄目。 これもまた自分の感性が鈍っただけなのかしら? それとも全編シモネタに嫌気がさしただけなのか。 シモネタも昔はもっと勢いがあって面白かったんだけどなぁ。 ・・・昔は、なんて言ってるけど、 僕だってSF読み始めたのはつい最近ですから、 「昔は良かった」ってのは単に懐かしがってるって訳じゃ無いのよ。多分。 でも、正直、1900円出すなら、古本屋で筒井の文庫でも買った方がイイです。 何全部読まれた?じゃあ岬兄悟の欠番作品でも探すとか・・・ 岬作品の展開については、ジャストモアイ(というパソ雑誌がある)のコラムに そのままのネタを書いてていやんな感じです。しかしあの雑誌は徳島県人以外で 読まれた事有る方いらっしゃるのかしら。結構濃い(寺島令子氏も書いてる)ぞ。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
氷室冴子「海がきこえるU アイがあるから」徳間書店1200円/1995 止められずに 一気に読んだ。 読んで、ツラくなった。 僕が杜崎拓等と出会ったのは高校生の頃だったのだぜ。それが。 あの時ずいぶん年上の女性だなぁと感じた津村さんと僕は 気が付けば同い年なのだ・・・!!! 拓はといえばまだ大学一年であり、先にはなんとなく未来も見えている。 舞台である東京がそれを可能にするのだ、とは思いたくはないけれど やはりセイシュン(という言葉さえもう僕には遠い)している彼らを横目で見て なんかこう、  田舎の学問、京の昼寝。 というか 情報システムの進歩が地方格差を無くしたなんてな、ウソだ。 いくらイナカであがいてもミヤコで昼寝してた方が学問になる。 そういう風に読まれて仕方がない。なんとも情けない。 もちろん拓の人格も十分主人公張るだけの格があるし そう僕はあそこまで現実をとらえて生きることは出来ない。 あそこまで誠実には生きられない。 勿論、彼はあくまで小説のキャラクターである。そこを割り切ることが どーーーーーーしても、出来ない。 「俺と奴とは違うのだから、いいの!」と、現実のうらやむべき友達を見てさえ 思えるのに(こうして書くと僕って不幸)拓には純粋に尊敬と憧れと嫉妬と うらやみを感じる。 現実に考えてセイシュンするのはそう甘くは無いと思うのだ。でもね。 こんな生き方もあったのではないか?と思うと、焦りの様なものにかりたてられる。 普通の「トレンディ・ドラマ(とはもう言わないの?)」みたいなセイシュンなど あるものか!と思うワタクシもこの作品にはうちのめされた・・・ 拓はどうやら芸術系の学部に入った様で、映像系の様だ。 それについても描くべき所は山ほど有る。何故ソレを描かない!? 魅力的なキャラクターが多く登場するにもかかわらず、それらも描ききらない。 「アイがある」事について語る拓と里伽子、このへんの考えは 今、僕の思っていることに近い。共感する。 だれもが考えてはいるのだ。アイがあったほうがいい。 ただそれは「なれあい」とは違うのだけどね。 どうも僕らは現実に友達といると「受け」をねらってばかりいていけない。 関西文化圏の特徴なのかもしれないが、とにかく会話がすぐにオチへと流れていく。 まともに話も出来ない。これではどうしようもない。 議論をしたいのではなくて・・素直にはなせないかな、と思う。 最近一部の旧友達と電話で話す時以外常に何かを演じているような気がする。 作品そのものとしては、TVドラマ化(武田真治主演・・)を前に、どうにも いまひとつ、いやいまフタツな出来ではある。 前作(出来れば「アニメージュ」連載版)の強烈さに比べると これはただの「続編」に過ぎない・・・ やはり「恋愛」が前に押し出されるとそれまで見えていた「生活」とか「大学」とか そういうのが消し飛んでしまう。 「学生生活」を見たい気分は有る。あこがれとして。 で、現在の自分と比較してもだえ苦しむのだ。マゾ的・・・ いや だからさ。 うらやましいのよ。 あいつら全員!!! 所詮小説のキャラクター? でもさ。居ると思うよ。ああいう奴等。居る。居ないと困る。 はあぁ。 人生って・・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
野田昌宏「宇宙からのメッセージ」角川文庫/1978 古本屋で購入。へぇ〜こんなの出てたのか・・と・・ あの悪名高い作品のノベライズである。 どれだけ酷いかというと、もう酷いのであった。 しかし。それはそれ。このノベライズは現在も続く、日本が生んだ純正スペオペ傑作 シリーズである所の「銀河乞食軍団」の原型なのである! と、読んでいる途中で気づいて興奮しましたが、何のことはない、「銀乞」の1巻末 の「著者の御挨拶」に詳しい事情は全て書かれているのだった。ううむ。 しかしアレよ。世界は東銀河だし、<星河原>は出てくるし、ゲスト扱いとは言え ムックホッファも出てくるし・・・! オマケに「娘っ子」三人の描写ときたらもう「おネジっ子」のソレである! コンちゃんみたいの(動物とはなせる・・)も出てくるし。 所々C.F.入ってるし。ううむ。スターウォーズの臭いもするぞ・・ 時代ではある・・・ スペオペ小説そのものとしては非常に甘いラストですが(なんかね。)、この作品は 途中のSF描写を楽しむのが吉でしょう。 一応の「処女作」という事でもあるし。伊藤典夫が褒めたというこの作品。 読んでみても。 如何に僕が「銀乞」を好きかというと、読み始めた頃、毎日どんなに居眠りをして いてもちゃんと目覚めて降りていた駅を、本に熱中して通り越し、ふ、と気が付くと 何駅も先の駅を出るところだったという・・・ それくらい。 野田コウの文章も好き。あのオヤジのフカシにつき合うのは実に楽しい。 それがだぜ、君・・・!などと野田節も出て来ようというもの。 SFM買ったら水玉の次に(・・・)まず元帥の「もっとSFしてみよう!」を 読む私。 イラストは石森章太郎。作品読んでるのか?というこの独自SFマインドがイカス。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
