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本棚・海外小説



・目次
パオロ・バチガルピ「第六ポンプ」
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ「九年目の魔法」
グレッグ・イーガン「宇宙消失」
D・アダムス「銀河ヒッチハイク・ガイド」
クリフォード・D・シマック「人狼原理」
アイザック・アシモフ「サリーはわが恋人」
アーサー・C・クラーク「前哨」
オラフ・ステープルドン「シリウス」
ロバート・J・ソウヤー「さよならダイノサウルス」
ロバート・J・ソウヤー「ターミナル・エクスペリメント」
ロバート・A・ハインライン「スターマン・ジョーンズ」
ロバート・J・ソウヤー「イリーガル・エイリアン」
アーサー・C・クラーク「海底牧場」
ニール・スティーヴンスン「スノウ・クラッシュ」
イアン・マクドナルド「黎明の王 白昼の女王」
ジョン・ウィンダム「トリフィド時代」
ロバート・J・ソウヤー「占星師アフサンの遠眼鏡」
ロバート・J・ソウヤー「フレームシフト」
ジョージ.A.エフィンジャー「重力が衰えるとき」「太陽の炎」「電脳沙漠」
グレッグ・イーガン「祈りの海」
ダン・シモンズ「エンディミオン」「エンディミオンの覚醒」
H.G.ウェルズ「モロー博士の島」
アーサー・C・クラーク「楽園の泉」
カート・ヴォネガット・ジュニア「猫のゆりかご」
ギャビン・ライアル「深夜プラス1」
マイク・レズニック「キリンヤガ」
デイヴィッド・ブリン「スタータイド・ライジング」
コードウェイナー・スミス「第81Q戦争」
ウィリアム・ギブスン「あいどる」
ポール・アンダースン「タウ・ゼロ」
マキャフリー&ラッキー「旅立つ船」
アーサー・C・クラーク「都市と星」
イアン・マクドナルド「火星夜想曲」
ジョン・バーンズ「軌道通信」
ルーディ・ラッカー「ウェット・ウェア」
福島正実・編「未来ショック 海外SF傑作選」
グレッグ・ベア「女王天使 上・下」
エイミー・トムスン「ヴァーチャル・ガール」
マイク・レズニック「第二の接触」
グレッグ・ベア「タンジェント」
ロバート・シェクリィ「人間の手がまだ触れない」
レイ・ブラッドベリ「キリマンジャロ・マシーン」
トーマス・M・ディッシュ「いさましいちびのトースター火星へ行く」
ダン・シモンズ「ハイペリオン」「ハイペリオンの没落」
ジェームス・ケイン「郵便配達は二度ベルを鳴らす」
ロバート・アスプリン「銀河おさわがせ中隊」
ロバート・アスプリン「銀河おさわがせパラダイス」
ヴァン・ヴォークト「非(ナル)Aの世界」
ウォーレン・マーフィー「豚は太るか死ぬしかない」
マイクル・カンデル「キャプテン・ジャック・ゾディアック」
アン・マキャフリー「歌う船」
フレドリック・ブラウン「スポンサーから一言」
エドモンド・ハミルトン「さすらいのスターウルフ」
ボリス・ヴィアン「赤い草」
R.A.マカヴォイ「黒龍とお茶を」
R.A.ハインライン「栄光の道」
ジョン・スラデック「遊星よりの昆虫軍X」
ハインライン「輪廻の蛇−ハインライン傑作集2−」
風見潤・安田均 編「世界SFパロディ傑作選」
ボリス・ヴィアン「北京の秋」
ジョーン・D・ウィンジ「鉛の兵隊」
ピート・ハミル「ブルックリン物語」
ラリー・ニーヴン「リングワールド」
チャールズ・プラット「フリーゾーン大混戦」
ボリス・ヴィアン「日々の泡」


パオロ・バチガルピ「第六ポンプ」/早川書房/2013/12/10 当たりかハズレか、というと当たり。 本物かまがい物かで言えば、本物。 いかがわしく、猥雑で、強烈な「SFらしさ」を全身にまとったまばゆさに目がくらむ。 「ポケットの中の法(ダルマ)」 ダライ・ラマの人格をダビングしたキューブにまつわる話。ゴーストを 不揮発性メモリに封入することで転生できない、ってのは新しいと思った。 しかしそのワンアイデアよりは、その物語が展開される背景にこそ目が行く。 「まもなく、成長しつつある核は、雨に濡れている瓦屋根の旧市街を飲みこむだろう。  そうしたら、生きている構造物である活建築は、成都そのものになる。」   活建築は鉱物の結晶構造状に成長していた。まず骨格がのび、それをセルロースの  皮膚がおおっていた。太くて強い基礎構造は成長し、枝分かれしていた。四川盆地の  肥沃な緑色の土壌に根が深く張っていた。土壌と太陽から栄養とミネラルを得ていた。」 いつかあの生きた巨大建築の中で暮らしたい、と思うストリートチルドレン。 そのポケットに転がり込んだダライ・ラマ。 徹頭徹尾「サイバーパンク!」という感じ。きらびやかで、汚れていて、暴力的で、 人があっという間に死ぬ世界。バイオな建築とか、うう、シロマサ!と叫びたくなる。 とにかく設定、背景世界そのものに酔える。本書の幕開けに相応しい。 「フルーテッド・ガールズ」 悪趣味な話。人体を楽器に改造されたアイドルの悲哀。 現在のアイドル業界への単純な皮肉と読めなくはない。 演奏シーンをどれだけエロエロしく想像できるか、が読み手に要求される。 映像化するときはここがキモになるだろうなーとか。 「砂と灰の人々」 うーわー。これも悪趣味だ!そして期待通りに悪くて面白い! 砂を食べても生きていける様になった人類の前に、絶滅したはずの かつての相棒、野良犬が現れる。面白半分に世話をして……みたいな。 すぐに病気になり、怪我をして、簡単に弱ってしまう、脆い生き物を前に 人ならざる精神に「進化」しちゃってる登場人物たちの中にわずかに 芽生える「人」がましさ。それはしかし、オチを予測させる。 「まぁ、そうなるわな」、というオチ。きっついわー。でも、うーん、 動物を飼うの面倒になる時あるよね…… 「パショ」 これも読み進めるうちに見えてくる「設定」(登場人物たちの独特な行動様式の 裏に見える歴史、なぜこの世界がこうなっているのか、何があったのか)に うわー!と背筋がぞくぞくする感じ。その「世界の秘密」を知りたくて、ページを 捲る手が止まらない。とても上手い。 文明崩壊後に、その崩壊の理由(精神性に伴わない科学技術)を踏まえて、 過去の知識を管理し、精神性の成長を見つつ提供していく、ゆっくりと…… というのが果たしてうまくいくのか(その辺のソリューションはあまり 明確で無い)っていうのは気になったけど、いやー、これも傑作。「SF」を 味わったぜ。 「カロリーマン」 冒頭からぐっとくる描写、例えば 「建物はウェザーオールのチップをプレス成形したもので、酒に酔ったように  隣同士よりかかっている。雨染みだらけで日焼けしてひび割れているが、  商標どおりの耐久性は維持している」 とかにもうSF心を感じてキュンキュンしてしまう。 このディティール、この言葉遣いこそSFよ!(伝わらないのは百も承知の上)。 物語そのものはややご都合主義的でありきたりと言えるかもしれない、が、 それらは圧倒的なSF的ディティール(秘密の花園が維持できる理由とか)を 美味しく味わうための「枠組み」でしかない、という感じ。ああ!SFだ! 「タマリスク・ハンター」 小休止的な一本。水の優先利用権を抑えられた流域住民の乾き。なんか椎名誠みたい。 他のディストピア的描写と異なり、乾いていて、荒涼とした感じがいい。 「ポップ隊」 永遠の若さが手に入った時代、違法に生まれてくる赤ん坊をサーチ&デストロイ (ポップ)してまわる話。設定の乱暴さがガン=カタっぽい。悪趣味だな、と 思うのと同時に、完璧な「若い」女性の肉体に慣れた男の目に映る「たるんだ」 母親に痛いほど感じるエロスとかすげーフェチっぽくていい。「子供」というものの 何気ない行動の愛らしさとかも、こういう世界を背景に描かれると、たまらない ものがある。 「イエローカードマン」 サイバーパンクっぽい。ディストピア、の一言で片付けてしまうにはあまりにも 芳醇な闇、痛み、苦悩。その苦痛にどっぷりと浸る。生きるということの痛みと旨味。 「やわらかく」 うわー。これは安易に同意しないほうがいいんだろうけど、うーん、あるよね。 そういう朝が。 「第六ポンプ」 なんか最後すごいのが入ってた。この絶望感。超「あるある、あるわー」と思える 絶望感がそこに。 別に人類全体が痴呆化してなかったとしても、はるか昔から受け継がれてきた レガシーなシステムを前にこんな風に苦闘(社会正義みたいなものに背中を 押されて入るけど、もうどうしようもない)してる人は今もいるはず。 開発時の設計が素晴らしかったから今も動いてはいるけど、もうコードの中身を 読み解ける奴がいなくて、当時のマニュアルに沿って対応するのが関の山、 開発会社はとっくに解散してて、当時のエンジニアも連絡がつかず……みたいな ことってありますよねー。おええぇぇぇ。 環境ホルモンとかあんまり騒がなくなったけど、実際のところ近頃どうなんだろう。 という感じで、読書メモをいちいちつけたくなるくらいには気に入ったのだった。
Diana Wynne Jones 'FIRE AND HEMLOCK' /1984 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ「九年目の魔法」/創元推理文庫/1994/09/30 リーダビリティが高くて、最後までグイグイ読まされた。 ただ英国ファンタジー素養が結構要求される感じで、その辺は1/3も解らなかった と思う。「解らなかった」という実感がある。それが解れば、この詰め込み具合や、 どこか腑に落ちないラストも、或いは別の意味を持ってくるのだろうと思うと、 もどかしい。 結局、根本的には「めでたしめでたし」では無い、んだよね? 戦いは始まったばかり、という。 兎に角ポーリィに感情移入できなかったのが最大の敗因だったろうとは思う。 当たり前だ!僕は(何度も言うが)少女だったことはないし、もう少女エミュの エンジンも錆び付いてしまった。 夢見がち、というか、現実と幻想の境が曖昧な主人公(達)の在り様に、 目眩の様な気持ち悪ささえ感じた。つまりはそれだけ僕の頭が 凝り固まってしまったという事なのだろうけど。あるいは、僕が「SF」の 徒だからか。兎に角因果が明確で無いと不安で。 読み終わって見れば大体の因果は解説されているんだけど、 「おお、そうか!」という感動みたいなのは、うーん、そういうのを 求める物語では無いんだとは思う。或いは単に読み解けてないか。 時間をおいて再読したい……と敗北宣言しつつ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (2006)
Greg Egan     "QUARANTINE"      /1992 グレッグ・イーガン「宇宙消失」/東京創元社/1999/08/27 波動関数が思うように収縮しない今日この頃皆様如何お過ごしでしょうか。 ていうか自分が関わってる可能世界を自分以外の誰かが常に収縮させてる気がして 仕方ないですよ。俺にもアンサンブル埋めてくれ。 という訳で波動関数の収縮といえばこれ、の「宇宙消失」を読みまして。 原題の「Quarantine」は、辞書によれば検疫・隔離・遮断…等の意味があるみたい。 こっちの方がより「上位の存在」の気配が濃厚。でも最後まで読むと、ああ、 なるほど……宇宙が消失な……と納得できるという。いい考えオチ。 西暦2034年11月15日、空から星が消えた。 太陽を中心に、冥王星軌道の約2倍の直径をもつ、「バブル」と呼称される 謎のフィールドが空を覆い、その”外”が見えなくなった世界。 星空のない夜。観測も出来ない。閉じこめられてからしばらくは、「閉所恐怖症」 で人がだいぶん発狂したりしたらしい。様々な解釈、様々な宗教が生まれ、でも それも落ち着いて、けっこう経つ。その日から34年。2068年。 主人公ニックは元警官で今は私立探偵。この時代の人間は脳に(ナノマシンで) 焼き込んだモッド回路を利用して、その場その場で都合のいいアドオン人格を 呼び出して、便利、かつ出来るだけ苦しみのない毎日を送っている。でも世界は 相変わらず不幸だし、テロリストも犯罪者も多い。 主人公が受けた依頼は、ローラという重度の知的障害者の女性(動ける筈もない) の行方を捜して欲しい、というもの。聞けばどうも彼女はテレポート能力?が あるらしいのだが…… 誘拐されたと踏んだニックは、各種ログからオーストラリアの北にある「新香港」 へと向かうが、目的地に着いて早々に、敵組織に対する「忠誠モッド」を インストールされてしまう…… ニックが、その「忠誠心」をうまくすり替えていく下りとか、状況に応じて各種 モッドを起動(起動時にメーカー名と価格が表示される)する辺りとか、その辺の 「未来世界生活描写」が楽しくて、あ、宇宙の「バブル」はとりあえずおいといて、 その手のサイバーパンクSFになるのかしら…… と思いきや、いきなり世界は「波動関数の収縮」に収縮する。 この無茶さ、そして「そこ」へ至るためだけに作られた世界観の (論理的帰結としての)奇妙さに(興奮的)爆笑を禁じ得ない。 いや、これはホンマに面白い。物理学を嗜まない自分的には、でも、文化系的な 理解の仕方で、普通についていけてしまう不思議。 「量子力学の観測問題についてきいたことはある?」 「いや」 「シュレディンガーの猫は?」 「あるさ」 「よくはわからないが、きみは波動関数の収縮が脳内で起こることを証明したのか?」 「そういうこと」 「それはどういう意味だ?地球上でこの能力をもった最初の生物が……  全宇宙を収縮させたというのか?」 映像としても面白い。ハリウッド映画とかにしたら結構印象に残る映像が 見られそうだ。波動関数を拡散させたまま、ありとあらゆる可能性を探索 している(そして最もうまくいった奴だけが可能性を収縮させて確定する)下りとか、 「いかにも」な感じでやってくれそう。登場人物も最小限に絞り込まれている 感じだし、兎に角わかりやすい。ラストの緊迫感とパニックっぷりも、なんとも ハリウッド的SF映画の原作向き。 あっという間に引き込まれてあっという間に読み終われるおもしろ小説。 作品世界の背骨には作者の誤謬のない知識がある(らしい)だけに、読んでいて 「??」という所はあっても、「違和感」がないのが素晴らしい。 「ディアスポラ」ともども、読書”体験”として今年再考の部類に入るもの。 しかし結局宇宙人でてこないのな。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (2006/06/21)
Douglas Adams "THE HITCHHIKER'S GUIDE TO THE GALAXY" /1979 D・アダムス「銀河ヒッチハイク・ガイド」安原和見・訳/河出書房/2005/09/20 ひでー。 くだらねー。 という褒め言葉(褒め言葉です)が口から漏れ出る、成る程伝説の傑作。 あまりのひどさ、くだらなさに感度しきり。もう初っぱなからおかしい。 可笑しい、じゃなくて、オカシイ。 かつて「宇宙船レッド・ドワーフ号」というナンセンス深淵SFドラマが 放送されていたが、あれはまさにこの作品の直系の子孫と言うべきだろう。 「うわレッドドワーフみてえ!」というのが正直な所。ナンセンスなんだけど ナンセンスなりに一本筋が通ったナンセンスさ。宇宙的無意味。 なにせ宇宙は広いので。 絶版となった”風見訳”と呼ばれる版は未読だが、これはこれでいいのでは。 キャラのしゃべり口、妙な語感のギャグなんかもそれなりだ。何より マーヴィンのキャラが後半どんどん立っていく様は感動的ですらある。 成る程ラジオドラマ向けというか。ビープルブロックスの造形なんかは、逆に 映像化してしまうとイマイチなのでは、と思う。あ、劇場版は未見なんで。 この本が再刊されて、普通に本屋で新刊として手に入れられるだけでも 映画化の意味はあった、とか思うのだった。 しかし、ああ、ほんまに馬鹿馬鹿しい。いや、下らない。 本当に下らない。本気でひどい。(褒め言葉) イギリスコメディが変にツボる人(モンティパイソンもMr.ビーンも大丈夫な人) には安心してお勧めできる英国系馬鹿SFの傑作。兎に角読んでいる間は 本当に幸せ。心底幸せ。 「そのスジの人」(レッドドワーフの集中放映の頃に寝不足になった人とか) には、チクショウ!こういうのが読みたかったんだオレは!という気分に なれることうけあいです。ホンマに。 さてただいま続感の「宇宙の果てのレストラン」読み中。 これが本作に輪をかけてひどい。いやもう、必読です。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (2006/01)
Clifford D. Simak "THE WEREWOLF PRINCIPLE" /1967 クリフォード・D・シマック「人狼原理」/早川書房/1981/06/30 ああ、シマックはいいなあ……という感じ。 夕空を、家々が飛んで行く描写、パーキングロットに積み上がっている描写、 その映像が脳内再生されたときに、心に去来する感覚は、こう、何ともいえない 味わいがある。こういう描写力は、ちょっと他のSF作家には真似できないものだと 思う。SFなんだけど、その映像に当たっている光線の具合が、非常な慕わしさ、 懐かしさに満ちていて。本当にこの作家って特別だよな、と思うのだった。 人工知能を備えた「家」は何かと主人の世話をやきたがる。 そういう時代に慣れていない主人公が感じる違和感や、ちょっとした鬱陶しさ、 その感覚さえがもうなんだかノスタルジィの色に染まって見える。 昨日の未来、というか。 癒し系といえばまさに癒し系。アメリカの田舎の大自然をバックボーンに持って いて、それが、なんというか、手の届かない懐かしさ(ホラ、あるでしょ、自分が 生まれた頃の事物や映像に感じる、まだ物心つく前のはずなのに感じる懐かしさ)。 ノスタルジィという感覚の、その気持ちいいところを綺麗に洗い出して、それに ”SF”という言語を通して触れさせてくれる。 兎に角読んでいて気持ちの良い文庫。単なる懐かしさでなく、そこにはセンスオブ ワンダーが沢山配置されている。センスオブワンダーであり、且つノスタルジイ。 正直主人公の造形とかにはさほど興味をそそられない。探査を目的として作られた 可塑性のある人工生命が、探査先の惑星やなんかで色んな生き物に変身しては、 その文明を理解し、それを持ち帰る、のだけど、地球ではすっかり忘れ去られて いて、とりあえずつかまってしまう。ただでさえアイデンティティが不安なところに きて、事件を起こして逃亡生活。自分の記憶のモデルとなった人の故郷で、墓に 納められたその人の記憶データと対話。ついには殻に(文字通り)閉じこもって しまい…… とまあ、物語自体はなんというか、ちょっと物寂しい訳で。その物寂しさが、でも この作品のちょっと傾いた日差しに凄く合う。寄る辺ない感じ。いいんだよな…… フォーカスが綺麗にあっていて、読んでいて常に明瞭な感じなのもステキでした。 p170からの「ダイナー」の描写の細かさなんかしびれる。 またいつか読み返したい本リストに加えておこう。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (2006/01)
Isaac Asimov     "NIGHTFALL TWO"      /1969 アイザック・アシモフ「サリーはわが恋人」/早川書房/1988/07/15 「正義の名のもとに」「もし万一……」「サリーはわが恋人」「蠅」 「ここにいるのは――」「こんなにいい日なんだから」「スト破り」 「つまみAを穴Bにさしこむこと」「当世風の魔法使い」「四代先までも」 「この愛とよばれるものはなにか」「戦争に勝った機械」「息子は物理学者」 「目は見るばかりが能じゃない」「人種差別主義者」 ……を収録。 超久々にアシモフを読み返して思うのは、やっぱりアシモフは自分の感覚に 合わない、って事だったり。また否定からか。すいません。 「鋼鉄都市」以外のアシモフは、ホントにこの人が”黄金時代”の”御三家の” なのか、どうにも「ピンと来ない」。時代性や地域性が強すぎるのかもなーとは 思う。 ただ、この短編集に入っている「こんなにいい日なんだから」は、いつだったか SFマガジンで再掲載されたときに読んで、「おお、アシモフもたまには面白いの 書くんだな!」とか酷い感想を(当時は草の根の)BBSに書き散らした記憶が。 素直に面白い、これはいいSFだ、と思ったのよ。実際、こうして読み返しても やっぱり面白い。何というか、「あるべきSFらしさ」がある。アメリカの大地の 感触もいい。解説にシマックの影響云々、というのがあって、ああ、それも あるのかもー、と今更感心してみたりした。アイデア的にもお話の展開にも ”SFらしい”切れ味と爽快感がある。 あと「この愛とよばれるものはなにか」が今読むとややツボにはまった。何が 良いってラストの展開のニヤリ加減がいい。アシモフのイメージ(吾妻ひでおが 描く「女どこだ女!」ってアレ)って主にこういうところから形成されてるん だろうなあ、あとあのモミアゲとか。あと女性編集者を主に外見的な美貌で評価 するのは当時のエチケット(男のたしなみ)だったのだろうか。 で、表題作の「サリーはわが恋人」ですが、思うにこの邦題はどうなんよと。 「サリー」でいいじゃない……とか思いつつ。あとこれが表題作になる程の ものだろうか、とか。当時(1953)そんなにショッキングだったのじゃろうか。 車が知性を持つってのは。よく比較される「お紺昇天」とは、こうして読むと 全く別のベクトルを持って描かれているなあとか。「ロボットの反乱」って <向こう>の人たちはホントに怖いみたいだけど、日本ではあんまし根源的な 恐怖パーツとしては扱われてない気がする。いや根拠はないけど。 とまれ、「こんなにいい日なんだから」はこの短編集の中に限らず、時代を 超えて傑出した作品だと思う。未読の人には、単にアイデアだけでなく、その 空気感を含めた、作品としての「SFっぽさ」を味わってもらいたい。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (2005/12/19)
Arthur C. Clarke "EXPEDITION TO EARTH" /1953 アーサー・C・クラーク「前哨」・小隅黎・他 訳/早川書房/1985/04/15 1953年の短編集だが、文庫の奥付は1985年と結構新しい。フムン。 月ネタ多し。 実際に達成してしまう以前、「人類が月に立つ」という事自体が非常に「SF」で あったことを強烈に印象づける短編集となっている。どれも(今となっては) 黴くさい代物であるには違いない。ただ、タイトル作である「前哨」は、その SF的切れ味の鋭さで、21世紀の今なお充分背筋をゾクリとさせるに耐えた。 タイトル作「前哨」は、後に「2001年宇宙の旅」の元ネタとされてるらしい。 オチを割ってしまうと、人類が発生する以前に地球を訪れた宇宙人が、 「この星の知性体が月まで来たら」知らせるためのアラーム(モノリスですな)を セットしてあって、それをさっき押しちゃった、さあこれからどうなるんだろう、 みたいな。 この「これからどうなるやら」がなかなかいい雰囲気。この、不安だけど豊かな SF的未来の始まりを予感させるオチは、ホラ、あの「太陽系最後の日」みたいな、 開けていく気持ちよさ。イイ。 あと個人的に印象に残ったのをつらつらと。 地球人類の遺産を発見した火星人が、研究の結果人類の姿を映したフィルムの 上映に成功するが……という「歴史のひとこま」。オチの無理矢理っぷりが クラークらしからぬヒネリで面白い。カジシン的。 「第二の夜明け」は手先は不器用ながら精神的に発達を遂げた種族が、手先の 器用な種族と出会って物質文明に目覚める話。これもオチが無理矢理だけど、 それまで一切の「工作」に出会ったことのない知的生命体、という発想が 面白い感じだ。 「破断の限界」は所謂冷たい方程式モノで、クラーク的なキレは特にない感じ。 ただ、ちょっといい台詞があって 「つねに文明人として振舞おうとつとめたのは、いまいったとおりだ  ――そして、教養ある人間なら、いつ泥酔すべきかを、つねに心得ている  べきだ。しかし、たぶんこれは、あんたにはわかるまい。」(p119) 「永劫のさすらい」はコールドスリープで眠り続ける悪の支配者と、思想により 時間刑に処せられた男の出会いの話。永劫の未来の地球の姿が、荒涼として いながら、切なく美しい。火の鳥的な。これはクラークっぽいといえば言えそう。 哲学的に進歩した未来世界の雰囲気が美しい。 あと、小惑星上で巨大宇宙船と鬼ごっこする「かくれんぼ」なんかは、ワン アイデアのみで、今読むとこれ何が面白いんだろう、という感じもなきにしもあらず。 つまり当時はこれが新鮮だった、ということか。 「優越性」は新兵器の魅力にとりつかれて、技術的には数世代遅れた敵に対して 負けてしまう種族の話。所詮は物量よ、みたいな。作者の(執筆当時の)意図は 那辺にありや。 まあ正直タイトル作以外にSFマインドにに訴えかける様な作品は無かったけど でもなんだかこういうの随分久しぶりに読んで、それはそれで楽しかったのだった。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (04/09/10)
Olaf Stapledon 'SIRIUS' 1944 オラフ・ステープルドン「シリウス」中村能三訳/早川書房/1976/04/30 買ったのは多分高校時代の終わりか大学時代の初め頃。表紙が宇宙っぽいので ずーっと宇宙SFだと思っていたら、何と戦前戦中のウェールズを舞台にした 知性化牧羊犬SFだった。手塚治虫24時間TVアニメの「バギ」みたいな話。 第二次大戦前のイギリス。 胎児期の動物にホルモン剤を投与するなどして、巨大な脳を与え、また長命をも 与えて猿と人類の間のレベルの知性を生み出す実験が行われていた。 超牧羊犬を生み出しつつ実験を繰り返す中で、人間同様の知性を持ったシリウスは 誕生した。知性の発達を妨げないために、科学者の娘・プラクシーと共に育てられる シリウス。犬であるが故の彼の野生と、人間の魂との間で揺れ動く「霊」。牧羊犬 としての修行、ケンブリッジでの研究動物としての怠惰な日々、「神」との出会い、 再び自然を求めて牧羊犬に戻り、そして戦争の中、迫害を受けて撃たれて死ぬまで。 今じゃ”人権”意識もあって、ここまであからさまに興味本位で「知性を持った犬」 とか作っちゃうのは危険な気もするけど、でもあくまで犬は犬だし(頭蓋の容量を 増やしただけで知性化してたモロー博士並)。十分な脳容量と十分な寿命さえあれば、 どんな動物でも知性を持てる、のだろうか?その辺は謎だけど…… でも「もし犬が知性を持ったら」みたいなワンアイデアでここまでしっかりした 「小説」が描けてしまうのは、結局この作者の小説力の故だろう。 あくまでも淡々と、重厚に、無駄のない見事な物語運びで最後まで読ませ切った。 地に足のついた「社会」を描いていて、これだけ破綻のない純SFってのも珍しい。 ホントに強引な所がどこにもなくて、うーん、良くできている。 論理的な知性が、その肉体感覚に左右される辺りの、膚からにじみ出る様な リアリティ。或いはプラクシーの、あまりに「女」的であるその成長時々の感情の ブレっぷりや若さ故の諸々なんかも、この作者の人生経験の豊かさを思わせて くれる。このへん、如何にも成熟した大人が書いた小説よな、と。センスオブ ワンダーな所は流石に薄かったものの(犬の弱い視覚のかわりに、その嗅覚から見た 世界描写、ってのでもう少し展開があれば)、単に物語小説として面白かった。 プラクシーとシリウスの間に流れる、分かちがたい感情の濃密さとかも、語り手の 引いた視点から、でも出来るだけ理解しようとして語られていて、それが自然に 伝わってくる。あと心にズキンと来た一節があって、  「いま、どんなことが起ころうと」と彼は言った。「わたしたちには、いっしょ   に暮したこの年月がある。このことだけは、なにがこようと消えるものじゃ   ありません」(p285) そうなんだよなー。結局、どれだけの時間を一緒に過ごしたか、って事なんだよ。 結果じゃない。人間関係の「上がり」は何処にもない。ただ側にいて、一緒に過ごす 事が大事なのだ。そこにしか、赦しはない。一緒に暮らすことが、大事なのだ。 まあ然しこの作中では人犬の精神的な結婚については語られているけど、やっぱ牡犬 と牝人間、ってのはなー。日本人的にはやっぱ雌猫と、って事に。ああ手塚先生は 偉大だった。(ひどすぎるシメ)。島津冴子がなー。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (04/06/19)