谷 甲州「ヴァレリア・ファイル2122年」角川文庫/1987 古本屋で5冊50円のなかの一冊でした。 他の4冊はわりとどうでもいい本でまあ読んだけど・・という。 これは何故かずっと読まずに谷氏の例のシリーズの横にひっそりと並んでいました。 で、まあなんとは無しに読んだですが 書かれた時代を考えると、という条件付きで、ですが これはかなりしっかりしたネットワークもののSF。 ストーリーの展開は一昔前のOVAな感じでつまんないですが 主人公達が端末を使って、過去その都市が情報都市として生きていた時代に 巨大なデータを扱っていたコンピュータ達の、その今は見捨てられ残された データの中から使えるものを探り出す、というマイニングの描写、またちゃんとした ネットものをやる為に作った都市の設定などには驚くべきものがあります。 ただ、問題は・・設定だけ、なんですよね。SFな所だけは凄いのだけど。 主人公をはじめとしてどのキャラにもいまいち魅力が無い・・ 作者本人もあとがきで言ってるが・・ 他の傑作作品群に出てくるのがオヤジばかり、という点からして この作品は青年、少女、女サイボーグなど書き慣れないキャラクターを 無理矢理使った感が有る。 無理はしない方がよい・・ まあ、暇つぶしにはなった・・欲求不満が起こるですけど。 カタルシスに欠ける・・ うーん。15点。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
杉浦日向子「大江戸観光」ちくま文庫/1994/12/5 あっ。 若い文章。 ・・・若いのだから当然なのだけど、語尾にハートマークが飛ぶ文章なのだ。 「そんなことないよッマイ・ハニー(・・シュワルツェネッガーが好き、と云ってる)」とか。 でも、それは「掴み」かもしれない・・ タイトルの「大江戸」、ですが、語る幅は広く、内容も「若い」読者の興味を 引きそうなものが多くて、なんだか楽しいです。 矢張り気になったのは「世紀末」という言葉。当然'86年の文章である。 あの年は本当に「世紀末」観が流行ったのだね。過ぎてみて初めて解る。 しかしあの頃は一年毎に「こういう年だった」って言えるみたいだけど、90年代 入ってからこっち、そういう風に「世相」を括るのって難しくなりましたね。 最近では完全に「その道のプロ」として認められている作者も(NHKに出りゃもう 完璧)、十年前は苦労していたのですね・・・ 現在でも綺麗な方ですが、当時の作者の風貌は泉麻人に言わせれば 「声を掛けたくなるイマ風のきている女」 「晴海のコンパニオンとかBarやディスコのオープニングにいそうな  アソんでる風の美女」 で、そういう美女が春画を見ているとゆーのは下衆な考えを起こさせた様で、 そういう質問ばかりされたらしい。 「さしもの楽天根性も、くじけそうです」と思わず吐いてしまう。 ・・・あ、ハイ、本筋から外れてます。スミマセン。 うーむ。 でも、文章が、矢張り若い女性のソレなんですよね。色気が有って。 今の文章は、人として尊敬に足る様な「人柄の良さ」を感じさせてくれますが・・ こんな感想ばっかじゃいかんな、えーと、JUNEで連載されていた 「お江戸珍奇」も収録されていまして、それがもう各回毎に違う話題でもって、 「男色」は(雑誌がら)当然、不良、福助、刺青、狐つき、大奥・・・ 実に話題が豊富です。いや、流石。 他にも、時代劇についての注進とか、何処から出てくるのかこれだけの話題は、 という程の多彩な本です。これも、「つまみ喰い」にはもってこい。 どこからでも読めて、ゆっくり、ゆったりと味わって読むのがいい感じです。 過ぎ去りし80年代の香とともに、江戸の空気を味わうなんてな、この 作者の本でしか出来ないですもの。 買っておいて、なんとな〜く、何度も、読みたいような本です。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
夢枕獏「猫弾きのオルオラネ 完全版」/早川書房/1996/4/15 実は「オルオラネ」、これが初読でした。 成る程こういう話だったのね。なんともシュートな・・・ 収録作品は 「ねこひきのオルオラネ」/1978/6 「そして夢雪蝶は光のなか」/1980/7 「天竺風鈴草」/1983 「ころほし てんとう虫」/1984 「年末ほろ酔い探偵団 I」/1985 「年末ほろ酔い探偵団 II−雪夜草の話−」/1986 「ばく」/1992 正直(例のアニメのイメージ・・見てないからなんとなく・・なイメージで)もっと ファンタジーファンタジーした作品だと思っていたのだけど。あまりに等身大な 主人公・・・ オルオラネ老とイルイネド、マレット、ショフレンの3匹の猫が出てこなければ リアルな破滅型青春群像になって仕舞うところだ。 この単行本の中では矢張り一番多いページを持つ「そして夢雪蝶は光のなか」が 代表作であろう。痛いほどの主人公の心情描写。青春の蹉跌感を味わった人間なら 感情移入120%。 「 何人かの人間がかなしい思いをしたあげくに、そのなかからなんにも幸福せが  生まれなかったとしたら、こんなにくやしいことはあるまいと思った。」(P83) この血の出るような独白・・・でも往々にしてそゆことは有る・・ なんとなく「ああ、自分はこいつと将来一緒になるな」という様な彼女が、自分の 知らないうちに、不倫して、相手の男に走り、あまつさえ「あなたのそんな姿だけ はこのひとに見せたくなかったわ」とまで言われたら、男はどんな風になにるか。 全く・・・いやいや。 そういうどうしようもなくボロボロになった時に現れる、痩せたサンタクロースの 様な風体の老人。オルオラネ、という。彼は酒好きの三匹の猫をつれ、酒場で彼等を 「弾く」ことで、冬場の生計を立てている様である。 この作品の醍醐味はやはりその「ねこひき」のシーンであろか。 ライブの魔力、というのは誰しも感じたことがあるに違いない。リズムに自然と のってしまうと、身体が、脳が、外側から操作されていく・・・ ああいう「うねり」を魅せてくれるのが表題作「ねこひきの・・」である。 だが、その他の作品は、オルオラネ老が神いやサンタクロースの如き寛大なやさしい 超常者となってしまっていて、ファンタジーというよりは・・・なんていうのか、 他の夢枕作品の様な伝奇モノに近づいていく感じ。 まぁしかし、まとめて読むとなんか重い気分に(冬に読むと一層効果絶大であろう) なるので、好んで読むような本では無いかも・・・・・昔はこーゆーの大好き少年 (暗いな)でしたが、最近はもう脳が駄目になってるのでこういうの読んでも、 今一つ・・・いや、面白いんですけど、やっぱり「星界の紋章」みたいのが・・ まぁ、他の夢枕作品比べれば、ファンタジィかな・・と・・・ もっと「コバルト〜」なのを想像していた @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
岬兄悟「鏡男だS・O・S!」角川文庫/1989 久々に読む岬兄悟。とはいえ6年前の作品。 次元調査員サディスティック・マーリヤ・シリーズの最終巻である。 1・2巻はリアルタイムで読んでたんですけどね。 岬作品が当時急激に本屋に増えてきていてもうチェックは無理だと思って諦めたです。 でも時代は流れてなぜか読みたくなってしまったのでした。 内容はいつもの岬節。 イラストは米田<お子様ランド>仁士(お子様ランド今回で最終回・・涙涙・・・)。 明るいエッチな内容がおすすめです。 動物の意識が入った美女とか・・・ SF部分も超いいかげんで素晴らしい。作者も度々顔をだすし・・・ 最近の作品はどうなっているのかしらん。 しかし岬作品はとり氏より米田氏より水玉氏より、いっとう品川KID氏のイラストが 似合うと思うのですがどうでしょう?(スナッピィ・バニーとかピッタリだった)
小松左京「鏡の中の世界」ハヤカワ文庫JA/1974 ショートショート集。古本屋で50円。 ・・・半分くらいは他のショートショート集で読んでるんですけど。 有名所はやっぱり講談社の自選の方が・・「骨」とか・・ でもなんか久々にショートショート読んでなんか懐かしかったり。 昔読んで感動したのは「標準化石」というショートショートで ある一地点からカンブリア紀の化石から大型爬虫類の化石まで一気に見つかる・・ なんなのだ?これは?学者達は苦悩する。 現代において何億年前の化石からつい数万年前の化石まで 一カ所に集められている場所と言えば・・・・ そう、博物館なのである。だがその地層は100万年前のものだという。 果たして一体誰がソレを作ったのだろうか・・・ という話。 ・・実はこれ洋モノから国産に至るまで、SFでは何度も焼きなおして 使われていまして、去年もSFM恐竜特集であったなぁ。 これが初めてだったので感動した訳ですが、モトネタは多分ブラウンあたりでは。 しらないけど。 あとはやはり「牛の首」でしょう。 いや、僕もあんな恐ろしい話しはきいた事がないですね。 ホントに。ああ、こうして思い出すだけでも背筋が寒くなる・・ 後味の悪さも・・凄いし。有名な話しで皆さんご存知だとは思いますが。 ・・・・でもコレもいといせいこうとかが「ウワサのネットワーク」とか ガンガンやっちゃったおかげで影薄いみたいですけど。 ・・うわさのネットワーク、自体がもう八十年代の遺物化してますか。 古いなどうも。今朝「ノーライフキング」やってたもんで。
めるへんめーかー編「架空幻想都市・下」アスキーログアウト文庫/1994 ・・・やっと手に入れた・・・ 上を買ってから一年以上・・・ 深沢美潮 篠崎砂美 谷山浩子 羅門祐人 高瀬美恵 大和眞也 波多野鷹 水城 雄 大原まり子 の各作家が一つのテーマで短編を仕上げている。 しかしまぁこういうワイルドカードな作りって失敗する可能性も高いだろうに やはり各作家のセンスがいいのか、ちゃんとSF幻想してて面白い。 そーだ、ちゃんと面白い、の。 企画ものだけで終わってないのが凄い。 各作家の個性も良く出ていて、見本としても面白いかも。 なんか全体的にもの寂しいトーンが良いです。 あと巻末のリレー小説が、ツボをおさえていて面白い。 出来るだけ次の人間を困らせようとして 変な展開へ持って行きたがるのが爆笑。 んーではでは。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
大原まり子 梶尾真治 かんべむさし 堀晃 山田正紀 「仮想年代記」アスペクト/1995/12/07 「タイムマシン」テーマのSFアンソロジー。 アスペクト刊という事で、少々軽く見ていた感は否定しません。 まぁ、装丁も一寸哀しいものだし。 でも、考えればテーマ別アンソロジーってのも最近珍しい。 中国ファンタジー物とかでは有りましたが・・・ 読んでみれば、しかしなんとも正当なSFアンソロジーでまた吃驚。 執筆陣の豪華さからしても当然ではあったか。 日本SFにおけるタイムマシンとは何か(『タイムマシン生誕100年によせて』) という冒頭のヨコジュンによる文章も非常に読みがいがあるですが、 見物は何と言ってもカジシン以下、時空間を見事に操る日本の中堅SF作家達の 同一テーマによる競作を読めるということにつきる。 梶尾真治「時の果の色彩」は、航時機械に制限を設けて、更なる哀しみを生む。 「タイムマシン」という設定を見事に生かした作品である。 いつもの「時を隔てた恋」とはまた違った、肉親の情に泣ける一作です。 大原まり子「女と犬」はいつものアレ。