Robert J. Sawyer 'END OF AN ERA'       /1994 ロバート・J・ソウヤー「さよならダイノサウルス」                       内田昌之・訳/早川書房/1996/10/31 なんかこう、バカじゃないの!?と思いつつ大喜びで読み終わる様な。 だめだー。結局こういうの好きで好きで。 突飛なアイデアを突飛なリンクで見事に組み上げた、突飛なSF。 突飛、としか言いようがない。「いやそりゃそうかもしれんけど!」的なツッコミ を入れつつ、楽しく読んで楽しく読み終わる。 いやー、何なんだろう。この小気味よさ。一応332頁ある訳で、文庫小説のサイズ なんだけど……感じとしては、SFM冒頭に掲載されてる海外短編を、さくっと読み 終わった感じに近い。アイデア主体だから、だろうか。 古生物学者が二人、人類初のタイムマシンで白亜紀末期にやってきて……って もうこの先書くとネタバレ、みたいな。それだけアイデアの固まりなん。 ……ていうかありえへん!ご都合主義すぎる!でも理には適ってる!この 「ありえない程ご都合主義だけど理に適ってる」むずがゆさがソウヤーの魅力、かも しれない。なんかねえ。ホラ、映画のインディペンデンスデイで、ノートPCから ウィルス流し込むシーンみたいな。そんな簡単かー!でも敵がこの連中なら確かに 簡単かも……でもなあー、みたいな。すいません読んでないと何が何やら わかりませんね。 アイデアだけじゃなくて、ちゃんと主人公の「成長」とか「愛」とかをベタに 盛り込んであって……でもその「ベタ」なアイテムさえ「アイデア」の小道具 だったりして、ああ、ほんと良くできてる。 とりあえず、まあ(バカバカしい”良くできた”お話が好きなら)読んでみて、と。 巻末、訳者による「本書で解き明かされるおもな謎」を紹介して終わっておこう。 1 恐竜はなぜ絶滅したのか 2 恐竜はなぜあれほど巨大化できたのか 3 白亜紀と第三紀のの境界になぜイリジウムの豊富な地層があるのか 4 恐竜の肉はうまいのか 5 火星はなぜ死の惑星になったのか 6 時間旅行はなぜ可能でなければならないのか いや、もう、笑うよ。 しかしこの邦題は何なんだろう。何か元ネタあるのかな。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (2004/01/16)
Robert J. Sawyer 'THE TERMINAL EXPERIMENT' /1995 ロバート・J・ソウヤー「ターミナル・エクスペリメント」                       内田昌之・訳/早川書房/1997/05/31 つくづく一気読みを強いる作家だと思った。出てる本全部読んでる訳じゃないけど 今まで読んだ作品は全部そうだ。兎に角終わりまで一気に読まずにはいられない。 なんて言うか、作家性あるよなあ、とか思う。魂波(人間が死ぬときに脳から出て 行く何かの電磁的パターン)やら人工知能(というか脳内地図のコピーみたいな。 スキャンデータが数ギガで済むっていうことは、パターン図だけって事だろう、 そこから自然発生的に生まれる知能は、人工生命とも言える)やらといったヤケに 面白げなガジェットを持ち込んでいながら、実は犯人捜しもの(またか!)という。 キャラクターの造形や、彼等を取り巻く世間の造形に深みは足りないが、まあその 「ハリウッド的」な所がソウヤーの良いところだ。さも当たり前の事の様に、僕らが 見慣れた「あの」ハリウッド的なリアル感覚と、同じ所でSFをやっているという。 SFかどうか、と言われれば、SFだ、と僕のゴーストは囁く訳だけど、まあ諸手を あげてスゲー!とかそういうんでもない。ただ、なんていうか……例えばあまり本を 読まない人から「何か面白い本ない?」とか聞かれたときには、勧めやすいと思う。 兎に角、「SF」というジャンルに感じる、ある種の狭さ、息苦しさ(例えば マトリックスに感じるような)のない、開かれた、地に足のついた、でもちゃんと センスオブワンダーのある、SFなのだ。 この「豊かさ」の様なものは、ひとえに作者の守備範囲の広さだろう。いろんな ジャンルをジャンルと意識せずに、しかし深く読み込んできた、という感じ。いや 実際大した作家だと思う。そしてこの作品にもきっちりスタトレネタとUNIXネタは 入っているのだった。 巻末解説でも出ていたけど、結構色々ツッコミどころがあって、ソレをネタに 話し込んだりしてみたい気分。今頃読んで話し込みたいもないもんだけど。 (然し巻末の瀬名解説は、当時の氏の立ち位置を思い出させて、興味深い) 個人的にこの作品で一番いいなあ、と思ったのは42章の頭、人間って何なんだ、 本当の私はどの私なのだ云々、みたいな所。人間の精神は所詮肉体の付属物でしか ない、人の「心」は所詮化学的バランスでしかないのだ、我々は皆化学的マシン なのだ、とかいう。自閉症や躁鬱症、痴呆症や精神分裂は、すべて病気であって、 その人自身ではない、では結局人間の「実体」ってのは何なのか…… ここでの結論はまあ「魂」に行き着いてるんだけど(そして犯人捜しの結末も)、 そういうの読むと、やっぱ宗教を背骨に持つ人々との断絶を多少感じてしまう。 僕がそう言うので思いつくのは、精々「閻魔様の前で裁きを受ける」って、あの絵 (おじゃる丸)位なもんで。「死後さばきにあう」事に対する、その「切実さ」って のは、やっぱ、違うんだろうなあと。 でも、ラストの描写は何かいいね。ぱらいそさいくだ。 「帰ってきた男」(池澤)か、或いはイデオン的でもあり。 今回は(も)感想のみですいません。 内容紹介とかした方がいいんだろうけどな…… さて次はどれを読もうかなー。やっぱ「さよならダイノサウルス」ですか。 でもSFでミステリなら「11人いる!」だよなー、の @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (03/10/03)
Robert A. Heinlein "STARMAN JONES" /1953 ロバート・A・ハインライン「スターマン・ジョーンズ」/早川書房/1979/12/15 (矢野徹・訳) 「どんな法典も完全なものではありません。人間は盲目的服従からではなく、  判断と常識によって行動しなければいけないんです。」(p368) 片田舎の農民の少年が豪華旅客宇宙船の船長になっちゃうまでのお話。 成上がったけどフラれました。タイラーみたいにゃー行かないわ、と。 男の人生に金と女は敵なり。男は仕事に生きるのよ。 導入部の面白さはピカイチで、冒頭1/3はぐいぐい読まされた。 宇宙船に憧れつつも、宇宙船とは縁の無い生活を送る農民マックス・ジョーンズ。 農場を残して彼の父が死ぬと、継母は新しい男を連れ込んで、農場を売り払って しまった。だが同時に継母を養う必要の無くなったマックスは、航宙士だった 伯父が遺してくれた本を手に、アースポートへ向かう。亡くなった伯父が、彼を 航宙士組合に紹介してくれていた筈なのだ……だが、推薦は無かった。 マックスはヤケに事情通のホームレスから知恵と力を借り、偽造書類で宇宙船に 乗り込む。やがてハイクラスの美少女と出会い、彼女を通じて、彼の写真記憶と 高い数学能力は評価され……という成り上がりタイプの成長モノ。 後半になるに従って、重たく、しんどくなっていく。もっと素直に成り上がらせて やれよ!少年の夢をさ!とか思う。どうも「大人の世界は厳しいんだぜ」みたいな 煩さが気になる。まあそれがつまり「大人になる」こと、「人間的成長を遂げる」 ってことなんだろうけどさー。 先輩達に認められ、仕事に燃えれば燃える程、女の子は遠くなっていくという現実。 頑張れば頑張るほど過労死が目前に迫ってくる。尊敬する師匠があっさり過労死 する下りには(展開上の必然というよりも)作者の含意を読まずには居られない。 地位が上がるに従って精神的にも肉体的にもしんどくなっていくのは、あまりにも 夢が無いというか。仲間のそねみ、増大する責任の重圧、過労に過労を重ねて 死にゆく先輩達。或いは小さなミスを隠そうとして致命的なミスを引き起こし、 逆ギレして殺されちゃう人……そんな大人達に混じって、頑張って頑張って 頑張って仕事して、挙げ句大変な責任まで負わされて、それれでも何とか難局を 乗り越えて、で、結局フラれる。 というか最初から相手にされてねえ……ここぞという時の女扱いの下手さを徹底的 に描いていて、これがまた痛くて。憧れの職業に就いたんだ、あとは仕事仕事で すり減らされて倒れるだけか。何なんだ男の人生って。少年の夢の結果がこれ、 ってのは、ああ……なんだかなあ。 豪華客船なのにジャンプ(ワームホールみたいな)する度に航宙士が集まっては 観測と計算を(不眠不休で)繰り返す様は、何というか、そのマージンの無さに 恐怖する。「コンピュータ」は精々電卓程度としてしか描かれてない。タイム シェアリングも出来ず、複数の航宙士がそれぞれ計測結果からなる計算式を 二進数に換算して順番に入力、誤差がないことを確認してからジャンプする。 あらゆる計算式は全てギルドに属する(持ち出し厳禁の)マニュアルに書かれて いて、数値が支配する超光速航行においては、徹頭徹尾マニュアルに従う事が 必要となる。ではそのマニュアルが失われた場合は……? まあその辺の航宙方法が新鮮で面白かったなあと思いました。あと宇宙船には 物理学者とか数学者を常備しなきゃならないってのも、成る程なあ、とか思う。 あとつくづくマージンってのは大事だよなあと。 作品の背景として描かれている未来世界の描写が結構味わい深い。職業は基本的に 組合制となっていて、ギルドに属さないと仕事が貰えない。で、その組合って いうのが、基本的には世襲制。組合間を移動するには、推薦若しくは相応のカネが 必要となる、みたいな世界観。巻末ではこういう機会不平等の社会はイカン! みたいな(あとマニュアル至上主義もイカン!みたいなのも)運動が高まりつつある のを匂わせているけど、いや、こういう社会になっていった課程、みたいなのにも 興味がある。何か別の作品で語られてないんだろうか。 なんつーか、導入の面白さで全てが許せる程度には面白かったです。 あと自分は宇宙船の船長になる(栄達する)よりお金持ちの女の子ちゃんにモテ たいと思ってんだなあ、と判明。駄目すぎる。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (03/08/29)
Robert J. Sawyer "Illegal Alien" /1997 ロバート・J・ソウヤー「イリーガル・エイリアン」                       内田昌之・訳/早川書房/2002/10/31 ファーストコンタクトモノかと思いきや、殺人〜法廷劇〜侵略SFオチ。 絵的には殆ど法廷モノなんだけど、実は良くできた(多分少年向け)SF、でした。 「よくできた」話好きの方にはオススメしたい。 人類が初めて出会った地球外知的生命体は、アルファ・ケンタウリからやって来た 非ヒューマノイドな連中だった。きわめて友好的に進む交流、だが、突然悲劇が 起こる。宇宙人の宿舎で、一人の人間が殺されたのだ。現場に残された証拠から、 殺人犯はこのエイリアン達のうちの誰かであることが疑われ、舞台は法廷へと 移っていく。 最初の時点で「んなわけあるか!」とツッコミを入れ損なうと、もう最後まで あれよあれよと流されてしまう。法廷や太陽系や人体に関する記述で「お勉強効果」 を誘発してリーダビリティを高め、「宇宙人」のメンタリティに対する描写で読者の 興味を引っぱり続け、最後、これはもう「ソウヤー節」とでも言うようなコペ転に 持ち込んで、読者を気持ちよくひっくり返す。いや、これはもう才能だよなー。 そのセンスというか、バランス感覚というか。面白かったー、でもそんなわけない よな、どこかでかけちがいが起きて、でも気にしない、面白いし、みたいな。 ハリウッド的、というとまた違うんだろうけど、読者の視野を物語だけに狭めて、 一気に展開を推し進めてしまう。だって「カリフォルニア州法廷対侵略型宇宙人」 だぜ。そこにツッコミを入れさせない勢いと説得力。ラストの「開き」具合 の気持ちよさ、読後感の爽快さは見事。 他人に説明すると凄くバカっぽくなってしまうのが難点だな……SFの魅力の一つ である「崇高さ」とは無縁の、でも別ベクトルで面白かったよー、と。それだけ。 いやそれでいいんじゃないか、それがソウヤー、だという気がしてきた。この本、 決して「外れ」ではない。むしろ「当たり」。この本読んで「だから何?」は禁句。 読者も「それ」を解って読んでるんだから。そういう了解が成立するタイプの作家 (多分その「暗黙の了解」スイッチがどこかに仕込まれているんだろうとも思う)。 読み終わったとき「あっはっは!やるやる!やってくれるねえソウヤー!」みたいな 喜び方をしちゃう。 宇宙人で殺人で、とかいうとレズニックの「セカンド・コンタクト」を思い出す けど、やっぱ切れ味はこっちの方が数段上だよな……レズニック好きだけど…… あとやたらスタトレネタが出てくるのが何とも。アメリカ人はそんなにも スタトレリテラシーが高いのかと。いい国だ。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (03/06/12)
Arthur C. Clarke "THE DEEP RANGE" /1957 アーサー・C・クラーク「海底牧場」/高橋泰邦・訳/早川書房/1977/02/15 構成わやくちゃだけど、素直に読めて、普通に面白かった。 アイデアそのもの(センスオブワンダーそのもの)を軸にした「SF」とは 毛色の違う、近未来の「社会」を扱ったSF。このイエスタディズトゥモロー 感は、ちょっと良い。色褪せた映画を見ているような、豊かな感じ。 作品世界観光の魅力タップリ。実際その「映像」の美しさに尽きた感じ。 驚きはないけど、魅了される。 それだけに後半の、わりとダダ崩れな展開には疑問が浮かぶ。西欧人種が「仏教」 に帰依して、鯨牛豚鶏を食べるのを止めてプランクトンから作る合成肉食に しましょう、みたいな流れになる世界は、流石に飛躍が過ぎると思った。ほ乳類を 食わないことで、人間が新しいステージに上れるかっていうと……まぁ、ここでは 「異星人から見て恥ずかしくない様に、ほ乳類を食べるのは止めましょう」的な 論が説得力を持って語られているんだけど……そうなのか。 ま、後半は兎も角として「宇宙に放り出され、広所恐怖症に陥った宇宙飛行士が 海で第二の人生を」みたいな話としては充分面白かった。この主人公と恋に落ちる インドラ(ヒロイン)の美少女〜美女っぷりが実に瑞々しくてイイ。大体冒頭の 血まみれで鮫を解体中な褐色の女子大生、って登場シーンがあざとくて萌える。 珊瑚礁の海を舞台に進展していくロマンス描写に、少女漫画並みのドキドキ感が あってスゴクイイ。クラークってこんな人間描写できる人だったのか。 この辺も含め、描かれる情景の鮮やかさや豊かさは、昔ハヤカワの目録で読んだ 粗筋からは想像もできなかった。いや、能天気に読める「小説」だと思った。 以下雑感。 大イカやら謎の海底生物やら、まあ良くもこれだけのアイデアというかネタを 詰め込めるものだ、とは思う。小ネタを無理矢理消化してんじゃないのか、って 気にもなったけど。ホント、なんか構成はわやくちゃだと思う…… この作品のSF的キモたる大胆な海洋農場描写は、今じゃ素直には受け入れられ ない様な気もする。海中の栄養バランス乱しまくり。でもまあ、石油ごんごん 掘り返しては燃やし続けて、大気バランスを乱し続けてる「現代人」の云える事 でもないが。 個人的にはこういう大げさなまでの「未来インフラ」描写には憧れる。未来は でっかくなきゃねえ。雲を突く巨大なビル、空を覆う巨大な旅客機、天を貫く 軌道エレベーター、地上からも見える軌道上の恒星間航行用超光速船。 それがSFってもんだよ。 あとなんか暫く食ってないけどクジラの肉って美味そうだと思った。オキアミ とかも。プランクトン農場とか、プランクトンをどんな風に食肉化しているのか、 その辺の描写があれば。「海底奇巌城」ドンピシャ世代としては、プランクトン 由来の肉ほど美味いものも無さそうに思える。思い出すだけでうまそうだ。ううう。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (03/05/05)
Neal Stephenson "SNOW CRASH" /1992 ニール・スティーヴンスン・著 日暮雅通・訳          「スノウ・クラッシュ(上)」/早川書房/2001/04/30          「スノウ・クラッシュ(下)」/早川書房/2001/04/30 いやまー今更今更。今更なんですがー。面白かった! アスキー版の装丁が「ウィルス」(ミーム)を主軸に捉えたハード(ソフト?) SF方面への言及だとすると、ハヤカワ文庫版の「フリクリ」な装丁こそは、この 本が「ヤングアダルト」向けハイスピードバカ青春小説であることを物語る。 個人的にはこっち(文庫)の表紙がバッチリだと思うんだけど、どうでしょか。 いやもーマジ面白かったよ。些か以上にハリウッド的ではあったけど、その辺も 含めて。「絵」がイイのよ。描かれる「絵」が。ディティールが実にイイ! ていうかディティールしかない。「絵」がどんどん描写されて、ディティールを 積み重ねていくと、その向こうに物語が。あー!これこれ!これこそ! 後書きによると、ビジュアル側から作られた面もあるらしいけど、さもありなん。 「SFは絵だ!」派、或いはガジェットマニア、設定フェチにはたまらない、完成 された「別の進化を遂げた近未来」といえる。 出だしで乗り遅れないこと。よくわかんないかも知れないけど、詰め込まれた スピードとガジェットとディティールにクラクラしながら(これが「サイバー パンク」ってやつか!)冒頭から語られるこの作品の世界観を取り敢えず脳内に ロードして展開しよう。駄目になったアメリカに点在する、各種マフィアの運営 するフランチャイズ都市国家、その中を疾走する二本差しのピザの配達人は フリーランスのハッカーで剣豪、その車にアンカーを引っかけて滑り込んでくる スケボー少女はメッセンジャー。そのファーストシーンを(無理にでも)読み 通せば、段々世界が見えてくる。しがみつく腕さえ持っていれば、後はジェット コースターだ。 後半になるに従い、そのタイトルである「スノウ・クラッシュ」という「ウィルス」 の定義がメタ(生物的な、コンピュータ的な、言語的な、宗教的な)存在になって きて、読者は振り落とされるギリギリの所まで追いつめられる。振り落とされずに ついて行ければ、そのメタなウィルス感覚はかなりの快感(センスオブワンダー) なんだけど、いや、その辺結構厳しく且つ楽しかった。「よしわかった!そういう ことか!了解!」みたいな。深く考えたら負け、とか言いつつライブラリアンとの 問答の下りはWebと首っ引きで読んだよ。西洋宗教の素養がある程度前提とされて いる感じ。祖語とかそういうのも面白えー。いやホント面白いよ。何で「バベル」 で人間が共通語を話せなくなったのか、とか、もーこの辺だけで全然別の話が書け そうな位作り込んだ「符合ごっこ」なアイデアを、然しまああっさりと使い捨てる。 そこがまたクールなのだが。そうか人間もバイオスの上に言語ってOSが乗ってる だけか!了解!って、でもPCいじるのが好きな人には即了解できても、そうじゃ ない人には厳しいだろうな、という感じは、するな…… あーしかし。世界設定が実にもう良く出来ていて、これだけで終わるのは実に惜し すぎる。逆に言うと、物語そのものより世界設定(作品世界観光)のほうに魅力 の大半がある感じ、いや両方か。主人公達キャラの魅力も尋常ならざるものがある。 敵キャラの大男も実にイイのだ。波に乗ってモーターボートよりも速く移動! ガラスのナイフで防弾繊維も切り裂くぜ! ちょっとでもテッキー(技術屋的)な性質を持つ連中なら、ここで語られている 事の、いちいちの「正しさ」に頷くことだろう。メタヴァースのソースをその場で 書き換えて上げ直すとことかタマランわー。「バグのないソフトウェアなど存在 しないよ」。リーズン(超強力なニードル銃みたいなの。廃熱部の造形が格好 良すぎる)についたOS(β版)のヘルプメニューとか萌えすぎる。身をよじる程。 個人的に震えたのは、連邦府にY.Tの母親が出勤してきてから仕事を始めるまでの 下りの不気味さ、その不気味さが殆どそのまま現在行われていてもおかしくない、 と感じさせるリアルさ。今自分がやってる仕事も、皮肉な視線を加味すれば、この シーンと殆ど大差ない(グループウェア使って仕事してる人なら誰だって感じる 所はあるんじゃないか)という怖気。 この作品で魅力的なのは所謂ガジェット、細かい設定含め小道具の数々に在って、 成程SFの神は細部に宿る。そればっかり見てても充分楽しいんだけど、個人的に この世界でのネット空間「メタヴァース」には何とも言えない魅力を感じた。 現在の「Web」とは違う、然し有り得べき「リアルな」近未来ネットワーク像、 92年ならではの、現行の技術に忠実でありながら現代とは全く違う、クローズド であるが故に洗練された「未来のネットワーク接続形態」が、非常に心地良い。 現実の展開と同じフェーズでジャックインしたネットワーク風景が描写され、 ゴーグル越しに世界が二重写しになりながら、それを当然の事として物語は展開 する。現実のフェーズで戦闘を、或いは逃亡を繰り広げながら、ゴーグルの中では 会談が繰り広げられたり、謎解きが展開されたり……ああ!「バーチャルワールド」 ってのはこういうのを言ったのだ。 我が国にも東野司が描いた「ミルキーピア」シリーズという、その当時に想像した 「未来のネットワーク社会」(の残滓)が残されているが、まさにそんな感じ。 どんなに接続者が増えても、確とした管理者が居て、ルールがあって、基本的に 「楽しみ」のために運営されているアミューズメントパーク。で、まあもうここも 楽園じゃないんだよ、というオチで終わった、んだと思うんだけど……そうなのか? 今みたいな、広漠たる、公共の往来たる、からっぽの洞窟たる、「インタラク ティブな」壁新聞止まりの「ワールドワイドウェブ」とは違う、もっと根本的な…… いや、ホント、ネット社会ってのは、今みたいな地味なモノであってイイ訳が 無い。90年代頭までは、何となく「こういうの」が「あるべきサイバースペース」 だったのだ。何となくパソ通の進化形。メタヴァースはUNIXベースっぽいけど。 まだこれからこういう世界、「アミューズネット」は目指されるべきものだと思う。 Webの、乾ききった、灰色の、現実世界と全く地続きの、アバターなんか必要の無い 「ネットワーク社会」を知ってしまった今となっては、「アミューズネット」への 接続は「ごっこ遊び」にしか思えないかも知れない。でも、それでも、「あるべき ネット世界」がここにはある。これでこそ「ネット」だ。何も脳にプラグを埋め 込む必要はない。現行の技術の先に「これ」があってほしい、そう思わせる快感。 懐かしさ、ではなく…… 大上段に構えた設定、鬱陶しいほど作り込んだ風景、”嘘のない”テック描写、 めくるめくガジェット、イカス舞台装置、そして何より主人公達の愛すべきキャラ! やー、久々に「アメリカSF」を読んだー。満足満足。ながいこと、こういうのが 読みたかったんだよなー。そういう感じ。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
Ian McDonald "KING OF MORNING,QUEEN OF DAY" /1991 イアン・マクドナルド「黎明の王 白昼の女王」古沢嘉通訳/早川書房/1995/02/28 「火星夜想曲」のイアン・マクドナルドの、これはファンタジー長編。 4部構成(大体3部構成みたいなもんだけど)になっている。どうもそういう 「お約束」があって、それに則ているらしい。 曰く、 「ファンタシーにおいては……すべての物語は三巻を経、妖怪狩猟に言及して  いなければならない」 最初は如何にもなファンタジー。1913年から始まる夢見がちな少女の物語。 お屋敷の夢見がちな少女が、森で「妖精」に連れ去られる(という体)もの。 次は前世紀中葉の、割としっかりした感じの描写。少女と、それを影で護る男二人。 自らが生み出した虚像に引っぱられて、母親が生み出した精神世界に連れ込まれ そうになる少女。間一つ挟んで、最後はゴーストバスター(或いは闇ガード) 的なアレ。 成る程3部構成以上だし、妖怪退治ものだし、これがファンタジーなのか。 個人的な印象としては、ファンタジーの皮をかぶったSF、な感じ。 「謎解き」に論理が匂う。妄想力が現実に力を及ぼす、つまりサイキックな 「能力」を持つ一族の話、と読めば、ファンタジーと言うよりSF、なんだけど、 まあその辺の線引きはそういうのが好きな人に任せるとして。 最後のが一番面白かったかなー。絵的にも。まー結局読み慣れた文法で描かれた 所だからなんだろうけど。そこまで割とボンヤリしていたキャラクター造形が、 この主人公イナイ・マッコールに至って、いきなりシャープになる感じ。 抜き身の太刀を携えて、己の前に現れる魔物を斬る、サムライの如き小柄な美女。 然し彼女も又……。最後はこの悪夢の根元を再度現実に返すことでシメ、と。 展開はあくまでオーソドックス。 正直「火星夜想曲」に匹敵する魅力、は感じなかった。「火星」は、兎に角 アレは、尋常じゃなかった。引き込まれて、「帰って来る」のが大変だったものだ。 この作品は、作者が「これは(少なくとも形式は)ファンタジーだ」という、 ファンタジーエミュモードに入って書いた作品だからか、その辺、もどかしい 部分が。 前作でも見せた引き出しの多さ、発作的に現れるマジックリアリズムを喚起させる 情報の詰め込み具合の巧さは相変わらずだけど、こと「リミックス」に関しては、 今作では登場人物の喋りに凝集されているだけのような気もしないでもない。 「リミックスは二十世紀の最後の二十年間で優勢な文化形態なんだ」 「時代のテクロノロジカルなエートスと完全に調和している唯一の文化形態さ」 「われわれの国家も、歴史も、過去も、リミックス文化に影響されている。」 「すべてがリミックスなんだよ。分解し、分析し、サンプリングし、ふたたび  いっしょにする。おれがしたいと思っているのがそれなんだ。現実をダビング  すること――究極のリミックスさ」(p497-498) 読みこぼしてる部分が凄く多い気もするけど、うーん、すいません、正直、よく 分かりませんでした……。結局今回のサンプリング対象になっている 「ファンタジー」って奴に馴染みが無かったのが、読者としての敗因だったん だろう、と。 とまれ、もっと他の作品も読んでみたい作家ではあります。実際、「読書体験」 としては抜群に面白い作家っぽいし(2作しか読んでないのでわからない……)。 そろそろ例のサイバーお遍路小説が出ているのでは。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (02/05/24)