時間の存在というのはそう言うもの・・・ 見捨てられた時に我々は・・正直イマイチかも知れないが・・・。 かんべむさし「傷、癒えしとき」は相変わらずのラストのブラックさ。熱い。 展開はこぢんまりしているが・・ ちょっと古め。 堀晃「10月1日を過ぎて」がこの中ではいっとうSF臭い。 いやまぁハードSFの雄なんだし当然なのかもしれないですが、 宇宙の果ての監視衛星とか望郷の念とか異星の光景とか謎の巨大遺跡とか 謎の天体とかもう実にSF。いいですぜ・・ 山田正紀「わが病、癒えることなく」山田正紀らしい乾いた作品。 主題たるタイムマシンがしかし今一つ・・・その分世界観や主人公達の 狂おしいまでの感情がうったえかけてきます。やはりキブツ生活をした男は違う。 寒気のある作品です。 非常にワクワクして読めました。 久ぶりにSFSFしてて・・いい気分でした。 アスペクトにはもう期待してしまうわ・・・ こんな硬派な本を生んでいたとは・・ またこういうの出て欲しいものです。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
大原まり子「金色のミルクと白色い時計」角川文庫 S61/1986 何故今までこの作品(SF短編集なのです)を読んでなかったのか!! のっけから叫んでますが叫びたくもなろうというもの。 大傑作ではないですか。しかも9年前の・・・・ううっ・・ 情けなや。・・・しかしまぁこれに今こうして出会えただけでもよしとしますが。 大原まり子が日本のマルケスだという様な話は以前書いた様な気がしますが いやぁ、ギブスンかも。です。 正直短編そのものの「起承転結」といった面では一つとしてマトモに完成しているのは 見あたりませんが、これはそもそもそういう作風なのですね。 何か、こう懐かしくて泣けてくる。 しかし、懐かしくて泣けた、というのは正しい読み方では無いのでしょうね。 当時、1986年ならばリアルタイムで感じられたであろう「シャレた都会の生活」が 今ではなつかしの古き良き80年代としてしか眼に映らない・・・ 当時と今とでは決定的に読感が違っているだろう。5年後、10年後はどうか。 内容は、巻頭、巻末の写真集(!!!)をのぞいてみれば 比較的ショートショート並みの短編と、「処女少女マンガ家の念力」系の ボクラの都会の生活といった中編とに分かれますが、特に中編の方の 「まりこのMはモンスターのM」(P174-)は、まごうことなき大傑作。 一応SFした「まりこの日常」みたいなもの、なのだけれど。(文体がうつってる) というか当時の彼女と彼女の周辺の雰囲気をO原女史の視点を通して観る事ができる。 火浦氏やとり氏、新井氏など当時のシモキタ周辺人々が、実名は出ないものの、 読者であるはずのSFファン(というものが過去にはわりと存在していた)には 一目瞭然の描写が辛らつな言葉(その場面での必要上)で描写されていて、泣ける。 懐かしい。 特有の「現実を解体し記号の交響楽だと認識」させる様な単語の嵐も心地良い。 例えばDAICON3のコップ、とかね。 似たような感覚で「まな板の上の猫」が。上のタイプの作品。例えばこんな感じ 「『おっぱいがいっぱい』の次は、NHKの”おしゃべり人物評伝”のテーマソング  『コスモスみつけた』が流れ出す。」これ、大滝詠一のかわりにながれてるテープ なんですけど。たまりませんね。この感覚。 あと短編系では「お手伝いの春さん」が秀逸。いやどの作品も素晴らしいのだけど、 これは読者のウケをねらったエッチなロリコンぽい描写(後の彼女の作品に時々 観られるような)があって良いのです。「うすい体毛のはえたオナカ」とか。 O原作品特有のイヂワルなというか、少女の残酷性を極度に歪めた少女が登場してて ああO原してる・・とか・・あっ伏せ字じゃなくて、昔大原氏の事O原って書いて ませんでした?記憶違いかなぁ。しかし先鋭過ぎるほどに尖った作品。 凶悪なのは「太陽の黄金の・・・」で、ブラッドベリファンならずともその後に 「林檎」といれてしまうでしょ。それがオチそのものという、パソコン(そのもの) が流行ってた頃のパロディ的作品。今のパソコン者は読んで懐かしさに泣き、当時の 視点からこのアイデア性の高さに戦慄しましょう。 しかし文庫一冊にここまでうならされたのも久しぶりだわ。 大原まり子、少なくとも、昔は、凄い才能を持った作家であったのだなぁ。 美人だったし。 うーん。でも10年近く前なのね・・・ あの時、本当に新人がまとまって登場して以来、ああいう「パラクリ」的な 一種アイドルとも言える作家漫画家がまとまって登場、という事は見あたりませんね。 彼らも結婚、出産などして(大原氏は岬兄悟氏−SF作家で当時の作家集団の一人−と ご結婚なさいました)世代は回った筈なのに、どーも新人って出ないですね・・いわば 僕らの世代、が。今20〜25の人間。ぽつぽつとは出てるんでしょうけど、当時の 彼らのハデさには到底及ばないですね・・などと昔話をしている場合でもないか。 全体に溢れる物悲しいというか寂しげな雰囲気は、 僕が東京という都市に対して抱く感覚と似ていて・・・って だから何といわれるとアレですが。 ともかく、えらい感動しましたので。今更、ですが。
野田昌宏「銀河乞食軍団<17>」早川文庫JA・500円/1995 やっと読んだ・・・遅いぜ。 おなじみギンコジの第2部完結!とは言えまだ話は始まったばかりである。 タンポポ村に端を発した東銀河系の高次空間とそのゆがみの 被害者であった、マナクーラ星系の宇宙船ファンタジアの被害者達や 星古都(ほしのふるみやこ)のミキさん(ああかわいいぞ)等々 「重なってしまった」人達はとりあえず分離できたし 干上がった海も元に戻った・・・ 今巻はコレといった野田大元帥の遊びも無くて、 淡々とストーリーが進んでいく感じ。 しかし。 今更ながら鼬中佐が気に入った・・・ あとラストだけ出てきて威厳を見せつけまくるムックホッファ社長! あーオヤジが渋い。椋十や五郎八も乞食・・星海企業の社員として大活躍ですが やはりオヤジ群の渋さよ。あと美女とその他・・お七の蓮っぱな喋りがたまらん。 「あたいの”オッパイ”見せてやろうか?」とか・・・ いや、全く野田節が気持ち良くて良かったです。
山本弘とグループSNE「サイバーナイト ドキュメント戦士たちの肖像」 角川文庫/1990 を知人のすすめで読む。 ふーむ。PCエンジンのゲームですか・・・ 本の存在は知ってましたが読んだのははじめてでした。 内容は割とSFしてました。 初心者 にはおすすめです。 ミッションの描写はしかし士郎正宗の絵が浮かびました。 こういうの、マンガにはかなわないわね・・・特にシロマサの様な才能がいた場合。 士郎正宗並みの構成力と画力のある人間が日本にあと5人いたら日本のSF界は確実に 変わるでしょうね。いや、マンガやメディアそのものを変えてしまうかも。 小説では駄目ですねぇ・・よっぽどじゃないと。「ニューロマンサー」とか。 そういえば話は変わりますが(ニューロマンサーで思いだした) 今春「JM」とタイトルされて日本で上映される作品の 原作にあたる 「記憶屋ジョニイ」Johnny Mnemonic(早川文庫「クローム襲撃」収録) をこないだ久々に読んだらムチャクチャ面白かった。やっぱ面白いわ、これ。 モリイも可愛いしね・・・17歳くらいかなぁ。15くらいかも。 痩せてて、短く乱雑に刈り込んだ髪、ミラーグラスをはめ込んだ眼・・・・ ヤクザも恐い!単分子ワイヤーを使ったヤクザとカミソリを指からはやしたモリイとの 「殺しのフロア」での戦いの幻想的なまでの美しさ恰好良さ・・・ ところでその恐いヤクザ、をビートたけし(事故る前の)がやっている、という事で 随分前に話題になってたけど、これを機会にギブスン熱が再燃しないかなぁ。 駄目かしら・・・ ともかく。今回は他人が手がけたのじゃなく、ギブスン本人の作品だから 多分当たるにしろコケルにしろ凄い作品にはなっていると期待しているのですが。
荻原規子「空色勾玉」福武書店/1988 今更 この歳になって何を読んでんだか。 イヤになる程名前だけは聴いていた。 ちょっと読んでみようかなぁ。と。 実は期待していてがっくり。 日本のハイ・ファンタジー、なのだそうだ。作者の弁によると。 確かにファンタジー臭。ルイスか・・ナルニア。そんな感じ。 問題は多いが何より書き慣れてない感が大きい。描写が貧弱だ。言葉が少なすぎる。 とは言えよくまとまっている。非常にB級ではあるが。 ナルニアとか指輪とかそういう洋モノファンタジーを日本に持ってきただけ・・ それも貧弱・・・洋モノのスタイルを借りないと描けないか。 何より主人公狭也に魅力が少ない! もうすこしサービス(えっちなのじゃなくて、ベタな少女漫画的表現をも少し) が欲しい。実に感情移入しにくいわ。実際えっちなシーンも大切だと思うけど。 コバルトの方がまだ面白いわ・・・ 設定は面白いかも知れん。キャラクターを生き生きと描ける人間に 文庫4,5巻で描かせたら絶対オモシロイと思うぞ。 当然挟也のえっちシーン含む。 キスだけでいいんだ!キスだけで!頬を赤らめる事さえしないなんて! 違うのかなぁ? NHKFMでやってた(青春アドベンチャーだったか)時はもすこし おもしろかった様な・・ うーん。ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
押井守「TOKYO WAR」(いま変換したら斗虚と出た。意味深。な訳ない)    (富士見ファンタジア文庫 前後編 各430円) など読む。いや、買ったのはずいぶん前なんですが・・・ 映画観て一年近く経つのかと思うとなかなか。 正直、押井守は書き物向きでは無いね・・・喋りはあの通り論説家然としているが 小説となるとどーも・・ね。彼の喋り(あるいはエッセイ)は一流(?)だと思うが 物語る技量には普通のヤングアダルト作家と道程度である。 僕は、別に押井監督には映画の補足説明ノベライゼーションなんか望んではいない。 確かに監督にすれば「陽のめをみなかった」プロット等をこのまま腐らせるのは 忍び無かったかもしらんけどもさ。 どうせならそのエンターテイナーぶりを発揮した小説を書いて欲しいと思う。 押井作品特有の遊び世界が好きなので。 内容は、実に映画の補足であり、野明と遊馬の関係とかそーゆー事がフォローの中心。 とはいえ、やっぱり面白いのよ。ただ押井監督の場合映像表現の方が凄いから。 前後編読み終えた時は一本の映画を観た後と同じ感動を(久々に活字で)得た。 ただし、僕は既に劇場版を観ている訳で、それが絵となり音となって感じられる訳で ・・・まぁ映画のノベライゼーションなんだし、それは当然か・・・ 劇場版観た方にはおすすめ。すぐ読めますし(薄い・・・)
「吸血鬼ハンター”D”」 「風立ちて”D”」   菊池秀行 ソノラマ文庫 これこそ「今更」であるが。ソノラマってなんか「幼稚」なイメージがあって・・・ ゆえあって、とゆーか、いろいろあって読まなければならなくなったので、 ついでに6冊ほどまとめて古本屋で購入。いま3巻の途中まで読んでるんだけど・・・ いやー、面白い。脱帽。特に1巻はビデオで観てるから声までついて・・・ でもDがR(田中一郎)と重なって・・・(共に塩沢兼人)。 勢いで読んだ2巻はしかし、状況が把握出来なくて困った。 想像力欠けてきてるよなぁ・・