John Wyndham "THE DAY OF THE TRIFFIDS"        /1951 ジョン・ウィンダム「トリフィド時代」井上勇訳/創幻推理文庫/1963/12/20 ※副題に「――食人植物の恐怖――」とあり。  「空は、ただもう、流れ星でいっぱいなんです」と看護婦はいった。  「みんな、明るい緑色をしていて。そのために、ひとの顔がおっそろしく   青ざめてみえますの。みーんな、外に出て見物していますわ。…… 緑色の流星群が天界を覆った夜。世界中の人達は空を見上げ、その天体ショーに 酔った。主人公、ウィリアム・メイスンは、目の治療の為、その天体ショーを 見損ねたのだが―――流星の夜が明けると、世界は一変していた。 流星を見た人々は皆めくらになってしまっていたのだ。 人間から視覚を奪う、たったそれだけの事で社会はこうも簡単に崩壊する。 悪夢の様な日々。目の見える者を捕まえ、逃げられぬ様にしてから自分の「目」と して使役する連中に捕まったり、崩壊した店舗から者を盗む事に苦悩したり…… ここに、さらに災厄が追加される。食人植物「トリフィド」の存在だ。ソ連の 生み出した?植物で、植物油を産するのだが、放っておくと根を持ち上げて歩行、 頭部に生えている刺毛で動物を打ち殺し、その死体を食うのである。歩行速度は 遅いものの、盲た人々は簡単にトリフィドに狩られて行く。 流星を見なかった為に盲を免れた人々は、次第に大小の組織を作っていく。 或いは神にすがり、或いは過去の倫理を捨て、新たな時代を模索し始める。 「今から先、われわれの前途に横たわっている時代にあっては、わたしたちが  今までに教えられてきた、そういった多くの偏見は捨ててしまうか――  根本的に変えてしまわなくてはならないでしょう。わたくしたちは、たった  ひとつの原始的な偏見だけをうけ入れ、維持して行くことができるだけで、  それは、種族は維持するに値するという偏見であります。その重要性を前に  しては、他の全ての配慮は、少なくとも当分のあいだは、二義的といっていいで  ありましょう。」(p176) それでも、段々と敗北していく。文明社会が崩壊した今、時間が経てば経つほど 状況は不利になっていく「最初の世代は労働者、次の世代は野蛮人…」最初軽視 されていたトリフィドの脅威も、後半じわりじわりとその度を上げていく…… トリフィドに征服された土地を取り戻すまで、人々の長い戦いは始まったばかりだ。 こないだの獅子座流星群見たあとで、失明してないかと恐れた人は結構居たんじゃ ないだろーか。居ないか。 まずSFとして面白かった。1951年の時点から見た近未来の、独特の肌触りが イイ。トリフィドの存在感も。子供の頃読んだ時は、もっと恐ろしいイメージが あったんだけど、今読むとちゃんと「動き回る食虫植物」って感じのシンプルな 描写で、独特の味わいが。 キャラクターの性格付けがハッキリしていて、非常に地に足のついた思考をする のが印象的だった。頭がいい、というか、大人な感じ。新理想論だけではなく、 過去の倫理観との折り合いをつけていく辺りとか、読んでいて納得がいく感じ。 残り少ない食料を配分するにあたって、目の見える人間だけで生き抜いていくか、 それとも一時的にでもみんなを助けて滅んで行くか、そういう選択に迫られていく 時の決断とかが、非常に納得できるもので。 強烈な思想を持ってネオユートピアを築こうとする連中とは袂を分かって、自分が 納得できる答えを探そうとする(決して飛び抜けて優れてはいない)主人公の ナチュラルさに、共感したりした。こういう状況だと、他人に判断を任せて、 自分は農奴に堕ちてしまうのは、楽になる方法の一つだと思うんだけど、やっぱ 納得行かないものは納得行かないのだ、と。そう言える強さは、でも多分僕には 無いな。長いものに巻かれるタイプさ。嗚呼。 ・作中、箴言といっても良いような名台詞がポンポン出てくるんだけど、中でも  p243-244のコーカー長台詞は名言中の名言。曰く 「相手にまじめにうけとらせるには、相手自身の言葉で話さなくちゃならない  ことがわかっていないらしい連中が世間にはわんさといる」。 労働者を相手にするには労働者の言葉を、お偉方にはシェリーの引用を。非常に 示唆に富んだ台詞。コイツもキャラ立っててイイんだよなー。 古典SFでありながら、今読んでも全く古くさくない(思想的に)。古典ならでは の骨太・力強い物語性が魅力。オススメです。 小学校低学年の頃に少年向けのSF叢書で読んだんだけど、あの本どこやったろう。 怖かったんだよなー。イラストが。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (01/12/09)
Robert J.Sawyer "FAR-SEER" /1992 ロバート・J・ソウヤー「占星師アフサンの遠眼鏡」内田昌之訳 /早川書房/1994/03/31 ああSFだSFだ。 あとがきに粗筋紹介があったので引き写し。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――   人間並みの高度な知性を有する恐竜、キンタグリオ一族。彼らが暮らすのは、  世襲の国王が全土を支配し、僧侶たちがはばをきかす、中世ヨーロッパさながら  の世界だった。   地方の群から帝都へ召還されたアフサン少年は、あこがれの宮廷占星師の弟子  になったものの、天空に見られるさまざまな現象の、あまりにも非科学的な解釈  に、何か割り切れぬものを感じていた。   やがてアフサンは、通過儀礼のひとつである、巡礼の航海に出発する。そして  最新の発明品である遠眼鏡を使って、夜空に光る月や星を観察し、キンタグリオ  が住む世界の秘密をつぎつぎと解き明かしていく。……(訳者あとがきより) ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― この粗筋だけ見ても充分「そそられる」。でも、正直何て言うかもっと「高尚」 っぽい内容を予想してたんだけど、読んでみたらコレがもう「小学校高学年むけ」 みたいな勢いの物語で。特に前半、その知性を認められて田舎から帝都にやって きた少年が、王宮で勉強してるうちに王子と友達になったり、大人から認められ たり、冒険の先々で突然思いもよらぬ力を発揮したり云々、ってのはもーホント 恐竜界のハリーポッターとでも言うべき都合の良さ。いや、それがイイんだ。 この世界は巨大な筏で、巨大な川の中を進んでいる、という世界観が、アフサンの 天体観測によって「コペルニクス的転回」(どっちかっていうと遠眼鏡だし ガリレオなんだろうけど)をしていく描写は、もう「解っててもセンスオブ ワンダー!」というかさ。でもこの世界は惑星じゃなくて、って所に一ひねり あって面白い。やーあの辺の解説シーンは思わず図を描いて納得してしまったよ。 おおそうかそれならこの現象も納得できる!とか(あまりにもさくさく発見し 過ぎ!とか読み終わった後では思うけど、読んでる時は気にならなかった)。 「コペ転」が大体巻の半分の所で、残り半分は、実はこの星はもう……という 事実を世に知らしむる活動へと。何かこの辺はもうどうでも、という感じもあり。 歴史的な瞬間なんだろうけど…続編に続くヨ!っていうあからさまなヒキの色気 がチョット。そんでこの後のシリーズ翻訳されてないみたいだし。続きのは 恐竜ダーウィンと恐竜フロイトらしい。うーん。原書買うかなー 「恐竜の中世」世界観に徒に整合性を取ろうとしてない分、ディティールとかに 安定感があって良かった。肉食恐竜が知性を持ったらこうだろうなー、と思わ せる「なわばり本能」や、凶暴な本能を押さえ込む宗教の描写。切っても生えて くる手足や尻尾、ってのも面白い。食事のシーンなんか「まんま」肉食恐竜だし。 あーでも中世ヨーロッパの食事って似たようなもんだったかもよ?とか思ったり。 一応肉食恐竜なんで、巨大な雷竜系の獲物を駆るシーンとかの血みどろの格好 良さは(ホントに)血湧き肉躍る。スピード感も有るし、読んでると恐竜の 気分になれるよ。 ただまー、読んでて、短い間に伏線を張っては閉じ、張っては閉じする手法は イカガナモノカとは思った。読者に親切すぎるというか。ネタフリからオチまで の間が短すぎるっつーか……「フレームシフト」もそうだったし、そういう スタイルなのか。コレは好みの問題だろうけど。 兎に角「センスオブワンダー」の部分のピュアさというか確かさが魅力。 是非とも小中学生に読ませたい一冊だ(あ、でも性描写があるか……恐竜だけど)。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (01/10/30)
Robert J.Sawyer "FRAMESHIFT" /1997 ロバート・J・ソウヤー「フレームシフト」内田昌之訳/早川書房/2000/03/15 何て言うか、「地に足のついたSF」。SF、と言って良いのかどうか。 その違和感みたいなものは、文庫巻末の我孫子氏による解説に詳しい。 初手から宇宙だ未来だ異世界だアンドロイドだというSF設定ありき、で始まるん じゃなくて、結局最後までその手のガジェットは殆ど出てこない(超能力が出て くるけど、SFとは言い難い)。SF的に読めば、遺伝子の冗長部分に夢を託す類の ――こういう事言うとまたバカにされるんだろうけど――「ありがち」な話。 人類進化モノの一つの形としてオチてはいるんだけど、「おお!そうか!そう いうことか!」というセンス・オブ・ワンダーには、なり得なかった。或いは 造化の神とかを信じている人にはその「仕掛け」の向こうに「神」の姿が 見えたりするんだろうけど。 予想外の展開、っていうのは寧ろ人間関係の中で展開する。ナチ裁判もので あったり原人復活(フーアーユー)ものであったり超能力ものであったり保険 業界告発ものであったり刑事ものであったり遺伝病ものであったり。 「そっち側」で楽しむのが正しい読みと言えよう。 つまり、小説としては普通に面白かった。この厚さ(530頁近い)を殆ど止まる事 なく読み進めさせる物語の牽引力。それぞれにキャラの立った登場人物の造形、 視点の変更の(如何にもアチラのドラマ的な)面白さ、遺伝子知識の「お勉強 効果」、そして平行する複数の物語を収束していく手際(ラストシーンは流石に クラクラ来たけど)……。 にもかかわらず、いや、だからこそ、というか、読み終わったときの「歯ごたえ」 の無さ、みたいなものが寂しい。だから何?結局それがオチ?みたいな。 登場人物各々にあまり深く感情移入できなかったのも辛い。彼らの行動が理解 出来無い瞬間が何度か有って。「何でそう思う?」「何でそっちへ向かう?」 って疑問は、でも物語本体の牽引力にうち消されては居たけど。 SFだと思って読むからいけないんだろか。ミステリだと思って読んだら「おお コレSFじゃん!」みたいな、そういう出会い方だと興奮したろう、とは思う。 僕は「星雲賞かー!じゃあ読んでみるか!」っていう読み方だったからさ。 これじゃ最初から負けは決まってた様なもんか。 ラストシーンのあの終わり方なんか、映画、というか2時間ドラマの脚本だよな。 テレビを見てる「ふつうのひと」達に満足感を与える為の。一気読みだと、これ ちゃんと涙腺に効いてくるのかも。泣いたって人居たし。その辺も含め、ドラマ化 するとそこそこ行くんじゃないかと思った。 あーなんか否定的な事ばっかり書いてしまったけど、ホント一気に「読まされた」 感じで、読んでる間は面白かったですよ。映像もちゃんと浮かんで来る様に丁寧に 描かれていて。とまれ、「一般の」人に読まれやすい青背ではあると思います。 非SF者にもオススメできる一冊かと。 でももっと濃いSFも読みたいなー。次は何を読もう @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (01/10/22)
George Alec Effinger "WHEN GRAVITY FAILS" 1987 ジョージ.A.エフィンジャー「重力が衰えるとき」/早川書房/1989/09/15 George Alec Effinger "A FIRE IN THE SUN" 1989 ジョージ.A.エフィンジャー「太陽の炎」/早川書房/1991/02/15 George Alec Effinger "THE EXILE KISS" 1991 ジョージ.A.エフィンジャー「電脳沙漠」/早川書房/1992/11/30 恵みふかく慈悲あまねきアッラーの御名において。 何年も探していた「太陽の炎」(シリーズ第2巻)を手に入れてからもう数ヶ月。 「重力が衰えるとき」の(数年ぶりの)再読から始めたブーダイーンシリーズ 読みの最後、「電脳砂漠」(シリーズ3冊目)を漸く読了した。巻末解説には 4巻目「疑いと悲しみの夜」の予告も入ってるけど、現在はここで止まってる みたい。 近未来のイスラム社会を舞台にした電脳ハードボイルドシリーズ。 「イスラム社会」が、サイバーパンク初期の「日本」と同じ様に機能していて 非常に魅力がある。独自の儀礼、独特の交渉の進め方、独自の善悪観、そして 何より全ての会話の随所に挿入されるイスラム的な言い回しは、それを読んで いるだけでも「異国情緒」に浸れること請け合いだ。高校時代に読んだときは、 やたらと「あなたは気前よさの権化です」とか「インシャラー」とか口にして 気味悪がられたものだった(当時SF好きの連中とは「君の意見には小数点以下 99桁まで賛成だ」とか「クリア・エーテル」(挨拶)とかそういう会話を 普通にしてたので)。 「電脳」は、ホントに電脳で、脳味噌に直接配線したソケット(コメカミとか 耳の後ろとかに露出している)に「ダディー」(知識のアドイン。ソフトによって 裁判官にも医者にもなれるし、アラビア語も英語も喋れる様に)や「モディー」 (人格のアドイン。性格を矯正するだけのモノから、高練度な事務職員の人格を 乗せて仕事に集中したり、神秘体験をして思索を深めたり、SEXのリプレイなんか もアリ)を挿した連中が当たり前に居る世界。当時既にSF世界がネットに包まれて 居た中で、あくまでこういうスタンドアロンな、ガジェットにこだわった作りが、 見た目は「近未来」なんだけど、やってることは普通の(理解しやすい)ハード ボイルドという、不思議に魅力溢れる世界を作り出している。今描くならネット ワーク描写を入れずに描くことは不可能だろうと思うんだけど、その意味では 時期を得た作品とも言える(今「攻殻」2巻で手こずってるので、そういう印象が 強いのかも知れないけど)。 「ハードボイルド」っていうのは、この作品の主人公、マリードが(まがりなり にも)探偵を職業としていて、妙なこだわり(カクテルはジン・アンド・ビンガラ にライムをひとたらし、とか)を持っていて、痛みはクスリで紛らわして、探偵 小説を読むのが趣味で、モノローグがモロに「そういう」テイストだから。 体力は無いけど打たれ強さだけはピカ一、ここぞと言うときに叩く軽口、とかは フィリップ・マーロウを思い出させる。 悪徳都市ブーダイーンで探偵を営むチンピラのマリードが、権力者に「見込まれ」 て、嫌々ながらも権力を付与され、成長「させられて」しまう物語。2巻、3巻と 進むに連れ、主人公マリードの風格も、段々「権力者」っぽくなって行く。 チンピラだった頃と、人格の「芯」は変わって無くて、でも経験による「成長」 っつーか、「状況」への対応方法が変わっていく辺りが巧いなーと。状況に流され ながら、理想と現実のギャップを埋める努力を「必要以上に」しない、でも自分の 中の「正義」は曲げない。曲げないけど、「仕事は仕事」。そう、自分の信じる 「正義」とは違っていたとしても、仕事は仕事だ。そういう、なんとは無しに 哀しい(そこがイイ)「男」なマリードの生き様にハマる。権力を無理矢理持た されて、昔の仲間からは敬遠されるし、もうボロボロな筈なのに、ハードボイルド 気取りの口からは全然違う皮肉が出てたりとか。事ある毎に警句や箴言めいた 独り言をつぶやくのがカッコイイと思ってる人種にはたまらない魅力だろう。 いや、まあ相変わらずモノローグはいい加減なんだけど。1巻で、脳に配線するの だけは何があっても嫌だ、と思っていたのに、いざ配線してしまうと、それに依存 してしまったりするあの性格。信仰に目覚めたと宣言したかと思うと、礼拝止め ちゃうし、新たな階梯に登ったと確信した瞬間の直ぐ後に堕落してるし。こういう のって、でも、分かる。気分や体調によって「高潔でありたい」とか「この世は 夢だ、ただ狂え」とか「バブルス萌え〜」とか、そういう「一貫性」がまるで無い Web日記を毎日書き続けていると、「自分の気持ち」なんてのはホントにいい加減 なんだよなー、と嫌でも実感出来てしまう訳で。まーでも僕の場合、マリード みたいに曲げなきゃイケナイ程の信条を持ってないからなー。 で、まあこの3冊の中では矢っ張り2冊目(太陽の炎)が一番「らしい」かな、と 思うワタシ。忍び込んだり痛めつけられたりがマーロウっぽいし、何より「敵」の 大きさ/怖さ/やっかいさが違う。結局その「敵」を倒せないと分かった時に、 自分と自分の仲間の身の安全だけを許して貰って、その巨悪の下で、割と平気で 「自分の正義」を続けて居られる辺りとか、そういうのがこの作品世界の「味」だ。 3冊目の「電脳砂漠」は、砂漠描写の印象が強すぎて、ちょっと番外編的な感じも あり。ヌーラは可愛かったけど。p167からのハサナインの語る犯人発見方法から ラストに向かう定石通りの展開も丁寧ではあったけど、裏切られる感じは無かった。 結局この作品の魅力は、悪徳都市ブーダイーンの描写に尽きるかとも。シリーズ 通して出てくるブーダイーンの脇役達が実にいい味。キリガのナイトクラブの 空気は最早自分にとっても何だか馴染み深い場所の様に感じられるし、キリガの あの鋭く尖らせた歯での笑みさえ目に浮かぶ様だ。性転や半玉の連中、足の でっかい(でもカワイイ。性転だけど)ヤースミーン、何か憎めない半ハジの サイイド等々、誰一人信用をおけない感じの、緊張感のある馴れ合いっつーか。 やー正直あの連中に比べたら、マリードはまだまだヒヨッ子だとも言える。 「ヤー・シャイフ」とか言われる様になってもやっぱり騙されまくってるし。 だもんで、この作品世界をもっと見てみたい。是非続巻が読みたいのだ。あとがき など見ると、作者の健康が思わしくない様な事が書かれていて、その後が気に なるんだけど、でも、いつか続刊で、パパとマリードのメッカ巡礼が読めることを (どこかの神に)祈りたい。 <完全守護者>モディーを差し込んだ時にCMが始まったのには思わず爆笑した @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (01/09/25)
グレッグ・イーガン「祈りの海」山岸真編・訳/早川書房/2000/12/31 ▼収録作――――――――――――――――――――――――――――――――― 「貸金庫」("THe Safe-Deposit Box" 1990/9) 「キューティ」("The Cutie" 1989/5-6) 「ぼくになることを」("Learning to be Me" 1990/7) 「繭」("Cocoon" 1994/5) 「百光年ダイアリー」("The Hundred Light-Year Diary" 1992/1) 「誘拐」("A Kidnapping" 1995) 「放浪者の軌道」("Unstable Orbits in the Space of Lies" 1992/7) 「ミトコンドリア・イブ」("Mitochondrial Eve" 1995/2) 「無限の暗殺者」("The Infinite Assassin" 1991/6) 「イェユーカ」("Yeyuka" 1997) 「祈りの海」("Oceanic" 1998/8) ――――――――――――――――――――――――――――――――――――― SF短編集。日本オリジナルらしい。面白かったですよ。 「SF短編」としての出来はどれも一級品なんですが、中でも 「ぼくになることを」っていう短編が、その緊迫感・緊張感で強烈に 印象に残りました。 基礎になるアイデアは古典的なもの。 その時代、人は子供の頃から脳に「宝石」を埋め込んでいる。「宝石」ってのは 1マイクロ秒毎に脳内地図の同期をとり続ける思考器械。自分と寸分違わない 思考をする、完璧なバックアップ脳。30歳頃、脳が衰え始めると、人は脳味噌を 頭蓋から掻き出して代替物を詰め込んだ後、「宝石」で思考する永遠の人生へと 「スイッチ」していく。それが当たり前となっている世界で、主人公は少年時代 ふと疑問を抱く。 「自分はほんとうのぼくだろうか、それとも、  ぼくになることを学んでいる、ただの宝石だろうか」 (実際の所、この時点では意識は不可分なのだけど)この疑問に取り憑かれて しまった主人公は、周りの人間が「人生の現実」としてそれを受け入れていく 中で、それに耐えられない。何とか意識の謎を解明しよう、そして皆と同じに 「自殺して器械に身体を預ける」事に納得しよう・・・と研究するが、答えは 出ない。思い悩んだ末、ノイローゼに陥りそうになった彼は(自暴自棄気味に) 「スイッチ」を決意する。スイッチは本人(宝石)に気付かれないまま終わる 筈だ。だが・・・ ロアルド・ダールの嫌ぁーな味わいに似た、手に汗をかく緊張感。一度ホッと した後、じわーんと嫌な後味が効いてくるという。根元的なテーマだけに、 ネタ自体も十分面白かったんですけど、ラストのヒネり具合が実にもう嫌ーな 感じで。何というか・・・傑作。 生まれたときからの五感及び思考を完璧にコピーしてきた脳があって、 スイッチする瞬間まで互いを意識することが不可能な状態だったとしたら、 やっぱり「魂」は単一で連続したものになるんでしょうかね。・・・いや、 ならないと思う。思うんですけど・・・他人から見れば僕は昨日と全く 変わらない「僕」のままで・・・「僕」って一体何なんでしょーか。 多分僕らは「それ」を判断出来ないと思うんですよ。昔、シマックの描く 「転送」描写(肉体をスキャンして、データを送って、その先で用意されている 物質スープから肉体を再構築する。スキャン元のデータは抹消される)を読んで 「確かにこれで”転送”になるかも知れないけど、それでイイわけ!?」とか 悩んだのを思い出します。転送先で再構築された「僕」はそれでOKかもしれない けど・・・消される方はたまらんでしょ。でも最終的な状態の「僕」はその恐怖を 一度も味わって無い訳で、うーん・・・結局慣れたら平気でやっちゃうかもなー ・・・というのが当時の感想でした。スタトレのBeamMeUp!みたいに、「スイッチ」 も結局社会的な「慣れ」で克服してしまいそうな気が。 士郎正宗の「攻殻機動隊」は、全身がサイボーグで、脳+脊髄だけはナマモノ っていう作りでしたが、あの作品でも「実は脳の大部分はサイボーグ化されてて 残ってるのは脳細胞2,3個だったりして」というジョーク(?)が交わされて ました。この「ぼくになることを」では、身体は取りあえずナマモノのまま、 脳だけ取り替え、みたいな・・・まーでもこういうのはパラダイムの変化でどうと でもなっちゃうか。心が心臓に有ったのはそんなに昔の事じゃないといいます。 脳だけが「ワタシ」じゃ無いんよ、というのは例えばダイエットとか筋トレとかに 膨大な時間を割いている人とか見てると、成る程なーとか。 「誘拐」という作品では、人は人格バックアップを取って、死後電子世界に 「復活」してます。 「いまのきみの身体には、生まれたときに持っていた原子は一個も含まれてない  ―じゃあ、きみがきみであることの根拠はなんだい?それは情報のパターンで  あって、物理的ななにかではないのさ。」 電子世界に住んでいる母親は、でも本当に母親?生前と全く同じ情報パターンを 持っているなら、第三者的にはそうとしか見えない筈だけど・・・愛する妻の 「完璧なイミテーション」がひどい目に遭っていたら、やっぱり心が痛むだろうか? これも古典的なアイデアで、でも、完璧なバックアップだから、生きていた頃の 当人を相手にしているのと何ら変わりない感触は有るという・・・個人的な見解を 言えば、全ての情報を電子化したとしても、ナマの脳が滅べばそれはそれで 「死」だ、と思うんですよ。つまり永遠に生き続けるには「ガンダーラ」の メタルモフみたいに、脳細胞を継ぎ足し継ぎ足しし続けるしかない。 ・・・でも待てよ、少しずつ少しずつ脳細胞を器械に代替させて行ったら・・・ うーん・・・ 近年の竹本泉が良く描く記憶バンク(人格バックアップ)の描写を見るたびに そういう問いを突きつけられている気がするワタシでした。 他の作品についても一言二言ずつ。ネタバレあるかも。 「貸金庫」は目覚めると別人の体の中に居る、という主人公が、自分の正体を 探る話。ネタ割りは非科学的。でもラストの雰囲気が今後の展開をいろいろ 想像させて面白い。 「キューティ」は寿命を決定された玩具的な赤ん坊を育てる男の話。精神的成長の ない、死を決定づけられた「生きた玩具」の筈が・・・生命倫理の薄くなっていく 昨今、如何にもありそうな話ではある。赤ん坊の愛らしい描写が切ない。 「繭」は正直ピンと来ないまま。ハードボイルドな雰囲気は好きですが。 「百光年ダイアリー」は何だかカジシンの小説のタイトルみたいだけど、割と シビアな話。自分が死ぬまでの未来日記が手に入る世界で、その日記通りに生きて いく自分。運命には逆らえないが・・・オチのシニカルさは何とも言えない。でも 自分しか読まないって解ってても、日記に嘘を書いてしまう(或いは嫌なことを 控えめに書く)タイプのワタシには、良く分かる。 「放浪者の軌跡」は椎名誠っぽい。さらっと読むと何か具体的な現代批判の様にも 読めるんだけど・・・作品のキモを読みとれなかった感じ。 「ミトコンドリア・イブ」は「イブの仮説」(全人類の先祖を辿っていくと、ある 一人の女性にたどり着くとされた仮説)が加速したらこんな事に、という。 「ルーツ」に弱いのは世界中皆そう。これもありそうな話。オチは爽快、とは 行かないにしても、気持ちの良い終わり方。 「無限の暗殺者」は頭がおかしくなりそうだった。馬鹿なのでちゃんと理解 出来たとは思えない。読み返しても何処が面白いところなのか解らなかったです。 「イェユーカ」は他の作品とは随分違う感じ。医療器具の発達で外科医としての 腕が社会から必要とされなくなっている時代に、発展途上国に旅立つ医師。 自分がまだ必要とされている事を信じるために・・・・オチは、社会派。 表題作「祈りの海」も、他の作品とは違う感じ。相変わらず詰め込まれたアイデアは 魅力的だが、アイデア勝負というより作品世界描写力の豊かさで印象に残りました。 他の作品が脳味噌フル回転系なので余計に印象に残ったのかも。この惑星に移民して きた子孫達が独特の宗教観と歴史観を発達させて・・・というのはいつもの パターンとして、その住民達の身体の構造だったり、生活ぶりだったり、宗教観 だったり、そういう描写に力を感じる。タイトルのネタをばらしてしまうと アレなんで。ネタそのものはそんなに強いものじゃなくて、やっぱり作品世界の 魅力が大きかったかな。 久々に読む青背だったので思わず長くなってしまいました。 ここまで読んで下さった方に感謝。 それではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (01/05/18)
Dan Simmons "ENDYMION"              /1996 ダン・シモンズ「エンディミオン」酒井昭伸訳 早川書房/1999/02/28        "THE RISE OF ENDYMION"            /1997        「エンディミオンの覚醒」酒井昭伸訳 早川書房/1999/11/30 年末一月かけて読了。どうにもギアが入らなくて辛かった。数頁読んでは置き、また 数頁読んでは置き。どーにも。そしてそのまま読み終わってしまった。 「覚醒」読み終わっての感想は「・・・こんなもん?」という。確かに「謎解き」 の面白さは有った。特に読み終わった後で「ハイペリオン」「没落」を読み返す 時の、辻褄合わせの見事さを再確認していく作業は快感だった。 とはいえ、それだけの為にこの分厚い二冊が有ったのかと思うと・・・ 既知の「SF」を凌駕出来ていない「ありきたり」さ。 「ハイペリオン」にあったキレの良いオムニバスの感触、泣ける展開、壮大な 世界観、底の見えない謎の、それ故の深遠な魅力・・・等々の、全てが無くなって はないにしても、全体的に「軽く」なってしまった感じがする。いや相変わらず 情景描写とかは良いんだよ、良いんだけど・・・予定調和が悪いとも思わない。 とはいえ。とーはーいーえー。どうも、ねえ。 やっぱ「謎解き」に重点が置かれすぎていた気がする。その収束ぶりは見事の 一言につきるのだけど・・・ 初めて「ハイペリオン」を読んだ時の、あの崇高・荘厳な世界を前にして、身震い する様な高揚感。今回も正直「それ」を期待して読んでしまったから・・・ あまりに「普通」だったので失望した、という感じが正確か。 つまりこの謎に満ちて奥深い世界を、SFの理に落ちた「よく出来たよくあるオチ」 に持ち込んでしまったのが、この2冊だったという。 何処がどう駄目かっていうのは巧く言えないんだけど。 一つにはキャラクター造形が受け入れ難かったというのがある。 そもそもロール&アイネイアーがもう駄目で。アイネイアーは「エンディミオン」 での少女期のみ萌え。この辺は結構カワイイん。でも「覚醒」で 「がっしりして頬骨の鋭い」アイネイアーが再登場した時に、なんかもう どうでもイイやー、という気分に(解りやすい奴)。いや、キャラ顔は頭の中で 変換可能としても。性格が。主人公置いてけぼりの性格にどうしても馴染めなかった。 そりゃ自分の生き様死に様を生まれる前から知ってればああいう言動にならざるを 得ないのかも知れないけど・・・客観的に見て、単にわがままで思わせぶりな、 やな女って事なのでは。そして「ボクってバカなのかなー」とか思いながらも その女の言うことに取り敢えず従ってしまう男が主人公。またこの主人公である ロール・エンディミオンに感情移入が出来なくてさ。根本的に脳の構造が違うみたい。 あんまり友達にはしたくない感じ。作品世界の権化だったシュライクが どんどんその存在感を失っていく様も哀れというか。絶対的な存在だった筈なのに、 いつのまにやら良く分からないけど便利な機械、みたいな。 キャラ的には結局最後までマーティン・サイリーナスの魅力に頼ってしまったんじゃ ないか。まあこの物語そのものがあの爺さんの「詩想の産物」でも有った訳だけど。 いや、あの爺さんこそは作品の軸だった。1000年近い年月を生きてなお創作への 情熱を失わないその存在。酒井訳の巧さも手伝って、実に良いキャラだった。爺萌え。 あとA・ベティックと、あ、宇宙船も好きだ。デ・ソヤもイイ奴だし好きだ。って オヤジばっかりかい。まあ深紅のドレスで登場するネメスには「やりすぎだー!」 とか思いながら受けたけど。 SFの神は細部に宿る、と、そう言う意味では実にSFではあった。ウケたのは 何と云っても大天使級急使船。聖十字架(人間のデータを、脳内磁気マップに到る まで記録してくれる(ホントは別のサーバーに書き込む)寄生体)のお陰で 死んでも復活出来る様になった連中ならではの高速移動手段。量子化するたびに 搭乗員は押し潰されて死んでしまう。目的地に到着したらスープ状から復活。 転移ゲートが閉じられた後の長距離移動テクノロジーなんだけど、最初見たときは あまりの作りに笑ってしまった。復活したての赤ん坊の様な皮膚、とかこの辺の 描写がひりひり痛くて・・・訳者あとがきにも「イタイ描写をさせれば巧い」 みたいなこと書かれてたけど、確かにネメス等による拷問人体破壊描写の痛さも なかなか。 結局センス・オブ・ワンダーが感じられたのは、作品の構成なんかよりもこの手の 小道具や、各惑星旅行の際の情景描写のみだった。マーレ・インフィニトゥスの 海の広大さ、ソル・ドラコニ・セプテムの分厚い氷の下を流れるテテュス河、 或いは「覚醒」での雲の惑星とかの目も眩む美しさ。この辺は荘厳、という言葉が ぴったり。或いは<天界樹>の描写(恒星を球状に植物が取り巻いていて、水分 補給のために彗星が出入りしている)とか最高に絵になるし。 ・・・でも、結局、駄目だった。確かに情景描写は凄かった、んだけど。やっぱ この感動の薄さは「謎解き」の展開故か。読み返すと「おお成る程!見事に辻褄が 合ってる!!」という面白さは感じられるものの、どうしても「良くできてるなぁ」 以上の感想が出なかった。聖十字架や転移ゲートや<繋ぐ虚無>なんかが 見事に絡み合っていく様はただただ「良くできてる」んだけど・・・感動の焦点が 合わない、というか。拡散してしまって、うーん。 「エンディミオン」の巻頭に掲げられているテイヤール・ド・シャルダンの言葉、 魂は独自に見えても宇宙からは分離できない云々、ってのが解の一つなのだろう。 今までにも恐らく何百何千という作家がこの<繋ぐ虚無>の存在を示唆して来た。 最近だとシェルドレイクの宇宙とか。「あー結局コレかい」みたいな。 ・・・いや単に読解ができてないのかも、というのは有るから、この辺で。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (01/01/25)