岬兄悟「暴走妄想空間」大陸書房/1989 矢張り古本屋で発見。 まだハヤカワあたりでは文庫化されていない新書版で短編集。 内容は、初期の氏の短編集を読まれている方にはお馴染みの奴。 丁度最近某みき書房(・・・SFイズムのアレです)の「わがまま岬兄悟」を 手に入れて、読んでて、こういう時に古本屋に行くと、サーチ能力にバイアスが かかって、見つけてしまいますね。 気に入ったのは「あたしが妖怪になったわけ」と「一瞬の逆行」。 特に前者は大原まり子を彷彿とさせるホラー。 後者はオチにラストまで気が付かなかったという点で。 反対に云えば、あとのは全部オチ読めるか、ミモフタもない系かだから。 まー、しかし短編集で、ネタ優先の為押しは弱い。 ネタはもう本人によって使い古されたものなので、今更・・という・・ 当時読んでれば別かも。 当時のワタシは角川の2冊に本当に興奮感心したものでしたし。 それにしてもこのシャピオの「わがまま岬兄悟」系の作家特集本は どこまで出たのだろう? これの他には「まるまる新井素子」しか持ってないのだけど、この本のなかで 岬氏と火浦功氏の対談があって、その中で「まるまる火浦功」の話が出ていますが 出たのかしら? まーどーでもいいけど。今更。でも当時は死ぬほどハマってたからなー・・ しかしSFイズムは古本屋に出ないわねぇ。出ても2000円/冊とかだし。 買えんわ・・・ 昔(6年程前)の徳島の古本屋はSFM一冊50円とかだったのに・・ ああああの時買っておけばッッ。悔しいッ・・・ あああ。 図書館にバックナンバー入れてもらえないかしらん。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
酒見賢一「墨攻」新潮文庫・320円/1994 薄いのですぐ読めて面白い。という意味でおすすめです。 司馬遼とかのだったらブ厚い短編集の中の一つな感じで。 これ一つだとちょっとモノタリナイ・・・ 墨子教団の守り=「墨守」のイメージではなく 墨子教団は強大な軍事教団だったとする設定。 こういうの・・司馬遼の中国仁侠伝とか好きな人は・・もう読んでますね・・ 結構有名だし・・漫画にもなってましたね。確か。 うーん。 あと南伸坊のイラストが良い・・・
岬兄悟「亜空間からポストマン!」角川文庫/1987? 次元調査員サディテスティック・マーリヤ、の2巻。 何故今更・・という方もおられるでしょうが・・ 1、3巻は読んだんですよ。残るはこれだけだったのが、 先日たまたま古本屋にありまして。200円で。 いやー、ばかばかしくも懐かしい。 「ハートでジャンプ!」を読んで死ぬほど笑い転げた時代が有ったわ。 そういえばあれはNHKのラジオドラマにもなったのだったよ。 その頃が甦る・・・ とにかく馬鹿。とりみきが「明るいポルノ」と評した所の馬鹿内容が ボンヤリたるんだ脳に心地よい。 しかしこうして読んでみると実に岬作品ととり氏の作品は近いなぁと思う。 イラストのせい(岬作品=とり・みき絵という構図はいつから崩れたのか・・) もあるのでしょうが、とり氏の最近(DAIHONYAとか)の作品の雰囲気に 非常に近いですね。 あと読んでて気がついたんですけど これって「GS美神」ですねぇ。 横島と美神さんの関係にのみ絞ってみるならば。完璧にあてはまる。 これがモデルになってるのではなかろーか? まあもともと岬氏の作風ってああだけども・・・ あとは設定の良さですかね。自由度高いし(「ご都合」も使い方次第) 筋肉増強剤の描写など設定がよく生かされていてうまいと思う。 岬作品、最近のはなんか昔に戻った感があって、職業作家だなぁと思うのですが この頃のキレまくった(ラブ・ペアシリーズやハートでジャンプ!等々) 作品が大好きで・・・まだ書いてるのかしら? 品川KIDイラストで印象的なスナッピィ・バニーシリーズも再開が待たれます。 境界線で捕まえて、も好き・・・ はっ・・ 古い話ですんません。 最近ちょっとハヤカワ以外の岬作品追いかけてませんので・・しくしく。 こんなことではいかんなぁ。 ではでは。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
大原まり子「メンタル・フィメール」ハヤカワ文庫JA/1991/1988 まーそう言うなって。今更なのは解ってるから。 かつて、「サイバーパンク」という運動があった、らしい。 それを語るとき、必ず「どっこい日本には大原まり子がいるぜ」と 言われたものだった。 この作品を読んで解った。 この短編集には8つの短編が入っていて、そのうち半分は、如何にもサイバーパンク めくるめく情報の渦、で構成されている。 あとの半分は、実はオーソドックスなSFだけど。 いやホント。草上仁が描きそうな話とか・・・ で、 オススメなのは「少女」という短編で、これは凄い。 読んでいてあまりの世界観の美しさ(汚いんだけど)にクラクラきた。 Monkey Brain Sushi という幾分馬鹿にした様なタイトルの現代日本文学傑作選 (アルフレッド・バーンバウム編)の一つに選ばれたというのもうなづける。 これはいっそ日本語より別原語にした方雰囲気が広がるのではなかろうか。 一つの言葉の枠を越えたイメージの広がりが有る。 大原特有のマンガ的な美少年と美少女の恋・・だがその世界は・・・ あーでも大原だとやっぱり「処女少女マンガ家」かなぁ。わし好きなの。 あれは、あれこそは「日本のガルシアマルケス」だわね。ってそういう言い方は 失礼か。 日本SFを語る上では、「常識」の分野に入ります。出来ればご一読を。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