H.G.Wells "The Island of Doctor Moreau"  /1896 H.G.ウェルズ:著/雨沢泰:訳「モロー博士の島」/偕成社/1996/08 「子どもとおとなのための偕成社文庫」3214。「完訳版」と銘打つ辺りもその昔の 少年向け文庫を思い起こさせて懐かしい。 実はこれが初読。いや、面白かったです。絶海の孤島モノなんて最後に読んだの 何年前だろう。そういう懐かしさ(あと漢字のフリガナとかも!)も含めて、読み味 深い一冊でした。 1896年の作品とは思えない「科学」の臭い。いや、19世紀末だからこその 科学志向か。古さを全く感じさせない、非常に良く出来たSF。 100年以上前の作品、その古さ故にその中から「予言」や「現代でも十分通用する 教訓」を見つけだし易いんだけど、もうそれ以前に作品としての出来が一流。 面白いんだ・・・ ペルー沖で沈没した船から脱出した主人公エドワード・プレンディックは、漂流の末 通りかかった船に救われる。だが船長は荒くれた男で、主人公とはウマが合わない。 結局、プレンディックは、彼を救った医者のモントゴメリーと共にある島に置き去りに されてしまう。モントゴメリーはこの島で仕事をしているのだという。 モントゴメリーの仕えている主人モロー博士は、かつて英国で動物の生体解剖をしたと いうかどで英国の学会から追放された生物学者だった。彼はこの絶海の孤島で密かに 「実験」を続けてきたのだ。 島を探検に出かけたプレンディックは、その「島民」の姿を見てぞっとする。 この島は、人間のような動物、いや動物のような人間で溢れているのだ!ああ、 きっと彼等は生きた「人間」を解剖・改造してモロー博士が作ったものに違いない、 そして自分もまたその「材料」にされてしまう!!と逃げ出すプレンディック。 奇妙な住民達の住処に逃げ込む彼に、動物人間達は「おきて」を語って聞かせる。 曰く− 「四本足デ歩クナ−ソレガ、オキテダ。ワタシタチハ、人ダロウ?」 「水ヲ口デススルナ−ソレガ、オキテダ。ワタシタチハ、人ダロウ?」 「ナマノ肉ヤ魚ヲ食ベルナ−ソレガ、オキテダ。ワタシタチハ、人ダロウ?」 「主ノ家ハ、苦シミノ家ダ」 「ダレモ逃ゲラレナイ」 「ダレモ逃ゲラレナイ」 ・・・ 彼等は、人から作られたのではなく、モロー博士によって、動物から作られた者達 だったのだ。モロー博士との和解の後、暫くはそれなりに平穏な日々が続くのだが、 動物人間たちは、時と共にその本性に戻っていってしまう。博士はそれを嘆き、次 こそは、と哀れな動物たちを改造していく。だが、動物化の本性はますます強く なっていき、とうとうモロー博士も動物人間の餌食と化してしまうのだった。 そして程なくモントゴメリーも・・・一人残された主人公は・・・ さてこの続きは本を読んでのお楽しみ、ってもう後はエンディングシーンしか 無いんですけども。 訳文が優れている感じ。実は以前にもどこかの文庫で買って読みかけたんだけど うけつけなくて諦めたんですよね。面白くなさそうだし、とか。でもこれは 良かった。ぐいぐい引き込まれて。ああ、あと佐竹美保氏の「本物」っぽい イラストも味わい深くてステキです。「教養読み」する積もりだったけど、しっかり 楽しんでしまいました。いやー、読書能力の落ち込んだ昨今これからは少年向け 文庫でしょう。次は何を読もう・・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (00/06/01)
Arthur C. Clark "The Fountains of Paradise"  /1979 アーサー・C・クラーク「楽園の泉」山高昭訳/早川書房/1987/08/31 軌道エレベーター、というものをご存じだろうか。 単純に言うと、静止衛星と地上を繋ぐエレベーターの事で、僅かな電気代 だけで静止軌道へ上がることが出来、降りるときは回性ブレーキで発電しながら 降りてくることも出来る、ロケットの推進式エンジンが撒き散らす騒音と 大気汚染物質とも無縁・・・の、安価でクリーンな乗り物。或いは、その 乗り物の走る建造物を言う。基礎的な概念は1960年レニングラードの技師 Y.N.アルツターノフによって展開され、西欧に先んじて日本でも翻訳された。 建造方法も簡単に紹介すると、静止衛星から地上と天頂に向けて、同時に (片方だけだと重力と遠心力のバランスが狂うので)引っ張り強度の強い ケーブルをくり出していき、地上に辿り着いたところで固定、このケーブルを さらに何本か張ったあと、これに(やっぱり衛星から地上と天頂に向けて)壁 ・・・というかエレベータの走る床面を構築していき、最終的には天に届く 巨大な塔が完成する・・・という。実に解りやすい。形状は、ドラゴンボールの 「カリン」塔がまさにその形。あれは軌道エレベータだったのね。 実現上での問題は、この引っ張り強度の異常に強い(何せ静止軌道までは3万6000km ある)ケーブルをどう作るか、なんだけど・・・まあこれは今後の課題。 で、この作品はずばり、地球建設公社の技術部長ヴァニー・モーガンが、この エレベーターを建設し、運用するまでのお話。スリランカを赤道上に800キロ 動かした様な架空の島「タプロバニー」(スリランカの古名)島の霊山 「スリカンダ」のてっぺんを土台として、宇宙に届く橋を架ける・・・ と書くとイマイチ無味乾燥な疑似ドキュメントなんじゃ・・・とか思いがちですが ワタシもそう思って読んでませんでした。でも、先日 「ポピュラーサイエンス 軌道エレベータ」(石原藤夫・金子隆一共著/裳華房) という本を読んで、こりゃちょっと軌道エレベータって面白いぞ、という事になって。 で、読み出すともうこれが面白くて面白くて。クラークの長編を2、3日で読み切る 日が来ようとはねえ。生きてはみるものだ。 読む時期を得ていた、というのはあるかもしれない。何より上記の本で 軌道エレベータの作り方を(なんとなく)頭に入れていたというのは大きい。 その上にスリカンダ近くにある遺跡「ヤッカガラ」のモデルとなった 「シーギリア」の岩の映像をついこの間の「世界遺産」でたまたま見ていたり、 先日のヒゲガンダムで出てきた「ザックトレーガー」の映像なんかも 「巨大な塔型構造物」のビジュアルイメージを支えてくれた。 でも、やっぱ基本的に小説として面白かったんですよ、キャラがちゃんと 立ってて、結構「入り込んで」読めた。今まではもっと「引いた」感じでしか 読めなかった気がする。物語も古代から超未来までの振幅幅があって、総体 としての作品世界の広がりが実にこう「SF」の魂を揺さぶる。 (その辺の魅力は大野万紀氏による巻末解説で見事に語り尽くされているけど) 難点かも知れないストーリーの一貫性の無さは、でも総体として見ると 見事にこの「作品」を作り上げている・・・件の巻末解説を引けば 「要はディテールであり、要は総体である」。神は細部に宿るのか。 実際ディティール細かいっすよ。工学系の。 ラスト近くでまだ建造中の「塔」の底部分に取り残された研究者達を助けに行く 描写が有って、もうこれが最高。いつ切れるとも知れない「スパイダー」の電源、 外れない使用済みバッテリ、電離層で見るオーロラの大峡谷(!)、すっかり 宇宙に出てる様なのに足元に感じる重力(静止軌道までは巨大なビルのてっぺん に登ってるようなものなのだ)・・・そして救出の瞬間に至る見事な「仕掛け」。 おお成る程!ってのがもうSFの醍醐味過ぎる。 「軌道エレベーター建造」というアイデアから思いつく限りのネタというネタを 全て練り込んだ様な細かさは軌道リングの最後まで実に見事。やるなあクラーク。 それでいながらスターホルム人の下りや、あのラストの「幼年期の終わり」 的雰囲気なんかは何というか実に「古き良きSF」の香りがするし。(当時) 最先端科学の産物である「軌道エレベーター」を主テーマに扱いながら、全体を 包む空気はおおらかなで壮大な50年代SF。この絶妙のミックス具合がまた。 何て言うか・・・「ああ、久々に「SF」を読んだー!」っていう読後感。 クラークの作品を「小説」として楽しんだのは下手をすると「太陽系最後の日」 以来かも(とかいうとあんまりだけど)。 いや、面白かったですよう。 ・「ポピュラーサイエンス 軌道エレベータ −宇宙へ架ける橋−」も読んでて 非常にエキサイティングな本なので、見かけた折りは是非ご一読をお薦めします。 いろんな軌道エレベータのバリエーションが楽しめます。 (ザック・トレーガーもあった) あー。ではでは。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (2000/02/06)
 「わたしがこれから語ろうとするさまざまな真実の事柄は、   みんなまっ赤な嘘である。」 Kurt Vonnegut,Jr. "CAT'S CRADLE" /1963 カート・ヴォネガット・ジュニア「猫のゆりかご」伊藤典夫訳/早川書房/1979/07/31 これがヴォネガット初読のワタシ。ただし、昔NHKのラジオドラマで聴いた記憶が かすかにある。多分。 あまりにアメリカ的、とでも言おうか。SF、と言うよりは「現代アメリカ小説」 の臭いに満ちている。たしかに小道具からラストに至るまで、部品自体はSF なんだけど・・・ 物語は有無を言わさず進行し、「え。」と思っている間に大破局へと突き進む。 この「普通ならざる」展開に、頭がボーっとなってしまう。斯う言うのは、でも 好きだ。読み終わったときのボンヤリ感が、如何にも長編小説を読んだ、って 感じを与えてくれる。「未来世紀ブラジル」を見ているような超現実感。 この作品に関しては(恐らく)既に多く語られているのだと思う。「語り」を 引き出すとば口・・・ボコノンの教えやサン・ロレンゾの成り立ち話など・・・が いくらでも転がっているから。特にボコノンの教えを表す用語群は強烈で、 <カラース>(自分の人生と絡み合ってくる他人) <シヌーカス>(人生の巻きひげ) <ワンピーター>(<カラース>の軸) <ヴィンディット>(ボコノン教への一押し) <デュプラス>(二人だけの<カラース>) <グランファルーン>(間違った<カラース>) <ボコマル>・・・etc.の「教義」を頭に入れるだけでも、この現実世界を 別の視点から切り取り、言い換えることが出来る様になる。此処に語られる事は 全て嘘っぱちだが、うそっぱちでも信じることは出来る・・・ 「<フォーマ>*を生きるよるべとしなさい。それはあなたを、  勇敢で、親切で、健康で、幸福な人間にする」(*無害な非真実) そして何より、この作品の(SF的な意味での)最大の魅力たる「アイス・ナイン」。 「その結晶のしかた−凍りかたに−いく通りかのかたちがある。いく通りかの  かたちで、分子は、秩序正しくがっしりと積み上がり、組みあわさる。」(p57) 「水が結晶するにも、凍るにも、たくさんのかたちがあり得る。」「ここに一つ、  アイス・ナインと称するものがあったとする−このデスクぐらいかたい結晶で−  融点は、そう、三十八度C、いや、もっと高い、五十五度Cだ。」(p58) この「アイス・ナイン」のかけらに触れた水という水は、全てこの「アイス・ナイン」 式結晶に組み合わさり、たちまち(常温で)凍り付いてしまう。まぁこれがラストの 「破局」なんだけど・・・。これ、この「組み合わさり方の連鎖」の考え方なんかも また言い換えの魅力に満ちている。 あ、いや、でも、コレ単体でも面白いんですよ。ちゃんと。でも、 「言い換えのテキスト」として活用したくなっちゃうんだ。そういう作品。 ・・・個人的には、多分にノスタルジックな気分で読んだ。たまたま点けた 深夜放送で1960年代のB級映画(黄ばんだカラー映像)を見ている様な。 時間の向こうに残された空気。美術館で、1960年代の「前衛芸術」を 見ている様な。妙に心地良い。それはそれでいいのではないかとも思う。 どうせ発表されたその時代その国には生まれ得なかったのだし。今斯うしてこの本 (これも<ワンピーター>なのか)に出会ったのも、何か意味があるのだろう。 「ぼくの<カラース>が何をめざしていたか今になるとわかるよ」(p290) いつかその時が来る。その時になれば解る・・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (00/01/13)
Gavin Lyall "MIDNIGHT PLUS ONE" /1965 ギャビン・ライアル「深夜プラス1」菊池光訳/早川書房/1976/04/30 以前から読もう読もうと思っていたんだけど、こないだ漸く本棚の奥から 発掘したので読み始めた。2日で読了。いや、面白かったですよ。 言わずと知れた「英国推理作家協会賞を受賞した冒険アクションの名作」。 名作といわれるだけはある。展開そのものにさほどの力が有るわけでは ないのだけど、その作品に登場する人物やモノの描写がたまらなくこう 「男心」をくすぐるというか。 元レジスタンスで実はイギリスの諜報部員だった過去も持っていたりして 今はエージェントの主人公ケイン、とか、人間の身体より多くの管が はしっている黒いシトロエンDS、とか、時代遅れだけどその持ち主の魂を表す モーゼル、とか、いつでも銃が使えるように右手をあけている(でもアル中)の ガンマン、とか。兎に角「描写」に対する作者のこだわりが尋常ではない。 銃器や車の徹底的な描写は勿論、風景や空模様や料理の味や服装の解説まで してしまう執拗さ。これがくどくなくて実に巧い。そのくせ感情描写は徹底的に 押さえめで・・・こういうのを「ハードボイルド小説」って言うんだろうか。 黒いシトロエンDSで駆け抜けるフランスの風景の描写は(場違いなほど) 美しかったりして、兎に角読んでいて映像の途切れるときがない。 作者のカメラワークに身を任せて、蘊蓄一杯の解説を聞きながら状況を楽しむ。 ヨーロッパ方面の地図を手元に置いて読むと、尚良し。 ケイン(カントン)の、あの「過去を持つ男」のクサ過ぎるまでの造形が、でも この世界ではそんなにクサくなくて、なかなかに格好良かった。あのモーゼルに 対するさり気ないこだわりとか、あのラストの「カントンでありたい」 男ぶりとか・・・良いよな・・・もー・・・・ シトロエンDSもケインに負けず劣らず存在感がある。その油圧機構の魅力。 車と自分とがぴったり重なって一体となったような走行感覚、って奴を 読んでいてこっちまで味わってしまった。ああ、畜生、一度運転してみたい! 車雑誌とか全然読まない人間なんだけど、何か生まれて初めて「自分で運転して みたい車」が出来た様な。でも高いんだろうなぁ。メンテとかも大変そうだし。 誰か運転させてくれる人募集。銃撃戦で油が漏れて、サスが沈んでパワステが 効かなくなって、ブレーキも効かなくて・・・というあの死に様が、実に こういう作品に相応しい。ていうかやっぱこの車を小説で使おうと思ったら 絶対最後はこういう「死に様」を描くよな。そうさせる車。 で、読み終わってから、作中に出てきたモノを一つ一つ調べたくなるという。 シトロエンにしたって、わたしゃ全く知らなかったから、調べたんだよ・・・ とか言ってたら、ドンピシャのWebページを見つけたので最後に紹介。 http://members.tripod.com/~eijiy/ 作中に出てきたモノというモノに対して、写真とスペック表で網羅していて 素晴らしいのだった。こういうのがホントの意味での「Webの便利さ」なんだろう ・・・いや、実際こういうページを作りたくさせる様な、そういう、作品。 また読み返そう・・・結構何度でも読める本だと思う。 まあ今更だとは思いますが、お薦めです。おもしれえわ・・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/09/29)
Mike Resnick "KIRINYAGA:A FABLE OF UTOPIA"/1998 マイク・レズニック「キリンヤガ」内田昌之訳/早川書房/1999/05/31 SFMで時々見かけてたアフリカンなイラスト。 どうも食指が伸びなくて、ずっと読まず嫌いでした。 SFは絵だ、っちゅーか。そもそもレズニックに填ったのは 横山えいじのイラストが先にあったからで。うーん。 「アイヴォリー」とかの一連のアフリカもの?って イマイチ好きになれない所があったし、あー、また「一角獣」とか 「ソウルイーター」とか、ああいうの(「ウィドウメーカー」は結構 「あっち」っぽいぞ。翻訳を望む!ていうか読めよ>原書)書いてくれないかなー とか思ってて。・・・しかしサンティアゴとかアイヴォリーとかから もう7、8年とはねえ・・・って個人的感慨はそのへんにして。 で。 いやー、まいった。まいりました。面白かったよう。 こんなにぐいぐいと「読ませられた」青背は何年降りだろうか。 なんつーか、レズニックの一つの魅力であるところのSFとしての 「きらめき」はさほどでも無いんだけど、兎に角読むのを止められない。 数々の賞を総なめにしてきた理由もわかろうという。 ケニアのキクユ族のために設立されたユートピア小惑星、キリンヤガ。 このユートピアの「純潔」を護る祈祷師(ムンドゥムグ)コリバの孤闘を描く。 彼は人々に呪い(サフ)をかけ、呪いを解く。寓話を語り、その中から 真実を説く。・・・だが、それは「古き良き」真実だ。 時間と共に、ユートピアは「あるべき姿から」(或いは「彼の理想から」) ずれ始めていく・・・・ 物語には(数編を除いて)必ず両義性がある。コリバの、過去のスタイルに 固執する姿も、また己が知恵によってヨーロッパ的になっていく キクユ族の人々の姿も、どちらとも正しいし、どちらも辛い。 このコンフリクトの感覚を代表するのが、「空にふれた少女」という一編。 「古き良き」世界では生きることを許されないほどに「頭の良すぎた」 少女の話。安易に「泣き」には持っていっていないだけに、重い「余韻」が ずっと響き続ける。一度空を飛ぶ素晴らしさを知ってしまったら、もう 空を飛ばずに生きている事は出来ないのだ・・・この短編集の中でも、 恐らくは最も日本人好みの物語であろう。好き嫌い以前に、非常に印象深い。 そもそもこのユートピアは、キクユ族の純潔を護るために設立されたのだから 変化は許されない・・とするコリバ。ヨーロッパ文明の進入を必死で防ぎ、 キクユ族の「進歩と発展」を防ぐ。進歩と発展の先には「黒いヨーロッパ人」 となる道しか無いからだ。だが、宇宙を飛び交い、どんな病も あっと言う間に治してしまう医学を持つ「ヨーロッパ人」の影響は 各所から否応なく進入してくる。そして人は一度身につけた「知恵」を 忘れることは出来ない。(コリバはそれが出来る希有な人間だった) 社会そのものがそうやって「ヨーロッパ化」していく。 結局、我々はもう「古き良き昔に戻る」事など出来はしないのか。 「昔は良かった」からと言って、今更抗生物質の無い時代に戻れるか? 結核はびこるあの時代へ?「ヨーロッパ文明による汚染」という観点で 自らの歴史を顧みることは日本人である私には正直難しい。 ・・・結局我々は西欧文明と共に「高効率」を目指して突き進むしか ないのだろう。肌の黄色いヨーロッパ人として。 サブタイトルが示すように、この本自体も寓話なのだ。 「真実」は読み取り手の中に求められる。 ヨーロッパ文明とは何か、純潔であるという事の本当の意味は。 「民族」にとっての「ユートピア」とは一体どういう世界なのか。 そしてそのユートピア社会を維持し続けることは、「ヨーロッパ文明化」に 抗うことは可能なのか・・・・ 萩尾望都氏曰く「必ず最後は、私が考え得るいろいろなバリエーション すべてを覆してラストにたどり着く、あれが快感ですね」(SFオンライン5/24)。 予想を覆すラスト。その違和感とでも言うべきものが、読者の心に 大きな余韻を残す。ラストの「意味」について理解しようと考える その過程にこそ、この小説の・・・この寓話の本体はある。 ・・やー、ホント、参りました。流石レズニック。 実はまだ「パラダイス」未読の似非レズニッカー @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/06/10)
David Brin "STARTIDE RISING" /1983 デイヴィッド・ブリン/酒井昭伸訳「スタータイド・ライジング[上][下]」/早川書房/1985/10/31 ヒューゴー/ネビュラダブルクラウン作品。 ・・・正直な話、あんまり面白くは無かったです・・・ 設定は確かに燃えるんだけど・・・その世界設定意外の所は、かなり弱い感じ。 やっぱキャラに誰一人として感情移入できなかったのが敗因ですね。読者としての。 兎に角「知性化」世界の宇宙の設定はそこそこ面白いんですよ。 宇宙の歴史を記録し続けている「ライブラリー」とか、その「壮大さ」は 結構イカス。イカスんだけど・・・壮大だから良いってもんでもない。 「マップス」のラストの方とか思い出す・・・ うーん。 数十億年の昔、今では謎とされている<始祖>と呼ばれる知性体が始めた 「知性化」の連鎖・・・知性を持つ者が準知性を持つ生物に遺伝子改造を施して 宇宙航行種族にまで高めてやることを「知性化(アップリフト)」といい、 知性化された生命体は、類族(クライアント・レース)となって 一定の期間その主族(パトロン・レース)に仕える。 この宇宙では、そうやって知性体が次の知性体を生むという連鎖が行われてきた。 ところが、地球人類にはその「主族」が居ない。人類の主族は、人類を 知性化半ばで放り出したのか、或いは誰の手も借りずに人類は知性化したのか・・・ ともかく、列強に発見されたとき、人類は既にイルカやチンパンジーを 知性化しており、列強も「主族」のひとつとして認めざるを得なかった・・・・ ね、設定だけだと燃えるでしょ。 物語は、イルカ/人間/チンパンジーの乗った探検船<ストリーカー>が 辺境宇宙で「ライブラリー」にも資料のない宇宙船団を発見し、その 位置データを奪わんと、各列強諸族が<ストリーカー>を捕まえようとしている・・ というせっぱ詰まった状態から始まる。 彼等が逃げ込んだ海洋惑星(金属が豊富・イルカが活動しやすいという利点があった) キスラップで、彼等が直面したのは・・・ なんつーか、イルカに感情移入するのが難しくてねえ。 すぐにキーネーンクの教えを忘れちゃうし。イルカと仕事はしたくないなあ・・ 人間はみんな有能タイプだし、チンパンジーは嫌な奴だし。 兎に角感情移入が全然出来なくて。うーん・・・ やっぱり、小説は設定の上に「人間(イルカでもいいけど)」が描けてないと ワタクシ個人的には、駄目です・・・こんな事言ってるから何時まで経っても 「結局SFは白人にしか解らないんだよな」とか言われるのかもしんないけど。 内面描写がねえ・・・なんか・・・薄いっつーか・・・浅いっつーか・・・ あと・・・列強諸族の描写が、何か竹本泉で・・・ 前後逆か。兎も角、グーブルーがもー完全に「乙女アトラス」のシュランプ とかみたいに見えて・・・いや、それは良かったんだけど。 ああ。どうせ拙者はキャラ萌えで全てを評価する駄目野郎さ。 ・・・誰かキャラ萌えで楽しめる青背を紹介して下さい・・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/05/05)