鈴木貞美 編「モダン都市文学W 都会の幻想」平凡社/1990 悪魔の舌      村山槐多 大10   グロテスクな性癖を描く。人間の屍肉に美味を感ずる男。   有る意味で非常に都市的。   男が都市に一人暮らしをする事によってはじめて顕在化する嗜好。 青い花       谷崎潤一郎 大11   妄想オヤジとその愛人。   それだけだが言葉の選び方が良い。 私とその家     稲垣足穂 大12   タルホ氏の割と有名な作品。だと思う。耽美・・・   少年を見初めて後をつけたりするあたり・・   「あの少年の瞳と、あの緑色の家と、どちらが自分の夢を託すのに    十分であったかは、誰にだってわかりゃしないんだ。」 都市の幽気     豊島与志雄 大13   「都会には、都会特有の一種の幽気がある。」その幽気は都会に生きる、    かつて生きた人々の息づかいの凝集したものと考える。煮詰まったような    自然にたちのぼる幽気。 人間の足音     川端康成 大14   掌の小説、のひとつ。文明批判。「お前は分からないか。人間はみんなびっこだ。   ここに聞こえて来る足音で両足の音が健やかに揃っているものは一つもない!」 絵のない絵本    林 房雄 大15   プロリタリア文学臭のきつい(・・・)幻想文学、というか。   ほのぼのしてはいるのですが。   お月様が見てきた話。しかしその内容には「労働者」「廃兵」「ストライキ」   「革命」的なもの。うむむ。 往来        野溝七生子 昭2   これは・・何というか。不思議な作品。いいかげんなのかもしれないけど   「旅子」というなんだかよく分からない少女の造形が秀逸。   「お向の唯一人きりいる小さい家の中から出て来て、うちの食堂で、    私の家族と一緒にご飯を食べた」とか・・   ドッペルゲンガーに出会う。死なないんだけど。 ラ氏の笛      松永延造 昭2   不幸の中に幸福を見る。横浜外人居留地の話。病で客死したラオチャンド氏。   病院の中での描写、暗くて静かな・・    歯車        芥川龍之介 昭2   例の遺稿。すさまじいまでの迫力。凄い、というべきか。   もはや語り手の目に映るものは不安だけの様である。 器楽的幻想     梶井基次郎 昭3   錯覚の感覚を描く。面白い。わかる。 ジャマイカ氏ノ実験 城 昌幸 昭3   ナンセンス。文体の妙な幻想文学気取りが良い。プラットホームで空中歩行を   目撃し、その歩行者の後を付けて再度空中歩行をさせようとする語り手。   当の空中歩行をしたとされる紳士にはそんな覚えはない・・   果たして実験は・・失敗に終わるのだが。「だが、此れ位のことで私は屈しない。   実験は続いて、第二、第三と氏に依って続行せらるべきだと思う。」 第七の天      牧 逸馬 昭3   牧 逸馬、は谷 譲次でありまた林 不忘でもある。   「めりけん・じゃっぷ」や「テキサス無宿」など。   無機物は生きている。昼眠り夜目覚める・よるのビルディングの階段は   増えたり減ったりしている。石を蹴ったら石から血が。   電車は軌道のないところを走る。百貨店と純粋の硝子と最上等のびろうどと   深夜と適度の光線とその角度で自分の未来の姿を見ることが出来る。   モダン・ガールが幽霊に。展開はスライドしていく。一読の価値有り。 卵         夢野久作 昭4   これは恐い・・・夢に見そうだ。卵の外に出られない「なにか」が   「オトウサンオトウサンオトウサンオトウサン」死にものぐるいでもがいている   声・・とか・・とにかく、実に諸星大二郎的。恐いス。 のん・しゃらん記録 佐藤春夫 昭4   SF。   これは凄い。   こんな傑作が存在していたとは。   アンチユートピア小説。巨大な都市ビルディングと   その地下におしこめられた賎民の少年。ただ、ある時出会った老人によって   知恵をつけられる。それが原因で植物(薔薇)に体をかえられてしまう・・   とにかく凄い。このイメージ! 鉄の箱の中     衣巻省三 昭5   ほのぼの。あのサーカスとかの不安感を思い出す。 夜ふけと梅の花   井伏鱒二 昭5   酔っぱらったあげくに他人になってしまった様な感じをうける。   今日もまた「都市」ではこのような光景が展開されているのであろう。 変装綺譚      牧野信一 昭5   ギリシア古典の知識が無いと大変・・わからん・・   タクシーの運転手とファウストの冒頭をかけあう主人公。うーん。    群衆の人      坂口安吾 昭7   ドッペルゲンガーもの。はやってたのか。 形態        田村泰次郎 昭7   発作で階段から落ちた時に思い出す、戦闘機のりとして戦い落とされた時の記憶。   宿敵テツに落とされた愛機カタナの機体は破壊されたがエンジンは回転を   つづけている・・その音にさそわれて幻想を見る・・   敵テツの描写が「雪風」みたい。   作品自体の雰囲気は松本戦場漫画的。 猫町        萩原朔太郎 昭10   錯覚を描く。体内の磁石を意図的に狂わせて見慣れた町を   幻想世界へと変えてしまう。その現実的な例として   「汽車はレールを真直に、東から西へと向って走って居る。だがしばらくする中に    諸君はうたた寝の夢から醒める。そして汽車の進行する方角が、いつのまにか    反対になり西から東へと、逆に走っていることに気が付いてくる。    諸君の理性は、決してそんな筈がないと思う。しかも知覚上の事実として、    汽車はたしかに反対に、諸君の目的地から遠ざかって行く。そうした時、    試みに窓から外を眺めて見給え。いつも見慣れた途中の駅や風景やが、すっかり    珍しく変わってしまって、記憶の一片さえも浮ばないほど、全く別のちがった    世界に見えるだろう。だが最後に到着し、いつものプラットホームに降りた時、    初めて諸君は夢から醒め、現実の正しい方位を認識する。」   とある。   面白い。僕ももう6年近く毎日の様に電車に乗っていますが、たまに有りますね。   こういうの。わかってはいるのだけどどうしても反対に走っている様な感覚が   抜けない・・乗り越したのではないかと不安になる・・ 蝙蝠館       丸山 薫 昭12   零落とはこういうことか。という。   重くて暗くて・・でも最後に希望が。 東京日記      内田百聞 昭13   いつものアンチクライマッマスな話集。好きな人には良いでしょう。 新居格の「真夏の幻想」他の詩も有。なんか新居格好きなんだが・・無いの。作品。 てなところで。どうせ誰も読んでないだろう。 つまんない感想だし・・うううう。 も少し読ませる努力を・・いやいや。 自分の読書メモがわりに使ってるという事で。 ではでは。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
妹尾ゆふ子「夢の岸辺」シリーズ/講談社X文庫ホワイトハート イラスト:わかつきめぐみ を借りて読む。 妹うさぎのゆふ子さんと言えば某めるへんな人の妹君で、 かつてはその有能なアシスタントでもり、 今や主婦でゲーム批評家でイラストレーターで小説家。 のあの人ですよね。実は氏の小説を読むのは初めてでした。 「太陽の黄金 雨の銀」/1993 冒頭から夢の世界。 主人公?の徹君の姿はと言えば、金髪でリボンでセーラー服の なんとも珍妙な姿なのだった。見渡す限り、草の海。途方に暮れていると そこへ現れる魔女姿の少女。彼女は徹のクラスメートで 普段は「眼鏡で三つ編みの、委員長」小泉であった。 状況認識もそこそこに、突然現れる黄金の竜。 その鉤爪に、小泉の言うには「佐藤ちづる」というクラスメートが つかまれていた、という。 果たして、彼女を救うために、小泉と徹は竜を追うのであったが。 この夢はちづるの夢なのか? 徹も小泉もその登場人物に過ぎないのか? いやしかし・・もしかしたら・・ 実は半ばでオチに気付いたワタシ。でもいいのさ。 小泉は可愛いし徹は素直だしな。 しかもイラストがわかつきめぐみときている。 ラストは「どっちともとれる」オチである。その分「夢」である事で 逃げを打っていると言え無くもないが・・・ 脳に涼風の吹き渡る。ちょっと寂しげだけど。 「天使の燭台 神の闇」/1994 で、その続編。といってもキャラクターが続いているだけなのだけど。 やはり「夢の世界」。今度は冒頭から小泉の視点で展開。 前作が徹視点に近かったことと対称的。 で、小泉の今回のコスチューム(をい)は、なんと幼稚園の制服。 これで「過去のトラウマものね」という判断を下したあなたは、正しい。 小泉本人も第三者視点から眺めて、認めているところ。 やはり見渡す限りの浅い緑色の創元ちゃう草原。 やっと現れた徹は、今度は「直衣とか、狩衣とか、なんかそーゆー」のを着ている。 イメージは七夕、河で隔てられた二人。 徹が近づくと小泉はどんどん(物理的に)縮んでしまう。 逢いたくない、ということの現れなのか。 これもまたオチが最初から割れてる様な話ではあるけれど、ラストへまで至る 静けさが、これは見ていただくと良いのだろうけど、本書のわかつき氏による表紙 イラスト(絶品!素晴らしい)の浅葱色イメージそのままに、静かに展開する。 小説自体も「ファンタジー少女小説」していて非常に好ましいのだけど 何よりわかつきのイラストの効果が強いです。ともすると散漫なイメージの キャラクター造形を、わかつきが適切にイラスト化していて、正直半分わかつきめぐみ 作品を読んでいる気分でした。 静かで、恋愛もあるし、うむ。ほのぼのしてて好みです。 ではまた。 最近慣れない書き物(うう・・・)でアウトプット過多。 もともとが少ない脳だけに、もうことばが出てこない、の @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
草上仁「よろずお直し業」PHP研究所/1991/6/21 読了後、興奮して、 「最近の草上作品には見られなかった味わいが、この作品には見事に復活している!」 という様な感想を書こうと思って奥付を見たら1991。何のことはない、 「全盛期」の頃の未読作だった訳だ。新刊かと思っていた・・・ 文庫しか買わない者の弱みである。だが、それだけに嬉しかった。 いい作品に出会える喜びは、他のどんな快楽にも勝る。 まだまだこの世の中には、自分と共鳴出来る未読本が沢山有るのに違いない。 ああ、時間と金が欲しいものだ。 主人公サバロ、は『よろずお直し業』ののぼりをたてて今日も市に店を出す。 彼は、戦争で瀕死の重傷を負って以来、「ものの命を巻き戻す」という力を得た。 彼には「ものの命のねじ」が見える。それを巻き戻すのだ。 だが、彼は自分が何者であるかを知らない。記憶を失い、その力で自分の瀕死の 身体のねじをも、日々まき直しながら生きているのだ。 彼が「直した」ものは、時が経てば、ねじがほどければ、また壊れる。 だから、彼は、いつも自分のしている事に疑問を感じている。 神が自分に与えた力を無意味に使っている様で、辛いのだ。 彼が直しているのが、「もの」ではない、という事に気づくラストまで・・・ ラストのせつなさ、そのシーン(夕日に輝く谷。見下ろす二人。遠くにはまだ青空。 素晴らしい!)の美しさ、そしてそれらを含め、作中世界の見事な描写・・・ 草上仁を読み始めた頃、丁度この本が出た頃の事・・・、あの頃に感じた この作者の「いいところ」が全部とはいわないまでも、詰まっている。 確かに、最近の作品も素晴らしい。センス・オブ・ワンダーに充ちているし、 展開も大胆に、器用に、使い分けて魅せてくれる。だが・・・ この作品のような「味わい」が、一番好きだったのだ。ワタシは。 草上仁、まだ読んだことの無い方は是非どうぞ。ハヤカワ文庫で多数出ています。 日本のフレドリック・ブラウン、と言うと草上氏に失礼かもしれませんが、まぁ、 そう言っても過言では無いと思っています。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@

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