Cordwainer Smith "THE INSTRUMENTALITY OF MANKIND"/1979 コードウェイナー・スミス「第81Q戦争」/早川書房/1997/02/28 SF短編集。収録作は以下の通り。 ・人類補完機構の物語 第81Q戦争 マーク・エルフ 昼下がりの女王 人びとが降った日 青をこころに、一、二と数えよ 大佐は無の極から帰った ガスタブルの惑星より 酔いどれ船 夢幻世界へ ・その他の物語 西欧科学はすばらしい ナンシー 達磨大師の横笛 アンガーヘルム 親友たち 通読してみて、何というか・・・何故この作者がこうまで時代を超えて 支持されるのかが体感的に解ったような気に。 古い/古くないを超えて、完全に「SF」なのだ。SFってこれ。これがSF。 どれをとっても精緻極まりない。まるで積層化されたネズミの脳の様に− 「SF」が「SF」である所以の様な作品群。 SFの神が宿るとされる「細部」の作り込みはただごとではない。 ”発表当時考え得る最高の・・・”どころか、今現在考え得る中でも最高に クールな小道具の数々。 詰まるところ、兎に角カッコイイのだ。風景の、ガジェットの一つ一つが それだけでもうSF。氷に触って、冷たい、と感じるような、確かな感覚。 他の属性は微塵もない。氷が冷たい様に、コードウェイナースミスはSFなのだ。 ・・SF、というか、ちょっとオタク向けSF。 「SFおたく」向けじゃなくて、アニメ/漫画派生のソレ。 全てを語らないで、行間を読ませる巧さもまた。 行間を読まずには居られないように仕向ける仕掛け。 語られない真実、書かれない歴史を読者が必死で埋めたくなる様な。 以下雑感。メモ程度の内容なので信用しないように。 「第81Q戦争」 1928年、スミス14歳の作。 SFとモダン期少年文学の合体という、もうそれだけでツボのカタマリの様な作品。 14歳の少年が−という先入観から「ほほえましい」という言葉を思わず 使ってしまいそうになるが、ここにあるのは14歳の、というよりはむしろ 「モダンの季節にC.W.スミスが書いた」という雰囲気に充ちた短編。 巨大空中戦艦の重々しい戦闘シーン!今読み返してみて、 たった6Pの作品だったのには驚いた。こんなに短かったか・・・ 「マーク・エルフ」 このタイトリングの巧さ。ヴォマクト三姉妹の、そのはじめ。 物語展開そのものよりも、夜の月光の下に立つマンショニャッガー −メンシェンイェーガー・マーク・エルフの姿が何よりも印象深い。 その詩的ですらある光景。このメカの描写が、その立てる音やその造形が なぜここまでワタシを惹き付けるのかはわからないが・・・ドイツ語を聴いて 攻撃を止めるシーンの美しさ。 「あまりにも急な停止だったので、金属が弓の弦のようにうなった」(P41) この辺のタイミングの巧さよ。彼のアームから放たれるブルーの光がもう。 どう見たってこの作品の主役はメンシェンイェガーだ。 自分はメカフェチではないが、しかし・・・ 「信じがたい優美さをみせて、メンシェンイェーガーは猫のように  身軽に小川をわたった。」いったん消え去って、またもどってきて・・・ とか、もうこの辺の「ロボットらしさ」がたまらなく良い。 一生忘れられないメカの一つ。SF者は是非一読を。 「昼下がりの女王」 これはちょっとね。いやまぁ本人の作ではないし。SFMで読んだときも正直 「なんだかなぁ」という感じで。 「人びとが降った日」 何つーか、カウボーイビバップ調というか。壮大な過去と乾いた現在。 「あんた想像ができるか、酸性の霧を通して、人間の雨が降ってくるところを?」 この冒頭の格好良さ。金星のよどんだ空から何万という”人民”が降ってくる。 この壮大な光景。これも「物語」よりも光景そのもののインパクトで 忘れがたい一編。センス・オブ・ワンダーを前面に押し出した傑作。 「青をこころに、一、二と数えよ」 あーもう。良いタイトルだ。伊藤訳のセンスの素晴らしさもさりながら、 原題のTink Blue,Count Twoもイカス。 光子帆船終焉の時代、積層加工されたネズミの脳が安全機構として 組み込まれた船の話。例によって極上の美少女が出てくる。何せ、世代交代で 醜くなってしまった移民達の血を純化するために補完機構が送り込む ”血統調整用美少女”なのだ。「大地が生んだ娘たちのなかでも最も美しい少女」。 だが船の事故により、帆を修理しなくてはならなくなる。当直の二人の乗員は もう一人の人手として彼女を冷凍睡眠から甦らせる。二人の男と一人の美少女。 この極限状態で、失われていた「犯罪」が甦ってきてしまう・・・ ・・・うーん・・・あらすじを追っただけではこの作品に織り込まれている輝きを 伝えることは出来ないですね・・ホント、SFの神は細部に宿るわけで・・ 「大佐は無の極から帰った」 ポスト・ソビエト東方クエーカー正教の準テレパス、 「12歳を出ていない」リアナの造形が秀逸。ホントにこの作者、こう言うの 抜群に巧い。「わたしとともに地獄へ旅立っていただけますか?」(p190) ピンライターのヘルメットの具体的な機能描写とか、「鼠と竜」ファンには 嬉しい作品。説明不足の感は確かに強いけども。 「ガスタブルの惑星より」 いきなり普通の(?)ユーモアSF小説。どこにもひずみのない、 全きユーモア小説だ。ガスタブル星の知的生物アピシア人、その姿は (ワタシ個人的にはコダックみたいなんじゃないかと思って読んでたんですが) 「身の丈四フィート六インチのアヒル」。食欲の権化であるこのアピシア人が いかにして地球に流れ込み、そして去らざるを得なくなったか− いやホント、うまそうな話、ではあった・・・星新一的。 「酔いどれ船」 私は無学にして「あのランボーの有名な詩」を知らない・・・でもこれは −これも難しいが面白い話。全部を理解して読めれば、もっと 楽しめるんだろうけど・・ 補完機構の具体的な官職名等の解説があって興味深い。 因みに補完機構のスローガンは 「監視せよ、しかし統治するな。戦争を止めよ、しかし戦争をするな。  保護せよ、しかし管理するな。そして何よりも、生き残れ!」(p237) 物語自体は、死んだ後に再生され、人格刷り込みを行って「復活」 した人間を、以前のそれと同一視できるだろうか−?という様な。 人は脳のみでは生きていないわけで・・・難しい話。 「夢幻世界へ」 外科的な方法(脳に電極)で「新たな世界」を覗き見るSFっていうのは どの辺が最初なのか・・・この作品では、その方法で”西暦13582年(?)”を 覗き見てしまって、その芸術のあまりの強烈さに、脳に過負荷がかかって− というような。これもガジェットが先立った作品。米ソ冷戦もの。 「西欧科学はすばらしい」 よくわからん。中国もの・・・オチも不明。 「ナンシー」 こうして冒頭から再読してくると、この話なんかはいささかオーソドックスな 気がするのだけど。宇宙船の孤独が生む狂気から乗員を守るための 「ソクタ・ウィルス」。それが発動することは、長期航行の失敗を意味するのだが− ウィルスの発動によって生み出される疑似人格がどんどん詳細になって行く (服とかアクセサリーとかでどんどん容量が増えていく)に従って 本人の脳のパワーがどんどん落ちていくという描写なんかは実にSF。 「達磨大師の横笛」 完成度の高い作品。でも、SFSFしようとして逆に「古く」なってしまった 作品のようでもある。オチがね・・・流石に。でも笛のアイデアとかは秀逸。 「アンガーヘルム」 上のもそうだけど、これも「人工衛星」がそれだけでSFの題材になり得た時代が 有ったことを示す作品。人工衛星が、死人の声を伝えてくる・・・ フレドリック・ブラウン的な不気味さと神秘さ。 「親友たち」 これまた宇宙での過度の孤独が疑似人格を生む、という話。 今読むとどうということのない話・・・ ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (99/02/14)
ウィリアム・ギブスン「あいどる」浅倉久志・訳/角川書店/1997/09/05 「ヴァーチャル・ライト」の続編−らしいのだけど。 読んでないんですよね。すいません毎度毎度。 なにせギブスンは最後に読んだのが「モナリザ」だったもんで。 まあそういう読者も居ていいだろうというか。 実際読んでみた分には、特に不都合は感じなくて。 例によって状況と状況のジェットコースターによる「幻惑」が心地よい。 何となく「ER」な感じ。 いや、面白かったですよ。そこそこ。 昔なら一晩で一気読みが出来てしまうタイプ。 文章に推進力があって、ぐいぐい読ませてくれる。 然し良くもここまで「日本」の闇側というか「そういう」 アンダーグラウンドな空気を再現するなぁ、と感心してしまうのだった。 やっぱ観察眼が特殊。煙草の銀紙でオリガミを折る東洋人以降の伝統。 アメリカの人とか読んでてどう感じたんだろう? 異国情緒たっぷりな感じ?拙者としては、以前の勘違いを含んだ格好いい チバ・シティの方が好ましかったりするのだけど・・・手裏剣売ってる様な。 あまりに「ありそう」なTOKYOは、いっそ映像が定着しすぎて 少々つまんない感じも・・・リアルすぎる、というか。 執拗なまでのラブホの描写やトイレの描写が、何というか・・・変で。 そういう所ばっかり印象に残ってしまったダスよ。 ・・・いやー、ギブスンにラブ☆(せめてカウントゼロのラストみたいな)を 期待した私が悪かった。でもやっぱチアと正彦の間に何かしらの「空気」を 描いて欲しかったなあ。とか思うのは乙女チックに過ぎますか? あと、日本人にとっては割と常識的な映像であるところの「九龍城」が、 実際どこまで英語圏で受け入れられているのかが結構謎で。 作中でもそう細かい描写はないし、読みながら 「これは日本人向けに書かれたものなのでは?」と何度も感じたり。 一言「九龍城」と言って、その持つイメージが(「意味」も含めて) 浮かぶか否かで結構違ってくると思うんですけど。 ・・・実際拙者自身もうイメージが曖昧になってきていて。 巻末、巽氏による解説では先の「ヴァーチャル・ライト」に加え ・カール・タロー・グリーンフェルト「暴走族」(ハーパーコリンズ) ・宮本隆司「九龍城砦」増補改訂版(平凡社 1997年) ・可児弘明・監修「大図解九龍城」(岩波書店 1997年) が副読本として挙げられてました。機会が有れば読んでみたいものです。 ナノテクプラントモジュールを使ってレイ・トーエイが「実体化」して レズと結婚!とかいう下世話な展開を予想してしまったため、 ラストが良く分かんなくて「あれー?結局「結婚」って何やったの?」 とか思ってて、結局巽氏の解説で初めて「ああそう言うことなのね」とか 納得した駄目読者 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (980705)
Paul Anderson "TAU ZERO" /1970 ポール・アンダースン「タウ・ゼロ」浅倉久志 訳/創元SF/1992/02/28 ひー。今頃読んでます。ゴメンナサイ。そんな眼で見ないで。石投げないで。 でも、これは、流石に面白い。いやもう無茶苦茶面白かったスよ。 1970年現在(28年も前だ。信じられん。)の最新知識を 総動員して描かれるのは、古今未曾有の壮大なドラマ。 壮大さ、という点では、もう比類無いことこの上無し(駄目な日本語)。 どれくらい壮大かというと、「トップをねらえ!」の大体10億倍位の壮大さ。 後半、もう呆然唖然としてしまって、言葉もでなかった。 度肝を抜かれるとはこの事か!SFしてて良かった!的。 50人の男女を乗せて、32光年の彼方乙女座ベータ星第三惑星を 目指して飛び立ったラムジェット式恒星船 <レオノーラ・クリスティーネ号>は、その旅の途中で小星雲と衝突、 エンジンの減速システムが故障してしまう。 亜高速の船で船外活動を行うこともままならず、停まれない船は 数々の要因から加速を続けざるを得なくなっていく・・・ あー。昔(この本が発売された頃私はSFマガジンの割と熱心な読者だった) この手の紹介記事読んで「加速し続ける船」というだけの印象しか 無かったのだけど、それがどういう意味を持つのか、 読んでみて初めて解ったという。読んでみるまで全然解らなかったという。 そりゃわからんわ。これは解らん。 兎に角凄い。凄すぎる〜!と叫んで回りたくなる気分。 この迫力ばっかりは、読んで貰ってその迫力を感じて頂くしかない。 展開にぐいぐいと引っ張られ、船の加速と共に加速されていく感覚。 ホントに物語が「加速」していくのよ。船の速度と共に。 殆どジェットコースターSF。 後半、加速が限りなく光に近付いて、銀河団とボイドを見る間に 通過していく様は背筋が凍る様な迫力だった。 しかもその間隔がどんどん狭くなっていくという。 勿論その間に実際の時間での何千万年もが過ぎ去っていく。 ものの1分が、何億年にも相当する世界。 そして、彼等はその目の前で宇宙の収縮を迎え・・・・ 天地創造を「外側から」見ちゃう絵なんてのはもう 流石に「そりゃないぜセニョール!」というか、無茶苦茶だ〜!! とか思ってしまうが、それも「あり得る」展開なのだった。 それをなし得る設定、考証がこの宇宙船には施されている。 このラムジェット船(「ラムスクープフィールド」とか「ラムスクープ船」とか) の考証が細部に至るまで作り込まれていて、特に亜光速まで加速した船では 星間物質の衝突から発生するガンマ線等で瞬時に焼き殺されてしまう− というあたりの描写が非常に新鮮だった。それを防ぐための磁場、だがその磁場を 発生させ続けるためにはエンジンを止めるわけにはいかない。 エンジンを止めないと修理は出来ない・・・・うーん。巧い。 この本の優れているところは、そのハードSF的な面だけでなく、 そう言う事態を前にした群衆の、人間ドラマが(可成り理想的ではあれ)興味深く 展開されているところにもある。50人のどのキャラもが個性を持ち、 それぞれの思惑で生きている。何が有ろうと負けない強さを持つ護衛官 チャールズ・レイモントの格好良さはなかなかのものであった。 あとイングリッド・リンドグレン副長は、個人的にはユリカ(ナデシコ艦長) っぽいと思うがどうか。 ・・・巻末の金子隆一による「科学解説」がまた厚くて。30頁以上ある。 これだけでも随分ラムジェットエンジン通及び現代宇宙論に 詳しくなれるというものだ。今宇宙はどうなっているのか・・・ あー。あ゛ー。 こんなに興奮したのは、もう、高校の頃以来だスよ。 具体的に言うと、「ブラッド・ミュージック」を徹夜で読んだ夜以来。 初めてSFに出逢った頃の感動を、更に超えた感動。 やっぱさ、SFってのは、これだよな、これ。 センス・オブ・ワンダーさ。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (980519)
Anne McCaffrey & Mercedes Lackey "THE SHIP WHO SEARCHED"/1992 マキャフリー&ラッキー「旅立つ船」赤尾秀子訳/創元SF/1994/11/04 ・・・オモシロク読んで、でもラストで欲求不満。 何て言うか・・・女性が書いてるなぁ・・という感じで。 いや馬鹿にしてる訳じゃないんですが。 ・以下読んでない人には全然分からない話。戯れ言。 アレックスが抱きしめたいのはティアの操るマリオネットじゃなくて やっぱり「彼女そのもの」な訳で・・・益々欲求不満が募るんじゃないでしょか。 オトコ的に。 通常殻人というのは、先天的異常からそのままでは生きることが出来ない、と 判断された人間がなるものであり、その「容姿」は概ね正視に耐えない。 だがティアは違う。 「なのにティアは、うっとりするほどかわいらしい少女だった。  きっと魅惑的な女性に成長したことだろう。−くそったれ。  殻の中でも彼女は魅力的な女性なんだ。魅力的だが動くことのできない女性。  糸のないあやつり人形。」 「実体のないものに魅せられるような自分ではない。三次元ポルノなど  おぞましいだけだ」(p222) ここにはアレックスの、ティアの「肉体」に対する想いがありありと読みとれる。 これ程思い詰めていた「触れたい」という想い、「病的執着」が、この手段 −つまり遠隔操作のサイボーグ−で癒せるだろうか? まだしもこれがもう少し出来の良い「義体」だったらそこそこ 問題は無い様な気もするんですが、これがまた柔らかいところのない硬質の肌。 特異点航行が当たり前の時代に 「触れる皮膚のどこにも暖かな柔らかみはなく」 は無いでしょう・・・ この時代設定でサイバネティック技術がここまでショボいってのは妙な感覚。 シロマサの登場以降、サイバネティックボディ素材の感性・マインドセットは 格段に上がって(変化して)いて、彼の提供した「義体」感覚からすると これはあまりに古く感じられてしまう。時代の所為も有るか・・・。 でも92年作品だし。 或いは何らかの規制?あんまり人間そっくりにしちゃ駄目、とか。 ・・・えーと、つまり、オトコ的には「病気が治って柱から美しい彼女が!」 的な展開が妄想されてた訳なんですよ。ガリバーの宇宙旅行的ラスト。 お姫様ロボが割れて中から可愛い女の子が!的。 今更「船」・「殻人」をやめられる訳も無し 大体船をやめたら彼女と彼はもう「パートナー」では居られないわけで 物語としての整合性を考えるとこうならざるを得ない− というのは分かります。 それに、マリオネットを操る、ってのが一番展開としてはSFだし、 でも電波はそう飛ばないから船を離れられない−っていう設定も 萌える、もとい燃えるものが有るわけです。 宇宙船から降りることの出来ない端末義体。実にSFですな。松本系。 B.B.プログラムそのものが変化していく可能性も見えてきたりして それはそれで凄い、んですけど・・・ アーマロイド・レディなら硬質の肌でも良いわけですよ。 AIは所詮「モノ」だから。モノ故の良さがあるから、その体もより「モノ」 的であって欲しい。アーマロイドレディが「柔らかい肌」だったらやですものね。 ファティマだって造形的には人間じゃないし。 ・・・でも、ヒュパティアはその「素体」が激可愛いという設定なんですよ。 やっぱり期待しちゃうでしょう。「出てくる」のを。うーん・・・ ・・・・・いや、この場合、いくら義体が良くできていても駄目なんですよ。 個人的に。何て言うか・・・「脳が体外にある」のが駄目な拙者。 抱きしめている体には脳が無くて、何処かで遠隔操作してる、ってのが駄目。 逆に言えば、その義体の中に脳が収まってさえいれば どんなにショボい義体でも「安心」出来る・・・ そう言えば「攻殻2」では衛星回線から義体を遠隔操作−ってのが出てきてて 「これは何か違う」と思ってしまったのでした。頭カタイ? ・・・だってその義体壊しても、死なない訳でしょう。交換もできるし。 でも、「柱」を打ち壊したら彼女は死ぬ。それはつまりこのボディが 「マリオネット」に過ぎない事を示しているのでは・・・。 そんな人形を抱きしめてあんたは満足なのかアレックス!! ヒュパティアは満足してるだろうけど。 ・・・義体と柱と、どっちが「本体」か、とか。 体と心、は今の我々の場合一つの容器にワンセットな訳ですが・・・ ・・うーん。なんか混乱してきました。もう少し整理して考えてみる必要が あるみたいです。次に悩むのは「攻殻2」が単行本で出たときかしら。 マインドセットはまた進化するか・・・。 小説的には、前半、ヒュパティアが船になるまでの下りの求心力と 中盤以降のブローンを得てからの散漫な感じが何となく違和感があったですよ。 合作の影響?前半はぐいぐい読めたのに、後半いきなりペースダウンでした。 自分の生命維持費用によって縛られている殻人ならではの、「金」にまつわる 話も結構重要視されていて、投資がどうとかその辺の描写が妙に多い。 いや、これも理にはかなって居るんだけど、なーんか違う。 ハズしてる、ていうのか・・・燃えない。 あ、でもアメリカ人は斯う言うの好きなのかも。投資とか好きそう。 巻末解説にはパートナー選びの物語、としての側面が強く語られていたんですが、 これはそれ以前にやっぱり「SF」で、世界設定はサイボーグものの 金字塔といえましょう。古いけど。初期設定は60年代なんだから仕方ないですか。 あ、でも、面白いんですよ。 スタージョンの法則の5%の方だと思います。 不満は単にその「あらぬ期待」を裏切られたところにあるだけで、 整合性の高さは流石にSFメインストリームを走るシリーズだけはある、と。 ・・・・何か毎度のことながら主観のみの馬鹿文章でした・・・ 「俺的には」って、最近こんなんばっかり・・・・御免なさい。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (980417)
Arthur C. Clark "THE CITY AND THE STARS"       /1956 アーサー・C・クラーク「都市と星」山高昭・訳/早川文庫SF/1977/12/15 読み終えてみるとこのタイトルの付け方は絶妙。 「地球の長い夕暮れの中に横たわる不滅の都市ダイアスパー」と、 そのバックに広がる(かつては人間の庭だった)星の世界。 この長編の元となった「銀河帝国の崩壊」を読んだのは高一の時だった −ので、すっかり忘れていた訳であるが、まぁ何となく覚えていた印象というのが 現在の環境にしがみつく老人達と、その世界を出ていく少年・・という。 まぁだいたい間違ってなかった訳か。読んでいる内に段々思い出してきたりして。 もう今更ネタバレも無いだろう(発表から40年以上だ)てんで、話のさわりと この作品の一番美味しかったところ(と拙者が感じたところ)を− 遥かな未来。 砂漠の中に一つの都市が有った。 コンピュータの<記憶バンク>に基づいて形成される、絶対に摩滅しない 魔法の様な完全都市ダイアスパー。 「銀河帝国が崩壊し、侵略者達が星の世界に引き揚げてから」 十億年以上、人間はこの都市の中に自らを閉じこめ、生きながらえてきた。 人も物も、都市を構成する物は全て<記憶バンク>が記憶から再生し、 人々は繰り返し生まれては、数百年を生きて、また記憶バンクの中へ還っていく。 全く変化しない、黄昏の都市。 だが、主人公アルヴィンは違った。彼は他の者達と違い 過去生を持たない久しぶりの「子供」であった。 都市にコントロールされない、勇気と野心、冒険心を持った彼は 過去にもその様にして誕生した「ユニーク」と呼ばれる存在と同様に 都市の外を目指す。 封印されていた過去の交通機関(リニア地下鉄)を発見し、それを利用して 新たな世界を目指すのであった。 続く。 えーと。話としてはホンのさわり程度ですが、このへんで。 (然しクラークって「今はもう使われなくなった交通網(地下鉄)」とか  好きだよな。多分。「太陽系最後の日」とか・・・) で、この小説を不朽の名作としているのがこの物語の背景にある 未来史な訳ですが、これが語られ出すのが全347頁中322頁からという。 もうホントにラスト間際で一気に語られてしまう此の未来史は、こう− 漸く冥王星域まで進出した人類は、地球外知性によって多くの知識を授けられる。 彼らはこの知識を元に銀河を旅し、さらに多くの偉大な知性に接触、 多大なショックを受けた彼等は太陽系に戻ると、遺伝子と精神の研究に力を注ぎ 自分たちを進化のぎりぎりにまで押し進めた。 進化した人類は、広大なこの銀河で、偉大な精神達と肩を並べて活躍する様になる。 そして、彼等が次に目指したのは、肉体に縛られない「純粋な知性」の 創造であった。銀河系の全種族の協力の下、百万年を要して 生み出されたのは然し、「狂った精神」と呼ばれる フランケンシュタインの怪物であった。 その存在により、その後たった千年の間に銀河帝国は大打撃を受け 星さえ光を失ってしまう。 だが銀河帝国はこの「狂った精神」を「黒い太陽」と呼ばれる 人工の天体に封じ込め、その後もう一度「純粋知性」を創造。 その完成を見届けた頃、彼等は別の空間に住む新たな何らかの存在に引かれて この銀河を後にする。銀河を「純粋知性」に引き渡して・・・・ そして、残された僅かな人々、狂信的且つ保守的な人々は、 自らを都市に閉じこめ、後の十億年を静かに過ごしてきたのだった・・・ この、最後の、銀河帝国の民が嘗ての住処を後にして別の空間へと 去っていくシーンの美しさ、壮大さは圧巻。 銀河系の軸に沿って、巨大な球状星団が無限の彼方へと 加速すると、後に残された銀河の太陽達は、その加速にエネルギーを与えて 一瞬で暗くなっていく・・・・あああ。いいなぁ。絵が良い。 でもイカスのってこのたかだか20頁前後だけなんだよなぁ。 後は割と蛇足というか。「人間が描けてない」のはいつものこととしても。 うーん。キャラ萌え要素の皆無な作品ってのは辛いかも・・・ あ、あと良かったのがP261〜の宇宙船の加速シーン。 音もなく加速(一瞬で地球の姿は見えなくなる)し、気がつくと宇宙。 静かにジェネレータが唸り始め(この時点で既に超光速に達している。其の証拠に 後ろを見ると星が見えなくなっているのだ。然り気ないがイカス描写) 更に轟音(と、ぐいと引かれる感覚、空間湾曲の印象)と共に超空間航行に移行。 超空間航行に移った後はジェネレータも静かになり −という、この段階的加速の感覚がもう。「ぐいと引かれる感覚」が身体に 伝わってきて、自分も宇宙船に乗っている様な感じであった。 シフトアップ!という感じ。 ・・・・・然しこの作品のプロット、特にこの未来史部分が 後に如何にパクられているかという。あーアレもコレも元ネタはコレだったのね。 発表されてから40年、この作品に出会う前にこの作品から派生した 2次3次生産物に出会いすぎたのかも・・・あんまり衝撃は無かったですね。 未来都市ダイアスパーの描写も、今見ると萩尾望都的だし。 まぁ長編ならではの迫力と無茶な構成が時代かなぁと。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (980310)
Ian McDnald "DESOLATION ROAD" /1988 イアン・マクドナルド「火星夜想曲」/早川書房/1997/8/31 「閉鎖されたホテルやダイナーの割れたネオン管に夏の雷がはかない命をもたらす  誇りっぽい夕べになると、ジェリコ氏とラジャンドラ・ダスは、ポーチに腰掛け、  ビールを飲みながら、昔を思い返すのが癖になっていた。」(p492) 10年に一度の傑作、と云わないまでも、今年一番の収穫であろうという事は 最初の10頁ほどで直ぐに解った。 明確に斯うと表現できないが、そういった本のみが持つ匂いを この本も、活字の間から匂わせていたからだ。 原題名は「デソレイション・ロード(荒涼街道)」。 その名をつけられた、赤い砂漠の中の小さな町が 生まれ、時を経て跡形もなく消え去るまでを 掌編を積み重ねて描いた、タピスリー的物語である。 (赤い砂漠、と言って火星と直ぐにピンと来るのがSF者。  タイトルの「火星−」は原題の「デソレイション・ロード」を  そのまま使った方が気が利いていたと思う。) 作者後書き曰く「とるにたりない人々、はずれにいる人々、周縁にいる 人々の本を書きたかった。」(p541) 「平凡が故に非凡である人々の本」である所のこの書は、云ってしまえば (と言うか、ズバリそのものだが)SF版「百年の孤独」だ。 「ラテン・アメリカ文学の魔術的リアリズム」それが此処にある。 マルケスの本に、あの活字の向こうの世界に没入し、読了した後 現実世界へ帰る間際に味わったあの魔術的感覚(マジックフィリング)を もう一度味わうことが出来ようとは。 然もこれを書いたとき、作者イアン・マクドナルドは28才なのだ。 解説に寄れば、彼がその年齢でこれだけ豊かな内容を描き得たのには 訳がある。彼の云う「サンプリングとリミックス」の成果だ。 勿論下手なリミックスは下手なオリジナルよりまだ劣る。が、 世の中の創作活動が全てリミックス作業なのだと云うことに思い至れば− 平均7・8ページの章で描かれる、細かい(とるにたらない者達の)エピソード。 それが大量に積み重なり、その云う魔術的リアリズムを生んで行く。 序盤では、町の創始者アリマンタンド博士や犯罪帝国の帝王、 機械を魅了する力を持つフーテン、飛行機ショーの少女、 絶対に見分けがつかない三つ子等々・・・の多くの人々が この赤い砂漠にたどり着くまでの物語と共に登場してくる。 この下りからして魔法的にエキサイティングだ。 中盤以降、この町から外の世界へ出ていく人間が現れ、そして外の世界から 様々なものを持ち込んで来る。 登場人物一人一人を形作るエピソードの見事さ。リミックスとはこれか! という感じもする。 特に最強のスヌーカー・プレイヤーとなったリモールの下りは素晴らしく、 句読点無く列挙される地下享楽都市ベラドンナの風景描写(p222)などは実に 強烈且つ感動的だった。サンプリングの成果と言わねばなるまい。 ここには「邪さ」に望まれるロマンが全て描かれている・・・ 或いはベツレヘム・アレス株式会社の首都、ケルショフ市の 超巨大な建造物、産業廃棄物で一杯の池の描写、プロレタリア文学もかくやの 単純労働風景、「あたらしい封建主義」、その中での昇進模様・・・ ああ、たまらない! この手のアンチユートピア文学特有の避けがたい、ペシミスティックな魅力が 充満している。 ・・・或いは、これは明らかにブラッドベリの影響下に有るのであろう エクストラヴァサンガの中での鏡の部屋(p237)のシーン・・・ 鏡の向こうに追い求めた背中、捕まえてみればそれは・・・ 上に挙げた例(ベラドンナ・ケルショフ・エクストラヴァサンガ)は 実は30ページ(p209〜p237)に満たない中の連続した三編なのだけれど どれも一生モノ(!)の印象を残してくれる。 他にも・・・ああ、挙げればきりがない。 斯う言った様々な物語を積み重ね、然しやがて滅びの時は来る。 序盤のクライマックスでアリマンタンド博士によって「確率的な存在」に されていた町は、様々な物語と共に、やがて赤い砂漠の砂へ帰っていくのだった。 ・・・あああ・・・駄目だ・・・ この本の感想はどう書いたところで陳腐になってしまう・・ 読んで、没入した者だけが味わえる世界、でしょうか。 片手に収まる本の中に、現実以上にリアルな一世界が、空間と時間をそのままに 収まっているのだという事の凄さ。 久々にSFの、「読書」という行為そのものの醍醐味を 満喫させてくれた一冊でした。 勿論、お薦めです。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (97/12/10)
John Barnes "ORBITAL RESONANCE"/1991 ジョン・バーンズ「軌道通信」小野田和子訳/早川書房/1996/4/30 成る程これは「こどちゃ(小学生編)」だ。フラグ立つもんなぁ。 時代及び背景設定は全く「ありがち」のレベル。30年前のソレ。 1990年代半ば、行き過ぎた民主主義社会の(世界大戦による)崩壊と ミュートエイズにより、人類は壊滅的な打撃を被る。 後に「ダイ・イン」とよばれる時代を経て、それでもゆっくりと、 地球人類は立ち直りつつある、今時は2020年代半ば。 舞台となるのは、小惑星をベースに作られた巨大な船<さまよえるオランダ船>。 太陽周回軌道を回りながら、宇宙物資を地球に供給するという、地球の生命線の 一つである。ここで生まれ育った子等は、生まれつきこの船の未来の維持に 欠くべからざる船員であり、同時にこの船のを所有するニホンアメリカという企業の 社員でもある。その彼等の、「独立」までの一年が主人公メルポメネー(13歳、 黒髪・クルーカットで第二次性徴前)の筆(ワープ)によって語られていく・・ あああ。「ありがち」。これ程ありきたりの設定の上で、それでも 「読ませる」という作品は、SFマインド以外の文章力・描写力・キャラの魅力等に 傾いて居がちなのだけど、それだけではこの作品も多くのソレと同様 「SFの背景をもった只の中学生日記」であり、似非エスエフにでしかない。 この作品をSFたらしめているのは、この宇宙船の「プライバシーの無い (非個人主義・全体主義的)社会で生まれ育った子供達が、物事や人間関係を どう感じるか」という、思考実験的テーマとそれに応える内容がである。 他者に受け入れられる事、自分が集団の一部であることが至極当然(セラピーと教育・ 要は洗脳によって維持されている)の社会にあって、将来の緊急事態時に 即時決断が必要な際、独断で物事を行えるリーダーとなるべく「我々」地球人の様に 「個人主義」、ATフィールドを植え付けられ(をい)育てられた「特別ケース」 のメルポメネー(倉田紗南)、その兄トム、そしてランディ・シュワルツ(羽山)・・ 彼等がプログラムされた「進むべき道」に対してどう対応し、どう未来へ 向かって行くか・・・ まぁしかし、期待していたほどメリー(と呼ぶとメルポメネーは嫌がる)は 可愛くないなぁと(みんな可愛い可愛いって言うから・・)確かに 今時クルーカットの黒髪ってのはツボだけど。 (イメージとしてのヒロスエを13歳にした感じ)でもねぇ。何か今ひとつ。 何かこー・・ジュブナイルでもないし、かといって・・・ 兎も角どの登場人物にもシチュエーションにも自分を投影できなくて惨敗。 感情移入度低し。歳取り過ぎか?>自分 マインドとしてのSFは面白かったけど、でも長編一本で描くからにはもっとこう 「主題」というか、見せ物が欲しい。何か最後にメルの言い訳(・・そりゃ書いた のは13歳の少女だって設定だから、起伏の無い展開やぼんやりした見えない 主題もアリとは思うけどさ)が有ってちょっと興ざめ。先生が言う様に、 「結末」がなきゃ我々ツチブタ(重力に魂を引かれた人々(・・・)を 彼等はこう呼ぶ)は満足出来ないんだよう。 兎に角「ありがち」感(エアラクロスのシーンなんかまんま「エンダー」)が 拭えない私でした。 ・・・ああ、「ありがち」なんて、感性が摩滅した奴が一番言いそうなことだよな。 やだやだ。 ショートカットで黒髪で13歳な女の子(中身は倉田紗南)が好みな人向け ってヲイ。 どーもねぇ。うう。 何か無性に宇宙の海は俺の海みたいなSFが読みたくなってる @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (97/09/06)
ルーディ・ラッカー「ウェット・ウェア」/早川書房/1989/11/15 矢張り訳文の素晴らしさに尽きる。りんりんデリックなこの文体!波れる・・・ 故黒丸尚の才能に改めて驚嘆する。 高校生の頃に新刊で買ってから実に5年の歳月が・・・積ん読も此処に極まれり。 今頃になって読んだのは、勿論というか、某ざべの「辺境の電脳達」の影響である。 矢っ張り他人が(ていうか具体的には大森望と水玉螢之丞が) 「りんりん」とか「くねくね」とか言ってるのを見ると、 読んでみたくなってしまうのだった・・・ 前作「ソフトウェア」も一晩で読み終えた記憶があるが、これも5日、 計五時間程度で読了。もう全編ハイで、ヤク入ってて、くねくねなのである。 一言で言えば「イカスー」という感じ。 アジモフ回路をバイパスしたロボットの革命戦から10年。 バッパーと呼ばれる彼ら非アジモフ機械知性は月の地下で日々進化を続けていた。 冷却を必要とするジョセフソンな回路は旧型となり、今や光コンピュータにより ペタフロップ級となった彼らの次の目標は、矢張り人間殲滅なのか・・ 真に彼らが望むのは、人間社会という情報網にリンクすることなのだが、 今の状態ではままならない。力で人間を滅ぼしても「嬉しくない」。 そこで人間社会へのインターフェースとして、「肉バップ」を作り出すことを考える。 バッパーのプログラムコードを遺伝子化したものと、 人のコードの二本の尻尾をもつ精子。これを完成させるに至った要因は、 「融合(マージ、とルビ)」麻薬だ。これは結構THE END OF EVANGELLION。 この薬をやると、タンパクの結合がゆるゆるになって、人間はピンク色の液体になる。 果たしてバッパーの一人が、このヤクででろでろに溶けてバスタブに溜まってる 女性の腹にその二本尻尾の精子を埋め込む事に成功。 この子供(初代はマンチャイルと名乗る)は恐ろしい短期間で生まれ、成長し、 成人となって更に多くの女性を孕ませる。更にその子供達が・・ というネズミ算式により、「肉バップ」を地球に蔓延させることが彼らの目的だ。 だが事はそう上手くは運ばない。全員ヤクがらみでいっつもハイになってる様な 危なげな連中が、私利私欲と勢いだけでその進行を拒む。そのヤバイ感じがもう・・。 いやー、良いよ。なんかもう憐れみの欠片もない様な描写が・・・ 個人的にはヤク中家族のクリスマスシーンのイッチャった加減が好き。 憐れさとかそういう感情無しにドライに下らないのがシンプソンズ的 可笑しみを醸し出す。 ・・うう。難しいな・・・・全編がポイントみたいな作品だから ここが良い、って言い難い・・・ なんか粗筋になってしまうよ・・・ キャラもガジェットも兎に角満載。しかも「ちゃんとした」SFなのだ。 ページ数も程々で、ノリに任せてあっという間に読み終わって わーはーは、という感じ。 然し結構後々考えてしまう様なテーマも見え隠れしていて、例えば僕等が 「ハードウェアを乗り換えられない”ソフトウェア”である」、 的感覚が興味深かった。 「ワタシ」という一つのソフトに、唯一無二の「身体」という専用ハードウェア。 言わばたまごっち的存在である我々・・・という。 ・・・でも確かにクローンのウェンディが、タンクの中で浮いてる (そんで臓器売買のためにその辺でバラバラにされてる)ってのは やっぱかなり綾波入ってるよな。 ソレ(身体だけで脳味噌真っ白の赤ん坊みたいな奴)一個やるから、といわれて 大喜びの(・・・)ステイ=ハイがもう・・・救い様がないちゅーか ・・良いねぇ。水玉螢之丞曰く「女をモノとしか思ってないのでわ」は 確かに言えてる。そのへんも含めて、バップな感じでイカスのだった。 然しホントにこの訳文は凄い。偉大な才能を我々は亡くしたのだなぁ・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (97/08/10)
福島正実・編「未来ショック 海外SF傑作選」/講談社/1975/7/15 SF傑作選ってのは、オールドメジャーなのが頭と最後に入ってて、 その間を「そこそこ」な作品が埋める、というのが普通だと思うんですが・・・ これはもう頭から尻尾まで、ぎっしりと超有名所の傑作が詰まっているという。 ていうか殆どその作家の代表作ばっかりという。もうこんなに豪華でいいのかという。 流石は福島正実という。 ・・・何福島正実を知らんとな。いや別に知らなくても害は無いんですけどね。 あ、でもお陰で一度は何処かで読んでる作品が多くて。 でも再読の機会は滅多にないから、この機会に一応全部読み直してみたり。 「走れ、走路」R.A.ハインライン ムーヴウェイと言えばハインライン。 然し此処まで走路そのものを(それがどういう機構でどのようにして動いているか、 或いはその機構の維持にどの様な労働が為されているか等々に至る)描いていたとは 知らなかった。その描写は現実感・臨場感に溢れ、素晴らしい。 読んでいると、走路の下の暗闇で、日々ローラーに油をさしている気分になる。 耳は轟音に閉ざされる。或いは走路から走路へと渡るときに感じる風の壁を感じる。 兎に角巧い。永遠の名作と言える。 むしろ何で今までこの作品の存在を知らなかったのか不思議なくらいである。 もしかして僕が知らないだけで、メジャーなのかしら? 内容的には、ハインラインの持つ軍人臭さが実に強烈に出ていてこれも凄い。 今や走路無しでは動いていかないアメリカ経済。為に走路は、どんなことがあっても 停まってはならない。 その快適さの下では、日の射さぬ地下で、ローターを常に監視し整備する 工員の姿があるのだ。「今は機械の時代だ。どこにおいても真の力は工員にある。」 彼らの誇りを見よ! 走路を使ったチェイスで一番好きなのは、でも「鋼鉄都市」。 あれは格好良かったな・・ 「海底牧場」A.C.クラーク 同タイトルの長編もありますが−実はこれも読んだことがないんです。 死刑ですか? 牧場を襲う鮫の巨大さ(40フィート)の描写に尽きる。 あとは海豚・・イルカ達の犬っぽい仕草の可愛さ。 クラークはイルカが好きなんだなぁ。スキューバダイビングの為 (イルカのため?)にスリランカに移住しちゃうだけの事はある。 淡々と状況描写が続き、事件が終わったところで、SF的解説部分が入る。 ここで一気に「SFマインド」が盛り上がる。 「七つの海が凍るまで、人間は二度と再び飢えることはない・・」 あーゾクゾクする。兎に角巧い。 この人の短編は解りにくくて苦手だったんですが、食わず嫌いだったか・・ 「草原」レイ・ブラッドベリ これは結構回数読んでる。5回目位?多くの傑作集に収録されている。 オチがブラックで、ブラッドベリ世界の子供像を良くあらわしている。 「恐るべき子供達」という訳だ。 「夢を売ります」I・アシモフ 田中融二の翻訳が古い!だがそのテイストが良い。「〜が如し」とか。 夢の記録・再生装置が生まれてより数年、良質なソフトを提供し続けてきた会社に、 役人がやってくる。記録装置が普及し出した為生まれた、「エロ録夢」に対する 警告のためである。此の手の記録装置が発明されれば最も最初に生まれる可能性の 高いソフトだ。アシモフの判断の鋭さには恐れ入る。 他にも、夢を記録するにあたっての、「夢想家」の養成法や、その夢想家が スランプに陥ったときの対処法など、アイデアが尽きないという感じの作品である。 最後のオチまで60年代SFしてて良い。 夢想家=作家と捉えれば、ラストの言葉は解りやすい。 「夢想家たちの仕事は、人間を幸福にするとことにあるということだ。 −自分をではなく、他の人々をね。」 流石の職人芸である。 「一九九九年」フレドリック・ブラウン これブラウンの中では駄作の方だと思うんだけど・・ 犯罪者が嘘発見器にかからなくなったのは何故か? それは催眠術で悪人であった頃の記憶を消され別人格になっているから・・ 昔読んで「そんなんありか」と思った記憶が。 「俳諧許可証」ロバート・シェクリィ シェクリィを読むのは、もしかしたらこれが初めてかも知れない。 ラストに至るまでの流れのよどみの無さがもう完全にプロ。設定も無茶苦茶巧い。 取り残され、数世代が経った植民惑星に、或日再び地球より通信が入る。 軍事帝国化した「地球」は、その地球スタイルで暮らしていることを望み、 近く視察に向かうという。だが今や住民達は原始共産制にまで戻っている。 困った住民達は、過去の資料を基に「地球的」な暮らしを演じ出す。 その「役職」中には、犯罪者も必要なのだった・・・ 「ショク・・・」リチャード・マティスン この作家については良く知らない・・・ タイムマシンを「航時機」と訳す。流石。 内容というか骨子は、とり・みきの「冷食捜査官」シリーズのそれだ。 細菌兵器によって「自然食品」がなくなった未来。そこへ1954年から 「食料を携えて」やってきたロバート・ウェイド教授は−。 food、とfuckを描けた「f...」というタイトル。翻訳は難しかろう。 然しオチが酷い。酷すぎて笑える。 最後は再びアシモフの 「災厄のとき」。 短編集「われはロボット」の最後を飾る作品として余りに有名。 数年ぶりに読み返してみて、その論理的なオチにしびれた。いや古いけどな。 でもやっぱアシモフはいやらしいね。科学者故に、人間を信じてないというか・・ そこがまたキャラクター、個性というものだ。自然派のクラーク、 ジェントルマンで軍人のハインライン、科学史上主義者のアシモフ・・・ そんな感じ。 然し真の傑作は此の後巻末にある福島正実の解説であろ。 「未来ショック」という一見珍妙なタイトルの下に有る意味と、それに基づいて 編まれたこの短編集の「意図」に気付いた瞬間、背筋を走るものが。 そう言えばこの集には明らかな「テーマ」が潜んでいる・・・ 「編集者・福島正実」の才能の凄さが伝わった。確かに凄い! 彼の「良質なSFとはこうでなくては」という強烈な持論が展開されていて 実にエキサイティングだ。SFを熱く語ることなど一度もない私の様な 世代にとっては、この「SFの使命」みたいな熱さこそが、 最もSOWだったと言える。凄すぎた・・・うーん。 今でも手にはいるかどうかは不明ですが、もし古本屋などで見かけられましたら是非。 コストパフォーマンスの高さはとんでもないです。 SFのエキスだけが詰まった様な・・・本当に「濃い」一冊。でした。 しかしどの作品もホントに巧いねどうも。描写しきすぎず、それでいて 舞台の「絵」はきちんと描かれている。読者は行間を思い切り補完する事で、 より強烈に作品を味わう事が出来る・・・勿論それは「傑作短編」だからなのだけど。 矢張りSFの心は短編にあり、だ。痛感させられた。 いや〜、SFって、ホントにいいもんですね、等と 今は亡き(生きてるって)水野先生の真似が思わず出てしまうのだった。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (97/07/12)
Greg Bear "QUEEN OF ANGELS"       /1990 グレッグ・ベア「女王天使 上・下」酒井昭伸・訳/早川書房/1997/1/31 近頃噂の一冊(二冊だけど)。 結構いろんな雑誌で取り上げられてたので、タイトル位は 目にされた方もいらっしゃるかと思いますが− いかんせん翻訳が遅すぎた感があるですな・・。 SFってのは科学技術や思想、哲学系のネタの新鮮さが売りな部分もあるので この七年という時の遅れは致命的だった・・・・かも知れない。 ナノテク、超高層建築・巣宮(ハイヴ)、真の人工知能、孤独、夢枷ヘルクラウン、 変容処置、宇宙探査、潜脳、幼児期虐待、ギネー、ヒスパニオラ、セラピー・・・ ・・・いや、むしろ七年前に読んでたら結構判らない描写も多いかも。 七年前の私は、まだシロマサ(士郎正宗)を知らなかった・・・ 「絵」的には完全にシロマサ。ネタ的にもほぼ同系統と言える。 シロマサの近作(週刊誌・・・)が読めなくて辛い人達(特にアップルファンは) 読んで吉でしょう。高層建築のイメージはまさにオリュンポス。 内容的にも、全体的に情報過多、ドラマあっさり、裏設定どっさり、という 例のアレです。 どれがメインともつかない四本のストーリーが時に絡みつつも 然し基本的には独立して進んでいく。・・ザッピングSFとでも言おうか。 飽きさせないと言うよりは然し散漫さを与えはしないか。 正直、長編に有るべき、読了時の独特の満足感が薄くて・・・ ネタ帳見ただけ、というか・・・やっぱり「物語」は欲しい。 貫く思想というか・・・ おかげでタイトルの「女王天使」が現れる部分の(盛り上がるべきなのに) 盛り上がらない事と言ったら。この作家って人間描くの巧かった様に 思うのだけど・・ +セラピーが行き渡り、犯罪の激減した都市、ロスエンジェルス。 そこで、高名な詩人が、8人もの弟子を殺害して姿を消すという事件が起きた。 事件を担当するのはロスエンジェルス公共安全保証局のマリア・チョイ警部。 全身をナノで漆黒の美女へと「置き換えた」変容者である。シャチのような、と 形容されるその美貌。だがその下にはかつての白い自分も眠っている。 彼女は詩人、マーティン・ゴールドスミスを追ってヒスパニオラへ向かう。 +ゴールドスミスと知己であった詩人、リチャード・フェトル。 何年も書く事の無かった彼は、事件を境に爆発的に書き出す。 ゴールドスミスの、殺人へと至る心の流れをなぞった詩だ。 妻子を失ってよりこの方、浮き上がる事の無かった彼の詩想が、別の視点から ゴールドスミスを削り出す。 +ゴールドスミスによって殺された若者の親より、ゴールドスミスの脳に 潜脳してくれるよう頼まれるマーティン・バーク。かつて追われた研究所に戻り、 再び潜脳専門家として甦る。チームを組織し、嘗ての右腕とコンビを再結成し・・ 果たしてゴールドスミスの脳に潜っていく準備は整っていくが・・ +ジルと呼ばれる人工知能。だが「彼女」は今だ「自我」を持たない。 私、とは何か。個とその他を作る領域は何か。それは彼女の前身を載せた 探査機がいよいよ探査目的の惑星へたどり着き、観測を始めたとき 明らかになって行く・・ どの「ネタ」も面白かったんですが、私個人としては矢張り、 「精神」構造の語りが楽しかったですね。この世界は、精神が ルーチン・サブルーチン等にシステム化して語られている。 これが結構エキサイティングで。 人格という主ルーチンを軸に、タレント・エージェントと言った 人格のサブセット群がその都度表に現れて仕事をする。 サブセット群は基本的には「人格」の未発達なものであるが、中には独立した サブルーチン(亜人格)や閉じた副人格などもある。これらは専業ルーチンで、 時には(状況に応じて)首位人格ともなる。例えば父/母/夫/妻/男/女、として。 −そう言うものの総体が人の精神活動なのだ、とする「語り」なのだが、 パソ者には馴染みやすい感覚であろ。 また、その各ルーチンの成長を或いは抑制するなどしていくのが 「セラピー」なのだという・・・。この辺のアイデアはきちんと作品の中で 生かされている。巧いねどうも。 後興味深かったのは、人工知能ジルが思い悩む「罪と刑罰」の因果関係。 彼女が自意識を持ったときに感じる罪感覚が結構SOW(センスオブワンダー)だった。 反対に解りたかったけど知識不足で今一つ残念だったのがハイチ文化。 特にブードゥー関連は作品の根底の一部であるだけに、その辺の知識が有ればより 「予定調和」の気持ちよさを味わえたかも知れない。うーん。 作風が往年の日本作家に酷似しているのは私も認める。 この話だってまるで筒井のアレと小松のアレみたいじゃないか!! でもまあ、そんなことは知らなくても大した問題じゃないし。 ただ、日本人ウケしやすいかな、と・・・ まあ読むに値する作品ではあります。お暇でしたらどうぞ。 ☆特別付録・良く解らない人物解説。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ●マリア・チョイ・・・シャチのような黒い肌を持つ女。 ロスエンジェルス公共安全保証局勤務の警部。 ●エマニュエル・ゴールドスミス・・・詩人。殺人犯。セラピー忌避者。 ●リチャード・フェトル・・・詩人。同セラピー忌避者。 ゴールドスミスの弟子であり、友人でもあった。彼の殺人を機に詩想を蘇らせる。 ●ネイディーン・プレンストン・・・リチャードの女友達。 ●マダム・ド・ロシュ・・・詩人集団の女主人。セラピー忌避者の集まりを開く貴人。 ●マーティン・バーク・・・元IPR所長。潜脳家。その職を追われてより数年。 ●アルビゴーニ・・・ゴールドスミスに娘(ベティ・アン)を殺された男。 マーティンにゴールドスミスの潜脳を依頼する。 ●キャロル・ニューマン・・・セラピスト。元潜脳家。嘗てのマーティンの右腕。 現在は技術系大企業のマインドデザイン社に勤務。アルビゴーニにマーティンを 紹介する。 ●アーネスト・ハシダ・・・日本人とヒスパングリッシュのハーフ。 映像系スペシャルエフェクトの達人。マリアの恋人にして飼い犬(・・・)。 ●ラフキンド・・・前大統領。「王の目」「王の耳」を作り、文字通り全てを 監視した。悪名高き大統領らしい。 ●サー・ジョン・ヤードリー大佐・・・ヒスパニオラの統治者。ゴールドスミスは 彼の事を崇拝していた。白い体に黒い心を持つ。 ・ヒスパニオラ・・・旧ハイチとドミニカ島。現在は観光都市。主な産業は 軍人の輸出。法は、国際的に疑問視されている「夢枷」による刑罰を用いる。 また、夢枷(ヘルクラウン)の輸出でも知られる。 ●AXIS・・・ニューラル思考体。外宇宙探査機に搭載された人工知能。 世界は彼の報告に固唾を飲んで聞き入るが−。 ●ジル・・・ニューラル思考体。人工知能。5人の研究者の人格パターンを統合し、 「自意識」を持つようデザインされた。AXISの発展系。内部にAXISの 独立系エミュレーターを持つ。それを通して、AXISの「自意識」を知る。 ※登場人物が交錯するので、読んでいて混乱しそうなときはお役立て下さい。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@ (97/06/26)
Amy Thomson VARTUAL GIRL /1993 エイミー・トムスン「ヴァーチャル・ガール」田中一江訳・早川文庫SF を読了す。 感動。 これは、いいぞ。良くできた(本当に良くできている)長編です。 50年代60年代の傑作SFに劣らない、しかしこれが新人の作品という所に アメリカSFの層の厚さを感じさせられました。 自分にヲたく性が僅かでも有る、という方々には必読の書かもです。  身長150センチ、金色がかった栗色の髪はやわらかに波うち、片方がブルー、 もう一方がグリーンの瞳がトレードマーク。その魅力的な体は、実は人工皮膚の下に 鋼鉄の骨組や透明シリコンの詰まった、人間そっくりのロボットだ。 力は強く、赤外線アイや秘密のコンピュータ接続端子を装備し、超伝導内臓電池には 尻尾状の巻き取り式コードで充電する。(山岸 真) という少女型アンドロイドマギーの、自立のお話。 身長150センチ、尻尾状の巻き取りコードをコンセントにさして充電・・ とゆーのがなんともツボを押さえていてたまりませんね。 オレってやばい趣味なのかも。 ただマギーがかわいい!というアレでも良いのですが、この作品の主たる世界は ホームレス達の世界なのです。ね、アメリカしてるでしょ。 21世紀中葉、大暴落等を経験したアメリカが舞台。 貧困と荒廃と、その描写はしかしギブスン等のサイバーパンクに観られる ファッション的なそれではなくて、本当の、今の、現実のアメリカのアンダーな社会の 描写に見える。そいうい所がメインの舞台・・・ AIが法で禁止され、AIに関する研究は中止された時代に、マギーの産みの親 アーノルド・ブロンプトンは隠れて彼女を完成する。それは研究の為、というよりは 世間と付き合う事の出来ない「おたく」な自分をなぐさめる為のアンドロイドだった。 彼の父は資産家であったが、彼は父の過大な期待が重荷になってホームレスをして 逃げている。発見されればマギーは破壊され自分は刑務所か病院送りだ。 彼らの逃亡生活が始まる。 その間もマギーは世界を、人間達の姿と見つめ、より人間らしくなっていく。 コンピュータネット世界を扱った作品として観ても「それなり」に面白いです。 何より僕でも(という事は誰でも・・・)理解出来るネット描写が好ましい。 描写といえばこの作品は簡潔な背景描写がたくさん挿入されていて、想像力貧困な 僕でも映画を観るように映像を再現出来ました。そういう意味でも好き。 人を、人間を愛するように、人を暖めるように作られた彼女は、自分のその根本性格を 改変できる機能を持つに至っても、人を愛し続ける。 とにかく女性作家ならではというか なんとも情味溢れる作品でして、これ同じ道具立てで 男が書いたらもっとアレな作品になったのではないかしら。 マギーが最後は全てを理解した天女の様に・・そうだナウシカの様に・・ なってしまうのは彼女の初期モードの可愛さを好んだ大多数(だと思う)読者には つらいかも・・と思いますが(例えば初期のアーノルドに接する彼女の可愛い仕草は 可愛いだけなのに、後半ではプログラムされた不自然な仕草として描写される。)、 そういう思い入れをさせるだけの魅力がこの作品には溢れています。 訳文も滑らかで、快適に読めました。 出来れば新鮮なうち(ここ2,3年が賞味期限かも)に読まれる事をおすすめします。 4,5年もすればこれは50年代の「傑作」「名作」と同じ扱いになってしまうかも。 つまりそれ並みに広く読まれてファン間の「古典」となるでしょうが、ぜひ「いま」 のリアルタイム性を感じて頂きたいです。なんて。勝手ですが。 マギーのイラストに関しては、SFM2月号の水玉のソレが 凶悪なまでに可愛かったので、図書館などにてご確認下さい。 本当に読むに値した作品でした。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
Mike Resnick SECOND CONTACT/1990 マイク・レズニック「第二の接触」ハヤカワ文庫SF640円/1993 今更と言うか。 原著で読み始めた、という話を以前某ネットでしてましたが、 数ページ読んだだけで邦訳が出てしまいまして 嫌になってました。実は。 で、先週やっと読むか(邦訳を)、という気になりまして。 読み始めるとこれがまぁレズニックのいつもの事ですが 止められない止まらない! しかしレズニックって凄い・・・ その多作さ作風の多さはつとに知られていますが、 日本で読めるのはまだ数少ないもので これがレズニックか、と思うと次には全然違うのが出てきたりしてもう・・・ ん、雰囲気としては「アイヴォリー」に近いかしら。 アラスジはレジェンドブックス版によると He had killed two crew members of his space ship because he believed they were aliens. Commander Wilbur H.Jennings was clearly mad. His court material would be a formality.Max Becker his defence lawyer couldn't wait to persuade Jennings to plead temporary insanity and to go off on a long overdue vacation. But Jennings insists that the two crew members were aliens and that Becker investigate.To his amazement,Becker uncovers suspicious cover- ups:the dead crew members were jettisoned into space without an autopsy and the ship's medical officer has been reassigned to a mission into deep space... As Becker hunts the evidence,he realises that,far form being the hunter,he has become the hunted...and the trail leads back to man's first contact with an alien race decades ago... とまあそういう話(って自分でも打っててわかってないすけど) あとここに黒人女性ハッカーのジェイミーが出てきますが、 彼女の描写がすてき。しっかりした独立独歩の才女。このへんがいかにもレズニック。 他にも偽ファイルに競馬の勝ち馬(レズニックの作品には競馬はなくてはならない) の歴代の名前を入れたり、そのへんがくすぐってくれました。 止められない止まらない、はいいのですが いまひとつ盛り上がらない・・ ファーストコンタクトモノだというのに視点は一歩もアメリカをすら出ない。 宇宙に関してはほとんど無し。いっそすがすがしいが。 なんか昔の洋モノTVドラマ(事実彼はTVドラマの脚本を何百と書いているという) みたいです。変な人種もいないし、サイボーグもいないし・・ これぞSF、という様なのは他の作品に比べると薄いかな・・ コンピュータネットを駆使して情報を集め、事実を組み上げていくあたりは 面白いんですが、やっぱしレズニックは「一角獣」でしょ。 あれはファンタジィだけど。 しかしまあ洋モノドラマを思い浮かべつつ読めばそこそこ楽しめます。 (ちょっと過度の期待が・・・うーん) @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
   GREG BEAR'S NEW COLLECTION グレッグ・ベア「タンジェント」ハヤカワ文庫SF660円/1993 ・・・ええっ1993? 買ってから2年近く経ってる・・・・ まぁ、よし。 で、やっと読んだ訳ですが 短編集です。 「炎のプシケ」 祖父と父の無実を証明するために 小惑星を地球に落とすと脅迫し 真実を体制側に発表させようとする少女・・・・「永劫」とか「久遠」とか そういうのと同じ世界観かしら。 「姉妹たち」 読むべき。 遺伝子操作によって生み出された被造子たち。 心優しく、美しく、頭の良い彼らに引け目を感じ続けるナチュラルの少女。 しかし彼女と同年代の遺伝子タイプには重大な欠陥がある事が判明する・・ どんどん死んでいく子供たち(このへんがなんともベアである。凄い!)・・ それらの悲しみとともに成長する少女・・・という。有りがちなんですが、良い。 学園もの、という形をかりて、未来の世界(アメリカ)を切りとってみせる。 「ウェブスター」 ・・・よくわからない・・・ かなり前の作品であるらしいが。 うむ。味わいはあったが。SF? 「飛散」 平行世界モノの亜種、というか。上位の存在によって次元シャッフルが行われて その次元を貫く空間に集められる人々。 イマイチ。特に小道具の類は情けない・・・。 「ペトラ」 巨大な寺院を舞台に、石と人間の融合を描く・・・ ガーゴイルと人間のハーフ(らしい)が主人公。 どうも僕はキリスト者ではないのでよく解らない・・・ 神は死んだ。ここからは人間が一から築き上げるのだ。とかそういう話。 救いは無いかな。 「白い馬に乗った子供」 書く事は呪いのようなものである。という話。 創造系の方は読んで「そうそう」とうなづきする事必然。 物語を造る事を知った少年に、老人は「この先、一生、人間の知る限り最悪の苦悩に 苦しむ事になるわ」と語る。 ブラッドベリ的でもあり、おすすめです。 「タンジェント」 まるでこれはラッカーの様な・・トポロジーSFというやつですね。 コンピューターを使って4次元の立体を3次元的にとらえようとする試み。 少年が4次元の視点を持つあたり、実にエキサイティングです。 表題作にふさわしい。 「スリープサイド・ストーリー」 あああああああああ 僕こういうの弱いねん。 逆「美女と野獣」です。 でも、いいぞ。やっぱ。お話しの基本ですね。 野獣にあたる娼婦、ミス・パークハーストの妖艶な、しかし少女的な描写は もうたまらん! 魔法をかけられて、長年娼婦として生きてきたが、魔法のせいで 全く歳老いていないとかいうあたりもう・・・! 寂しげな表情とか、つらそうな疲れた顔とかね。 大都市(これは美女と野獣だと森ですね)の奥、巨大な邸宅に展開される話・・・ ただ、最期にもとのかわいいだけの少女に戻ってしまうのが・・・ (これはモトネタ、美女と野獣でも野獣が人間に戻ってしまう所に感じる不満に  通じるですね。ちょっと・・いやまぁかなり違いはあるものの。) うーん。ともかくこれだけはおすすめ。 という事で。 相変わらず「面白かった」「面白くなかった」だけで書いてますね。 まー。 ではでは。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
Robert Sheckley UNTOUCHED BY HUMAN HANDS 1954 ロバート・シェクリィ「人間の手がまだ触れない」稲葉明雄・他訳/早川文庫SF を読了しました。 今更・・・などとマニアな方々は言はないでね。絶版だったんだもの・・・ この本も絶版再販絶版を繰り返してきたらしくて・・・ で、。 いやぁ。凄い。「伝説の」とか「幻の」とか言われるだけは有るわ。 どの短編をとっても(短編集なのです)完成度高い高い・・・ アイデアは「有りがち」なものを多用しているものの(ただし1954年以前に書かれた 物であるが。)ともかく短編として読みごたえがある。 「センス・オブ・ワンダー」でくくられるところのこの時代のSFとは少し違った 魅力が有る。それは例えばこの短編集のうち何作品かは映像化されている事でも解る。 僕も昔「トワイライトゾーン」で「悪魔たち」を観た記憶が有る。面白いわ。 表題作の「人間の手がまだ触れない」に出てくる <ヴァルコリン製、よろず味自慢、消化力ある万人の使用に適す> とラベルされた「赤くてゴムみたいな細長い直方体」はくすくす笑うし。 これなんか「So What?」思いだしたわ・・・キノコ。 あと「七番目の犠牲」が傑作。「人間は戦いたがっている」という思想のもとに、 殺すためだけに殺しあいを楽しむ人々。これって、たがみの「グレイ」よね。 「専門家」も専門性が進んだ集合体の描写の基本かも・・・手だけの種族とか目だけの 種族とか・・・考え方としても面白いのでおすすめ。 ああ全て素晴らしい。久々に「SF!!」な本が読めた感じでした。 現在絶版の様ですので古本屋で見かけたら是非。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
Ray Bradbury I SING THE BODY ELECTRIC! 1 レイ・ブラッドベリ「キリマンジャロ・マシーン」早川文庫NV/1989 をやっとこさ読みました。 もう買ってから半年くらいほっておいたのを・・・ 読みだした理由は前に書いた様な事でしたが、一気に読了。 しかしこれで早川文庫版のブラッドベリは全部読んだ訳で寂しくもあり・・・ まだ洋書で10冊くらいありますが。これは飾りですねぇ。今のままでは。 ブラッドベリ叔父(と呼ばねばなるまい)に出会ったのは中学生の頃読んだ 「たんぽぽのお酒」でありましたが、今でも毎年春には読んでいます。 読みたく成るんですよ。なんか。 思い入れは、多分日本中のブラッドベリファンと同じ位。 つまりは心底愛しているという事かしら。 内容は巻末の解説によらずとも「さようなら」が全てか。 「キリマンジャロ・マシーン」ではヘミングウェイをのせてこの世を 過去の古き良き時代へと去るタイムマシーンが「さよなら」の道具である。 「お邸炎上」はIRAが屋敷を燃やそうというので主に立ち退きを命じるが そのお邸にはアイルランドの国家的財産ともいえる名画の数々が・・・ 果たして名画は持ち去られIRA各々の家に飾られようとするのだが、諸処の事情で 結局は邸を燃やさない事に決めてしまう・・・ラストの主のセリフが全てである。 「明日の子供」医療機器の進歩が出産を楽にはしていたが、悲劇をも生みだした。 出産時に何らかの故障で赤ん坊は次元断層におちこんでしまう。 結果赤ん坊はこの次元の人間には青いピラミッドの様にしか見えない。 その子供を持って育てどうにかしてこの次元にひきもどそうとするのだが・・・ 最後は両親がその子供のいる次元へと入り込む事だけは可能となり、両親はかくして白い直方体と化すのであった。泣ける。 「女」これはいわば「みずうみ」の様な話かとも思ったが・・・ 海の中で偶然が重なって生まれた「女」は、砂浜にいるカップルの片方、男性を 手招きする。カップルの女性の方は、本能的に不安を感じ、男性を ひきとめようとするが、力及ばず・・・これも傑作。美しいです。 「霊感雌鶏モーテル」大恐慌。仕事も無く、いがみあいつづける家族をのせた 1928年型ビュイックは西へと向かう。 文句を言い合う事で家族はうまくいっているのだが、その文句のぶつけるに最適と 思われたのが後に「霊感雌鶏モーテル」と名付けるモーテルだった。 そこである鶏が生んだ卵には、カルシウムの魔術というべき絵柄と、 文字が刻まれていた。「安んじて待つべし 繁栄は近し」 アメリカの「時代」を感じさせてくれる。こういうの好き・・・ 「ゲティスバーグの風下に」機械時掛けのリンカーンを撃ち殺した男。 いろいろと理由をつけていくが結局はそれによって名を売りたいだけだったのか・・・ 「われか川辺につどう」この短編集一の傑作。というか最もブラッドベリ臭がきつい。 さようなら、がテーマだとするとこれこそがそうだ。 川、とは、LAからサンフランシスコへの高速道路の事である。その町にさしかかると 「車の群れは苛立たしげに時速30マイルまで速度を下げ、35,6軒の商店のあいだ をのろのろと進み、昔は貸し馬車で今はガソリン・スタンドをやっている店がある町の 北端に差しかかったところで、元どおり80マイルにスピードを上げ」・・・ まぁ、そういう町なのだ。それが不便さに高速道は迂回し、いよいよ今夜で この川の流れもおしまいなのである。学生時代最後の卒業式を迎える気分だと例える 人も居る。センチメンタルといおうか。だが・・好きだ・・・ 「冷たい風、暖かい風」・・「なんにもなくなった」アイルランドへ妖精が・・・ 地中海の爽やかな熱気がやってくる・・・あああこれはどう頑張っても僕の言葉では 伝えられない・・・言ってしまえば、アイルランドの寒い町にシチリアの明るい 陽気なスマートなソプラノたちがワイワイやってきて、「秋」というものを見て 去って行くのを、地元民が遠まきに見て騒ぐという話なのだけど・・・ あああこんなんじゃ全然・・・ 「夜のコレクト・コール」これはアレですね、「火星年代記」のおまけというか・・ 地球で全面核戦争が起こって以来60年。独り火星に残った男が、60年前の自分が 寂しさに耐えきれずに色々な所へ人工頭脳と一緒に設置した「電話」から電話が かかってくる。60年だって、まだ自分が生きていたら・・と考えた20代の頃の 自分はしかし若さ故の傍若無人、老人に対してのイヤラシサを持ち、 老人の最後の夢すらも打ち砕いてゆく・・ それはただ、電話のベルがなり、それを老人がとり、話を聴かなければ 何の効力もないのだが・・・ ブラッドベリしてて良。というか、「初めて感動したブラッドベリ」に近いです。 うーん・・そうだな・・藤子Fの「SF短編集」の持つ悲しさとか寂しさというのは ここから来ているのではないかな、と。そんな感じ。 「新幽霊屋敷」金持ちが毎週末パーティ騒ぎをしていた邸を買わないかと 手紙を貰った主人公。彼もまた過去にはそのらんちき騒ぎの主役の一人であった。 しかし、今見るそれは、どことなく沈んだかんじに見える。それもその筈、 この邸は実は4年前に全焼していたのだ。金持ちである邸の主は金と時間をかけて 2週間前に全く元通りに完成した邸はしかし、人々をうけつけなかった。 汚れ老いた人々。それらを呼んでまたらんちき騒ぎの再来をと思ったが、 一晩で何やらさめてしまい、パーティはお開きとなってしまう・・・ 邸はまだ生まれたばかりなのだ。主人公と邸の主人でありまた主人公と過去に恋に おちた邸の主人は、そこをあけはなち、「汚れた」別の邸へと車を走らせるのだった。 若き日のどんちゃん騒ぎへの別離。罪の意識は老いて初めて感じられるものだ。 という事で。おすすめです。ぜひお読み下さい。 まー、SF者なら基本なんですけどね・・・僕はエセSF者だからいいの。ム。 ではでは。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
トーマス・M・ディッシュ/浅倉久志 訳 「いさましいちびのトースター火星へ行く」 早川書房海外SFノヴェルズ を(やっとこさ)読む。 なにせ5年も前に出たのだ。これは。 別に怠けていた訳ではないが・・・ そもそも「いさましいちびのトースター」、というのは 以前SFマガジン1981/12の巻末に掲載されたノヴェラで ディッシュ=シリアスで暗い というイメージを一気にひっくり返したほのぼの傑作であります。 電気家具達が御主人様をたずねて旅をするという、いじらしくて 涙腺のツボを押しまくる作品で・・・おすすめです。 後にハードカバーで単行本化されましたし、ぜひ一読を。 「子供の為に買って、あなたが読め」という書評もきっと納得出来ます。 で、これはその続編。 流石に一作目ほどのインパクトは無いものの、 ほのぼのしてるけど実はSFなんだよという展開には 感心してしまった。 アインシュタインの補聴器から授けられた技術によって 彼らは火星へ旅立つのである。 その理由は・・ 前作のSFM掲載時からひきつづきの吾妻ひでおのイラストが 作品をより楽しませてくれる。この人も家電描かせたら日本一だものなぁ。 (電気釜とか冷蔵庫とかジューサーとかのフォルムは実にセンスが良い。  ・・・電気釜とかがよく出て来るんですよ。彼の作品には。) 実はさきにあげたSFM、1981/12、昔々ひと山いくらで買い込んだ 中に入っていて、当時(中学生だった)読んで感涙した記憶が有ります。 この号は凄いんですよ。神林の「抱いて熱く」以下日本作家が爆発してる感じで。 でも当時は「あっ岬兄悟が載ってる!」という理由だけで買ったのだよなぁ・・ ああちくしょうもっと買っておけばよかった・・・ ではでは。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
Dan Simmons HYPERION             /1989 ダン・シモンズ著「ハイペリオン」酒井昭伸訳 早川書房/1994 Dan Simmons FALL OF HYPERION            /1990 ダン・シモンズ著「ハイペリオンの没落」酒井昭伸訳 早川書房/1995 2冊で一つ、上下巻、と言うよりは「表と裏」の構成。 とにかく両方とも確保して、読み始めたのだけど・・・1ヶ月がかりで読了。 何という集中力の欠如! あまりの緻密さに、読む速度が落ちたというのもある。 でも本来は、三日くらいのものですよね。ああ・・駄目だなぁ・・ 三日くらいだと、随分オモシロサも濃縮出来たろうに。 まぁいいや。 本書が話題になったのは、特に「没落」が出て以後だから、それでも一年近くが 経過したことになる。その間に耳にタコな程、その評を聞かされた。 成る程。 それだけはあったわ。 もう何と言ったらいいのか・・・ こういう時に、「SF者で良かった・・・」と感じるのよ。 ホントに幸せ。 さて。 SFM1995/9が、「ハイペリオン」読解の鍵とか言われていましたが、 実は先に読んでました・・・でも大丈夫。いっそ先に読んでた方が、仕掛けを 楽しめるかも知れません。 難解ですからねぇ。ある意味で。 内容は、実は見た目古典的。60年代アメリカSFの美味しい所が詰まってるような (その分ちょっと底の浅い)背景と、物語SFの集大成的な各巡礼の物語。 雑誌等の評では、 「ハイペリオン」は少々タルく、「没落」で一気に感動爆発! というものが多かったのですが、僕は元々この「巡礼の物語」の様な、ちょっとした 物語と、それが展開される背景の「観光」を楽しむタイプなので、「没落」の、 懐かしくもちょっと古い(・・「帝国」・・)世界観のみ、を押しつけられるのは 辛かったです。それに比べれば、例えば「ハイペリオン」では、その巡礼達の行程が 観光出来るし、彼等の話す「物語」も観光出来る。 観光、と言えば、「ハイペリオン」(「没落」も)では結構「観光」に気を使って いる。例えば冒頭の聖樹船の描写(これがもうたまらなく美しい!シモンズのしつ こい描写のおかげでまるで目に見えるようだ。)や、観光用ゲートを走り抜けての チェイス、或いは巡礼の道程のいちいちの魅力的光景、各巡礼の物語にも延々見られる 「惑星風景」の描写・・・雷吼樹の咆吼、空にまたたく核の炎、TC2のコンプレッ クスの巨大さとその複雑さ、ゴッズ・グローヴの壮大さ、ヘヴンズ・ゲイトのあの泥、 マウイ・コヴェナントの海、ルネッサンス・ベクトルの静かな図書館・・・・・ 或いは「アウスター」達の造形の美しい事!それが領事のピアノに酔いしれている図、 或いはシュライクの造形、シュライクとと戦うカッサードの、まるで零式鉄球に 包まれた様な姿での、徒手空拳の戦い。モニータの美しさ。詩人の都のイメージ、 速贄の樹の光景、ああ・・・キリがない!! どれも涙が出るほど良い。 物語SFの集大成、と言っても、そこはそれ、しつこい人間描写で定評のある シモンズのこと、十分彼の「風味」で味わえます。 例えばこの作品の鍵であるレイチェル(の父)の物語は、実に日本人泣かせの 作品だと思います。こういう時間テーマ(と言っていいと思う)の話には、 正直もっと泣かせる話が沢山有るんですが、それがただ「泣き」だけでなくこの作品 ドラマの尤も深い所で効いている仕掛けとは・・・ 勿論泣けます。 そういう仕掛けがしてあるのだ。しつこいほどに繰り返す親子間の挨拶。 「シー・ユー・レイター、アリゲイター」 「インナ・ホワイル、クロコダイル」 これが交わされる度に、もうどんどん泣かせる展開になって行くのだ・・ これでもし読者が本当に「父親」だったりするともうたまらんでしょうな。 仕掛けと言えば、例えば「ハ」の第一章、司祭の物語、この内容がまた 「没落」でちゃんと効いて来るのだ。この伏線がきちんと収束する快感! 矢張り、伏線をはりまくった長編がその伏線をまとめて完結するときの快感と いうのは、これはもう長編でしか味わえないものだ。いいねぇ。 結構いろんな部分部分で詰めて考えてみると「成る程!」という所が多く、 何とも「語りたくなる」作品です。 その点では、「オンの字」組の「エヴァンゲリオン」と通じる者があるのでは。 但し、こっちは「愛」だけど。全体進化じゃない・・・いわば「ニュータイプ」。 アイがなくちゃね、のアイ。隣人愛。難しいな・・ 各巡礼のキャラクターもよく練られており、いちいち挙げていたらキリがないですが、 僕は個人的には、詩人・マーティン・サイリーナスが好きだったな。 彼の「意欲」というパワーこそは、今の僕には欠けて久しいものだ・・ 彼は、作品中尤も印象の変化した男でも有る。最初の、殆ど狂人の様な男が、 ラストにはなんか随分格好良いオヤジになってて、それが妙におかしかったわ。 もう一つの鍵としての、詩人「ジョン・キーツ」について、僕は残念ながら、 本書が語ってくれた事以上は何も知らない。詩は苦手だ・・・ これを機に、読んでみたいものだが。 まだまだ「この世界」では本当の決着はついていない。 「ウェブ」が破壊されたとは云え、人類との敵対を露にしたAI群はまだ滅んでは いないし様だし、何より「墓標」群の、その全てが「開いた」訳ではない。 そして、これから生まれてくるAIと人間の子供、つまりブローンの子供、これの 正体、もまだ判明していない。 果たして・・・? ああ。尽きない。語られては居るのに、「見えていない」事が まだたっぷりつまっているんだろうなぁ・・・ かと言ってもう一度読めるかというと・・・ でも実は既に「ハイペリオン」を再読してしまった(ら、これが倍は面白い!) @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
「郵便配達は二度ベルを鳴らす」ジェームス・ケイン/田中西二郎・訳 新潮文庫 高名なハードボイルド小説。タイトルだけは知っていたが(たがみ)、うーん。 これのどこがThe all-time best sellerになりうるのか・・ 内容はなんか深夜の洋モノドラマみたいなもの。それ以上ではない。 だいたいこの作品のどこでPostmanがRing Twiceしたんだ? 読みが甘い?うーーん。知ってる人、教えて下さい。 ま総ページ180そこそこだったし、没入もできたし。でもやっぱチャンドラー・・ @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
「銀河おさわがせ中隊」ロバート・アスプリン/斉藤伯好・訳 早川文庫SF961 正直、大森望の解説の方が面白かった。 彼の言う「ポリ・アカ」+「富豪刑事」という図式はハマってる。 でも「タイラー」かなぁ・・・あのシリーズの持つ「無限に広がる大宇宙」には とても及ばないとおもうぞ。 しかしスシという名の東洋人とかいいかげんで好き。 内容はありきたりでB級スペオペ以上にはどうみても考えられない・・・。 橋本正枝のイラストは良い。大森解説の成功例に買ってもいいかも。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
 Robert Asprin   PHULE'S PARADISE                  /1992 ロバート・アスプリン「銀河おさわがせパラダイス」斉藤伯好訳 早川文庫SF/1993 「銀河おさわがせ中隊」の続編。 大森望の漫才解説も付いてそのまま続編、な感じ。 その解説によればこのシリーズ、全6巻までの予定であるとか。 うむむむ。 読みたいような・・もういような・・・ 要は「ポリ・アカ」なんですが。 大森望に言わせれば「宇宙一の無責任中隊長は大富豪」。 然し今回はあんまし「大富豪」な展開は無いな・・・ むしろ中隊員の各キャラを掘り下げた展開であり、続巻のための布石か、と。 カジノを乗っ取りから守れ、との依頼を受けて、半ばやっかい払いの体で 放り込まれる我らがオメガ中隊。この難儀な作戦を解決するために フールが取った方法とは・・ フールは今巻殆ど寝ずに働いては失態をする。もう少し仕事を部下に任せるべきだな。 まぁ成長したとは言えモトがあのおちこぼれというかヤクザ中隊ではどうにも・・ オカシかったのはスシ(日本人の名前!こんな「そのまんま」な名前・・)周辺の 描写かなぁ・・ヤクザの描写や麻雀の描写がいちいち狂ってて笑える。 後、扱いがちょっと小さくてワタシは不満だったのですが、やっぱスーパー・ナットが 好き・・・あああ橋本絵も好きなんだけど。今巻はウェイトレスに変装してるんですが 是非ともそのシーンの挿し絵が欲しかった!なんか挿し絵位置間違ってないか・・・ ちなみに今巻の主人公は執事のビーカー氏。橋本の挿し絵のビーカーは如何にも 「執事」って感じですが、多分もっとほっそりしてシヴイ感じのオヤジに違いない。 と勝手に想像。いやだってかっこいいんですわ。ロマンス有り。なかなか粋なのだ。 この文庫、橋本正枝の挿絵が実に威力を発揮していて良いです。 各キャラの魅力を数倍にしている。小説の作風と結構合った画風だと思うですよ。 特に女性陣は・・ ゴーヂャスな絵を描かせたら、氏は上手いですね。 中盤で、宇宙船の中で不安な隊員と話すフールのシーン、 妙にそこだけ深くて好きです。 「理由のない恐怖なんてものはない。  もし何かが恐いと思ったら、それは現実のものなのだ。」 とかね。 ううう うーん。感想にならん。うむむ。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
 "THE WORLD OF NULL-A" by A.E.Van Vogt 1945 「非(ナル)Aの世界」ヴァン・ヴォークト著/中村保男訳/創元推理文庫 を読んだ。 感想とか。  p59 「人間は一個の物理科学的な構造であって、その生意識は入り組んだ神経系統から  発する。死後、人間のからだは分解する。が、人格は、他の人間の神経系統の中の  歪曲された一連の衝動=記憶となって生き残る。年月がたつにつれて、  これらの記憶はしだいにぼやけてゆく。ギルバート・ゴッセンは、長くても  せいぜい五十年間、他の人間の体内の神経衝動として生き残るだろう。それは  あたかもネガ・フィルムの上の感光乳剤がせ数十年生き残ったり、一連の陰極線の  中の電子のパターンが二百年間生き残ったりするのと同様である。」 上の引用は作品のタイトルともなっている「非A(アリストテレス)哲学」 の考え方の一つだ。と思う。 何処かで見たなぁ・・という。アレだ。 士郎正宗の「攻殻機動隊」(講談社)P341〜342の・・・ そもそも(脱線するがイツモノコト)シロマサ本人が「非Aの世界」から 名前を借用、という解説をP136に入れている所からしても、多かれ少なかれ 影響を受けていると考えて良いのでは。(駄目?)  未来。 <機械>によって安定的に支配された地球。 主人公ギルバート・ゴッセンは妻を失い、地位と職を得る為に<機械>の行う ゲーム(科挙の様な物。上位になれば金星にも行ける)を受けにやってくる。 ところが同郷で顔見知りであった筈の男に知らないと言われ、嘘発見機にかかる事に。 その結果は、彼の記憶は創られた物であり、全くの偽物であると判明。 それが為に謎の組織に捕まってしまう。 辛くも脱出した彼だが、すぐさまズタボロに撃ち殺される。 気がつくと彼は金星の大地に居た。確かに死んだ筈なのに・・ 同時に背景では銀河連盟の中でも強大な力を持つ エンロー帝国の金星への侵略が開始されていた。 とにかくスケールはやたらデカイわ説明不足だわで非常に掴みにくい作品。 まー、SF黄金時代の作品はたいていこんなみたいだけど。 ただ、1945年という制作年を考えに入れると驚異的な描写が多い。 まー、SFを予言書的に読むのはやめたいですが。 あとは何と言ってもバイオレンス描写。ターミネーターかトータルリコールかといった 銃で血みどろ、ちぎれる身体、の描写はすさまじい。 これがSFか!?という・・激しい。 1945年よ。1945年。うむむむ・・・機械はみんな真空管だが。 哲学が人間そのものを進化させる、というのはシマックの「都市」にも見られたが まぁ、お約束ではある。非A哲学というのはあの「ヴィーグル号」(ヴォークトの作品。 「宇宙船ビーグル号の冒険」古典。)の「総合科学(ネクシャリズム)」につながる 脳の機械的な改良(睡眠学習とか)を思い起こさせる。 しかし当時でこそお約束な哲学・思想による人間の進化、ですが、今読むと 異質な感じで面白い。 人間の脳は’80サイバーパンク以降、改造されまくってきて ハードばっかりが(視覚的で分かりやすいし) 描写されてきたけど、こーゆーのも・・いいかも。 シロマサの作品と同様、説明が極度に省かれていて、読めば読むほど・・という スルメな作品の様です。深い。 何より「古典」でして、そのへん、ハクつけに読んでも損は無いと思います・・って そういう読み方はイケナイんですけどね。多分。 今年沖縄でそれを指摘されて「邪道な読み手もいたもんだ。」 とかさんざん非難されたこともすっかり忘れてますが。 そーいう読み方でしか価値観を得られない不幸な男よあたしゃ。 うー、ではでは。 @@@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@
Warren Murphy PIGS GET FAT Translated by Yoshinobu Tamura/1985 ウォーレン・マーフィー「豚は太るか死ぬしかない」田村義進訳・早川文庫/1987 アメリカ探偵作家クラブ最優秀ペイパーバック賞受賞作。 下らないけどオカシイ。 どーも僕はSF者の割にはミステリはダメで(何故世のSF者はミステリも 読むのだろう。ハヤカワだから?)、随分昔にチャンドラーに泥沼の様にハマって 以来、コレと言って読んで無かったんですが、タイトルが変なんで、つい読み初め てみたら、なんかあっと言う間に読み終えていたという。 これは目録を見るに、トレース・シリーズという一連のシリーズ物であるらしい。 主人公は軽口たたくのが生きる糧の様なアル中保険調査員、デヴリン・トレーシー。 彼が足でデータを集めるならば、彼の「ルームメイト」チコ・マンジーニ(日系人) は、それを頭で解決する論理派。二人のコンビがコロンボばりに事件を解決する、 というもの。 探偵、じゃない調査員の描写が面白い。書類ではなく、報告はテープを用いてされる。 これはリアルなのか単なるトレースだけの小道具なのか・・詳しい方、教えて下さい。 軽妙な会話を楽しむのがこの作品の主ではないかと思うくらい会話が壊れている。 冗談の幅も広く、アップルコンピュータのディスクがハードだとかフロッピーだとか ・・・・そんなのまで。 こんなん見てるとアメリカの探偵ってのはマトモな会話はしないのかと思ってしまう が(何でみんなああも壊れた会話をするのか。類型?)、ラストも類型クサイ。 雨の中、全てを明かして終わるという形式。いいんだけど。 もう一つ、この作品が日本人にとってオモシロイのが、この本の中盤を占める 日系人の集会と、そこにおける日系人の奇妙な行動である。日系人ってこうなの? という・・・ やたら詩を読んだり折り紙を贈ったり、いやオカシクていいんだけど。 チコの母親の妙な英語(を日本語に訳してるんだけど)もううむ、と唸らされる。 僕らがカタコトで喋る英語ってのはコレよりも酷いんだよねぇ。 上映されるサムライ映画もセブン・サムライズの10作目、シックスティーン サムライズとかもう・・・ まぁ、さくっと読めるので、暇つぶしには良いかも。 どーもF&SF以外は馴染めない男 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
マイクル・カンデル「キャプテン・ジャック・ゾディアック」早川文庫 を読了する。 マイクル・カンデルと言えば何と言っても「図書室のドラゴン」ですが、 あの世界も関係していないことも無いです。 まずザッピング的に5つの世界(つながってはいるが)が提示されていき、 その中の各キャラクターの関連が見えて来るのが前半。 登場人物達は自分達の国、アメリカがロシアと核戦争をしているというのに 庭の芝生や子供の行く末やセックス(こいつらはエイズで全滅するが)の方が 重要なのである。街はストライキにより収集されないゴミで溢れ道路は常に渋滞 気温は温室効果で上がり続け紫外線は降り注ぎ・・・ 何と言うかブラックユーモアとも違う悪夢的な近未来観。 しかし実はそれら全ては機械知性が人間を研究する為に作り上げた データの集まりに過ぎないのだった・・・なんて。 ところがその機械知性はデータに過ぎない筈の主人公に破壊されてしまい 結局その主人公(データ)が世界を再構築してその中で理想的に生きる(???) という・・・・ もうえーかげんに書き飛ばした様な(事実そうらしい)作品であるにもかかわらず そこに狂気的な面白さを感じる。 前作「図書室のドラゴン」は構成が丁寧だった事を考えればわざとかもしれんが。 ただ、絶対(言いきる)に一般受けはしません。SFファンの為の作品であり これは先に紹介した「フリーゾーン大混戦」と同じで、読者をより広げるべき 日本の翻訳SF界はこれに危機観をもっているらしい。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
Anne McCaffrey THE SHIP WHO SANG/1969 アン・マキャフリー「歌う船」酒匂真理子訳/創元推理文庫/1984 ハイ。すいません。まだ読んでまへんでした。 今年に入ってから続編が出るわでるわ、おまけに先月のSFMでの特集。 「旅立つ船」の方を先に少々読んだもので、設定はのみこめてましたげと・・・ いやー60年代の「古い」作家だとばかり思ってましたが、面白いですねぇ。 というか、うーん、女性におすすめかなぁ。 これもかなり「文系」寄りのSF。 高機能障害者が、その身体の変わりに、宇宙船と接続され、特殊な教育をされ、 宇宙船「そのもの」となって人生(?)をわたる・・ も設定だけでも強烈。でもそれ自体は60年代でも新しいものでは無かった訳で この作品の主眼は矢張りその「船」達の心理とか、そういうやつね。 作中では殻人(チタンの殻に生命維持装置つけて入っているので)と呼ばれる。 彼等を船の脳、ブレインとすれば、それとパートナーをくんで働く船員を筋肉、 ブローンと呼ぶ。為にそういった船はBB船と呼ばれる。 殻人は殻と生命維持装置に守られ非常に長生きである。 ブローン達はいずれ年老いて船を下り、或いは事故で死んで仕舞う。 主人公ヘルヴァも初恋の相手を失ってしまうのだが・・・ 七三二号(「殺した船」)の描写などは強烈。彼女が一番印象深いですね。 うーん・・・SFで宇宙船、だけど妙に広がりの少ない作品ではありますな。 そんなに「好き!」って程じゃない。やっぱCWスミス・・ 続編では殻人は殻人でも、船じゃなく宇宙ステーションの中枢(「闘う都市」) なんかが出てくるらしいし・・・ううむ。 ただ、知人にこのシリーズが好きという奴が多い・・ 特に「旅立つ」はよく人からすすめられたものだ。 最近はめっきり「ハイペリオン」だけど。 まだ読んでない・・・ううう・・最近本当に読めないぜ・・ 続編の山を前にしてちょっとアレな @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
Fredric Brown HONEYMOON IN HELL /1958 フレドリック・ブラウン「スポンサーから一言」創元SF文庫/1966 何か久々に読んだら驚いた。 むちゃくちゃ面白いやん。 実は野田さんの「愛しのワンダーランド」の「読んでおくべき本リスト」を また読み返しているのだあった。 野田氏の言うとおり、こうして読み返していると、何度読んでもいいモノはいい、 というのが解る。 この本の中では何と言っても「闘技場」が傑出して良い。 このモチーフは例えば「ひとりぼっちの宇宙戦争」の様に、いろいろなパターンが 今まで作品化されてきたけれど、やはりこの作品のスケールと迫力にかなうモノは 無いだろう。 銀河を巻き込む大戦争、両雄並び立たず双方とも倒れの危機、 そこで上位の意志によって行われる代理戦争。おそらく無作為に選ばれた一体ずつが 青いフィールドで戦う・・・ ブラウンの作風を今に受け継いでいるのは、日本では草上仁であろう。 アイデアのパターンも似ているが、何より登場する人達の性格がなんとも似ている・・ なんか、視点が優しくて(ブラックだけど)いいなぁ。小松なんかとは根本的に違う。 一時に比べると草上の作品は出が滞っている様だが、本業の方が忙しいのだろうか。 不況だものなぁ。 一時期はあまりの作品の多さに仕方なくSFMが特集を組んだ程だったのに。 草上作品は良いので、一度読まれることをお勧めします。もちろん本家ブラウンもね。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
Edmond Hamilton THE WEAPON FROM BEYOND /1967 エドモンド・ハミルトン「さすらいのスターウルフ」野田昌宏訳早川文庫SF/1970 やっと読んだわ。とりあえず一巻。 これって分類番号<SF1>なのね・・ あれよ、読んだのは斉藤和明の重厚なイラストの入ってる奴。 今の横山絵のかっこいい奴じゃないぜ。 人間ドラマが良い。これは驚いた。面白いんだものな。 外人部隊Mercsの淡々とした描写もいいし、スターウルフのはぐれ者ケインの 心の揺らぎなど、非常に好ましい。はじめは血も涙もないスターウルフ、宇宙海賊の 彼の魂が、外人部隊のリーダー、ディルロに引かれていくあたりの描写の「男の世界」 な展開が、C.F.などとは違ってて熱い。 だいたい女性が出てこないんだわ。この作品。うーん・・ また、冒頭のケインは仲間と思っていたスターウルフ達に裏切られ、追われる身となっ ており、トゲトゲした感情を常に持っているのだが、それがだんだん余裕に変わって いくあたりも必見。 ハミルトンというのは凄いなぁと。この時点でC.F.(キャプテンフューチャー)で 名をはせていながら、がらっと展開を変えて(しかももう晩年だ!)こんなのを 書き出す・・・・ 手塚治虫なんかメじゃないぜ。いや本当。本当の意味でハミルトンは死ぬまで第一線 だった・・手塚は「そうありたい」という姿勢だけは評価されるが・・ あー、宇宙の海は俺の海。 あ、スターウルフだから「青い銀河を」か。 今朝「我が青春のアルカディア」やってたしさ。思わず見てしまった。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
Boris Vian L'herbe rouge ボリス・ヴィアン「赤い草」伊藤守男訳 早川書房/1978 ユーモアとペーソス、と言う中で僕は「ペーソス」だけしか感じられないことが多い。 例えばチャップリンの映画とかね。 作られた国の人達とは笑いの感性が違うのだから仕方ない。 と諦める。 この本を読んでフランスの青年は「げらげら笑う」のだそうだ。 人生はすり切れ(user)てゆくのみ。 すり切れつつ無駄な思い出を詰め込み それを消し去るためにまたすり切れていく・・・ 完全になれるのは死だけだ・・・ そういう話。 忘却機(という機械があると思え)の中での問答にこの作品の真意が有ると思う。 『それはもちろん、乗り越える障害が大きければ大きいほど、遠いところまで行き  着いたと信じたくなるだろうがな。だが、そんなのは嘘だ。戦うのと進むのとは  異なるのだ。』 とか  『「死人以上に孤独な者はいるかね。」と彼はつぶやく。「だけど死人以上に完全  な者はいるかね、死人以上に安定している者はいるかね、ええ、ブリュールさん。』 とか。 いいねぇ。なんか。 冒頭の忘却機械の鎮座している広場の描写を読むだけで もこの作品に出会った価値は有るというものだ。 伊藤訳のすばらしさもあるか・・・  『ええ、私には目的があると思いこまされていたんです。でも本当は何もなかった。   私は始めもなければ終わりもない回廊の中を、愚人に引かれて他の馬鹿者たちの   先に立って歩いていたんです。』 まぁ何にせよ「イマイチ」ではあった。「ヴェルカコン」や「うたかた」や「北京」 に比べると、かなり劣ると思うが・・ 或いはフランス人でないと理解は出来ない文章なのかもしれんとか・・ ま、とにかく読んだ。と。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
R.A.MacAvoy TEA WITH THE BLACK DRAGON /1983 R.A.マカヴォイ「黒龍とお茶を」黒丸尚訳 ハヤカワ文庫FT/1988 タイトルのお洒落さと加藤&後藤の美麗な表紙絵に魅かれて読んだ。 ・・・なんか違う様な・・・ 騙されたような・・・ いや、作品そのものは非常に僕の好きな部類(犯罪モノ?)ではあるのだけど 期待していたのはもう少しFTFTしたもの・・・だったのに これは何というか・・これがファンタジーなのカーっ!?という・・ 登場するのは初老の中国人とおばさん。そのおばさんの娘と娘の同窓生。 と、悪人2人。とバーテン。これだけ。 娘が大陸の反対側から母親を呼び寄せた。娘はある危機に陥っていて 母に心理的助けを求めている。 だが娘は行方しれず。娘を捜す母の前に、ダンディな初老の中国人が現れる。 彼は自分が龍の化身だと言うのだが・・・ 娘は実はコンピュータプログラマーで、ある銀行のコンピュータシステム設計を 本来なら全てをまかされる事は無いが、事情により殆ど全て自分の手で組んでいた。 それを利用して架空の口座に金を引き込んだりしている内に いつのまにか大きな事件に巻き込まれていた・・という、プログラマーで喰ってた マカヴォイならではの設定(ただし’83当時の感覚で)。 スリルとサスペンス!とかそんな話だぜ・・ ドラゴン、も、その初老の中国人の口から語られるだけ(確かに中国人・・ロング氏は 強いんだけど)で、もしかしたらただの誇大妄想狂かも・・ こっちはなんというか、ロング氏がドラゴンに変身したりするのを期待してしまう・・ 彼は人間の姿と成る(その理由は作中で語られているが、うむむむ)のと引き替えに 龍としての能力を失っているのだった。うーん・・ タイトル&表紙、世間の評価(わりと良かったと記憶する)は(僕にとっては) あまり信用ならない、ことファンタジーに関しては、と改めて思い知った次第です。 えぇ、ちょっと肩すかしでした。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
R.A.ハインライン「栄光の道」ハヤカワ文庫SF/1979 「年をとってから、火のそばに坐って、歯のない歯ぐきをしゃぶり  うかうか見逃したチャンスのことを、あれこれ考えるなんてまっぴらさ」 英雄、ヒーローの話。 ヒーローがヒーローとなってしまって、あとはする事がない・・・ すいません。 つまらんのですが・・・ ハインライン臭だけ、の作品だ・・・ なんでこんな作品訳すかなぁ。 まー矢野さんだから・・・ もうちょっと物語の構成というものを考えてくれ・・・ と 死人に言ってもしょうがないか。 とにかく読み通すのが辛かった。 特に後半。 彼の未来史嗜好は解るがいくらなんでも無理がある・・ ああああと何ページもある・・とか、 そういう風に考えてしまうあたり、ダメですなぁ。 教養を感じさせる文章は良かったが・・ 「ギリシャ人のついたちがきたらね。」とか。 うう。 他に言うこともナシ。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
John Sladek BUGS /1989 ジョン・スラデック「遊星よりの昆虫軍X」ハヤカワ文庫SF/1992 本書の裏表紙によれば 売れない純文学作家フレッドは一念発起、アメリカの土を踏んだ。 ところがどう道をはずれたか、畑違いのコンピュータ会社に就職し、 プログラマーにされてしまった。 右も左もわからぬフレッドが命じられたのは 軍の為のAIロボット開発プロジェクト。 云々。 とかいう話ですが ストーリーはこの作品の一部、ですね。 本体は作家のヒネた視点で覗かれるアメリカ社会・・ おすすめは、しません。 うむ。 なんとゆーか・・・暗いわ。 重くてだるくて・・ドロドロしてる。 表紙の水玉描く所のドタバタ的明るさは無いす。 強烈なイメージは、流石パロディの王スラデック、というか、 その膨大な雑学とパロディ精神は評価する。 するんだけどアメリカンジョークじゃねぇ。 あと原語じゃ無いと解らないようなアナグラムや言葉遊びの類に 偏執狂的にこだわられてて、コッチとしては辛い・・ あとロシア訛りの美女のセリフが「あだしわ゛ぁ、」とか訳されてて なんか富永みーなのやってる「海坊子」系喋りしか浮かばなくて せっかくのグラマー美女、の設定が・・原語で読んでみないとわかんないなぁ。 こういうのは訳者を信じるしかないのね・・・ 特に深いテーマも感じられず、その意味ではB級。B級に徹してるとも言える。 でも、実は僕こんなんごっつい好きなんですわ。 深夜にやってるチープで変色した様な洋モノドラマの雰囲気! あああたまらん。 読んでて凄い気持ちよかった・・・ んー。ではでは。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
Robert A. Heinlein THE UNPLEASANT PROFESSION OF JONATHAN HOAG /1969 ハインライン「輪廻の蛇−ハインライン傑作集2−」ハヤカワ文庫SF/1982 「わー輪廻の蛇だー」というあじましでおの漫画が有りまして。 大昔に読んでタイトルだけは記憶してたんですが・・ さて。 原題でタイトルされている 「ジョナサン・ホーグ氏の不愉快な職業」 が 単行本の7割をしめる・・・ほとんど長編。 書かれた時代を考えから外しても、ハインラインの作品に出てくるキャラクター達は 魅力的で好き。格好良いというか・・・自由人なんですよね。 合理的無政府主義者というか。 内容はグイグイ読ませる展開!!でもオチがやはり古いだけあって・・・うーん。 壮大でいいんですが・・こういうのはしかし どっこい日本にゃ光瀬龍がいるぞってなもんです。 SF者ってのはオチ一つで一喜一憂するイヤな生き物ですから・・ 「象を売る男」 古き良きアメリカ・・・ ブラッドベリ的。 多分今のアメリカじゃこんな風な「お祭り」は行われていないだろうなぁ・・ でも読み終わって気がついたのだけど、主人公は途中でしんじゃってるのね? バスの事故で・・・ そのへんもブラッドベリっぽい。 「輪廻の蛇」 流石は表題作。 マトモに当たると脳が沸く。 自分が酒場で出会った自分である。 自分を産んだ母親は自分である。 自分を産んだ母を犯したのは自分である。 その為に時間旅行をさせる男も自分であり 自分を捨てるのも自分・・・ ああああああああ ところでコレには 「航時機、正確にはUSSF総合時標変界装置の携帯セットで、  一九九二年型モデルU」というのが出てくる・・・ 時代ですね。 最新型、という表現が「1941年型」、なんて表記があるし・・ 「かれら」 自分以外の人間はみんな、自分に「この世界」を信じさせるために 誰かが造った人形なのではないか? というアリガチな話。でもそこはハインライン。グイグイ読ませます。 「わが美しき街」 これ!これぞハインライン!! 腐敗政治家と戦う反骨っぽい新聞記者や駐車場の管理人 あと生きたつむじ風。 街の片隅でくりひろげられる不思議な話。 良いわ・・・ 「歪んだ家」 トポロジーSFの系統。 4次元で設計した建物を展開図の形で3次元に立てる。 ところが地震で4次元に畳み込まれてしまって・・・ 窓から出てもそこはキッチン、とかああいうの。 しかしこんなん読むと藤子F氏とか思いっきり御三家の影響受けてるのでは。 うーん。やはりほとんどが1940〜1950の作品だけあって 古い。古いんだけど、良いです。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
風見潤・安田均 編「世界SFパロディ傑作選」講談社文庫/1980 古本屋で200円で入手。 昔SFMかなんかで紹介されていたのを思い出して買ったのですが うーん・・・・・・ 当時SFがブームの頂点だった事を考えにいれてもこれは・・ なんというか・・・雑な感じがするです。 面白かったんですけどね。 なんせSFというジャンルの性質上、パロディ的なものは無限に書かれているのに その中のごく一部しか紹介できない訳で、編者は頭を悩ませた事とは思う。 内容はといえば、いわゆる「パロディ」といわれるものとは違い、 その「もじり感」を利用したSFを紹介している・・ 例えば「ホーカミの群れ」とか。 (好き・・!ただしこれは早川のHOKA!シリーズに収録済み。) 読むべきは 「好色な神へのささげ物」ウィリアム・ノールズ(Girls for Silme God 1960) で、30年代スペオペの雰囲気を掴むには最適であろうと思われます。大爆笑だし。 こういうのが一番楽しい・・・ これはそもそも1960/11のプレイボーイに掲載された物であるという。 あと「スカーレティンの研究」フィリップ・ホセ・ファーマー、もシャーロキアンなら 爆笑間違い無し。”移動性苦痛”にはマイッタ・・・わはははは。 えーと、ワトソンさんが戦争で受けた傷は肩だったのに後には足に受けた傷、 となっていて、ソレなんですが。他にも知能を持った犬がホームズ役なんですが それの人工声がボガードの声で、ひれを聴いてワトソン役のヴァインシュタイン氏は 「わたしならベイジル・ラスボーンの声を選んでいただろうが」・・・・ ラスボーンは「初歩的な事だよ、ワトソン君」とかの 言い回しを作ったとされる俳優・・だそうです。でもオカシイ。 あと舞台がドイツなもので、変な所にドイツ語が出てきてこれもオカシイ。 一番ストレートなパロディは「レンズマン裏舞台」ランドル・ギャレットで、 これはもう・・・ レンズマン読んでた連中はみんな受けること間違い無し。 「我々のコンピュータは小数点以下001の確率で」とか「QX(OK)ですか」 とか「クリア・エーテル(さようなら)」とか・・・ ああああこんな会話してたですよ。高校の時EEスミス好きなの居て。 「君の意見には小数点以下9ケタまで賛成だね」とか。 「昏い世界を極から極へ」スティーヴン・アトリー/ハワード・ウォードロップ、は パロディのモトネタを提示しつつ、フランケンシュタインの怪物のその後を 描くのだけれど・・・これはなんとも凄い。コナンの様な・・ 何故これがパロディでなくてはならないか。 いやパロディそのものが日本の様に地位の低い物では無いのかもしれない。 他に「スーパーマン症候群」「バーニイ」「吸血機伝説」「商昇華世界」 「暗殺者たち」「欠陥」など。 ちょっと全体の印象にまとまりのないアンソロジーでした・・・面白かったですが。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
BORIS VIAN L'automne a Pekin ボリス・ヴィアン「北京の秋」(岡村孝一訳)早川書房/1947/1980 を読みました。 エグゾポタミーと呼ばれる砂漠に鉄道を作る話。 ・・・こんなん解説出来ない・・・ 不条理というか・・ あー・・・ ヴィアンの「日々の泡」(或いは「うたかたの日々」)とかが好きな人には ぴったりだと思います・・・ クロエを死なせてしまったマンジュマンシュ先生も出てくるし。 とにかく切ないです。「ヴェルコカンとプランクトン」に見られた様な 底抜けのらんちき騒ぎ、というのではなくなっていて、重苦しくて無気力・・ アンジェルという主人公に託された繊細さと美しさ・・ アンジェルとロッシェルとアンヌ、有りがちな関係もここでは酷く切ない。 しかし。。 世界観が独創的過ぎてどうも他に例を見つけられないです。 ヴィアンはこの上もなくヴィアン的なのだそうですが、なるほど。 しかしタイトルの「北京の秋」は全く作品と関係する所が無い。何なのか・・・ エグゾポタミーはおそらくアフリカであろうし (船で渡ったり遺跡発掘したりしている)、秋というよりは夏だ・・・ うー・・ ところで 会話文の軽妙さと深さは、何処を切りとっても格言や名言集に 放り込める程です。例えばこう。  「腕にも脚にも不足がなくて、ぬかの入った袋みたいにふわふわで、だらだらしているときには、 ぼくには、ぼくが何を望んでいるかがわかっています。 なぜなら、そんなときだと、ぼくがどうなりたいかということを考えられるからです。」 例えば 「いっぱい見たあとでは、何をなすべきかがわかるものです。」 作中に出てくる小道具の数々、バス、模型、船、鵜、遺跡、かたつむりの殻、椅子、 インターンの傷口、等々、それに砂漠そのもの・・・その一つ一つが 状況と結びついて記憶される。映画的というべきか。 登場する各キャラクターも涙が出るほどにヴィアン的・・・ うーん。何も伝えられないのが悔しい・・・ ああ、僕は非常にタンデキしました。 ヴィアンはまず「日々の泡」から入ることをおすすめしますが、いかがでしょう。 こりゃ駄目だ。 スイマセン。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
ふ、と 読みたくなる短編というのが有って ところがタイトルも作者も思い出せない・・・ 状況もキャラクターの姿も思い出せるのに・・・ で、それを昨日ついに発見して感動。 ジョーン・D・ウィンジの「鉛の兵隊」 新潮文庫「スペースマン−宇宙SFコレクション1−」 というアンソロジーの中の一遍だった。 偏愛しています。 どーうも好きです。この話。 いや、それだけなんですよ。 でもなんか感激してしまって。 また再びこれが読めようとは・・ とか あー それだけでした。 すいません。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
Pete Hamill "THE GIFT" 1973 ピート・ハミル「ブルックリン物語」/ちくま文庫/1986/12/1 常盤新平訳 ・・・実はピート・ハミルを読むのは初めてなのだった。 いや昔英語の教科書で「幸福の黄色いハンカチ」を読んだ記憶は有るが。 選定の理由は、「タイトルと表紙写真がカッコイイから」というイカレタ理由。 でも実は個人的に当たりだったのだぜ。 ・・・っていう・・こーゆーのにむちゃくちゃ弱いのであった。 1950年代、朝鮮戦争の頃。冬。雨の高速道路を走るグレイハウンド。 新兵訓練所からクリスマス休暇で帰ってきた17歳の僕。かつての彼女とよりを もどそうと焦り、今まで良く理解し得なかった父親との心の通じ合いがあり、 貧しい家族のなんとなくの哀しさがあり、酒場があり、ヤクザな男の哀愁があり、 あたらしい恋の予感があり、やはり貧しいブルックリンの悲しみがあり・・・ ・・・確かに、一歩間違うともー「くっさぁ〜」な設定なのだけど、それが決まる からなぁ。アメリカ、ブルックリン、1950年代、冬・・・という舞台設定が、 まるでリドリー・スコットのスモークの如く、その「クサさ」を消して(覆って) いる様だ。 あんまりクサくていい部分なのでまるまる抜き出すが 「 港から吹く風に小雪が舞っている。ラティガンの酒場は、仄暗い光をたたえた  オアシスのようで、その鈍い明かりは暖かさを約束していた。僕は未成年者で、  招かれざる客だったけれど、夜ふけだったから、規則などあってないようなもの  だった。ぼくはあと二、三日でいなくなるのだし、それまでに父に会っておきた  かった。父が本当に生きているこの店で会いたかった。父の人生が脈うっている  この店で。誰れもがささやかな勝利と、口に出せない敗北の記録を持つこの店で。  父が大言壮語し、法螺を吹きまくり、哄笑し、なんでも許してもらえるこの店で  父に会いたかった。ぼくはいま、酒場が何のためにあるのか、なぜ男たちが夜お  そく酒場に行くのかを理解した。」(P144) いいでしょ。 大した事件も無い。「ビバリーヒルズ高校白書」の様なアツい展開じゃない。 全体を覆う湿った冬の空気。ただ過ぎ行くクリスマス休暇。少々感傷的に過ぎる 感も有るが(当時40代の作者が、17歳の時の自分を振り返って書いた作品・・) そのセンチメンタルさを味わうのが良いのだ。この場合。 たまにはこーゆーのも良いものである。 結局は、ノスタルジィさ。 ではまた。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
ラリー・ニーヴン「リングワールド」(早川書房)1976年 を読む。 こういうのをハードSFというのか・・・ え?違う? しかしやっと読んだ・・・ SF読みはじめて5年になんなんとするが まだ読んでない古典・名作のなんと多い事か。 で、これは「名作」ですね。 とにかくタイトル及び文庫版カヴァーのイラストを見ればだいたい解る 太陽を中心にしてその周りをリボン状の世界がぐるりと輪をえがいている。 そういう世界。 当然人工物なのだが・・・ 断面図にするとこう・・・ ↓リング ↓太陽           リング↓    [              ●                ] こんな感じ。 [ のタテの長さ、つまりリングの床面の幅は約100万マイル。 リボン状の淵はちょっとだけ(1千マイルくらい)高くなっていて、 リングの回転で生じた遠心力で大気を保持し、淵からこぼれていくのを防いでいる。 半径9500万マイル(・・・・・)。 リングワールドの表面積は実に地球の300万倍(・・・・)であり そのリングの構成物はニュートリノさえも防ぐ。 それを探検せんと集められた 人間2人、パペッティア人、クジン人各1名の計4名。 それぞれの種的違いを乗り越えつつ この巨大広大な世界を旅するのである・・・ ニーヴンのノウン・スペースシリーズ(というのがあるらしい。)の 代表作(だそうだ) とにかくスケールのデカさを表現するうまさには感心しました。 こういうのはどれくらいその、センスオブワンダーな風景を 脳内に再現出来るかにかかってきますし。 いかにも「SF!」な感じで久々に心を宇宙に飛ばせられました。 ではでは。 @@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@@
一部(そのテの)で話題の、チャールズ・プラット「フリーゾーン大混戦」 (原題:FREE ZONE)早川書房、を読了。 プラットとゆーと先に訳された「バーチャライズド・マン」の正統SFなイメージが 有るんですが、これは−・・うむむ。SFはSFなんだけど、あまりに何でもアリで こー、なんとゆーかブラウンの「WHAT MAD UNIVERSE」を思い出します。 時間旅行と多元宇宙を軸にして本当に何でもあり(後半4章は何でもアリがありすぎ で溢れてる。)で”SFの主要テーマをすべて一冊に網羅!!”というアオリも それが本当なのでいっそ呆れてしまったり。 作者自身による舞台の地図、人登場人物表、プロットのフローチャート(!!)付き と言う何とも「グラフィカルユーザーインターフェース・エンハンストな親切設計」 (大森望)で、これが結構便利でした。誰かこの形態でまた出さないかなぁ。 おまけに解説には、いさましいちびの以下略(笑)水玉螢之丞の漫画が載ってるし。 フローチャートのおかげもあって(これはホント予想以上に便利だ。シリーズ物には 付けた方がよい。たとえばグインサーガとか。)一晩で読めたし、その間はずっと 楽しめました。 まー、決して万人向けでは有りません。が、SF(っぽいもの)が好きな人は 一晩中「オイオイ」とか突っ込みをいれつつ読みふけられること請け合い。 一方その頃アトランティスでは− 女王様率いる海底人達が 内職をしていた。 ではでは。 @@@@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@
ボリス・ヴィアン「日々の泡」読了? ああ・・・・ これだ。 これだ。 なんかこう記憶というか源初的憧れというか の 欠けてた部分が埋まったって感じ。 全てはこのどんより暗い、寒い「都会派幻想」だ。 青春の挽歌そのもの。 ブック・ガイド・ブック1982 の 荒俣宏の 「この作品を読まずに成人した人間など、決して信用してはならない。」 という煽りが、なるほど、とうなづけもする。 「作者ヴィアンは、自らの原作を映画化したフィルムを鑑賞中に、心臓発作で死んだ。なんと劇的で無意味な死にざま!」 まー無理にはススメないけど。 とりあえずあんまり「良かった」ので書きました。 でもやっぱ、こーゆうのが「フランス文学」だよなー。とかさ。違うんだろうけど。 なんか乾いてた心のどこかが潤った感じが。表現重複してる? ふんじゃ。 @@@@@@@@@@@@@@ [JUN] @@@@@@@@@@@@@@@@@@

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